九十九坊廃寺(伽藍・三重塔想像図)
●高橋虫麻呂
周淮の珠名の歌は高橋虫麻呂とされています。この人は藤原宇合という
人の部下ではなかったかといわれています。藤原宇合という人は鎌足の孫
です。鎌足の息子が不比等で、宇合は不比等の三男です。この人は日本武
尊と同じように、あちこちに行かれされている<西海道節度師(さっかいどうせつどし)とか常陸守(ひたちのかみ)>。それを愚痴ったような歌
が残っています。
宇合が常陸守に任じられたのが719年です。この年、安察使(あぜち)
という監督官の制度が東国と九州3か所に置かれました。初めて置かれた
ときに藤原宇合が常陸・上総・下総4国の監察官(監督官)というか、そ
ういう役目をおって赴任してきました。
この辺は、作者一行が常陸から房総全部を巡視するため、その途中で立
ち寄ったのか、それとも赴任する途中で都から走水のほうを通って、まだ
官道が整備されてないから富津から上陸して君津を通り上総国府に行く途
中、とにかく周淮に寄っているだろうと思います。そこで、推測なんです
が、九十九坊廃寺が7世紀末(690年頃)に建てられています。
ハス