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シリーズ討論

これからの税制のありかたについて

国民会議ニュース2000年1月号所収
以下は12月9日に開催されました会員懇談会における八田達夫教授の講演と質疑をとりまとめたものです。質疑における質問については、事務局で簡略化いたしました。


第T部 消費税シフトはすべきではない
  1 日本の所得税率は低い
  2 消費税シフトは高齢化対策にならない
  3 消費税シフトはクロヨン対策たりえない
  4 所得税は日本の活力を減退させない
  5 直間比率の是正は安定した財源が狙い
  6 財政による所得再配分は必要
第U部 財源はどこに求めるのか
  1.基礎年金の財源としての付加価値税
  2.財政再建と税制
  3.高齢化対策としての税制
第V部 結び
質疑応答 



第T部 消費税シフトはすべきではない
 私は以前から所得税のあり方をきちんと立て直せば消費税はなくてもいいと考えております。本日は、第T部でその根拠を申し上げようと思います。第U部では、将来の財源をどう調達すべきかをお話しします。


1 日本の所得税率は低い
 私が消費税シフトに反対である理由の第1は、日本の所得税の比率が国際的に見て非常に低いということです。は、OECD諸国のGDPに占める個人所得税の比率を示したものですが、これで見ると日本は最低です。日本の6.1%は、1995年の数字ですが、その後、日本では所得税の減税もあり、また、税収の落ち込みもありますから、さらに下がって5%台になっていると思います。なかにはデンマークのように27%などという特別な国もありますが、ドイツとか米国などでは10%前後ですから、まあ、日本は所得税率がやたらに低く、普通の国の半分であるということをまず指摘したいと思います。
しかし平均所得税率が低いのは自営業が税金を払っていないせいで、サラリーマンの所得税率は高いから、日本では大学を出て中年になった人の税率は高いのではないかと思われるかも知れません。実は、これも正しくありません。グラフは1ドル110円で換算した昨年の数字ですが、3500万円位まではアメリカ、ドイツ、イギリスに比べて日本のサラリーマンの税金は一番安いのです。3500万円といえば、サラリーマンの99%がそれ以下になります。
 特に、日本の平均所得税率が現時点ですでに低いということは問題です。高齢化はまだ本格的に始まっていないわけで、勤労世代が多いときにすでにGDPに占める所得税収の比率が低いということは、高齢化が進んだときにはさらにもっと低くなるわけです。ですから、これには非常な危機感を持っております。
 こういいますと、日本では税収そのもののGDPに占める比率が低いから、GDPに対する所得税収も低いのだろうという人がいますが、これも正しくありません。そもそも税収に占める所得税の比率は、アメリカでは70%、ドイツでは38%、英国では35%なのに日本では34%と、税(国税)の中に占める所得税の比率自体が日本は低いのです。したがって、日本では所得税が高すぎると言う議論は、ありとあらゆる点から見て根拠がないのです。
 ここまで日本の所得税が落ち込んできた根本的な理由はなにかといえば、課税最低限が高いからです。課税最低限が高いと言うことは、各種の所得控除が多いということです。給与所得控除も非常に高いし配偶者控除、配偶者特別控除などさまざまな控除があります。
 こうした控除がどうやって出来てきたかといえば、弱者(所得の低い人)は可哀想だ、だから課税最低限を上げようとやってきたわけです。
 しかし、課税最低限の引き上げは弱者よりも中流以上により大きな恩恵を与える方策です。課税最低眼を10万円引き上げると、まず課税最低限以下の人にはなんの得にもならない。次に、税率が15%の人であれば、1万5000円助かる。ところが、限界税率が60%の人は6万円の節税になるのです。弱者を助けるという口実の下に、弱者はほとんど助けず、中流以上の所得階層の人全てに大変な減税の恩恵を与えている。まことに愚かしいとしかいいようがないことをしてきた。旧社会党は、ウチは貧乏人の味方だからといって課税最低限の引き上げを主張してきた。そして、高所得者や中間所得階層からの税収をどんどん失ってきた。これだけ所得税が低くて税収がなければ、他の税に向かうのは当然です。ここまで所得税の課税最低限を上げてきたことが、消費税を上げることになった原因だと思います。消費税を生み出した母親は大蔵省であることはわかっているのですが、一見すると分からない父親は、実は社会党であると思っています。まさに、左翼的近視眼的な税制の発想が日本の税制の現況を招いたわけです。
このほか、所得税に関してはキャピタルゲイン課税も有名無実である。フリンジベネフィットも非課税対象が大きい。第1に社宅や公務員住宅です。私はアメリカから帰ってきてしばらくは公務員住宅に住んでいましたけれども、60平米程度でしたが大阪の一等地で月1万3000円の家賃で暮らしていました。元来ならば、世間相場との差額は当然所得になり、課税の対象になります。アメリカでは、日本の現地法人が社宅を提供している場合、複数の不動産屋から市場家賃の評価をださせて、実際に支払っている家賃との差額を課税対象としています。こんなに所得税を取られたらたまらないと日本の現地法人の方は文句を言うわけです。しかし、これが元来の姿です。第2に、日本では月5万円までは通勤費は非課税です。これも変な話で、遠くに住もうが近くに住もうが従業員の勝手なわけですから、どこに住むかに関係なく給料を払い、遠くに住む人には税引後の給料の中から通勤費を払ってもらえば良いのです。アメリカではまさにその通りになっています。日本の税制では、東京や大阪の通勤費に膨大な実質的な補助を行っています。このように、いろんなことがルーズに行われているわけです。
基本的には所得控除と非課税所得が非常に大きいということが日本の所得税の低さの最大の原因です。ところが、一般には日本の所得税が高いといわれています。その理由は、大蔵省財研の記者のみなさんの多くが、自分では何も考えず調べず、大蔵省の宣伝を鵜呑みにしているからです。

