シリーズ討論目次に戻る TOPに戻る 
シリーズ討論

構造改革とはなにか― マイクロストラクチャーによるガバナンス―

経済評論家 田中直毅
国民会議ニュース2001年06・07月号所収

国民会議では6月25日、第24回定時総会を開催し、別掲の予算を決定いたしましたが、引き続き、経済評論家の田中直毅氏から「構造改革とはなにか」について講演いただき、そのあと自由な意見交換を行いました。以下、その模様をご報告いたします。なお、文責はすべて事務局にあります。


1 田中直毅氏 講演概要
80年代はグローバリズムの時代
マネタリズムの終焉
マーケットへの無理解
なぜ日本は一国主義なのか
政府の政策が効かなくなった
マイクロストラクチャーによるガバナンス
ガバナンスの働かない例

2 質疑応答・意見交換



1 田中直毅氏 講演概要


80年代はグローバリズムの時代
土光臨調発足の81年からの20年間は、日本にとって一言で言えば、グローバリズム、グローバルインパクトが政策の意思決定過程の背後に滔々と入ってきた時代だと思います。ところが、われわれはそうしたグローバリズムを本格的に受け止める土俵をどうも知的に欠いていたと思っています。
たとえば、1988年にそれまで書いてきた国際経済に関する論文をまとめた本にグローバルエコノミーという題をつけました。そのときにグローバルエコノミーという題の本や論文が他にもあるかと思って調べてみましたが、英語の作品でもその名前は見つかりませんでした。そのあと89年、90年の頃にグローバル・ポリティカルエコノミーという英語の文献が出るようになりました。
ということで、私はグローバルエコノミーというのが80年代の大きな特徴だと思っているのですが、その時に中心的にあげたのは1984年という年のアメリカ経済の異常性であります。

マネタリズムの終焉
アメリカ経済もある時期までは、国際社会との関係を抜きにして自国の経済を議論するということが基本的なパターンでした。たとえば、70年代 から80年代の初めにかけて猖獗を極めるごとく世界中がマネタリズムで溢れました。これはマネーサプライを出し続けて18ヶ月ぐらい経つと、名目成長率の場合もあればインフレ率の場合もありますが、いずれにせよ過熱状態になります。したがってその後は中央銀行が引き締めに入らざるを得なくなります。つまり、簡単にいうと、マネタリズムとはマネーサプライは安定的に出した方がいいという規範命題みたいなものだったわけです。これは1970年代初めの世界的なインフレ、例えばオイルショックを引き起こした財に対する超過需要などが背景にあったので、10年間、マネタリズムが世界を制覇することになったわけです。
そういう意味では80年代前半のミルトン・フリードマンという人は当たるところ敵なしという状況でした。彼がコンセプチャルに出したものは、全て現実世界が拾い上げていくという時代だったわけです。変動相場制がそうですし、教育についてもバウチャーがそうですし、それからフラットレイト・インカムタックス(flat rate income tax)、つまりできるだけ所得税率を一本化あるいは非常に簡素化したほうがいいというものですが、これらがどんどん政策過程に入りました。それから多分一番疑問なく受け入れられたのがマネタリズムです。中央銀行というのは少しかったるいので、マネタリストグループというのがシャドウコミッティというものを作り、中央銀行はとろいことをやっているから叩かなくてはだめだと、あたかも与党と野党のようにやったわけです。
ミルトン・フリードマンはこの80年代前半にこのマネタリズムを前提として予測をして、1984年に退場します。なぜかというと82年の夏にメキシコの中央銀行総裁が当時のボルカー議長に電話をして、金庫に金がない、明日からデフォルトだと言った。これは大変だということでメキシコにドルをつぎ込んだのですが、しかし輸血するときには金利が高くては返せないので、ドルの金利は下げてやるということで、結局、アメリカは大幅な金融緩和に入りました。これが82年の夏です。この結果、82年の暮れから83年にかけてマネーサプライが非常に増えたので、フリードマン先生は、それ見たことか、これで84年は景気過熱になると大キャンペーンを張ったわけです。もうご高齢でしたが、なにしろものすごい勢いでしたから、皆フリードマンが話せば聴くという状態でした。84年は大変だ、景気後退だということで、皆身を縮めるように83年頃から始めたのです。そのときご存知のように、いくら予想してもいつも間違えるというドル高がおこりました。
経済予測は1月の予測がいつも当たりません。なぜいつも1月が当たらないのかというのは不思議な話ですが、要するに忙しい世界の経営者もクリスマス休暇を取るらしく、そうすると日常の延長線上の話ではなく、少しはいいことを考えて、皆大方針を立てる訳です。その結果、これまでは変だったけれども今度こそはドルは下がると言い出すわけです。81年も82年も83年も84年も、毎年1月になると今度こそはドルが下がるといって、しかしそれが覆されてきたのです。
こうした異常なドル高が続く中で、世界中がアメリカのマーケットにものを持ってきたわけです。カナダはアルミ、日本は自動車、北欧は紙パルプを持ってきました。とにかく世界上が色々なものをアメリカに持ってきました。フリードマン先生が84年はだめだ調整だというので、これは大変だ、アメリカの景気は良かったのに、持っていたものが在庫増になったら大変なことになるということで、持っていったものはもちろん叩き売りましたし、生産在庫も早く捌けさせるために値段を下げてアメリカにもって行きました。そのときもちろんドル高だったので、アメリカのマーケットはあっという間に叩き潰されるがごとくインフレ期待が冷やしこまれたのです。アルゼンチンなどはここぞとばかりに小麦をこの際とばかりにどっと持ってくるわけです。そうすると借金をして規模を拡大していたアメリカの農家は安い小麦やとうもろこしでいっぺんにだめになってしまいました。値段が安くてアメリカの農家から悲鳴があがるようなことがおきたのです。ここでマネーサプライを通じての予測が完全にアウトになりました。
日本ではいくら経済の骨格の読み間違いをしても、エコノミストは存在します。エコノミストというのは許可業種でもありませんし、医師免許を取るわけでもないので、いくら誤診ややぶをやっていても、エコノミストといっている限りはエコノミストでいられる職業です。それでも多少のフィルタリングは働いているのではないかと期待していますが…..。しかし、そのような職業でもさすがフリードマンはもうマネタリズムは駄目だといってやめました。
いってみればマネタリズムは一国貨幣主義なのです。こうしてマネタリズムは84年に打ち落とされることになりました。この年は卸売り物価がほぼゼロないし若干のマイナスで、実質成長率は7%台という異常値中の異常値でした。もうフリードマンは歴史の彼方に消えたわけです。

