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シリーズ討論

規制改革の現状と今後の課題
− 構造改革特区を中心に −

八代尚宏日本経済研究センター理事長
 6月24日の行革国民会議の総会で、日本経済研究センターの八代尚宏理事長から、「規制改革の現状と今後の課題 構造改革特区を中心に」をテーマにお話し頂き、意見交換しました。八代理事長は総合規制改革会議の委員として、医療、福祉、教育などの社会的規制の改革に取り組まれ、昨年は特区についてのワーキング・グループの主査を務め、また近く発足する特区についての評価委員会の委員長に就任される予定です。以下、講演と質疑応答の記録を掲載いたします。


T 講演記録
   1 規制改革の流れ
   2 規制改革はなぜ必要か
   3 新産業創出をもたらす規制改革
   4 規制改革のアクションプラン
   5 構造改革特区の意義
   6 特区法の仕組み
   7 第1次特区法の具体的成果
   8 特区法の課題

U 質疑応答



1 規制改革の流れ
 ただいまご紹介いただきました日本経済研究センターの八代でございます。規制改革、特に昨年度に私が関与しました構造改革特区についてお話したいと思います。
 私が規制改革に関わったのは6年前でして、当時の規制緩和委員会に徴兵されまして、それ以来ほぼ6年目に入っております。それで主として、社会的規制といいますか、労働の分野ももちろんですが、医療とか教育とか福祉とか、あまりそれまではやられていなかった分野を担当してきました。昨年はそれとは離れて、構造改革特区、当時は規制改革特区といっていたのですが、それをやろうということになって、その主査を命じられました。最初は五里霧中で、自分でもこのようなものができるのかと思っていたわけですが、なぜかほかの構造改革と違って、速やかにできてしまい、そういう意味では構造改革の成功例といえるのかと思います。ただ、まだまだ問題も多く、手放しには喜べないわけで、どこまでこの熱意が続くのか、特に、ものは作ったけど出てくるものが些細なものばかりではないかとのご批判もあるわけで、その点についても後でお話したいと思います。

 まず規制改革全体の動きでありますが、私個人の印象では、過去2年間、小泉総理がなられてから加速していると思いますし、各省庁の態度もずいぶん変わってきております。それ以前はほとんど相手にしてもらえないという状況もあったわけですが、最近はかなり真面目に対応するし、それだけいろいろ反発も強くなっております。とにかくこういう問題は、何が本来あるべき姿なのかをはっきりさせないといけない。現実にはもちろん政治的な妥協が必要でそこまではできないのですが、まず方向を見失ってはいけないと思っております。
 規制改革・規制緩和については非常に誤解がありまして、特に社会的規制の分野ではなぜかこれが大企業の儲け主義につながるものであるとか、経済活性化を目的として弱者を切り捨てるとか、そういう反論もあるわけでが、決してそうではないのだということを強調しなければいけないかと思っております。

規制緩和から規制改革へ
 まず、規制改革の流れということであります。従来は規制緩和といっておりましたし、今でもマスコミではそういういい方をしておりますが、われわれはできるだけ規制改革という言葉を使っております。中身は基本的には同じですが、規制緩和といいますと、とかく自由放任主義、政府は何もしなくていい、ただ市場に任せればいいのだと解釈されがちなので、決してそういうことをわれわれは考えているわけではないのだということをいうためにも、規制緩和ではなく規制改革であるといっております。
 その中身は、まず、古い規制を新しい規制に変えていく。競争を阻害するような規制をできるかぎり撤廃し、競争を促進するための規制はむしろ強化していく。参入規制がその最たるものですが、事前規制をできるだけやめていくということです。
 それと同時に事前規制を事後規制に改める。事後規制といういい方をしますと、事故が起こってから規制しても遅いと必ずいわれれますので、私はむしろ常時規制といっております。市場への参入の時だけ事業者を規制するのではなく、常に規制するといいますか、市場参入後も常にチェックしていくという規制に変えていくのだということをいっております。

経済的規制から社会的規制へ
 次に、経済的規制だけでなく社会的規制の改革に取り組むことです。経済的規制も依然として重要な課題でありますけど、これはかなり進んだわけであります。社会的規制という分野は、そもそも規制改革が必要かどうかということから議論を始めなければならないわけですが、私は社会的分野においても経済的分野と同じように規制の改革が必要であると考えています。競争を通じて消費者の選択を広げるというのが経済的規制の改革の目的ですが、それは教育や医療や福祉でも同じことです。そういう世界ではこれまでいわゆる非営利の世界といわれてきて、もっぱら事業者の倫理に依存して消費者の利益を守ろうという考え方であったわけです。しかし倫理依存だけでいいのか。倫理的な人に当たればいいのですが、そうでない人もいっぱいいるわけですから、そのような危険なやり方ではなく、きちんとした事業者間の競争を通じて消費者の利益を守るという方向に持っていかなければならないということであります。

官製市場の改革
 官製市場の改革というものを昨年から打ち出しております。これも当たり前のことかもしれませんが、規制緩和・規制改革というと、とにかく事業の効率化といいますか、いわゆる資格とか許可とかそういうビジネス活動にとってのわずらわしい規制を単に緩和していって、ビジネス活動を効率化させるというイメージが強いのですが、それだけではなくて、むしろ今の長期経済停滞の中で雇用を作り出す新しい産業を創出したい。その新しい産業はどこから出てくるのかというと、一番分かりやすいのは政府が抑えている分野でありまして、かつての国鉄とか日本航空の民営化とかがおこなわれましたが、それと同じような意味でまだまだ政府が規制をしている官製市場というのがいっぱいある。それを緩和することで、財政を使わずに新たな需要が出ていき、雇用が生み出される。そういう新産業創出の観点から規制改革を考えていていこうということであります。

国から地方への規制権限の委譲、規制の改革から制度の改革へ
 国から地方への規制権限の委譲ということでは、同じ規制を維持するにしても、国が全国一律でやるよりは、地方がそれぞれの独自のニーズに応じてやるほうがまだより市場的であるということであります。
そういう意味で規制改革を考えていくと、結局それは制度の改革につながるわけです。制度自体を新しい状況に合わせて、幅広く見直していかなければならないというのが今の規制改革の考え方です。

2 規制改革はなぜ必要か
古い規制を新しい規制へ、消費者の多様化に対応した事業の多様化
 規制改革はなぜ必要かというと、古い規制を新しい規制に替え、消費者のニーズに対応した事業者の多様化が必要であるということです。
 今の規制のかなりの部分、特に社会的規制は、過去の貧しい時代にできたものが多いわけです。ともかくも国民皆保険を実現させる、ともかくも人々の最低限必要なものを平等に確保するという観念があったわけです。経済が非常に貧しく人々の生活水準が低いときは、ともかくも供給さえあればいいという形であったわけですけど、人々が豊かになると多様なものが必要になる。国民服ではなくいろいろな服が必要で、単に飢えを満たせばいいわけではなくて、いいものが必要になってくる。こうして消費者のニーズが多様になってくると、あるいは働き方も多様になってくると、画一的な規制のコストがそれだけ大きくなります。

多様な経営主体の参入による活性化
 消費者が多様化すれば、当然、多様化したニーズにこたえるために事業者も多様化しないといけない。そのときには多様な経営主体の参入が必要なのではないかということで、特に社会的分野においては株式会社の参入が重要になってくるのです。
 これについてはあとで詳しく述べますけど、一部からはなぜ株式会社と馬鹿の一つ覚えみたいにいうのか、もっと大事な規制改革があるのではないかといわれるわけです。たしかに、株式会社を入れたからといって、今の問題が全て解決できるわけでないのは当たり前です。しかし、この株式会社の問題は多様な経営主体を入れるということの一つの象徴で、逆にいうと、株式会社が入れない市場というのは、必ず何か問題のある市場なのですね。要するに、儲け主義の株式会社を排除することでいいことがあるというのは、既存の事業者が既得権を守るためにそういっている場合が多い。
 医療が筆頭ですが、福祉の一部、あるいは農業、教育、それから今回は取り上げていませんが法務サービスなどもそうです。弁護士業ではそもそも司法法人ですらごく最近認められたわけで、それまでは全て個人事業者でなければいけないという二重に遅れた分野だと思います。そういう近代的な経営形態の組織を排除するというのは、かなり中小事業者の既得権保護と結びついている面が大きいのではないか。そういう意味では、できるだけ多様な経営主体を入れることで競争が活発になり、それによって消費者が利益を受けるということが必要であるという意味で、株式会社の参入が一つの象徴的な存在になっているわけです。

政府管理の安定性と市場競争での質向上
 競争が活発になると不安定になると、必ず文科省でも厚労省でもいうわけです。必ず彼らがいうのはコムスンの例で、ぱっと事業を拡大して、儲からないと思えばぱっと引いてしまう、あのようなことをされては困るという考え方が、本当に染み付いています。それに対して私は、コムスン1社が引いた後には、ニチイなど別の株式会社が入ってきて、在宅介護サービスの分野を十分に埋めているわけで、何の不都合も起こっていないのではないかというわけですが、とにかく個々の企業ベースで安定していなければならない、撤退してはいけないという観念があまりにも強い。そういう意味で、むしろ撤退してほしい事業者まで保護してしまうというのが、今の問題ではないかと思います。
事業の安定性を強調しすぎると、逆に質というものが疎かになってしまう。先日も文科省の人と議論したときに、教育というのは一に安定性、二に継続性などといっているので、教育の質は重要ではないのかと聞いたのですが、質というのは二の次であって、とにかく撤退しない学校が学生にとって一番大事だといういい方をされるわけです。しかし、政府が管理することによる安定性が大事だったのは過去のかなり昔の貧しい時代の話ではないのか。今はやはり市場競争によって質の低い事業者が淘汰されることが、教育でも医療でも福祉でもサービスの質の向上をはかるために一番重要ではないのかということが対立点です。