2 消費税シフトは高齢化対策にならない
 消費税にはいろいろなメリットがあるといわれております。そのうち最も広く受け入れられているメリットは、「高齢化対策として役に立つ」というものです。
 大阪から東京に出てきてタクシーに乗ると必ず「消費税についてどう思うか」と運転手さんに聴いてきました。消費税の議論のあった頃に運転手さんから出てきた意見は、その大半が消費税導入のやり方がけしからんというものでした。また、所得税でやるべきで消費税はけしからんという方も2割くらいいました。しかし、あとの8割は、やり方はけしからんけれども、長い目で見れば導入はやむを得ないでしょうね、というものでした。高齢化時代になれば現役からの税金だけで賄うのは無理で、年取った人からも税を取る消費税が自然ことでしょうというものでした。この議論は日本の国民の間に広く浸透しております。
しかし、これは正しいのか。所得税から消費税へとシフトさせることで、本当に高齢化時代の勤労世代の税負担を軽減できるのか。私は、全く出来ないと思います。
確かに、所得税から消費税にシフトすることは、勤労世代の勤労時代における税負担は軽減されます。しかし、彼らは60歳か65歳で退職した後も、死ぬまで消費税を払い続けることになります。つまり、生涯を通じた税負担を考えますと、なにも減りません。確かに、若いときの勤労時代の税負担は減ります。ところが、退職後も税を払い続けるためには、若いときから貯蓄しておかないと、退職時の生活水準は下がってしまう。そうすると、貯蓄のために、若いときの消費水準も下げておかなければなりません。
 普通の議論は、トリックを使っているわけです。高齢化時代の勤労世代の勤労時代の瞬間風速の税負担だけをとりあげているのです。しかし、それは全くどうでもいいことで、彼らの生涯における税負担はどうなるかということが問題なわけです。そうなると、あきらかに彼らの負担は減りません。
これは、平均的な現役の話です。しかし、消費税へのシフトというのは、当然ながらお金持ちの税負担を減らして貧乏人の税負担を増やします。たとえば東京のタクシーの運転手さんは400万から450万円というのが大体の年俸です。この人たちは所得税を全然負担していない。もし、所得税中心のままでいけば、高齢化時代にも彼らの税負担は低いままです。しかし消費税シフトによって彼らの税負担ははっきり増える。
高齢化時代の勤労者は高校生の息子を持っているから税負担が上がると可哀想だ。だから所得税を下げるといいます。しかし高齢化時代のタクシーの運転手さんも高校生の息子を持っているのですね。消費税シフトによって、彼らの税負担は、老後はもとより現役時代にも確実にあがる。つまり、消費税にシフトすることによって、平均的に見れば高齢化時代の現役の生涯負担は変わりませんが、階層別に見れば、所得の低い人にとっては確実に負担は増えるわけです。
 もう少しはっきり言うと、消費税シフトは、高卒の人の現役時の負担を増やして大卒の人の現役時の負担を減らすということです。消費税というのはそういう働きをするものです。これを良いこととするならば、何の問題もありません。でも、そういうならば、それを争点として選挙を戦ってもらいたいものです。消費税シフトが高齢化対策になるというのは、間違った議論です。
 ついでにいえば、旅館の仲居さんの収入は年間200万円くらいです。低所得者などはあまりいないだろうと思っておられるかもしれませんが、ごくごく普通にわれわれの周りにいる人たちが、かなり低い所得であるということには注意する必要があると思います。消費税シフトをすれば、高齢化時代に現役の仲居さんの生活は確実に悪くなります。その一方で、高齢化時代の日銀マンで、現在でいえば2000万円位の所得がある人は、現役時点には確実に得をする。消費税シフトは、高齢化時代の恵まれた層の負担を軽くするために、恵まれない層の負担を増やす改革です。
  次に現時点で消費税シフトを進めることはどういうことを意味するか。下の賃金プロファイルのグラフを見ていただきたいのですが、中小企業で働く高卒者というのは35〜6歳までは大企業で働く大卒者とあまり賃金の格差はありません。しかし、その後一挙に格差が拡大します。この結果、所得税減税の恩恵を受けるのは50歳以上の大企業で働く大卒者です。この層は所得税減税によって大きな便益を受ける。
ところが、この世代は年金を通じて国から大きな便益を受けることが既に決まっている世代でもあるのです。現時点で、64歳の平均的厚生年金加入者の場合、生涯に払った保険金を5000万円上回る給付をもらうことになります。ネットで5000万円を国からタダでもらえるわけです。この64歳の人が2000年に生まれる人と同じ保険料率と給付率に直面するとしますと、2500万円余計に払うことになります。つまり、生まれた時点の差で7500万円もの格差が出てきてしまうわけです。われわれ50歳代も、64才の人ほど大きくはないけれども、かなりの額をもらうことになります。この財源は天から降ってくるのではなく、後の世代のひとが負担しているのです。2500万円余計に払う世代の人が数多くいて、彼らがサポートしてくれるわけです。
いってみれば、いま50歳代や60歳代の人たちは泥棒のようなものです。彼らに大きな恩恵を与える所得税減税を今行うことは、泥棒に追い銭を与えるようなものです。この泥棒の世代の中でも、とくに大企業に勤めている大卒のひとだけに恩恵がいくわけです。こういう人たちが逃げる前に税や保険料を取っておかなければいけない。つまり現在所得税を高くしておかないと、その分高齢化時代の現役世代の負担を大きくしてしまいます。
 世代間の公平を保つべきかどうかは経済学者があれこれ言う必要はないかもしれませんが、高齢化対策として将来の現役世代の負担を軽減することが消費税導入の目的だと大蔵省はいうわけですから、少なくとも、その目的からは全く外れているということはいわなければならない。
 では、高齢化対策のためにはなにをしたらいいのかについては、第U部でお話しします。

3 消費税シフトはクロヨン対策たりえない
 「消費税シフトは、クロヨン対策のために必要だ」という意見もあります。これもなんの論拠もない意見だと思います。
 まず、消費税には益税ということがあります。売り上げ3000万円以下のところは、客から消費税をとっても税務署に納めなくてもいいということです。これはクロヨンで問題となっている自営業にさらなる恩恵を与える結果となっています。これに対して、「さらなる恩恵は与えてはいない。多少の益税は発生しても、従業員も家族も消費税を払うのだから、課税ベースは広がった。このため益税を上回る消費税を払い、ネットでは自営業に対して増税になったのではないか」という意見もあります。実は、これは人によりけりです。消費税は、売り上げではなく付加価値に対して払うものですから、この付加価値の部分が非常に少ない人の場合は、益税が少ないためネットで損をします。個人タクシーの運転手さんのように売り上げの中の付加価値部分の多い場合、つまり原材料を使う比率が少ない場合には、ネットで得をします。このため、かなりの多くの人にとってはネットで得である、益税の方が支払う消費税よりも多いという結果になっています(八田・小口『年金改革論』参照)。こういう人たちには、消費税はクロヨンに上塗りした恩恵を与えてしまっています。したがって、消費税シフトはクロヨン対策になってはいません。
消費税は徴税コストが低いという議論がありますが、データでみると海外では付加価値税を徴収するのにお金をかけています。早房長治さんの『税制は国家の背骨』という本によると、フランスは68年に付加価値税を導入したのですが、徴税職員を60年から80年代の末までに6000人から30万人まで実に50倍に増やしたわけです。これは所得税徴収のためではなく付加価値税徴収のためです。よく、インボイスがあれば徴税職員を増やす必要がないといわれますけれども、フランスではインボイスが導入されていますが、結局は税務調査に入らないと駄目なんです。インボイス自体を誤魔化しますからね。したがって、インボイスのある仕組みでも、小さな企業まで調査をやってはじめて非課税点を下まで下げることが出来る。フランスのように付加価値税の非課税水準を100万円台まで下げようとすれば、結局、調査して回らなければならない。日本で3000万円などと篦棒に高いところを免税点としているのは、一切調査に入るつもりもなく、調査能力もないことを認めているからです。年収3000万以下の人はどうぞ誤魔化して下さい、といっているわけです。調査能力がなければ、消費税率を高くすればするほど益税を通じてクロヨンを拡大することになる。
実はその上、法の網をくぐったクロヨンの拡大ということも出てきます。私の知っている大阪の美容院のチェーンで関西一帯に事業を展開しているところは、消費税が導入されたときに即座に分社化し、一つ一つの会社の売り上げを3000万円以下にして全部非課税にしました。なお、この美容院は、最近メインバンクの倒産によってつぶれてしまいましたから、今、お話しできるわけですが、こういうケースはいくらでもあると思います。だから、消費税はクロヨン対策に逆行しているわけです。
 日本で徴税がこれほど滅茶苦茶になってしまったのはどうしてかといいますと、徴税職員の不足です。下の図に示したように、税理士の数は1950年から95年までの間に大体16倍増えておりますが、これは経済の規模の拡大と合っています。これだけ経済が活発になれば、税務などは一番増えなければならない分野です。一方、徴税職員はどうなったかといえば、1949年の6万3000人から95年には5万7000人まで減っています。これではクロヨンにして頂戴と言っているようなものです。

