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シリーズ討論

これからの日本経済、金融システム改革の戦略

立教大学助教授 山口 義行
国民会議ニュース1999年10月号所収
 わたしはいま金融アセスメント法制定を唱えているのですが、本日お招きを受けましたのは、そのことだけではなくて、5〜6年前に私は講談社の現代新書から『ポスト不況の日本経済』という本を出しましたが、そこに書いてあることは現在でも通用するのではないか、それを喋れということでもあります。改めて自分の書いた本を読んでみましたら、本人は大分忘れておりましたが、結構いいことをいっている。これはまだ使えるなあという気がしました。そこでまず、昔を思い出しながら、現状の中でどう考えるかをお話し、そのあとで、私が今考えております金融アセスメント法についてもお話しさせていただくことにしたいと思います。


T 改革論再燃によせて
 1 現状−底打ち感、円高、改革論再燃
U 第1次不況と提言:3つの「無い」を克服せよ
 1 80年代内需転換策の失敗
 2 「分散・密着型経済」構築への課題
  @「消費者密着」のために
  A「地方分散」のためにー行政システムと金融システムの改革
  B 「企業中心」社会からの脱却―社会コストのルール化
V 第2次不況と提言:金融アセスメント制度をつくろう
 1 「公的資金注入」の正当性
 2 金融アセスメント制度導入の意義
W 質疑応答



T 改革論再燃によせて

1 現状−底打ち感、円高、改革論再燃
 まず日本経済の現状についてですが、ポイントは3つあります。一つは「底打ち感」がでてきたということ。それから、またしても「円高」懸念というものが強くなってきているということ。さらにもうひとつは、財政上の問題です。これらを併せて、再び、どうも緊急の景気対策だけでなく、もっと構造的な改革が必要なのではないかという議論がまたぞろ出てきたということであります。
 ややこしい図を書いたのですが、これはどういうことかといいますと、80年代の成長構造、その外側が、その構造がどういうかたちで行き詰まっていったのかを示したものです。これが90年代に入ってひとつめの不況であります。91年ぐらいから94・5年ぐらいまで平成不況という言葉でいわれて、これはまさに戦後日本経済の総決算といわれるような、本格的な低成長の始まりといいますか、そういう不況だったのです。その後、95・6年あたりで少し回復してきたのではないかといわれたあと、さらにもう一回、97年以降猛烈な不況に入り込んでいって、それがいまやっと底打ち感が出てきたというわけです。この図でいいますと、真ん中の枠組みからだんだん外に出ていくように書いてあります。

【80年代の成長構造】
 まず、真ん中に「80年代の成長構造」と点線で囲ってありますが、「外需依存型成長構造」「金融肥大構造」「高コスト構造」、この3つの構造を持ちながら80年代は成長していったと私は考えています。一番基底にあるのが「外部依存型成長構造」です。高度成長期以降、日本が輸出で生きていこうと狙ってきたわけですから、これ自体は当たり前のことですが、80年代に入ってこれが急激な円高が進行していくという形ではっきり行き詰まりを見せてきた。
 日本の場合には70年代中頃の74〜5年の大不況をきっかけにして低成長に入ったといわれるのですが、それでもほかの国に比べるとかなりの高成長を維持してきたといえます。他の先進国はもっと遙かに低成長になっているわけで、日本だけがいわば相対的高成長を続けてきたというのは、いい換えると外国との間に貿易摩擦が発生してくるということであります。これが円高不況を引き起こして、だんだんと成長構造の行き詰まりとして目に見える形で現れてくるわけです。
 その中で、80年代に入って以降、日本は金融肥大構造に入っていきます。1988年の全国の金融取引を日本のGNPで割りますと、大体33〜4倍になります。8年前の1980年は8倍程度でした。つまり、実体経済に対して金融取引が8倍程度だったものが、たった8年の間に30数倍へと膨れ上がっている。つまり、金融だけがいかに一人歩きしていったかということで、この金融肥大構造、これが80年代の構造の特徴だったわけです。80年代の前半は国債の大量発行に伴う国家債務を中心にして国債市場が形成されるなどの形で、国の債務を中心にして膨らんでいくのですが、80年代後半からはいわゆるバブル化が進んでいくという状況になりました。このバブル化が進んでいくきっかけになったのが、先程いいました外需依存型成長がもとでドルが危うくなってくるなかでのドル防衛策です。ドルと円の関係が一段と円高ドル安に大きく振れる(プラザ合意をきっかけにしてそうなるのですが)なかで、アメリカの低金利政策に日本がつきあうという形でバブル化が進行していった。つまり、外需依存型構造がもたらしたドルと円との不安定な関係が背後にあって、金融肥大構造がバブルにまで膨張していくという構造になっていったわけです。
 それからもうひとつ、外需依存型成長が行き詰まってきたという中で目に見えて進行してきたのが、企業の高コスト構造であります。今までの世界市場を対象にして大きくものを売り込んでいくというようなことが貿易摩擦等々でなかなかできなくなってくる。これが工場の海外移転などをもたらすと同時に国内市場をもう一回みなおそうということで、多品種少量生産というかたちで日本の成熟した市場構造の中で、例えば自動車などを売り込んでいくというようなことをやるわけですが、これが猛烈な高コスト構造を生み出していきます。
 なぜかといいますと、日本の場合は1980年代の中頃に車を2台以上持っているような家庭がだいたい20%を超えていまして、80年代後半は30%近くなっており、そもそも成熟市場なのです。そこにもう1台売り込んでいくということで、かなり強引な多品種小量生産をやりました。車の車名数は85年と90年の5年間でだいたい1.4倍に膨れ上がる。通産省はエンジンの種類やいろいろな組み合わせによって、85年は6000種類といっていますが、これが90年には1万2000種類となっています。いかにきめ細かくいろんな種類のものを作り出していったかがわかります。さらにその製造工程をなるべく省力化というかスムーズにやろうとして、コンピュータ投資をする。しかし、それがなかなか採算がとれるようにはいかないということで、こういう市場の行き詰まりを反映して、企業は高コストの構造に入ることになる。
 80年代後半というとなにもかもバブル期ですから、ものが飛ぶように売れているんですけれども、自動車業界でいいますと10億円以上の大規模企業の経営資産営業利益率がだいたい8.8%ぐらいですが、それが80年代後半にはだいたい6.5〜6%ぐらいまで下がっていく。家電業界はもっとひどくて、10%位あった利益率が80年代後半には3.9%位まで下がっている。つまり、ものは飛ぶように売れているんですけれども、ちっとも儲かっていない。こういう構造をいわばもちながら、80年代後半は成長していた。こればバブル期の特徴です。
 それでもなぜ成長できたかといいますと、これはいうまでもなく、金融肥大、いわゆるバブルが進んでいたからです。非常に高コストの構造なんだけれども、一方でバブルが進行していて、金融収益が猛烈に稼げるということで、高コスト構造であるけれども、なおかつ設備投資等々が出来たというのがこの時期の特徴であります。

【90年代第1次不況】
 ところが、その金融肥大構造が極点まで進んで、90年代に入ってバブルが崩壊して、まず最初にこの金融肥大構造が明白な限界を露呈するということになります。これをきっかけにして、この肥大化した金融と実態経済のアンバランスな構造を是正しようということで、金融の収縮あるいは金融機関などの経営破綻が進行していくという事態が進んできます。このバブル崩壊をきっかけにして金融収益が大幅に収縮した企業は、この高コスト構造の限界が露呈されまして、こんなことをやっていても、いくら頑張っていてもちっとも儲からないじゃないかということで、一斉にリストラに入っていった。
 さらにバブルが崩壊したことによって一気に内需が縮小しますので、内需縮小によって貿易黒字が急増する。80年代後半のバブル期は輸入も増えていまして貿易黒字は減少し、外需依存型の構造が隠蔽されていたわけです。ところが、内需縮小がきっかけとなって猛烈な貿易黒字が拡大していく。これによって93年以降急激に円高が進行していくということになります。この急激な円高の中で企業は何とかしなければいけないということで、アジア化を進めます。アジアに進出して、産業空洞化が進行して、国内市場がさらに縮小していく。こうして「バブル崩壊」が、一方では金融破綻、金融収縮を引き起こしてデフレ圧力を起こしていく。他方では、金融収益の増加によって誤魔化されていた高コストの構造が露呈することによって、リストラを進めなければいけなくなる。それで失業率が上昇していく。また、円高を背景にしてアジアへの生産移転が進んで産業が空洞化し、この面からも地域経済がかなり破滅的な状況に追い込まれる。これが、90年代の第1次の不況の特徴といいますか、大まかな構造だといえます。
 こうした状況の中で、日本ももう終わりじゃないかと絶望視した、今と全く同じ議論が行われております。日本的経営がもう駄目なんだとか、日本はもう駄目なんだとか、今見てみますと、ほとんど同じことを実はずっといっているのだということがよく分かります。今までほめていたのが急に変わります。それまでは大体アメリカが駄目な国だったのですが、これで急激に変わりまして、途中からアメリカほどすばらしい国はないという論調に変わります。
 いずれにいたしましても、こうして猛烈な不況のなかに入っていって、この時期に、もうこれで右肩上がりの経済成長は終わるということで、構造的な改革をしなければいけないということになります。経済改革なとどいう言葉がはやり言葉になりまして、細川内閣などが規制緩和を中心とした経済改革に取り組む。では一体、経済改革とはどういうことなのかということがここで初めて議論になるのですが、私にいわせると、ここのところで十分な議論をしたかというとあまりしていない。規制緩和を通して競争政策を遂行するという以外はたいした論理構造は持ち得なかったというように私は思っています。
 このへんでもたもたしているうちに、経済も少しづつ元気を回復してきます。一番大きな理由が財政出動と減税政策だったように思います。この財政からのお金をばらまきながら、もうひとつは金融機関の経営破綻に対処しようとして、処理スキームを構築します。これはご承知のようにコスモ信用組合とか木津信用組合などがつぶれて、これをきっかけにして、今の言葉でいうと公的資本の注入が可能になる。預金保険機構を使いながら、信用組合が破綻した場合はどういうふうに処理していくかというスキームが出来ました。東京共同銀行などが設立されて、今のブリッジバンクのようなものも出来ていくというようなことになりまして、これでいったん金融不安は収まりかけるわけであります。
 さらに、リストラのなかで、企業は戦略として低価格戦略をとります。価格破壊という言葉などが流行りまして、パワーセンターなどが急激にもてはやされ、価格をどんどん下げる戦略をしている企業などがマスコミではヒーロー扱いされるというようなことになります。一方では財政出動をし、減税をしながら金融不安が一応小康状態になる中で、企業は低価格戦略をやっていますので、利益とか金額よりもむしろ数量が少し回復してきて、ちょっと元気になったかなという雰囲気が出てくるわけです。
 他方、先ほど急激な円高→アジア化→産業空洞化といいましたが、アジアにどんどん設備投資をするとしても、アジアで全部賄うわけにはいきませんから、機械等々は日本から輸入するということになります。アジアで行われている設備投資が日本のアジア向けの輸出を作り出していく。また、アジアが元気になって、アジア内の所得も増えて市場も膨らんで、若干輸出が増えてくるということで、一方では輸出が回復してくる。国内では財政出動をきっかけにしてものが動き始めるというようなことで、一旦小康状態になる。これが95〜6年だったと思います。

