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シリーズ討論

これからの医療保障制度のあり方

国民会議ニュース2000年3・4月号所収
ここに掲載しますのは、さる3月10日に開催されました会員討論会における城戸教授の講演と意見交換の模様です。


T 医療サービスの特質と医療保険制度の目的
  1 医療サービスの特質
  2 医療保障制度の目的と類型
  3 日本の医療保障制度の特徴
U 日本の医療供給体制の概要と特質
  1 現行の医療供給体制と将来の見込み
  2 医療費の推移と医療保険制度の概要
V 高齢者とその医療費
  1 高齢者の増大と一人当たり医療費の推移
  2 入院と外来の件数、および一件当たり医療費
  3 高齢者への医療保障と介護保障
W 市場原理導入の可能性と供給制約
  1 需要側と供給側の対等性への努力
  2 供給側への規制の必要性
X 当事者主義に基づく医療保険のあり方
  1 二次医療圏と医療保険の単位
  2 加入者・事業主等の経営参加
  3 医療機関の選択と診療報酬のあり方
  4 地域保険への統合
Y 質疑応答



T 医療サービスの特質と医療保険制度の目的
 医療保険制度改革について話をせよということでしたが、医療保険とは医療保障の一側面にしかすぎず、医療供給システムそのものを変えなければいけないと私は考えております。つまり両者がお互いに影響しあうので、両方を併せて考えたいということで、医療保障制度のあり方というタイトルに変えさせていただきました。
 また、医療サービスの特質とか日本の医療供給体制の特質といった話は少し迂遠かという気もいたしますが、あとで、今後の改革を考えるときの私の基本的なスタンスを理解していただくために、敢えてそこから話を始めます。

1 医療サービスの特質
 最初に、医療サービスの特質とは何だろうかということです。普通のサービスですと、消費者と生産者の側がサービス内容について同種の情報を同じぐらい持っていますが、医療サービスは非常に特殊専門的で、生産者側が圧倒的に高度の情報を大量に持っており、消費者には自分自身のことでもそれほどに詳しく分かっていない。これを情報の非対称性といいますが、財とかサービスなどの情報が片方に偏在しているという意味です。実は金融、例えばデリバティブに関しても情報の非対称性が存在しますが、医療サービスの場合には、さらに生命とか健康にかかわりますので、ことは重大です。このように、生産者側と消費者側が対等な立場に立っていないので、消費量や生産量に関して、どうしても第三者が介入せざるを得ない領域だということが議論の出発点にあります。

2 医療保障制度の目的と類型
 医療保障制度の目的とは、厚生省のことばでいえば、どこにいても、どういう時間帯でも、費用の心配なく、適切なサービスが受けられることです。これは標語としては非常にいいのですが、最近のように財源が厳しくなってきますと、そういう言い方では満足できないと経済学者達は主張します。したがって、近年はOECDでも、良質のサービスを効率的に保障できるシステムを目指すという言い方をしているようです。
 「いつでもどこでも」といういい方をすると、医療機関に接することが出来ない地域とか医療サービスを受けられない時間があってはならないということになります。すなわち、時間的な空白があってはいけないわけで、真夜中だろうといつだろうと緊急事態に対応できるシステムにしなければいけないのです。救急医療の整備と医療資源の地域的偏在があってはならないということが、まず大前提となり、その上で、費用の心配なく医療サービスを利用できることが医療保険制度の目的となります。つまり、「費用の心配なく」というところだけが、医療保険制度に関わってくるわけです。
 そのような目的のもとに、先進国がどのような医療保障制度をとっているかといえば、二通りのタイプがあります。
 ひとつは、イギリスの国営医療とか北欧の公営医療です。すなわち、医師、看護婦や医療従事者を公務員として雇用し、その人達がサービスを提供する形をとります。もうひとつは、ヨーロッパ大陸諸国、フランスとかドイツのタイプで自由開業医制と医療保険の組み合わせで医療保障制度を作っており、日本はこの大陸型の医療保障制度をとっています。
 自由開業医制とは、医師の国家資格を持つ人はどこに行っても開業できるということです。しかし、医師がいくら自分は営業主義ではないという思想であっても、自分自身と家族を養い、子供に良い教育を受けさせようとする、あるいは興味深い症例に出会いたいということになりますと、どうしても大都市に医療資源が偏ることになります。ですから、自由開業医制と医療保険の組み合わせの場合には、医療資源の地域的な偏在をどう克服するかが一つの大きな問題になると思います。日本の場合にも離島や過疎の村があり、建前では自治医科大学を卒業した医師が2〜3年そういう地域で勤務することになっています。しかし、現実には例えば台湾とか韓国の人たちが年をとってもそういう地域で一生懸命に仕事をして下さっているという現実も残っています。
ただ、このどちらのタイプの医療保障制度をとっている国でも、医療供給システムに関しては共通点があります。それは、一次医療圏、二次医療圏、三次医療圏と地域を分けることです。一次医療は一番簡単な、典型的な例は腹痛、風邪引きです。二次医療はそれよりやや込み入った疾患、三次医療は非常に高度な医療、専門的な医療をします。一次医療圏は非常に身近な地域で、二次医療圏はやや大きな地域(広域市町村)、三次医療圏はさらに大きな地域で、例えば東京都でいいますと南多摩とか北多摩とかそういう大きな区分です。これは、どこの国に行っても、どちらのタイプの医療保障制度を持っていても、一次医療と高次医療とに分けます。
 それからもう一点は、当たり前の話ですが、国家資格を持つ人による専門職ということで、医療の供給サイドへの参入に規制があることです。これは、どちらのタイプの医療保障制度であっても共通する側面だといえます。

3 日本の医療保障制度の特徴
 日本の医療保障制度は自由開業医制と医療保険の組み合わせだといいましたが、医療保障制度全体としてどういう特徴があるか大ざっぱにいうと、日本全体の医療費の規模が対GDP比、国民経済の規模に比べて今の段階では小さくて、一律平等に医療サービスを受けられ、しかも一人当たり単価が低いということです。つまり、平等主義と低単価ということになります。
 日本では、いつでもどこでも誰が行っても医療サービスが受けられる。それも少ない費用で受けられる。しかし反対の極にあるアメリカでは、公的な医療保障は65歳以上の老人と低所得者に対してしかない。一般のひとは、民間の医療保険を買うか、あるいは自分の属している企業の団体保険に入るという方法しかない。そのため、無保障の人たちが13%くらいいるということになります。これはもう平等とは言えない。その代わり、医療技術に関しては最先端を誇っています。しかも、一日当たりの単価は非常に高い。私自身、アメリカにいるとき入院して手術を受けました。おなかの手術をして3日目に、あなたはもう病院にいる必要はない、療養所に行けと同じ建物の中の下の階に下ろされ、1週間後にアパートに帰りました。すると近所の人たちが1週間どこへ行ったかと聞き、病院へ行っていたと答えると、あなたは大変な金持ちだといわれました。そうではない、実は療養所に4日いたといったら納得しましたが、ともかくアメリカの医療費は非常に高い。
 それを数字で確かめるために右の統計表を見ていただきたい。これは公的病院支出の対GDP比を国際比較したものです。少々古い統計で恐縮ですが、この翌年に老人保健制度が出来まして、そのあとの10年間には老人医療費の割合がぐんと増えました。しかし同時に老人医療費の単価が非常に押さえられた期間ですから、趨勢としてそれほど変化はありません。
この表を見ますと、82年の日本の公的病院支出は2.1%で、高齢化率は9%くらいです。当時のアメリカの高齢化率は11%くらい、ヨーロッパは14〜15%ですから、まだ高齢化が進んでいない日本でも他の先進国並の公的病院支出をしていることがひとつの特色です。
 それを4つの要因に分けているのですが、まず適用比率というのは、人口の中で医療保障制度が適用されている人の割合です。日本は皆保険ですから1.0です。生活保護を受けている人にも医療扶助がありますから、完璧な1.0です。

 次の利用比率というのは、分母が適用対象人口であり、分子は年間の延べ入院患者数です。延べ入院患者数とは、私が1週間入院したとすると7人になります。そういう勘定をすると、それが年間の利用比率になる。利用比率は、よその国では横這いないし減少しているのに、日本では年々増えており、82年にはかなり大きくなったことがわかります。
 実効給付率というのは、制度上の給付率とは別に、例えば個室に入った場合の差額室料とか付き添いの費用だとか、歯科の自由診療だとかが入って、制度上の給付率より下がった保障率です。したがって、当時は被用者健保の本人は制度上10割給付でしたが、実効給付率は9割を割っています。
 最後の単価要因とは、ひとり1日当たりの入院費用の対1人1日あたりGDP比がどのぐらいになるかを計算したものです。日本は0.654なのに対して、アメリカは5.991と、大変な違いです。
 82年は記入されている国が少ないので2年前の80年について見ますと、日本ではやはり単価が非常に低い。しかも、これを相対価格と実質投入に分けてみると、実質投入が他の国に比べて非常に少ないことが分かっていただけると思います。
 実質投入が非常に少ないことを裏付けるために、看護婦数と入院単価との関連を見ると、この両者には相関がありそうで、100床当たり看護婦数が多ければ入院単価も高くなる傾向にあります。まず1975年の数字で諸外国と比較すると日本はずいぶん低い。次に最近の数字はどうか。そこで、看護婦数そのものではありませんが、病床当たり職員数でみると、日本は1970年0.60、80年0.75、90年0.79です。ところがアメリカでは90年に3.35ですから、非常に多くの人が係わっていることになります。医療はサービスですから人件費の部分がかなり大きく、実質投入のレベルがこのように違うのは問題です。