 どうしてこんなことになったのかということですが、自民党の長い政治は税務でギリギリ調べ上げられないことが前提で成り立っていた時代があったと思うのです。金の延べ棒が出てきた金丸さんがグリーンカード廃止の旗を振ったことも象徴的です。また87年ころ、私がアメリカから帰ってきたばかりの時でしたが、クロヨン対策のために消費税導入が必要だという議論が起こったとき、「そんなことはない、納税者番号を導入すればいい」と、NHKテレビの税に関する特集番組で発言したことがあるのですが、テレビの翌日、「納税者番号を導入しようと言うのは少女趣味の言うことだ」という渡辺美智雄さんのコメントがありました。これはミッチーの言うとおりで、当時の自民党のことを考えたら、納税者番号を導入するなどと言うのは最初から問題にならない、政治の土台をひっくり返すような考えで、実現性は0だったわけです。
 そういうことが背後にあれば、たとえ税理士が16倍になっても税務職員の数を増やそうということにはなりません。しかし、交通事故が増えたならば脳外科の医者を増やさなければならないし、外国人の犯罪が増えたならば法廷通訳の数を増やさなければならない。これと同じで、国の経済が大きくなれば税務職員は増やさなければならないのです。それが、たまたま日本の政治の特質のために遮られてきた。それがクロヨンを生み出したのだと思います。これが私の推測です。

4 所得税は日本の活力を減退させない

 「今の所得税の高いことが活力減退の原因となっている」という議論がありますので、一言触れておきます。これは、アメリカとくらべて日本では所得税が高いからみんなやる気を起こさない。だから日本ではベンチャービジネスが盛んでないのだという議論です。最高税率を下げればベンチャー企業などがどんどん出てきて、日本も活性化するという主張です。これも全然見当違いな議論です。
 ベンチャーが出てこないのは、資金を調達するためのいろいろなインフラが整っていない結果です。ベンチャーが直接金融で資本を調達する道は、ナスダックやマザーズなどが今初めて整備されつつあります。ベンチャーが発行する社債については、アメリカでも80年代にジャンクボンドというのが生まれまして、いまでは当たり前になりました。もともとは、新しいベンチャー企業のように実績のまだない企業が業績の悪い企業と一緒にジャンクとして格付けを低くされて、資金調達が出来ないという状況だった。そこで、ミルケンという男がジャンクの中の企業を格付けし、新しい優秀な企業を選びだし、それらの発行するボンドを、1社だけだと危険なので、いくつかまとめてボンドにして売り出した。これが大成功し、また、ベンチャーの資金調達の道も開けたというわけです。こうした歴史があるわけで、アメリカでもいろんな規制緩和をやってこういうことが可能になった。こういう制度インフラが日本ではまだまだ出来ていない。これが日本でベンチャーが伸びない原因だと思います。
所得税を下げたらみんながよく働くようになるというのは、一面では真実ですが、ある面では真実ではない。まず、真実でないところからいえば、そもそも高所得の人というのはなぜ高い所得を得ているのか。努力もあるでしょうが,生まれつきの才能と運ということがあると思います。努力と運と才能のうち、ほとんどの所得が努力によって生まれるものならば、高い税をかけると働かなくなるので結局税収も上がらずみんなが損をします。しかし全部が運や才能で生まれるものならば、一定水準以上の所得は全部税で取って、完全平等にしてしまうことが出来る。それでなんの社会的損失もおきません。現実は、この中間にあるのです。中間なんですが、例外的に高い所得の人は才能とか運による割合が大きい。そこに高い税をかけることは何ら問題は起きない。たとえば、松坂投手やイチロー選手が努力していることは間違いないのですが、才能がなければああはいかない。松坂は、税をもう少し低くしたら奪三振が増えるか、税を高くしたらもうやらなくなるか。イチローは税を低くしたらもっとガンガン打つようになるか。そんなことがあるはずがない。みんな限界ギリギリまでやっているわけです。そうすると、社会全体からいうと、こういう稀な才能を持ったひとたちから最大限のサービスを得るという観点から考えると、税を高くしても彼らのサービスは落ちないのです。世の中では税を高くすると働かなくなるというのですが、こういうまれな才能を持った人に関しては、そういうことはありません。現に日本では限界税率88%のときに松下幸之助さんは税を払っていた。本田もソニーも育ったのです。それに対して、所得税率の低かったフランスではどういう人が出たのか。最高税率が短絡的に全てのひとの勤労意欲を減らすと言うのは間違いだと思います。
運については、レスター・サローの出世作となった調査があります。彼は、アメリカの大富豪がどうやって金持ちになったかを研究した。それでわかったことは、どの大富豪の場合にも、人生のある一時点において普通の市場収益率とは飛び離れた資産の増加がある。そのあとは普通の市場収益率でしか儲けていない。要するに幸運は2度も訪れないということです。あるいいタイミングのところにいると運が回ってくる。孫正義さんは、才能もあるし努力もする人でしょうが、10年早く生まれてきたらそこそこの金持ちにはなったでしょうが今のような超大金持ちにはならなかっただろう。10年遅く生まれてきてもならなかっただろう。これはタイミングであり、運なわけです。したがって、この運に対して課税するということで彼らの生産性が下がるわけではありません。高い税率で課税することは、当然です。
 一方、所得税率が勤労意欲にものすごく影響を及ぼすところもあります。たとえば家庭の主婦がうちにいるのかフルタイムの職業に就くのかという決断には、税が非常に大きな影響を及ぼします。特に、働き出すと年金保険料を取られる、旦那の所得税控除もなくなる。しかも会社からの配偶者手当もなくなってしまう。2重3重のペナルティーがある場合には、馬鹿馬鹿しいから働くのをよそうということになります。
 もうひとつは生活保護をもらっている人の場合です。私の知っている人は大阪で母子家庭で月12万円もらっていますが、一寸でも働くと、働いてもらった分全額を生活保護から減らされます。5万円働けば5万円減らされる。では、働かなければいいではないかというと、生活保護の窓口で、この時間からこの時間までお前は何をしていたのかといわれる。だから、一応働かなくてはいけないんだというわけです。それならば、「病院の賄い婦でもやりなさいよ、長い目で見れば生活保護からも脱することが出来るようになるかもしれない、失業保険も年金もつくだろう」といっても、働いた分が全額税で取られるのではやる気がしないわけです。では、どうしているかといえば、皆、通いのお手伝いさんみたいなことをやるわけです。一回行って8000円もらっても3000円でしたと届け出をする。そういうインフォーマルなセクターに従事するから、雇用も長続きしない。こういうケースでは限界所得税率100%にしているのですから、これはフォーマルなセクターでは働くなと言っているようなものです。落合や清原の限界税率を気にするよりは、こういうところこそ、何らかの処置を講ずべきです。
 このように、たしかに所得税が勤労意欲に影響を及ぼすところはあります。それは往々にして働くか否か、という決断のところに非常に大きい。しかし、才能や運で所得を得ている場合には影響を及ぼさないと思います。
 所得税が高いと海外に移住するという話もあります。私は資産所得税については20%という利子課税と同じ税率でいいと思っています(これについては後で触れます)。ところが、労働所得税については、税率が高いからといって海外に移住することは、そんなに簡単なことではありません。家族が英語なり外国語が出来るか、子供の教育についてどう考えるか、両親の世話はどうするか、制約は多いのです。ヨーロッパと違って、現段階では、日本では税率が低いから外国に行くという人と、税率が高くとも日本にいるという人を比べれば後者の方が圧倒的に多いと思います。では、海外から人が来なくなるかといえば、人間の行動は税だけでは決まりません。何よりも、税を取られる前の所得が多ければいいわけですし、安全性とか快適さ、教育の質などが影響を及ぼすのです。ですから、仮に日本は税が高くても、環境をよくして経済を活性化させていくというのが正攻法です。そういうことはやらずに税だけ低くても、誰も来やしません。竹村健一さんはよく税が高いから皆外国に行ってしまうというのですが、自分が行けばいい。あれだけ英語がお出来になるにもかかわらず、ご本人が行かないのがいい証拠です。