規制改革は国内取引の自由化、経済活性化による雇用・所得の拡大
 規制改革することによって果たして国民生活が良くなるのかといわれるですが、そういう質問に対して、私は規制改革、規制緩和というのは自由貿易と同じことだといつもいっております。
 戦後日本の発展が自由貿易によるものであることは誰も疑わないことです。戦前のブロック経済、つまり、植民地を取り合って戦争をしていた状況と比べると、世界的な自由貿易というのが、特に資源のない日本経済の発展に寄与したことは当たり前です。そうであれば、なぜ自由な取引を国際間の貿易取引だけではなく、国内の取引でも徹底しないのか。今やろうとしている規制改革は国内取引の自由化であり、それはまさしく自由貿易と同じ効果を持っているということであります。
 これは現に製造業と非製造業との生産性格差によって現れているわけで、日本経済を支えているのは一握りの国際競争力の強い製造業ですが、その強さというのは世界市場における競争に勝ち抜いたことからきているわけです。一方で保護されてきたサービス分野の生産性が低いのは当たり前で、競争にさらされていないことが最大の原因です。ほかにもいろいろな要因があるとは思いますが、競争の差が大きいのではないか。そうであれば、製造業が発展したような形で、競争を通じて経済の発展を図ることで雇用や所得が増えるという基本路線を徹底する必要があるのではないかということです。もちろん競争に敗れた人の対応という形で、セーフティネットの整備も大事ですけど、それと並んで競争の重要性ということを考えなけばいけません。


3 新産業創出をもたらす規制改革
医療分野
 新産業をもたらす規制改革というのは具体的にはどのような例があるのかということですが、よくいわれているのが以下の分野です。第一の医療分野というのは、最も規制改革によって財政の支援なしに需要の創造、雇用の創造が可能な分野であろうかと思っております。およそ今の長期不況で、消費が停滞している日本で、行列が起こっているのは病院ぐらいです。病院では常に長い行列がある。これは結局、需要超過なのですね。行列があるというのは必ず供給に比べて需要が超過しているわけで、これほどもったいないことはないわけです。
 病院に行けば、お医者さんも看護婦さんもフルに活動していて過労で倒れそうになっている。これだけ失業者がいるのだから、もっとお医者さんや看護婦さんを増やせば、需要があるわけですから患者へのサービスが良くなる。それがなぜできないのか。むしろ厚労省は、医学部の定員を抑制したりしているわけですね。なぜかというと、医療費が増えると困るということなのですが、人々がこれだけ必要としているものがなぜ財政によって抑制されなければならないのかというと、今の医療費がほとんど政府管理になっている、全部保険診療で賄われているからだということが一つではないかと思います。
 強制的に取られる保険料で賄われている医療に無駄があるわけで、これは地域間の医療費の格差で明らかに現れています。今日の新聞でも、ホームレスの人を無理やり入院させて病院のベッドを埋めるという記事がありましたが、そういう無駄が一方で行われているときに、保険料をどんどん上げていくということは許されない。
 一方では、質の高い医療であれば人々はお金を払ってもいいと考えている。同時に、国民皆保険は守らなければいけない。このように考えると、解決方法は一つであって、年金改革と同じように、基礎的な医療については従来通り国民皆保険で政府が完全に責任を持ってやる。しかしそれだけで全てを賄うのではなくて、そのうえに個人消費としての医療サービスを組み合わせていく。
 何を基礎的な医療にするのかは専門家に議論していただけなければいけないのですが、一つのイメージというのは昔からの本来の医療である。いわゆる警察とか消防と同じような意味で公共性の高い医療です。救急医療がその典型例ですが、怪我をしたとき、死にそうなとき、そういうときは完全にカバーされなければいけない。警察や消防と全く同じで、こういう医療は当然国が責任を持って100%公的保険でやらなければいけない。
 しかし、今の医療はかなりの分野がそういう緊急性の高い公共的な医療ではなくて、日常生活の延長のいわば慢性的な部分がかなりシェアを伸ばしているわけですから、そういうものについてはもっと個人消費といいますか、ちょうど介護保険のように上乗せ給付、横だし給付的なものを加えてもいいのではないか。これが混合診療の考え方です。
 この混合診療を認めることで、今の医療費が抑制すべきものから、いくら増えてもいいものに180度変わるわけです。政府がある程度気にしなければいけないのが公的医療で、これはあまり保険料負担が増えては困るのですが、それ以外の医療費はいくら増えてもいい。政府の財政から個人消費への転換をすれば、需要はいくらでも出てくるし、看護婦さんやお医者さんの雇用も増えるし、事務員の雇用も増え、これだけで何十万という雇用を潜在的に持っているのではないかということです。
 それと、今の病院経営は合理化の余地がいっぱいあるわけで、IT化の余地も非常に高い。カルテとかレセプトとかの医療情報はいまだに紙ベースで打ち出されて、トラックに積んで診療報酬支払基金に行っているのですが、あれほど馬鹿げたことはない。なぜインターネットを通じて電子情報としてのレセプトとを保険者に直接送れないか。これだけやることによって、IT投資の需要がかなり出てくるわけであります。そのための財源というのは今の審査手続きの無駄をなくせば、かなり出てくるわけで、たとえばレセプト1枚に保険者は100円かけているわけですけど、IT化すればあれが10円以下でできるわけですから、その差額の90円というのがIT化投資の原資になるわけです。そのような形でうまく今の医療制度を改革すれば、財政の拡大なしに需要を拡大できることはいくらでもあるのではないか。
 もちろん、そうすることに反対する人たちがいるが、それはいわば患者のためと称してお医者さんの利益を守ろうとする。つまり、かつての銀行と同じで、競争の導入により能力のある病院とそうでない病院との格差が拡大する。混合診療の対象となるような質の高い医療サービスを提供できる病院や診療所と、旧態依然の病院や診療所の格差が広がるわけで、それで困る人たちがいるということです。こういう改革には必ず遅れた分野が反対するわけで、護送船団方式の壁があるということではないかと思います。少なくともそれを明らかにしなければ、改革はなかなか前に進まないかということです。

福祉分野
 同じことは保育所の問題にもあります。保育所もこれだけ少子化対策がいわれながら抜本的な対策ができない分野です。先月号の中央公論に少し書いたのですが、今の少子化対策が根本的に間違っていると思うのが、たとえば待機児童の数をどう考えるかということで、厚労省の考えている待機児童というのはわずか数万人なのですね。これは全国の公立というか認可保育所に登録した人たちの数であって、この4、5万人に対応するのであれば今の公立保育所を少し増やせばいいことで、それは簡単なことです。
 しかしこれは氷山の一角であって、いわば就労意欲喪失者と同じような意味で、保育所をあきらめている人が山のようにいるわけです。就業構造基本調査等では子育て期の女性で働いていない人、しかしそういう子育ての制約がなければ働きたいと思っている人が400万人ぐらいいるわけで、そういう人たちは潜在的な保育所の需要者です。とても数万人のオーダーではないわけですから、今の認可保育所の枠をそういう人たちの枠にまで拡大させるというのはとても不可能です。
 そういう需要にこたえるためには健全な保育サービス産業を育てなければとても対応できないのですが、厚労省は頑として保育所というのは母親のためにあるわけではない、あれは子どものためのものだ、母親と子どもは利益相反関係にあるというわけです。あまり親のいうことばかり聞いてはいけない、便利な保育所を作ってはいけないという。たとえば、認可保育所というのは日曜日営業していませんけど、それは日曜ぐらい親は子どものもとにいるべきだというような意見が堂々としてありまして、日曜に働かなければいけない人はどうするのだということですが、そういう人たちはみんな無認可保育所に行かざるを得ないわけで、そういう形でサービス産業という意識がいまだにないわけです。厚労省もずいぶん努力もしていますが、従来の枠内の努力にすぎないので、抜本的な対策、つまりこういう官製市場を健全なサービス産業に変えていかなければいけないわけです。
 保育所行政の矛盾というのは、認可保育所だけが厚労省の所管であって、認可外というのは営業の自由だというのですね。そういう無責任な話はないわけで、およそ子どもを預かる商売は金を預かる商売以上の規制がかかってしかるべきだと思いますが、銀行に比べて、無認可保育所についてはなんら規制はないわけです。それはおかしいので、むしろ無認可、認可に関わらず、きちんとした規制の網はかぶせなければいけない。その代わり、参入規制であるとか、過剰な規制は撤廃していく。
 今の民間保育所にかけている膨大な予算をもっと適正に配分して、1人当たりのバウチャー(切符)の形に変えれば、競争を通じてもっと保育所の質の向上が実現できる。また、介護保険みたいな形で育児保険をつくるという構想も一部にはあります。それが実現できればかなりの効果があると思います。介護保険によって、従来の措置制度の福祉はずいぶん改革されたわけで、同じことがなぜ育児保険という形でできないのだろうかということです。それに対して子どもを持ちたいかどうかは親が決めることであって、病気や寝たきりというような事故ではないという意見もあります。しかし、私はそういう保険を作るときの最大の問題はモラルハザードで、介護保険でも、できるだけ介護サービスを受けるために寝たきりのフリをするとかいう問題があるわけですが、私は保育についてのモラルハザードは大歓迎で、育児保険ができたから子どもを生みますというのがまさに少子化対策の狙っていることですから、どんどん活用すればよい。いくら子どもを持つことが事故ではないといっても、政策の目的が少子化対策にあるならどんどん子どもを生みたいという方向に対策を打つことは当然ですから、そういう意味で育児保険を作ることで介護保険と同じような効果をもたらすのではないかということですが、厚労省はそこまでの対策は考えていないわけです。

