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シリーズ討論

北川正恭早稲田大学教授との懇談会議事概要

北川正恭早稲田大学教授
国民会議ニュース2004年9月

 行革国民会議は8月5日、北川正恭早稲田大学教授をお招きし、懇談会を開催しました。以下、その議事概要をお伝えします。


T 地方からの変革
 1 知事から教授に
 2 政治改革への取り組み
 3 マニフェストの提唱
 4 北京のチョウチョ
 5 GDPからGPIへ
 6 民主主義の脆弱性
U 質疑応答



 私は8年間三重県知事をやらせていただいて昨年リタイヤしたわけですが、この8年間の間に、恒松先生をはじめ、ここにいらっしゃる多くの方にもご指導いただいて本当にありがとうございました。そこで、私の自己紹介も兼ねて考え方を申し上げまして、皆様方にご指導いただければと思っています。

1 知事から教授に
 多くの人になぜ2期8年で知事を辞めたのかと聞かれるのですが、実は立候補のときに、記者会見で「公の権力の座は2期8年がいちばんいいと思う」と約束をしたので、公約を守っただけの話なのです。少し語弊を恐れずに申しあげると、公の権力の座は期限の付いた独裁者といいますか、その地位を確立していかないと、民主主義ということがなかなかうまくいきません。一方、期限が付かないと、サダム・フセインや金正日になってしまいます。言い方は悪いのですが、5期も6期もやれば内容としてはその方が立派なときも多いのですが、実はその人を活かしておいたほうが得な組織や団体によって活かされていることになるので、公の権力の座は自らが引くというようなことがないといけないのではないか。独裁者という言葉は少し過激すぎますが、民が選んだからこそ、多数決で選ばれたからこそ、断固自分の考えを遂行するということがないといけない。役人と相談しながらやったのでは、官主導の社会になります。今の国においても、規制改革の問題や三位一体の問題について総理や大臣がいっても、各省庁が全くいうことを聞かなければ、官主導の社会は気が付かないうちに社会主義国家になるのではないか。民に選ばれたものが決断したら、それをうまくオペレーションするのが役人という、政と官の良好な関係を築き上げたいとも思い、2期8年で辞めました。長期の多選禁止条例も考えたのですが、憲法で基本的な人権や職業選択の自由は確保されなければいけないと思い、条例はやめて自分で身を持って示すことにしました。

 知事になっていろいろなことを勉強させられ、そこで出くわすのは、長洲一二さんでした。すなわち、ここにご出席の後藤仁さんにすべて行き着くことになります。70年代に地方の時代を提唱されたのは時代に先駆けすぎていたのかもしれませんが、自分が体験してみると、あのときの考え方はなかなか立派だったと思います。つまり、地方も自立するという決意がないと駄目だということです。

 私は早稲田大学の出身なのですが、管理よりも経営、アドミニストレーションよりもマネジメントで行くべきだという論陣を張っていたので、早稲田大学の大学院が公共経営研究科をつくるときに相談に乗らせていただくことがあり、公共経営を専門とする大学院ができあがりました。その後、私が知事を退任したときに、そういう相談に乗った経緯もありましたので、「教授になってくれないか」というオファーがきました。私は年来の情報公開論者なのですが、「大学4年間の私の成績だけは非公開にしてほしい。それが学生に知れると教えることができない(笑)」とお願いし、大学も引き受けてくれました。
 実は私はマスターやドクターなど大学院は出ておらず、4年間の学部生活だけで、しかも恥ずかしながらほとんど勉強しなかったのですが、それでも大学院の教授の招聘を受けたということは、行政学や政治学のあり方が変わってきているのではないかと思います。今までは、大きな政府であり情報非公開であり中央集権でありという前提で成り立っていた学問が、地方分権の思想あるいは情報公開あるいは適切な政府ということになり、専門職の大学院なので実践を教えてほしいということだと思います。公共経営研究科の教授というのは、パブリックマネジメントという公共経営の研究科の教授だということです。パブリックポリシー、公共政策学は学として必要なことですが、学と実践とを結び付けるパブリックマネジメントいう分野もあっていいのではないかと思い、現在は恥ずかしながら公共経営の教授をしています。そんななかで実践を通じたいろいろなことを教えていきたいと思っております。

2 政治改革への取り組み
 並河さんが土光さんと一緒にやられた土光臨調は凄いことだったと思います。ある種狂気のときというか、戦後からずっと煮詰まってきたときに、「なんとしても」という時期、世の中を整理する時期があるのですね。そういう動きを政治家のひとりとしてみていて、凄いなと思っていました。その後、政治や行政だけではなく、民間でも政治臨調をやるべきだということで、土光さんとともにやられた亀井正夫さんが生産性本部のなかに民間政治臨調を立ち上げられたときに、国会議員として政治改革をやろうという運動に身を投じたわけです。

 当時、政治改革をやるために、選挙制度改革に取り組みました。政治改革イコール選挙制度改革としたことについては、議論を矮小化したというお叱りを随分いただき、現在もお叱りをいただいている部分もあります。しかし、私は結局、選挙制度だろうと思っています。一点突破、全面展開ということを考えたとき、決め手はやはり小選挙区制だと思います。ただ、小選挙区制の法案を通すときに比例代表をくっつけたということは、政治の力学が働いた妥協の産物で、それが今日の政権交代を不可能にしているのですが、これはこれで制度として改めていけばいいわけで、中選挙区制が続いたら相も変わらず族議員がはびこり、中央省庁などが「庇護してあげます、依存してらっしゃい」という、庇護依存の関係、パターナリズムは変わってなかったと思います。
 しかし、小選挙区制で3回の選挙をやった結果、見事に派閥が解消し始めたということは、最近の橋本さんの問題をひとつ取っても明らかです。やはり中選挙区制はサプライサイド中心の政治としてはいいですが、しかし、政治はいわゆるディマンドサイド、タックスペイヤーサイドにならざるを得ないわけですから、10年をして派閥が解消しました。民主政治では権限のあるひとが責任も取らなければいけないのですが、派閥のトップ、最高の実力者は力はあるのに責任を取らない。一方、そこから選ばれた大臣は権限はないのに責任は取らされる。これは闇の世界と同じ構図で、断じて通すわけにはいかないというのが大原則です。そういうことを教えたのが選挙制度で、その当時最も反対した小泉さんは小選挙区制のおかげで総理になれたにすぎないわけで、もし前の体制が残っていたとすれば、派閥の大きなところ、族議員が業界団体を握っていたところが総理総裁になっていたということになります。

 その政治改革がなかなか100%はうまくいきません。土光臨調も志と達成度からいけば、いろいろな点から並河さんも問題点を抱えていると思いますが、世の中を回転せしめたということはとても大きいことで、その延長線上に政治臨調もあって、10年前の政治改革案も完成品ではありませんが、気を付かせたという凄いことがあったと思います。この10年間に私は自民党を離党したり、三重県知事に転進したりしたわけですが、今回知事を辞めたときに、NPOといいますか、民間で勉強してインプットし直そうと思っておりました。また以前の政治臨調の皆さんと勉強したり運動していこうという思いがあったものですから、かつての仲間の東大総長の佐々木さんなどと相談して私も21世紀臨調の共同代表のひとりをしています。

3 マニフェストの提唱
 運動を10年振りに復活させようというときに、ふたつお願いしたことがあります。ひとつは、前回は国中心の改革でしたが、私も知事を8年経験していますから、地方の代表の知事や首長の皆さんに参加してもらい、地方の視点を入れてもらえませんかということです。そのため、臨調の副代表に岩手県の増田知事にお入りいただき、また、知事のみなさんが13〜14名、市町村長が50〜60名お入りいただいて、運動をしています。そのひとつが、補助金返還を地方からいおうというものです。