5 直間比率の是正は安定した財源が狙い
もう一つ、「直間比率の是正のためにも消費税が必要である」という標語があります。では直間比率は何がふさわしいのか、誰も言わない。素晴らしく空虚な標語です。実は、国民生活水準改善のためには、間接税の比率の引き上げは不要です。しかし、大蔵省の省益のためには、間接税の比率を増やさなければならないのです。これは、次のような理由だろうと思います。直接税というのは法人税にせよ所得税にせよ、景気変動による税収の振れが大きい。不況時に財政収入が入ってこなくなると支出に対してカネを配ることが出来なくなる。これは大蔵省の力の喪失につながっていく。景気が悪くてもきちんと財政収入があるような仕組みが欲しい。間接税ならば大体コンスタントに税収が入ってくる。だから間接税の比率を高めたい。これが直間比率の是正の狙いだと思います。
しかし、これほど、景気にとってまずいことはないわけです。今回の不況のことを考えてみても、大蔵省がことごとく景気判断を間違えたわけです。景気が悪くなっていたのに手綱を緩めるのが遅かった。では間違えたことを非難できるかといえばそうではない。そんなことはなかなかうまくいかないし、大きな図体の官僚組織ではなおさらだし、なによりも大蔵省には訓練された専門家が景気判断をする部署はどこにもない。主計局はプロジェクトを審査するところだし、主税局は税をどうやって取るかを考えるところで、景気判断をするところはどこにもないのです。そこで素人考えでやっているわけですから、うまくいくわけがない。
そうなれば、結局ビルトイン・スタビライザーというものが頼りになる。景気がいいときには税収が上がって、景気を自動的に引き締める。景気が悪くなれば税収は落ち込んで景気の底割れを防ぐ。こういう仕組みが必要です。所得税には、この機能があります。しかし、これを間接税を中心にしていったならば、税の景気調整機能を全く殺してしまうことになります。したがって、直接税100%が望ましいということになります。所得再分配機能と共に迅速な景気対策機能を持つ故に、直接税比率は出来るだけ高い方がいい。現にアメリカの直間比率は75%と、日本の35%よりも遙かに高いけれども、それでも何の問題もないのです。
6 財政による所得再配分は必要
 次に消費税導入の論拠として、「日本は所得が平等な国になったのだから、もう所得税で再分配をする必要はない」という議論が1980年代の終わりに行われました。しかし、実際にそうでしょうか。
 下の図は、ジニ係数の推移を示したものです。ジニ係数というのは低い方が平等で高い方が不平等です。これで見ますと、高度成長が始まった1962年頃から80年までジニ係数はどんどん下がっていった。つまり、日本は平等になった。これには高度成長にともなう二重構造の解消と失業の減少が非常に大きく貢献しています。1980年代の半ばに、大蔵省が日本はもう平等な社会になったから消費税にシフトしても問題はないといったとき、この80年頃までの数字を見ていたわけです。ところが、80年から急に不平等化が始まってきた。90年代には、ジニ係数は高度成長の始まる前の水準にまでなってしまい、この傾向はさらに続いています。
 だからといって、日本は数字が示すほど強力な不平等社会になってしまったとはいえないのです。その理由は、阪大社研の大竹文雄さんの分析によれば、この不平等化の半分くらいの理由は高齢化の進展に求められます。われわれは、さっきの賃金プロファイルのグラフでも明らかなように、20代のころは賃金は結構平等なわけです。それがだんだん不平等になって、60代、70代くらいになるとかなり不平等になる。それは資産の積立、ひいては資産所得の違いをもたらす。このように、人生で成功した人と失敗した人の差もあるし、50代、60代になると遺産をもらえますから資産所得なども差を作り出す。結局、年寄りの多い社会ほど不平等なんです。こうしたことがジニ係数を引き上げている理由の半分のようです。しかし、日本では残りの半分は、それ以外の理由で不平等化が進んでいます。また、高齢者のあいだでも再分配は必要なわけですから、再分配の必要性がなくなったわけでは決してない。再分配の必要度が下がっているわけではないのです。
消費税の導入のときに行われた議論に、「これからは所得の不平等を税で調整しようとするのは時代遅れであり、財政支出でやるべきである」というものがありました。本当にそうでしょうか。
たとえば、大阪の府営住宅にはサラリーマンはほとんど入っていない。自営業のひとばかりです。現在のクロヨンの下では、自営業の所得が一応低いということですから、そういうことになる。また、大学の奨学金をもらう場合には農家の子供が多い。景気のいいときには赤いスポーツカーを乗り回すような農家の子供が奨学金をもらっている。つまり、財政支出で再分配をしようとすれば、だれが本当の貧乏人かがわかっていなければ出来るわけがない。わからなければ結局誰にでも支給する大きな政府にならざるをえない。(大きな政府にしてしまえばいい、という正村公宏専修大教授のような議論もあります。それはそれでひとつの見識ですが、私は大きな政府には弊害があると考えています。)結局、小さな政府にするためには、的を絞って、本当に助けなければいけないひとにのみ十分な手当をすることが大事だと思います。そのためには、だれが金持ちでだれが貧乏人であるかがきちんとわかっていなければならない。そのためには所得の捕捉に資源を投じて調べなければならない。所得の捕捉が出来るのは徴税においてでしかありえない。ですから、さきほど統計を挙げた徴税職員のばかばかしいほどの節約をやめて、また、徴税の捕捉のための工夫をして、一人一人の所得を正確に把握することが財政支出の面から再分配するためにも必要だろうと思います。
私は消費税に反対しているものですから左翼と誤解されるのですが、私の基本的な考え方は、市場を中心にこれからの社会をつくっていかなければならないというものです。政府とか法律の干渉はなるべく少なくしなければならない。もちろん政府は、市場が失敗する場合には市場に対していろいろ干渉する必要があります。しかし、基本的には市場です。しかし、競争させるということは、勝者も出てくるが、競争の世界から脱落する人も出てくる。それに対してきちっとしたセーフティネットが張ってあって、また再出発できるようにしなければならない。また、競争で成功した人にはちゃんとショバ代を払ってもらわなければいけない。こういう仕組みが必要です。市場で競争させるのなら、背後で所得の再分配はきちんとやらなければならない。市場は決して所得を再分配出来ないからです。
行政改革とか規制緩和ということは競争を導入して、既得権に安住していた人たちから既得権を奪おうということです。競争を導入することは社会全体からすればいことばかりなのです。しかし既得権を持ってはいたが貧乏であり、既得権を奪われたらますます貧乏になるというひとたちに対してきちんとしたセーフティネットを張る必要がある。それは財政支出でやる必要があるから、そのためには所得の把握ができていなければならない。
これまでは、既得権をもっていれば、それなりの予算配分なり参入制限をしてあげましょうと言う社会でした。その代わり、競争も導入しないし、所得の捕捉もしないという社会でした。この結果、これまで「弱者もどき」がずいぶんあった。農業などがそうです。1500万円以上の所得のある世帯が8%位ある。勿論、貧乏な農家もあります。しかし、このような高所得がありながら膨大な農業補助が行われている。中小企業についても同じです。弱いところもあるが相当な金持ちもいる。それを十把ひとからげにして、「弱者」として保護する必要はない。
すなわち、@既得権を守るような体制は全部やめてしまうことと同時に、A本当に援助が必要なひとだけに援助を絞ることが必要です。このふたつがセットになっていなければならない。ということは、@行政改革や規制緩和とA所得税中心主義を維持する、ということとが組み合わされなければならない。行政改革や規制緩和を言う人は、往々にして本当の弱者の生活水準向上には関心がないから消費税シフトを主張する。それに対して、規制緩和に反対で大きな政府を主張している人は所得税主義を主張している。これは、腸捻転をおこしているのです。正しくは、行政改革や規制緩和と所得税中心主義とをセットで主張していかなければならない。