マーケットへの無理解
問題は日本です。日本は一国主義がいつまでたっても消えません。ですから本の題名をグローバルエコノミーという題にしたわけですが、私の書いたものはそれほどインパクトがなかったのでしょうか、グローバルな政策形成過程を考えなくてはいけないという議論は、それほど私の業界では起きませんでた。
なぜ、わが国で一国主義が根強いのかということですが、これは土光臨調でもそういう枠組でした。土光さんは当時の大蔵大臣の渡辺美智雄という人を大変買っていまして、また、その直前に亡くなった大平さんも渡辺さんを買っていました。なぜかというと彼の説得能力ならいまでいう消費税、つまり増税が可能になるのではないかと思ったからです。大蔵大臣というのは財政再建のためにとにかく手元の状態を誤解なく国民に知らせて、それで増税をできる人がいいわけですから、そうすると彼くらいしかいなかったというのが大平さんの認定でしたし、どうも土光さんもそうだったのではないかと私は思っています。
ところが渡辺さんという人は、説得能力は確かに高い人ですが、例えば国債、つまり国の債務については彼はマーケットというものをまったく信じていない人でした。当時、国債はなかなか捌けませんでした。なぜ捌けなかったかというと、円が安い、そしてやはりインフレというのはやはりいつも引っかかる要因でしたから、国債を保有するというのは当時シンジケート団を組んでいた銀行や一部証券会社は厄介なものを政府から押しつけられている意識でした。ですから、常に売り放したいわけです。ドル高円安時代では債券価格はいつも不安定を抱えているわけです。ですから、国債は押しつけられた嫌な商品でした。あんまり捌けが悪いので、渡辺さんは当時、銀行に売らすなといいました。ずっと満期まで持っていろということです。今で言えば価格変動リスクを銀行が抱えろという話で、リスクマネージメント業ということで銀行が成り立ってきたことを考えると、到底許される話ではなかったわけです。彼のロジックは、「これだけ銀行の面倒を見てきたのだから、気にいらない商品だからといって、マーケットに出すというのは何事だ」というものでしたし、遂には「利払いを受けられると思うな、それ位の気持ちで国債を抱け」と恫喝したのです。これがマーケットでショックになって、遂に世界のマーケットが日本国の国債など買うものではないという風潮がおこって、値段が下がったのです。彼のマーケットに対する意識というのはそのくらいの程度のものだったのです。
なぜ今そんなことを言うかというと、バブルの崩壊後の今日に至るまでもコンテクストは同じなのです。リスク、バランスシートをどうマネージするか、また、ガバナンスというのは国がやるのではなくて個々の経済単位がやることだということがついぞ根付かなかった。これが今日の日本の問題です。
日本での構造改革というのは、ガバナンスをマイクストラクチャー単位で作り上げることなのです。それが日本の国家というもの、あるいは国家を構成する重要な単位の間の貸し借りというガバナンスからマイクロストラクチャー(要するに個々の意思決定単位のことですが)、家計とか企業とか銀行などの単位ごとにリスクを評価することが不可欠ですし、そこでは必要なガバナンスつまり統治が貫徹されなければならないのです。貫徹させるためには色々な意味でのインセンティブというものも設計していくことが不可欠です。政府の賢明さとか善意、そして大企業や経営者団体や大手の組合など巨大単位の判断に預けるのではなく、それぞれの意思決定単位ごとに、取れるリスクとそこで貫徹しなければいけない統治の仕組みを入れていく。構造改革とはいまそこに行こうとしていることだと理解すべきであると思っています。

なぜ日本は一国主義なのか
なぜ他の国で日本のような雑な仕組みからの離脱ができて、日本はできなかったのかといことについて、これは日本がうまくいっていたからだという人がいますが、私はこれはあまり信じていません。われわれの知性、もう少し物事を深く考える習慣あるいは深く考える人に敬意を払う習慣がどの程度我々にあったのかということに関わってくると思うのです。
理由としては3つ挙げることができると思います。1つは、古い時代の順からいくと、社会主義が強かったということです。国家独占資本主義という規定があったこともあります。ひょっとしたら理解が間違えているかもしれないが、一国社会主義というのはソ連邦の結成と共に出てきます。トロツキーは大変立派な人で、そのパーセプションにおいては20世紀でこれと並ぶひとは何人もいないのではないかと思うのですが、そのトロツキーがトロツキストといわれて排除されて、脆弱な構造だったソ連邦が一国社会主義に入ります。そういう中で社会主義についての考え方も、スターリンの影響を非常に強く受けたのではないかと思いますが、国家という概念が社会主義の中で大変根強くなってきました。社会主義にもいろいろな社会主義があったのだと思いますけれども、日本の知的風土の中ではこの一国社会主義というものが大変強く影響しました。国家独占資本主義という概念も、本来グローバルな性格を持った資本主義に国家の概念を強く絡ませたもので、こうした影響によって生まれたものと思われます。
また、日本のいわゆるケインジアン・エコノミックスというものも、完全な一国主義です。ケインズ自身が管理通貨制度だから一国主義だろうという人がいます。確かにそういう面もなくはないですが、しかしケインズはもともと貨幣論(Treates on Money)という統計学的な貨幣のありようを研究してきた人で、一国主義ということではないのですが、当時の便宜主義からすると大恐慌の下でとりあえずグローバルな国家システムがありませんので、当時徴税権を含めて歳出を決められるのはそれぞれの国だけですから、一国主義になるわけです。歳出を増やして何とか大不況の歯止めをしろということになります。
これが日本に入ってきてどういう議論になったかというと、ある種の不況恐怖症になりました。無駄の正当化ですね。つまり不況を避けるためには無駄でもなんでもやっていてのいいということです。ケインズも、ごく異常な時期には穴を掘って穴を埋めるということもやっていいと確かに「一般理論」に書いているのですが、それは貨幣選好というものが無限大になるような極限的な状況、要するに利子生活者(利子で食って投資をしないようなもの)には安楽往生をさせるしかないというようなまったく投資が止まる状況(だからアニマルスピリットが必要だというのですが)、そういう状況においては穴を掘って埋めて、掘って埋めてでもいいといっているにすぎません。しかし、日本にはこの一行の部分だけが入ったために、不況回避のためには無駄をしてもいい考えられてしまいました。例えば釣堀にしかならないような漁港を強大なコンクリートの塊で作るなど、ケインズが日本の現状を見たら、だれが庭先漁港を作れと言ったと呆れるに違いありません。今は金利ゼロではないか、利子生活者の安楽往生を日本で遂に実現しつつある。だから、今なら庭先漁港で釣堀作ってもいいではないかという議論をする人もいるかもしれませんが、ケインズは実は別なことも言っているのです。
そうした議論は別にして、要するに不況回避のための無駄の公認という概念がこれほど容認された国はないのです。なぜ、こうなったのか。多分ある時期から国家独占資本主義とケインジアン・エコノミックスが一体化したのではないかと思うのです。それを野合というのではないかと思います。これが日本におけるグローバルインパクトというものを受けきれない非常に大きな原因だったと思います。
それから、3番目に、これは経済理論でいえばハイカラさんになりますが、変動相場制をとれば隔離効果があるという議論があります。フリードマンがいったのはまさにこれでして、変動相場制をとれば隔離効果があるから、要するに水際で為替レートの変動を通じてグローバルインパクトが遮断できるというのです。隔壁を作って、内側に独自の経済運営ができるのだという論文を書いていました。隔離効果はないといってこれをひっくり返すにはマンデル・フレミングモデルが出てくることが必要だったのですが、マンデルはおかげで2年ほど前にノーベル経済学賞をもらいました。ノーベル賞委員会はそれぐらいのインパクトがあったと認めたわけです。ところがマンデルの前で勉強をやめた人が非常多い。小学校の先生には資格が必要ですが、大学の先生には資格が要らないというのも変な話です。もちろん、資格がなくてもいいと思いますけれども、契約を更改するときにはちゃんと新しいことも勉強しているかどうかをチェックしたほうがいいと思うのです。ある時から知識を入れることをやめてしまった人たちが講義をやっているものですから、変動相場制だから大丈夫だ、隔離しているのだから一国主義で大丈夫だという議論があって、これもグローバルインパクトを妨げる要因になりました。というよりも、80年代から90年代にかけて、これを知的に認識することができなかったのです。
今いった国家独占資本主義、それからケインジアン・エコノミックス、変動相場制の下における隔離効果、この3つの要因が、グローバルインパクトなど考える必要がない、多少横文字が読めるやつ、それが得意なやつ、あるいはそれしか能がないやつがやっていればいいという状況をもたらしました。これがその後の大敗北の主な原因です。

