福島県安達郡油井村で明治19年5月20日、酒造業の家に長女として生まれる。

〔邂逅〕
 長沼智恵子を私に紹介したのは女子大の先輩柳八重子女史であった。女史は私の紐育時代からの友人であった画家柳敬助君の夫人で当時桜楓会の仕事をして居られた。どうなる事か自分でも分からないような精神の危機を経験していた時であった。彼女はひどく優雅で、無口で、語尾が消えてしまい、ただ私の作品を見て、お茶を飲んだり、フランス絵画の話をきいたりして帰ってゆくのが常であった。そのうち私は現存のアトリエを父に建ててもらう事になり、明治四十五年には出来上がって、一人移り住んだ。彼女はお祝いにグロキシニアの大鉢を持って此処へ訪ねてきた。
 私が知ってからの彼女は実に単純真摯な性格で、心に何か天上的なものをいつでも湛えて居り、愛と信頼とに全身を投げ出していたような女性であった。生来の勝気から自己の感情はかなり内に抑えていたようで、物腰はおだやかで軽佻な風は見られなかった。
               
光太郎・智恵子の半生 昭15


明治45年1月(26歳)

明治41年(22歳)

長沼智恵子