・今後の課題
★松本ピアノ;市内分布状況調査(個人、公共施設)
★松本ピアノ;保存、展示。製造に使用した工具などの整理、保存
東京の松本ピアノ工場は、戦災で焼失してしまいましたが、外箕輪
のピアノ工場は戦争中の一時期軍需工場になりました。戦後復活して
S.Matumoto&sons という銘で美しい音色のピアノを僅かな台数でし
たが作りつづけました。また、ギターなど他の楽器も製造しました。
「ビルマの竪琴」というラジオ放送には、NHKから松本ピアノに
楽器の製造注文がき、それらしい音に仕上がり、大変喜ばれたそうで
す。君津文化ホールに、現当主松本新一さんの作ったピアノが寄贈さ
れています。
新吉の子孫には、音楽業界で活躍する人が大勢います。また、松本
新吉膝下で育てられた人々は、いまだに松友会という親睦会を作り、
日本の音楽会、特に調律の分野の重鎮になっているそうです。
しかし、西川虎吉は期待をかけた養子に先立たれ、大正8年没しま
すが、その後西川の経営は他人に譲渡され、最終的には日本楽器(ヤ
マハ)に吸収合併されてしまいました。
山葉虎楠は、西川より先に他界しています。日本楽器会社が大きく
なっていくと、経営権を奪われ、そのとき、山葉を慕う人たちによっ
てカワイ楽器が創設されました。日本楽器は、創業者山葉虎楠の名前
をピアノに残していますが、他人が会社経営を続け、身内は残りませ
んでした。子・孫と受け継がれたのは松本新吉だけでした。
*西川虎吉に関しては、現在資料収集中です。
ピアノ製作者 松本新吉に関する参考文献
大場南北著『松本新吉伝』
松本雄二郎著『明治の楽器製造者物語』
松本雄二郎のホームページ『西川オルガンの歴史と横浜』
東京音楽社発刊『楽器の辞典ピアノ』
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