 もうひとつは、理論ということは確かに大切ですが、実践でいきませんかということです。実践でいくには具体的なテーマが必要です。私は知事の経験から、前例主義とか法令主義とかいう、ビジョンがなくて事実を積み上げるだけの政治行政を終わらせないといけないと痛感しておりました。私は三重県知事のときはビジョンという言葉を使い、カルロス・ゴーんさんはコミットメントという言葉を使いましたが、私は国も政党もビジョン中心に回っていかないといけない、既得権益を積み上げたのではなにも変わらないと考えております。そこで、マニフェストという言葉を提唱し、これを具体的なテーマにするということも受け入れられました。10年振りの臨調は政治改革でマニフェストを掲げてその普及、啓発、定着に取り組むことになったわけです。
 たとえば、マニフェストは実は公職選挙法の規定からいけば配れません。大正14年の衆議院議員選挙法を踏襲している公選法に無理が来ています。選挙とはそういうもの、公選法とはそういうものと思っていたのをマニフェストが気付かせることになりました。その後、公選法改正案が超党派の議員でまとまり、昨年10月の国会で成立、11月の総選挙には何とか間に合わすことができました。しかし、時間の制約もあり、マニフェストの配布場所が厳しく制限され、インターネットで配布することはできません。そこで、さらに改正をしていかなければならないのですが、残念ながら今回の参院選には間に合いませんでした。しかし、今度の通常国会にはできたらもう少し配りやすくするように法律改正を実現させ、インターネットなども十分に活用できるようにして、候補者と有権者をフレンドリーな関係にするような法律改正を実現すべく、現在マニフェスト推進議員連盟という国会議員の先生方と相談をしていて、頑張ってやっていきたいと考えています。マニフェストは単なる気付きの道具ですが、それを通じて公職選挙法、政治資金規正法、やがて公務員法の改正を目指しております。公務員制度は現在は一元性ですが、その公務員のあり方を変えていく。多分二元性になると思いますが、そういった公務員法改正にまでいかないと、本当に民主主義が作動するかどうか、心配なので、そういうことをやっていこうと思っています。

 みなさんが考えるような従来の選挙というのは、連呼ですね。「北川でございます。命賭けて頑張ってます」というものが本当に政治家が尊敬されたり、民意を吸収する運動になっているかどうか。みんなおかしいと思いながらもそんなものだという思い込みのなかで単に推移してきただけなので、そのあたりに本当にメスを入れようということです。あるいは、民主主義の権化者たる内閣総理大臣が「公約を破っても大したことはない」といったときに、学会も学者もジャーナリストも経済界も国民も誰ひとり怒らなかったのですね。そういうものだと思っているというていたらくな民主主義と衆愚政治が混在している無責任の体制だから700兆円の借金ができたことは間違いありません。為政者が無責任で、役人が先送りで、国民が愚かだったら、簡単に700兆円の借金はできるし、サダム・フセインはいつでも出てくるというように、民主主義はすごく脆いことなのだと思います。したがって、緊張感のある民主政治に戻さなければいけない。小泉さんが今回の選挙で負けたのは、明らかに自分のビジョンや公約をないがしろにしたということを国民から突かれたためです。社会保障という最も重大な国内の政策を「人生いろいろ」といったら、これはいかがなものかと正直思います。私は社会慣習や続いてきた制度をいじるときは、慎重でなければいけないと思っております。多国籍軍OKというのを自分単独で決めるということは、国会審議を通じて、あるいは選挙という絶好のアカウンタビリティを果たす機会を自ら放棄したことであり、これに対して国民が、民主主義論として審判を下したのではないかと思います。
 しかし、民主党も本当に断固たるマニフェストを書き切ったかというと、自民党よりははるかに頑張ったのですが、残念ながらまだ中途半端で、右か左か分からないという状況です。これでは与党を負かすわけにはいかないことで、中途半端な勝ち方になっています。契約に基づいて国民に信を問い、民が選んだということで独裁の力を与えるということを真剣に、どこかで切り開いていかなければなりません。私も30年間政治の世界におりましたが、青春物語まっしぐらで、そんな役割をやってみたいと思い、恥ずかしながらやっています。

 地域から政治を変えるということで、知事の皆さんにお願いをし、去年の統一地方選で10数名の方にマニフェストを取り上げていただきました。そのなかで、「マニフェストが書けない」という真面目な候補者の方がいらっしゃいました。「マニフェストは期限や財源や数値目標を約束することで、国に財源が握られている以上は責任を持って書けない」という真面目な話です。知事や市長とはその程度だったわけで、自己決定、自己責任が出来ないという体制とは、実は1947年の自治法施行以来の地方自治は、民主主義の学校、地方の時代というのは嘘だったということになると思います。したがってその後、マニフェストを書かれて当選した知事の皆さんにお集まりいただいて、本当に書けるように自己決定、自己責任という真の地方自治確立のために、補助金に縛られた所与の条件のなかで一生懸命黙々と執行する地方自治から、補助金を返還して歳入も自治も確保していくやり方に改めるため、補助金返還運動が始まりました。最初は6人の知事でしたが、今は13人くらい、全国の市町村長で50名くらいが国に対して自らが補助金の返還運動をやるという、初めてのことだと思うのですが、運動が始まりました。「江戸の仇を長崎で」というのが心配ですが、その仇が討たれたときには情報公開をして議論しようということになっております。

 もうひとつは、自分たちで自主財源確保と税財源のプライオリティを変えて、いわゆる補助金よりは自主財源をという努力をしたときに、補助金が100億円きていたものが自主財源にしたときに70億円に減ったとしても喜んでそれをやろうということです。70億円になっても自分たちの裁量で自己決定、自己責任が実現できれば十分ということです。これを自主財源で100億円だとか120億円寄こせといったら、何の感動も呼ばない。裁量権さえあれば自分たちで考えるから、減ってもよろしいという度胸がなければいけない。国が悪いといって今まで地方自治も相当デタラメをしてきた。国の体制のなかだから仕方ないのですが、やはりどこかで自らを変えていく、感動を呼ぼうということです。こうした異端の道をいずれ常識の道に変える運動を頑張ってやっていこうと思っております。三位一体の改革についても、現在3兆円とか4兆円ということになっていますが、もっと真面目に考えろということです。国もいい加減で、地方に丸投げして、分断作戦が取られた結果、地方で喧嘩が始まって、「それ見ろ」ということで各省庁の力が温存されています。それを超えて、地方自治体や首長をまとめ上げて、ドンとぶつけて断固やれということになれば、国が決めるのではなく、地域で変わっていくことになります。そうした総和で国を変えようということになればと思っています。今度のマニフェスト運動のなかの大きな柱のひとつがそういうことです。