教育分野
 教育も大きな関心を呼んでおりますが、教育についても大学から義務教育まで幅広く問題が残っております。大学のほうはかなり自由化されてきたわけですが、まだまだ設置など運用の自由化ができない。たとえば、学部学科設置の自由化をいっておりまして、学科はかなり自由になったのですが、違う学部を越えて学科を再編成してはいけないという根拠のない規制が残っている。それから、いわゆる不動産基準といいまして、学校法人を作るときには校地は校舎面積の3倍基準というのがありまして、要するに広い土地を持っていなければならない、しかもその半分を自己所有でなければいけないという規制があります。これが都市部の便利なところに新しい学校を作る最大の妨げになっていて、昔安いときに土地を買った学校が間接的に保護される一つの大きな要因になっているわけです。
 私がなぜ貸しビルで大学をやってはいけないのかと聞きましたら、文科省の担当者は貸しビルだと夜逃げするというのですね。それは大きなお世話であって、貸しビルであろうがいい教育をしてればお客はいくらでも来るわけですから夜逃げする必要もない。現に渋谷の近くにテンプル大学というアメリカのビジネススクールの日本校があるのですが、これがいまだに日本では大学として認められない。テンプル大学の授業内容が悪いなら仕方ないですが、カリキュラムの審査すらしてもらえない。要するに土地を持っていないからです。そういう教育における不動産基準というのがいまだに生きているわけで、これは徐々に特区では撤廃することですが、本来そういうものはきちっと消費者に開示すれば済むことです。うちの大学は貸しビルで経営していますということをきちっと明示すればいいわけで、そのあとの判断は消費者に任せればいい。またそういう倒産の心配があるのなら、預金保険をつけることで銀行をつぶすというのと同じように教育保険をつける。一定の授業料の返還をするようなファンドを作っておくとか、あるいは同じくらいのレベルの大学の間で(いまでは一部でやっておりますが)単位相互互換などをすることで、ある大学がつぶれたらほかの大学が引き受けるというような学生のためのセーフティネットを作ることで、大学をどんどんつぶしていくというようなやり方が必要なのです。今の文科省はいまだに大学をつぶさないために不動産を持っているとかいろいろなことを強制していますが、そういうものを少しずつ変えて行くべきということです。
 義務教育もハードコアですが、そもそも義務教育という言葉をやめるべきではないか、義務教育から権利教育に変えるべきだと考えております。まさに小学校、中学校の教育は受ける権利があるのであってお仕着せの学校に登校する義務はない。明治時代に子どもを労働力として学校に行かせなかった時代にできた義務教育の制度を、今の教育過熱の時代に同じように持ってくるのはおかしいのではないか。義務教育とはいいながら、不登校生に対して、ほとんど何の手当てもなされないわけですから、文科省が決めた枠の中で初めて義務教育負担がなされているという状況にあるのではないか。そうではなく、人々が望むような多様な方法で教育を受ける権利というものを確保すべきではないかということです。

労働分野
 労働分野では、厚労省の旧労働省部分は相対的には規制緩和に前向きで、職業紹介とか派遣とか働き方の多様化に対応した新しい労働市場制度の確立という点ではかなり進んだのではないかと思っております。

都市・住宅分野
 都市とか住宅分野も財政の負担なしで需要を拡大できる分野で、たとえば高層住宅の建設をもっと容易にすることです。あまり無秩序にマンションが建っても困りますが、今の容積率規制というのは住宅とオフィスを(若干の配慮はあるものの)同一に扱っています。本来容積率規制は、かつて大都市一極集中が問題になったときにあまりにたくさんのオフィスができると交通とか水道とかガスとかに負荷を与えるということで規制したのですが、住宅については本来別であるべきで、郊外の人が都市部の住宅に移ってくればそれだけ交通需要が減るわけですから、むしろ交通緩和に貢献するのではないか。そういう意味で、オフィス規制と住宅規制を一緒にする必要はないということです。
 また、道路の活用というアイデアもあります。道路というのは何なのか、車や人が通るところである。しかし、それさえあればいいわけで、たとえば道路の上に何を使ってもいいのではないか。今の道路は上が空いてないといけないのですが、何が根拠にそうなっているのか分からない、そうした規制があるから道路は政府が作らなければいけなくなる。しかし、もし道路の上の空間を使っていいということになれば、一般道路ですけど、民間が道路を作るということが可能になります。特に、都心部では道路の上の空間は非常に貴重ですから、その上にふたをして上に住宅やオフィスや公園を作ってもいいわけで、そういう使い方ができればまさに民間でもいくらでも道路を作れるのではないか。ただそういう風に法体系がなっていないわけです。
 唯一、最近成果があったのが、駐車違反の取り締りで、一部新聞などでも報道されてますが、格闘訓練を受けた貴重な警官を駐車違反の取り締りに使うのはもったいない。現に人手が足りないから駐車違反し放題になっている。これを民間のビジネスに任せたら、膨大な需要が出てくるわけです。民間に任すと駐車違反1台捕まえるごとに数万円の収入が入るわけですから、いわば道路に落ちているお札を拾うような容易な仕事であって、このようなものは喜んでやります。それから駐車違反の取締りを徹底すると、道路もすいて安全でどんどん動けるようになる。また、駐車場ビジネスが潤いますし、タクシーも多分需要が増えるのではないか、。こういう簡単なことがなぜできないかというと、駐車違反というのは現行犯逮捕ができないらしいのです。要するに運転している人が犯罪を犯したわけですが、駐車違反は運転する人がいないわけですから、そういう人を捕まえる人がいない。そうするときちんと立証しないといけないというのですが、何も運転していなくても車の所有者に責任を取らせればいいのではないかと、そういう方向で今法律を改正しようとしています。このようなことは既存の考え方を一歩外して、使用者から所有者責任に変え、それから刑事違反と見なさない、単なる粗大ゴミを捨てるのと同じような意味で犯罪だと考えれば、ずいぶん違うわけです。発想を一つ変えればいくらでも業務の効率化もできるし需要もでてくる。

