『京浜実業家名鑑』   頭山景澄編  明治40年12月版
                   国立国会図書館蔵

能はざるにはあらず為さゞるなりと 善い哉言や 今日の青年輩動もすれ
ば資金なきを以て向学の志あるも目的を達する能はずと喞(かこ)つもの
あり 或いは幾百の青年数多の苦学生中苟(いやしく)も立身興家の成功
を云々すれども 境遇の圧迫を受けて品性を
り 堕落の淵に陥るものは
往々にして之あり 滔々(とうとう)たる青年相率ゐて斯(か)く不結果
を見る 豈(あ)に慨嘆に堪ゆべけんや 苟(いやしく)も志あり活社会
の戦場に命を賭して疾駆し自ら利純(潤?)を試みて而(しこう)して後
に斃(たお)るゝも亦何かをか憾(うら)みん 況(いわ)んや最後の勝
利を賭し競走場裡に優勝の地位を占領するに於いてや
君は慶応元年二月廿三日を以って上総国君津郡周南村に生る 父を治郎吉
と云ひて其の長子なり 家世々農を業とす 明治二十年横浜に出で西川虎
吉氏に就きて楽器製造の術を練習し居ること六年大に得る所あり 同廿六
年十月出京して日本橋区下槇町に一家を構へ独立して楽器販売業を営み 
傍ら都下在住の外人及び諸学校等に出入して其の用達を勤む
で本港町に
工場を建て之が製造に着手し多年練磨の手腕を揮(ふる)ひて大いに声誉
を博す 丗三年渡米し彼の国に於ける同業の視察を遂げて帰朝するや爾後
製造方法に改良を加へ丹精を凝らして製作に努む 三十七年居を銀座街頭
に移し工場の拡張を計り業務益々繁盛に伴ひ 之が販売部を設けて 合資
組織と為し松本楽器店と称す 今や全国到る処其の製品を見ざるなく尚ほ
清韓地方に及べりと云ふ 其製造に係かる主なるものはピアノオルガン等
主要なるものなり 君は尚ほ斯業(しぎょう)の発展を図らんが為東京機
械製造株式会社と合同の約成れりと云う 君の嫡男廣氏目下米国市俄古(
しかご)市に在りて 斯業の研鑽に従事しつゝありと 父子相率ゐて此の
道の薀莫(うんばく)を究めんとす 家門繁盛親睦の状洋々春の如しと謂
ふ可き也



   ※原文には句読点が無いので、適当に開け、また行替えもおこなった。
   の部分については、コピーの文字が解読できない。
  

国立国会図書館所蔵『京浜実業家名鑑』―明治40年12月版― に記載されている、
実業家「松本新吉君」の部分の
コピーを入手することが出来ました
。当時の松本新吉に
関する資料として紹介します。

京橋区銀座四丁目四番地 電話 新橋二二九八

松本新吉君

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