第U部 財源はどこに求めるのか


1.基礎年金の財源としての付加価値税
 これまで、一般財源を賄うための付加価値税である消費税にシフトすることには、何の根拠もないことを指摘しました。しかし実は、私は一般財源ではなく、基礎年金財源としての付加価値税導入には賛成なのです。
 現行の基礎年金財源には2つの問題があります。第1は、国民年金の財源は保険料ですが3分の1が払っていないことです。これをなんとかしなければならない。それを徴収する機能を社会保険庁が持っていない。これが問題です。
 第2は、勤労者は、厚生年金の保険料として、結婚していまいがなかろうが同じ額を納めるが、その配偶者は追加的な保険料負担なしで将来基礎年金をもらえることです。独身者や自営業者の妻はいい面の皮というわけです。
 したがって、こういう体制をやめて税方式に改め、管轄も社会保険庁から国税庁に移してしまうことが望ましいのは自明です。税方式にした場合の財源は所得税がいいと思います。しかし仮に付加価値税にしたとしても、負担の体系は現行より累進化してしまいます。廃止する方の国民年金保険料は人頭税です。それを消費比例的な付加価値税に移すのですから、この改革はあきらかに累進的な改革になります。さらに、厚生年金の保険料は基本的に所得比例なのですが、頭打ちがある。付加価値税には頭打ちはない。となれば、この面でも累進化に役立つことになります。
 したがって、基礎年金の財源は全額税方式化すべきであると考えています。半分を国が負担するなどと言うのは無意味です。国庫補助を3分の1程度のままならば、大体5.5%位の付加価値税で未来永劫いけます。国庫負担を調整すれば5%で大丈夫です。そうすると2140〜50年頃には、基礎年金はちゃんと完全積み立てが達成出来ます。
 私は、一般財源として所得税を少なくして消費税を増やすことは、逆進的な改革ですから、消費税シフトに反対しています。しかし、基礎年金財源を保険料方式から税方式に変更する場合には、累進化する政策です。しかも徴税の漏れも今より少なくなります。

2.財政再建と税制
 次に景気対策との調整についてお話ししようと思います。ここまで財政支出を増大させる一方で、減税に次ぐ減税をして所得税を下げてきて、国債を大きく抱え込むようになった。これから先どうなるのか。財政再建のためにはいつかは税収を上げていかなければいけないでしょう。
 その際に注意すべきことを3点ほど申し述べたいと思います。第1に、国債というのは返す必要はないということです。分相応の借金残高に維持出来るのなら問題はない。すなわちGDPに関する比率を一定にしておけるのならば国債の残高があっても構わない。もし、新たな国債を発行せずに利子だけ永遠に返し続けていくならば、国債残高のGDPに対する比率は次第に減っていく。更に、新たな国債を発行しない場合には、これまでに発行した国債への利子を全く払わなくても、利子率と経済成長率が等しければこれもなにもしなくていい。この場合、国債の成長率は利子率に等しいため、国債残高の対GDP比率は一定に保たれるからです。利子率の方が経済成長率より高ければ、その差額分だけ一般会計から補填すれば国債残高の対GDP比率は一定に保たれます。これが最終的な国債に対する対処です。ですから、あまりパニックになる必要はない。
 第2は、景気回復が最善の財政再建策だということです。前回の好況時には5年間で自然増収が23兆円ほどあった。これは、直接税中心の税制度の下では、景気回復がいかに大きく税収を改善するかを示すものです。したがって、財政再建のためには、いまのような使い方でいいかは別として財政資金を使って一刻も早く景気を回復させることが必要です。アメリカもレーガン政権のときはあまりに減税しすぎたために税収があがらず、財政赤字が続くことになった。その一つの理由は、税率の所得区分をインフレに対して中立的にしたためです。日本はそうではありませんから、今度景気が回復したとき、十分税収が戻ります。
 第3は、過去の経験では、好景気による増収分を全部減税と公共投資の拡大に使ってきたことです。とにかくこの国は所得税減税の好きな国ですから、次回の好景気にもまた消費税を上げてそれを上回る所得税減税を行うにちがいない。これまでは、不況になったら所得税減税をし、好況になったら税収が増えたからまた減税してきた。こうして永遠に減税が続くことになる。これでは所得税の比率が諸外国では10%台なのに日本は5%台になるのも当然です。
これら3点を考慮すると、不況時には国債について必要以上に神経質になる必要はありませんが、次回の好況期には自然増収を優先的に国債の償還に当て、GDPの一定比率に達するまで償還する必要があります。そのためには好況時に減税と公共投資の増大を慎む仕組みが必要です。しかし好況になって、税収が上がると気が大きくなりますから、今のうちに、「景気がよく(例えば失業率が2.6%以下)なったら減税はしない」と、決めておく必要がある。ただし、好況が終わって失業率がまた上がってきたら減税の余地を残しておく。こういう好況時対策を今のうちに講じておくことが大切です。景気が回復したとき、減税を慎むことは、景気を過熱させないための手段にもなります。
 所得税の増収はどのように行えばよいでしょうか。日本の所得税は、基本的には所得控除が多すぎて課税最低限が高すぎるという問題があるわけですが、これをどうするか。ひとつの方法は、放っておく。これ以上控除を増やさないということが、長期的に見れば実質所得の向上とインフレとを通じて非常に大きな効果をもたらすことになると思います。もうひとつは、さまざまな人的控除を所得控除から税額控除に変えるということです。10万円の所得控除では、最高税率の人は6万円得をして最低税率の人は1万5000円しか得をしないということになります。これをいっそのこと2万円の税額控除にしてしまう。これならば、所得に関係なく誰でも2万円得する。このように、所得の低い人にとってはトントン、高い人にとっては負担増という形にもっていく。中産階級からの税収はかなり上がります。これはそんなに難しくなくできるのではないかと思います。