4 規制改革のアクションプラン
 次のアクションプランというのは、これまで3年間あるいは6年間、規制改革委員会等がやってきてできなかったものを、この際全部まとめてぶつけてみようという宮内議長のかなりの思い切りで12項目を作ったわけです。それが最近新聞にずいぶん出てかなり不満足な形ですが、一応決着を見ています。
株式会社による医療機関経営
 株式会社等による医療機関経営の解禁というのも長い間議論していて、冗談ではないといわれてきたのですが、一応自由診療という変な制限は付いていますが、何とかやってみようということになりました。
混合治療
 それから、混合診療についてもこれもややこしい形ではありますが、一歩は前進したのではないか。
労働者派遣業務を医療分野にも拡大
 それから労働者派遣業務の医療分野の対象拡大というのも、半歩前進した。これも変な話でありまして、労働者派遣というのは一応対象職種は原則自由化された。ただ問題のある職種、たとえば港湾とか建設は駄目だということになった。あと警備もそうなのですが、なぜか医療もそこに入ってしまった。なぜ医療の派遣は駄目かというと、医療というのはチーム医療だから顔も知らないような派遣業者が入ってきたら事故が起こるとかそういう屁理屈をいうわけです。しかし、医療ほど派遣がなじみやすい分野もないわけで、お医者さんも看護婦さんもみんな国家資格を持っています。国家資格を持っているから当然能力は評価できるはずなのに、顔を見なければ心配だという。派遣というのは事前面接が禁止されておりまして、これ自体もどうかと思いますが、とにかく事前面接が禁止されているから心配なわけです。では初めて採用するお医者さんや看護婦さんはどうするのかというと、やっているうちに慣れてくるというのですが、それだと派遣と同じではないかというような、つまらない押し問答を散々してようやく紹介予定派遣だけは認められることになりました。これは事前面接ができますから、これで半歩前進かなということです。
医薬品の一般小売店での販売
 話題になった医薬品の一般小売店による販売というのも、副作用があるから駄目だと坂口厚生大臣はいわれるわけですが、ただそうした議論の欺瞞的なところは、現に薬剤師なしに薬は売られているわけです。ひとつの例が富山の薬売りでして、あれはなぜいいのかと厚労省に聞いたら、あれは300年前からやっていたからいいのだということで、では副作用はどうするのだといってもただ昔からやっていたからいいのだという。それから、特例販売業というのがありまして、元々は離島とか薬局のないところは仕方ないということで、全国に1万ヶ所あります。たとえば成田空港の通関の中などにもあるわけですが、副作用が問題だというのなら、そういう薬剤師のいない特例販売業で副作用の事故は起こっているのかと聞いたら、厚労省はそのようなことは調べていないというわけです。調べていないのにどうして副作用があるのかどうか分かるのか。非常に恣意的な基準で決めるのはかまわないが、コンビニ等で全面的に売るのはいけないというのが今の規制ですが、要するに既得権にすぎないわけです。薬剤師に相談したい人は薬局に行けばいいわけで、相談するまでもなく常備薬を買いたいという人が深夜空いているコンビニで買えれば非常に便利ではないかといっても、副作用があるとの一点張りで、今の薬剤師がいることがどれだけ副作用の防止に貢献しているのかということは全く考えられない。薬の副作用の防止はきちんとやらなければいけないが、それが薬の小売の問題にどういう関係するのか。この問題は誤解されていて、副作用があるにもかかわらず消費者の安全を阻害してまで、利益を得るためにこういうことをいっているのだというイメージが強いわけです。いわば副作用対経済活性化のどちらが大事かとかそういう対立の視点になってしまって、実効性のない規制をなくしても同じだという意見は通らないわけです。
幼保一元化
 幼稚園とか保育所の一元化というのも昔からの課題で、はっきりいえば同じようなサービスをしているわけですが、文科省は幼稚園は教育だ、保育所はただ預かっているだけだというだけで、厚労省から見れば、保育所のほうがよっぽど幼稚園よりきちっとやっていると、教育だって当然してますといわれるわけで、どちらにしても似たようなサービスがあるわけですから、むしろ一元化してもらったほうがいいのではないかというようなことも、自治体からの要望もあるわけですが、頑としてなかなか解決できない。今、両方の顔を立てて第3の組織を作るというアイデアもありますが、それがうまくいくのかどうかは良く分からないと思います。
株式会社による農地取得、農業経営
 あとは、農業の問題です。農業もまた株式会社が入ると農地を荒らすとか産廃の捨て場にするなど、いろいろなことがいわれているわけですが、要望の強い分野です。今の農業は自作農主義ということで、会社形態すら厳しく規制されていて、農業生産法人というのが数年前に改革されたばかりですが、そういう自作農主義にこだわっていることが逆に耕作地放棄を生んでいるわけです。高齢になって子どもが継いでくれなければ、放棄するより仕方ないわけです。そのときに、会社であれば高齢化することはないですから、ずっと安定的な農地経営ができる。そういう高齢の人は農地を売るか貸すかすればいいのではないかというときに、それをなぜしないのかというと、土地の転用期待というのがあるわけです。土地の価格がこれだけ下がっているわけですけど、それでも農地から宅地に転用すれば10倍くらいの価値が上がるわけで、いわば零細農家というものがなぜ土地を貸したり売ったりしないかというと、いつか自分の農地が転用されるのではないかと淡い期待を持っている。農地を保有するコストは、わずかな固定資産税くらいで、ほとんどゼロに近いわけです。そういう意味ではなんとか零細農家から専業農家に土地を集める手立てをしなければいけない。株式会社が入るかどうかは無関係であります。そういう改革を別途やらなければいけないわけで、株式会社を排除しても現状の問題に何の解決にもならないのです。むしろ、株式会社、農業生産法人、自作農に共通の規制を強化する必要があるので、そういう休耕地などは農地法違反ですし、きちっと活用しないときには貸すか売るかさせる。そういう方向へのインセンティブをつけていくということが大事で、そういうことを提言しているのですが、どうも儲け主義の農業がいいか悪いかという医療と同じ問題をいわれるわけです。
争点を理解してもらう
 まだまだありますが、こういう風にひとつずつやっていくわけですが、規制改革の問題というのは争点を理解してもらうのが大変です。これは相手のほうが声が大きいわけで、先ほどの医薬品の一般小売店による販売も、たとえば薬剤師協会は読売新聞や朝日新聞に全面広告で、そういうことをしたら消費者が大変なことになるという広告を打つわけで、そういうものに対してどうやって争点を理解してもらうかという地道な作業が必要です。そのために、規制改革会議では公開討論方式というものを今回から打ち出して、全ての議論を公開しマスコミにも入ってもらう。省庁を呼んでその場で委員と議論し、その議論を全部聞いてもらい、どっちのいい分が正しいか理解してもらうということをやっております。これはかなり効果があったと思うのですが、ただせっかく記者が理解して記事を書こうとするとデスクがそれでは駄目だといって結局記事にならないという話も聞きまして、これはかなり息の長い話になろうかということであります。このように情報を公開するというのはじわじわと効果のあることで、現に各省庁はこれを凄く嫌がっています。ですから、相手の嫌がっていることをやるというのは一番いい戦法でありまして、今後とも公開討論方式でやっていくというか、議論を公開させていくということが効果的だということになります。


5 構造改革特区の意義
なぜ「特区」方式か
 構造改革特区の話になりますが、なぜ特区をするのか。これに対して、姑息な手段を取るなという批判もあり、やるなら全国でやれということなのですが、全国でやれればそれに越したことはないわけで、やれないからこういう非常手段をとるわけです。なぜならば、こういう規制改革をすると必ず総論賛成、各論反対になるわけで、総論としてはいいのですが、やはり自分のところを緩和してもらっては困る。そのときの理屈に、どのような弊害が起こるかわからない。仮にこの規制を緩和しても全く弊害がないことを証明しろと無理難題を突きつけてくるわけで、まだやってもいない制度の弊害がないと証明することはできないわけです。

社会的実験の必要性
 ですから、そういう議論に対しては諸外国の例を見るわけですが、諸外国の例はほかの状況も違いますから、日本の国内で実験してみる。それによって、弊害があるかどうか見てみて、それを全国に拡大していく。そういう社会的実験ということが論理的に出てくるわけです。現に米国などは、新しい制度を試すときは必ずどこかの州で実験してみるわけであります。逆に日本では、2000年の介護保険のように従来の公的福祉の体系を180度逆転されるようなものを一気に全国でやったわけですよね。あれこそ無茶であって、ああいう介護保険をするときは、本当は2、3の県でまずやってみて、そこで起こるいろいろな問題点をきちんと対処したうえで、全国でやるべきであるのに、日本ではやるときは全部やると、やらないならまったくやらないという、オール・オア・ナッシングの思想であって、それはやはりおかしいのではないか。そういう意味で、社会的実験を是非やる必要があるということです。
 そのときに、地域限定で規制を外して新しい事業活動を作るというのが、ひとつの考え方ですけども、そうすると必ずいわれるのが中国の特区でして、北朝鮮も最近特区を作るらしいのですが、なぜそのような国の真似をしなければならないのか、日本は途上国かということをいわれたわけです。それに対して、私は中国の例も参考になるのですが、この構造改革特区というのは米国型の特区であるといういい方をしています。米国には50の州が別々の制度を持つことができる、つまり50の特区があるわけで、これが200年以来動いている。連邦政府に禁止されない限り、何をやってもいいわけで、離婚を認めてもいいし禁止してもいい、そのように各州が勝手なことをしていて、その中から制度間競争というか、隣の州のいいところは真似して悪いところは見習わないというふうにして、良い制度が広がっていき、悪い制度は廃れていく。そういう米国型の特区を、連邦制度ではないから、日本では全面的に導入することは難しいのですが、一部でも導入してみようというのがこの特区の考え方ですといっています。
 そのときに、実験というと医師会が噛み付いてきて、人の生命・身体に関わることを実験するのは不届きだ、死んだらどうするのだというようなことをいわれるわけです。それに対して、私は医療こそ実験が必要な分野である。これは当たり前のことで、新薬を認可するときは実験しなければ認可できないわけです。新薬を認可したら副作用が起こって、人が死ぬかもしれない。しかし、認可しなければ逆にその薬で助かったかもしれない患者が死んでしまうわけで、どちらにしてもリスクはあるわけなので、そのリスクの中で少しでもいい薬を開発しなければいけない。あるいは最近の例でいえば、救急車の中で呼吸困難の患者に管を入れるということを救急救命士に認めるかどうかという話があったわけですが、患者の喉に管を入れるというのは明らかに医療行為であって、お医者さんにしかできない。しかし、病院に着くまでにほっておくとその間に患者は死んでしまうわけです。だから、秋田県とかごく一部の県で、医師法違反を覚悟でやって、結果的に救命率は高かったらしいのです。ところが、医師会の圧力で止めさせられてしまった。たしかに、医者でない人が管を入れることで内臓を傷つけて怪我をさせる危険性は当然ある。しかし、それを入れないと病院に着くまでに死んでしまう。どちらがいいかは実験してみなければ分からないわけで、それを実験だからけしからんといっても始まらないわけです。そういうまさに医療の世界こそ、絶え間ない実験の中で一番いいものを作ろうとしているわけで、それは別に薬とか手術法だけではなく、制度だって同じではないかといういい方をしているわけですけど、そういう実験に対するアレルギーが大きいわけです。