政府の政策が効かなくなった
マンデル・フレミングモデルはどういう現実から来ているかというと、その前のケインズとフリードマンの野合のような形の理論体系にたいして、それは価格の硬直性を前提とし、数量調整を頭に置いた議論だと考えるわけです。現実には、国境を越えて極めて早い価格調整が行われているではないか、この価格調整を前提に考えれば、政策の効果というのは断然別であるというのがマンデル・フレミングモデルです。とりわけ価格調整でも足が早いのはキャピタルマーケットで、日々の取引で国債や為替レート、金利などが決定されていきます。これだけ早い価格調整が行われるところでは、財政支出は効かないという議論なのです。財政支出が効くということは一国モデルでして、政府が歳出を増やすと需要が増える。そうすると景気が良くなる、雑に言えばそういう話ですが、それに対してマンデルフレミングモデルというのは、数量効果というのは実は効きが悪い、価格の硬直性とは嘘である。価格は動く、為替も金利も動く。そうすると、財政支出を増やすと発表すると景気が良くなるのか、あるいは過熱の可能性も長い目で見るとあるのかということになると、実際には金利変動を呼び起こし、この金利変動が為替需給に響いて、財政赤字を増やしたところは為替が切り上がるわけです。
80年代前半のアメリカは先ほど言いましたように、私もその当時経済予測をしていましたが、為替レート予測で敗戦につづく敗戦を喫しました。ある石油会社の社長が「君の言っていることはいつも間違っているじゃないか。君の言うことの反対をすればいいということなのか」と言われたことがあるくらいで、私も相当落ち込んだことがありました。それは今言いましたように、アメリカであそこまでドルが高くなったのかという疑問に対して行き着くのは、マンデルフレミングモデルでした。しかし、価格調整と数量調整どちらが効くか、財政支出が効くか、効かないかというのは、当時はまだ理論上の問題だったのです。理論上というのは検証されないということです。自分でも習い覚えてきた筋肉からいくと、財政支出はやはりある程度数量で効くと考え、そうすると自然と調整メカニズムが働くから一方的に為替が下落するばかりではないと考えたわけです。ところが、アメリカでそれを越える政策が行われますと、結局負けてしまうわけです。ずっと負けて、常に土俵下に転落していることになり、いつも押し込められているというのがこの時期円が辿った道になります。このような状況下から財政支出というものは効果がでない、という結論に達しました。
しかし、ここからまたもう一度ケインズのいったことを思い浮かべることができます。ケインズは大変な知識人で、当時世界の知性の宝庫であったケンブリッジにいた人ですが、他の人からみるとどうも近寄りがたい存在だったようです。
ハーベイ・ロード仮説というものがあります。どこにあるのか知りませんが、このハーベイ・ロードに住むような賢い人が政府をのっとってしまえば、その賢い政府に国民が判断を委ねることになり、国民は政府のいうとおりに動くということになります。つまり政府が財政支出を増やせば景気が回復するという考え方です。それによって皆さんの生活が良くなるので、それぞれの消費については個々人で決めてもらうことになります。このようにハーベ意・ロード仮説では、IQの高い人が政府をのっとってしまえば後は、皆それに依存すればいいというスキームです。
しかしある時期から、政府というのは賢くない、政府がやることを市場は先回りしている。今歳出を増やせばその後は増税だろうと見抜いているという考えが出てきました。今期は財政赤字で歳出を増やすが、その次の期は増税するということになれば、我々がそれに対して合理的にやろうとおもったら、政府のいうことなど聞いていられないことになります。次が増税ならばそれを前提に行動すればいいということになると、たまたま今年政府から仕事をもらっていても、次に増税が来ることが分っていると、どうしても財布の紐を締めることになるわけです。この反応は非合理的かというと、全く合理的な反応です。実は一人一人の経済単位がそのようなことを考えているのですよということになると、政策そのものが効果を持たなくなります。これは、ルーカスというノーベル経済学者が合理的期待として提示したことですが、なぜそのような簡単な理屈に先輩たちは気がつかなかったのか、こんなことでノーベル賞をもらえるとはとろい話だといまの若い世代は思っております。
この考え方によれば、政府の政策が効果を持つためには、「エーッ!」と驚くようなランダムショックが必要になります。そういう意味では、小泉さんはランダムショックなのではないかと思っております。変人だから効果を持つかもしれない、すぐわかるような常識的な人だと、今はいいことを言っておいて次はすぐに増税するのではないかと、疑われるのです。小泉さんのように、「増税しない、歳出は削る」というのは一種のランダムショックだと思うのです。今回は効果があるかもしれないという議論が(全く)一部で起こっています。政府の言っていることは毎回うそばかりで、言っていることと結果の帳尻が合わない、だから民間側で帳尻を合わせなければならないと国民に思われている今日においては、今回はそういう帳尻合わせはそれほど必要ないのではないか、という議論になってきました。

マイクロストラクチャーによるガバナンス
私が今申し上げているのは、結局のところ80年代から90年代のこの20年間は、政府と民間、どちらが賢者なのだろうかということなのです。それはつまり政府が一方的に賢者といえるのかという議論もありました。それから、政府というもののなかにも、ガバナンスが効くものと効かないものがあるという議論もありました。マイクロストラクチャーの段階でガバナンスを効かせるためには、バランスシートが大切だという話にもなりました。そして、それを監視するシステムも必要だ。しかし、それをだれが監視するのか。会社にとっては、それは株主になります。このような機能をもってすれば全体がうまくいくという話でした。先ほども話したように、経済はマネーサプライを増やしたか、減らしたかという点からはコントロールできないということが分りました。それから、財政支出を増やしたからうまくいく、というのもうそだということが分りました。となると、それでは一体コントロールバリアブルはどこにあるのかということになりますが、その答えは個々にあるいえます。ナショナルエコノミーを構成するのは個々であり、さまざまな大企業が海外で活躍していることを考えればナショナルエコノミーという枠自体、外さなければなりません。そういう意味では、バランスというのは個々の単位でユニットごとに入っていく仕組みにしなければいけないのです。政府が代わって政策をできるという幻想のもとに、政府はけしからんと言ったり、政府はこれをやるべきだとか規制すべきだという議論そのものが成り立たなくなるわけです。
ところが80年代には、バランスシート調整という問題はついに理解できませんでした。1987年頃にバーゼルにおいて、国際的な業務をやっている銀行に対する自己資本比率規制というものが入りました。これに対して日本では、知的レベルに低さなのでしょうか、邦銀が腹切りスワップなどをやっているのがけしからんので、これに枠をつけるために自己資本比率規制を入れたのだというコメントが非常に多くおこなわれました。日本の銀行のほとんどがそう信じていました。しかしこの問題は、この間ちょっと文献をひろってみれば分ることですが、実際にはガバナンスの問題だったのです。銀行という経済単位を制御するにあたって、いちいちこの貸し出しはいいとか悪いとか、そんなことは政府が判断できるわけがないので、銀行にそれぞれ判断させるというものでした。しかし、その銀行をどうやってコントロールするのかといえば、一番よくコントロールできるのは株主だ。なぜならば、株主が持ち込んだ資本というのは銀行が破綻したときに一般債権者に対する支払いに充てられ、もし残った場合は株主分で戻ってくるが、債務超過に陥っていれば、銀行という企業組織の持ち株評価はゼロになってしまう。したがって株主が銀行の経営者の行動に厳しいコントロールを及ぼすから、これでコントロールできるということで国際的に合意が出来たわけです。
グーローバリズムの中で、今までの基準が意味をなさなくなってきた。マネーサプライをなにか特定の数値にコントロールすればなんとかなるというのは、無意味になってきた。また、経済をコントロールするにあたって財政支出を増やしたり、減らしたりすることも効果がない。ガバナンスは個々の単位ごとにしなければいけない。銀行の経営者が追い込まれたら、灰神楽に投ずるようにめちゃくちゃにやるのです。木津信組などは破綻して調べてみたら貸し金の9割が腐っていたのです。なんでこんなでたらめなことをやるのか。要するに鉄火場の心理になってしまたのです。負けが込んできたので、次に大きく張ってバーンと帰ってくることを期待するとまた負ける。やっているうちにハイリスクというかほとんど価値のないところに張るので、ぐちゃぐちゃになるわけです。9割が腐っていたということは、これはガバナンスがきいていなかったと思うのです。信用組合というのは一体どういう仕組みだったのか、株主に相当するものがあったのかを見てみますと、持ち込み資本というものがえらく少ない。銀行は資産と負債の両建てですから、持分というのはこれくらい薄くても、一応みんなが慌てて預金を引き出さない限り回っていくものです。ですがこの木津ではチラシ広告で高い金利をつけてあげますといって、そこいらじゅうから預金を集めて負債をどんどん増やす、そしてそれに見合うような一攫千金的なことにばたばた張っていくことをした結果、9割こけてしまったのです。
なんでこんなことがチェックできなかったのか。ああ、自己資本比率規制とはこういうことだったのか。貸出に対して、持ち込んでいたのがもし2割、3割あれば、持ち込み者がもう少し早く文句を言ったのではないか。それに対してここでは持ち込み者がほんの少ししかいなかったので、当然破綻しても自分のことではないという感覚があったのです。当時は全額保護ですので、納税者の財布でカバーしてくれるならいいやというたぐいの話が罷り通ったわけです。このあたりが、我々がマイクロストラクチャーのレベルにどういうガバナンスをいれるのか。そのためには、評価のシステムはどうでなければいけないのか。そしてひょっとしたらその時のマネージメントをする人に対してはインセンティブが必要だ、という議論につながってきたのです。
80年代に一つ一つそういう議論が積み重なってきました。われわれは喪失の10年とよくいいますが、なにが喪失か。実はこういう考え方が定着しなかったことなのです。土光臨調のときに財政なき再建というのがありましたが、これはマクロストラクチャーの話のわけで、オレの気分には合うなという程度のものであります。