【90年代第2次不況】
 ところが、またしても金融をきっかけにして大きな不況に入り込んでいくのです。図では「信組処理スキーム構築」から矢印を引いて「銀行破綻処理のもつれ」とかきましたが、これは拓銀破綻、山一証券の破綻であります。拓銀が破綻したときには、これは実際は殆ど無管理状態の破綻で、今から考えると大変なことをしたものだと思うのですが、当時のマスコミの論調も、また官僚も、こうやって銀行がつぶれていくのは結構なことだという評価をしております。例えば長野証券局長(後でいろいろ問題があって、辞めた人ですけれども)は、山一証券がつぶれたときに、市場がいけない企業かどうかを判定してつぶしてくれるというのは、ビッグバンをやろうとしている我々にとってみると結構なことだという評価をしました。拓銀の時も、いよいよ市場が判断して市場がつぶしていく。実はそれまでいくつか銀行が破綻するのですが、全部大蔵省が検査に入ってこれはだめだということを判断するのですが、あのときは検査に入って、11月いっぱい検査の結果が出るのにかかるだろうといわれていたんですが、11月の頭でつぶれてしまうんですね。官僚が判定するのではなくて市場が判定してつぶしたということで、これは新しい日本の事態だと評価されたのです。官僚主導型行政が非常に批判されていた時期で、こういうものを規制緩和によって突破しようというのがビッグバン路線の中のひとつの要素だったわけですが、そういうことから、これは結構だ結構だとみんないうわけですね。みんながいうものですから、一時的には管理ということを忘れて放置されるのですが、そのことによって大変な事態が進行していった。
 実は拓銀が破綻したときに、後で見てみると、実は株が一回上昇するのです。なぜ上昇するのかというと、木津信組がつぶれたときに、大変なことが起きたということで、結局信用組合の破綻処理に公的資金を使うというスキームができあがりましたが、市場はこれと全く同じことを期待して、拓銀が破綻したのをきっかけに、これで公的なお金がでて、銀行の破綻処理が出来るスキームが出来ると思ったのですね。
 ところが、一方ではビッグバン路線を行っている橋本さんは住専問題の絡みもあって、なかなかすぐそういうことはしないといいますから、市場が右往左往しはじめて、株が暴落し始める。そうすると、テレビにでてくる評論家などが、株価が100円を切った銀行はそろそろ危ないなどというものですから、みんなが100円を切った銀行はどれかと探し始める。さらに山一証券が破綻したときに、空売りをやって上手に儲けたという人が何人か出ましたから、自分もやってやろうという人がでて、大混乱が起きてくるわけです。こういうことをきっかけにして、1か月〜2か月間混乱が続くわけですが、すっかり消費も投資も止まってしまう。今、毎週日経新聞に経済指標がでますが、殆どが黒い三角、つまりマイナスは97年11月からはじまっている。それを見ても分かるように、これは非常に大きな影響を与えた。
 実はその背後に、市場になるべく任せましょうというビッグバン路線が一方ではあって、これが破綻処理の遅れを引き起こしていた、私はそう思います。他方では、少し景気がよくなったということで消費税なんかを上げて、財政改革、増税路線に入っていく。こういうことを通して、一気にデフレ不況、つまり低価格戦略といってもてはやされていたんだけれども、これが価格破壊、さらにこれはつまりデフレなんだということで、いい方がまた大きく変わります。低価格戦略、価格破壊者は非常にヒーローだったんですけれども、途端にここで悪者に変わるということになったわけであります。
 さらに、アジア向け輸出によって少し回復してきたのが、96年の7月、8月にタイの通貨が暴落して、それをきっかけにアジア通貨危機が発生して、アジア向けの輸出が、これは大体1年遅れになるのですが、完全にストップしてしまうということで、一旦小康状態をもたらしていた条件が全て崩れるということになりまして、97年以降また大不況に突入していくというのがこの間の経緯です。さらに金融破綻処理は、実際上は破綻を処理しつつ、金融機関の数減らしを狙っていくということですが、これが貸し渋りを引き起こし、さらにデフレ不況を悪化させていくというような事態が進行して、にっちもさっちもいかない状態になったということが出来ます。
 そこで、なんとかしようということで登場するのが再び財政出動と減税です。橋本内閣から小渕内閣に代わり、とにかく金をばらまく。さらに金融も一旦小康化した大きな背景には、勿論いくつか整理していってそのスキームができたのもあるのですけれども、特別信用保証制度等によって金をばらまく。今の景気のDI値などの動きをみていますと、どこで止まったかといいますと、98年の夏がだいたい底でした。冬にはすこし戻すのですね。これはなぜ戻したかといいますと、実体経済ではなく、完全に特別保証制度などによって金融面からのテコ入れによって、どこまで落ち込んでいくかという不安感がやっと少し止まったからです。今年に入りましてからは、財政出動をきっかけにしたり、あるいは減税、特に住宅ローン控除などによって、建設、住宅などが一旦少しよくなります。それをきっかけにして、景気がだいぶ持ち直してくるということになります。
 それから、アジア通貨危機が発生しましてから、やっと回復というか止まっていた状況が少し動き始めたということで、アジア向けの輸出も少し回復してきて、これで日本の製造業が少し動き始めるというようなことになりまして、やっと底打ち感が出てきたかなあというような状態に今なっております。ただし、今年の8月をみてみますと、また再び住宅関係はストップし始めていますし、公共投資もいつ息切れするか分からないというような状況ですし、製造業も依然として一部情報関連等々に限定されていて、特に国内企業の設備投資はまだ殆ど進んでいないという状態ですから、まだいつ底割れするか分からない状態ですが、ひとまずこういう状況になっている。
 ところが、アジア向け輸出が止まって以降、内需も縮小していたということもあって、米国への輸出依存が非常に強まった。アメリカは日本に対してだけでなく世界中の市場としての最後のよりどころになってしまった関係もありまして、非常に貿易赤字が拡大をしていく。日本が少し小康状態になったということと、アメリカがいつピークアウトするかわからないという株の状況もありまして、日本にお金が流れ込んできて、「円高」が再び発生しております。
 いまの状況は、円高懸念を持ちながら景気は底打ちかなというところです。これが、再び改革論が出てきた背景になっているんですが、先ほどもいいましたように、改革というものについて今出ているものは、殆どが財政をもう一度縮小して小さな政府を実現したいとか、規制緩和によって競争を促進するとか、従来いわれていたものを、一時期だまっていた人たちがまたしゃべり始めただけで、どうもそれが構造改革なのかという感じを私は持っております。



U 第1次不況と提言:3つの「無い」を克服せよ
1 80年代内需転換策の失敗
  =バブル化の原因
 そこで、かつて『ポスト不況の日本経済』で私がどういう提言をしたのかという話をさせていただきたいと思います。
 私がなにを主張しようとしたかというと、実は3つの「無い」を克服しようじゃないかといったのです。なぜかといいますと、「外需依存型成長」が行き詰まっていろんな問題を次から次と引き起こしているわけですから、やはり外需に極度に依存した状況をどう立て直すかということ、これが日本経済の根本的な課題だと考えたからです。当時の中曽根さんも、内需転換策をやらなくてはいけないということで、みんな輸入品を買えと地下鉄のつるし広告にまでそういうことが書いてあったりしたのです。ところがこの内需転換策がことごとく失敗をして、結局はバブルを引き起こしただけで終わってしまった。なぜそういうことになるのかというのが、私の最大の疑問だったわけです。そこで、3つのものが足らなかったのではないかと考えたわけです。

【消費者が無い】
 ひとつは「消費者が無い」ということです。これはどういうことかといいますと、私の『ポスト不況の日本経済』という本の「消費者の不在」というところで、ダイエーの中内さんのかかれた文章を引用していますので、それを」読ませていただきます。中内さんは94年の段階でいっているんですけれども。
 「今は発想の転換が必要なんです。これまではものを作って売るという立場で発想していたのを、使う側、買う側の発想に180度転換しなければなりません。作ったものをお客さんに押しつける、うまく売りつけるというマーケティングはもう限界です。消費者はもうそんなことでは乗らない。そうではなくて消費者の必要、要望を聞く。生活の場面場面でどういうものをお客さんが必要としているかという点から、新しい商品を作っていかなければいけないんです。」
といっています。
 ダイエーがその後に転換したかどうかはちょっとあやしいんですが、こういうことが盛んにいわれていた。この言葉の背景には、どうも供給が生産側の事情に基づいて、いわば国内市場にサービスやものを押しつけていたという反省があるんですね。実際、考えてみますと、内需転換だと騒いでいる割には産業構造は全く変わっていない。つまり、輸出主導型の産業構造をそのままにして、その売り先を、外国に売りすぎて怒られたということもあって、海外から国内に転換する。ところが、国内に転換するともうモノがあふれている。そこで、かなり強引に多品種政策によって消費者の財布をこじ開けていく。こういう政策をやった。ということは、実際上、日本の消費者が今なにを必要としているかというようなことに基づいて、その必要に応じた形で産業を転換していくという本当の意味での内需転換政策にはなっていなかった。そういう意味で、当時の政策には「消費者が無い」といったわけです。

【地方が無い】
 次の「地方が無い」という意味は、これは例えば中曽根さんが内需転換でなにをやったかといえば、都市の再開発路線というのをやるわけです。民間活力を導入するということと、都市の再開発をやり、85年の5月には首都改造計画を発表して、東京国際金融都市にするんだといい出した。こういう方向でいくと、これはどうも東京の土地が上がりそうだということをみんなが思い始めて、一気に東京の土地が急激に上がり始めたというのが、実はバブルの出発点であります。中曽根さんはこれをアーバンルネッサンスといったのです。
 しかし、そもそも東京への都市集中が極端に行き過ぎている。これをこのままにしたままで、お金をばらまくということは、結局はバブルを引き起こすことになる。実際に資金面でいきますと、地方銀行とか第二地方銀行などがどんどんビジネスチャンスを求めて東京に集まってくる。実はこのへんのところがバブル向けの投資をどんどん進めたわけで、これがバブル崩壊後はもういっぺん地元回帰ということで、今やっているわけであります。東京、東京へと、まあ、東京と大阪ですが、そういう都会にお金をばらまくという方式、そのものが実は限界だったのではないか。実は四全総というのがあるんですが、これが多極分散型国土形成をしなきゃいけないということをその前にいっているんですけれども、こういう提言とは全く違う方向へいってしまった。というのは東京には様々な産業が既にありますから、それにお金をばらまきますと、一時的にせよそれなりに効果を発揮するわけですから、そういう意味で手軽な手を使ってしまった。やはりもう少し地方分散型にして、日本経済の全体のバランスを取り戻していくというようなことをしないと、実際上、なかなか生きた形でお金が動き回らないというふうに私は思って、「地方が無い」ということをいったのです。

【個人が無い】
 最後の「個人が無い」というのは、皆さんこれもご存じのように、法人優位社会というのが日本では徹底しています。これは、安土敏さんといって、スーパーマーケットの社長さんで作家の方がおられるんですが、その人がこういう文章を書いています。
 「いちばんの問題は交際費で使うときの金銭感覚と生活に使うときの金銭感覚が3倍から5倍違う。例えばある人が会社のお金でお客を接待すると仮定する。ひとり3万円だったらまあまあ、2万円だったら安かった。5万円でちゃんとした接待だとなる。同じ人が個人的に誰かを接待するとなるとだいたい1万円が相場だそうだ。こうしたことが社会全体に与える影響は大変なものだ。つまりいい料理店、いいデパート、いい背広も全部社用になる。だから銀座などの高級店に行くと社用だけを対象にしている小売店が厳然として存在している。背広なら一着最低35万から40万もする背広である。背広代から飲食代まで全部社用の商品という店がある。そうすると、板前、コック、お針子さんなど腕のいい職人は全部社用を相手にする店に流れてしまう。今日本の社会全体がそういう構造になっていて、その構造を背後から支えているのが交際費、社用、要するに法人優位社会だ。」
こういうふうに書いているのです。
 さきほど消費者不在だといいましたが、実は個人と法人というふうに分けると、法人が行う消費と個人が行う消費のレベルが全くちがうということであります。私などのように大学にいるものは社用族にはなり得ないので、高いお酒はほとんど飲めないのですが、ほとんどどこへいってもそういった高いお酒を飲んでいるのはだいたい社用族ということであります。ただこういうものは、非常に限界があります。いいときは猛烈によくて、例えば日本人はみんなゴルフをやるんですが、私はなんでみんなゴルフをやるんだろうと思うんですが、これはやはり企業間で接待ゴルフなどがありまして、企業間文化なんだろうと思うのです。われわれの学生時代にはみんな学校をさぼってマージャンをやったのですが、そのときは接待マージャンが流行っていたときで、企業間の文化がそのまま日本の消費構造を決定する。ところが、景気のいいときは、ゴルフ場の会員権が猛烈な投機の対象になった。しかしひとまず景気が悪くなると紙屑のようになってしまう。飲み屋でも、個人が飲んでいる大衆酒場は不況でも1割減2割減なのですけれども、その2階の法人が使う宴会場はがらがらになっているということで、法人消費に依存していますと非常にブレが大きい。不安定で画一的になる。こういうことではなくて、いわゆる個人消費を中心としたもう少し奥行きのある安定的な消費構造に持っていかないと、ほんとうの意味での内需転換は出来ないのではないか。そういうことで「個人が無い」といったのですが、以上のような「3つの無い」を何とか克服しなければ、日本の構造改革とはいえないのじゃないでしょうかと考えたわけです。規制緩和によって競争を促進するというだけではこういうことが果たして達成できるのかというのが、実は私の『ポスト不況の日本経済』で主張したかったことです。


2 「分散・密着型経済」構築への課題
 ところが実際はこれを達成しようとすると、大変な改革になります。わたしは「社会改革としての経済改革」といったのですが、社会のありようそのものが全面的に変わらないと、なかなかこういうものは変わっていかない。こういうことで分散型経済構築への課題と書いたのは、これはいかに大変かということをむしろ書いているわけです。

@「消費者密着」のために
 例えば消費者に密着し、もう少しちゃんと消費者がなにを求めているかということに密着して、それに合わせた産業の構造をつくっていきましょうということですが、この消費者ニーズというものをみていきますと、私は、2つの全く反対の傾向を今持っていると思うのです。

【市場の細分化】
 ひとつは市場がどんどん細かく細分化してしまうという問題であります。もうひとつはどんどんと消費者のニーズが総合化しているということであります。細分化というのは、成熟市場のひとつの特徴なのですが、市場にこだわりが発生する。例えば、自動車がみんなファミリーカーで同じ様なものに乗っていたのが、非常に多様化をします。私のようなものは自動車というのは動く道具だと思っていますが、日本人の多くは自動車は社会的なステータスで、ちょっと出世すると自動車をすぐ買い換える。さらに若者はただの遊びの道具で、だからレクレーションビークルのようなものが売れる。このように非常に市場が細分化する。
 これはあらゆるところで進行していまして、私はこの間雨の日に立教大学の女子学生たちに持っている傘の値段を聞いたんですが、いまの東京の女子大学生がいくらくらいの傘をもているのか皆さんご存じですか、私の体験的な調査ではだいたい8000円から1万5千円でした。私はそういう高い傘はもっていないですね。大事なのは、金持ちのお嬢さんだから高い傘、貧乏人のお嬢さんだから安い傘を持っているというわけではないんですね。例えば授業が終わってみんなで食事に行こうということになると、女子学生が今日は夕食代がないから家へ帰って食べますといってつきあわないんですね。それが1万5千円の傘を持っている。夕食代がないのに。私は、そういうのは駄目だよ、みんなにつきあわなければ。お金がなければおごってやるよといっておごってやるのですが、おごっている私の持っている傘は500円なのですね。だから、所得格差ではなくて、こだわりなんです。つまり女子学生は今日の食事代をけちっても1万5千円の傘を持っていたい。私は1万5千円の傘を買うくらいなら、いいものを食べた方がいいと思っています。市場が成熟化すると、このようにニーズが多様化して、こだわり市場化していく。傘1本でも500円から1万5千円まで用意しなければいけない。そういう時代になっていく。これは、今までの産業構造に大きな影響を与えます。これはなにかというと、大企業体制というものに行き詰まりをもたらしていく可能性が大きいということです。