構造改革のモデルケース
 この特区というのはいろいろな意味で面白いというか、全てが実験なわけです。ひとつはスピードの速さで、具体的には2002年3月の規制改革会議で初めてこれをやろうと決めて、4月の諮問会議でこれをオーソライズしてもらった。具体的にどういうものを作ろうかと議論したときに、このようなものは内閣法制局を通るはずがない、霞ヶ関の非常識だと散々悪口をいわれたわけですけど、現に通ってしまって、11月に閣議決定して、12月の臨時国会に法案が成立して、今年の4月から実施されたわけです。このスピードの速さというのは要するに官邸がやる気になればできるではないかということです。何といってもこれはニーズがあった。地方自治体のこれまでの不満、改革をしたいが各省がこれを押さえつけてきたという不満が、こういうルートを作ったことで、一気に爆発した、というか広まった。こういうニーズがあったのが、ひとつの大きなポイントだと思います。
 それから、特区推進室を内閣に作ったというのがポイントで、従来なら地方自治の問題ですから自治省、現在の総務省に作るわけです。そうではなく、旧自治省も各省も全部すっ飛ばして、内閣で地方自治体の要望を受け付ける専任の室を作って、そこで各省と交渉するという方式を取った。これは画期的なことだと思います。私はこれを一種のOTOの国内版だといういい方もしているわけで、OTOというのはかつての経済企画庁の中で、外国の企業が日本でビジネスするときにさまざま障害にぶつかるわけで、それを外国の企業がいちいち各省にいっていては埒が明かないわけで、経済企画庁のOTO室に言うと代わりに各省と交渉してくれるわけです。これは非常に評判が良かったのですが、なぜ外人のためだけにしかやらないのか、日本人だって同じように困っているわけですから、そういう意味で今回は自治体ということですが、まさに各省の規制に困っているような人に対して内閣が直接支援する仕組みです。内閣がいえばさすがに各省も聞くわけで、ある程度真面目に対応する。そういう意味で自治体のニーズが内閣を通じて各省の改革を促すということになったかと思います。
 財政支援措置を排除したというのも今回の特徴で、よく沖縄の金融特区と対比されますが、あれは古い特区です。ああいう国のモデル事業は昔からあったわけで、国が特定の地域を定めて財政支援して、その地域だけ特権的に新しい制度を導入するというものです。今回の特区はこれと180度違って、国のイニシアティブではなく地方のイニシアティブでやる。そのときに財政支援措置を求めたら、国の介入が入ってしまうわけで、国の介入が入れば、特権的に特定の地域だけにしか認められなくなる。そうなると、公平性の見地から、沖縄のように遅れた地域でやることになるわけで、それでは実験にならない。今回の特区は、経済活動の活発な地域がより活発になるためにやるという形がひとつのやり方です。もちろん遅れた地域も成功すればかまわないわけですが、そういう所得再分配的な見地ではなく、まさに効率性という観点から規制を緩和することで、どういう新しいビジネスが生まれるかを実験しようということですから、財政支援を得ようとすると、とたんにそれは古い特区になってしまうわけです。この点はなかなか説明が難しくて、財政支援があればそれを分捕ってくるという議員の役割があるのですが、逆にいうとそれを排除すると、本当の意味で知恵で勝負する、あるいは規制改革だけでビジネスを起こすことになる。そうすると、制限がないわけでどこでやってもいいわけです。ある意味で、特区室もなるべく限定しないという方式ですから、いくつもの特区を作ってもいいわけで、そういう意味で財政支援を排除することによるメリットが非常に大きいのではないか。逆にいえば、財政支援がなければできない特区だと、全国的にはできないわけで、いずれは全国で拡大することを前提にするわけですから、基本的に財政支援なしでやってもらいたいということです。もちろん、自治体が独自の補助金を作ることはかまわないわけですが、特区だからという理由で税制上の優遇措置とか財政支援を受けるということは今回の特区のアイデアには入っていないということです。


6 特区法の仕組み
 2002年8月に第1次の提案を受け付けて、それに基づいて特区室が各省と折衝し、構造改革特別区域法を作り特例措置を認めて、それに基づいてもう一度申請を受けるわけです。それでできたものが4月から今回実現したものであります。
 わかりづらいのですが、最初は提案募集なのですね。で、さまざまな提案が行われるとそれを法律の形に落す。その法律に基づいて改めて特区の申請を受け付ける。これは機械的なプロセスでほぼ自動的に認められるわけです。この法律というのは非常に面白くて、いくつもの流れが同時に走っている。つまり、申請は年に2回ないし3回受け付けるわけです。それに応じて、国会があるごとに法律を変えていく。提案と認定と申請が同時に走っているので非常に分かりにくいのですが、それだけ頻繁に法律を改正する珍しい法律です。
 この法律の体系は、特区とは何かという基本規定があって、その後ろにどういう規制を緩和すればいいのかということが具体的に羅列してあるわけです。本当はこのようなことは羅列したくなかったのですが、羅列しないと各省が絶対OKしないので、とりあえず規制緩和してもいいというものを具体的に箇条書きにして書くわけです。この箇条書きのリストをとにかく毎回増やしていく。それによって、できるだけ多様な規制緩和、規制改革をできるようにしていくというのが考え方です。昨年の12月の臨時国会でまず第1次の法律を作って、それを今回の通常国会ですでに改正したわけです。それを今年の臨時国会でまた改正するというふうに、1年に2回改正する法律などは今までにないと思うのですが、最初からそういうことを狙っています。
 この改正の元というのが提案からくるわけですが、この提案というのは誰でも出せるわけで、個人でも企業でもいい。ただしそれに基づいてできた特区に対して申請するのは自治体しか駄目なのですが、自治体と組めばできるわけです。さっきいったテンプル大学も教育特区という形で、今度の第3次募集でできると思いますが、それは港区かどこかの自治体と組んでやることになります。ですから、これまであきらめていた規制の中で、どうしようもないと思っていた人たちが特区を活用していくことで、規制の網を破れるところは破っていくということであります。


7 第1次特区法の具体的成果
 第1次特区の成果は教育、農業、福祉、医療などの分野があるのですが、面白いのが医療特区というのは実は存在しておりません。なぜならば厚労省は極端に特区を嫌っておりまして、高度先進医療病院の運用基準の弾力化、具体的にいいますと、高度先進医療病院に認定されますとさまざまなメリットがあるのですが、従来の厚労省の基準では300床以上の病院しか駄目だ、大きな病院はいい病院だという基準だったのですが、実はそれほど大きくない病院でも高度先進医療をやりたいという例があって、神戸市とかいくつかがその特区申請したわけです。それが合理的な申請だったから認められそうになった。そうすると、厚労省は慌ててですね、特区として認めるなら全国でやりますからとこれを取り下げてもらったわけです。これはこちらとしては結構なことで、特区というのは元々全国ベースの規制改革をするための足がかりですから、最初からやってくれるなら特区をあえて作る必要はないわけで、そういう意味で医療特区はそういう形ではできなかった。今回の株式会社のところは特区でないと駄目なのでそうしたわけです。これをわれわれは特区を脅迫材料に使うといっているわけですが、特区にするぞという形で全国ベースの規制改革ができればそれはそれで結構なことである。
 農水省は逆で、農地法を変えるのは大変だから特区でやってくれということで、それはそれでかまわないわけで、各省によってずいぶん特区に対する考え方が違うということです。これは形式的論理でいうと、特区法になるとこれは内閣法になりますから、自分の所管から外れます。たとえば、厚労省はなるべく自分の法律の中でやりたいから、特区になりそうだったら全国的にやりますという考え方をしています。

8 特区法の課題
二極分化している提案
 これまでは特区はそれなりにスピーディにできて、自治体の熱意もあり、次から次からに新しい提案ができて、今のところ年に2回のペースで法律改正をやっていますが、本当にこれがうまく使われているのかというと当然ながらいろいろな課題があります。農業特区において、これまで株式会社を一切認めなかったのが、賃貸方式なら認めるというかなり画期的だと思いますが、そういうものが非常に少なくて、ほとんとが手続きの簡素化みたいなものです。しかしそれでも大事で、これまで手続きの簡素化がなかなか進まなかった。非常に無駄なことが起こっている。それを特区の要望という中で、風穴を開けて、全国的な適用に結び付けていくというのは細かいけれど大事なことではないか。規制は細部に宿るといわれていますが、本当に細かい規制で企業や市町村は苦しんでいて、それをなくす一つの手段として特区を使ってもらえばそれはそれでかまわない。
 ただ、一ついえることは、これまでの特区提案を見ていると二極分化している。長い間構想をあたためてきた自治体が特区という形でそれを実現したというのと、特区ができたからこれから考えるというのと、かなりレベルが違うわけです。これまで出てきたのは長い間考えてきたものをぶつけるわけですから、かなりまとまっていたわけですが、そうでない玉石混合もたくさんあります。今後は、いかに本来の特区を実現するような形の提案がどこまで増えるかが鍵を握っていると思います。
 ちなみに、われわれが考えている理想的な特区というのは、単一の省庁の規制を緩和する、先ほどの株式会社の病院みたいな厚労省の規制を外すようなものより、できれば複数の省庁の規制を同時に緩和する。そういうことがなかなかできなかったから進まなかったわけで、あるビジネスをするために、たとえば厚労省、国交省、環境省など複数の規制ががんじがらめになっていてできなかったのを一挙に外すために、特区法を使う。そういうものを当初想定していました。これまでの提案の中ではそういうものもありますが、ごくわずかです。そういう規制改革の提案が今後いくつも出てくることを期待しています。

評価は弊害の有無を重点に
 もうひとつの懸念は、特区を作ることで全国的な規制改革を遅らせる口実にするというようになったら困るわけで、これをなんとかして防がなければいけない。たとえば、株式会社が農業をこれからリースでやるのですが、そのときにその評価をどうするのかということがあります。一部で(これは冗談だと思いますが)農水省の人がいっているのは、米の発育具合を数年間チェックする。しかし株式会社の作った農地の米がほかのよりもよく発育しているかなどをチェックしても仕方がないわけで、もっとコストとかそういう面を考えなければいけない。そういう形で全国展開を遅らせる口実になってはいけないわけで、そこをどうするのかが次の評価委員会の役割になるわけです。
 この評価委員会が8月くらいに立ち上げになりますが、そこでのポイントは私は効果よりも弊害に重点を置く、つまり特区がどれだけほかよりも素晴らしい効果を上げたかどうかをチェックしようとしたら数年かかるわけです。そうではなく、効果は人並みでもかまわない、問題は弊害がないということを明らかにすることが特区の役割です。規制緩和とは選択肢を広げることで、別にそっちのほうがはるかに素晴らしいから規制を緩和するというのが間違いであって、人並みであれば緩和していいわけです。それは好き好きであって、株式会社が認められたからといってそれを使わなければいけないということではないわけで、従来通りの医療法人においては、それでかまわない。あくまでも選択肢を広げることの弊害がないことを立証すればいいわけで、効果があることを立証する必要はないと。それを明確にしないといけない。もちろん、効果があったほうがないよりはいいのですが、必ずしも具体的な効果を厳密に実証できなければ全国適用できないというわけではないということです。