ガバナンスの働かない例
【自治体】
このガバナンスが効かない事例としては、個々にいろいろありますが、例えば地方交付税法という法律があります。自治体ごとに基準財政需要額というものをはじき出して、基準財政収入額からその差額を地方交付税交付金で埋めるという構造になっています。この基準財政需要額というのを見ていただくと分ると思いますが、微細に規定されております。河川、道路、橋梁、小学校、中学校、社会保障等々全てに単位価格があり、それで掛け算をして足し上げてという具合です。本当に日本が貧しかったときには、これはある種社会主義の実践のようなもので、1つの手でありました。
しかし、あるときから国際的にも豊かになった。例えばウルグアイランドのために、農村に公共事業で5兆円とか6兆円とかいう金を使うわけです。これに世界中がびっくりして、日本で農業をやっている人はどのくらいか、専業農家50数万戸と聞くとひっくり返るわけです。ベトナムにおけるインフラがすべて整備できるわけです。とにかく異常な金が使われました。無駄は不況を回避するために不可欠なものであるということの考えのもとに行われました。一方では基準財政需要額をはじいて地方交付税交付金を弾く。しかしだんだん税収が入らなくなると、交付税特別会計という先送りのシステムを作りました。これは、特別会計を作って借金をしていけばいいというもので、誰が返すのかということについては厳密に検討しないまま借りまくる。これがいまや42兆円にまで膨らみました。誰が返すのか、全くおかしな仕組みであります。しかも、市町村が3300あるので、小さい市町村はなにかと金がかかる、村役場に人がいても人口は少ない。しかし国は市町村に特定の仕組みをとることを要請しているので、住民一人あたりの負担が高くついてします。これには段階補正という業界用語があって、これは非常に規模の小さい市町村に村役場の人が多すぎるところには、余分なお金をあげようということです。これを実施してたくさんお金を撒く。 
昔、行革委員会の委員をやっておりましたころ、一日行革委員会というのを熊本でやりました。ある町の町議さんがやってきて、これは皆の前では言えないが、自分の町の町役場があるところから車で25分で5つの町役場にいけることができます、といわれました。もうでたらめです。こんなに必要ないのだけども、すでに町議は食う手段になっていて、みな町議は辞めたくない、合理化などは出来ないと聞かされました。こんなでたらめなことをやっていて、地域が活性化するわけがない、これにメスを加えてくださいと私に言われた。それに対して住民自治なのだからご自分で提案されたらどうですかといったのですが、そんなことをいえば袋叩きに合う。だから、だれか外からきた知らない人が言ってくれた方がいい、というのです。日産のようにゴーンがこなければなにもできないという話で、ではそんなに日本中にゴーンを探せるのかということになりますが、とにかく中からは無理なのだということなのです。
つまり私が申し上げたいのは、ガバナンスが日本では効かない。効かせるという議論はしないということなのです。ですから、構造改革というのは、まずガバナンスがきく仕組みに日本を変えようということだと思うのです。他に頼れるものはないのです。そうすると、ガバナンスを決めているのは評価の仕組みであり、評価を貫徹するためにはインセンティブがいる。その中でガバナンスのためのチェックアンドバランスの仕組みが個々のユニットごとに必要になる。それがないところにはこれから作っていかなくてはならない。