 言い換えると、医療費は単価があまり安いと医療機関も大量に販売したい誘惑に駆られるのではないか、また、消費者の方も気楽に使ってしまうのではないかという懸念がします。極端な言い方ですが、日本の医療は廉価大販売ではないかと思います。
 この統計表を含めた論文を書いたときに、実は川上武先生からお電話をいただき、現場にいて非常によく分かる話だとおっしゃって頂きました。理論的に詰めて検証していませんが、おそらく患者負担が少ないからではなく、日本の医療サービス単価が非常に安いので気楽に使われすぎる。これが、私の全体的な印象です。
 公的外来支出の対GDP比をみても、同じようなことがいえます。利用比率が日本はべらぼうに多く、単価は非常に低い。とくに実質投入が非常に低くなっています。これは現場の人たちの実感として非常によく分かると言われた訳です。
 どうしてこのように病床当たり職員数が少ないかを考えると、敗戦後の日本では3回看護婦不足が問題になりました。皆様のご記憶に新しいのは80年代後半から90年代前半の話だと思います。そのときは明らかに病床過剰が原因でした。例えば、人口10万人当たり病床数をみると、90年の時点で日本は1578ですがアメリカは467、イギリスは636、デンマーク566、フランス974と、日本で極端にベッド゙数が多いのです。実は日本も90年代に入ってから、人口10万人当たりベッド数は微減しています。しかしそれでもなお絶対水準で病床数が多いといえます。
 こうしたことをお話する理由は、先ほど医療サービスの特質について触れたときに情報の非対称性という指摘をしましたが、その意味は、供給者側が需要を生み出すことにつながります。つまり病床がたくさんあれば、空けておけないので患者を長くとどめ置くことになる。その根拠としてとりあげております。
 89年ごろの時点で、47都道府県別にあるいは政令指定都市別に、人口10万当たり病床数と平均在院日数との間の相関係数を弾くとかなり高い数値になる。それから、利用比率と人口10万対ベッド数を対比しても、どうやら両者の間には強い相関がありそうです。これは、どういう医療改革をしなければならないのかを考える上での、ひとつの手がかりとしていただきたいのです。


U 日本の医療供給体制の概要と特質
1 現行の医療供給体制と将来の見込み
 日本では、病床を20床以上持っている医療機関を病院といいます。そういう病院が93年には約1万箇所ある。しかし、国あるいは公的病院の割合は少なく、民間病院が圧倒的に多い。平成5年の病院総数9844のうち7935ですから、8割ぐらいです。
 更に病床数でみても、総数168万床のうち民間は113万ですから、これも7割近くになります。また種類別に見ると、精神病床では36万床のうち32万床が民間病院の病床です。伝染病床、結核病床、らい病床は国公立が多い。しかし、一般病床は126万床のうち79万床が民間のもので、圧倒的に民間病床が多い。普通、私たちは一般病床を考えますから、日本の病院の病床は民間が圧倒的に多いといって良いでしょう。
 なお、精神病床のうち民間分が殆どというのは、実に不思議な話です。なぜかというと、戦後、精神病床を国公立にしたいという方針を打ち出していた時期があります。それがひっくり返って、全く逆方向に動いてしまったのが、非常に皮肉な現実です。
さて、医療供給制度には、まず施設、それから従事者が必要です。しかし従事者の話の前に、「入院費の内訳」と「種類別の病床数」という表を見ていただきます。
 まず、入院費の内訳ですが、いま急性期の病床と慢性期の病床を分けるという話が医療法の改正について言われていますが、90年代初期の日本ではそういう統計が全くない。次に精神治療の費用は治療費全体の12%くらいです。またナーシング・ホームの費用は5%くらい。実はこの数字も行政にはなかった。そこで特養とか老健の費用を入れ、いわゆる医療機関のものと足して、私が推計した数字です。そういう推計法が良いかどうかの問題はありますが、これが欧米のナーシング・ホームに対応するならば、日本の場合5%くらいになります。欧米ではこの比率が16%から26%と高いのに対し、日本ではナーシング・ホームのシェアが少なく、逆に精神治療費のパーセンテージが高いことが日本の医療の一つの特徴かと考えています。 次に、種類別の病床数をみると、急性期病床についての数字はありません。精神病床は人口10万対291でものすごく多い。ナーシング・ホームは131で、他の国に比べると中間的といえるでしょう。
入院費の内訳
種類別病床数(人口10万対、1990年)
 施設はこのような状況ですが、従事者の方はどうなっているかといえば、まず、医師が26万人います。戦後間もない1953年頃は9万人しかいなかった。それがだんだん増えて92年に22万人、95年には26万人になった。次に看護婦、保健婦、助産婦などが86万6000人くらいいます。その他に以前はパラ・メディカル、現在はコウ・メディカルと呼ばれる人たちがいます。理学療法士、作業療法士と呼ばれる人たちです。特殊なのはメディカル・ソーシャルワーカー(MSW)といわれる人たちが5000人、それから管理栄養士や栄養士です。また、歯科関係の人たちがいます。
 総数としてはこのような数字ですが、将来医師が過剰になるという話がよく出ます。そこで、公衆衛生院の方波見先生の推計を見ますと、1992年の22万人が2050年ごろには41万人になる。2000年には28万人、2025年には38万人。ドイツが大体25万人ぐらいですから、それを超えてしまうことははっきりしています。ただしこれは総数の話でして、専門科によって、それから地域的によってばらつきが当然出てきます。例えば、小児科の先生は余るだろう。逆にプライマリ・ケアをやる人は少ない。それから耳鼻咽喉科が不足することもはっきりしています。
 医療供給に関連してもう一点。それは、全国の医科大学数、入学定員の問題です。これは医師誘発需要に関連します。つまり先ほどの、生産者の方が圧倒的に多い情報を持っていますから、消費者を誘導して需要を生み出す。従って、医師数を抑制する必要が先進国に共通しています。日本も一応はそういう方針をとったのですが、あまり実現されていません。
 次に、医療法の改正について触れておきます。戦後の昭和23年(1948)に医療法が整備されます。しかしそのころは急性疾患、細菌性疾患がほとんどでした。それが80年代になり、生活習慣病中心となってから、急性疾患を中心とした医療法ではだめということになり、1985年に医療法の改正が行われました。もちろん、それまでも医療法に関する小改正や医療従事者に関する小改正はありましたが、生活習慣病中心の時代の医療供給体制がいかにあるべきか考えて改正されたのは85年です。
 このときのもうひとつねらいは、全国の医療資源の地域偏在を是正することでした。つまり、病床数が非常に不足していたところと過剰なところが日本にはあるから、過剰地域で抑え、過小地域で増やしたいという目的を持った法律改正でした。そこで、89年3月までに全国の都道府県に地域医療計画を作りなさいと定めたわけです。その計画中に必ず含めるべき内容として二次医療圏を設定すること、また二次医療圏ごとに必要病床数をはじき、それを公示しなさいと書かれていました。しかしそのころ、85年から89年の期間は金余りの時期でした。しかも89年に一旦地域医療計画が出来ると、そのあと病院を新しく作ったり、増床したりするのに都道府県知事の許可が出ないかも知れないというので、皆さんが一生懸命病床を作ってしまった。したがってこの医療法の狙いとは逆の方向に動いてしまい、過剰病床圏はそのまま残り、過小病床圏も是正されないまま残ってしまいました。
 現在、二次医療圏数は日本全体で342ありますが、そのなかで過剰医療圏数は149、必要病床数は120万床で、既存病床数は126万床。これでは明らかに過剰です。都道府県別に見ると、北海道は過剰医療圏が二次医療圏21のなかの13ですから、非常に過剰医療圏が多い。また必要病床数7万5433に対して既存病床数は8万5304と遙かに多い。しかもこれは94年3月31日現在の数字です。89年3月締め切りで地域医療計画を作り、失敗したので、地域医療計画の見直しを実施中ですが、まだ是正されないまま残っていることが示されているのです。とくに、北海道、東北のあたりと、四国九州、広島あたりで既存病床数が過剰で、東京では必要病床数の方がわずかに多い。長野もそうです。しばしば言われるのは、医療費の非常に高い地域は北海道と西の方だということです。同じ寒い地域でも長野は非常に医療費が低い。「制度別・都道府県別1人当たり医療費」の表と照合するとわかります。これは制度別の92年の数字ですが、例えば長崎や大分、徳島、広島と北海道の1人当たり医療費が非常に高い。それから、低いところはどこかというと、長野や群馬です。つまり医療資源の地域的な偏在と1人当たり医療費の高さとの関係を考えていかねばならないわけです。

制度別・都道府県別1人当たり医療費  1992年度:単位 円

 

