起源は明らかでないが、里伝によると元禄年間に当時の領主が祭祀料を供進、やぶさめの行事を行いつつ武道を奨励し五穀豊穣を祈願したと言われている。 1月6日に矢迎えの儀が行われ、弓、矢、的を総代6名が参加し新調する。弓は長さ約6尺(1.8m)矢は、12本、的は竹で編みその上に紙を貼る。的は、その年の恵方にたてられ、射手との距離は、弓の長さの五倍とされ、的と射手の間には、新しいわらが敷かれる。 矢は、「わかと」、宮司、自治会長、総代の順に射る。的の白黒部分に当たった矢の数により、その年の天候、豊凶を占う。
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