【郵貯】
もうひとつ例を挙げれば、郵政3事業のプロジェクトですが、小泉さんも郵政三事業の民営化のプロジェクトという政策1つで総理大臣になったという本当にめずらしい人ですが、このプロジェクトを考えるということで、わたしもその座長を引き受けました。これに対して私がなにを一番懸念しているかというと、このまま今少なくとも中央省庁を改革し、郵政三事業は一体化で運営して国家公務員でやるということを推し進めれば、無茶苦チャになると考えています。これは郵政3事業が無茶苦茶になるまえに、日本のキャピタルマーケットが無茶苦茶になると思います。郵貯250兆で簡保110兆とか120兆、両方で360兆ということになっているわけですが、これは今までは資金運用部という政府の銀行に預託ということで丸ごと預けていたわけです。かなりいいレート、国債の利回りに0.2%上乗せしてもらっておりましたから、運用の心配はしなくて良かった。しかし、この4月からは財投改革でこの預託が廃止され、7年の経過期間の間は財投債あるいは財投機関債という形で、一挙に回収したりはせずに少しづつやらしてもらうという形になりました。しかし、運用の主体は郵政公社になります。
この郵政公社というのは大変なところになります。なにしろ国債の価格を決めるところになるわけです。今のマーケットの規模を考えてみると分りますが、全国銀行で銀行勘定で貸出金というのは大雑把に500兆円だと考えてください。郵貯、簡保で360兆円、何に運用するか。国債の値段というのは上がったり下がったりしますが、これまでも運用部ショックというのはあったわけです。宮沢さんが今から4年程前に「郵貯もいよいよ高金利のときに多額に預入されたのがあって、これから2年でだんだん出てくる。だから資金運用部の方も資金が心配になるから、今までのように資金運用部で買い切りはできませんね。」と一言いった。これは普通に考えればそうかな、と思われたのでしょう。しかし、あっという間にこの一言で国債の値段が下がりました。資金運用部買い切り廃止となると、だれも持つやつがいなくなる。だったら売れ売れ、ということで一挙に値段が下がった。資金の運用というのは受託者責任というものをすべて負います。例えば年金基金、これはアメリカなどがはっきりしていますが、積み立てている人のためにその運用を知識・腕のすべてを投入して、委託者のために全て責任を負います、というのが受託者責任です。このはどのように果たすことができるかというと、やはり運用ですから、成功するときも失敗することもあるわけです。しかし委託者のために自分の知恵の限りを尽くして働いているということで、たとえロスがでても免責されるのです。おまえの給料で穴埋めをしろとは言わない。ただし委託者のために全て図っているかということはチェックする。例えば日本国の国債を買っていたところ運用部ショックでガーンと値段が下がってしまったというときに、「ごめんなさい、下がってしまいました」だけでは済まないわけです。「日本という国は国債の利回りがマクロの指標では一切予測できない国だ。そんな運用部ショックがあるようなところに、我々の命から2番目に大切なものを置いておいたのか。それは君に責任がある」といわれるわけです。
郵貯は360兆、郵政公社を監督するのは郵政事業庁で、その監督をするのが総務大臣です。こんな仕組みで責任なんか負えません。たとえば、運用方針を誰かがもらしたとしたら、これは大スキャンダルです。インサイダートレーディングですね。池の中の鯨ですから、これが跳ねたり尾をちょっとひゅっとするだけで、ばちゃばちゃと波がおきるようになります。こういうことはありえないのです。日本で国債利回りが動ごくということになれば、世界は資金の運用を日本になどもってきません。したがって日本で資金を調達することなんてできなくなるのです。ものすごくみすぼらしいマーケットになってします。
明治6年だか7年だか、明治政府というのは本当にひどくて、全く信用がない。農民から地租で金を持っていく。大事な働き手を徴兵でもっていく。明治政府の評価というのは非常に低かった。それでも郵便制度を普及させなければならないということで、政府には金も信用もなかった中、前島密が地方の素封家にこれをやってもらおうということで、信用補完してもらったわけです。敷地の片隅に郵便ポストをおき、電信柱なども整備してもらった代わりに国家公務員という資格を与えた。特定郵便局長の話を聞くと、「村の電信柱は全部わたしのおじいさんが建てました。その見返りが今日です」なんて言っていました。まあ国家公務員でやることについては、私は機能上の問題はあまりたいした問題はないと思いますが、一番問題なのは資本市場です。これはどうにもなりません。今までこれが顕在化しなかったのは、全額資金運用部に預託していたからです。資金運用部はそれを道路公団などの特殊法人にどんどんつけていたわけです。だから、いわば国家的な資本蓄積(蓄積といっても穴があいていますから何が蓄積かわかりませんが)、いずれにせよその仕組みのもとに行われていたとことになります。財投改革で預託を廃止したときから、一挙に危うくなったのです。総務大臣や郵政公社の総裁はいくらあっても足りない。すぐ首にするしかない。ありとあらゆることが起きますから、受け手がないのではないかと思います。
私は旧郵政省の人に「本気ですか?誰が総裁をやるのですか。1年間に3つも4つも首をそろえなければいけなくなりますよ。スキャンダルがおきてごらんなさい。今度おきたら大蔵省レベルの話ではないですよ。日本の年金運用している高齢者の方々から足蹴にされますよ。短期的な損失だけでなく、日本で有利な資金運用が出来ない仕組みを作ったということになりますよ」と言っているのですが、あちらは「まだ、そこまで考えたことはない」といっています。
しかし、郵政省の人を笑えないのですね。ここ20年間、日本がやってきたことは全部そういうことなのですから。そういうことを考えれば、構造改革というのはまさにマイクロストラクチャーレベルにおけるガバナンスをどうやって確立するのかということで、そのキックオフがいま始まったのだ、私は考えています。これが小泉さんが出てきたことの理由だと思っています。



2 質疑応答・意見交換



司会:どうもありがとうございました。要は最後に言われたように、構造改革というのはマイクロストラクチャーのレベルにシステムを移すことと、その一つ一つに自動制御システムであるガバナンスを埋め込んでいくことだと、乱暴に要約すれば、そういうことになるでしょうか。それと小泉内閣がキックオフしたという点に、どういう風に話がつながるのか、そこら辺を皆さんが知りたいところだと思うので、もう少しその点についてお話していただければと思います。あるいは、小泉内閣の構造改革のメニューが、それにピッタリ合うものなのか、それとも微妙にずれるものなのか、その辺を補っていただけますか。

田中:小泉さんが30兆円の国債発行額という枠を出しました。これはイギリスやカナダでいうとバジェットスピーチにあたります。政権をとっている首相と大蔵大臣が役人に相談しないで大きな指標を出すのです。それは総額で今年の予算は75兆円にするとか、80兆円などの数字を出すわけです。あるいは国債発行額は30兆円でいけという事もあります。それでやると、あとはそれに合わせて予算がはじき出されます。それに対して文句のある場合は、次の選挙の結果で野党に票を入れるというのが、議院内閣制の原型です。日本はそんなことをやってこなかったじゃないか、という意見があります。そうなのですが、イギリスなどではバジェットスピーチというのはとても重みのある話で、一度言ったら、後は優先順位で実行してしまうわけです。
会社の統治を議論する前に政府の統治を議論するのはどこの国でも普通なのですが、日本は政府の統治を議論する前に、企業の統治(コーポレート・ガバナンス)の議論から入っていった。これは不思議です。松下圭一さんが、日本は革新自治体がたくさん出てきたけれど、自治体の革新は容易には進まなかった、総与党体制になってしまったと言われていました。それはやはり日本におけるガバナンスが何なのかということになると思います。政治責任というのは一体どうやって負うのかという話がありますし、それから先ほど言った、地方交付税法や地方自治法というものを廃止しない限りは、おそらくできないでしょう。ですからどう、ガバナンスに近づけることができるかどうかが問題になってくると思います。
少なくとも今度の30兆円が、2002年度もその予算でいけるのか自体いろいろな考え方がありますが、いずれにしろ、スタイルはやっとブレアー、ブラウン並になってきました。それが議院内閣制のもとで今やっと確立に近づいたと思います。しかし、よく考えてみると大正時代にもあったのです。ですから、第2次世界大戦後は極めて特殊なシステムだったのです。部会と政調会でなんとか族がやってきて、あとは最後に総理に残されたのは、調整財源2000億だけですとかいう仕組みは。そんなものは昔からあったわけではなくて、これは民主主義とも近代化とも何の関係もない、ただ単にガバナンスを欠く利害集団のグループ政治というだけであって、それをこれまでやってきたのです。ところがどうも、にっちもさっちもいかなくなったので、やっとブレアー、ブラウンの形になったわけです。そしてこれは、ガバナンスを回復する1つのきっかけかなと思っています。
道路特定財源とか地方交付税に関する議論が始まったのも、わたしはガバナンスの回復と位置付けるべきではないかと思っています。

司会:そこをもう少し議論したいのですが、確かに今までの族議員中心の政治が戦後の特色だったけれども、それが必ずしも憲政の王道というわけではない、特殊な現象だった。それはいいとして、今の小泉さんが30兆、あるいは特定財源の話、交付税の話、色々あるわけですが、これは彼の変人度に依存しているわけであって、総理大臣の寿命というのはせいぜい1年から1年半というなかで、次に出てきた人たちが次々に変人であれば、それはシステムとしての安定性があります。しかし、また従来型の人がでてくるかもしれない。誰がでてくるか分らない。ですから先ほどのブレアー、シュレーダー並みの政治になったのだと、手放しで喜んでいられるのでしょうか。梅雨の間に少しだけ、晴れ間が出えるようなもので、ほんの一過性の大正デモクラシーみたいなものだったらどうするのか。そういう点からシステムの安定性ということを考えると、私個人としては小泉さんの変人度に少し期待をかけすぎているのでは、という気がしていますが、その辺はいかがでしょうか。

田中:この話を昔ロサンゼルスタイムズの特派員をやっている人としたことがありますが、彼は細川政権が出てきたときに「これで日本の政治は変わる」と書いて、その後ひどい目にあったので、もうその二の舞はするものかと思っていた。「しかし、田中さんは細川政権のときはそうは言わなかった、今度の方が本物だと思うか。」と聞かれたので「本物かどうかはともかく、日本が追い込まれた状況が93年の時と2001年の時では全然違う、本当に今回は追い込まれているのだ。高齢化社会もここまできていて、さらに加速する。高齢化社会というのは高生産性を前提にしないと成り立たない。資源配分を生産性の高いところに持っていくことでないと、高齢化社会では生活水準が低下するわけだから、生産性基準というのは政府の投資に入れざるを得ない。だから今度は本気でやらざるを得ないから93年とは違う」と彼に答えました。