健保組合

政府管掌

国保

老人保障

北海道

105,139

149,127

219,566

941,000

青森

87,747

116,777

161,737

663,000

岩手

73,074

117,809

185,106

608,000

宮城

84,683

112,619

162,285

554,000

秋田

84,563

112,691

176,545

627,000

山形

76,313

100,843

161,334

476,000

福島

94,347

120,536

176,586

584,000

茨城

81,023

118,957

144,593

524,000

栃木

89,076

122,739

147,290

527,000

群馬

72,050

118,066

151,322

560,000

埼玉

87,738

127,402

135,640

583,000

千葉

81,609

135,973

130,603

513,000

東京

84,046

83,155

144,448

663,000

神奈川

81,645

126,318

145,516

603,000

新潟

84,550

108,589

178,832

560,000

富山

86,560

121,583

210,086

729,000

石川

96,856

137,967

202,127

761,000

福井

83,337

120,549

182,398

600,000

山梨

80,766

108,733

147,758

509,000

長野

75,603

107,082

156,516

471,000

岐阜

83,482

121,543

154,787

557,000

静岡

87,625

116,541

152,356

536,000

愛知

89,564

121,191

168,928

722,000

三重

85,743

126,393

169,720

567,000

滋賀

87,871

129,905

163,610

543,000

京都

87,580

141,803

183,957

789,000

大阪

92,085

121,773

182,560

826,000

兵庫

91,965

135,448

182,943

637,000

奈良

86,727

167,937

168,825

625,000

和歌山

97,865

139,164

173,107

584,000

鳥取

85,479

124,470

189,068

591,000

島根

78,728

121,756

197,613

568,000

岡山

90,536

135,928

196,941

654,000

広島

88,861

129,689

216,736

706,000

山口

83,959

130,427

202,727

736,000

徳島

93,685

152,200

214,266

751,000

香川

85,189

131,650

203,017

655,000

愛媛

87,095

131,349

190,454

669,000

高知

99,164

134,725

196,736

843,000

福岡

99,164

134,725

196,736

843,000

佐賀

74,288

121,539

176,012

743,000

長崎

111,138

132,762

200,970

794,000

熊本

87,227

128,237

180,270

778,000

大分

103,931

133,085

189,648

673,000

宮崎

81,123

114,575

161,433

653,000

鹿児島

95,818

124,172

184,420

669,000

沖縄

75,812

90,653

121,401

697,000

平均

86,292

121,913

182,587

661,000

注)健保組合は本人の実績医療費、政管は本人の給付費、国保は老人保健分を除いた診療費、老人保健は平成4年度見込み

2 医療費の推移と医療保険制度の概要
 ところで、医療費抑制、医療費抑制といわれますが、いったいなにが問題なの少し考えていただきたい。右側の折れ線グラフを見ていただくと、上の方が医療費総額、下の方がその中の公的費用部分です。この両者の間ではずい分国の順位と形が変化します。総医療費では一番上を走っているのがアメリカで、一番下を走っているのが日本とイギリスです。真中にヨーロッパ3国がきます。次に公的医療費を見ると、アメリカは一番下を走っていましたが、90年代にはいってから上方に上がってきています。日本は依然として下の方を走っていますが、ヨーロッパ諸国はほぼ同じです。
社会保障全体についてもいえることですが、医療保障に関して70年代後半から80年代半ばにかけて医療費抑制が強く主張され、そのために、70年代後半から80年代にかけて折れ線がフラット化してます。公的医療費をみると80年代をピークに低下しているのはスウェーデンですが、なにが起こっていたかというと、大病院中心主義からローカル・ナーシング・ホームへ、つまり老人福祉に費用を振り替えています。そのことによって医療費が抑制された。あるいは在宅ケアということによって医療費が抑制された。しかも老人福祉費の増大と医療費の削減を比べた場合に、明らかに医療費削減の方が大幅だったので、これは社会福祉費、あるいは老人福祉費に切り替えたことが成功しているケースです。
 しかし老人福祉費自体は非常に小規模です。右下の「社会福祉費の内訳」という表をごらんください。1986年と93年の数値をILO統計を使って作っているのですが、スウェーデンの場合、86年は対GDP比で1.84%、93年に同じく3.8%です。日本では同じ年に0.12%と0.19%で、96年にやっと0.33%に増えています。どこの国でも老人福祉の費用はたいして多額ではありません。これらの国に比べると日本では老人福祉費が大幅に必要だと分かっていただけるでしょう。
 たぶん児童福祉に関心をお持ちの方が多いと思いますので、ついでにみて下さい。例えば、86年時点ではスウェーデンでは児童福祉費の方が老人福祉費より多い。これは保育所の費用です。ところが93年になると、逆転してます。イギリスをみると、どちらの年も老人・障害者福祉費の方が大きい。日本の場合は、86年時点で児童福祉費の方が大きく、90年代に入ると逆転してます。ただ、社会福祉費はそれほど嵩むものでないといえます。もし嵩むとするとそれはやり方が下手だということです。93年頃のスウェーデンの高齢化率は約18%、日本では今16%ぐらいです。従って日本の場合に老人福祉費がかなり増えてもスウェーデンのレベルまでいくことはまずないと私は読んでおります。
 次に医療保険の概要ですが、これは被用者のための制度と、非被用者のための制度に大きく分かれています。後者が国民健康保険制度、前者が大企業の従業員のための組合管掌健康保険と中小企業の従業員のための政府管掌健康保険のふたつに大きくわかれています。大ざっぱに言うと加入者が3000万前後のふたつの被用者健保と、4000万人前後の国民健康保険となり、これらを加えると1億2000万ぐらいになり、他の共済組合等はマイナーな数字ですから、通常は国民健康保険と組合管掌健康保険、政府管掌健康保険で十分です。
 これら健保のどこがどう違うかというと、国民健康保険には国庫補助が非常に多くつき、組合健康保険には事務費以外は原則としてつかない。政府管掌健康保険には13%位の国庫補助がつくということです。


V 高齢者とその医療費
1 高齢者の増大と一人当たり医療費の推移
 それでは高齢者とその医療費についてですが、高齢者の増加と高齢者1人当たり医療費の変化と、どちらがこの老人医療費総額の増大に寄与してきたかをみると、まず73年、石油危機が来る直前には老人医療費の公費負担制度が開始され、それにより、潜在需要の顕在化や乱診乱療、あるいは石油危機による相対価格の上昇等が起こり、医療費が爆発的に増えた時期があります。そのなかで、高齢化が進んできましたから老人医療費の割合がどんどん増えました。その結果、1983年に老人保健制度が導入さました。老人保健制度は保健事業と医療事業に分けられ、保健事業は予防やリハビリに中心を置き、医療事業は国庫補助を少なくして、そのかわりに、その当時は財政状態のよかった組合管掌健康保険に財源を賄ってもらうという、国民健康保険制度の財政救済制度という意味合いが非常に大きかったと思います。
 老人医療費はそれ以降もずっと増え続けておりますが、実は1人当たり国民医療費と老人医療費の推移を83年から93年までの11年間でみると、1983年を100とした場合に、91年に国民医療費は145、老人医療費は143となります。従って老人医療費の伸び方は押さえられ、国民医療費の方が大きくなっています。
 その中で、入院費用の対前年度増加率をとりあげると、86年には国民医療費の方が老人医療費の対前年度増加率よりも大きくなっています。入院費については特に老人入院費の対前年度増加率が老人医療費全体の増加率より低いわけですから、国民医療費の増加率よりも遙かに小さくなります。
 これが何を意味するかというと、老人が増えることはどうにもならないが、その人達の健康を保つことがひとつの方策であり、もうひとつの方策は老人1人当たりの単価をいかに抑えるかです。それらが成功していることなのでしょう。
 1人当たり老人入院診療費を受診率と1件当たり日数と1日当たりの診療費に分解すると、受診率は90年代に入ってから93年まで対前年度比でずっとマイナスです。1件当たり日数は83年から93年まで同じくずっとマイナスなのです。最後に1日当たり診療費は対前年度比増加率でみるとプラスですが、かなり低く抑えられている。ただし92年度には医療費改正があり、そのため大きく上昇しております。
2 入院と外来の件数、および一件当たり医療費
つづいて「老人医療・一般医療の入院1日当たり診療行為別点数の変化」の表を見ていただきたい。上のブロックが老人医療、下のブロックが一般医療になっています。ここでは86年と93年を比較しておりますが、この86年〜93年間の変化は日本福祉大学の二木立先生の研究成果を引用しております。まず老人医療からみていきますと、86年が1286.9点、93年には1530.9点でその間の差は244点です。次に一般医療をみますと、86年は1348点、93年には1643点でその差は294点です。つまり老人医療の方が明らかに抑えられている。この7年間の差は19%と22%です。つづいて、増減の寄与率の欄があります。それをみると、過剰投薬、過剰注射、過剰検査への批判に答えて、老人医療では注射がマイナス21%の変化、増減寄与率はマイナス18%です。投薬を見てもそれぞれマイナス3.5%とマイナス1.2%、検査もマイナス0.5%とマイナス0.2%です。
一方、一般医療は、注射ではわずか1.9%と1.2%のプラス、投薬は16.8%と3.7%。検査が3.8%と1.5%のプラス、両ブロックの対応項目を比較すると、老人医療の1日当たり単価が非常に抑制されていることが分かります。
 こうしないと高齢者が増えていくのだから、どうすることもできないということかと思います。老人医療費が非常に増えてきて心配だといわれますが、一方では非常に努力されていることを示している表です。
3 高齢者への医療保障と介護保障
 それで無駄な医療費を省いてより少ない介護費用に使った方が有効です。本人の効用も高まるし、財政的にも助かるだろ。しばしば言われますように、医療上の必要はないが一般病院に入院していたり、老人病院に入院している人たちが多いから、そのために介護保険を作って介護の費用として計上する、あるいは介護サービスを提供して、その人たちにより快適なサービスを受けてもらおうということが目指されました。しかし、結果として医療費がどのくらい抑制できたかというと、制度設計のミスにより健康保険料があがるという事態になりました。
 そこで、なにが理由なのか考えていかねばならないのですが、ひとつは療養型病床群が入ってしまったことでしょう。療養型病床群というのは、急性期の病床よりも医師の配置が少なくて、しかも介護職員や看護の職員を手厚くしておけば済むが、依然として医療施設であることは間違いない。そうすると、同じ介護施設であるにもかかわらず特別養護老人ホームとか老人保健施設よりも介護給付の単価が高く設定されているという大きな問題があります。
 患者あるいは病床100人当たり医師は医師法で決まっていますが、その50%を守っていれば今まで罰則がなかったのに、去年からその6割を守っていなければ診療報酬をカットするという方針を厚生省が打ち出したために、地方の病院は医師を確保するために大わらわです。しかし努力しても結局医師を確保できないので、療養型病床群に逃げる傾向が強くなりました。介護保険のなかでは、医療型療養型病床群と介護型療養型病床群とに分けます。だから医療と介護の両保険の中で療養型病床群をどう分けるかという話になります。特養と老健と介護の療養型病床群の割合をどのくらいにするかという方針はあります。しかし、療養型病床群が全体に増えてしまって、医療保険と介護保険の間でそれをどう割り振るかという話になってきます。これがひとつ大き
な問題だと思います。