事務も実験
 あとは、情報公開だとかいろいろやっているわけで、今回も評価委員会は委員の一部を公募します。また、事務局というか、会議の運営を貴重な公務員を使うのではなく、どこかのシンクタンクとかに委託するということをやるらしいのですが、そういう形で事務の実験もやってみようということです。そういう形で特区方式というものを、ほかの制度改革にも活用していこうとしております。徹底した情報公開をおこない、自治体から来た要望は全部ネットで公開しておりますし、各省とのやりとりも全て公開しております。ですから、そのネットさえ見れば、どういう問題でなぜ各省が反対しているかということが全て分かるわけで、従来は密室の中でやってきた議論を全部公開すると。こういうやりかたはほかの改革にも適用すべきではないかと思うわけです。
 それから、たとえば道路公団の民営化推進委員会のやり方に比べて、特区は専任の特区室を内閣に設けている。道路問題のように道路公団の事務局を使っているわけでなく、まさに事務局がどれだけやる気になるのかということが、改革の鍵になるわけで、やりたくない人がやっても当然できない。素人の委員がやることに限界があるわけです。委員はパートタイマーですけど、公務員はフルタイムでやりますから、そういう意味でも内閣に専任の事務局を設けるというのは非常に重要ではないか。それから熱意のある専任の大臣がいるというのは非常に重要なことで、今の鴻池大臣がトップで頑張っているということが非常に職員のモラルに大きな影響を与えているわけで、要するにトップがやる気になればかなりのものができるのではないかということです。

これからの総合規制改革会議
 総合規制改革会議も実は3年目で今年度で終わりになるわけです。次をどうするかということはいろいろいわれているのですが、やはりそういう意味でも大臣と事務局が大事です。かつての規制改革委員会というのは総務庁が事務局で、総務庁は力は弱いのですが、それなりのプロの集団で非常に真面目にやってくれた。今回の規制改革会議は内閣府に格上げとなったのですが、内閣府は各省の公務員の寄り合いで、その意味で道路公団ほどではありませんが、事務局にいろいろな人がおりまして、非常にやりにくい面もある。各省と交渉する前に事務局と交渉するので非常にエネルギーを食ってしまう。ですから、次の規制改革会議みたいなものを作るときには特区室のように専任の事務局、小さくてもそれ専任の人たちがやるような組織を作ることがポイントではないかと思います。
 いろいろとあちこち話が飛びましたが、大体頂いた時間を使い切りましたので、いろいろコメントとかご提言など頂ければありがたいと思います。













U 意見交換
問:規制改革の人たちは市場原理主義者で大企業の儲け主義というレッテルを貼られ、議論から隔離するという動きがあるが、これから規制改革を進めていく上で、専任の事務局を作り、熱心な大臣を置いたとしても、社会の受け取り方をどのようにして変えていけばいいのか。

八代:今までのことを地道に続けていかなければいけないと思っておりますし、私も頼まれればできるだけマスコミの人と話をしたり、あるいは討論したりやってますし、それでもずいぶんと変わってきたと思います。まだまだ不十分ですけど、昔と比べれば新聞の扱いも変わってきて、特に読売だと社会保障面とか、朝日だと暮らしの面とか、割と大きなページがあって、そういうところできちっと行数をかけて争点を説明してくるときもあるわけです。そういう意味で、不満はまだまだありますが、数年前よりはずいぶんよくなったかと思います。ただ、私が一番不満なのは、新聞社が医師会だとか相手側のいい分をそのままコメントなしで載せるのですね。相手のいい分は載せてもいいのですが、それがいかに欺瞞的なものであるかというコメントも付けてほしいと必ずいっているのですが、新聞は中立でなければいけないということで、いい分だけを載せているのが現状ですね。そういう意味では地道にやっていくしかないわけです。問:これまでの応募が真に実験的な内容に至っていないとのことだが、「江戸の敵を長崎で」という言葉もあるけれども、表に出てくる前の問題はなかなかつかみにくいと思うが、どのように想像しているか。また、スキームのなかに各省庁が「江戸の敵を討つ」ことを許さない何かが含まれているか。

八代:おっしゃるとおりで、企業も自治体も各省に楯突くと、ほかの面で意地悪されるという恐れを抱いているわけですが、この特区に関していえば、そのようなことを気にしない元気な首長さんがまずやりだしている。それから、全ての情報を公開していますから、逆にいえば、各省が不透明なことをしようとしたら、それが特区の運営の妨害であれば、別の要請を出すという形でしつこくやれる仕組みはあると思います。逆にいえば特区室が全ての苦情相談係になっていますので、そこを通じてなぜそうなっているのかという、一種の弁護士のように自治体の味方で各省と喧嘩するのが特区室の役割であるということで、有形無形のコンサルタントもやっているというわけです。
 それから先ほど申しませんでしたが、今回の特区法の新しい試みでノーアクションレターというものをやっておりまして、これは金融庁がやっている手法で、自治体が特区を作るに当たって、各省に対して今の規制の運用方法について問い合わせる仕組みですね。従来はそのようなことを聞いても答えてくれなかったのですが、これを制度化することで、今の法律の解釈はこれでいいのかということを30日以内で答えなければいけないというようなルールも入れています。これがどれだけ使われているのかはまだ分かりませんが、自治体が聞きたいことがあれば、ノーアクションレターを使う形で各省に聞くと。それに各省は答えなければいけない。各省が補助金を出すときにその自治体にだけ意地悪するとか、そういうことは防ぎきれないのですが、特区に関しては妨害することは極力特区室がカバーできるということはいえると思います。逆にいうと、補助金等を使って各自治体をコントロールするというやり方は、自治体が補助金に依存している限りは何らかの形で出てくるわけで、それを解決するためには今の地方分権みたいな補助金をやめて一括交付税にするというやり方しかないわけで、そこはさすがに対応できないですが、おっしゃるような意味については、少なくても誰も庇ってくれなかった頃と比べれば、一応特区室という内閣にひとつの強力な組織があるということがいえると思います。こういうことはもっとたくさんあればいいと思います。これは本来は自治省(総務省)の役割なのですが、自治省(総務省)はどうも信頼できないわけで、どこまで自治体のためにやっているのか、自分のためにやっているのかよく分からないのですが、それに比べればより特区室のほうが純粋な組織だとは思います。

問:自治体の特区の担当者がどこまで構造改革特区について理解しているのか。特区で国は何をしてくれるのかという不明な部分が多いという考えが地方にはあるのではないか。特区の内容について、東京発の情報の内容とローカルで知られている内容について、ずいぶんと開きがある。

八代:全国の自治体の中でものすごく温度差があります。この特区法で国は何をしてくれるのかというと、実は国は何もしてくれない。本来、自治体の事業を国が妨害しないようにするための法律ですから、財政支援も一切しない。各省の規制によって自治体が何かをやろうとするビジネスが邪魔されている地域にとって意味があるわけで、逆にいえばそれがなければこの特区法は何も関係がないわけです。ですから、そういうものだと割り切らないといけない。これは過疎地域支援法でもなければ、先ほどの沖縄の金融特区とは似て非なるものですね。その意味で、自治体自身がビジネスの構想を持っているということが基本的な前提で、国が何かしてくれるのを待っているところは何のメリットもないと思います。まさにかつてのような、国土の均衡ある発展という思想とは全く逆の、地域間競争を促進するという発想から来ているわけで、その意味では北海道では農業特区とかいろいろなアイデアがきてますが、かつてのような工業団地を作って企業を誘致するというのとはちょっと違うのではないかと思います。

問:いろいろな地域で全部同じような内容で特区の申請がなされたら、特別区域という意味合いが分からなくなるのではないか。

八代:特区というのはいくつ認定してもいいわけです。全部自治体に任せられているわけで、国のモデル事業のようではなくて、手を上げているところは基本的に条件さえあっていれば認めるわけです。そういう自治体主導の仕組みは、従来には例のないものだと思います。特区では国の協力は一切ないというのが前提です。

問:福祉分野に限った質問だが、規制緩和で効率性を追及しながら、一方ではセーフティネットを張るという問題があるが、介護保険で利用者がサービスを選択する際、そのセーフティネットになるべき第三者評価が、厚労省や東京都の動きを見ていると、利用者の選択に資するようなシステムにはなっていないように思う。そういう意味で、法的な位置づけのないセーフティネット作りというものに疑問を持っているので、お考えを伺いたい。

