木 更 津 市 の 力 石

 君津市山本にある飯高神社の力石を撮影に行く途中、木更津市の草敷というところで、「八幡神社駐車場」の看板が見えたので寄ってみた。偶然にも、そこにも力石があった。神社入り口の右脇に置かれていたのである。摩耗していてはっきりとは読めないが、表面には文字が彫られたような痕跡があった。

     
          草敷 八幡神社                八幡神社の力石

 君津市にある力石の撮影に行った帰りに、『千葉の力石』に掲載されていた、井尻の浅間神社、中央にある北河岸跡、富士見の八剣八幡の力石を撮影してきた。以下に、掲載する。

     
          井尻 浅間神社                浅間神社の力石

     
                       浅間神社の力石

             
                     浅間神社 力石の配置

 中郷の浅間神社は、中郷小学校の隣にある。境内には、社殿前右側に、児童用の滑り台が設置されていた。力石は3つ、幟竿立ての周りに、まるでベンチのように配置されていた。幟竿を立てるために使われるのかもしれない。

             
                       中央 北河岸跡

     
      「木更津 北河岸の跡」の碑             北河岸跡の力石

     
                       北河岸跡の力石

 北河岸跡は、木更津港にほど近い、木更津漁業協同組合のり共販施設の敷地にあった。さすが河岸だった場所だ。立派な力石が7つもあった。港湾関係者がさかんに力くらべを行っていた様子が想像できるようだ。多くの力石には、「
北河岸」の彫り込みがあり、白くぬられていた。小さな社殿には、八剣八幡の御札が入っていた。


     
         富士見 八剣八幡                八剣八幡の力石

 八剣八幡の力石は、一の鳥居をくぐってすぐ右側の植え込みにあった。隣には、江戸所払いとなって木更津にやってきた、嶺田楓江の長寿と業績を讃える「嶺田楓江寿碑」がある。木更津市教育委員会が立てた案内板によると、嶺田楓江は儒学や蘭学を学び、アヘン戦争に関連して「海外新話」を刊行したことで、治安を乱したということで、入牢3年と三都所払いの処分を受けた。明治維新後は、木更津地方の教育に貢献した人物だそうだ。もとは、丹後(京都府)田辺藩士だった。

     
          吾妻 吾妻神社                 吾妻神社の力石

 吾妻神社には、君津地方でで一番古い道標があり、以前に撮影に訪れたことのある神社だ。境内は明るく平坦で、力石は参道右側に置かれていた。

 9月の終わり(2014年)、『千葉の力石』に掲載されていた力石を撮影してきた。今回は、文京日枝神社、中里観蔵寺、長須賀淡島神社、大寺熊野神社、有吉若宮八幡宮、上望陀長徳寺、曽根釈蔵寺の7カ所である。

     
           文京 日枝神社             日枝神社末社 浅間神社

              
                       日枝神社の力石

 日枝神社は、文京の踏切脇にあった。境内には、力石のような石があちこちにあった。特に、境内左奥にあった、末社の浅間神社には多くの石が置かれていたが、そのうち、文字が彫られていた石が写真の力石である。

     
           中里 観蔵寺                  観蔵寺の力石

 観蔵寺は門が閉まっていて、境内には入れなかった。本堂や力石の写真は、塀の外から撮ったものだ。『千葉の力石』によると、江戸から帰る際に、船のおもしとして使われていたそうだ。

     
          長須賀 淡島神社               淡島神社の力石

 長須賀の淡島神社は、長須賀保育園の南側にあり、平坦な境内であった。力石は、鳥居の先に見える場所に置かれていた。左側の力石は、見てわかるとおり一部欠けた状態であった。淡島神社の祭神は、少彦名命だそうだ(『君津郡誌』)。

     
          大寺 熊野神社                 熊野神社の力石

 熊野神社は、大寺浄水場の先にあった。淡島神社同様に、境内は平坦であった。写真で見ると、4つの石が並べられているが、『千葉の力石』には力石は3個しか紹介されていなかった。右手奥の石には、文字が彫られていなかったので、力石ではないのかもしれない。
 この力石に隣には、下の写真のような柵に囲まれた石像物があった。木更津市教育委員会が立てた案内板には、「上総大寺廃寺石製露盤」で、千葉県指定文化財だとあった。