W 市場原理導入の可能性と供給制約
1 需要側と供給側の対等性への努力
 以上のような医療を取り巻く状況の中で、これからどのように医療改革をしていったら良いかを最後に考えたい。
 最初のところで、もともと医療サービスには情報の非対称性があると話しましたが、それでは情報の非対称性を緩和する努力が必要ではないかと思われます。需要側と供給側の対等性への努力という課題です。
 そうなると、どうしても供給側への規制が必要になるのではないか。
 3番目は医療保険制度そのものの改革で、これが本日のもともとの課題です。
 需要側と供給側の対等性への努力は、厚生省がいっているように、医療機関へ患者が行った場合、あるいは家族も、自分が罹患している疾病についての説明とその治療法に関する説明が行われ、その理解を求めた上で治療法を選択してもらうといった、患者側に選択権を残す努力がまず行われなければならない。これが情報の非対称性を解消する一つの方法だと考えられます。
 第二に、今さかんに問題にされていますが、カルテや診療記録の開示、あるいは診療報酬明細書の請求なども必要だと思います。第三に、広告規制を緩和していく必要があります。これは、医療機関がカルテや診療報酬明細書の送付や提示が必要だと同時に、それぞれの医療機関にどういう経歴の医師がいて、何が専門の科目であるのか、同じ内科でも消化器官なのか、あるいは呼吸器なのかを表示することです。今のように専門が細分化しているときに、自分の強いところはなにかをはっきり打ち出してもらわないと困ります。そういう意味からも広告規制をかなり緩和してもらわないと困るのです。
 第四は、第三者機関による評価です。これは需要者側・消費者側に、供給者側が積極的に出さない情報を、第三者が代わって提供するという意味があります。実は日本医療機能評価機構という組織があります。まだ試行段階だから理解できなくもないのですが、その評価の仕方が非常に甘い。まだやっと3ケタの数字の病院しか評価していない上に、非認定という評価を出したケースがない。認定証を発行するか認定証の発行を留保するかのどちらかに留まっています。しかも留保になった場合、1年以内にもう1回審査を受け、留保になった原因が改善されたと認められれば認定証を発行するというやりかたです。
 こういう病院の機能評価について、認定か非認定か、あるいは認定証発行の留保というたった2段階の評価でいいのだろうかという問題が残ります。アメリカの場合には非常に厳しく、7段階ぐらいに分かれています。賞賛を伴う認定、改善勧告を伴わない認定、改善勧告を伴う認定、仮認定、条件付き認定、非認定、不利な判定というように分けられています。ましてアメリカの場合、評価の主体はひとつではありません。
今回、介護保険の導入により介護サービスの質をどう担保するかが大きな問題になっています。実は、第三者機関として質を評価する組織を作ろうと、いくつかの自治体で考えています。私が住んでいる自治体でも、かなり考えて、市役所の中にサービス相談調整専門員という係がおかれることになりました。そこでその人たちと対等な関係の一般公募市民や地域代表を含めた介護保険事業の運営評価委員会を設置しようと努力しているところです。しかし、私たちの委員会で作る計画案が、計画として実現・実施されるかということ、実はそれを心配している段階です。ただ、介護保険についてそういう努力をしていることを考えると、医療についても日本医療評価機構ひとつだけでなく、複数の評価機関が出てくることが必要ではないかと思います。そうやって何とか市場システムの欠陥を補う努力をしなければいけないと思います。

2 供給側への規制の必要性
 また、供給側への規制も必要性です。ただこの点はさきほど過剰病床について申し上げましたので総数としての過剰とその偏在を是正していかなければいけないと申しあげるに留めます。
 付け加えますと、高額医療機器、例えばCTスキャンが導入されたときに、開発はイギリスだったにも係わらず、保有台数は日本がイギリスを直ぐに抜いてしまった。したがって、高額医療機器の共同利用とか、専門病院への設置に限定して中小の病院には置かないとか、そういうことが必要になってくると思います。
 今までの医療法の改正はだいたい病床を区分するという考え方で来ました。それから、高次機能病院や地域医療支援病院、またプライマリー・ケアを担うかかりつけの医院等、そういう分け方をしてきました。しかし、もう少し供給側への規制が必要ではないかと考えます。その時に二通りの方法があって、診療報酬で誘導するか、直接的に規制するかです。たぶん診療報酬をとおして間接的に誘導する方が経済学者からの反発は少ないと思うのですが、病床数そのものも直接的に規制しなければならないと思います。
 医師数削減に関する、医学部定員の削減は、これから少子化も進みますから、必ずしも今までのように医学部の定員割れに配慮する必要なない。ただし、医学部の定員そのものを小さくしていくことは必要だと思います。しかし、医学部の定員を少なくしても、それが医師数の減少としてあらわれてくるのに10年ぐらいかかります。従って、一方ではそういう努力をしながら、医師の定年制とかそういうものも必要でしょう。また、地域の医師会である程度医師数を調整するとか、専門科別の医師の配置を考えるとか、そういうこともやっていただかなければいけない。


X 当事者主義に基づく医療保険のあり方
1 二次医療圏と医療保険の単位
 医療保険というのは需要者側・消費者側に購買力をつける、そのことを見込んで医療供給者側がサービスを提供する、その媒介になるわけです。従って、公定価格、診療報酬、薬価をどのように設定するかが非常に大きな問題になって来ます。
 ところで、私は今のような分立した医療保険制度ではもうやっていけないだろうと考えております。他方、医療保障は消費税で賄った方が良いかという議論もあります。だから、医療保険のままだとしても、保険が成立するようなシステムを考えなければいけない。
一番問題がはっきりするのは国民健康保険で、例えば人口1万人弱の自治体で高齢化が進んでいないとしても、一つ大きな事故が起こったときに、その事故の費用を1万人弱の集団で吸収できるだろうかということです。しかも、高齢化が進んだり過疎化が進んでいるとき、国民健康保険をいまのままで放置しておくわけにいかないだろう。どうすればいいか。段階的に進めねばなりませんが、介護保険の場合には広域市町村で一つの保険者となって地域があります。福岡県では71市町村がひとつの保険者になっています。これは極端な例ですが、北海道の奈井江町を中心とする広域市町村の介護保険もあります。医療保険も、国民健康保険の場合は少し広域化していく必要がある。都道府県単位にすればい良いという話もあります。しかし、それは少々無理だと思います。どうしてかというと、医療サービスを利用・提供する単位と、保険者の単位に距離がある、つまり財源とサービス受給の圏域が乖離するとまずいのではないかということです。さきほど一次医療圏、二次医療圏、三次医療圏という話をしましたが、せめて二次医療圏の単位で国民健康保険をつくっていったらどうかというのが、第一段階で考えられそうです。