得本:今の話の関連で、1つは中央省庁の改革のところですが、中央省庁を少なくするよりも、内閣の機能をより強化する点。これは森さんは全くできませんでしたが、小泉さんも分ってやっているのか変人でやっておられるのか分りませんが、たぶんに政治主導という側面を利用しているので、そういう意味では非常にタイミングがよかったな、と思っています。そういいながらも、しかし危機管理についてはまだ十分に変わっていない面もあると思います。そういう点では、彼は自民党改革を唱えていますが、改革の途中で信長みたいにどこかで潰されるのではないかという心配はあります。その後に自民党自体が解体しながら、新しい政治のスタイルが変わっていくという、そういう流れをとらないと、なかなか改革は続かないのかなとも思っています。その点についてはどうお考えでしょうか。
 もうひとつは、先ほどのキャピタルマーケットが大きく変わるという話ですが、これは時間があまりないわけです。その時に郵貯の360兆、370兆の問題について、どういう仕組みで変えていけばいいのか、その点についてお答えいただけますか。

田中:政治について言うと、現在永田町にプールされている人をとっかえひっかえしてというわけにはいかなくなってきていると思います。本当にただひとり見つけたという感じです。今までも、色々な期待をかけた人が出てきましたが、今から考えてみると、たった1人を見つけてきたんだな、という風に思っています。しかし、今後も変人依存をするわけにはいかないので、今永田町にプールされている人が、あと2、3回の選挙でものものすごい勢いで替わっていくのだと考えています。新しい人を池の中に追い込んで政治家としての訓練を受けてもらうと言うことが必要になってくるのではないでしょうか。ですから、これからの国際社会を考えると、30代の人に入ってもらって、数年の間にリーダーとして、切磋琢磨してがんばっていただくということが大切になってくると思います。組合も50代の人を推薦するのではなくて、30代を推薦して出してほしい。30代をどんどん入れて、その中から成長してくる人を期待したいと思うのです。
郵貯については、色々な形があると思いますが、私が大雑把に考えているものは2つあります。1つは、郵便局のネットワークは全国一本にした上で、郵便事業は民間事業者に自由に競わせる形です。郵便貯金と簡易保険のほうは規模が大きいので、いつかに割った上で、郵便事業のネットワークとの間に委託契約をするという形が1つだと思っています。ですからポストバンクが例えば1から10までできるかもしれない。数字についてはよく議論する必要がありますが、例えば1から10までできたとして、これは地域ごとでいいでしょう。そこを作った上で、郵便ネットワークと委託契約を結ぶ形にするのですが、この部分は売りに出してもいいと個人的に考えています。売り出すということは、大手都銀にすれば預金集めを代替できるわけなので、店舗の合理化から始まって日本の銀行のライアビリティーサイドを一挙に合理化させますから、それを売りに出して、という形もあると考えています。簡保も同じです。
もう1つは、出口の公的金融機関があります。これも多少腐っているところがありますが、それはしょうがない。これはきれいにして健全債権だけを集めて、入り口の郵貯と一体化すると、資産と負債の両方がバランスよくいきます。それを一体化した上で分割すると言う形もあるかな、と思っています。その場合は、入口の段階では郵便局のネットワークと業務委託をすると思いますし、出口のところでは、資産のうち証券化できるものはできるだけ証券化することになろうかと思います。住宅金融公庫が68兆円くらいの個人向けの貸し出し残高がありますが、これはとんでもない規模です。これを証券化商品にすると年金基金から考えればリスクリターンの程が大変いいわけです。国債よりは利回りがいいし、リスクについては国債より若干高いとは思うが、そんなに心配する必要はない商品が一挙にでてくるわけです。このような形で公的金融機関のうち証券化できるものは証券化して、金基金にとってもいい投資先を用意することも必要だと感じています。
いずれにしろ、分割民営の話はマネージメントの要素が入ってくるので、いろいろなケースを想定して一番摩擦が少ないものを選択する。それから国民の気持や、働いている人の気持ち、あるいは郵便ネットワークに対する国民の愛着の問題もありますので、その点については矛盾をきたさないように、相当議論をしなければいけないと思います。コンサルティング会社もこれには相当関心を持っていて、例えば、ニュージーランドの郵便は完全に民営化されましたが、そのなかにコンサルティング部門というのがありまして、一番経験を蓄積したものがコンサルティングできるというわけです。以前のニュージーランドの日本大使が本国に帰って、そのコンサルタント部門の親分をやっているので、すぐにでも東京に飛んでいきたいと言うことでした。「金はない」と私はいいましたが、「金は後で取るからいい。それより色々なアイディアがある。」と言っていました。分割、民営の話については色々なアイディアがあって、色々なことをいいたい人がコンサルタントにはいるようです。

司会:田中さんは経済評論家であまり政治の評論をお願いしてはいけないのですが、屋山さん、政治の分野の話についてコメントを頂きたいと思います。

屋山::私の感想は、さっきおっしゃったようにたった1人残っていた、本当にこの人はよく残っていたな、とそういう気がしています。そうかといって、この人が5年も6年も持たないだろう。となれば一気呵成に騎虎の勢でやるしかない。郵貯の問題についても急速に世論が変わってきたと感じています。2003年に郵政公社を作ってそれから考えるのだとか、あるいは、すでに法律ができているのだから、国営でやるという考えがあるが、しかし、これに関しては勢いと言うものがあると思う。ですから私は2003年の公社化をどのように帳消しにすればいいのか、一挙に民営化のほうに向かせて、踊り場で一息つかせないということを考えたらどうかと思っています。そうでないとできないと思っています。
私は橋本さんと12〜3年付き合いましたが、はっきりいってあんなインチキな男はいない。ただ行革をやるやると言って、こういうところで立派なことを言っていると思っていると、本当にすすめたい時には後ろの方で官房長にブレーキかけたりなんかして、あれが自民党というものかと思ってつくづく自民党とはお付き合いしたくないと思いました。だからそういう意味では、今度はそんなにインチキな人はいないので、いいチャンスだし、これはワンチャンスだと私は思っています。是非田中さんにリードしてもらいたいと思っていますし、言うべき人がいうと世論調査の結果も変わってきていますので、このチャンスをつかんでほしいと思っています。

司会:確かに今がチャンスだし勢いがあります。だからどんどん進めろということになるのですが、今度の経済財政諮問会議の基本方針の中では社会保障、公共事業、地方財政が3つの柱になっています。袖井さんがおいでなのでちょっとコメントをお願いしたいと思います。今進んでいる小泉改革というものは、社会保障の点からすると全体としてこれでいいのか、先回りして言えば、大蔵省が勢いに乗って悪乗りして、大蔵的な話でゴリゴリくるのはくさびを打っておきたいという個人的な思いがあるのですが、それは、杞憂なのか心配なのかコメントいただければありがたいと思います。