            
                       大寺廃寺露盤

     
          有吉 若宮八幡宮              若宮八幡宮の力石

 若宮八幡宮は、中郷中学校の隣にあった。境内は平坦で、広々としていた。その広い境内を見渡しても、力石は見当たらなかった。これは植え込みの中だと思い、駐車場前を探すとそこにあった。
 ところで、普通八幡神社は誉田別尊(応神天皇)を祀っているのだが、有吉の若宮八幡宮は、大鷦鷯尊(「おほさざきのみこと」と読む。仁徳天皇のこと)を祀っていると『君津郡誌』にはあった。残念ながら、創建等は不明だと言うことだ。

     
         上望陀 長徳寺                  長徳寺の力石

 長徳寺は、若宮八幡宮の通りを東へ進むと右側にあった。隣は上望陀公会堂である。力石は、本堂左側の境内の真ん中に置かれていた。かすかにだが。文字が彫られていることが確認できた。
 山門の右前には、江戸時代の道標が置かれていた。中郷文化財保存会の立てた案内板によると、道標は写真左側の石像物で、元禄16年(1703)に建立された道標である。右面に「東ちば(でら)」、正面に「仏像 南た(かくら)」、左面に「なかじ(ま)」と刻まれているそうだ。

            
                       上望陀 道標

            
                       曽根 釈蔵寺

     
                        釈蔵寺の力石

 曽根の釈蔵寺は地図で確認していったのだが、なかなか見つけることができなかった。後で考えると、袖ケ浦の広域農道から入った方が良かったかもしれない。力石は境内左側の地蔵尊の後ろに1つ(写真左の力石)、境内右の鐘楼に1つ(写真右の力石)あった。

     
          矢那 上部公会堂        上部公会堂の力石が置かれている場所

     
                       上部公会堂の力石

 矢那の上部公会堂には看板がなく、本当に公会堂だったか不安だったが、用意してきた地図と周辺の様子を比べると間違いないと思い力石を探した。力石は、駐車場の右脇、電柱の下にあった。置かれている石像物の前に狛犬のように2個、その前の電柱下に1個あった。

     
        桜井峯の薬師(東光院)              峯の薬師の力石

     
          上烏田 八幡神社               八幡神社の力石

 体育の日、前回時間が遅くなって行けなかったので、ガソリンを入れに行ったついでに、ちょっと足を伸ばして、桜井の峯の薬師と上烏田八幡神社の力石を撮影してきた。峯の薬師の力石は、本堂右前に置かれていて、境内に入るとすぐに目に付いた。3つの力石のうち、真ん中の力石には、大きな字で「
四拾貳貫目余」と彫られていた。また、読めなかったが、八幡神社の左の力石にも文字が彫られている痕跡が認められた。八幡神社の力石は、階段下左側のケヤキの木の根元にあり、これもすぐ目に付いた。
 峯の薬師は、前項『君津市地方の歴史 PartX』「峯の薬師について」で、行基伝説と弁慶伝説を紹介した寺院である。初めて撮影に訪れたのは、もう5年以上前になる。

     
         茅野七曲 熊野神社               熊野神社の力石

     
         下内橋 諏訪神社                 諏訪神社の力石   

 君津市黄和田畑の力石を撮影に出たついでに、茅野七曲の熊野神社と下内橋(げないばし)の諏訪神社の力石を撮影してきた。2つの力石ともに、社殿前のわかりやすい場所にあった。残念ながら文字は確認できなかった。茅野七曲は、その名の通り道は細くてカーブばかりで、対向車が来ないことを祈りながら進んだ。ゆっくり走ったのに、入り口を見落としてしまい、おかしいと思い地元の方2人に伺ってやっと熊野神社に辿り着いた。社殿は立派だったが、台風の後で境内は細かい木の枝が散乱していた。諏訪神社は、久留里街道沿いで大変わかりやすい場所にあった。おまけに境内は平坦で駐車場もあり、撮影はあっという間に終わった。諏訪神社の社殿には、「諏訪大明神」の扁額がかかっていた。

             
                       牛袋 八幡神社

     
     八幡神社・稲荷神社改築祈念碑               力石?

 上の写真は、牛袋にある八幡神社(昭和27年に稲荷神社を合祀)である。左上の昭和55年に建てられた改築祈念碑の土台の石は、力石の可能性があるのではないだろうか。また、境内左にも右上の写真でわかるように、力石のような石が置かれていた。佐貫地区八幡の鶴峯八幡にある築山の例もあるので、一度地元の長老にでも訊いてみる必要があるだろう。知り合いの一人は知らなかったが。