4 北京のチョウチョ
 8月3日付の日本経済新聞の大機小機というコラムに「北京のチョウチョは舞うか」という文章が載っています。北京のチョウチョというのは、科学の世界でカオス理論とかバタフライ理論とか有名な例え話ですが、生態系が一定の時にはそれを構成する分子は隣の分子くらいしかみないので淡々とした変わりようのない体系がずっと続く。しかし、あるとき異質分子がドンと早く入ったときに、その生態系は新しい文法によって支配される。分子が飛び込んだことによって、とんでもない分子と分子が結び付きあって、化学反応を起こしたりハレーションが起こって、新しい文化が構成されたりする。そういう不確実性な複雑な理論を、プリコジンという科学者が北京のチョウチョの例え話で述べていますが、原因と結果は分からない、なぜ北京のチョウチョが飛んだ揺らぎがニューヨークで大きなハリケーンとなって起きるのか分からないが、結果から原因を突き詰めていけば、あのときの揺らぎがそうだったのかということになる。だから、私たちも小さなことから始めようということです。地域からひとつひとつが変わって、3300の自治体のチョウチョが飛んだり、47都道府県が国の決めたことを黙々と執行するだけではなく、地域から経営をして新しい価値をボンと出せば、国は必ず変わるという運動を続けていこうということです。うまくいけば今年の流行語大賞というのは冗談ですが(笑)、北京のチョウチョ論を展開しているところです。

 北京のチョウチョでマニフェストを出したことにより、知事のみなさんが動き始めたのは、自主財源を確保して自分たちで自立しようよと気付いたから動いたわけです。公職選挙法でマニフェストが配れないというのなら、公職選挙法を変えようというので、自民党の抵抗もありましたが、一ぺんに変わりました。そのときに、総務省の選挙部のみなさんは「変わるわけがない」といっておりました。ところが、政党が決断したら、一晩で全部変わったわけです。民の声が動かすということにならないと大きな変革は生じません。日常的な努力はそれぞれの団体、業界もしていますから、日常の努力の積み上げでやっていけば、それは事実前提なのであって、従来の立場の主張がどうしても優先されて、革命が起きるわけはない。北京のチョウチョは日常の努力プラス非日常の発想とか成果がいると思います。マネージャーは日常の努力の積み重ねが限界です。しかし、トップリーダーは日常の努力は当然のことですが、非日常の発想、つまり公約というものを守るべき約束に変えようということが必要です。今までのような、破る約束でやってきた政治は民主政治とはいえません。その衆愚政治の典型を変えるという決意、非日常が起こらなければおかしい。それをパラダイムシフトというのだと思います。

5 GDPからGPIへ
 したがって、そういう非日常の成果を出し続けなければ、なかなか時代転換は起こらないと思います。今は文明史的な転換点だと認識していますが、いつのときでも文明史的転換は科学技術が先です。産業革命で西洋列強各国がリードして、260年の閉鎖鎖国状態の日本に1853年に浦賀にペリーが来るわけですが、「たった四杯の上喜撰(蒸気船)」で夜も眠れず時の政府は驚いたわけです。科学技術の差があまりにも歴然としていたからです。そこから15年かかったのですが、パラダイムシフト、つまり明治維新が1868年に起きました。しかし、つくったのはいいのですがベンチャーの政府だったわけですから、科学技術に合わすためのシステムがいるというので、前島密が郵便、あるいは森有礼が教育体制とか、また、道路とか鉄道とかをつくり、そして23年かかったのですが、1891年に明治憲法が発布されて、やっと科学技術に追いついた諸制度の根幹の憲法ができたのだと思います。こうして、ペリー来航以来40年かかって明治は殖産興業、富国強兵というような国家目標でいったのだと思います。

 今日では、1980年あたりにIT革命がスタートして、1989年にベルリンの壁が、1991年にはソビエトが崩壊して、国家が経営失敗したらなくなるという文明史的転換点、ITが変える無血革命が起きたというのは前兆だったと思います。21世紀になって、ユビキタスな社会が生まれて、いよいよ本格的にポスト現代というか、ポスト生産主義から新しい知的な社会へ突入していったという大転換期にある。私は農業革命や産業革命よりも大きな革命であると思っていますが、これを本気で乗り切らないと、この地球は劣化しているので、サステイナイブルではないのではないか。あるいは、子供の大学進学率はあがったが、これで本当にいいのか。不登校とかキレやすいとかいう問題にどう対処するか。あるいは、GDPだけで、いわゆる市場においてプラス志向で財やサービスが動いていいのかどうか。今度のマニフェストも全部GDP中心でした。環境のことを書かれたマニフェストはほとんどなかった。

 私は今GPIという運動をしております。ジェニュイン・プログレス・インディケーター、本当の進歩の指標というわけですが、たとえば、GDPでいけば、交通事故が起こったときに、救急車が出た、医療サービスが起こったことなどを全部プラスにするのですが、怪我で入院したり亡くなった方の外部不経済はノーカウントですから、全部プラスになるということが、本当の人間の幸せなのなのかどうかということです。東京湾が汚れたとき、環境に負荷がかかったので、船を出して薬剤を播いて直そうといっても、そこで生物の多様性が失われたり、綺麗な景観が失われてもノーカウントです。こういう問題を考えたときに、成熟した社会でどういった国をつくるという明確な理論が構築されなければならないということを議論していこうということです。現在は産業革命から情報革命へ行く移行期間中だと思っていて、いよいよ本格的にOECD加盟国、先進国ならばさまざまなセキュリティなどいろいろなことをしなければいけませんが、避けては通れない。鎖国は求めないわけですから、ITを進めていかざるを得ない。そのために、さまざまな問題を抜本的に変えていかないといけない。中央集権で動いていくこの政治形態では、どんなに議論してもパラダイムシフトは起きません。縦割りで各省庁が業界団体と結託して、そのなかでだけバリアフリーな体制というのではだめです。地方自治体こそが総合行政に切り替えて、いわゆるビジネスプロセスもリエンジリアリングしていかなければならない。部分的にやっても変わらないと思っています。そのあたりを変えるために、新たな価値を提示するマニフェスト運動を展開していきたいと思っています。

 日産の歴代の社長のみなさんも立派だったのですが、カルロス・ゴーンさんが来て、コミットメント、3年間で赤字を黒字にできなければ全役員を辞めるとしました。そういうことで、クロスファンクショナルチームをつくってやったところに、黒字転換があったと思います。政治の世界もそのようにやっていかなければいかないとするならば、ポストモダンということになって、民主主義、資本主義はこんなもんだと思ってきた我々の頭を変えることが先決で、そこから変わるのだと思います。マニフェストは民主主義は変わりますという提示ですが、そんななかで政治行政が変わり、地方自治が変わらなければならないのは当然のことです。マニフェストによってサイクルが起きることを願い、これからマニフェストを気付きの道具として、民主主義を抜本的に変えていくような運動を続けていきたいと思います。

6 民主主義の脆弱性
 30年間政治をやって、民主主義の限界、脆弱性を痛切に感じました。やはり多数決による民主主義は限界があります。所詮、基本はポピュリズム迎合だと思います。マニフェストも為政者、政党は自分の都合のいいことを書きます。しかし、それすらもなかったのが今までの民主主義であって、そのポピュリズムをチェックするべき議会は一体どういう働きをするべきかとなれば、議会が抜本的に変わっていかなければいけない。
 典型的なお任せ民主主義、観客民主主義、いわゆる民主主義と錯覚して衆愚政治をやってきた市民のみなさんにも猛烈に変わってもらう必要があると考えています。みんなが自分たちのまちは自分たちでつくるという、自己決定、自己責任のなかで民主主義を行われなければいけない。どうしてもポピュリズムになると、5年、10年のタームでしか考えない。行政や政治には基本的にそういう体質があるということを認識しないといけない。そこで、100年で考えたときにこの政策はどうかという、学問、思想、宗教、ジャーナリストなどの世界でチェックする機能を前提として民主主義が成り立っているので、多様な社会をつくるためには、税金による規則による政府から、あるいは市場による経済というだけの世界から、多様なNPOの世界であるとか、自由にお金儲け以外の自己実現が達成できるような社会をつくっていかないといけない。