2 加入者・事業主等の経営参加
 次に、政府管掌健康保険をとり上げると、これは全国で一つです。そして国が管理運営している。そうすると、私たちは自分が病気になったときに困るから保険に加入しますし、それが掛け捨てになっても自分は健康だったのだからいいという割り切り方をしています。しかし、連帯感が薄まる恐れもあります。国民健康保険の場合も、保険税あるいは保険料の徴収率の高いところは、まず郡部です。それから、人口規模の小さいところ。また、東京都の中でも、下町地域で収納率が高く、山の手または都市化した自治体は収納率が低いという研究もあります。こうしたことから、連帯感を基礎にすれば、全国一本の政府管掌健康保険は果たしてもつのだろうか。しかも、その管理運営について保険料を払っている私たちは何も知らない。そうなると保険料が果たして適切な水準なのか、私たちは十分な給付を受けているのか、あるいは過剰に受けているのか全然分からない。診療報酬請求書のチェックも政管の場合は診療報酬支払基金がしています。ということは非常にたくさんの診療報酬明細書をチェックする人が必要となる。つい最近読んだ新聞記事によりますと、ひとりの医師がその明細書を1枚チェックするのに平均5秒だと書いてありました。ですからもっと自分たちのお互いが見えるところに政府管掌健康保険を作って、保険料を払う被保険者本人や家族も加わって、あるいは事業主が経営に参加して、保険料を決めたり、診療報酬明細書のチェックをしたり、給付率についても考えたり、経営内容について知ることが必要ではないか。そうするとまず、都道府県別に分割していくことが考えられます。
 社会保険にはもちろん、再分配の要素とか逆選択を避けるための全員加入とか、民間保険との違いはあります。しかし、保険の原理に戻って考えると、よいサービスを少ない費用で提供する医療機関と契約するとことが必要です。そして保険に加入する人たちがそういう医療機関を選ぶ保険に加入するという方向に持ってゆきたい。ですから、各都道府県にひとつの保険ではなく、むしろ都道府県の中に複数の保険を置いて、その都道府県内の住民が複数の健康保険の中から自分が加入したい健康保険を選択する。但し、各保険者は自分の保険の運営方針をはっきり加入者に示さなければいけない。逆に保険者の方はこの人はどうも重い病気にかかっていて費用がかかりそうだから入れたくないという選択をしてはいけないと決めておく。これは保険者にとってかなり厳しいと批判されましたけれども、そうしないと、軽い元気な人ばかりを集めるところと、重い人ばかり受け持たされるところが出てきて、それは具合が悪いと思います。ですから、保険者は加入者を選べない。加入者は保険者を選べる。そういうシステムにしたらどうかと考えています。
 これは、先進国に似たような例がないわけではない。ヨーロッパは基礎保険料と追加保険料の2段階に分けて保険料を決めている国もありますから、そういうことができないわけはないと思います。
 つまり保険者と加入者の間に緊張関係をつくる。また、保険者と医療機関の間にも緊張関係を作ってもらいたい。自分のところは良心的なサービスを合理的な費用で提供しているのだとわかるように医療機関の方もしてもらいたい。組合管掌健康保険も同じようにしていけば良いのではないかと思います。

3 医療機関の選択と診療報酬のあり方
 診療報酬には、定額払いと出来高払いとに大きく二分されると思いますが、現在の日本では出来高払い中心です。つまり、実績主義です。定額払いというと、私たちは老人保健制度の定額払いばかりを考えますが、人頭払いもあり得ると思います。イギリスの家庭医の報酬の一部である人頭払い、自分のところに何人の患者さんが登録しているから、ひとり当たりいくらをかけるという計算があってもいいし、今の老人保健制度のような定額払いがあってもいいし、また急性期の治療は出来高払いで良いと思います。それらを組み合わせていくよりしかたがない。定額払いだけにすると、一方ではこの費用の範囲内で出来るだけのことをする、健康を保ってもらうという努力をするでしょうが、他方では、これだけの費用ではどうしてもこの人を治療できない。外してしまいたいという場合も出てくると思います。ですから、3つの診療報酬の支払方式を適切に組み合わせることが必要だと思います。

4 地域保険への統合
さきほど、段階的に国民健康保険を広域化する、それから、政府管掌健康保険を一つの都道府県内に複数つくっていくといいました。それから組合管掌健康保険もそしたらどうかといいました。しかし、私は本当はそういう分立したシステムが危険を吸収して緩和するシステムとしてはまずいと思っています。国民健康保険は広域市町村にしてもやっぱり老人加入者割合が高いでしょう。財政的に保たない広域市町村がかなり残るでしょう。そうすると国庫補助か公費負担がどうしても導入され増えてくる。国庫負担率が5割ぐらいまでいっている国民健康保険よりは改善できるとは思います。しかし、最終的には、地域健康保険にして、被用者も被用者でない人も一種類の健康保険制度に加入する方式にして、それを地域割りにしていく方法が良いのではないか。
 最後に、高齢者医療制度は必要かという問題ですが、これは、昨年まで95%を消費税で賄い、5%を自己負担で賄う、そういう高齢者医療制度のA案と、これ以上国民健康保険に高齢者が加入してこないよう、それぞれの被用者健保のなかに、定年退職者を元の被用者健保で保障するというB案と、ふたつ出していました。
 私は、高齢者医療制度を95%消費税で賄うという案には問題があると思います。どうしてかというと、国民健康保険も国民基礎年金も財政的に苦しい。他方、生活保護をとり上げてみると、歴史的にはいかに生活保護から脱皮するかが課題でした。生活保護は本当に最後の安全網で、臨時的に緊急避難的に機能するものであって、それを越えたところに普遍的な保障制度があってしかるべきだと近年は考えられています。そうなると、一般財源で保障するためには、資産調査や所得調査がからんでくる。つまり、医療費の財源が抑えられていますから、高度医療がどれくらい適用できるだろうかということ心配です。
第一、国民基礎年金も高齢者医療も、介護も全部消費税でというのはあまりに消費税に依存しすぎていると思います。基礎年金を受ける人は、平均寿命を考えるとほとんどの人と言えそうです。ということは、莫大な財源を必要とします。はたしてそれだけの人たちに十分な給付が出来るだろうか。大いに疑問です。70年代に負の所得税構想というのありました。どのくらいの費用がかかるかを何人かの研究者が計算した結果、負の所得税構想を導入して生活保護制度を廃止できるかというと、どうもそうはゆきそうにない。多額の財源を必要とするが、給付は生活保護の水準をクリアできるかという問題がみえて来た。それと同じように、対象者が非常に多い場合、消費税をそうした制度につぎ込むことが果たして適切か私は疑問に思っております。先ほど医療費と介護の費用の規模を比べましたが、医療の費用は年金の費用に比べ少ない。しかし、介護の費用に比べれば多い。介護の制度と医療の制度を統合する必要があるという意味では、両方とも社会保険でこなすか、あるいは消費税でこなすかという問題が起こってくるかも知れない。でも、当面は介護保険は社会保険方式で進めていく。ということは医療の方も社会保険方式でいかざるをえない。そして、その方が生活保護的な色彩がなくて済むのではないかと考えています。



Y 質疑応答


山崎:先日お書きになった本も読ませていただいております。考えていることはそんなに違わないですし、最後におっしゃったことはがんばっていただきたいと思います。
 先日国会の年金改正の公聴会で民主党の山本孝史議員から質問をいただきました。基礎年金はすべて税金でやるべきではないかということなのですが、私は「税金でやれということも含めて介護保険の見直し論議が高まったときに、民主党は先頭に立って見直し反対、保険でいくべきだ、タダにすれば国民が喜ぶわけではない、お金を払って権利としてサービスを受けたいのだという運動を展開した。その民主党が、なぜ年金になるといきなり税金なのか、そのような民主党が理解できない」といいましたところ、回答がありました。「年金はみんなが受けるもの、介護や医療は特定の人のもの。したがって、特定の人に集中する負担をリスク分散する意味で保険がいいだろう」ということでした。それに対して私は、「年金も掛け捨ての人はいる。65歳まで払って1月受けて亡くなる人もいる。キンさんギンさんのように長生きをされる人もいる。収入を失ってささえを必要とする状態をリスクというとすれば、まさに年金には大きな個別性がある。医療や介護と同じです。したがって、そうやってつまみ食いする民主党よりも、すべて税でという自由党の方が論理的にはしっかりしている」といったのです。しかし、すべて税金でというような、世界で例を見ないような社会主義をなぜ日本が目指すのかな、という気がします。これが最後の部分についての私のコメントです。
 国保の問題は介護もからみますし、やはり本格的な町村合併を目指すべきだと思います。おっしゃったように第二次医療圏あたりをベースに350ぐらいの基礎自治体が出来るのがいいのではないかなと思います。なにか昔の藩の数がちょうどそのくらいだったようで、やはり落ち着くところに落ち着くのかなという気がします。
 それから、医療機能評価機構に私はちょっと関係しておりまして、今320くらい認定を受けておりますが、意外にわれわれが知っている病院が入っていないのです。評議員をしている先生のところもさえも評価を受けていないのです。川北先生のところは当然受けておられますが、岩崎先生(日本医大)は受けておりませんし、大塚先生も受けておりません、レベルが低すぎてあんなものは価値がないということがひとつと、もうひとつは、これはいいことですが、立ち上げの際には厚生省からもお金が出ましたし健保連からも日本医師会からも出ております。しかし、基本的には評価料で運営していくといういいシステムなんですね。そうすると、1回の評価に100万円から200万円かかるのです。ですから自信のある医療機関にとってはばかばかしいということと、医療機関にとっては合格しなかったらどうだろうということがあって、城戸さんがおっしゃったように、何段階かに分けて評価を受けていくというのがいいのではないかという気がします。
 あとは、定額払いをすすめていくというのは、どうしても粗診粗療の問題があるから、外部の評価で担保する以外にないのではないかと思います。
 それから細かいことをいえば、地域保険への一本化というの場合に、しかも複数の保険者を選択できるということと、地域保険の一本化をどのように組み合わせるのかなという気がいたします。地域保険への一本化というのは老人医療だけではなく全部ですね。地域にいくつもの保険者があって、それを選ぶということですね。それは必ずしも自治体レベルではないということですね。非常に単純に考えてみると、組合健保を外部に開放して、それを地域の住民も入れるようにするということですね。政管健保もなくなる。自営業者も個人の資格で、たとえば東芝健保に入れる。そういうことになりますね。しかも、重い疾病のひとでもその加入を拒めないとなると、おそらく財政調整というものが必要となるでしょう。
 思いつきのようなコメントですが、全体としては城戸さんのお話に賛成です。

