松本新吉翁は、周淮郡常代村992で、慶応元年(1865)2月23日、父・松本治郎吉、母・みやの長男として生まれました。
松本新吉は、欧米の文物を競って歓迎した、いわゆるハイカラの時代、その先端であった楽器の王者ピアノの製法を、単身アメリカに渡って学び、わが国に招来し、日本で始めて国産ピアノの製造業を興した明治中葉の先駆者です。
本題に入る前に「ピアノ製造元祖論」について述べておきます。
元祖論で、登場するのが西川虎吉と松本新吉です。
西川虎吉は、ほとんどの部品を輸入にたより、その部品を組み立てて自社ブランドとして販売したことのようですから、彼は、この観点から推察すると、輸入部品組立てピアノ「製造元祖」といえるでしょう。
一方、松本新吉は、帰国後、自ら国内の素材を吟味し、研究を重ね、部品も手作りのものを使用するなど、音色を重視した国産ピアノ製作に心底傾注しました。従って、彼は、国産品ピアノ「製造元祖」といえるのではないでしょうか。
いずれにせよ、わが郷土君津から「ピアノの製造元祖」が2人も輩出しているのです。このお二人方はいずれも常代の生まれで、郷土の誇りでもあり、偉人でもあり、宝でもあるのです。
わが郷土・君津を紹介するとき、咄嗟にでる言葉は「新日鉄」と「久留里城」と答えるのが大半ではないでしょうか。これからは胸を張って衆人の前で堂々と、物だけではなく優秀な人がいたことも紹介していただきたいものだと願う次第です。
晩年、終生携わった事業が、郷土の旧弊な農村でした。当時、ピアノは高価な品物で、この地にはほとんど無縁なものでした。残念ながら翁の業績が、現在も中央から聞こえてこないのは、この不遇な運命によることかもしれません。また、実直・誠実・職人としての頑固さも、名声及び事業を頓挫させた最大の原因であったのでしょう。昭和16年5月3日、ここふるさとの地で77年の生涯を終えています。
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