3.高齢化対策としての税制
 高齢化のための財源を作るには、いくつかの方法があります。
 第1は、財政上の積立をすることです。いま数が多い現役世代が退職したときに大変な財政需要を引き起こすわけですから、いまのうちに税や保険料を十分払って、自分の世代で自分の世代の面倒を見るための蓄えをしておくということです。基本的には今の勤労世代が大きな税負担をして、国債をなるべく償還しておいて、後の世代の負担を出来るだけ少なくしておくことに尽きるわけです。後になってしまっては、何をしたって遅い。いまのうちに今の勤労世代が出来るだけ負担することが必要です。実際には、年金などは、今の勤労者にとって実に甘い仕組みになっています。将来は34.5%の料率になるのに、いまは17.4%です。しかもこれもしばらく据え置こうというわけです。真の高齢化対策のためには、保険料をこれら二つの中間のレベルで一定とする必要があります。そうすれば、現在の勤労者の負担によって高齢化時代の給付の財源を積み立てることができます。それによって、高齢化時代の勤労世代にしわ寄せをする仕組みを改めることができます。
 第2は、女性が労働市場に出やすい状況を作っていくことです。そうすると、高齢化時代に勤労者が増えて税収が上がってきます。いまは配偶者特別控除とか年金の制度とかいう制度が、女性を労働市場に出さないような仕組みになっています。勿論、無理矢理労働市場に引っぱり出す必要はありません。しかし労働市場に出ていった奥さんには罰をかけるぞという今の仕組みを辞めることが高齢化時代の財政の対策になるというわけです。
 第3は、高齢化時代には老人が持っている多額の資産を原資とする税制をいまのうちに確立することです。こういう老人たちは政治的な力を持ちますから、今のうちにこうした老人の資産からフェアーな課税が出来る仕組みを作っておかなければならないと思います。
 資産課税の中では、土地譲渡益が特に重要ですので、多少詳しくお話しいたします。今度景気がよくなれば地価は必ず上がります。上がらないという意見もあるかもしれませんが、上がる場合に備えておく必要があります。かつてはキャピタルゲインだけでその年のGDPを超えた年もあったくらいですが、これを課税対処から逃すのは実にもったいない。しかし、譲渡税率を高くすると、ロッキング・エフェクト(凍結効果)という問題を引き起こします。すなわち、譲渡益税が低すぎると税収が上がってこない、高すぎると誰も土地を売らない、ということがあります。このため、いままで土地の譲渡益税はジェットコースターのようなアップ・アンド・ダウンを繰り返してきました。いままでは、二律背反だったわけです。やはり、原則を統一しなければならない。
 ではどうするか。私は買い換え特例についての改定をやる必要があり、具体的には「買い換え特例の超復活」を行うべきだと思います。これについてご説明いたします。
 まず、不動産を買ったときよりも高い値段で売りますと、持ち主は譲渡益を得ますが、これは明らかに所得です。したがって、所得税制が存在するかぎり、この譲渡益にも他の資産所得と同率で所得税を課税しなければなりません。元来ならば、不動産についても利子と同じく、毎年の値上がり分に20%を課税するのが理想です。ところが、毎年毎年の不動産の値上がりに対して、利子のように毎年発生時課税をしようとしても、これは無理です。土地の場合には年々の値上がり益がいくらであるかを確定することは難しいし、仮に確定したところで、そのために土地の一部を売って年々税を支払うことは、実際問題として不可能です。結局、不動産を売ったときにまとめて一度に課税するということになります。そうなると、その税負担はかなりのものになりますから、持ち主は売るのを延期しようと考えます。その結果、不動産市場の流動性がなくなってしまう。これを譲渡益税の凍結効果といいます。
 この問題を解決する方法として、買い換え特例という仕組みがあります。不動産を売った後で、次にそれよりも高額の不動産に買い換えたらならば、譲渡益税の延納を認めるというものです。ところが、前回のバブル景気のときには、神田に発生した地価上昇が、全国に波及してしまった。神田の土地を売った地主が、移転先の世田谷ではより高い不動産を買う。世田谷の不動産を売った人は、どこかにそれよりもっと大きな家を買う。こういう図式で、全国の地価が上がってしまった。すなわち、買い換え特例があったために玉突き現象が生じてしまったわけです。そこで、この買い換え特例が地価高騰の元凶であると非難されたわけです。そのため、その特例の適用は一時は非常に制限されてしまいましたし、いまは緩和されたとはいえまだ制限が残っています。
 地価高騰の全国波及という副作用なしに、この凍結効果を除くためには、どうすればよいのか。買い換え特例というのは譲渡益課税の一種の延納ですが、私は土地譲渡益税の延納を無条件で認めればよいと考えています。買い換え特例を全面復活するだけでなく、新しく買い替えた土地が売った土地の額より低くても、譲渡益税の延納を認めるのです。私はこれを「買い換え特例の超復活」と呼んでいます。この方式の下では、土地取引がより活発化しますが、売り手は土地を売るたびにより大きな土地を買う必要はありません。つまり、買い替え特例から地価上昇増幅効果を取り除くことができるわけです。
 ただしこのような買い替えにともなう譲渡益課税の延納が永久に続けられてしまうと、税率がゼロであることと同じになります。そこで、この永久延納を防ぐために、延納分を含めて全ての譲渡益は、夫婦共に死亡した時点で(あたかも譲渡が発生したごとく)清算して課税することにするわけです。この改革は、延納によって短期的には減収をもたらすことになりますが、将来的には死亡時精算によって大きな増収をもたらすことになります。これを「延納譲渡益税の死亡時課税」といっております。
 この課税方式は、土地に限っては、生前にすでに実現していた売却益についても、死亡時まで延納を認めるというものです。こうすれば、買い換え特例が引き起こした地価高騰の全国波及という弊害は確実に防ぐことができますし、しかも、長期的にみれば凍結効果を緩め、十分な税収を上げることができます。
 ただし、問題が一つ残ります。死ぬ時までに財産を全部使い果たした人は、延納された税を永遠に払わなくてすむことになることです。これを防ぐため、買い換え特例の超復活では、延納税額より高額の不動産の買い換えを行うことを延納の条件としたらいいと考えています。つまり、延納された税の部分だけは国が担保を取るわけです。
 従来の買い換え特例では、売却額より高額の不動産の買い換えを全面延納の条件としていたわけですが、これでは、延納税に対して国がとる担保額が不必要に大きすぎます。たとえば2億円の土地を売って譲渡益税を1000万円払う計算になったとしますと、この場合、延納担保は2億円ではなく、1000万円で十分なわけです。ですから、この1000万円以上の土地に買い換えれば、いずれこれは死亡時の課税の担保になりますから、納税を延期することができるわけです。こうして特例が「超復活」されますと、神田の土地を売った人は、世田谷の大きい土地に住まなくても、神田の安い分譲マンションに買い換えればすむようになります。
 「譲渡益税の死亡時課税」と「買い換え特例の超全面復活」の組み合わせの下では、地価上昇の全国波及はなくなります。しかも不動産市場の流動性は大幅に高まります。このためこれは強力な景気刺激策になりますし、その上、高齢化時代には大きな税収が望めることになります。

 高齢化時代には財政需要が高まるのは避けられません。しかしその財源は、あとの世代へのツケ回しの中止、主婦の労働市場参入の促進、さらには資産課税の改革によって賄うべきであるというのが私の基本的な考えです。



第V部 結び

私が消費税シフトに反対しているのは、消費税シフトによって一般財源としての所得税をどんどん脆弱にして、世界に類を見ないほどの低い所得税にしてしまったからです。しかも、消費税シフトを正当化するために彼らが用いてきたやれ高齢化対策だとかクロヨン対策だとかベンチャー企業の育成だとかいった理屈には何の根拠もありません。消費税シフトをしてきたのは大蔵省のつまらない省益のためです。
現在必要とされている政策目標は多様です。しかし一発の政策ツールでいくつもの政策目標を同時に達成しようとしても出来るはずがない。いくつも政策目標があるならば、それぞれにふさわしい政策手段を少なくとも政策目標の数だけ用意しなければなりません。クロヨン解消のためには徴税職員の増員を、高齢化対策のためには積立方式や資産所得税の改革を、財政再建のためには好況時における増税を、政策手段として割り当てる必要があります。
さらに規制緩和や行政改革のような小さな政府を追求する目的のためには、再分配政策の強化が必要です。そのためには、所得税の累進度の強化と消費税の廃止が役立ちます。所得税を改善すると言うことは、これからの競争時代にどうしても不可欠だということを申し上げて、本日のお話を終わりにしたいと思います。

質疑応答 


賀来:消費税はクロヨンといわれている中小業者にかさねて益税の恩恵を与えるというのですが、どの程度の規模なのか。また、それを防ぐための徴税コストはそれぞれどの程度なのか。