城戸:山崎さんがうまく説明して下さったので、助けられたのかなという気がします。
 まず、現在、組合健保が解散して政府管掌健保になりつつありますね。そうなると組合健保は事務費のみ国庫補助ですが、政府管掌健保には給付費の13%位国庫補助がつくので、国の負担はそれだけ重くなって、厚生省としては困っているところもあります。しかしそれを、例えば政管健保のかたちに戻しておいて地域に開放すると、雇用者ではない人が加入してきて、またこれが重い人を引き受けた場合に、財政事情が悪くなる。これを国が負担するかそれとも地方自治体が負担するかという話になってしまう。でも、国民健康保険、組合管掌健康保険、政府管掌健康保険という分け方はもう時代にそぐわないのではないかと考えています。

東畑:今日の話によれば、これだけの高齢化社会で老人医療がむしろ抑制されているとのことでした。勿論抑制されていることは保険そのものにとってはいいことに違いないけれども、実際に必要のないところが抑制されているのか。言葉は悪いが、老人見殺しのために抑制されているのならば問題だと思います。寿命を延ばして長寿になったのはいいとして、ただ寿命を延ばしただけというのでは状態は良くないわけで、老人医療が抑制されているということは喜ぶべきかどうか疑問です。例えば糖尿病の患者が600万人ぐらいいて、それに対する処置はなされている。しかし他に600万人の糖尿病予備軍がいて、それに対する処置は医者では処置できない。出来ないのは経済的な問題ではなくて、医者が予備軍まで処置できないのです。一次予防がこれから必要になっていくのに、完全には行われないのではないかという危惧がある。
 アメリカの場合には国民皆保険でないために医療費が高いということから、一次予防が徹底してきたともいえる。例えば栄養指導料、運動指導料等に対する保険料は微々たるもので、それに比べて治療に係わるものは非常に高い。今、医療だけが問題にされて保険のあり方について一つも議論されないということが、問題ではないか。このままでいくと、老人医療費が抑制されているというのは実際には見捨てられているということではないかと危惧している。
城戸:老人医療費を抑制しているといっても、入院の場合に示したように、いわゆる薬浸け検査浸けのところを押さえているという話であって、老人も、非効用が高かった。そこのところを抑えているということです。親戚で、なんでもない風邪で入院し、検査が必要だということになりバリウムを飲んだらそれが肺に入って、肺炎を併発して死んでしまったという例があります。そういう意味で老人も非効用を少なくする必要があり、注射とか検査、投薬を抑制していく方向はこれはこれでいいのではないか。
 それから、健康長寿は日本の政策の目指すべきものであって、一次予防の重要性は確かにあります。しかし、日本ではなかなか徹底しない。いつもなにか新しい制度を作ろうとすると、目指したものとかなりずれてしまうという恐ろしい面があります。また、予防と同時にリハビリの厳しさをのりこえられるかという心配もあります。寝たきりをつくるよりは費用が少なくてすむ、あるいはボケをつくるよりコストがかからないという意識を日本人はもっと持つべきです。BS放送で見たのですが、アメリカの有料老人ホームにいた1人暮らしの90歳のおばあさんが肺炎になって入院し帰宅したら寝たきりになっていた。そうしたら、その人につきっきりで、寝たきりを自分で起きて歩けるまで、もちろん歩行器をつけてですが、そこまでのリハビリを実行する。90歳の人に。寝たきりの人を世話するのにどれくらいの人手がかかるのか、本人も寝たきりでは面白くないでしょう。しかしあのリハビリを受けている様子を見て、ずいぶん厳しいと思いました。果たして自分がそういう状況に置かれたとき、耐えられるだろうか。しかしアメリカ人は独立心が強いですから、誰にも頼らない、そのためにはこれを耐え抜くという姿勢を90歳をすぎた人が示していた。ですから、予防とリハビリをもっと徹底してやらなければならないというご意見に賛成です。
 次に、医療と保健を一緒に考えなければいけないという点について。実は政府管掌健康保険のなかにも保健事業があるのです。健康診査とか健康診断とか健康相談とかの事業をやっています。ただ、そういう事業を行う企業にメリットをつけなければいけと思います。健康審査とか健康相談をやって、この企業ではこの種類の疾病出現確率がどのくらい下がったとか、あるいは目標をこのくらいに設定しようとか、はっきりした数字を出して保健事業を実施した方が良いと思っています。
 それから、国民健康保険。私の住んでいる自治体には不老体操というのがあります。それを公衆浴場に引っかけて、ふろう(風呂)体操といいます。お風呂やさんが週に1度か2度、自分の浴場を開放し、老人に体操を教え人も来る。そういう健康教育をして、小さなサンプルですが、そういう人たちは通院する回数が減ったという結果を得た。福島県西会津で保健事業の実施によって明らかに医療費が下がったという記事を新聞で読みました。

東畑:長野県の医療費が減ったかというデータもでておりますが、やはりそれは1次予防をやっているからですね。アメリカの場合に保険費用と非常に密接な関係がある。例えばやせるという指導をしたときに減量に成功した人に保険をまける、逆に太った人は保険費用がますます高くなる。そういうことろがすごくはっきりしている。やはり決め手はお金かなと思います。日本ではそういうことはできないと思うし、そういう必要があるかどうかはいえない。アメリカにしてもスウェーデンにしても介護制度というのは自立を目的としている。日本人の場合にはそれに耐えられるかどうか疑問はある。それから、介護されるということよりも、老人自身が自分で出来ることを考える必要がある時代ではないか。

城戸:私は最初の部分で、日本の1人一日当たり医療費の単価が低いから、廉価大販売になるといいました。ですからもっと単価を高くした方が良いと思います。そうすると消費する方も考える。アメリカは非常に医療費が高いけれど、でも最先端の医療を実施していると胸を張ってます。日本はそのように誇れるかというと、クエスチョンマークがつきます。いい技術はどんどん取り入れていったらいい。ただし、例えばホスピスとか臓器移植とかは保険の外でやったほうが良いと思います。イギリスにはナショナル・ヘルス・サービス(NHS)という国営医療事業の制度がありますけれども、イギリスで初めてホスピスを始めた方が上智大学に講演に来られたときに、イギリスでもホスピスはNHSの外で財源を賄っていると聞きました。寄付でやっていますと説明されたのですが、そういう特殊なものは保険外で賄った方が良い。そのほかは技術水準があがってきたらとりいれて、人件費がかかってもよいサービスをする。そして、医療サービスは高いものだからやたらに使わないよう自分たちも気をつけようという方向をとらなければいけないと思います。

岸:さきほど新しい医療保険制度について一元化をすべしということですが、その一元化の場合、イメージがもうひとつ掴めきれないのです。一方では同じ地域内で複数の保険事業組合があって競うというような話ですが.....。最初のイメージですとドイツの疾病金庫の地域版みたいなことをおっしゃっているのかなとも思いましたが、そうすると、二次医療圏といいますと、あまりにも単位が小さすぎないかなという気もしますし、もう少し具体的に教えてください。

城戸:二次医療圏を持ち出しましたのは、国民健康保険を市町村単位でやっているのは無理だ。もともと保険という制度に馴染まない規模だということを申し上げ、最初の段階で広域市町村、つまり二次医療圏でやったらどうだろうかとお話しした次第です。一元化した場合の地域保険は別に二次医療圏でなくていい。ただ、都道府県の中に複数作っておいた方が住民に選択の余地があっていいだろう、それくらいの漠然とした言い方をしているのです。

岸:保険料徴収というのは、今の国保のような形で新しい保険組合ができるわけですが、その保険組合に自主的に加入して自ら保険料を納めるという形ですね。そうすると、今の日本の国民皆保険というのは、いってみればあのずさんな国保、破綻している国保でなりたっている。実質収納率9割ちょっとしか全国平均でありません。大阪あたりでは8割程度しかないところもある。その人たちもただ乗りさせて国民皆保険を今現実にやっているという事実があります。それを、自主的に地域保険に自ら加入して、保険料を納める人だけしか面倒をみませんよという厳格なシステムになると、1割近い人間を切り捨てていくことになるという懸念もあるのですがどうでしょうか。

城戸:国民健康保険税や新しい地域保険などの保険税ですが、保険料を払わない場合、二通りの理由があると思うのです。一つは実際に能力がなく払えない低所得者です。そういう場合には減額するか減免する。そういう配慮がされていい。第二に支払能力があっても払わない場合。こういう場合には罰則があってしかるべきだと思います。自己責任の時代になりますから、これは切り捨てというより、自分で自分の責任を持つということだと思います。
 かなり反発があるかもしれないけれど、ついでにここで言ってしまうと、基礎年金の3号被保険者は国民健康保険に全員加入せよといいたい。

鳥居:老人医療費の抑制が医療の質を悪くしているというのは短絡的ではないかと思う。
 消費税の問題ですが、税金で処置するのか社会保険のほうで処置するのか、これは負担するほうの側にとっては同じことなのです。消費税で負担するのか直接税で負担するのかは直間比率の問題で、負担の仕方の問題という面があるわけですが。もうひとつ、税金のなかで社会保険の費用のほうへ、負担が移転する場合があるわけです。基礎年金の3分の1が税金から基礎年金へ回っている。勤労者だけが余計に負担している中で、基礎的部分ぐらいは一緒に負担していこうという動きはあって当然だし、税金における所得捕捉率の平準化そのものになっていくのではないか。
 もうひとつ、連合は基礎年金部分の国庫負担を当面2分の1にして、将来は税方式すべし、第3号被保険者から年金保険料をとることは反対ということです。