【中小企業重視】
 これは実際に起きていることですが、例えば自動車業界はパジェロという車がずいぶん売れましたが、あれは三菱自動車が作っている車ですが、これはもともとは東洋工機という中小会社が作っていたものなのです。市場が小さいということを前提として、本体は手を出さないということでした。日産はB1とかフィガロとか限定販売車を作っているのですが、日産という車になっていますが、日産は開発もしていないのです。全部高田工業という1000人クラスの中小企業に全部つくってもらっている。これは、本当にたたき上げの中小企業でして、こういうふうに市場が成熟して細分化してきます。大企業が図体の大きいままでこれに対応しようとしますと、先ほどいったように非常に高コスト構造に陥っていくということで、一部は中小企業に完全に任せるというようなな時代が進行してくる。と同時に、これは大企業自身の根本的な問題で、最近分社化とかカンパニー制とか持株会社制などが流行っていますが、これは大きくなることよりも、むしろ自分の体を小さく分けていく。市場の細分化に対応していこうという動きではないかと思うのですが、そういう根本的な構造転換が必要になってくるというような問題があります。
 そういう事態のなかで、私は、そういう市場状況を担える中小企業をきちっと育てていくというような政策が必要である。つまり、遅れた中小企業を遅れから取り戻すのではなくて、そういう新しい市場構造の中で、新しい担い手として主役を作り出していくという中小企業政策が必要になるのではないか。これを94年の段階で盛んにいっていたわけですが、なかなかそういうふうにはならなくて、実際にはその後の金融不安が再燃した際にはいわゆる貸ししぶりを引き起こすようなこととなった。つまり、中小企業というのはだいたい赤字を抱えていますから、それが第2分類ぐらいになって、それが不良債権だというので、自己資本を引き当てしなければいけないという事態のなかで、中小企業切り捨てがかなり進みました。もうちょっと援助してやれば何とかなったのにという企業が、この時期、ずいぶん数が減っていくのです。そういう事態をむしろ引き起こしている。

【ニーズの総合化】
 もうひとつ、ニーズの総合化というのは、消費者のニーズが非常に総合化して、一方では細分化していくのですが、一方では非常に総合化しているということです。例えば、最近福祉とか介護が問題になるのですが、消費者ニーズのなかで、単にいいものを食いたいとか、いい家に住みたいとかいうだけでなく、安定した老後がほしいなどという消費者ニーズが出てくる。安定した老後が欲しいとなると、ただ家を供給すればいいということにはならないので、そうするとなにを供給すればいいか。例えば家もそうですけれども、その地域に緊急医療体制がなければいけないとか、ホームヘルパー制度があって日常を支えてあげられるような、そういうことが必要になってくる。これが全部そろってやっと一つのニーズを達せられる。家だけ与えられても老人はその家に住めない。つまり、これは家が欲しいのではなくて、安定した老後が欲しいというニーズですね。

【ネットワークと第3の主役NPO】
 そうするとこの消費者ニーズを満たしていくためには、いろんな企業がネットワークを組んでものを提供していく、サービスを提供していく。実際に私が知っている建設業者は毎月1回お医者さんと勉強会をやっている。これは高齢者住宅を造りたいということで、お医者さんと一緒に組んでやっているのですけれども、これは同時にどういうまちづくりをしていくかという議論に到達していくわけです。そういうようなネットワーク型で商品を供給していかなければならない。
 さらにネットワークのなかに、第3の主役、NPOというようなものを組み込まないと売れない。例えばある業者さんが老人にお弁当を配りたいと思うわけですが、全部自分でやるとこれは大変なコストになってしまう。不可能なんですね。ところが、地元の奥さんたちがボランティアで、配るところだけは請け負いましょうとやると、採算が合いますので、お弁当やさんはなんとか利益になる、つまり、マーケットに乗せていける。今までだったら換算にのらないようなものを商品にしなければならない。そうなってくると、第3の主役ともいえるNPOみたいなものを企業との関わり合いの中で取り込んでいく、パートナーを組んでいくというようなことをしていかないといけないということで、実際今いろんな大企業がいろんなNPOとのパートナーシップの勉強会などをやったりする。
 これは新しい事態の進行で、私はこのことを実は93年に書いているのです。当時はまだNPOというのは経済学者はあまりいわなかった時期なんですけれども、この後に阪神大震災がありまして、急激にNPOという言葉が広まってNPO法まで出来ていくというようになりましたが、私は企業のマーケッティング的な側面からみても、これを取り込まないといけないという意味で注目したわけです。
 そういうことを考えてみますと、消費者のニーズに密着するということは、ずいぶん構造的な変化、構造的な改革が必要になってくるわけです。こういうふうに考えていって、ひとつひとつどういう改革をしなければいけないのかという議論をしなければならないと思うわけです。

A「地方分散」のためにー行政システムと金融システムの改革
【静脈型金融システムの改革】
 それから、地方分散。これもさきほどいいましたように、都会に金をばらまくのはとりあえず成長を引き起こすのに簡単なのですが、これはバブルで終わってしまう。こうなってくると、中央集権的な行政機構というものをやはり改革しなければいけないということになります。
 それから、もうひとつ重要なのは静脈型金融システムといっておりますが、これまでの金融システムは、都市銀行があり、地方銀行があり、信用金庫があり、信用組合があり、非常に分散型になっているのですが、これの多くは、だいたい地方は静脈的な役割になっています。お金を地方から集めてきて、例えば信用金庫でいいますと、集めてきたお金を全信連という上の組織に預ける。この全信連がさらにコール市場等々に流して、これを都市銀行が使う。つまり、ずうっとお金が地方から吸収されていって、都市銀行を中心として大企業システムの中に流れ込んでいく。これが高度成長期に行われてきたことです。しかし、大企業自身の資金事情が大幅に停滞している中で、このシステム全体が行き詰まってきているわけですが、これがなかなか動脈化しない。つまり、地域の方にお金を流しながら進んでいくというようにはなかなか動かない。しかし、本当に地方分散が必要だとすると、このお金の流れをどうやって作っていくかということが当然必要になるわけですし、またその受け手となる経済の主役をどう作っていくかということが問題になってきます。

【主役づくり】
 そうなると、地域密着型である中小企業の問題とか、金融のありようの問題をどうしていくかという議論を今度はしなければならない。制度としてどうするかという議論をしなければならないのです。ところが今はこういう議論よりも、ビッグバン型で競争が激しくなるから頑張れ、駄目なところはさっさとあきらめなさい、傷を負った金融機関は早く今のうちに撤退してくださいという議論しかない。ここのところからなかなか次へ進んでいない。従ってビジョンも、聞いてもなかなか出てこないというような状況です。こういう問題意識からいうと、どうもその点も十分議論して初めて構造改革の議論になると思うわけです。

B 「企業中心」社会からの脱却―社会コストのルール化
【企業丸抱えからの脱皮】
 それから企業中心社会。これは「個人が無い」という話をしたわけですが、これは、実はなかなか大変なことで、いままでは結局は全部企業が請け負ってきたわけです。例えば社会的な問題というのは、ある意味では企業がみんな社会的コストを負担してきたわけです。たとえば、住宅問題というのは日本にはずっとあったわけですが、住宅をどうするかという問題が起きてくると、結局社宅ということで企業が提供する。福祉等々も企業が面倒をみる。それから、ついでにいいますと、政治献金も企業が面倒をみるということで、企業がみんな面倒をみてきたわけです。つまり簡単にいうと、日本中の富を企業の中に蓄積して、その企業が消費をしたり、さまざまな分配役の中心を担ってくる。こういう構造だったわけです。したがって、この企業の構造からひとたびはずれると、消費等々も非常に惨めになる。企業の中にいて、ある肩書きさえもっていればかなりお金が自由に使えるが、そこからはずれてしまうと惨めな個人生活になってしまう。安土さんも書いているのですが、ある大企業の社長さんが社長を辞めたあと、昔行っていた寿司屋さんに奥さんを連れていった。べらぼうに高くて、社長を辞めると寿司も食えなくなるのだと思ったということがあるのですが、それぐらい法人消費と個人消費の格差が大きい。そこで、なんとか企業の中にへばりついていないと大変なことになるということで、一生懸命上り詰めていって社長になり、アメリカあたりだったら社長を辞めてここでそろそろ世界旅行でもしようということになるのですが、日本の場合は突然みじめになるものですから、社長を辞めたらなんとか会長に納まって、会長も辞めてくれというと相談役かなんかになって、企業の中にいる。企業と関わりをもっていないと大変惨めになる。こういう構造ですから。この企業中心的な構造そのものをなんとか転換しなければいけないわけですが、なかなかできません。

【企業の社会コストのルール化】
 さらにもう少し個人の生活を豊かにしていこうと思うと、例えばさっきいった地方分散の主役づくりといいましたが、地方の中で例えばNPOだとかも含めてそういう主役の担い手が必要なのですが、日本の企業社会の場合には数年で転勤になるとかでなかなか出来ないのです。そうすると、企業自身がそういうものについて利潤追求をある程度自己規制しないと、なかなかこれは出来ない。これはいやだと企業がいっていますと構造転換は出来ませんから、結局経済的行き詰まりから脱却出来ない。非常に矛盾した状況の中にあるわけで、そうすると一定のルール化をしていく必要があるというふうに思います。
 企業にいろいろな社会的コストを担わせると経済が停滞するという人がいるのですが、例えば、日本は明治以降労働者を10時間とか12時間働かせて企業は稼いできた。利潤追求はほとんど無制限にできたのですが、戦後になって8時間労働ということになりまして、そうむやみなことは出来ない。そうすると、8時間労働制によって、結局利潤追求の制限は受けるのですが、それによって日本経済は停滞したかというと全然停滞しない。これはなぜかというと、みんな共通のルールにしたからです。一部の企業だけがこれをやったら潰されてしまいますけれども。したがって、いかにこれを共通のルールにしていくかという議論しないといけない。
 いろいろいいましたが、今回の不況というものが、こういう新しい改革のきっかけといいますか、それを可能にしてしていくのではないか。そういう意味では、この平成不況は改革のきっかけとして十分に活用すべき最大のチャンスではなかったかと思うんです。しかし、実際にはこういうふうになかなかならないうちに、また次の不況に突入することになった。一旦突入してしまいますと、ただただ緊急対策のほうに振り回されますので、こういう改革論議というものがほとんど出来ない。せめて今度はちゃんとやりましょうと私は思っているのです。
 しかし、今いいましたように、これは非常に大きな改革でして、こういうことをいくら提言してもはじまらないだろうと最近はすっかりあきらめの気分になりまして、一点突破ではないですが、こういう思いを象徴するような政策をひとつぐらいは提言して、これをみなさんに議論していただきながら、もっと本質的なところに議論が進んでいく、そういう形がいいのではないかということで、私はたったひとつ、金融アセスメント制度という提言をしようと思いたったわけです。これを次にご紹介いたします。




V 第2次不況と提言:金融アセスメント制度をつくろう


1 「公的資金注入」の正当性
 金融アセスメントという考え方に至ったきっかけは、公的資金注入です。去年の12月、金融国会というものが開かれました。私は21世紀政策構想フォーラムというのをジャーナリスト、学者などでつくっているのですが、そこでどういう議論をしたかというと、公的資金を注入すべし、早く注入しないと大変なことになるという主張をしました。衆議院の議員会館でやったときには、午後には金融国会が行われるという時だったので、だいたい7〜80人ぐらいの議員や秘書の方がこられて、民主党の人なんかとはずいぶん対立的な議論もしました。私は公的資金注入賛成派だったものですから、1週間後には、すぐに自民党の宮沢派に呼ばれましてレクチャーすることになりました。ただし、私がいったのは、早くやらないと大変である。しかし、「でかいところはつぶせないから注入する」というのはいわば脅しの論理で、これではあまりに品がない。そうではなくて、国民が納得する論理を構築しなければいけない。国民が納得する論理とはなにかというと、やはり金融システム、金融機関というのはやはり公共性をもっている、あるいは社会的に重要な役割を担っているのだ。この社会的に重要な役割を担っている以上、これを放置できないのだと、説明しなければならない。ではその社会的に重要な役割というのはなにかということを詰めていき、同時にその社会的に重要な役割、公共性といってもいいですが、これを確保するために、こういう制度・システムを実行します。ですから、国民に、それと引き替えに税金を使わせてください。こういうふうにいわないと、おかしいんじゃないでしょうかと申し上げたのです。
 ところが、実際の議論は、経営者を何人首にすれば金を出せるかとか、そういうことばかりいっている。たしかに責任論も大事なんですけれども、やはり出す以上、これを正当化できるような別提案が政府の側から行われなければいけないし、これとセットすれば、国民の側も納得しますよと自民党へ行っても説明したのです。しかし、公的資金注入賛成派としての評価はいただいたのですが、残念ながら後者の面は全く無視されました。そこで、私は、これはちょっとまずいなと思って、なんとか方法はないかということで、金融アセスメント制度というものをいい始めたのです。

2 金融アセスメント制度導入の意義
 お配りしたのはあるホームページからとったのですが、「怒りを知恵に変えて、今こそ金融アセスメントを制定しよう」と21世紀政策構想フォーラムから提言をしたものです。今日は銀行関係のかたもおられるということで、嫌われ者になることを覚悟でお話ししますが、これは中小企業の人たちに向けて書いたものなのです。