 「北川さん、いつ国会議員に戻るのか」というのは、国会議員や知事が偉くてNPOは駄目だという過去の既得権益の発想ではないかというのを、みんなが理解しないと、大会社の社長になったり、どこかの局長になったりということだけが、本当に偉いのか。もちろん、それもひとつの存在として認めなければいけないし、GDPも認めなければいけないのですが、もう一方で多様な価値もあるという、多元多様な社会をつくっていくということが、政治の課題になってこなければいけない。
 幸い、私は運動を続けて現在プータローというか(笑)、大学の片隅にいるので自由に発言できる、そういうポジションを確保していこうと思っています。去年、NPOの全国大会で札幌の上田市長と対談したのですが、そのときに「上田さんはNPOから市長になられた。私は知事からNPOになった。どっちが落ちこぼれですか」と聞きました(笑)。「どちらも同じでしょう、NPOという存在を認めたがらないのは既得の権益者であり、ライフスタイルがそのままの人たちの価値観ではないか」と申し上げたのですが、ライフスタイルから本当に変えていかないとユビキタスな、インタラクティブ、リアルタイム、いつでもどこでも情報が飛び交うなかで、人間そのものが危なくなってきたと考えています。そのために、したたかでしなやかな民主主義をつくらなければならない。地方も国が全部決めたことを黙々と執行するのではなく、九州は九州、東北は東北で自立した堂々とした自己決定、自己責任ができる政府ができてこなければいけない。その政府もガバメントではなく、ガバナンスだということです。圧倒的に官が主導で、指導課や管理課などが残っている哀れな市町村や県もありますが、非指導課や非管理課にしたほうが民主主義だといつもいっております。民が責任を持つという体制をつくり、その総和で国が変わる。そして、国も立派な方向を出して、地方と国とが対等で緊張感のある関係で社会をつくっていくという努力が必要ではないかということです。

 そこで、ご案内ですが、9月8日に早稲田大学で2003年知事選挙で当選してマニフェストを書いてくれた5人の県知事(上田清司埼玉県知事、西川一誠福井県知事、古川康佐賀県知事、増田寛也岩手県知事、松沢成文神奈川県知事)のマニフェストの検証を行います。小泉内閣のマニフェスト検証は5月12日にやりましたが、まだまだ内閣のほうは明確な政策が掲げられていなかったのですが、知事の場合は大統領制で、議会に具体的な政策目標、数値を予算としておろさなければならず、これをすでに2回経験しているということですから、その検証を行います。それと、マニフェスト推進の大会の意味合いも持たそうと思っております。来年、合併市長選挙が300くらいありますが、その中から、従来型のオール与党の利益団体を集めて推薦で当選という哀れな選挙ではなく、理念を掲げて「こういうマニフェストで行く」という市長が1割か2割出てくれば、世の中は変わると思います。今回の参議院選挙は、参議院そのものの存在感が問われる選挙になったわけですし、政権選択に直接影響を与えない中間選挙になってしまった。マニフェストとは従来の破るべき公約とは絶対的に違う価値なので、やらざるを得ないわけです。どうやってそのバージョンをあげていくかというときに、地方で行われる来年の合併市長選挙に重きを置いて、その運動を一生懸命やって、次の総選挙によりバージョンをあげて続けていきたいと思っています。是非、地方でもそういう理念型で過去の追認型の選挙ではない、新しい価値、創造型の選挙が行われる運動を続けようと考えています。地方の47匹のチョウチョが飛んだり、3300匹のチョウチョが飛んだり、もっといえば320万人の自治体の職員がいるのですが、その人たちが自覚して飛び始めれば、日本はあっという間に変わる。当分こういう運動をしていきたいと考えています。


U 質疑応答
【笹岡好和・電力総連会長】
 マニフェストは、民が選ぶというところにポイントがあると思います。101匹目サル現象という話があります。あるコロニーの1匹のサルが餌付けされた芋を洗って食べたことにより、そのコロニーのサルはみんな、砂が付いているよりも洗っているほうがうまいことを知り、芋を洗って食べることを覚えたということですが、全然脈略のないコロニーのサルにそういう状況が起きる。まさに今、先生がやろうとしていることはこの101匹目サル現象に近い現象で、いいものは自信を持ってやれば、必ずできると思います。どんな最悪の状況であっても、はっと目が覚めることがあるのではないか。

【北川】
 私は連合に期待しているのです。生活者起点、タックスペイヤーサイドに立てるいちばん大きな団体は労働界だと思います。それなのに、労働界も体制のなかでどっぷり浸かっているというところに不安があります。自動車の問題もありました。労働組合はそこで生活者起点に立って、例えば三菱自動車の件についても、なぜ連合で問題が出てこないのか、おかしいのではないか。なぜ何もいわないのか。このようでは、連合、労働組合は潰れていくということを問いたいのです。私は知事のとき、自治労、県職労と何回もやりあいました。戦後の自治はどう描いても、知事と執行部と労働組合の馴れ合いでしかなかった。自民党が変えた、労働界が変えた、農協がやった、土建がやったというのは全く嘘で、情報非公開のなかで権力者と組合がつるんできただけの話がいちばん明確な切り口ではないかと思います。私は、そんな労働組合では消滅してしまうといいました。非公開のなかで、県民を裏切って特勤手当などを取って、恥ずかしいのではないか。考えられない世界です。もらった人はもらえるまでこっそり黙って取って、もらわない人は怒って、そのようでは一緒に目的を共通のベクトルにすることはできません。
 ですから、労働組合には頑張れといいたい。私は労働組合がなければいけない論者ではありません。もっときついのですが、今、日本はピンチなので、労働組合の幹部の皆さんに頑張ってもらいたい。迎合してはいけません。一度、真剣に議論していくということが要ると思います。きつい話で失礼にもなりますが、そういう話を遠慮なく議論するというようなことにして変えていきたいと思います。

【加藤祐治・自動車総連会長】
 労働組合は今、内向きになっています。労働組合は雇用と生活を守るという目標があり、それをどう変えるのかというのが組合の使命だとみんな思い込んでいます。今回の三菱の件もそうですが、ミクロの最適がマクロでは不最適になるという合成の誤謬が生じているわけで、連合も同じような状況にあります。それぞれが業界を守ったり、企業を守ったりということになっています。それを打ち破るための新しい運動論を出さないといけない。最近、執行部の若い人たちと話をすると、今までの運動がそのまま投影されて、我々以上に内向きになっています。我々の時代はイデオロギーが生きていて、世の中は変えていくものだという意識がありましたが、若い人たちは外から変わってくるかもしれないということで、自分たちの力で変えていくというところがあまりありません。ですから、労働組合役員としての心のインフラをもう一度つくり直さないと駄目だということは若い人にいっています。この混沌とした十数年の時代のために、若い人たちは内向きになっているのだと思いますが、いろいろなことを勉強すれば、変わっていくと思うので、それを変えていくのが私の役割だと思います。
 理念的にはそうですが、実際には何をやるのか。私は年功賃金の否定を自分なりのライフワークとしてやっています。労働組合の役員が終身雇用や年功賃金を否定してどうするのかいわれるのですが、日本の賃金制度は個人を企業に押し込め、自分が働くことの価値、人間ひとりの価値を、年功賃金のなかで見失ってきたのではないかと思います。労働組合はその発想をやめて、私たちの働いている価値を1個の人間として会社にいくらで売るのか、いくらで買ってくれるのか。買ってくれるのならいるが、買ってくれないならいない。企業は居続けてもらいたければ、高く買わなければいけないというマーケットの原則を働かせるようなことをやらないといけないと思います。そういうことを今、考えています。