八代:高齢者介護はかつては措置制度で国が認定した人に対して介護施設に入れたり、在宅サービスをするという仕組みを、介護保険のもとで福祉サービスというふうに置き換えて、その代わりに介護保険という給付で介護サービスを買えるだけの資金を各人に渡したというやり方だと思います。ですから、おっしゃったように第三者評価というのをやらなければいけないのですがまだ不十分である。そうした中でどこがよい事業者か悪い事業者か、利用者は十分な判断ができない。ですから利用者が選択しろといっても、難しいのではないかというご質問だと思います。
 従来と比べてどう違うかといえば、従来は国が一方的に事業者を指定していたわけですね。そのように介護保険でも国がある程度指定するまでもなく優良事業者を認定してくれればいいのですが、そこがなかなか及び腰で十分認定していなくて勝手に選べという地域も一部ではあるそうなのですが、そこはNPOなどが自分で評価していく。そういう複数の評価を積み重ねることで、どこのNPOの評価が一番信用できるかという形で、消費者が評価機関を評価していくというのがひとつの理想だと思うのです。国に評価させるとどうしてもつるんでしまうというと失礼ですが、そういう問題も起こってしまうわけで、まだまだ試行錯誤でやっていて不十分だということもわかるのですが、そこは人々が評価機関自体を作り上げていかなければ、よいサービスというものができないのではないかと思います。
 それで、措置制度を止めるから国は何もしないというわけではなくて、措置制度で使っていたのと同じ費用を切符の形、バウチャーの形で利用者に出す。それが介護保険の考え方なのです。そういう意味で財政支援はするが、しかし国が直接介入することはしないというのが今の高齢者福祉の考え方で、その考え方自体は間違えていないと思うのです。
 おっしゃっていることは国がもっと評価機関を作れということでしょうか。そうなると文科省がやっている大学評価機構のようなものになってしまい、さて、それがいいのかどうか。

問:特に、社会福祉施設関係の第三者評価について、東京都が先行して事業化を進めているのですが、厚労省や東京都が評価基準に介入してくる。試験的にやっているのにもかかわらず、施行した評価機関の提言を受けるわけでもなく、利用者やNPOの意見を聞くわけでもなく、ましてや事業者の意見を聞くことなくという状態で事態が進んでいる。

八代:自治体が官製の評価基準を押し付けるということは問題ですね。それに対抗して、NPOがもっと多様な評価基準をネットで出すとか、官製の評価自体を評価していく。介護施設の評価というのは非常に難しいのが、利用者に聞いたら本当に正しいのかどうかもよく分からないことで、極端な開きがある。すごくいいと答えた人は前はひどいところにいたから相対的に良いと答えたのかもしれず、非常に個人の体験に依存する面があって、そこだけに依存するのもリスキーである。やはり専門的な知識のある人がきちっと評価していく、そういう試行錯誤で積み重ねないといけないと思います。評価の手法をもっと合理的にやっていくような仕組みを作っていかなければいけないというのが規制改革のひとつのポイントであると思います。

問:医療制度で、長野県が病床規制を外すという特区の申請をして、ものの見事に蹴飛ばされたが、これは結局財政の話など全部が絡まってくる。そういうことについて実験的に、健康保険制度も地域保険のような形で実験的にやるということは考えられないか。

八代:病床規制というのはそれを外すとどんどん病床が増えて医療費が膨らむということですけど、長野県というのは元々医療費が低いところですよね。同じように混合診療特区ということもあって、それもおそらく蹴飛ばされたと思うのですが、混合診療を認めたら医療費が膨らむと厚労省はいうわけですが、これは反論もあって、逆に減るという意見もあるのですね。だからそういうものこそ実験しないといけない。われわれも株式会社にあまりにもこだわりすぎたという反省もあり、また、批判も受けているところです。
 提案の受付は1年に2回ありますから、1度蹴飛ばされたからといってあきらめることはせずに、次の機会にも出してもらいたい。混合診療特区と病床規制撤廃特区というものはアイデアとして非常にいいと思いますね。まさにそれこそ実験に値することです。厚労省は医療は全国一律でなければいけないという頑なな考え方であって、ベストの制度を作るためにどうしたらいいかという発想がない。ベストの制度は厚労省で議論して決めるということなのですよね。
 これは医師会がまさにそういう考え方で、特区を作るときに猛烈に反論したのが医師会と農協と連合でありまして、それはやはり審議会で全国一律の組織がそこで制度を作るというのに慣れ切った組織なのです。そうではなくて医師会や農協や連合の中でも多様な意見があるわけで、なぜそれを地方の一部だけでもやってみないのかというわけですけど、それをやると全国組織の崩壊につながるのではないか。現に、医師会などはずいぶん地域で反乱が起こっていますので、混合診療については、日医は反対していますけど、地域の医師会はずいぶん賛成しているところもあるわけで、まさにそれが怖いのだというふうに私は思っています。病床規制もあれを長野で外したらほかで外せという声が出てくることを厚労省は恐れているのだと思いますね。そこはまさに、医療費の削減に役に立つかどうかをチェックするのであって、逆に医療費が増えたら即刻止めるという条件付でやればいいと思うのですね。

問:財政支援は駄目だということについて、そこを拡大解釈して財政にちょっとでも関わることはみんな門前払いしているのではないか。

八代:口実に使っているところはありますね。教育特区で株式会社大学を作ることはいいが、私学助成金は出さない、それは財政に関わることだからというように文科省はいって、それはとんでもないといったのですが、特区だから特別財政の手当てをするというのはいけないわけで、私学助成金みたいに学校には一律に出すものであればそれは特区でも出さなければおかしいので、そういう曲解をしている場合もあるわけです。それは文科省は取り下げましたが、別の理由で駄目だといっています。私学助成金は株式会社の配当に回るからけしからんと。そういうことをいうわけで、じゃあ銀行への金利返済にまわったらいいのかということをいっているのですが。

問:医療分野で先進的な医療、質の高い医療をどうするかということだが、これを保険から外しても、今の儲け主義の集団ということを考えると、儲ける手段を考えるということになるのではないか。混合治療ではなく、総額の保険料の抑制とか参入規制の撤廃という分野で、コストの削減と質の向上を図るべきなのではないか。
 それと、幼保の一元化について、幼小の一元はできるというか進めようという話で、保小の一元化もできると聞いているが、それでなぜ幼保ができないのか。それならいっそのこと幼保小の一元化をやってほしいと考えているが、これは特区ということではなく規制改革の流れで進めてもらいたい。

八代:最初の医療のことですが、保険から外すという意味が誤解を生むと思うのです。混合治療は保険を一切使わないということではなく、公的保険は当然使うわけです。ただ、それと上乗せする部分を自由に組み合わせるというのが混合診療の考え方で、一番分かりやすい例は歯医者に行ったときに、虫歯の治療をする際、合金を使うのなら保険で全てカバーできるのですね。合金だとわれわれ中年ならどうということもないのですが、そうでない人の場合はみっともないというときにきれいな歯を入れる分だけ実費で負担する。きれいな歯を入れてくれるというのが混合診療であって、こういう選択性のあるものが混合診療のひとつであるわけです。現在、歯医者など例外的なもの、差額ベッドなどが原則禁止されているわけです。それによって、さまざまな矛盾が起こっている。先日のNHKのディベートでも出た例で、乳がんの手術をしたときに、乳房を取ってしまう。取ったあと、そうすると体型がおかしくなるので、整形外科をして代わりのものをくっ付けるのですね。これを一時にやってしまうと混合診療になってしまう。つまり、がんの手術は公的保険で面倒を見てくれるのですが、整形手術は当然自由診療で保険が効かない。これを一時にやると全額がんの手術まで自己負担になってしまう。混合診療は許されないから、全額自分でやれということになるのですね。なら、どうすればいいのかというと、2回手術することになる。1回はがんの手術だけやって乳房を取ってしまう。半年ほどおいて、また乳房をつけるための整形手術すると整形外科の分だけ自己負担すればいいと。これが混合診療禁止をくぐるために、現にやられていることですね。このような馬鹿馬鹿しいことを止めて、まさに一度の手術であれば身体に対する負担も少なくなるし、結果としての医療費はそれだけ少なくなるわけです。そのほうが総額の医療費は結果的に減るわけで、そういうことがいっぱいあるわけです。ですから、先ほどいった日常生活の延長、質の高い医療というのも、今の公的保険を減らすということではなく、今の公的保険は基本的に維持したまま、今後どんどんできるであろうさまざまな多様なものについて、たとえばそこは自由診療の対象にしておいて、しかもそれを自由に組み込めるというのがポイントですね。
 つまり、どこの国でもそうですが保険というのは財源に限りがありますから、何にでも使うことができない。アメリカでもやっているのは、保険でカバーできるのはこれだけですよ、きれいな歯のように、これ以上のことをしたければあとは自分で実費を負担してくださいと。ところが、日本の混合診療禁止の論理はわがままをいってきれいな歯を入れるのなら、全額保険診療で効くものまで自分で負担しなさいというようなことになってて、これはひどいことではないかということです。ですから、介護保険と似ているのですが、介護保険で与えられるものは万人共通であって、それにアディショナルなものを付けるのは個人の自由ですよという形でやっていくと。結果的に、それで医療費が増えるかどうかは分からないのですね。むしろ、乳がんのときのように減る場合もあるわけです。ですから、そのほうが総額抑制よりもずっといいのではないだろうかということです。
 質の高いといってもきりがないわけで、遺伝子治療などやりだしたらいくらでもお金がかかるわけで、そこは自分の積み立てたお金で対応せざるをえないのではないか。シンガポールではそういうやり方を取ってます。ですから、万人にすべて最善の医療を行うというのは基本的に無理なわけで、どこかで線をつけなければいけない、その線をできるだけ高く付ける、そのあとも現状維持されることはしないというのが混合診療の考え方であるということを理解していただきたいと思います。
 幼保一元化については、先ほどの保小というのは知らないのですが、何が妨げになっているのかというと、文科省はそれほど反対してないので、厚労省が反対しているのですね。保育所のほうがはるかに多くの補助金を出しているために、幼稚園の補助金は微々たるものですから。そういう意味で逆に保小ということになると、小学校にも膨大な補助金をそのまま出してしまうことになるわけで、そこが財源的に難しいのかなということになっています。ですから、どういう形で一元化するかというのは難しいわけですが、保育所は0歳児から2歳と、3歳児4歳児5歳児ではぜんぜん額が違うのです。その意味で、5歳児6歳児だとあまりコストもかからないわけで、事実上それほど差がないわけですから、高学年の子どもというか5歳児6歳児については一元化してもそれほど問題もないわけで、問題は0歳児から3歳児までなのです。これをどうするのかというのが非常に難しいわけです。あと、幼稚園と保育所の施設基準はかなり違っているわけで、それを統一化する。それから、補助金についても思い切って、0歳児から3歳児までを保育園と考えて、それ以上は逆にいえば、幼稚園でもあるし保育園でもあるような、預かりをベースにして教育もやるというような第3の仕組みを作っていくというのが、ひとつの妥協かなという形で、金の問題をどう調整するのかについて、今一番の対立点があるように聞いております。ただ、小学校と一体化すると解決するかというと、必ずしもそうではないかなと思うのですが。