袖井:私は現在、厚生労働省の女性と年金に関する検討委員会の座長をしていますが、なんだかどんどん進んでいってしまって、怖いと言う印象をもっています。社会保障の個人勘定という話が財政諮問会議で出ていますが、確かに我々も個人単位化ということを言っているのですが、今進んでいる個人単位化というのは競争原理、自助努力です。だから社会保障における連帯とか所得再分配とかが消えていってしまって、荒野に一人立つというようなことになるのではないかという感じになってきています。私は社会保障に関する考え方が甘いのかも知れませんが、やはり私は社会保障に連帯とか助け合いを失いたくないと思っています。ただ単に強い個人を想定しているような気がします。全体に高齢者からも金を取ろうとか、応分に負担してもらうなどと言う話もでていて危惧しています。
地方分権について言えば、追い風かなと感じています。これについても専門委員会に入っていましたが、あれも途中で橋本さんが実現性のあるプランにしてくれなどといったので、なんだかぐにゃっとしてしまいました。税財源を地方に持っていく、その代わりに地方交付税を減らすという議論を我々がしていた時は、大蔵省は「国敗れて地方ありでいいのですか」と、とんでもないことを言っていました。まだそんなに年をとっていない若いひとでしたが、国をそんなに背負って偉いなあとびっくりしたわけです。しかし、今は追い風が吹いてきて、地方分権が実現しそうになっていますので、これは非常に嬉しいなと思っています。

司会:鎌倉の竹内市長が来ておられますのでお伺いしたいのですが、袖井さんのお話とは逆に、地方交付税をぶった切るというところから話が始まって、それでは地方が持たないから税財源の話も検討しましょうと、諮問委員会の中で多少軌道修正したわけです。ですから袖井さんが言われるように、税財源を移譲して、いらなくなった交付税を削ります、というなら1つのシステムの理解なのですが、小泉内閣というのは地方分権に関して殆ど理解がないのではないかと気がします。その点は本当に追い風と見るのか、この辺を竹内さんに聞いてみたい。ちょっと前に諮問委員会の直前にでた大蔵省の財政制度審議会の中間報告には税源移譲のことはなにも書いてない。それが諮問会議レベルではしぶしぶ入っただけです。ですので、僕は地方に対しては自立しろとは言っているが、システム的な理解が小泉内閣ではできていないのではないかと、少し危惧しています。

竹内:鎌倉の市長をしている竹内です。地方の自治体を預かっている立場から申し上げますと、昨年地方分権一括法が制定されまして、地方の時代ということが言われているのですが、これは相当なまやかしで、私ども仕事はほとんど法律でがんじがらめになっているのが現状です。つまり法律上色々なことが自主的にできない。そういう仕組みになっていまして、いってみれば金魚鉢のなかで少し元気に泳ぐか、下でじっとしているかほどの違いだけで、本当に地方に自治権だとか、自主的におやりなさいというようなシステムには全然なっていないと私は考えています。中でもその最たるものが財政の問題です。国のほうが財源を3分の2とって地方の方が3分の1とって、仕事量はちょうど逆転をしているものですから、国が取った半分を地方へ流すというようなことをやっているわけです。中でも私は地方交付税というのが大変悪いシステムだと思っております。私のところは不交付団体で交付金をもらっていないから、申し上げているわけでは決してありませんで、言ってみれば、先ほど田中直毅さんの話にもありましたように、基準財政収入額が減っても、結局、地方交付税で補填をしてくれるわけなのです。ですから一生懸命努力しようという気持にはとってもならないのです。つまりこういう制度に50年慣らされてきて、いつのまにか地方自治体というものは国頼みというような体質になってしまったのだと思います。小泉さんがこの間、地方交付税のことにメスを入れるという発言を出しまして、私は喝采を送ったのですが、直後に開かれました全国市長会の会合では地方交付税削減は反対であるという決議をしています。とにかくこういう制度を持っていたらば、私は地方が自立できっこない、ですからそれぞれの自治体が自分のところの財源を確保できるような制度にしてもらわないと、自立しようとしてもできないと思うのです。そうすると、最近は独自の目的外地方税などを考えると、総務省などが「それはだめだ」というようなことを言う。これ自体はたいした問題ではないとは思いますが、交付税制度にメスを入れない限りは、市民の自立というか国民の自主的な政治参加、国民の意思を反映した政治の基礎ができていかないと思います。

司会:土光臨調以来散々大蔵省に騙されてきて、仮想敵国は終始大蔵省で、しかもすべて負け戦だったわけです。大蔵省としては20年前の土光臨調の時も道路特定財源の話を持ち出しましたし、地方交付税についても何とか削りたいと狙っていたのです。肝心の小泉さんの意見がよくわからないのですが、皆同床異夢で「改革いいじゃないか踊り」をしているうちに、結局金庫番の話しか実現しないで、田中さんが言われていたシステム改革、構造改革の議論が後回しにされたことになったのではたまらないので、しつこくこだわっているわけです。

田中:政治の話がちょっとよく分らないのですが、全体の組み立ては少し遅れているのだろうとは思いますが、できてくるとは思います。参議院選が終わったら一気呵成にやると小泉さんはいっていますので、その時に骨格はもう少し明確になると私は思っています。

山同::郵貯の問題は財投制度そのものです。先ほど年金の金がどうなるか触れられませんでしたが、それを含めて何とかしなくていけないと思います。その時に立ち塞がるのは郵政族であるということが常に言われています。この先の話はすべて実話ですが、小泉内閣ができる前の話で、私の知っているある元代議士に、郵政民営化といったら落選するかと聞きましたら、とても怖くてそれは言えないと言っていました。そのくらい、特定郵便局を中心とする政治団体、本当は公務員なのだから政治団体ができるはずがないのですが、この圧力は大変なものだと言っていました。3ヶ月前に他の代議士先生に聞きましたら「特定郵便局長で地方で発言権を持っているのは、せいぜい今の代の先代おじいさんくらいまでで、今の若い郵便局長さんなんか発言力も政治力もありはしない。もっと怖いのは女性です。」と言っていました。女性がどっちを向いてくれるかで、これからの選挙は決まる、というようなことを言っていました。だから、道路族の問題もあるいはそうかもしれません。あまりにも族という言葉に怯えて、実態より過大評価しているのではないか、事態は既にことは大きく変わりつつあるのではないかというふうに思います。
もう1つこれも実話ですが、「今度の都議選、自民党に入れてもいいが、改革反対だと困る。どうしたらいいか。」という話をある大学教授が言いました。そのときの大方の意見は、そうかといって自民党が参議院も含めて潰れたら、小泉内閣も潰れてしまう、ただ小泉方式で自民党が増えるならば、否応なしについてくるのだという話がありました。
最後に一言、屋山さんが触れましたが、公社がだめだというのは土光臨調で三公社五現業問題で2年間かけて、公社というのは連帯無責任になる、民の悪いところと官の悪いところを合わせもつのが公社だというのが結だったわけです。郵政3事業の問題も中間段階といって公社にしようかという案が実際ありました。しかし、片方は公社はだめだといいながら、郵政3事業はとりあえずは公社だというのでは自己矛盾になるということで、経営形態には触れらなかったのが実情です。ですから、公社というような迂遠なヌエみたいなものはもう一度見直して、作らないようにお願いしたいと思います。

司会:ありがとうございました。今のお話で思い出したのは、先日あるところの特定郵便局の会から議論をしたいということで行ってきました。ある地区の特定局長さんの会だったので70〜80人でしたが、若い人が結構増えてきていまして、その人たちからはこれからの自分たちの商売に未来があるのか、このままジリ貧になっても困るし、できればもうちょっと業務拡大をしてみたいという意見が聞かれました。先ほど田中さんが言った契約関係も含めて、いままでとは違う道があってもいいと思います。もちろん組織の縛りもあるので、今度の参議院選は誰かを応援しなければいけないというのはあるが、それにしてもこんなことをやっていてもしょうがないという局長さんが結構増えていると思いました。局長は世襲だというのはいまや古い概念で、官職というか郵政の職員がどこかの局長をという、一種の雇われマダムのようなシステムが増えています。特定局長の政治組織である大樹会も結構根元が腐り始めていて、昔ほどの勢力はなくなっていると感じます。それはこの間の橋本さんと小泉さんの選挙でわかったわけです。特定局会も郵便局も局長も色々な人がいて色々な事を考えている人がいるのですから、田中さんのこれからの議論の進め方も、そうした人たちにインセンティブを与えるようなものにしてもらいたいと思います。
 内田さんは長いこと経団連におられて、このたび事務総長を退任されたわけですが、経済界の人たちは小泉さんについてどう考えているか、一言お願いします。

