君 津 市 の 力 石

 この夏(2014年8月)、富津市上飯野集会所前の力石を撮影していると、偶然お盆で檀家回りをしていたお坊さんが家のお寺にもあると教えてくれた。そのお寺は、近江屋甚兵衛の墓のあった君津市人見の青蓮寺であった。写真右の力石は「元禄」の年号が彫られていた。比較的古い力石だと思う。

     
           青蓮寺の力石           「元禄」の年号の彫られた力石

 青蓮寺の力石をきっかけに、君津市の力石についても調べてみることにした。まず手始めに『君津市史』に目を通してみたのだが力石の項目が見つからなかったので、『神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識』なるサイトで君津市の神社の情報を集めてみると、力石の写真が掲載されている神社が結構あったので、出かけてみた。撮影した神社は、石上神社(中富)、八幡神社(貞元)、山神社(日渡根)、天照大神社(大井)、白山神社(泉)の五社で、いずれの神社も社格は「村社」で、小糸川の流域にある。さきに紹介した青蓮寺も小糸川の流域である。どうも、小糸川の川船運行に関係するようだ。泉の白山神社の力石には案内板がついていて、川船運航と関連した説明書きがあった。

             
                      日渡根 山神社              

      
                        山神社の力石

             
                      大井 天照大神社

     
                      天照大神社の力石

     
           泉 白山神社                白山神社の力石

              
                         貞元 八幡神社

     
                       八幡神社の力石

     
           中富 石上神社              石上神社の力石

 写真で見てわかるように、日渡根山神社の力石は、鳥居の前に左右1個ずつ置かれていた。山神社の名の通り小高い丘の上にあったのである。ひょとしたら「古墳」かなと思って、『千葉県埋蔵文化財分布地図』で確認すると古墳ではなかった。
 大井天照大神社の力石は、拝殿の前に1個、拝殿右の石像物の前に1個置かれていた。右側の力石は半分埋め込まれた状態だった。
 泉白山神社の力石は、きちっと保存されている感じで、先にもふれたとおり、案内板も設置してあった。案内板の一番最後に名前のあった方は、以前、六手の八幡神社を訪れた時、お話を伺った、君津市史編纂委員をつとめた方のようだ。
 貞元八幡神社の力石は、一番大きな、字の彫られたものは固定されていたが、他の小ぶりな力石は本殿前の狛犬の後ろにまとめられていた。一番大きな力石には「
奉納」「六拾貫目」と彫られ、「六拾」と「貫目」の間に四角い穴が開けられていた。
 中富石上神社の力石は、境内の脇に集められて置かれていた。手前の3個には右から、「
五拾五メ 中富村」、「西上総中富村 三拾八貫目」、「三拾貫目」と文字が彫られていた。

 泉の白山神社は、地図で確認して行ったのだが、車1台がやっと通れるくらいの道で、非常にわかりずらい場所にあった。一番最初に行こうと思い随分探したが結局わからず、いつのまにか中島に出てしまった。あきらめて、帰りに寄ることにして、日渡根の山神社に向かった。天照大神社の力石を撮影後、再度白山神社を探しに泉に入った。今度は「泉自治会館」を目指したので、比較的時間をかけずに見つけることができた。最初に見つけておけば、案内板があったのでもっと多くの力石が撮影できたのに、残念!。もし、車で白山神社に行く場合には、近くの「泉自治会館」に車を止めて、歩いたほうが良いかもしれない。神社の前には、駐車場はあったが。