【中小企業のための金融システムの創出】
 中小企業経営者のなかには、貸し渋りがあったり貸し剥がしがあったりで、ずいぶん頭に来ている人たちが多いのですが、ただ怒っているだけでなく、これを制度改革につなげましょうということで、ペーパーには「今なぜ金融アセスメントなのか」が書いてあります。「金融危機から学んだこと」ということで、「中小企業のための金融システム創出の声」と書きましたが、東京のある中小企業団体が会員企業に対して行ったアンケートがあります。500名を対象にして131名の回答、実施の時期は99年7月、ついこの間ですが、その中身は、中小企業の努力が生かせる環境づくりで重要だと思うものを3つ選びなさいということです。
 私はまさかこうだとは思わなかったのですが、例えば税金を下げてくれとかそういうことになると思ったのですが、一番トップになったのが「中小企業のための金融システムを創出すべきだ」というものでした。これが58%でトップでした。このころには貸し渋りもかなり緩和されてきたといわれてきた時期だったのですが、それでも、自分たちのためのシステムを作らなくてはいけないといっている。これは重要な問題提起であって、これを学者なり政治家なり行政官が真剣に受け止めて具体的に解決していかなくてはいけないのではないかと私は思います。
 なぜ、自分たちの金融システムがいると中小企業の人たちが考えたかといいますと、このへんのところは、金融関係者の方々や行政マンの人たちによく理解していただきたいのですが、今回やられたことに非常に不当なものを感じたのですね。中小企業経営者たちはなにを不当に感じたのかというと、不良債権問題は銀行のずさんな経営にあるのに、なぜ貸し渋りや貸し剥がしのかたちでわれわれ中小企業が負わなければならないのかということです。これは、ご承知のように不良債権を処理しますと、それだけ損失が起きます。損失が起きますと、それだけ自己資本が少なくなって、自己資本比率8%が達成できない。で、どうするか。自己資本比率というのは自己資本を分母の資産で割ります。資産である貸し出しを減らせば自己資本比率が上がる。そこで貸し渋りや貸し剥がしが発生する。こういう事態でありますが、これに対して中小企業が怒っている。
 2番目は、自分が作り出した問題を平気で中小企業に負わせていると中小企業の人は感じているわけですが、そういう銀行を、なんでまた自分たちの税金を使って救わなけりゃいけないのかというようなことが、当然おかしいと感じているわけです。
 3番目。これは意外と経営していない人は感じないかもしれないのですが、中小企業の人たちが切にいっていることでして、彼らは借り入れの際に銀行に個人保証を取られています。自分がひとたび経営破綻を起こすと身ぐるみ剥がされる。場合によっては家族も路頭に迷う。ところが、当の銀行の経営者は税金で後始末してもらっても個人財産は全然減らしていない。こんな馬鹿なことがあるのか。この素朴な、素朴すぎるといわれればそれだけかもしれませんが、素朴な不当感がある。これは、私は決して変な話ではなくて、正当なものだと思っています。だから、こういう人たちに対して私がいっているのは、2001年からペイオフをやるといっていますので、そしたら、これから1000万円以上預金を預ける時には銀行の頭取に個人保証をつけてもらいなさいと。銀行の頭取がいやだといったら、なんでオレの時だけとるのかといいなさいといっているのですが、そういうようなことで、非常に不満を感じている。
 4番目は、特別信用保証制度。政府はこれで金をバラ撒いたので、みんなこれで一応納得したのだろうと思っているのですけど、日本の国民はそれほど馬鹿ではありません。特別信用保証制度というのは、国がリスクを負いますよ、だから貸してやってくださいよという話で、結局国民が負担を負うことになります。そうすると、この問題を引き起こした銀行は一体どういう責任をとってくれるのですか、責任を全然とらないことになる。これはおかしいということもいっております。これも当然の不満であります。これらは実は制度上の問題と絡まっているのだというふうに思います。

【解決すべきシステム上の3つの問題】
 こういう疑問を整理してみると、3つの問題にたどり着くことになります。
 ひとつは、銀行業務の公共性に関する規定が非常にあいまいなままで済まされてきたという問題があります。公共性を維持するために資金を投入するのだといいながら、一方では自分たちのところにお金が来なくて貸し渋りにあっている。これはどういうことか、公共性とはいったいどうなっているのか、と当然企業は思うわけですが、ここがあいまいであった。
 2番目は、銀行と借り手の間に行われる取引上の慣行が中小企業に著しく不利なことです。ご承知のように中小企業は圧倒的に連帯保証まで取られて、ひとつ間違うとたいへんなことになる。それだけでなくて、例えば急にお金を返してくれといわれて、それはなぜですかと聞いてもだいたい多くは本部の都合でといわれて、理由はなかなかはっきりしない。ちゃんと文書できちっと示してくださいといっても、なかなかやってもらえない。こういうのはちょっとおかしいんじゃないかと、僕も思っています。
 それから、第3は、これまでの金融行政は官僚による裁量的な指導に極度に依存してきた。自分たちがもの申す機会が全くなかった。これが自分たちの金融システムだという実感がないもうひとつの理由です。
 このような不満を整理してみると、この3つの制度上の問題にたどり着く。したがって、この3つの制度上の問題を解決あるいは改善の方向に向かってなにかやりだすということが重要だということで、私はこの金融アセスメント法の制定を提唱しているわけです。

【金融アセスメントの目的】
 この金融アセスメントというのは私の造語でして、環境アセスメントというのになぞらえて、金融機関がその営業活動によってどういう金融環境にどういう影響を与えているか、ちゃんとアセスメントして一定の方策をしていくというものであります。

【銀行業務の公共性】
 一つ目の銀行業務の公共性の問題ですが、公共性の議論は、銀行法というのがありまして、その第1条に「銀行業務の公共性に鑑み」という文言があるものですから、この公共性をどう理解するかということが延々と議論されてきたのです。銀行業界ならびに大蔵省の人たちとこの間しゃべったところによりますと、公共性とは何かといいますと、要するに預金者保護と信用秩序の維持だというわけです。預金者を守らなくてはいけないということと信用秩序を維持しなければいけない。そしてそれとの関係で、銀行の経営の健全性を維持しなければいけない。こういう論理で組み立てられています。この論理でいきますと、預金者が保護され、信用秩序が維持されたら、公的資金を注入したのはそれでいい。つまり、銀行の公共性を維持するためにお金を使うのだというときに、その目的は何かというと、預金者を守ることと信用秩序を維持することですから、一応預金者が守られ、信用秩序が維持されていれば、それでOKだということになる。
 ところが中小企業の側からいうと、おかしいじゃないか、おれたちのところへ全然資金が回ってこないじゃないの、これでいいのというふうになるのです。実は公共性の議論の中で、そこが抜け落ちているわけです。本当にそれでいいのかとずいぶん思いまして、実は現行銀行法の制定の議論をしていた当時の議論をいろいろと調べてみました。そうしましたら当時の米里銀行局長が、「金融の円滑」ということをいっているのですね。実は銀行の公共性に鑑みという文章がどうつながるかというと、銀行法には「銀行の業務の公共性に鑑み、信用を維持し預金者等の保護を確保するとともに、金融の円滑を図る」というふうになっていて、信用秩序の維持と預金者保護と、もうひとつ金融の円滑という言葉があります。では、この金融の円滑というのは何なのかといいますと、その銀行局長はこういうふうに答えています。「ここでいっている金融の円滑とは、あくまで社会的に要請されている望ましい分野に資金を円滑に補給することであると思います。」
 つまり、信用秩序維持、預金者保護だけでなく、社会的に望ましい分野に資金が円滑に供給されてはじめて銀行の公共性が生きている、こういう論理になるわけです。となると、中小企業の側からいうと、末端にまでお金が来ていないとすると、これではまだお金を注入した目的である公共性が達成できていないということなるじゃないかということになるわけです。このへんのところをしっかりと議論をして、ここも含まれるということになりますと、決して今の事態は公的資金注入の目的が達成されたことにはならない。まだまだこれは円滑な金融まで達成できているか調査をしていかなければいけないはずです。
 実は私が求めているのは、こういう円滑な資金需給のありよう、これをもうちょっと日常的にきちっと調べていって、公表していく。こういうことを監督官庁に義務づける法律、これが金融アセスメント法だというのだというのがひとつの考え方であります。

【金融慣行の是正】
 もうひとつの狙いは、交渉力の乏しい利用者にとって著しく不利な金融慣行を是正することです。これは、アメリカなどとずいぶん状況が違ってきております。例えば、一文を紹介しておきますと、これはシリコンバレー・アドベンチャーというアメリカのベンチャーについて語った文章から引用したのですが、
「こんなことを始めるためにまともな仕事を辞めてしまったとはあきれたもんだ。うまくいかなかったら身ぐるみはがされるだけではすまんぞ。父は重大なことを大急ぎで告げるように囁いた。」
 これは子供が会社を辞めて、自分で会社を興すということをやり始めたものですから、親父がびっくりして、おまえなんていうことをしたのだといっているのです。
「いろんな書類にサインをさせられただろう。ローンに個人保証が必要なことをいっているのだ。僕は思わず笑ってしまった。父の時代と比べると世の中はずいぶん変わった。あのころは事業を始めるのには全てを投げ出す覚悟が必要だった。預金も貯金も家も自尊心も。事業は人そのものだったから、失敗すれば全てを失う。しかし、今日では事業と個人の間には明確な一線が引かれている。会社が倒産しても経営者の個人資産は法律で守られている。そうでなければリスクの大きい事業にはだれもが後込みする。40年前だったら、果たして僕は会社を始められただろうか。」
 こういう40年前のアメリカの状況が今の日本の状態でして、これを放置しておくと、新しい事業を始めようという人が出てきません。これは国民経済的課題だと僕は思うんですね。念のためにもう一個引用しております。それは欧米金融機関の顧問税理士でもある岡部亨という人が書いているんですが、
「『げに恐ろしきは連帯保証人』というが、この制度こそ悲劇を引き起こす根元。廃止すべきである。アメリカにもこの制度はあるがほとんど利用することはない。全て自己責任が原則である。銀行が融資して返済が不能になれば借り主が破綻するが、それ以外はなにもない。自宅も守る。銀行がそこに貸した責任を自分でとるわけだ。だからこそ、起業家が失敗を重ねた末に大成功する例も多いのである。」
 こういうふうに書いてある。このように大きく違いまして、日本ではこれまで高度成長期などで徹底した資金不足にありまして、明らかに金融取引慣行が金融機関側に有利に進められている。これを少しずつでも是正していかなければいけない。実は政府の中小企業審議会の文章の中にも、この連帯保証等に対する非常に厳しい徴求を緩和すべきであるということを書いてありますが、こういうふうなことをいったいどうやって実現していくのかということことであります。
 金融アセスメント法はこうした取引慣行についても、利用者利便の維持・向上という観点から調査・アセスメントして、より望ましい形で取引を行っている金融機関を高く評価することによって、問題のある金融慣行の是正や、より望ましい取引ルールの確立を促そうというものです。つまり、格付けをするわけですね。その格付けを、今までですとほとんど自己資本比率だけでやっていた。経営の健全性という観点だけでやっていたのを、資金の需給を円滑にやっているかどうかとか、円滑な資金需給に貢献しているかどうかとか、こうした利用者利便の維持向上に努力しているかどうかとかというようなことも含めて格付けをしていくようなシステムを作ったらどうかということです。

【官僚裁量型金融行政の是正】
 次に、官僚裁量型金融行政を是正し、利用者参加型の行政システムへの転換を図ること。これも、ひとことでいいますと、官僚は私に任せておきなさいということがほとんどでありまして、これではなかなか変わりません。この間大蔵省の金融局の人に、本当にビッグバンで市場のメカニズムに任せていきますと、地域にちゃんと資金は回るんですか。あなたたち自身だって地銀制度というものをもっていて、地方銀行にむやみやたらにあちこちに支店を出さないように認可行政でやってきたじゃないですかというふうにいったんですね。実際10年間ぐらいを調べてみますと、日本の地方銀行というのは本店のある県に8割、外に2割支店を持つことが維持されてきているんです。そういう地銀という制度があるでしょといったら、大蔵省はなんていったかといいますと、金融企画局課長ですが、そのような制度はない、私たちは何もしていない。だって8対2できちっといっているじゃないですかといったら、あれは銀行が勝手にやっているのだ。われわれは指導みたいなことは一切やっていないと、こういうのですね。やっていないで、ちょうどぴったり8対2でいくわけはないので、絶対やっているんですけれども、地銀法という法律はないのですね。銀行法はあるけれども地銀法はないのです。従ってこれは完全に行政指導でやっているのです。法的根拠はありませんから、やっているでしょというと、やっていないというのです。ですから、ルールや指導の透明化というのは出来るはずがないわけで、したがって、こういう行政システムをみんな机の上に出して、目に見えるような状況にするにはどうしたらいいかというと、これはなかなか簡単なことではないわけです。そこで、今いったようないろんな条件を付けて、これを格付けして発表して、それに基づいて問題があったら指導していくというようなシステムにしたらいいのではないかというようなことを、私はいっているわけです。