内田:小泉内閣に対しては、経団連も全面的に実現に向けて協力するという立場をとっています。彼の最初の所信表明演説を国会でやった時に、今井さんも聞いていて全く違和感がないとおしゃってました。その数日後に官邸に行って、経団連の要望書もお渡しするのに私もついていきましたが、その時も全く違和感がないから全面的に支持をする、しっかりやってくれと申し上げたところです。経済界としてそれに尽きると思います。
あと若干、今までの皆さんの議論を聞いていて、私がかねがね感じていることを申し上げさせていただけるとすれば、私も経団連の事務局に入ってから38年間行革を担当させられて思ったことは、日本という国はどうにもならないという絶望感でした。しかし、行革というのは絶望して済む話ではなくて、現実としてそこに存在して何とかしなくてはいけないという点から考えていくと、政治はだめだと言われますが、そのような政治にしているのは国民がそういう政治家を選んでいるからともいえると思うのです。そうすると、最近の小泉人気というのは、小泉さんを支持している人が昔と全く意識が変わって立派になってきて、そして小泉内閣を心底から支持しているのかは少し疑問を感じてしまいます。流行的なものがかなりあるのではないかと感じています。先ほどの田中さんの話の中で、細川さんとは訳が違う。それは実態がのっぴきならない状態になってきているからだという話については、私も日本の経済の現実を考えると確かにそれはそうだが、本当に国民の意識がそこまでついてきているのかという点はもう少し見極めなければいけないなという気がしています。田中さんなり、山同さんがおしゃっているように、本当の意味で実現に向かって動いてくれることを切望しています。

松本::昨日の都議選でもそうでしたが、選挙というと改革選挙ということで、改革の本家争いしているという感じになっています。民主党も自分のところが本家はこちらだという感じですが、こういうことだけでいいのかなという感じがあります。無理に対立軸がなければないでいいのかもしれないが、例えばもうちょっと、片方が市場原理というものを忠実にだすとしたら、片一方はもうちょっと第3の道をだすとか、何かがあってもいいような気がします。同じような改革路線で滑っていっていいのだろうかという印象を、昨日の選挙の結果を見ていて思いました。このままいくと参議院選もつまらないなと思います。

後藤:私は日本社会を構成するマイクロストラクチャーの1つとして自治体ということを考えています。自治体という限りにおいて、ガバナンスができないといけないのですが、それがどうなるか、お金の問題の前に政治的に気になっているところです。結局、地方での役所の仕組みがなかなか崩れない、役所が既得権を守る最前線にいて、それに地方の議会のいわばボスみたいな人がしっかりついていて、そこにいろいろな生産者業界団体がいてというような構図になっていると思います。確かに、特定郵便局を始め、地方の組織で崩れているところは増えてきてはいますが、例えば福祉関係の組織などは非常に強固にあって、地方を牛耳っています。こういうところが、既得権域の舞台としてしっかり残っている、しかし、危機感は非常に強い。ですからここで変るか、変らないかはとても重要な問題になってきます。しかし、ぜんぜん変わらないと滅びますからある範囲で収めたいということで小泉さんを見つけてきた。これで自民党の中では衣替えができたかもしれないが、地方に本当にしっかりとしたガバナンスができ、且つマネイジメントもできるマイクロストラクチャーとしての自治体ができるかどうか、ここが非常に危ういところです。今度の参議院選挙でもここがどうなるか、見所ともいえるのではないでしょうか。

恒松:仕組みがどうとか構造がどうとかということが日本の社会にとって重要だといわれていますが、それを運営する人がだめだという気がします。だから制度をいくらいじくっても、運営する人たちが非常にモラルが欠如していたりすると、だめだと思っているのですが、その辺のところどう思われますか。戦前には中央集権的であったり、選挙が制限されていたりしましたが、それにもかかわらず日本の社会の秩序は保たれていました。やはりそれはきちんとした人がいたからだと思うのですが。

田中:おっしゃるように制度というのは永遠なものはないし、制度そのものに持続力があるとは思いません。問題は社会の中で果たされなければいけない機能を中心にしてどう組み立てるのかだと思います。そう視点に立ってみると、制度が寄生虫だったり新しい試みをするにあたっての抑制要因だったりすることもままあります。ですから制度は常にチェックするが、どういう視点からチェックするのかといったら、これは社会が果たさなければいけない機能といえると思います。
さきほど袖井さんが連帯などはどうなるのだといわれていました。これは非常に重要なテーマですが、社会保障に連帯を求めるかどうかはまた別問題だと思います。社会保険料を納めるときに、その一部はプーリングといってリスクを回避するものがお互いあるわけで、プールしてそのリスクの配分という意味では、これは合理的な機能のレベルの範囲だと思います。人間の連帯は、すでに地域社会の中や人と人の中に存在することを考えれば、社会保障制度のなかに入れ込むということではなく、社会保障の制度は機能を中心にしてつくればいい、という割り切りをすべきではないか。人間がお互いに連帯感を持っているのはこれはあたりまえの話ですので、これが発揮されやすい社会を作るということと、社会保険料の話は別で、分けた方がいいと思っています。もちろん、そんな理屈の話ではないという反応はいつもあります。しかし私はあえて分けて考えた方がスッキリ改革はできるのではないかと思っています。人なのかと問われれば、それもあると思います。しかし、機能を機能として、他から外して議論をするようにした方がいいのではないか、そうすることによって人の議論も生まれるのではないかと考えています。社会的な連帯や人と人の温かさは制度の話とは違うところで考えていけばいいのではないでしょうか。

司会:経済財政諮問会議も4月までは鳴かず飛ばずで、あるのかないのか分らない存在でしたが、内閣が代わったとたん表舞台で、そういう意味では大活躍です。同じシステムでも森内閣で動くものと、小泉内閣で動くものは違うということで、システムを動かすのは結局人間になるわけです。しかしそれをいうとそういう人間はだれが生むのか、それは教育だとなって、全ての原因は教育だというよくある議論になりますので、時間が5時を過ぎましたので、この辺でやめます。

村山:だいぶ方向性が変わってきたというように受け取れたのですが、今田中さんがやっているようなことも、すぐにまた別な人がトップが替わって入ると、違った方向になると言う懸念を感じます。この構造改革に関して、どのくらいのスパンで変えられるとお考えなのかそれをお答えいただけますか。

田中:これは非常に重要なことで、入替えるとスイッチされて簡単に変ってしまいますので、やはり時間をかけていろんな議論をした上で選択した方がいいと思います。いろんな場で議論した方がいい。その中で皆が皆、意見がまとまるとは思いませんが、その中である部分については意識が同じ部分や重なる部分を相当広げることができるのだと思います。
すでに高齢化、少子化は否応なく進んでいますし、グローバルインパクトという形で国際社会の日本を見る目がここまできていますので、ひどいケースには国際社会が日本を見放して、日本には金を持ってこなくなる。そうなると、間違いなく日本の人が外に金を持ち出します。そうすると、円が安くなりますから、今105円で1ドル買っていても4,5年たったら200円になると考えるわけです。だんだん暴落するのはドルではなくて円である。となれば利息も取れなくて、価値も下がるというものを日本人が持っているという状態は続かないでしょう。外国の投資家が日本を見放すことは、つまり日本人も祖国を見放すことにつながるのです。ですから、現在そういう状況まできていますので、気にいる気にいらないという話ではなく、機能で議論していけば、そのくらいの想像力をもつべきだと言う話になるのだと思います。