 泉の白山神社にあった説明書きに紹介されていた力石を撮影してきたので掲載する。

     
         小糸中島 諏訪宮                諏訪宮の力石

     
         大井戸 諏訪神社                諏訪神社の力石

     
                     鹿野山 神野寺の力石

     
          大鷲 日吉神社                日吉神社の力石

     
          法木作 塞神社                塞神社の力石

              
                       坂田の八幡神社

     
                       八幡神社の力石

 中島諏訪宮の力石は社殿の前に置かれていた。大井戸の諏訪神社と法木作の塞神社の力石は立てた状態で置かれていた。鹿野山神野寺の力石は、狸の置物の脇にあるように庭石として利用されているようだ。坂田の八幡神社の力石は、2カ所にあった。1つめは社殿脇にあった「鹿島神社、天王社」の前にあった。少し小さめの力石だった。2つめは、道路際の鳥居の後ろに無造作に置かれた感じだった。写真に写っている4つの力石とも、字が彫られていることがわかるが、読めなかった。大鷲の日吉神社の力石は、左の力石には文字が彫られていて、「
三拾五貫目」と読めた。泉の白山神社の説明書きによると、君津市で一番古い力石は坂田の八幡神社の力石で、天和2年(1682)のものだとあったが、筆者にはどの力石がそれにあたるのかわからなかった。また、『君津市史 金石文編』によると、神野寺の力石は「嘉永六年」の彫り込みがあるそうだが、これも筆者には確認できなかった。「嘉永六年」はペリーが来航した年である。

     
         東粟倉 愛宕山神社             愛宕山神社の力石

     
        清和市場 上諏訪神社            清和市場 下諏訪神社

     
               上諏訪神社と下諏訪神社の間にあった力石

             
                  小櫃地区山本 飯高神社鳥居

     
                  飯高神社鳥居前にあった力石

     
       三直 八雲神社一の鳥居           鳥居の後ろにあった力石

 『神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識』に載っていた東粟倉の愛宕山神社の力石は、鳥居前左側狛犬脇の夏草の中にあった。2度目の訪問で「発見」した。最初に訪れた時は、雨模様の中、真っ直ぐに伸びる標高差約60mの階段をやっとの思いで登ったのにもかかわらず、山頂の境内には力石は見当たらなかったのだ。地図には「愛宕山神社」とあったが、千葉県のホームページの宗教法人を紹介するページでは、「愛宕神社」となっていた。この力石には「
五拾貫目」の彫り込みがあった。
 三直八雲神社と清和市場諏訪神社の力石は、文字が彫られていなかったので、本当に力石なのかはっきりしないが、置かれていた場所や形状から、力石だと判断した。八雲神社と諏訪神社は、「郷社」である。小志駒の例があり「郷社には力石」という印象があったので、寄ってみて偶然見つけたものだ。諏訪神社は上諏訪神社と下諏訪神社とがあり、70m程の間隔で相対していた。力石は、そのあいだの道路(参道?)の両脇に、上諏訪神社の写真の右下にあるように、1つずつ置かれていた。
 山本飯高神社の力石には、筆者には読み取れなかったが、あきらかに文字が彫り込まれていた。飯高神社の2つの力石は、これまで確認してきた力石の中でも最大級のものだと思う。飯高神社は、地図を見ると長い階段を登らなければならない場所にあった。覚悟をして訪れたのだが、写真のように二の鳥居の下に置かれていて、なぜかホッとした。そこに行くまで、草敷の八幡神社、田川の神明神社、下郡の十二所神社の階段を登っていたので、これ幸いと参拝しないで帰ってきてしまった。

 ところで今回は、八雲神社について新しい発見があった。写真にある一の鳥居は県道92号線からよく見える場所にあって、八雲神社の社殿はそこから300m以上入ったところにある。そして、地図を見ると、この鳥居の場所に神社マークがあり「八雲神社」と表示されていたことから、八雲神社は2つ存在しているものだと思っていたのだ。今回、力石調査のために実際に歩いてみて、初めてこの鳥居が八雲神社の一の鳥居だということがわかった。八雲神社は、1つだったのである。ついでに、地図の神社マークの場所には、「事代主神社」という小さな神社があった。事代主神については、当サイトの「本サイトに登場する神々」を参照されたい。

     
           練木 日吉神社               日吉神社の力石

 練木と大鷲を間違えていたので、改めて練木の日吉神社に行って、力石を撮影してきた。写真の鳥居左前に立派な力石があった。2個しか写っていないが、「
三拾五メ」と文字の彫られていた奥の力石の先に、ほとんど土に埋まった状態の力石がもう1つあった。練木と大鷲は隣接する地区で、ともに日吉神社があるのである。地図で日吉神社を確認して出かけたのだが、大鷲の日吉神社を練木の日吉神社のつもりで撮影してしまったのだ。入り口に「大鷲公民館」があって、変だとは思っていたのだが。反省しきりである。しかし、考えてみると、この勘違いのおかげで、大鷲の力石を撮影できたということは、幸運だったともいえる。