【北川】
 このような尖った議論、青春物語をやりませんか(笑)、と私もいいたいのです。年功序列や終身雇用を必ずしも否定しませんが、県の職員をみるとかわいそうなのです。年功序列がロイヤリティを高めるというのは、組織へのロイヤリティを高めるだけで、県民にとっては全く反対なのではないかという見方もある。北京のチョウチョが飛ばないと、事実前提でいくと、自分たちのやっていることは全部正しい、そのなかでやれることをやりましょうということでは、全く革命でもないわけで、世の中の見方を変えることにはなりません。加藤さんがおっしゃったようなFA宣言をやるというようなことを、労働界できちっと議論をしていかないと、労働組合も変わりません。ですから、変わらないのならば、徹底的に議論してどこから変えていくのかということを考えないといけない。FA宣言などもひとつの切り口です。それを全体に、電気や自動車だけでなく、連合体としてやっていくということになると、経団連よりもはるかに力が強くなると思います。経団連は今までの所与の体制のなかでできあがった組織に過ぎない。私は構造改革特区の評価委員をしていて、話をしにいったのですが、経団連の名だたるトップの改革派の社長たちが政府に対して要望書を書いているのです。何をやっているのか、お上に対してお願いする経済団体なら即刻解散するべきだ、情けない、ということをわざといいました。全く政府に寄りかかって、補助金を寄こせというのではなく、自分たちが自立して断固やるという団体になるべきで、そういうパラダイムが起きないといけない。ですから、連合のほうが生活に密着している。個人の権利に密着しているので、庇護と依存の関係ではありません。これをきっかけに、こういう話をもっとしていきましょう(笑)。

【山口俊彦・元会社員】
 労働組合も会社丸抱えで、補助金行政と同じところがある。組合の委員長に幇間だという意見書を書いたことがあるが、委員長はえらく怒っていた。これは、まあ、当然かもしれない。
 ところで、マニフェストでは司法改革には触れていないと思うが、これについてはどう考えているのか。


【北川】
 司法改革は民主主義のためには大きな課題です。これまでは立法、司法に対して行政が突出しすぎているのです。私は司法改革の委員もしておりますが、まず、プロセスから変えようといっているのです。あのガウンとは一体何なのか。しかも、一段高いところから見下ろしているあのやり方を変えていこうといっているのです。
 そうした司法も含めて、憲法からすべてを見直す必要があると思います。

【岡田幹治・フリージャーナリスト】
 IT化やグローバリゼーションという大きな世界の流れを肯定しているように受け取れるのですが、仮に避けて通れないものだとしても、これにむしろブレーキをかけることや、マイナスを補うことにこそ力を注ぐべきことではないかと思っています。
 経済の話ですが、今、多少景気がいいとか不良債権の処理の山を越したとかいわれていますが、少し大きな目でみると、結局今まで銀行に溜まっていたツケが財政に移るなど、皺が全部財政に寄っています。700兆円にとどまらない大きな借金があり、これから数年のことを考えただけでも、毎年新規国債の発行のほかに、借換え債が膨大になっていき、本当にきちんと消化できるのか未知数です。こういう大きな状況をどうやって解消していくのかについて、日銀や財務省の人と話しても、全くシナリオはないのです。今までのインチキな膏薬的なものはありますが、真面目な解消策は全くない。このままずるずるいくのか、このうち大きなパニック、国債が暴落して長期金利が高騰するというようなことがいつ起こってもおかしくない状況です。経済の状況は、マニフェストや小選挙区制で政権交代という次元を超えた大きな問題のように思います。

【北川】
 IT化やグローバリゼーションについては、おそらく避けて通れないという前提で話を申し上げました。グローバルになればなるほど、アイデンティティやローカルのオリジナリティが重要だという立場で申し上げています。鎖国するわけにはいかないというなかで、IT化やグローバリゼーションをどうこなすのかという現実の知恵もなければいけないと思っています。
 社会を組み込む体制がサステイナブルになっているのかという視点でいうと、私は環境と経営を同軸にしようという運動をしています。20世紀は環境に配慮して商売になるのかということでした。あるいは、政治行政も拡大成長に基本的に反対するのは悪だという体制でやってきた。ですから、環境と経営を対立軸から同列にという運動を興しています。メーカーとエコプロダクツというのをやっていて、10万人くらいそのプロダクツ展にきてもらえるようになったのですが、まだ異端なので1000万人の運動にしようということで、自分たちからマニフェストを書こうと勧めています。経産省と環境省は全く違う言い方をしている、経団連も環境税に断固反対で、政府は何もいわない。このようなことで本当にいいのか。この国をサステイナブルにするにはどうするのかという断固たる目標がないと、中国はエネルギーが足りない、食料が足りないと輸入国になって、環境に負荷を加えていくということになると、本当に地球の劣化を防げないだろうという運動をやろうと思っています。その手段としてマニフェストに書き込んで、大衆運動になれるようにならないといけない。
 経済至上主義ということについて、私はGDPは否定していません。必要なことは現実に認めますが、経済だけでないということです。私が県政をやっていたときは、生活者の視点というコンセプトでやりました。タックスペイヤーに対して説明責任を果たすということです。今まではタックスイーター、山分けするというのが政治だったのを、自分たちのライフスタイルからみてどうするのか、コンシューマーサイド、ディマンドサイドからみるということで民主主義が動いていかないといけない。それは自民党政治はおわりということですから、私は自民党政治はまもなくなくなると思います。民主党もそうです。ですから、ここで再編が起こるのだと思います。そういうふうにして、サステイナブルにするのをどこにみていくのか。個人からみていくのか、組織からみていくのか。ここからパラダイムシフトが起きてくることになると思います。今までは官と民の関係、中央と地方の関係はパトロンとクライアントの関係でこれが民主主義だと錯覚してきましたが、それは1985年のプラザ合意まではよかったわけです。そこをひっくり返して、タックスペイヤーに責任を取るというようにしなければいけない。マニフェストはタックスペイヤーに対する初めての約束です。今までは利益を誘導する仲間とやろうという公約だったのが、主権者に対して約束するから自民党や時の権力者は書きにくかったのです。白紙一任のほうが楽ですから、そこを書き切ったら凄いことになる。そういう手段、道具としてマニフェストを捉えています。
 経済について、私は規則に戻らず原則に戻れという論者です。大企業に入ったり、公務員になったりするのは、生涯賃金が自分が組織に与えるより組織にもらえるほうが楽だろう、多いだろうという計算で社会の雰囲気が出て、国民皆保険の思想ができたのだと思います。国民皆保険は今日は気分がいいから、体が元気だから医者に行こうということです。地方も悪いのです。自立心が全くなく、「知事、予算とってこい」といって、他人の金なら取ってこいということをやってきました。よその金を取ってこいというのは、家ではいえないことです。これは我々の世代がつくってきたのではないでしょうか。自分たちが自立して堂々と生きれる、FA宣言ができて磨く。それに乗れない人たちをパブリックセクターがどうやってケアするのか、セグメンテーションが全然されていません。弱者か強者か、勝者か敗者かというセグメンテーションは徹底的にしていかないといけません。私は実は、県が公的に仕事をすべきというのを5つに絞って、これ以外はしないというのを出しました。そういったことがまだ未成熟だから、そういうことをはっきりさせて、本当の人間の幸せ感とはなにか、どういう国をつくっていくのかということが、与党、内閣、政党から出てきたほうがいいのです。こうして幸せ感をやったときに、経済的な価値が出てきて、そこで測れるのだと思います。現実的には、EUが25ヵ国、アメリカがNAFTA、我々もひとつの単位を考えていかないと、中国の覇権主義というか、圧倒的な止まらないほどの迫力で日本に環境、経済の意味で大影響を与えます。だからこそ、環境、経済を中国よりも先にやって、中国が今動脈産業なのだから、静脈産業を日本でやるということをプライオリティのナンバー1として、そのラグで中国と棲み分けをするとか、政府にはそういう断固たる政策がいるのではないかと思っています。