城戸:一番最初に老人医療費の抑制ですが、総額が抑制されているのではないのです。老人の数が増えているから、なんとか一人当たりの老人医療費を抑制したい。その場合に何を抑えるかというと、薬浸け、検査浸けの批判が強かったから、そこから着手して入院費を抑制したということです。それから、MRIやCTスキャン等の高額機器が日本にありすぎるのはたしかです。しかし、老人医療費と一般医療費をくらべていただいたらわかりますが、一般医療費のほうが増加率は高い。従って、一般医療で使われている可能性が多く、老人医療に対してだけ使われているとは思えません。
次に消費税の議論ですが、1988年に民間のシンクタンクで「21世紀の年金医療と福祉」というプロジェクトを組んだときに、たまたま野口悠紀雄先生がいらっしゃり、年金を全部消費税で負担すると将来どのぐらいになるかという質問が出ました。それに対し先生は年金だけで15%とおっしゃった。2020年代ですが。それに医療がまた加わり、介護も加わる。その場合、私たちは消費税20%に耐える覚悟があるか考えなければいけない。また財源調達をどういうかたちで行うかで経済への影響はかなり違うと思います。例えば社会保険料で負担すると企業の負担は重い。消費税にすれば企業の負担は軽い。また、資産も消費に反映されるから、消費税で十分だという考え方もある。しかし、私自身は資産所得、資産そのものではなくて資産から生まれる所得に対して課税するのが良いと思います。なぜならば、高齢者のほうが稼働世代よりも、持っている資産が多い。不動産を除いた流動資産でみても多い。従って、消費税を持ち出す前にまず資産所得に課税した方が良い。

司会:市場原理の導入のところで、広告規制もはずして競争を導入せよというお考えでした。しかし、供給側については、過剰病床などという実態を考えるとやはり規制しなければいけないということでした。たしかに、今のような出来高払いとかこういう歪んだ制度のもとで、作れば売れるという制度ですから、そういう規制が必要な感じもするんですが、さらにいえばもっと供給を増やして、駄目な医者はマ−ケットから叩き出して、もっとすっきりしたシステムに変えることが出来ないのかとも思うのです。規制を一部でも残すと、どうしても、今度は長期療養と急性の疾病を分けて規制していく、というように規制が自己増殖していくのではないか。

城戸:それは医療サービスの特質、情報の非対称性を考えると自ら答えが出てくると思います。更に、日本の場合に医療側がどのように行動しているかを観察していると、自由市場主義では医療費の効率化はできないと思います。かつて1970年代後半の西ドイツで、保健医療協調行動会議が設置され、医療費抑制の方法として、毎年の医師の報酬総額の伸び率について勧告を出していた。それは医師報酬総額の伸び率をこの範囲にするのが望ましいという勧告です。勧告だから規制力はない。規制力はないが、医師の側はあえてそれを受け入れた。つまり、西ドイツ全土にいる医師がその年に受けとる報酬総額の伸びはいくらと抑えられるわけですが、それを医療側が呑む。なぜそれを承諾するかというと、そうしなければ医療費が伸び続けもっと強力な規制がかかってくる。だから自分たちは受け入れるという説明を受けました。ドイツのような行動をとる医療側だったら自由競争原理の貫徹というのは非常に良いだろうと思いまが....。

鹿野:消費税率15%といっても、そこで忘れていけないのは、結果、われわれが今払っている年金の保険料が減るということです。今の基礎年金であれば年間7%ぐらいでしょう。だから、実際にはグロスで考えるのかネットで考えるのかでちょっと違うということです。そこだけ、リマークしておきたい。
 医療や医療保険をよくしていこうとすると競争原理を導入していく必要があるというのは、おっしゃるとおりだろうと思います。それで、もっと極端に考えれば、ひとつは自由保険。要するに強制保険、皆保険をはずしてしまって、アメリカみたいに全部自由にする。保険者が個々人と契約して競争をやる。そうすると、コスト削減のために予防医療も全部いく。データも入ってくる。だから定額制の前提となるいろんなデータが集まっているという話ですね。ひとつはそういう徹底して国民皆保険をはずしてしまうという極端な意見があると思うのです。もうひとつは混合保険といわれるもの。自動車保険でいうと、強制保険と任意保険。ある一定のところまでは政府がやっている強制保険でカバーして、それを超える部分は任意保険でやっている。保険にもこういうかたちが入らないのかというのがもうひとつのオプションだと思います。
 もうひとついうと、こんどはサプライサイドの話で、アメリカでいうとHMOが病院を持っています。日本では持てません。要するにサプライサイドの再編というと、そういう形での病院、単に保険だけの自由化だけでなくて、保険者機能強化だと保険者が病院を経営する、いろんなオプションがあると思うのです。このへんについてどういうふうにお考えでしょうか。

城戸:消費税から社会保険料を引いた分は楽になるのは事実です。しかし、果たしてそういう消費税に耐えられるかが私の言っている主旨です。保険料が軽くなるのは稼働世代。でも高齢世代が20何%の消費税に耐え得るのか。それから、基礎年金部分だけだともっと低くなるでしょう。確かに介護は4兆円強ですから、これは2%ぐらい。もし基礎年金が7%ぐらいだと、両者を加えて約9%。それに医療保険が5%ぐらいとすると14%になる。でも14%の消費税をみんなが合意するかどうか、報酬比例年齢は社会保険料でしょう。社会保険料が全部なくなる場合の推計を出して選択肢を出して示すことが出来れば良いと思います。ただ、なにもかも消費税、一般財源で賄うことは、他方で非常に危険です。なぜかというと、そこには必ず、資産の高い方はご遠慮ください、所得の高い人はご遠慮ください、そういう制限がついてくる。それはもう、生活保護の世界へ戻ってしまう。それは非常に困る。
2番目に、全部アメリカ型の任意保険にしてしまうということ、これには賛成できない。何故かというと、社会保険は強制加入、全員加入と再分配制度をとっています。もし任意加入の私保険だと、そして個人々々で保険料と給付とのバランスをとるのだとすると、低所得者や体の弱い人は生命や健康を買えないということになります。
それから、強制保険と任意保険との組み合わせは、可能性としてあり得ます。社会保険でも所得階層の下から9割強までは加入させ、上の8%は任意加入にするという先進国も存在しますから、そういうやり方も充分あります。ただ、全員を任意保険にするのは大いに問題だと思います。
 それから、HMOが病院を持っているという話ですが、それもHMO自体に問題があります。現在HMOのもたらした弊害が日本にも盛んに報道されており、日本への導入には用心が必要です。

山口:保険者の抑止力の問題ですが、契約の形態として医者と患者の関係は委任が大部分だと思います。で、請負というのもあってもいいのではないかと提案したいのです。医者だけでなくいろんな人が関わっているわけですから、ある程度見積もりとか情報開示していい部分もあると思うのです。そのことによって、どのぐらいでこれはできますよというようなことも、部分的にあってもいいんじゃないかと思うのですよ。その場合、例えば最近は臓器移植のように危険で治る確率が少ないというようなものが委任であってはおかしいと思うのです。治ったら払うよ、治らなければ払わないよという部分がないといけない。したがって、請負という選択肢があってもいいのではないか。これはさきほどの予防と治療ということにも関係してくると思います。
 老人医療の問題ですが、だいたい家の中でテレビをみていてじっとしていたら足腰は弱ってきますから、そのうちに体がこわすのは当たり前の話で、では出歩いて人と話をしたりという都市構造になっているかということを考えると、例えば歩道や自転車道は幅が全く狭い。そうすると都市構造そのものも無駄なところにカネを使うのではなくて、そういうところに使うというような考え方もあるのではないか。それが幽霊商店街の活性化にもなるんではないか。そういうところで人との出会いもあるんではないか。
 精神病の問題ですが、われわれには関係ないと思っているかもしれないが、ノイローゼというのは会社関係にもあるわけです。自殺をしたとか自殺未遂というのがけっこうあるのです。精神保健法のなかで第一次相談員というのは保健婦がやっているのですが、実際に話もしたのですが素人だと思うのです。専門的知識は殆どない。ここに保健婦6000人と書いてありますが、医者の数よりずっと少ない。専門の人があたるというのは、いろんな事件の一種の予防にもなると思いますし......。

城戸:第1点目の、委任でなく請負の制度があってもいいのではないかという問題ですが、日本でいう標準医療、アメリカのDRG、つまりこの種の疾病ならばこのくらいの費用で治すという支払方法、それ越えたものですか?