 『千葉の力石』で紹介されている力石を撮影してきたので、以下掲載する。

     
          下湯江 琴平神社           階段の途中右側にあった力石

     
     琴平神社 右手奥にあった力石     左の写真の力石の右側にあった力石

 琴平神社は、普段よく通る道沿いにある神社で、写真の琴平神社の右には春日大明神もある、おもしろい神社だ。116段ある階段の途中、右側の林の中に、半分埋まった状態の力石が最初の写真である。下の二つの力石は、境内の右奥にある仙元大菩薩碑に登る階段の両脇にあった。右側の力石は、ほとんど土に埋もれて本当に力石なのか確認していないが、対になるように置いてあるのだと思う。
 琴平神社は春日大明神の末社だと、琴平神社の右側の壁に由緒書きがあったが、不思議なことに、末社である琴平神社が鳥居の前に位置している。元々は、春日大明神が鳥居の正面にあったが、後に末社である琴平神社を勧進した時に、春日大明神を動かしたのではないかと思った。由緒書きには、「
江戸時代に上湯江と水争いがあり、訴訟の恩顧を、かしこみ春日神社のとなりへ優る神社を造営した。これが末社の琴平神社である。」とあった。また、由緒書きには、春日神社の創建は明和元年(1764)、琴平神社は文政8年(1825)とも記されていた。そして、一の鳥居から富津市の方向に少し行った所に、木の鳥居と階段があったことを考え合わせると、琴平神社を勧進した時に新しい参道と鳥居を造ったという可能性も考えられる。地元の人か、宮司に聞くしか解決の方法はないようである。

             
                      北子安 菅原神社

     
    菅原神社拝殿手前右側にあった力石     菅原神社拝殿右奥にあった力石

 菅原神社は、『君津郡誌』によると、祭神は菅原道真、日本武尊、誉田別尊で、写真で見るとおり、大変立派な神社だ。『千葉の力石』には、琴平神社や菅原神社の力石は1個ずつしか載っていないが、実際は複数存在しているようだ。

     
          大和田 日枝神社               日枝神社の力石

 この神社は、菅原神社と比べるとこぢんまりした神社で、児童公園の一角にあった。力石は立派で、「
大和田村」の文字が読めた。

     
           杢師 八幡神社                八幡神社の力石

     
          外箕輪 八幡神社               八幡神社の力石

  『千葉の力石』には、外箕輪の八幡神社の力石が紹介されていたのだが、いくら探しても見つからなかった。ひょっとしたら外箕輪に隣接する杢師の八幡神社の間違いかもしれないと思い、杢師の八幡神社を訪れると境内の右端に写真のような力石があった。しかし、杢師の力石は少し小さめで、力石かどうか自信がなかったので、木更津の吾妻神社の力石を撮影に行く途中、外箕輪の八幡神社に再度寄ってみた。すると、拝殿左前に、力石はあったのである。前回は何故見つからなかったのか、不思議なくらいわかりやすい場所にあったのだ。

     
           人見 厄神社                 厄神社の力石

 厄神社は、君津市漁業資料館の前にある。力石は、写真右手の植え込みの中にあった。

     
          大山野 大宮神社             大宮神社の力石

 大宮神社の力石は鳥居先の階段を上がった、右側に置かれていた。ほとんど埋もれた状態だった。大宮神社の境内、社殿右側には、大山野公民館があった。

             
                       上 細田神社

     
                      細田神社にあった力石

 上の細田神社は上総高校の近くにあった。力石は、拝殿前の右側に置かれていた。大宮神社同様、埋もれた状態だった。右側の力石には、文字が刻まれていたが、判読できなかった。

             
                      糠田 三島神社

     
                       三島神社の力石

 三島神社は、以前にも力石探索のために何度も通った県道92号線とほぼ並行している旧道県道164号線脇、道路からすぐの場所にあった。中島の諏訪宮も、この道路沿いだった。車を路肩に止めると、すぐに社務所裏の道路脇に力石らしき石が2個(左上の写真)目に入った。境内に入ると、やはり半分土に埋まった状態の力石があった。