【東畑朝子・フード・ドクター】
 2期8年の公約をなさり、それを実行なさった。なかなか政治家は最初の公約と後では変わってくることがあるのですが、北川先生は潔いと思います。三重県の政界は大体が無風で競争もなく決まった人が知事になるという歴史があったように思うのですが、北川先生から近代化されたのではないでしょうか。大体政治家というのは、面の皮が厚いというのを感じるのですが、北川先生は恥じらいを知っているという感触があります。そういうことでないと、政治家は魅力がないと思います。

【北川】
 政治家は表面に出ますから、確かに面の皮が厚くないとできませんが、最近経済界もナンバー2を全部殺してという会長などが多すぎて、どうなっているのだと思います。みんなそうなのだから駄目なのです。私は30年政治の世界を見てきて、これは一筋縄ではいかない、なかなかしたたかでしなやかでよくできていると思う反面、たったひとつ真理をみつけたような気がします。男性に聞くと女性、女性に聞くと男性が悪いという。官に聞くと民、民に聞くと官が悪いという。中央に聞くと地方、地方に聞くと中央が悪いという。みんな全て相手が悪く、自分が正しい。結局、自己否定できるのか。その個人、組織、地域が自己否定できて、自分がリニューアルできてというところが勝ち残っていくという恥じらいの心とか自立の心とか、私は抜本的にそういうことから取り組んで原則に戻れという論者で、現実と合わなくて宇宙人といわれるのですが(笑)、そういうことを恥ずかしながらやっていくことを、ひとつお許しをいただきたいと思います。

【田中一昭・拓殖大学教授】
 北川先生は尖った議論をすべきだといいながら、本当は非常に柔らかく、説得的に話をされます。私のほうは本当に尖って議論をするのですが(笑)、今日お話を伺って、どの世界もというお話がでました。どこに住んでいようと尖った議論をしないといけない。みんないい加減、人の責任にするというのは、まさに尖らないということです。ひとりひとりがひとつひとつの具体の問題について、ビジョンを持って考えをいうということです。これは、大学がいちばんひどいのです。教授会は学校教育法の59条に重要事項を審議するために、置かなければいけないとなっています。ところが、全ての悪の元凶は教授会です。教授会で決めたことは全て正しいということになり、火達磨になっている大学もいっぱいあります。教授会というのは単に審議機関なのです。それを諮問機関にしようという意見もある。諮問機関になればもっとおかしくなると私はいっています。諮問機関にすると、諮問に向けて答申する。それを採用するかしないか、もう1回アカウンタビリティが必要になります。審議機関にしておいた方がはるかに楽なのです。ところが、実際には教授会が決定機関になっているわけです。これをなんとかしなければいけない、法律を変えないといけないということなのですが、どう変えるのか。これを文科省に持って行っても、内閣法制局は相手にしない。法律上は教授会は審議機関なのですから、各大学がその気になって、審議したことでよければ採用すればいいし、おかしければ、自分たちのほうでそれをおかしいと決めればいいのです。それだけのことが、できないのが今の大学です。それは大学に限らず、県にいえば国がどうのこうの、国にいえば県がどうのこうのというのはお話の通りです。やはりそれそれの立場にある人が尖った議論、そういうことが必要ないならば必要ないと決めればいいわけです。それができないのはなぜかというのが今の日本の最大の問題点だと思います。
 719兆円の借金の問題についても、どこに聞いても、日銀も財務省もちゃんとした答えを出しません。答えはふたつしかありません。ひとつは、しこしこと一生懸命返していくということです。これは絶対に日本人はやらないです。整備新幹線を先食いしてつくるというのは、道路と同じ話です。もうひとつは、インフレにして国民の財産をチャラにするということです。借金のウエートが少なくなるのですから。それしかありません。目にみえています。いずれそうなります。ですから、突き詰めた議論をどの世界でも大は大、小は小でやっていくべきで、それが民主主義です。今日、お話を伺って余計に尖った議論をしなければいけないと改めて確信した次第です(笑)。

【北川】
 国も地方自治体もまもなく潰れるかもしれないから行革をやれという議論がありますが、全く嘘だと思います。すでに潰れているのです。だからこそ、自分たちから変わろうよということです。自分たちから徹底的に変わったら、他所も変わるというのが北京のチョウチョの理論です。みんなが逃げられる体制というのは国民皆保険の悪い影響だと思います。したがって、田中さんなどが一生懸命公のために頑張っているのは尊いと思うのですが、そういうところも認めるという社会もないといけない。今のマスコミも政府や特定の団体が怖いから、全く喋らなくなったり、物凄く弱い。マスコミや学校がみんながおかしいときはおかしいと、きちっと自立したチェック体制がないと、民主政治が衆愚政治になると本当にそう思っています。

【田中】
 裸の王様を裸の王様だという必要があります。北京のチョウチョになろうと思っても、こんなことではチョウチョと認めてくれない、なりえないというところもあります。私は小泉さんを誤解していました。こういう人では駄目だ、叩き潰さないといけない。チョウチョになりえなかったかもしれませんが、今度の参院選をみると、みんな分かってくれていると思います。公約を守らなくても大したことはないとか、人生いろいろとか、マスコミや学者もおかしいことはおかしいというべきです。典型的なことは長嶋現象です。キューバと試合をしたときの長嶋の談話だけを出す。談話を出すくらいならテレビに出しなさい。そういうマスコミのおかしさというのは、長嶋現象ほどはっきりさせていることはない。奥さんがひとつもでてこない。なぜか。談話だ談話だと、談話いえるくらいなら出しなさい。これは大新聞の渡邊さんのせいだと思いますが、こういう社会こそが今の日本のおかしさを象徴しています。

【栗山和郎・関経連理事・産業地域本部長】
 地方分権は絶対に必要だと確信していて、それとの関連で道州制が絶対不可欠かどうかは見極めがついていない気がします。そういう関心から質問します。
 ひとつは、マニフェスト。国の場合は何々を民営化するということを盛り込んで、それに向けて活動します。しかし、地方の首長が今の府県制を否定する、たとえば県の知事選に出るときに、この県をなくしますということをマニフェストに入れるのは難しいのではないか。今の制度のなかでも県の内部をどうするのかということはどんどん入れていけると思いますが、もっと大きなテーマ、組織の存在自体を変えるようなテーマをどういう形で活かしていけるのでしょうか。
 もうひとつは、関西2府7県3政令市で道州制や地方分権の議論をしましょうと1年ほどやっているのですが、地方制度調査会や知事会での道州制の議論をみてからやりましょうということを堂々と研究会のなかでいわれる。国の制度論に物申すために研究を始めたのではないかということで、経済界側は怒っているのですが、そういうことを平気でおっしゃって、考えることを放棄したような方がいます。