【情報の開示】
 金融アセスメント法は監督官庁に対し円滑な資金需給、利用者の利便、金融機関経営の健全性(3つとも銀行法の中に出てくる言葉です)という3つの観点から必要な情報を収集し、金融機関の活動について評価することを義務づけるものですが、同時に金融機関に下した評価とその判断理由を、可能な限り多くの情報とともに利用者が入手しやすい方法で、例えばインターネットなどで、定期的に公開することを義務づけるものです。これは高い評価を得た金融機関にとっては利用者に対するアピールになりますから、結果的に利用者の増加をとおして望ましい金融機関を応援し育てていくことになります。また反対に、問題ありと評価された金融機関は、そうした評価を監督当局が新たな支店の設置や合併等の認可において重要な判断材料とするため、できるだけ早く改善しておこうと考えます。いずれにしても、金融アセスメント法はこうした形で参加型の望ましい金融機関を育成していく環境を整えるとともに、金融行政の透明化によって裁量行政のゆがみを是正していくことを企図したものです。それは徐々にでも、現在の金融システムを、国民が自分たちのための金融システムだと実感できるものに近づけていくのに役立つものだと確信します。

【金融アセスメント法の構造】
 ということで、意図はこういうところにあるのですが、じゃあ具体的にどうやってやるのかといいますと、
金融アセスメント法の構造ということですが、読み上げますと、
 金融アセスメント法は以下の6点について法的に規定することを主要な内容とする。
1 金融監視機関、アセスメント委員会といってもいいのですが、これを設置する。
2 そのアセスメント委員会は円滑な資金利用、利用者の利便、金融機関経営の健全性という3つの観点から必要な情報を収集し、預金を取り扱っている金融機関の活動について評価する。
3 アセスメント委員会が収集した情報及び評価の結果は評価対象金融機関に伝えるとともに、下記4に記した審査会の審査を経た後、金融機関の利用者たる国民に適切な方法で開示する。
4 金融機関の活動についてそのアセスメント委員会の評価について、その正当性を審査する審査会を設置する。
5 評価対象金融機関がアセスメント委員会の評価に不服があるときは、審査会に再審査を請求することが出来る。
6 評価対象金融機関が支店設置あるいは合併等の申請を行った際には監督官庁が、その認可の可否にあたって、アセスメント委員会の評価を考慮に入れるものとする。考慮にいれてもどうしても合併させなきゃ危ないというときには仕方がないですから合併させるわけですが、いずれにしても考慮に入れる。
 以上がどんな手法を用いるかのかという点ですが、上記のような構図にある金融アセスメント法を実効あるものにしていくためには、実施手法について以下の4点についてより詳細に検討しておく必要があります。
1 実際の分析作業をだれがやるのか
2 調査項目をどう決めるのか
3 評価の方法をどうするのか
4 金融機関に改善を迫るためのペナルティのあり方
 ひとつ目の実際の分析作業の担い手ですが、これは各都道府県に、財務局職員だとか公認会計士だとか、都道府県の職員だとか、金融機関を辞めた人だとか、そういう専門家を集めて、分析センターを設置して、これをアセスメント委員会の下部組織にする。
 第2の、調査項目の策定については、現在の金融監督庁が収集・使用している情報を基本に考えて行くんですが、念のために簡単にいうと次のようなものです。ひとつは円滑な資金需給。これは基本的には評価対象金融機関が各分析センターが設置された都道府県、例えば東京都とか愛知県とか宮城県とかそういうところの資金需給においてどんな役割を果たしているか。特に中小企業にどんな影響を与えているか。それから、一方的な融資条件などの変更などによってマイナスの影響を与えてはいないだろうか。これは貸し渋りですね。こういったことを調査項目として調べる。そのために、地域別規模別業種別融資条件、その他借り入れ申請がどれぐらいあって、それをどれぐらい却下したか。もちろん全部を受けろというわけではありませんが、そういう調査をします。
 それから、利用者の利便について。これは、例えば金融機関側が一方的に融資条件を変更しようとする場合には文書でその理由を通知する。それから、融資基準を公表したり、拒否理由を通知する。あるいは個人保証や連帯保証についてどんな取り組みがなされているか。特に小規模企業に著しく不利な取引慣行はないかどうか。そういうようなものを調べる。それ以外に、預金者にとっての利便性というようなものも入ります。
 最後の経営の健全化。これは自己資本比率等々、決められているようなことです。
 こういうようなことで、ひとつは都道府県レベル、もうひとつは全国レベルで2段階で評価していくというような形で評価をして、例えば優秀であるとか、良好であるとか、問題があるとか、そういうような形で格付けをしていく。これを参考に、合併や支店開設などの申請がなされたときに、認可するかどうかの判断にあたって考慮に入れるというような形で、ふんわりとした圧力を加えていく。

【民間からの政策提案の実践】
 どうしてこのようなことが必要なんだろうか。こういうようなことをなぜ私が提言するかといいますと、いろんな意味があるんです。ひとつは、この案は私が勝手に考えたものですが、こういう民間のNPOのシンクタンクが作った政策を提言するものを政党が取り上げて、これを国会で議論していくという、つまり官僚が作った法案を議員が通すというだけじゃない、新しい行政のシステムを作っていく。いわば下からの発信です。行政改革うんぬんというけれども、こういうものがなければやっぱり変わらないと思いまして、こういうものを実践したいというのがひとつあります。
 その話が9月17日に「ニッキン」という金融業界紙で一番大きな新聞に出ました。「金融アセスメント法、民主党が議員立法へ」ということで、銀行界は警戒をしている。当局は静観を貫いている。だけど銀行業界も公的資金を出してもらったということもありまして、なかなか反対姿勢を示せない事情もある。中小企業対策から自民党が同法をどうやら丸飲みするのではないかというような観測もあるとか書いてあります。
 これはどこまで本当か解りませんが、要するにこういうことが議論になっていくということが、私は重要だと思うのです。つまり、官僚がつくって、ぼーんと国会に出てきてパーッと決まるのではなくて、いわば競うようにして民間のシンクタンクからいろんな提言がでてきて、これは面白いよということで政党が取り上げて議論化していく。こういうことがないと下からの改革にはならないので、そういう意味で先ほどいった試案づくりという点で自ら行動しようと考えたのがひとつあります。

【地域金融力の強化】
 それから、先ほど地方分散だといいましたが、これも金融上の問題が一方ではありまして、例えば今日本にシティバンクがやってきて、ある地域から資金を全部集めてアメリカに持っていってもシティバンクはなにも叱られないわけであります。ところが今日本の東京三菱がアメリカへ行って、ある都市で預金を全部集めて全部日本へ持ってきちゃうと、東京三菱は二度と支店を出せません。これはなぜかというと、地域再投資法、地域で集めたお金は地域で再投資しましょうという法律がアメリカにはあるからです。これは勿論黒人差別等々マイノリティへの人権差別問題から始まったのですけれども、今これを、クリントンは地域政策として活用しようということで、ずいぶん強化しているのです。そうすると、日本にシティバンクがやってきて日本のお金を全部持っていってもだれも文句をいえないのですけれども、日本の銀行がアメリカへ行ったときには文句をいわれるわけですが、日本にも同じようなものがあったっていいはずです。またそういう制度を通して、地域の住民がこの金融機関が地域にどういう影響を与えているかということを知る権利もあるはずです。官僚が強制的にやるのではなくて、そういうようなことをとおしながら、地域金融、あるいは地域なりの資金循環を確保できるようなことができないか。特に地銀制度なんかはどんどん崩れていくと思いますので、私はそういう形で補完していかないと、地域に金融機関が一行もないとか、地域からお金は出ていくけれども、ちっとも地域の中小企業にお金が回らないということだって、今後出てくるのではないか。
 アメリカも金融自由化したおかげで地域に金融機関が一行もない地域がずいぶん出まして、クリントンは300のコミュニティバンクを作るという政策を出すというところまで追い込まれた。日本もその方向にじりじりきているということを考えますと、この地方分散化ということにとっても、この法律は必要なのではないかと思うわけです。

【地域づくりへの参加要請】
 最後に、金融機関の方々はこういうのは絶対いやがるのですが、金融機関は民間の企業に対して当然格付けをしております。金融機関がそういう格付けを行っている以上、これをやってはいけないとはいえないということがひとつと、地域への一定の貢献というのは、いわば社会的なコストとして織り込むべきではないかと私は思っています。ただし、勿論経営戦略はありますから、それぞれの経営戦略に応じた範囲内でということで、私は経営の健全性というのを3つ目の戦略にたてて、それと矛盾しないかぎりやってくださいというふうに思っています。そういうようなことを通しながら、地域経済づくりに、地域の中小企業も預金者も、金融機関もそこに参加していって話し合うような背景を作っていくことが、実は構造改革を行っていく場合のさし当たりの出発点ではないかと考えているわけです。
 私は前回の著書で、構造改革をいっぱいいいましたが、こんなことをいっぱいいっても仕方がない。ひとつこういう法律制度を提言することで、これを切口にすることで、いろんな提言の議論になって、構造改革というのは一体なんなのかというところへたどり着いてくれればありがたいなというふうに私は思っています。そういう意味で、今日も盛んな議論をしていただけたらと思いまして、問題提起とさせていただきます。



W 質疑応答


安藤:アセスメント法あるいは制度に関して、特に金融の公共性、なかんづく金融の円滑さということを中心に、この制度をご提案なさったわけですけれども、金融の公共性と金融機関・銀行の公共性は果たして一致するだろうかということ。これは教師は聖職かというのに似たような話ですが。
 お話の出発点はちゃんと中小企業に資金がいくかどうかということ、これは非常に大事なことだと思います。例えばソニー、ホンダは今だったらきっとできなかっただろうと思うのです。今のような銀行のあり方だったら。しかしながら、金融機関は本当に公共性を持つべきものかどうかというのはやはり問題であろうと思うのですね、私企業として考える場合。
 2番目に、この制度は要するに格付け制度とおっしゃったけれども、そのメリットというのか、この格付けが格付けとして生かされるために、ご褒美なりペナルティをどう考えるか。この発想の出発点からしますと、ご褒美を許認可行政に引っかけてある点は、どうもいささか首尾一貫しないような感じがします。つまり、マーケットでご褒美がでるようなものであるといいんだけれども、ご褒美は昔ながらの支店行政のようなところにひっかけてあること、これはなんとかならないかと思うのですが、いかがでしょうか。

山口:ひとつめですが、金融機関と金融システムの公共性は同じであるかどうか、システムとして公共性をもっているということと、一つ一つの金融機関がどこまで公共的行動をとるかということですが。ひとつは公的資金を注入した際にこういう議論がありました。例えば民主党のある議員、これはお医者さんなのですが、昔は心臓麻痺に対して全部血管を止めておいて手術っしていた。しかし、それでは心臓は治っても部所部所が壊死を起こしてしまっている。そういう手術の仕方をしていた。どうもそういうやり方をやってきたのではないかと彼はいっていました。つまり、金融機関にお金を注入して、「心臓」を治してやれば自然に資金は巡るのだということで、金融機関をまず助けるという政策をやってきた。そういう意味では公共性という言葉を金融機関のほうでむしろ限定してきたのは、これまでの政策の方だったように思います。本来、毛細血管にどう資金を巡らせていくかというのが実は金融システムの問題であって、ここのところについてはわりと無関心であった。こういう面でも金融機関と金融システムの公共性という問題が何となく取り違えられてきたように思うのです。
 ご質問でいわれているのは、むしろ個々の金融機関にどこまでそれを負わせることが出来るかという問題なのですが、私は例えば東京三菱なら東京三菱が非常に公共的でなければいけないとはいっていないのですね。ただ、たとえば、都市銀行というのはいわば大きなマネーセンターバンクで国際金融市場を相手にしているから、地域に資金を流すようなことは出来ませんよといいたい面は当然あるのですが、これもその地域に代わりがあればいいわけです。ほかの金融機関が地域に資金を流す役割をしていて、地域に問題が起きていなければいい。つまり、地域全体がどうかということが大事です。ところがある都市銀行なり大手の金融機関が非常に大きな預金シェアを持っている。それにもかかわらず、そこが地域に全然お金を流さないとなりますと、地域経済はだんだん落ち込んできます。最初はそれで、ちょっと元気ないなという程度かもしれませんが、ある程度いったら金融機関はそこを取り払ってほかの地域に移ってしまうかもしれません。そうすると、その経済は完全に落ち込んでしまう。そういう場合は問題は深刻です。つまり、地域にとってどうかという視点で見た場合に、ある金融機関が全部同じように平等に公共性を持たなくてはいけないということではなくて、その地域への影響度などを見ながら、地域に対してマイナスの影響を与えないようにしてくれよというようなことは、私はいっていいのではないか。個々の金融機関に対して、そういう意味での公共性です。
 全体としてまずどうなっているのか、どの金融機関がどのくらい背負っているのかという実態をもうすこし情報公開することを出発点にしないといけない。今各金融機関は全部情報公開誌をもっていますけれども、例えば私は今日は愛知からきたのですが、愛知県にどれぐらいの金融機関に中小企業の資金需要がどれぐらいあって、それぞれがどれぐらいのシェアがあるか、これはどの銀行の情報公開誌をいくらみてもわからないのですね。これがわかっているのは金融監督庁だけです。金融監督庁は自己資本比率だけでなく地域への影響度も考えて公的資金注入をするかどうか決める。これは、それぞれの地域にどんな影響力を持っているかまず調査しなけりゃならない。ところがそのことを地域の住民は全く知らないわけです。まず、それを公表して、そこが問題が起きそうであれば、金融機関として一定の役割を担わせるというのは、これは最低限の社会性公共性の問題として、私は要望してもいいんではないか。いつでもなんでも一定比率地域に流さなくてはいけないとか、そういう意味ではなくて、それぞれが持っている影響度の大きさによって違ってきますということであります。
 それから、格付けのモチベーションの問題ですが、これは、ペナルティの部分がないとやれないのですよね。そこでどうしても許認可行政ということですが、実は今の銀行法のなかに合併を認可するかどうかという中に、利用者の利便と円滑な資金需給、これを調査をして、これに適合的かどうか決めなければいけないという法律があるんですよ。これは殆ど実際上おこなわれていなかったと思うんです。で、これをきちっと、日常的にきちっとやっている金融機関かどうかみていくということで、これはもう今ある法律の範囲内だと、私は思っています。
 問題はがんばろうというモチベーションをどうやって与えるかということですが、これは地域の人たち次第です。つまり、例えば、ある金融機関は、私どもは殆ど地域の貸出をしていません、預金を集めて他へ持っていくだけです。でもちょっと利回りがいい。他の金融機関は、なかなか中小企業育成なんてやってコストがかかりますから、そんな利回りは出せません。しかし地域のため、こういうことをやっています、と2つあったときに、地域の住民はどっちを選ぶかということです。そのときに、やっぱり多少利回りが低いかもしれないけれども、こっちの金融機関を育成しなければならないとみんな思って預金するかどうか、これによって決まる。それをすれば、その金融機関はやっぱりそういうことをしていないと預金が集まらない。あるいはやっていれば預金者がいっぱい来てくれるということになれば、やるでしょうね。だけど、そういうことをしないで、利回り如何だということで、地域貢献度ゼロの金融機関にみんな預金していて、その地域がだめになっても、それは本人たちが悪いのだから、それはしょうがない。
 これは環境問題と同じでして、環境格付けというのがあって、あるモノを作るのにこれぐらい環境にいいことをしましたというのを公表するわけです。この企業はモノづくりでも非常に環境に配慮していますということで、環境面から高い格付けするという運動がありますが、これも、それ自体としてはなにもならないのですが、ただ消費者が多少高くても、あるいは同じ値段であればそういう環境にいいことをやっているところから商品を買います、あるいは多少高くてもそっちを選択しますということになれば、これがモチベーションになって企業は環境格付けで上になるために、一生懸命にいいことをやろうとする。要するに受け手、利用者の側がどういう対応をするかということによって決まる。利用者が信用出来なければ、官僚が全部やるしかないのです。だから、官僚批判をするのであれば、一方で市民側がちゃんとしなければこれは無理なわけで、「国民はそんな問題を考えて行動しないからだめだよ」といわれてしまうと、この制度はおよそ意味を持たないというふうに思います。