     
            行馬 山神社                山神社の力石

 行馬の山神社は、小糸川沿いの集落の中にあった。力石は、神社の左側の道路脇、草むらの中に2個あった。

     
           根本 白山神社               白山神社の力石

 根本の白山神社は、大正寺の観音堂の裏山にあったが、荒れた感じできちんと管理されてないようだ。この白山神社は地図に名前が載ってなかったので、住所を調べこの辺だろうと当たりをつけて訪ねたのだ。力石は、境内の右端にあった。観音堂の脇に、君津市教育委員会が立てた案内板があった。観音堂に安置されている木造聖観世音菩薩立像が、君津市指定有形文化財なのだそうだ。

     
          正木 八雲神社                八雲神社の力石

 正木の八雲神社は、三島湖沿いにある。隣には、釣り宿の駐車場があった。力石は社殿後ろの左側の隅にあった。写真を見てもわかるように、これまでの力石とは違い、細長い形をしていた。

     
          蔵玉 熊野神社                熊野神社の力石

 蔵玉の熊野神社の力石は、社殿に登る階段の左側にあった。蔵玉には全く土地勘がなかったので、一度通り過ぎてしまい黄和田地区まで行って、引き返してやっと見つけた。
 蔵玉の熊野神社隣にある圓盛院には、太平洋戦争末期に、東京都本所区(現墨田区)の小梅国民学校の4年生男子が集団疎開している。

             
                      俵田 白山神社

     
                       白山神社の力石

 俵田の白山神社は、大友皇子伝説を追いかける過程で、何度か訪れたことのある神社だ。社殿の右側は、前方後円墳である。力石は、社殿右側の2カ所にあった。駐車場の隅にも、力石のような石が幾つかあった。


     
           三田 浅間神社               浅間神社の力石

 三田の浅間神社は、道が細かったが、わかりやすい場所にあった。車から降りると、まっすぐに山頂に登る階段が気になったが、幸いにも力石は2つの鳥居の間にあった。

     
          上湯江自治会館            自治会館左側にあった石像物

     
      石像物の左側にあった力石?        石像物右側にあった力石?

 『千葉の力石』にあった、八幡神社入り口(下湯江高田)の場所がわからなかったので、小香にある八幡神社なのかもしれないと考え訪問する途中、上湯江自治会館の前を通ると、力石のような石が目に入った。急遽、駐車場に車を止めて、撮影した写真である。石像物(六地蔵)の両側に意図的に配置されているように思えたことや、形状からおそらく力石だろうと思う。もう一つ自治会館の駐車場右奥に大きな石が置かれていたが、力石かどうか判断できなかったので載せなかった。ちなみに、小香の八幡神社には力石はなかった。

     
         下湯江高田 八幡宮              八幡宮の力石

 下湯江の八幡宮は、高田公民館の敷地内にある小さな神社で、地図には名前がなかった。Google MAPで探すと、家の下公会堂というところに赤い鳥居が写っていたので、そこを目指して出かけた。しかし、その場所になかなか着かず、車1台がやっと通れる道を行ったり来たりしてしまった。仕方なく車を止め、家族で庭掃除をしていた方に伺うと、この裏に公民館があると教えてくれた。それでやっと辿り着けたのだ。感謝である。無事に撮影し帰宅して、地図でもう一度位置を確認すると、家の下公会堂は富津市二間塚だった。
 ところで、力石は公民館(八幡神社)へ入る通路(参道)の左側に並べてあった。左側の力石には文字が彫ってあったが、例によって読めなかった。この八幡宮は、『歩く 見る 知る ふれあいマップ 貞元』(貞元コミュニティセンター開館20周年記念誌)を見ていたら、「
高田の八幡宮は、高田の地から下湯江:春日・琴平神社の境内地に移されていたが昭和37年、再び高田の地に移した。爾来、氏神とし多くの人々に崇敬されている。例祭日は10月15日」と紹介されていた。

 Google MAPのストリートビュー(2012年9月撮影)には、はっきり写っていた黄和田畑の民家の角にあった力石は、撮影に行くとコンクリートが新しく打ち直されていて、あるはずの場所になかった(2014年10月)。残念!