【北川】
 私は2期8年で辞めるか、3期までやるのか、自問自答しながらずっとやってきました。ひとつは情報公開です。これも言葉をきちっと決めなければいけません。私は三重県では情報公開と情報提供という言葉を使って、明確に分けました。予算編成過程から全部出すのを提供、予算編成は知事部局で全部やって決めてから議会に出すのを情報公開。自分のところで予算編成をやっている間は、情実政治や情実行政だと決めました。予算編成過程、10%積みあげた予算も歳入も全部オープンにしてやっていくと、ルールによる行政に変わります。実はこれが負担と受益の関係からいくと、最大の情報公開だと思っています。もうひとつは、政策評価システム、ビジョンに基づいて、総定数も予算も人事も評価も決まるというマニフェストサイクルを入れることが曲がりなりにもできたので、どなたがトップになられてもそれほど変わらないだろうということで、2期8年で辞めました。
 道州制を知事が立候補するときにマニフェストに書けるのかどうかということですが、今度9月8日にその検証の仕方も徹底的に分析していこうと思っています。評価基準を定めるのかどうかということです。小泉内閣の評価をするとき、連合は連合の立場でやるということで評価しました。経団連も経団連でというように、それはそれで評価の仕方はあっていいと思います。私は今回5県の評価をするときには、個別のオリジナリティの評価もさることながら、一度横串を刺して、ある県のマニフェストは志は高かったのか低かったのかという評価もつくりたいと考えています。松沢知事は道州制をぶち上げました。できるのかできないのかは国がある以上はというので、国に対して東京都知事と力を合わせて頑張るというように、知事の立場がやっと明確になった。今までは国の追認機関として、機関委任事務が80%もあるというそんななかできただけですが、そこで明確な意思を示したということは、自立が始まっているので私は買いたいわけです。それに向かって猛然と努力して、たとえば全部できなくても、8県の知事が賛同し始めたなどそういうアカウンタビリティが果たせれば理念も書き込んでもいいと思います。所与の条件のなかで、できるだけ具体の数字をあげてやるのもひとつの方法です。それを今からつくりあげていくシンクタンクがなければいけない。今まで、全部そういう政策は官庁がやっていました。官庁は所与の条件を守るなかでやらなければいけない。それと離れた民間のシンクタンクを私もつくろうと思い、マニフェスト研究所をつくり始めて、ほかも頑張ってつくっていこうと思っています。金融関係などのシンクタンクではやはり親元をみています。ですから、そういう社会システムをつくっておかないと、抜本的な骨太の政策をつくって、官僚とネクストキャビネットで戦うというのはなかなかしんどいからこの国は変わりようがなかったといえるのではないでしょうか。そういう意味では、道州制が書けるのかといのは、非常にいい問題提起ですから、そういうことをできたら9月8日に整理を少しして発表大会にしたいと考えています。

【松本克夫・日本経済新聞論説委員】
 地方分権が進んで、政治家を評価するときに、首長がいちばん評価しやすいというか、一般の人間にみやすくなりました。そうなると、国政のリーダーはどういうふうに選べばいいのか、あるいは育てればいいのか。国会議員でも地方議員でも議員はなかなかみずらい。国会議員で大臣をやっても、大臣はたいてい役人の振り付けでやっているので、大臣もみずらい。派閥次元のなかで決められて出て行く人間は一般の人間からすると評価の対象外です。田舎芝居をみているようです。一方で、アメリカの大統領選などでは、元知事がけっこう多い。そうすると、首長をやってもらうことを政治家として評価するのがみやすいのではないか。制度化するのは難しいですが、政党なら政党のなかでリーダーを選ぶときにそういうキャリアが必要だというように、暗黙の了解でもいいのですが、そういうものがないといいリーダーが出てこないように思います。

【北川】
 マニフェストを書いていくと、当然そこにいきます。いわゆる世襲制度など、利権団体で親がつくってきた利権を他人に渡してなるものかと息子、娘に譲るというのは現実にあります。それを全部認めていったので自民党は弱くなった。これからは、限りなく無制限にリクルートできる体制をつくらないといけない。しかし、このなかの皆さんに選挙に出るかと聞くと、みんな笑って馬鹿にするのです(笑)。馬鹿にされた政治が本当に信頼されるかということを、もう1回原点に戻って考えないといけません。イギリスでは国会議員選に出るときに、自分の持ち出し、自己資金は130万円です。それ以上出してはいけない。130万円以内だと問題意識を持った優秀な市民の人が出ようかというインセンティブが働くので、そのあたりを決めていくべきです。1億円とか2億円などとなると、どこの団体からもらおうとなるわけです(笑)。そこは制度が悪いと思うので、制度を変えて無制限に出られる雰囲気をつくらないといけない。
 今まで政治主導ができなかったのは、官僚のほうが信頼が高く、政治家は利権をやるというのが前提だったからです。それを国民が認めてきたのです。その程度の愚かな国民だったということを、国民に突きつけないといけない。そのためにも、情報公開が必要なのです。岩手県の増田知事がマニフェストを書いて、2年間で公共事業を30%、200億円カットしますと公約しました。そして、9割の得票率で圧勝しました。つまり、誠実に誠意を持って説明したら国民は賢いという社会をつくらないといけない。小泉さんは逃げたから負けたということを、与党の人はまだ分かっていません。本気で前を向いてドンと行ったら勝つのです。増田さんが知事選を終わって、初めて登庁したら、土木部長が公共事業カットについて3パターンを示して、どれでもできるので選んでくださいといったそうです。このスピード、行動様式。政と官の良好な関係。行政改革は政治改革なくしてありえない。
 マニフェストを書いてそれを民が選んだら、県議会に対して強い知事になれるのです。神奈川県でも松沢さんが知事になって、激しい議論が起こっています。松沢さんは「県会議員に議会でいじめられている」というので、「あなたはいじめられればいじめられるほど、神奈川県民はハッピー。そして、いじめればいじめるほど、県議会は出世するのだ」といいました。今までの知事と組んで利権を分配するという既存の発想ではなしに、そこから変えていかないといけない。イギリスではマニフェストは守られるべきものというお互いの合意があるのです。ですから、労働党に天下を取られたら、自分の持っている株は下がると思っているわけです。それでは、大変だということで投票率が上がるのですが、日本ではそういう習慣がありません。国債の発行を30兆円に収めるといっても36兆円になったり、靖国神社へ行くということをみんなが当たり前だと思っている。ここを議論しないといけません。みんな黙って眺めているのではいけません。
 投票率56%ということこそ恐ろしいのに、与党も野党も勝った負けたとやっている。お互いが負けているのです。無党派が増えたというのは、政党失格です。私は政党政治の復活をいっています。青木さんと仲のいい小泉さんというのはどういうことなのか(笑)。政党の中でそういう自由が利くのかどうか。政党ではなく、議員個人個人が「私は断固こうします」と約束したら、誰もまとまってこの国をよくしていくことはできない。個人の約束する90%は利益誘導の地元の仕事です。トンネルを掘ります、高速道路をつくりますとなります。ですから、地方のことは完全に地方に回したら、国会議員は本来の国の骨格を決めるという仕事、税制や安保に行くのです。制度を変えると、国は国で議論するようになる。マニフェストにはこの国の目指すべき理念がきちっと書かれる。マニフェストは結果数値ではなく理念だと私は思っています。ただし、数値のことをいっておかないと、また白紙一任の選挙になってしまうので、今は時系列的に数値目標をいっています。政治というものは本当はヨーロッパ型でいくとか、アメリカ型でいくとか、マルクス型でいくというようなことだと思います。具体の落し方は優秀な公務員と良好な関係でつくりあげればいいのですが、今はあまりにもデタラメな白紙一任となっています。