安藤:具体的な評価の仕方はどうなるのか

山口:3項目立てて、3項目それぞれについて評価をしようということです。従って、例えば非常に貸し渋りをしていて、すごく自己資本比率が高くなれば、経営の健全度は「優秀」になるのですが、安定的な資金需給に貢献しているかというところでは下がるわけですよね。で、それを見ながらどこに預金するか、どこからお金を借りるか利用者が決めていくということであって、それがあまりひどい場合には、次の支店が出しにくいとかというペナルティがあるけれども、それ以上については利用者側のレベルの問題です。でも、そういうことが今後必要ではないか。つまり国民に返すというか、市民に返すというか、一方では官僚はけしからんといいながら、他方では自分たちのいわば投票行動によって、足によって、なにか改善したり誘導していくということに自分は参加したくないというのであれば、これは官僚にお願いするしかない。これがこの法律の根本的な欠陥であり、かつ、同時にそれが一番いいところだと、私は評価をしているのですが。

梅沢:山口先生の金融アセスメント制度はアイディアとしては大変おもしろいのですが、先生のアイディアの前提として、公的資金を導入して銀行は体力をもう回復したのだというのがあるのかどうか。体力があるのに中小企業に金が回ってこない。金を回らせるためにアセスメント法やそういうものが必要なのではないかというのが前提になっているのではないかと思うのですが、日本の金融システムの現状は、そういうように楽観していいのかどうか。やはり公的資金導入にもかかわらず、日本の銀行はまだバランスシートはかなりめちゃくちゃではないか。現にゼネコンとか商社、流通企業の不良債権を多量に抱えているのです。これらは全く処理できていないのです。で、処理しようにも、銀行は体力がないし、どこか大きなところを潰すということになれば、これは社会的にも大問題になる。政治もこれを許さないということで、日本の銀行というのはまだまだバランスシートは非常に傷ついたまま、それが塩漬けにされている。こういう段階だと思うのですね。私は、銀行は儲けたいと思っていると思うのです。儲けるためにはよりリスクがあるところへ金を貸せば儲かる。例えば中小企業のほうが大企業に貸すよりも利鞘は取れるわけですけれども、しかし、自分のバランスシートがこれだけめちゃくちゃになっているときにこれ以上のリスクはとれない、と逡巡する。結局身動き出来ないというのが今の金融機関の現状ではないか。根本的な大きな問題がまだ残っているときに、金融アセスメント法というのを持ってきて、本当に金が回るようになるのだろうか。不況の脱出になるのだろうか、やや疑問ではないかと思うのですが。

山口:いわれるとおりです。私も全く賛成です。特に、むしろ末端の金融機関の場合には、ずいぶんまだまだ問題点が多い。実は今、金融監督庁は強制しているのです。つまり、公的資金を注入するから中小企業貸出をどれだけ増やせとか。それがなかなか出来ない。しかしそれがうまくいかないというのもそのとおり。
 ただ私がなぜこの時期にいうかといえば、国民が金融システムというものについて考えたり、あるいはものをいってもいいはずだということを初めて今思っている時期なので、問題提起のチャンスとしてとらえています。現実には、いまこれをやっても対処療法としてはそれほど効かないと思います。それは、公的資金を注入するから、中小企業をなん%増やしなさいとやった方がまだいいかもしれない。
 しかし、対処療法としては効かないんですけれども、これから、例えば金融機関の地域密着度というのは薄まるか高まるかというと、勿論いろんな戦略はありますけれども、薄まる可能性の方が高いと思うのですね。これまでは許認可制度によって、ある金融機関はこの地域から殆ど出れないというような状況だったのです。とにかくそこの地域の経済を興して、地域の中小企業を興して、そこにお金を貸して生きていく以外はなかったわけです。ところが、今後はもうそうではなくて、例えばそういう金融機関が大きな持株会社の傘下に入れば、中央管理の元で、そこの経済を興していてはコストがかかるから別のところへ経営資源を移すということだって十分可能だし、それから、例えば信用金庫が生命保険を売って食っていくことだって出来るわけです。そうすると地域の経済興こしについては、やはりモチベーションは、例えばこの地域がすごく伸びてきたといえばそこにドーッと金融機関が入ってくるかもしれないけれども、分散的でバランスのとれた発展というのはなかなか出来ない。そういうときにどうやってやっていくかというときに、やはり地域住民の運動とつながる形でこういうかたちでやっていくしか方法がないのですよ。
 たとえば、先ほどアメリカのクリントンが300のコミュニティバンクを作るといったのですが、実はすぐにこれを引っ込めた。なんで引っ込めたかというと、300ぐらい作っても仕方がないということで、むしろ地域再投資法を強化することを選んだからです。しかし、実際の格付けは、ほとんど99%「優良」行なのです。しかし、こういう法律があるために、銀行としては地域の住民たちとなるべく話し合う。出来るだけ地域の住民と問題を起こしたくないということで、ずいぶん地域の運動も持ち上げていくきっかけになったわけです。
 だから、今の時点の対処療法で、中小企業向け貸出を増やしましょうというのとは本当はちがうのです。ところがこういうタイミングでしかこういう問題は出てきませんので、貸し渋り対策法だというふうに受け取られてしまう。民主党がとりあげたのですが、民主党もおそらくそういう発想で取りあげているんじゃないかと思うのですけれども、また、そういうふうに訴えると思うのですが、ただ、そういうことよりももう少し長期的な、地域の経済とか参加のシステムだとか、行政のあり方だとか、金融機関の社会的な役割の問題だとかという、もう少し大きな流れの中でこういうシステムを導入しながら、地域の市民も一緒にレベルアップをはかっていくというようなことを、この時期に始めようというだけであります。
 ご指摘のようにすぐには効かないと思うのです。しかし、体力が回復したら自然にうまく、市場メカニズムでうまくいくとも僕は思っていないのです。それだってどこまで信用できるか危ない。逆に、またミニバブルみたいなことになるかもしれませんし。だから、やはり、国民的監視というか、参加といったほうがいいかもしれませんが、そういうものが必要なのではないでしょうか。
 ところで、この「格付け」というのは、言葉を変えていえば、顧客満足度テストみたいなものです。
 例えば私が最近少し勇気を持ったのは、絶対に金融機関が反対すると思っていたのですが、ある信用金庫の人が、「先生これをどんどんやって下さい」というんですよ。なんでかといったら、この間自分のところの自己資本比率が新聞で発表された。4%を超えているんですけれども、5.8%ぐらいかな。そうするとね、やっぱり低く見えるのですよ。上は8%にいっている。そうすると、あそこは問題だみたいな評価しかでてこないのです。だけど自分たちはもしここでどんどん貸し剥がしなんかやったら、大変なことになるわけです。体力のない企業をいっぱい抱えているから。だからそれはできないということで、じゃあそれをどうやって処理していくかというところで悩んでやっているのに、そこの部分は全然評価されない。だから、自己資本比率だけで自分たちが優秀かどうか評価されてしまう現状はやっぱりおかしいと思うということを、現場の金融マンたちは思っているわけですね。また、銀行員であるということで、今誇りを失っていて、お父さんが銀行員だということがちっとも自慢にならない。銀行が悪者だということがずいぶん出ちゃって。そりゃ悪いこともしたかもしれないけれども、しかし重要な役割もいっぱいしている。どんな役割をしているかということを、むしろ公にしてきちっと第三者機関が評価していくということを通して、銀行というのはただ貸し渋りをしているだけでなく、こんな役割もしているのだよということをきちっと示していく。僕が金融の専門家だからいう訳じゃないですが、その人たちが誇りを持てない経済社会というのはよくないですよ。それをきちっと示していって欲しいというのがわたしの本来の意図なんです。

山口(俊):ふたつあります。前提としては、企業と個人の対立構造なんですけれども、地域も含めて。ひとつは源泉徴収の問題。私個人的には、これは見直してはどうかということです。ふたつめは出資法の問題です。
 納税者意識が非常に高まれば当然選挙の時にも関心を持ちますし、行政がもらったものは自分のものというように税金を使いまくるということに対しても、マスコミ以上に抗議の声を上げるのではないかというように思います。ですから、私は源泉徴収以外に選択肢がもうひとつあってもいいんじゃないか。
 出資法の問題ですが、業としては40%まで、利息制限法でも20%。殆ど大銀行からサラ金に貸しこんで儲けている。一方、預金のほうは0.1%。こんなことが許されていて、なんとなく金融機関は懲りない面々だと思うのです。私はつぶれるものはどんどんつぶしていったらいい。
 被害者の人権を重視するのか加害者の人権を重視するのかという観点からいいますと、今まではどうも加害者、団体の人権ばかり重視して、個人の人権はどんどん重視されていないのではないか。その被害者という意識さえも個人はないのではないか。

山口:源泉徴収の問題は私も全く同じ意見です。ただし源泉徴収の場合、おそらくこれを止めるときちっと税金を取るのにモレができたりして、ずいぶんコストがかかるということがあるかもしれませんが、せめて年末調整ぐらいは企業がやるのではなくて自分でやってくるというようなことを通して、納税者意識を作らなきゃいけないということに対しては全く賛成です。
 出資法の問題というか、金利の問題。これも一方で貸し渋りをしている。本当に貸し渋りといえるかどうか怪しいんです。貸せないといったほうがいいかもしれないんです、借り手がひどすぎて。それが一方で商工ローンへ流れ、一方で商工ローンに金を貸して銀行はそこで儲けているという構図はやっぱり問題だと思うのですが、今ひとつ中小企業の人たちの要求の中であるのは、例えば事業リスクを勘案して、金利設定をもっと多様化してもらいたい。一気に非常に安い金利から高い金利にポーンと飛ぶわけですよね。商工ローンみたいな。銀行自身がリスクが高いから金利が高いよといってもらいたい。高くてもいいからもう少し柔軟に対応して欲しい。そのことによって融資機会を拡大して欲しい。おそらく流れはその方向に放って置いても行くと思いますが、そういう方向へいかないといけない。
 さっきつぶすものはつぶれた方がいいということですが、問題はつぶれるべきものはつぶれたほうがいいというのはその通りなんですが、つぶれるべきものだけがつぶれるかどうかというのが問題なんだと思うのです。つまり、今ペイオフなんていう議論がありますが、あれはおそらくこのまま放置すると、僕は出来っこないしやるべきではないといっているのですが、それが近づいてくると、かなり預金移動が起きますよね。もしこのまま放置すればですよ。なぜ起きるかというと、預金者が経営上の問題があるかいろいろ分析してやっているよりも、小さいところよりも大きいところの方が安心だということだけで動く訳です。97年11月に拓銀がつぶれるわけですが、それから1ヶ月ぐらいの間に東京三菱銀行が5000億円ぐらい預金を集めたといわれています。通帳の印刷が間に合わないぐらいだといわれた。それはみんな要するに危ないときは寄らば大樹のもとでしょ。そうすると、いわば金融機関の貢献度、重要性というよりも、大きいか小さいかというだけで判断して動くわけです。そういうようなことではなくて、もう少しきちっといろいろな情報を与えてもらった上で判断して動く。経営の健全性もひとつですけれども、それ以外のことも判断して動く。そういうようなことをやった上で動いて、その結果、金融機関が総合的評価として、預金者からの評価がもらえなくて落ちていくというのは、これはもう当然のことだろうというふうに思っています。

