外箕輪第二工場(平成14年)

松本新吉の墓(光聚院)

 松本ピアノ工場は、昭和8年の八重
原村事務報告書に、村の生産高が米や
麦に次いで関脇の位であると記されて
あり、不況下にあっても順調に創業し
ていたことが伺われます。
 しかし、昭和13年には国家総動員
令が出され軍事優先の厳しい世の中に
なりました。クリスチャンだった新吉
は、いつからか仏教に宗旨変えし、常
代の光聚院の住職と話し込むようにな
り、昭和16年5月、77歳で死去し
ました。お墓は、常代の光聚院にあり
ます。

・外箕輪第二工場設立

 これが大正13年1月頃に完成したといわれる松本ピアノ第二工場で
す。当時珍しかった洋風建築ですが、気候を考慮しなかったため、シロ
アリによって今は大分傷んでいます。ここで地元君津の農家出身の職工
を育てながら、六男新治とともに新吉こだわりの音色を持つピアノ作り
を始めました。外箕輪工場製造の第1号ピアノは、昭和4年1月15日
三島小学校に出荷されました。(当時の職人・大場正雄氏談)
         
                 このあたりの学校では、ピアノは
                高価で、買えないでいましたが、昭
                和に入ってから、おいおい篤志家の
                寄付や校舎の新築記念という形で、
                松本ピアノが設置されるようになり
                ました。今年2月、松本ピアノで働
                いていた大場さんのお話では三島小
                学校に運ばれていったときのことが
                記憶に残っているそうです。
                 
                 新吉が外箕輪の工場で製造したピ
                アノにS・MATSUMOTOの銘
                が記され、東京工場では長男、広の
頭文字をとってH・MATSUMOTOと記したそうです。

三島小学校(外箕輪第1号)

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