【松原聡・東洋大学教授】
 道州制について。埼玉の上田知事は選挙戦の最初に道州制を打ち上げたときに、知事に立候補するのに県を否定するのかという話になってしまった。マニフェストは選挙前の話ですから、道州制のような地方分権の大事な問題について、知事選で道州制みたいなことは非常に難しいという現実があります。そこでいえなかったことを、知事になってから、松沢さんなどが首都圏知事で一緒にやろうとしても、なかなか進まない。ですから、9月に知事が揃うのを機会に、本気で道州制をやるのなら、選挙に出るそのマニフェストで県を否定してでもやれるのかということを聞いていただければと思います。
 マニフェストを提唱され、前回の総選挙で菅さんが頑張って、随分面白くなってきたと思います。しかし、まだ残念ながら、それらを評価するのが弱いですね。マニフェストが出たことにより、それぞれの政党が抱える既得権、支持母体が見事に浮き彫りになります。たとえば、民主党のこの前のマニフェストでは、道路に関して好き勝手いっているわけです。タダにするというこんな馬鹿な話もないと思いますが、好き勝手いっていました(笑)。道路の労働組合が民主党にとって大したことではないので、好き勝手がいえたのです。特殊法人の改革は民主党にとって大した既得権ではありません。しかし、郵政になると、民営化の「み」の字もいえない。見事にそのへんがでてきます。しかし、自民党も小泉さんがあそこまで郵政といったのに、最後に「国民的議論を経て」という一文が入って、事実上空洞化させられた。マニフェストのいいことは、それをどんどん並べることによって、どこにその政党が遠慮しているのか、ここが弱みなのだということが分かるのです。そのあたりをしっかり評価する側が突いていけば、政党の駄目なところが逆に分かる。政党が駄目だから、無党派層が増えたのです。政党が既得権に遠慮することなしに、無党派層にアピールするような政策を出していけば、選挙で勝てる。自民党も同じで、建設などに遠慮してやっていたら、今回の選挙のように勝てなくなる。残念ながら今のマニフェストは無党派層に訴えるマニフェストではなく、自分の支持母体に遠慮して出している。そのあたりをガンガン、我々やマスコミなどの第3者が突いていけば、変わるのだと思います。

【北川】
 今度の9月8日の会合は、検証と同時に普及啓発の意味もあるので、知事が自分のやってきたことを15分ずつ報告します。その報告も大事だと思っています。県議会と達成度はどうなったかという進め方、職員はどう変わったかということも議論します。もう一方で、道州制など直接国との大議論を呼ぶときは、マニフェストの欄外というか、個人の理念や政治家としてというその書き方も整理しないといけないと考えています。
 もうひとつは、政党が抱える問題点が浮き彫りになりますから、民主党も右から左までまとまらないものを全部出して、それを国民の前で情報公開して、徹底して議論して駄目ならさっと潰れるようにしないと国民は困るのです。自民党もマニフェストを徹底的にタックスペイヤーサイドで書いたら、存在が全くゼロになるというパラダイムシフトが問われていて、その前段階で追求すればするほと、痛いとこを突くことができる。政党こそが政府や官僚が出せないような新価値を提示しなければいけない。政党はどちらもジリ貧になり、無党派が増えるということになると、この国に対して無責任になります。ですから、マニフェストをもっと進化させるために、守るべき公約と、政党にもっとしっかり頑張れという切り口として使いたいと思っています。

【笹岡】
 前回の衆議院のとき、電力総連の立場からは、民主党のマニフェストの政策と違うところもいっぱいありました。独占禁止法の改正案や環境税の問題などありますが、これについて我々の案を民主党に提出したのですが、民主党は一切オミットしました。民主党としても、よそが縦槍、横槍を入れたら、マニフェストが分解してしまうわけです。ですから、われわれとしては、まず政権を取ってもらえればいい。その後で、いいたいことはいわせてもらうという考え方です。

【北川】
 5月12日に評価したとき、自民党も民主党も公明党も評価するかというと、達成度からいうと、民主党は政権を取っていないのでゼロになります。ですから、内閣の評価になります。今までみていると、政党と労働組合の関係も労働組合のいいなりになっているところが問題だと思います。問題があるのならば、国民の代表として労働組合とそのことが本当にいいのかを議論し、整理したうえでマニフェストに書くという努力がないと、既得権益の利益追随型だったら、大衆は逃げるということを、マニフェストは証明していると思います。

【後藤仁・神奈川大学教授】
 長洲神奈川県政と北川三重県政の違いのひとつは、北川県政は行政の実務に切り込んだことです。具体的にいうと、財政と人事の仕組みを変えて、財政課と人事課をなくしました。これをやれたのは、早めに辞めるという決意があったからこそだと思います。知事は大変な権力者です。知事を長くやると、役所はしたたかですから、役所の仕組みも慣れてもらわないと困りますということで、しがらみにはまってしまうのです。北川県政がうまくいったのは、短期間で改革をやって潔く去るという決心のもとで知事をやった成果だと思います。私はきっと北川知事は8年で辞めてくれるだろうと思っていました。そして、それは知事を志す人たちに、勇気を与えたと思います。短期間で辞めます、条例もつくりますという首長が増えている。それだけで半歩前進なのですが、今度はマニフェストで、納税者、主権者に直接に自分の政権構想を訴えて、了解を取って当選するということになると、対役所、議会に対して、市民に由来する権威を持つことができます。

【得本輝人・国際労働財団理事長】
 北川さんは情報の提供、公開、県民との共有を視点に持って行政の長をやられたので、三重県の行政の仕組みを変えることができました。マニフェストでは、仕組みを変えていくというときに、情報公開などをどういう視点でやるのか、前と行政の仕組みはどう変わったのかというのを聞きたいと思います。北川さんのような成功体験が広がっていくことで北京のチョウチョになっていくのだと思います。ですから、情報公開をベースに変えていってもらいたい。役人は情報公開を最も嫌います。ちょっとでもいいがかりをつけられたくない。そういう面では情報公開は大きな武器になります。

【北川】
 今回の9月8日の5人のマニフェスト評価をどういう基準でやるのかということで、評価者の方とあらかたの理解の共通認識を持ったのは、ひとつは自立度、分権度です。補助金を頼りに一生懸命政策を遂行しているのか、自分たちがコラボレーションして地域で一生懸命やっているかという自立度。もうひとつは公開度、透明度です。このふたつを基準にすることを表明して評価したいと考えています。ただ、それが馴染むかどうかは、なかなか評価しにくいところもあります。そういう評価もするということと、数値との兼ね合わせしていきたいと考えています。断固自立するという決意がないと、地方の時代は永遠に来ないので、そういう決意がみえるかどうかでやる。それと、透明度で、予算編成過程までが全部みえていることなどを評価の対象にしたいと思います。

【恒松制治・行革国民会議代表】
 この間、埼玉県知事が3選までということを条例で決めました。それは、上田さん個人についてだけだということですが、私にはあれがよく分からないのです。3選までするという意思表明にも取れるわけです。知事の任期を決めるのは選挙民であって、自ら3選までを最初から言うのは、公選の知事として、不遜な考え方であって、おかしいのではないかと思うのですが、どうですか。

【北川】
 基本的には憲法を守らなければいけないということで、職業選択や基本的人権ですから、私は自分で多選禁止条例をつくらなかったのです。そこで、上田さんですが、おそらく3選まではやるぞという決意表明ではなく、3選までは出られる可能性を残すということだと私はみています。