松原:ちょっと問題が錯綜しているように思いまして。要するにこういうのをお考えになった経緯は、公的資金を入れた。公的資金を入れたけれども、中小企業にはお金が流れない。本来果たすべき銀行の、先生がお考えになる公共性を果たしていないのに公的資金を入れたことになったじゃないか。じゃあやはり公的資金を入れた担保みたいな形で、ちゃんと中小企業にお金が流れるようなシステムを作ろうということだと思うのです。で、そのことと、さきほどのご質問に対する答は、もうちょっと先の方で、将来的な金融システムをどうしようかというときに、今ちょっと問題提起しよう。ただ、これは民主党が法律を出しちゃったとすると、今の問題ですから、このことが本当に機能するかどうかがやはり問われると思うのですね。
 それで、私は、ここがポイントだと思うのですが、配布されたホームページの資料8の4ページの上から5行目のスラッシュのところに、「健全な中小企業への貸出」と書いておられるんですね。僕はほかのところにも全部「健全な」という言葉がつけば、これは先生の考えに非常に納得できるんですけれども、おそらくそうじゃないと思うのですね。ここだけ、なんか筆が滑ったのか知らないのですが、「健全な」というのがついている。
 先生が最初に意図した、中小企業にお金が回らなければいけない、それが公共性だということは、逆に不健全な中小企業にも金を流せとならない限りは意味はないのですね。本当にそこにも流しているかどうか、アセスメントで調査するのだと。こういう話になってくるのですね。それが、果たして市場メカニズムで基本的に動く企業に、先ほど株価という話も出ましたけれども、それが本当に可能なのか。
 例えばこの文章の中に特別融資枠の話が出てきまして、特別融資枠も確かにいいけれども、リスクは国が負うだけだという話が出てきますね。ということは逆に、特別融資枠にたよらずに金融機関が不健全なところに融資するということは、そのリスクを金融機関が負うと、こういうことになるのですね。ですから、やはり私は、先生のこういう発想は、金融機関に対して、普通の市場メカニズムでは貸せないようなところに貸すような、そういう流れを作らなきゃ駄目なんだというように、最後はそういうようになりそうな気がしました。そういうリスクをそもそも民間の金融機関に負わせることが正当なのかどうかという、一番根元的な疑問がどうしても拭えないわけです。
 それで、もうひとつ先生の文章のなかで、大蔵省の銀行局長の言葉をみつけてこられたところですが、「社会的に要請されている望ましい分野への円滑な資金供給」。これを繰り返し繰り返し使っているんですけれども、こんなのが大蔵省の本音であるわけがないんですよ。大蔵省の本音とは、社会的に要請されている望ましい分野へは民間金融機関じゃお金がいくかどうか分からないから、腐るほど政府系金融機関を作ったわけですから。そこで官民の役割分担を大蔵省がやっていて、逆にいえば民間金融機関にこんなことをお願いできるわけがないというのが大蔵省の了解だと思うんですね。そういう大きな役割で考えていったときに、やはり私は先生の意見はちょっと賛成出来かねる。民間金融機関にアセスメントを通して、結局不健全なところへもリスクを負ってお金が流れるようなシステムを作ろうといっても、ちょっとこれはいくら地域のためとか、利用者がそれを判断してとかいっても厳しいような気がします。
 逆に、ここもまだ私は自分自身で結論がついていなくて、ちょっと先生のことを今批判して申し訳ないのですが、例えば、私はどちらかというともちろん郵貯民営化賛成派なんですが、郵政省なんかが郵貯についていっているのは安全低利だと。要するに入り口で民間に負けてもいい、そのかわり長期安定のところに流しますと。そういう民間の金融機関の市場メカニズムとは違うモデルのところでやっていこうという視点もあるわけですね。
 だから、そういう銀行とか金融システムが担うべき公共性というのを、個別のところで市場メカニズムで競争しなければならない民間の金融機関に果たして導入できるのか。強制ではないにしろ、結果的にそういうようにならなきゃ意味がないわけですから。そういう制度をいれるのか、それともそういう金融システムとして担わなければいけない公共性は、別の枠組みで考えていくべきなのか、こういうところの疑問が、やはりちょっと最後まで解けません。

山口:非常に二分法的に、健全か不健全かとかいうふうに、それから市場で担えるか担えないか、そういうふうに議論を立てられるわけですけれども、現実問題としてはそれほど簡単にすっきり割り切れるわけではないわけです。その部分は非常にグレーなわけです。そうするとやっぱり、例えば地域経済に対して金融機関がどれぐらい日常的な努力をしているかによって、実はそうでなかったら借り得なかった企業が借りれるようになり、そのことによって、実はきちっとした一人前としてやっていく企業としてやっていくということはあり得るのですね。
 例えば、ある人が、この法案は賛成だといっているのですが、この人は自分がお金を借りにいった。ちょうどバブル時期だったのですが、やはり金利がやっと払えて、元本は返せなくなっているわけです。その間ずっと待ってくれたわけで、今や成長企業でよくなっているのですが、その間銀行がリスクを負いながら面倒をみるわけです。そういう面倒をみる機能が銀行にはあるわけで、その部分を第三者がこれはどうこう簡単にはいえないものですから、要するに非常に曖昧ですけれども、努力を促すよりないわけです。
 それから、それでも銀行が負えないところをどうしていくかというところが、実は信用保証制度ですよね。信用保証制度はまさにそのためにあるわけですけれども、現実には殆どそういうこととは無関係に信用保証制度が利用されている。自己資本比率を上げるために利用されているのが現状です。いわれるような健全、不健全というのは二分法ではなくて、もう少し多段階あると思うのです。ですから、その多段階部分に対して例えば銀行がどの程度リスクを負うか。今の銀行の状況ですと、例えば担保がないところは殆ど貸さないということをずっとやってきたわけで、したがって担保があるところへは猛烈に貸して、結局バブルを引き起こしたわけです。安全かどうかということは担保ではなくもう少し事業性を分析してやりなさいということになってくると、どこまで貸せるかという範囲は必ずしも明確に決まっているわけではないですよね。その部分に対しての努力や姿勢を促し、そこに一定のモチベーションを与えていくということであります。
 だから出来る範囲は非常に少ないというのはいわれるとおりです。どうしようもないところというのはそういう政府系金融機関と信用保証で行われる。それでちょうどいい分業関係だと私は思います。銀行が今リスクテイクができないし、やろうとしてもなかなかバブル期を過ごしているうちに、そういう能力そのものも低下している。そういうものに対して努力を促していくということです。放っておいてもそうなると私は思いますよ。ただし、そこに参加をしていくということがあってしかるべきではないか、情報公開等参加のシステムを作ったっていいんじゃないかということです。
 先ほどの質問と同じことですが、本当にどうしようもないところへは貸せないわけですよね。だから、大蔵省は貸し渋りをするなとはいえないというのです。なんでだ。それによって下手なところへ貸して不良債権になってしまったらどうやって責任をとるのかというのですね。しかし、銀行が地域経済に対する貢献みたいなものを怠っているうちに地域経済が駄目になってしまったということに対しては、どう責任を負うかという問題も一方ではあるわけで、常にそういうものを監視し、努力を促すという、そういうことはシステムとしては持っていていい。これでいわれているような問題が全て解決するとは私も思っていません。ただ、自由化、規制緩和の一方でこういうようなシステムを作りながらバランスがとれてくるのではないか。アメリカは自由化をしながら地域再投資法を強化していった訳ですけれども、自由化というのはやっぱり監視とかそういうものを強化しながら進めていくべきもので、今の議論は完全に片一方が抜け落ちているというふうに思います。民間は自由、困ったらみんな政府系がやればいいという時代はいつまでも続かないのではないかという気がします。

村山:地域社会のニーズといいながら、規制緩和のなかで、銀行がどんどん合併して肥大化していく。肥大化していく銀行が果たして地域社会の足下を見ていくことが可能なんだろうか。それをするためには監督官を各地域にたくさん作っておかなければならない。情報もたくさんなければ、長銀のように外資系が介入してくるような銀行がたくさんある。そうなってくると、もっともっとローカルな銀行、今度は反対に地域の人たちが自分のお金を持ち寄って、自分たちのグループ銀行みたいなものを作って、そのお金を地域の中で有効利用していくような、そういうことがこれから行われることがあるんだろうか。

山口:先ほどの銀行の公共性と社会貢献みたいな話ですよね。これはアメリカではそれはもう当たり前なのです。なぜ当たり前かというと、つまり、銀行というのは、まず第一に日常的に中央銀行から非常に安い金利でお金を借りられますね。いざとなると、税金で助けてだってもらえますでしょ。そういういろんな特典を得ている以上、これは社会貢献をある程度するのは当たり前だということです。このこと自体は、システムは日本と全然変わらない。
 アメリカでは当たり前で日本では当たり前でないというのはなぜかというと、システムが違うからではない。そこの金融機関というものが特殊な特権を得ているということ自体、全く同じなわけです。特権を得ている以上、社会貢献をしなさいということがアメリカは論理上出てきて、その場合の社会貢献というのが、ここが日本とアメリカが違うのですが、アメリカの場合はあくまで地域貢献なのですね。だから、地域に貢献していくというのは当たり前ですから、地域再投資法みたいなのが通るのですね、法律上。日本ではおそらくそういうのは通らないわけです。
 私は地域貢献度みたいなことを最初にいったのですが、法制局が断固反対するのです。何で地域なんですかと。私は、あなたが国家官僚だから分からないのだといったのですが、つまり、そこのところの公共性とか社会性というのは時代時代の国民が作っていくもので、なにか法律家がポンと作ったらそれで終わりというわけではない。例えば昔、公民館でロックコンサートなんかは出来なかった。公共物ではそんなことをするのはけしからんといっていたのですが、今はロックコンサートが出来る。これは「公共性」という意味が変わってきたからで、それはやっぱり時代が作っていくもので、法制局の役人が作るものではないんだと僕はいったのです。そういうふうに運動を伴いながらでないと意味は持たない。そこをもう少し堂々と主張してもいいのではないかというふうには思っています。
 それから、これから銀行が合併などをしていって、地域性を失っていくということなんですが、極端に二つに分かれていくとは思うんですね。まさに国際金融市場のために大きくなるのだというか、この分は僕は本当のところ無理だろうと思っているんです。今アメリカなんかと比べてずいぶん差があるようで、同じ銀行がいくつか集まって、預金規模が増えたから国際金融市場で太刀打ち出来るようになるとはなかなかならないと思うのです。結局貸出で食べるのであれば、中小企業を重視せざるを得ないと思うのです。ただし、さっきいいましたように、システムとして今までであれば地銀システムのようなものがあって、これは認可行政でがっちり縛られているわけです。これは崩れていくわけですね。信用金庫の数もずいぶん減るでしょう。銀行の出店や移転、廃止もずいぶん進むでしょう。それによって、地域は大きく揺れ動くことになるでしょう。だから、動くこと自体は仕方がないとすれば、ここに来てはいけませんとか、出てはいけませんとはいわないかわりに、来た以上はこういうことだけは最低限やろうじゃないか、やってくださいよというようなコスト負担をお願いすることは、僕はもう、今までの日本の感覚からしたらおかしいかもしれないけれども、おそらくこれはもう常識になるだろうという気がするのです。
 それから、最後にいわれたのは、無尽のようなものですね、昔の。バングラディシュの話が有名ですよね、あれの話が前提にあって、アメリカの地域再投資法の火種になっていくということになっていくわけですが、それもひとつの手ですけれども、これだけ先進国ですから、もう一回そこからというよりは、今のある金融機関のありようにチェックと変革を求めていくとか、そういう運動の方が実を結ぶ可能性が高いし、仮に出来なくとも、議論は高まったことが財産として残っていくと思うんですね。自分たちだけが集まって金を出し合って1回か2回やって失敗して、駄目になっちゃったらそれで終わりますけれども、こういう運動というのは、企業と市民のあり方、企業と市民との関わりの問題だとか、地域と国との問題だとか、官僚と市民の関わりの問題だとか、いろんな問題が絡んでいますので、私はそういうところに一石を投じたかったというのが本当の趣旨でして、そういうような格好で議論をしていけばなにか残っていく。
 それから今まで中小企業の人たちは銀行というのはこわくて、銀行がいやがるようなことをとても喋ってはいけない存在だった。全銀協の人たちと話し合うと、銀行は情報公開をしているからなにかあったら、向こうから来れば、われわれはいいますというんです。しかし実際には、今の中小企業の人たちには銀行はものすごい怖い存在なんですよ。私も半分ビビリながら喋っているんですけれども、やっぱり銀行員の方が思っている以上に随分怖いですよ。たとえば、金融のアンケートを取れば、利益率がどうですか、売上はどうですか、すぐ戻ってきますが、金融のアンケートを取るのはものすごく難しい。なぜかというと、今資金繰りが苦しいということがもしもなにかの事情で漏れたら、その企業は終わりなのです。それぐらい金融の情勢というのは敏感だから、銀行と対等に話し合うなんていうのは、今の日本の中小企業には無理。だから、一方ではこういうバックアップシステムをとりながら、そういうものと対等に、対等まではいかないけれども、公に質問をしたり、アンケートをとったり、議論をしたりということがやっと出来てくるのではないかと思っています。銀行なんか今更というのがあったかもしれませんが、私は銀行を信頼していますので、ちょっと自分たちで無尽みたいなことをやるのもいいかもしれませんけれども、少し銀行のありようについて、もう少しものを申していってもいいんじゃないかなという気がしています。