八田:実際の徴税コストは国税庁でないのでわかりません。自営業者が支払う消費税額を超えてうける益税部分の大きさは、モデル計算をしてみると、自営業者によってまちまちです。実はこのこと自体が大変な不平等だと思うのです。所得税を払わずに益税からの純益を得る人もいる。それなのに所得税をまじめに払っているのに益税よりも消費税支払いの方が多いにとっては踏んだり蹴ったりだと思います。どうせやるならば、インボイスをちゃんと導入した上で、フランスのようにきちんと税務職員を増やさなければ不平等になる。免税点を現行の1/10程度にまで下げるべきでしょう。
 また、小さな政府にするためには、どうしても所得把握のための行政コストをかけざるを得ない。農業予算の減額と国税の予算を倍増することとどちらが効果があるかという比較はやったことがあります。それは農業予算の減額の方が額として遙かに大きい。徴税をきちんとやるための費用は、節約した財政支出から十分まかなえると考えています。

司会:田中さん、徴税職員はなぜ減員されたのでしょうか

田中:政治の圧力があることも事実でしょう。ただ、税務というのは、この20〜30年間は、非常に合理化されやすい事務だったのです。税務調査そのものについてはあまり変わっていないはずです。間接税の導入のときには600人増員しているのです。

八田:たったの600人ですよ。

田中:いずれにせよ、国税庁も税務調査を落としたくないといって要求してきますから....。

八田:どこの国にもクロヨンはありますが、日本は特に激しいですからね。

小倉:直接税というのは懐に入る前にとられますが、間接税というのは一旦懐に入ったあと払うものですから、イヤなわけですね。ということは、予算の使い方についての認識が高まるという効果があるとは考えられませんか。

八田:消費税が出来てから、人々が予算の使い方の認識が高まったということはないと思います。またアメリカでは、国税は直接税、州税は間接税中心ですが、州予算の使い方への認識の方が高いということはありません。
 ただ、おっしゃるように、間接税の下では消費しなければ税を払わなくて済む、ということは事実です。消費しなければ、遺産をいっぱい残すということになります。ということは、消費税を増やすということは、相続税の税率を上げない限り不平等を拡大するということになります。ただし、子供に財産を譲るということも一種の消費だと考えて、遺贈税をかけるならば、所得税と同じように逃れなくなるわけです。その場合、所得税と消費税の主たる違いは、累進制のあるなしということになります。

小倉:国に税金を払うよりは公益的な仕事をしているところに直接寄付をして、その分は税金を払わなくていいという仕組みの方がいいと思うのですが、、、

八田:アメリカでは寄付金控除がありますが、金持ちの脱税の道具に使われている側面があります。ある程度カネがあると、財団を作ってその理事長に自分の息子を据えてそこの財団に寄付する。息子はそこから給与をもらう。そうしたことはいっぱいあるわけです。公益性が全くなければ別ですが、一応公益性があるとなると実に難しい問題になります。
 寄付控除は必要だと思いますが、所得控除はまずいでしょう。所得控除を認めて、限界税率6割の人が寄付額の6割の税金を払わなくていいというのはおかしい。金持ちにも貧乏人にも公益的なところに寄付することに等しいインセンティブが与えられてしかるべきです。それを可能にする一つの選択肢は税額控除です。しかし、この場合には、所得が課税最低限以下の人が寄付をしても国からの補助は、なにもないことになります。私が一番すっきりしていると考える方法は、認定を受けた組織が寄付を受けたら、寄付の一定割合を国が補助金として支給するというものです。これなら、だれが寄付をしても、自分の寄付の一定割合が上乗せされることになります。

竹中:クロヨンは少しオーバーに言われすぎているのではないか。問題があるとすれば、むしろ中小企業の法人税の方で、経費を個人用に使うということはある。資産課税にも問題はあるかもしれない。しかし、所得税のクロヨン論はかなりインチキだと思っている。

八田:実はサラリーマンの給与所得控除も大きい。自営業にも真面目な方は多いし、また、作家などは誤魔化しようがない。ただ、徹底的に誤魔化している自営業の人もいっぱいいて、その知恵には本当に感心します。でこぼこが大きいのです。
ただ、一般論として、日本の自営業の申告要件はいい加減だということは指摘したい。
アメリカの所得税の申告は大変です。アメリカでは住宅ローンの利子控除が大きいですから、大学の若い助教授も家を買うと項目別申告を始めるのですが、そうなると大学での研究のために自分が購入した本屋ノートを経費として落とせます(そもそも大学は、研究室用の本などのための研究費は出しません)。しかし、項目別申告は、日本のように大雑把なものではなく、全て事細かに分類して、また、それは何のための経費であったか記録する。旅費の場合は、日誌をつけなければならないのです。それも、あとで一度にまとめて書いたと見られれば否認されますから、その度ごとに書かなければならない。アメリカの税務当局はそれを見て、ちょっと旅費が使いすぎだから旅費の領収書を全部見せて下さいとかいってくるのです。私はこういう仕事ですから日本でもアメリカでも税の面で問題が生じないように領収書を全部保存して確定申告をしていますが、日本では10年間に一度計算違いの指摘を受けただけです。ところが、アメリカでは10年で3度も特定の項目について領収書を全て持参しろという呼び出しを受けました。幸い領収書がそろっていたので問題ありませんでしたが、日本では費用の標準化された細分化が要求されないから、こういう調査はやりにくいでしょう。

得本:源泉徴収制度では税の使われ方について鈍感になる。申告をしたら納税者は敏感になりませんか。
八田:アメリカの例を見る限り敏感になるとは思いません。アメリカでは源泉徴収の仕組みはありますが、それでも申告しなければなりません。しかし、それは簡単なものなんですが多くの人はお金を払って業者にやってもらう。時間や能力のある人は自分でやるかもしれないが、大体が人を雇う。それに比べれば、日本の今の源泉徴収制度は非常に能率的だと思います。社会の資源を無駄につかわないためにもいい。私は少数派かもしれませんが、今の日本の源泉徴収制度は素晴らしい制度だと思っています。確定申告のために、みなが時間と労力を使うほどムダなことはなく、会社でプロが特化してやるに限ると思います。
 私は、さらにこれを発展させて、事業所得にも概算控除の制度を導入すべきだと思います。ここにくるのにいちいちタクシーの領収書をもらって保存し集計するのは時間の無駄使いです。例えば大学の教師が講演したり原稿を書いたら、領収書は一切なくても、これだけの経費を認める、という職業別の概算控除制度を設けるべきだと思います。いまでも、実際にはそのようなやり方はとられていますけれども、基準がきわめてあいまいです。その基準線を、今のようにあそこの税務署ならばこのあたりらしいといったものではなく、公にきちんと明示する必要があると思います。職業毎にこうした概算率を決めて申告を簡素化する。そのかわり、概算控除のレベルを超えた控除を実額別申告で求める場合には、控除全額の領収書を揃えなければならず、日誌もつけさせる。その概算率は、2割位の人が実額別の申告をする程度に決めればいいと考えています。その2割に対しては高い頻度で調査に入ればよい。
 税の使い方については、アメリカでは原則として皆申告するわけですけれども、支出に敏感かといえばそうではない。それよりもこの面倒くさい申告を期限迄に終わらせることに苦労しているというのが実状です。