山口:一般的に治る力をもっていて評価の高いものは委任でもいいと思います。やるとどうも危険だというものは請負でもいいのではないかということです。それからもうひとつ、さきほどリハビリというのがでていましたが、これは見積もりが当然でてもいいんじゃないかと思います。治療にかかる前にだいたい予算がでますから。退院するときにびっくりするような値段をいわれても困るわけです。

城戸:わかりました。見積もりを出してもらうのは確かに一つの方法でしょう。請負制度には興味深い面があるとおもいます。しかし、特殊な疾病に対してですね、それから説明と納得、その辺にかかわってくるという気がします。今後の検討課題とさせていただきます。
2番目の都市構造がバリアフリーでないというお話です。実は建設省のほうから、バリアフリーの社会経済的評価に関する研究のレビューをせよという恐ろしいテーマを与えられました。わたしはそういうことをとくに専門にしていないといったのですが、どうしてもといわれて、昨年の12月に話をしました。建設省もそういう問題に関心を持ち始めている。土木工事もそちらの方向に進まないと持たなくなってきているように思います。建物の構造と移動の問題もありますね。マイクロバスで狭い道に入っていく可能性、交通過疎地域の人たちをどう救済するかという問題、また障害者の使える移動手段等の問題です。
 しかしそれより根本にあるのは、地域共同体をもう1回作り直す必要です。これは介護保険の問題と取り組んでいるうちに、痛感しました。子どもも障害者も高齢者も全部一緒になってお互いに助け合う。昔は自然にとなり近所のつきあいがあったのですが、今はない。都市化してきたために社会保障や社会福祉サービスが地域単位や行政単位、あるいは職域単位で出来てきた。でもそれらに依存しすぎて地域は空洞化してしまった。そうしたことから生じているリスクはたくさんあります。それらの発生を予防するためにもう一回地域共同体を作り直さなければならない。それをどのように行うのか。たぶん、元気な高齢者にお願いする部分が沢山あると思います。定年退職され元気な方は沢山いらっしゃいます。女性も歌ったり、趣味活動をしている元気な人はたくさんおられます。そういうことだけでなく、地域の子どもを集めて昔のお話をするとか、学校へ行って昔の遊びを教えるとか、日本の歴史を語るとか、子どもと解け合う努力をする等々。隣近所や地域に目を光らせるとか、何かの役割を積極的に担っていただきたい。高齢者の自立を促進するということよりも、自分たちのできることをしてください、自分たちの生き方を変えてくださいと言った方が良い。65歳の人の平均余命は男性で17年、女性で21年です。ですから、20年近く語学を習ったり、外国に遊びに行ったりするだけでなく、その他にもするべきことはたくさんあるのではないですか、そうでないと自分が満足できないのではないか。生き方を変えいただきたいと言いたい。
 今地域で活動しているのは中年の女性が多い。しかし、だんだん定年退職された男性が参加されだした。男性に生き方を変えて頂きたい。そのためには稼働時代に勤労時間がもう少し短くならなければいけない。
 私がいいたいことの一つに、社会保障だけでできることは限られていて、その外側にある問題、例えば雇用や税制の問題が片付かないと社会保障はうまく機能しないということがあります。例えば、国税と地方税の分割の仕方が社会保障・福祉に大きく影響します。さきほど直間比率の話でしました自営業者は所得捕捉が難しいというけれど、それならば国民総背番号制を我慢するしかないと私は思います。現実には企業に個人の秘密が沢山漏れています。それが平気なら、合理的な税制を作るためにどうして国民総背番号制を我慢できないか、私には理解できない。
 最後に精神医療の問題ですが、これはとても深刻です。今勤め人のはなしをされましたが、7〜8年前に高齢者住宅の問題を専門にしているかたから、児童の精神医療がとても必要になっていると伺いました。たぶん青年になっても家に閉じこもったきりというのは子供時代から問題があったのだと思います。ですから、精神医療の専門家やそれを助ける人を育成していくのは、とても大切だと思います。

小倉:私はなにも知識がないのできょうは勉強に来たのですが、今やっている仕事は障害者が働くのを援助する仕事をやっています。そのなかで感ずるのですが、厚生省のやっている仕事がどうしても腑に落ちないのです。つまり、大変なお金を使って障害者に対して力を尽くしているといっていますが、実は障害者に対してではないのですね。例えば公的にできた障害者のための施設、授産施設とかそういったものは、障害者のためではなくて役人のための施設なのですね。つまりそこで働いている職員のための給料にみんな消えてしまって、障害者は大体どこへいったって月給1万円以下です。これはもう、けしからんと思うのです。この間も札幌のデイケアセンターへ行きましたら、これは市がやっているところですが、膨大な土地に立派な二階建ての建物があって、そこに障害者が90人毎日通ってくるんですけれども、絵を描いたり、陶芸をやったり、設備が完備しているのです。電気窯があって、絵を描く道具がそろっていて、お茶室があるし。しかしここへ来ている人は幸せなのかなあと思いまして、私はあえて働くことについてどう考えるかという話をちょっとさせていただいた。そしたら、あとの質疑応答の時間になったら、だいたい3分の1の方が障害者だったのですが、その人たちは働きたいというのですね。働くことの癒しとか、働くことの満足感というのが、公的な施設にはひとつもないのですね。これはなんとかしなければいけない。陶芸をやっていて立派なお茶碗を焼いているわけです。そこで、売るんですかといったら、売らないというのです。なぜ売らないのですか、売ってお金になることが作った人には楽しみになるのではないですか。だけど公的機関の人は売っちゃいけないという。ともかくやっていることが逆立ちしているようです。単なる感想だけですが・・・。

宮武:埼玉県立大学にいるんですけれども、実は昨年4月まで毎日新聞で論説をやっておりました。きょうは先生の話はだいたい同感するところが多いのですが、ちょっと教えていただきたいのは、最終的な姿は、都道府県単位で被用者も勤め人も自営業者も3つか4つある保険に選択して入れるわけですね。そうなると山崎先生もさっきおっしゃったように鹿児島でやる保険は非常に高い、東京の保険は非常に安いということになるわけですから、おそらくみんな鹿児島の保険に入りたくないわけです。そういうかたちになって、おそらくそれは財政調整するということになるわけですね。もうひとつは、所得の把握が自営業者と勤め人では全然違うということと、組合健保の場合は企業が半分以上出している、実質的に大手の健保だと6割強も保険料を払っているわけですね。その部分はいったいどこへいくんだろうか。その部分を外れたら、その部分を賃上げしてくれるほど企業は実際には甘くない。そういうところが大変気になるところです。
 それからもうひとつ、最終的に絵を描いておられるところに行くためにはさっき二次医療圏で保険者をつくれとおっしゃったけれども、それはちょっといっぺんにはなかなか難しい。そうすると、老人医療保険で今の選択肢のなかにあるつき突き抜け方式と一本化のうち、途中経路としてはどちらがいいですか? 私は突き抜けかなと思って聞いていたんですが。

城戸:所得捕捉は国民総背番号制を我慢するしかない。私がアメリカに学生でいったとき、社会保障番号がつきました。そして、毎年収入を申告しなければいけなかった。夏休みにはアルバイトをしますから、多少の所得はありますが、たいした額ではない。それでも申告をします。
 それから保険料の事業主負担は、6割や7割の場合には減らしていかざるを得ないでしょう。それに3号被保険者はもちろん自分の分を払うということになると思います。

宮武:こどもは男か女かどちらかを被扶養者にするわけですか?

城戸:こどもは除きます。配偶者だけを個人単位にします。
 元の話に戻すと、国民健康保険の場合に、例えば1万人以下の村とか町ではそもそも保険として成り立たない。一発大事故が起こったら、即アウトです。ですから、そういうのは止めて、第1段階として広域市町村でやったらいかがですか、二次医療圏とだいたいマッチするようにしたらどうでしょうかという話です。
 もうひとつ考えているのは、おっしゃるように突き抜け方式がいいと思います。まずそうやって国保を救済して行くところから始めて、段階的に最後は1本化された複数の地域保険にしたらどうかということです。財政調整は避けられないだろうし、公費負担も避けられないだろうと思います。

宮武:その過程で老人医療保険制度はなくなっていくということですね?わかりました。

山崎:城戸さんのご報告にありましたように、日本は民間医療機関中心で発展してきたのですよ。そのことの功罪をどのように考えるか。おそらく公的医療機関主体だったら、相当医療費は高くなっていたはずです。今病院も病床もだいぶ減りつつあります。これは社会問題になりませんね。これが国立病院を潰すといったら大変な問題なんです。患者がいなくてもつぶれない。つまり、日本は意外にいい医療制度、しかも結果的に、川上武先生がおっしゃる「低医療費政策にうまく民間医療機関を使ってきた」という感じがしないでもないのです。いろいろ医療の弊害をいわれますが、日本では、全体としては安い費用で、効率的な医療を、民間活力で提供してきたといえるのではないか。

城戸:国立病院とか公立病院を潰すというのは大変な話だと思うのですが、ただ敗戦後、軍関係の施設を国とか公立に戻しました。それをそのまま引きずっているのはやはりおかしい。それから、看護婦の労働市場を研究している院生の論文によりますと、国公立の病院と民間の病院の看護婦の待遇が全く違う。専門技術が同じでも待遇が全くちがうというのはおかしいと思います。
 ですから、民間活力の低医療費でやってきたという評価もできますが、職員配置の問題を見ても、病床ばかり増えて十分に人材が育っていないという歪んだ形になっているのではないかと私は思います。

司会:土光臨調のときに3K赤字ということがいわれた。その後、国鉄はそれなりに解決を一応した。食管制度も一応、昔に比べればはるかに問題が軽くなった。ところが、健保あるいは医療の問題はますます深刻になっている。土光臨調から約20年ですが、まだ課題として残っている。これからますます議論が行われるだろうと思いますが、私どももさらに引き続き考えていきたいと思います。