問:日本の医療保険では、ほかの先進国と比べて、カバーする範囲が決して広くない、先進治療に消極的だというふうに聞いているが、それが事実だとすれば、混合治療の導入によって今の段階で消極的なものが結局そのまま固定されるのではないか。

八代:ほかの先進国と比べて日本の高度先進医療のカバー率が低いかどうかは一概にいえないと思います。アメリカの公的保険、メディケア、メディケイドというのは日本と比べて自己負担率はかなり高いですね。だから、自己負担分をカバーする保険をつけないといけない状況で、ヨーロッパではカバー率は高いけど、実質的にすごく待たされるというケースもあってですね、なかなかカバー率だけでは分からない。イギリスでは制度はいいのですが、実際には1年も2年も待たされてその間に死ぬか、あるいは自分で民間でやるかのどちらかでやらないといけないというかなり悲惨な状況らしいと聞いてますから、その意味でフランス、ドイツがどうなっているかよく分かりませんが、ドイツでもかなり危機的な状況にあるということで、高度先進医療をどこまで入れるかというのは、どこかで線を入れないといけないのではないか。そこは専門家であるお医者さんがここは絶対必要な高度先進医療で、こっちはそうでもないのだということをきちっと議論しないといけないのですが、今は議論すること自体が禁止されていまして、全てをカバーしないといけない、しかし財源がないから待ってくれという状況で、その中途である混合診療的なものが厚労省が決めた特定療養費というごく一部のもの以外は認められないという状況にある。ですから、その議論をしている間でも、もっと混合診療の対象範囲を幅広く認めるほうが、むしろ患者から見れば、今は当然保険で面倒を見られている分まで実は自己負担しなければいけないというのが現状なので、それをなんとか早急にカバーしなければいけないということだと思います。

問:規制改革の進め方についてですが、規制改革は必要だが実際に進めるのは難しい。で、改革を進めやすいところと、進めにくいところができてくる。とりあえずは進めやすいところから進めて、全体に波及させていくということだと思うが、信念を持って今の規制をやっている人もいるわけで、本来規制改革を進めるべきところについては、どのようにして進めていけばいいのか。

八代:どうしたら国をよくできるかの考え方があまりにも違っているために、なかなか全国一本では進まない。いわば、国をよくする方法を競うというか、そういうある意味では本来やるべき考え方でやっているのが、特区だろうと思うわけです。進めにくいところからやるというのは、おっしゃるとおり、それしかないわけです。
 信念を持って今の規制をやっている人もいるということですけど、必ずしもそうではない。私の理解では、医療問題でも一番医療改革に熱心なのはお医者さんなのですね。現場のお医者さんが一番矛盾を感じているわけです。現場のお医者さんの声が全国的な組織である日医には届いていない。これは組織の中に利害対立があるわけです。ですから、医療の分野はお医者さんの協力なしにはできないものですから、改革したいお医者さんと協力することで、医療の改革を進める。ただ、それだと部分的にしかできない。それを地域の医師会と協力してその地域だけでも新しいことをやってみようというのが、特区のメカニズムだと思うのですね。同じことは農協でも労働組合でもそうですし、全国ではできないことを地域でやる。なぜ地域でやるのかというと、そこはやはり熱心な首長さんがいて熱心な改革派の医師会の人がいて、その組み合わせがあればそこでできるわけです。神戸などはそのひとつの例だと思います。
 それを姑息というか、そのようなことしかできないのかということですけど、まさにそこをしなければ全国的にはなかなか動けないというのが現状ですから、アリの一穴からそこをつぶしていこう、そうすれば、それを見てほかもどんどん真似していくという形で、穴を広げていくということかと思います。それが競争的な手段で国をよくしていくということではないか。賢人政治があれば一番簡単なわけですが、トップダウンで国を変えるというのは難しいし、やりすぎると独裁国家になってしまうわけで、こういうやり方しかないということです。
 ただ、自治体から変えていくというのは、遅いようでいてひとつの着実な方法で、この特区を作って自治体の人とも意見交換したのですが、ある自治体の人がいわれたことは印象的で、これまで自治体の役人にとって、規制、法律は国から降ってくるもので、それをいくら矛盾があると思っても現場では使わざるをえなかった。しかし、この特区法ができたことで、大げさにいえば日本のある村の役場の人が考えたことが、国の法律になる可能性があるわけです。役場の人が考えたことを規制の特例措置という形で特区室が認めて、それがうまくいけば全国の法律になるわけですから、そういう意味では参加意識というか、一市町村の公務員の考えたことが国全体の制度になりうるようなルートができたといのがある意味で地方分権のひとつの要素になるのではないかと。これはもちろん理想論であって、実際にできるということとは違うのですが、そういう意味で参加意識を高めたことは間違いないと思います。

問:地方分権の大きな制度改革、課税権などに特区的方式を持ち込むとすると、どういうアイデアがあるのかというのをお聞きしたい。

八代:私は地方分権のほうは必ずしも専門家ではないのですが、特区方式を当てはめるとしたら、今議論されている国庫補助金は7割か8割カットして、その代わり地方交付税をこれだけ出して財源をこれだけ移譲するというのを、たとえば、大阪府でやってみる、。それでは絶対に駄目だといって反対しているところが多いと思うのですが、見方を変えれば、国庫補助金というのは非常に使い道が限定されていて、使いにくいもので、かえって高くつくという話も聞くわけで、むしろ8割で残り2割くらいは合理化の余地があるのではないか、それくらいならむしろひも付きでないお金をもらったほうが地方の創意工夫でなんとかなるのではないかというふうに考える自治体があるかもしれない。そうすると、その自治体が手を上げたとき、今のアイデアを先行的にやってみるということも理論的にはありうると思います。ただもちろん、交付金は国の制度ですから、特定の自治体だけ変えるのは駄目だと自治省(総務省)はいうと思いますが、ただまさに財政制度自体であってもやってみないといいかどうか分からないわけで、それを国が強制してどこかの府県にやらせるとなると、地方分権に反しますが、手を上げたところにやらせてみるということができればひとつの特区的手法になるかと思いますが、なかなか難しいかと思います。たとえば、消費税などを自治体が自由に変えることができる、たとえばアメリカの州みたいに、そういうアイデアもあるわけですが、今の5%をある自治体だけ7%にして、その代わり所得税をその自治体だけ下げると。そうなると、住民とビジネス活動にどう影響を与えるかは、やってみて初めて分かることで。それは財務省は絶対、税の公平性から駄目だというに決まっていますが。ただ、アメリカの州などでは実にいろいろなことをやっていて、それがアメリカ経済の活性化につながっているわけで、なぜ日本でそれができないのかなという気がします。

問:地方発で規制緩和を実験的に広げるということは、10年位前にパイロット自治体なども既にやったわけだが、その制度を見てもほとんど持続しなかったか、あるいはどうなったかも国民的関心もなく、その成果についてもマスコミも取り上げていない。今回の特区が、地方自治体から改革の具体的提案を出して、それを競わせるという発想が定着するのかどうか、国民的関心も持続するかのどうか、悲観的に思えるが、そこをどういうふうにその制度をフォローしていくのか。

八代:パイロット自治体と今回の特区との共通点もありますが、相違点のほうが大きいのではないか。必ずしも私も十分にフォローしているわけではないですが、パイロット自治体は国と地方との行政手続きというか事務というか、あまり一般の人とは関係のないような次元で議論されていた面があるのではないかと思いますが、特区のほうは学校を作るとか、新しい形の農地を作るとか、具体的に目に見えるもので、それだけ人々の関心も強いのではないか。それと、過去10年か15年の間に、自治体で、元気のいい首長さんとか知事さんはずいぶん出てきて、国に平気で楯突くような人もどんどんでてきているわけで、かつてよりも意識は変わっているのかなという気もします。
 それから評価ですけど、恐れているのは具体的な効果が実証されない限り全国展開しないという形で、特区が全国展開を阻むような道具になってはいけないということで、効果があれば当然いいわけですが、仮になくてもさしたる弊害がなければ全国展開するという方針にしないと、なかなか進まないのではないか。ある意味で、特区は早くなくなったほうがいいのですね。つまり、なくなるという意味は全国展開して特区の意味がなくなると、そういう方式に持っていくべきで、あまり特区が永遠と続いても困るわけで、これはあくまでも過渡的なやり方である。本来は全国的な改革が望ましいけども、それができないからいわば非常手段として考えるべきものではないかということですね。規制改革会議でも賛否両論ありまして、あまりこういう特区に頼るのはよくなくて、むしろ正々堂々とやるべきだという意見もありまして、そこはなかなか両面があるということです。ですから、あまり過大な期待というか、特区だらけになってはいけないと。その点は、本当に特区に値するものをこれから作っていくのだということです。そこは試行錯誤でやっていかなければならないのですね。