(3) 防人の歌

●防人の歌4首 (巻20)

1首目   家にして恋ひつつあらずは汝(な)が佩(は)ける
    
太刀になりても齋(いは)ひてしかも
   国造丁  日下部使主三中が父の歌
解説  国造丁(くにのみやつこのよぼろ)というのは、周淮を支配していた国造です。その丁ですから、そこの兵士というか(普段は兵士ではない)、その国造に仕えている人か、周淮の国造の一族と思われます。三中の父が子を思って作った歌です。
 防人は3年間の任務がありますから、3年間家でずっと心配しているのならば、お前が身につけている太刀にでもなってお前を守ってあげたい。
2首目   たらちねの母を別れてまこと我
     
旅の仮廬(かりほ)に安く寝(いね)むかも
     国造丁   日下部使主三中の歌
解説 これに対して息子の方は、
 「たらちね」は母にかかる枕詞ですが、お母さんからわかれて私はほんとに旅の途中(庵などを結んでそこに寝るのでしょうが)、そこで安らかに眠ることが出来るだろうか。これは日下部使主三中という人の歌なんですがここから受ける印象としてはとても若い。普通は奥さんのこと(我妹:わぎも)を詠っているのですが、お母さんのことを歌っているということは、まだ若いのだろうなと思います。この人の歌を一番最初に持ってきている。この人が多分、上総国の防人達の頂点に立つ人ではなかったか。これは勝手な推測です。若いが国造丁というのがリーダーで指揮官かなという感じです。
3首目   大君の命畏(かしこ)み出で来れば
     
(わ)ぬ取り付きて言ひし子なはも
     周淮郡上丁   物部龍の歌
解説
4首目   旅衣(たびころも)八重着重(やえきかさ)ねて寝(い)のれども
     
なほ肌寒し妹(いも)にしあらば
     望陀郡上丁   玉造部国忍の歌
解説  旅に行くとき、旅衣をいろいろと背負っていくわけですが、ありったけの着物を着重ねて寝たけれどまだ肌寒いよ。お前と一緒に寝るのではないから。と、置いてきた妻を偲んでいます。
 「大君のみこと畏み」ということなので、天皇陛下の命令を畏み受け賜わり防人として出兵していきました。「我ぬ取り付きて」は、この辺の訛りだといわれています。その時、私に取りすがって「行っちゃいやだ」とか「きっと帰ってきてね」とかいって、とりすがって泣いていろいろといったあの子よ。子というのは娘ではないかと思います。「上丁」というのは普段は農業をしている人たちです。16歳から60歳まで正丁といって兵役の業務が課され、そこから選ばれた人たちです。

 上総から出品した防人の歌は、訛りも多少ありますがとても綺麗な歌が多いです。日下部使主三中の歌には訛りがありません。
 ということは、この人はかなり教養があったのか、あるいは京から送られてきたのかはわかりません。それはあとで触れたいと思います。

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