賀来:年金の保険方式と税方式の基本的な違いは何か。

八田:今問題になっている税方式は、国民全員が関与している基礎年金部分での税方式化です。基礎年金の一部である国民年金については、給付も保険料も定額ですから、ここには再分配はないわけです。しかし、税方式にして、定額の保険料を消費税あるいは所得税で財源を賄うようにすると、税をいっぱい払ったひともそうでないひとも一定額の給付を受けるわけですから、再分配が行われるようになります(自由党はそういう非常にリベラルな政策を擁護しているわけです。気がついているかどうかは知りませんがね)。私はその点と徴収能力の点で税方式をサポートしているわけです。
 では、あらゆる点で優れている税方式を国はなぜ採用しようとしないのか。私は、厚生省が社会保険庁を失いたくないからなのだと思います。大きな権限が国税庁に移ってしまうのはイヤだということだと思うのです。近頃の新聞での矢野年金局長のコメントなどを見ていると、「最終的には税方式化する必要がある。今回の改革はそれへ向けての第1歩なのだ。しかし、自由党の言うように一気にやろうとするとなにもかにもなしにしてしまうということになる。」そういうニュアンスが感じられるのです。誰も言わないから私は、あれは厚生省の利権を守りたいからだ、といっているのです。もちろん、証拠はありません。私の邪推かもしれません。しかし、原稿の型での保険方式を守って税方式に変えない理由が他に見あたらないのです。

司会:税方式だと賦課方式にならないか

八田:私の提案では、厚生年金の報酬比例部分は、401kのように、確定拠出に近いものにしてしまう。全く個人勘定みたいなものです。ただし、強制加入である。当然勤労者の数が多く現在は保険料収入が多いため数少ない老人のための給付を越えます。つまり、積立がなされます。
 基礎年金では再分配するのですが、一つ一つの世代内で再分配は完結させます。団塊世代が多いときには、その世代が払う基礎年金のための税金というものは、現在時点の高齢者のために全部使ってしまうのではなくて、自分たちの世代のためにも残しておく。プールした積み立て方式です。個人勘定ではなく、同世代の間では再分配を行うのだけれども、一つの世代全体としてはその世代でちゃんと積み立てるということです。
 積立金が巨大になるといわれますが、国は、一方では国債という膨大な負債を持っているわけで、対民間収支という観点からは積立を作ることは問題にはならない。運用も、厚生年金の報酬比例部分は民間委託でやったらいいと思いますが、基礎年金の運用は国債でいいと思います。

安藤:大蔵省はここ10数年、高齢化社会になれば、65歳以上の人口と働く人(19歳から64歳までのひと)とのバランスが、いまの3.6が2020年には2.5、50年には1.5と言い続けて、これを消費税以外の方法で賄うとすれば、働く人の負担が大きすぎるといっているわけです。これに対して、先生は所得税で賄うというご主張だったと思いますが。

八田:繰り返しますが、消費税を導入して高齢者にも税を払わすということは、その時点の勤労者の税負担を軽減することにはなるかもしれませんが、彼らが退職しても消費税を払い続けなければならないわけですから、生涯の税負担はなにも軽減されないのです。そのためには勤労時に貯蓄しなければならない。だから、大蔵省の主張は全くの間違いです。
これも繰り返しですが、いま所得税減税をするということは、一番税を取らなければならない年齢層に泥棒の追い銭をすることになる。
高齢化に対する選択は、高齢化時代の財源を今の現役世代が負担するか、あとの世代に負担させるかという選択です。すなわち、現在の現役世代が分相応の財政負担をしておいて、自分たちが高齢化したときの財源を作るか、それとも現在の現役世代の負担を軽いままにしておいて高齢化時代の現役世代に全面依存して重い負担をかけるかです。要するに、積み立て方式か賦課方式かということです。
高齢化対策は、保険料率や税率を生まれ年に関係なく一律にするということだとも見ることが出来ます。要は、負担を平らにすることです。ただし、そうすると、勤労者の多い今は財政収入の方が財政支出より多くなり、財政黒字になります。勤労者の少ない時代には財政赤字になります。要するに賦課方式ではなく積立方式にするということです。
高齢化対策として必要なことは、間接税であれ所得税であれ、いま取っておき、後の負担を軽くするということです。たとえば、年金保険料は、今17.4%ですが、将来は34.5%まで引き上げられる予定です。今これを23%に一挙に引き上げて一律化することにし、同時にいま厚生省の考えている給付削減をおこなえば、緒汽笛にトントンになります。こうなれば、高齢化時代の勤労世代のネット負担はずいぶん軽くなります。その際、肝要なことは、今は財政黒字が将来は赤字が出るけれども、23%を現在も将来も維持するということです。これが積立方式化するということです。
一方、所得税か消費税かという選択は、金持ちを優遇するか貧乏人を優遇するかの選択です。この選択は高齢化対策には関係がありません。にもかかわらず、「間接税にしたら、今の老人から税を取れるから、その分は将来の勤労世代の負担は軽くなる」という意見があります。しかしこれも間違いです。いまの基礎年金の財源を、一律の所得税と一律の間接税で賄った場合を比較しました。2150年までの税収の現在価値の総額が5%の一律間接税と等しい一律所得税率は7.3%です(『年金改革論』、p.134)。2150年まで通算すれば両者の財政収入は同一です。付加価値税の方が課税ベースが広いからこうなります。
これらの一律所得税率と一律付加価値税率のそれぞれの下で、2000年以降生まれの生涯純負担を比較してみました。そうしたら、彼らの生涯純負担は所得税でも付加価値税でも全く同じになったのです(p.133)。もちろん、一律の消費税にしたら一律の所得税の場合よりも現在の退職者が税を多く支払います。それは現在の年金積立を増やすように思えます。それにも関わらず、その分高齢化時代の現役世代の生涯負担が全く減らないのです。
その理由は、こういうことなんです。上のように設定した一律の消費税と一律の所得税を比べて、現在時点でどちらの税が収入をもたらすかといえば一律の所得税の方なのです。現在は、老人の数が少ないのでそこから消費税をとってもそんなに税収はあがりませんが、まだ勤労世代の人口は多いから一定税率の下では所得税収の方が多いのです(『年金改革論』p.135)。このため、いま所得税率を一律の水準まで上げておいた方が、税収が上がりそれが後で効いてトントンになる。普通、今付加価値税を導入しておけば、今の老人が払うからいいじゃないかと思うのですが、そうすると現在の積立金は減ってしまいます。所得税にしても付加価値税にしてもそれらの税率を現在から将来まで一定とすると今のような結果になるのです。これで消費税シフトが、高齢化時代の勤労者の負担を軽減するという論拠は全て潰れました。
 私は景気が悪いときには赤字国債を出しても景気刺激すべしという立場です。しかし、社会保険というのは、長期の問題ですから、保険料率は景気の問題とは一切切り離すべきだと考えています。景気対策は一般財源でやればいいわけですから、社会保険の保険料は一律にしてもらいたい。今直ちにというわけではありませんが、景気がよくなったときに、多少の所得税減税を伴っても社会保険料の引き上げは行うべきである。社会保険料を上げてないことが、どれだけの実質的な赤字国債を発行していることと同じであるかを表に出した方がいい。保険料率を上げないよりは、上げて税を引き下げ赤字国債を発行して表に出すべきである。社会保険料を上げないで、今のように低くしているのは、将来に対する支払い(潜在的債務)はどんどん増えているのに、それを隠していると言うことなんです。
 一つの政策手段であれこれの目的を達成しようとすれば、虻蜂取らずでなにも達成できません。年金の世代間平等化のためには、保険料率や税率を世代間で一定にする必要があります。景気対策のためには所得税の税率を上げたり下げたりして赤字国債を発行したり償還したりする必要があります。簡単にいえば、いろいろ政策目標があったら、それに対する政策手段をきちんと1対1で対応づけるべきだと思います。


《事務局注》文中の八田・小口『年金改革論』は1999年4月に日本経済新聞社より発刊されたものです。また、賃金プロファイルやジニ計数の図は、八田『消費税はやはりいらない』1994年東洋経済新報社、に収められております。あわせてご参照下さい。