都丸:銀行の不良債権問題で貸し渋りというのが全面に出てきた。これでボタンの掛け違いで、ねじれが今でも続いているし、これからも続いて、それは最終的には納税者の負担という形で、ツケがまわってくる。5年か10年経って振り返ってみてみんな納得するんですけれども、貸し渋りという問題がなぜできたか。一つは銀行をつぶしてはいけないというのと同じで、社会的に大きな存在が倒産すると、経済がただでも不振なのに大変なことになる。だからゼネコンなどはつぶしてはいけない。そういうロジックがひとつ。これは政治家にとってはピンとくる。もうひとつ先生がおっしゃった中小企業への貸し渋りというのは、やはり経済合理性と社会正義の両面からいって、やはり許されないというふたつの面があったと思いますね。
 長銀の場合は当然前者の問題になっているわけですけれども、中小企業に対する貸し渋りという問題を考えるときに、最終的になにを目指すかということをはっきりさせなければいけない。端的にいうと、日本の場合、間接金融があまりにも肥大化しているということだと思うのです。だから、最終的には銀行というか、間接金融機関のプレゼンスを大幅に減らすということがやはり社会のありかたでなければいけない。貸し渋り対策ということをいう限り、それは絶対に実現できないですね。
 今の肥大化した間接金融がそのまま残るということで、不効率な金融セクターがそのままにされて、それは当然常に納税者がその負担を強いられる。ですから、要するに何をするかというと、直接金融の手段をもっと多様化していくということ。そうすると、店頭公開市場がどうのこうのという株式市場以前に、やはり債券市場を考えなければいけない。そういう意味では、石原東京都知事がいい出したことは、実現性はともかくとして、あれはまあひとつの正しい方向であって、そういう形で、あるいはよく議論されているベンチャーキャピタルということで、リスクマネーを中小企業に導入するという形で、とにかく銀行のプレゼンスを減らしていくということが目的でなくてはいけないと思うのですね。
 だから、銀行をそんなに大きな存在として、むしろ維持してはいけないというのが、私は日本経済の課題だともいます。銀行業務そのものはいまやコモデティビジネスです。ただ今は不良債権の問題があまりにも絶対額が大きいからそれが出ていないのであって、冷静にあれをビジネスと考えれば、もともと付加価値が非常に低いというか、まあそうなりつつあるというか、ならざるを得ない。
 ですから、確かに銀行員の給与は明らかに高いのですが、皆さんが支店にいかれると、総合職というのが後ろにいて、手前に一般職がいる。大体、いわゆる一般職の給与水準を全員に適用するということでやっと成り立つというのが銀行ビジネスの基本です。だから、これは当事者が考えることなのですが、借り手、預金者もそういうことを考えて、銀行そのものの存在があまりにも大きすぎるということを考えなければいけないというのがひとつあると思います。
 それから、なるべく金融に限って申し上げますが、連帯保証の問題がとりあげられておりまして、これは非常に社会学的考察を要する非常におもしろいテーマだと思うんです。ひとつは中小企業金融でプライスメカニズムが働いていないのです。要するに、新日鐵に貸し出すレートと大田区の電機メーカーに貸し出すレートはわずかしか違わないのです。昔は拘束性預金というのがありまして、それで実効レートを調整していたのですが、その後公取がうるさくなって、またそれが密告されたら銀行にとって致命傷ですから、それはできないということで、そうすると中小企業に対する貸出は実は儲からない。で、なぜそういうふうになったかというと、それは過当競争。私は実は借り手の立場に立ったことも実は2回ありまして(大企業ではないですよ)、そのときの実感からいいますと、とにかく銀行が多すぎる。どうしてこういう無駄な競争をやっているんだろうというのが、私の実感なんです。だから銀行の数を大幅に減らすということは社会のために非常にいいことだ。ただ、そうなったときにはプライスメカニズムは正当に働かなきゃいけない。そういう段階になれば連帯保証の問題、これは経済行為としては当然解消していくであろう。
 それと、もう一つは社会正義の立場から貸し渋りを考えると、中小企業は弱者だといいますが、もうちょっと別の観点で考えると、例えばクロヨンとか消費税で益税という問題がありますね。それから、事業税は今外形標準課税が話題となっている。なぜかというと、大半の中小企業は今税金を払っていない。そこの問題が実は連帯保証の問題に絡んでくる。つまり、オーナーの方々というのは完全に公私混同なのですよ。だから、そういう貸出リスクを保全するためには、連帯保証でチェックするというのは、銀行の立場からするとある意味では非常に経済的な合理性がある。だから突き詰めていくと、日本の場合、商法という、会社という制度が実は法律としてはあるんだけれども、みんなの頭の中には馴染んでいないのです。形だけ使って、やっていることは個人企業で、おれが社長なんだからこれをやって何が悪いんだと、そういう意識の人が実は非常に多い。中小企業を保護するということが、日本のこれからの経済にとってどういう意味を持つかということをよく考えなければいけない。
 もうひとつ最後に、先ほど先生が信金の話をおっしゃていたのですが、金融機関というのは日本にいろんな種類がありまして、特にこの提示された問題を解決するのに監督機関に格付けをやらせるというのは、私はやっぱり必ずしも楽しくないんですよね。これはもう感覚的に。で、なにがひとつの鍵になるかというと、いわゆる組合金融機関ではないかと思うのです。信金、信組、それから都市部の農協ですね。彼らは一体どういう役割を担っているのか。彼らは本来の原点に立ち返っていけば、自ずから彼らがやるべきことは明らかであって、東京三菱と同じことをやっていいはずはないのです。現実に貸し渋りの典型的な地域といわれている北海道で、例えば稚内信用金庫という非常にすばらしいところがあるわけです。それはもう地域への貢献というのは、(我々は失礼ながら雑金といういい方をしたのですけれども)こういうところがやはり本来の役割を果たすというところに、ひとつの鍵があるんじゃないかというふうに私は思いますけれども。

山口:まず、間接金融と直接金融のアンバランスの問題ですね。確かに間接金融と直接金融が非常にアンバランスというよりも、直接金融が非常に使いにくい。それを改善していくことは必要だろうと思うんです。僕はその議論はいいんですが、そういう議論にもっていくことによって、今の金融機関に対してどういう要求をしていくかとか、どういう制度上の改革を迫るとか、そういうような議論が抜け落ちてしまって、今頃間接金融の話なんかしたってしょうがないというふうな形でいってしまうのをちょっと警戒しているのです。確かにオーバーバンキングだし、確かにこれまでのような(今はどうか知りませんが)非常に高い給料をもらっていて、(同じ企業グループの中でも銀行だけが給料がいいとよくいわれたんですが)そういうものを維持していくには多すぎるということなんだろうと思うんです。医者が非常に特権的利益を得て、従来のようにがっぽりとお金儲けをするには医者が多くなりすぎたということはいえるけれども、患者にとって本当に医者が多すぎるのかというと、必ずしもそうはいえない。
 アメリカもこの10年間ぐらいで1000行位つぶしていますが、しかし事業所の数も銀行員の数も増えています。つまり、全体として縮小しているのではない。統合されて、勿論潰れたのもあり、ずいぶん数は減りましたけれども、やっぱり再編成が行われていて、銀行の数は減っていますけれども、全体の銀行員の数が減っているかというと、減っていない。そういうふうに考えますと、確かに「銀行がいつも床の間の側にいて」みたいな状況を維持するには多すぎるので、おそらく再編成にむかっていくのでしょう。しかし、利用者の利便性をどう高めていくかという観点に立つと、単純に多すぎるから減らせばいいといっていいかどうかという点を考える必要があります。
 それから公私混同論ですが、これはもうそのとおりです。ですから、結局、最初のところで述べた企業と個人の問題を解決しなければいけないんですけれども、中小企業の場合は典型的にでています。だから僕は銀行の側がそういう反応をどんどんされるというのはいいと思うんです。そして、いわれるようにまさに商法の問題。それから、税制の問題もありますね。僕は事業承継税制、事業を継承する場合には優遇措置をとっていくべきだと主張しているのですが、実際にはほとんど相続税の軽減になってしまう。財産の継続になってしまうわけです。そうすると、事業用の財産と自分の財産は区別がつかない。面倒臭いからそれもまけてやろうということになると、そこはおかしい。そうなってくると、税金のかけ方のところをちゃんとしましょう。さらに銀行も、個人の土地ではなくて事業用財産としてきちっともっていないと担保価値がなくて、意味がありませんよということになってくれば状況は大きく変わってくると思うのです。
 だから、僕も銀行攻撃をしているのではない。中小企業の人にこういう話をするとみんな喜ぶのですが、あんたどうですかというと、みんなドキッとすることろがあるわけですね。これからの改革運動というのは、みんなおまえはどうなんだといわれたら、ドキッとするような運動をしなければいけない。官僚からこっちに権限を持ってきても、それでは市民をどこまで信用できるのか。中小企業が社会的に望ましい中小企業なのかどうかという問題もあるわけです。そうやって、自分に還ってくるような運動を進めていくということを、私はむしろ必要としているのではないか。だから、そういう意味で問題性があると認めたいと思います。

小林:金融証券ビッグバンという中で、投資家の自己責任ということが強くいわれている。その自己責任をとる前の段階ではディスクロージャーをしっかりしなければいけない、これは抽象論ではまったくその通りなんです。ところが、その後いろいろ自覚的投資家の話をいろいろ聞いておりますと、正直いって自己責任はとりたくないという人が圧倒的に多いのです。預金者だったらほぼ9割9分ぐらいまでそうだろうかと思います。ですから、1000万円まで元本が確保されるんだったら、銀行はどこでもいいという人が大半だと思うのです。1000万円以上預金のある人は、それを分散すればよいだけですから、私はこのアセスメント法はたいへん賢い法案だと思うんですけれども、実効性という段階になると、預金者の側からこの格付けのメッセージを殆ど利用しないと思います。誰が利用するのかというと、これはやっぱり高額の所得があって、それを預金している中小企業のオヤジさんたちですよ。その人たちが片方で高額預金をし、片方で借り入れをするという両面の立場でいかに受け止めるかという問題が非常に大きいんじゃないかと思います。これは質問ではなくて意見です。

山口:いわれるように一般預金者がそういうことを考えて動くかというと、かなりあやしいと思います。ただ、今、例えば北海道は拓銀が潰れて痛い目に遭いまして、地域の金融機関を育てなきゃいけないという気運がやっぱり興っていますよね。北海道銀行が危ないときは、なんとかみんなで資本増強やろうじゃないかという声が出たりして、その地域の金融機関と自分たちが実は非常に極めて重大な関係を取り結んでいて、単純に金利が高いから低いからというだけの関係ではないということに、やはり気づいたところもやっぱりあると思うんです。ただいわれるように、一般預金者がどう動くかというのはかなり難しい問題だと思いますが、まあ、しょうがないですよね(笑)。

松本:金融アセスメント法と関係ないのですけれども、先ほどちょっとお話が出ました石原都知事の中小企業向けの債券市場という構想ですが、全然別のかたちで中小企業へお金が流れる仕組みを作ろうということだと思うんですけれども、それについてはどういうふうにお考えでしょうか。

山口:直接金融はやっぱり中小企業にとっては非常に難しいと思うんです。特設の店頭公開市場を作っても、殆ど実際には動いていない。実際には知らないところの債券なんかを買うかといいますと、なかなかそうはいかない。結果的には政府保証をつけたり、そういう保証制度が必要になってきます。そういうのでないと流動化は難しいんではないかと僕は思うんです。
 それから、金融機関というのは、とくに地域金融機関というのは、単にお金を貸しているだけではなくて、ずいぶん企業育成をしていますよね。勿論ベンチャーキャピタルなんかはそうなんでしょうが、例えば本当に小さい例でいうと、例えばうどん屋さんがちょっと大きくなってきて、そろそろ百貨店などにお店を出したいと思っても、そんな人脈はないわけですよね。そうすると、その地域の信用金庫の理事長なんかが、じゃあおれが知っているから電話だけしておいてやるから会ってこいといって、会いに行く。そういう企業が伸びてくると、彼らは卒業といって今度は地銀に渡すみたいな形で、わりと小さいところから育てていく。その際に、例えばオヤジの代にずいぶん理事長に面倒をみてもらったとか、逆に理事長がおまえのオヤジにはずいぶん面倒を見てもらったとか、そんな関係の中で育ち合い、育て合いが進んでいく。じいさんの時代は小さな家業だったんだけれども、オヤジの代に少しまともになって、子供の代でやっと地域の雇用に多少貢献するような企業になっていくという、そういうのを育ててきた関係があります。そういうようなことは債券市場ではなかなか難しいわけで、だから、勿論債券市場の充実というのは僕はやられてしかるべきだと思うんですけれども、やっぱり間接金融には重要な役割がある。本来あるし、そういう関係を今まで満たしてきた。その関係を、このバブルとバブル崩壊のプロセスのなかですたずたに切ってしまったというのが現状なんじゃないかなと思うのですね。メインバンクシステムというのは非常に批判されますけれども、やはりそういう役割をずいぶん担ってきたのではないかと思うのです。ですから、そういう企業育て見たいのものが今むしろ必要な時期なのではないか。アメリカ型のベンチャー方式をただ導入して、ぼんとやればうまくいくかといえば、ほとんど今のところは機能していない。自治体なんかが係わったとしても殆ど機能していないというのが現状だから、現実問題として非常に難しいと思うのです。

並河:郵便貯金についてですが、こういう存在こそ、先生のいわれる地域への貢献を義務づける必要があるのではないか。いまは、だだ中央にカネを流すだけの仕組みですよね。

山口 まず、非常に地域の金融機関はいやがるでしょうね。郵便局が集めたお金を郵便局が貸すわけですよね、地域で。また、実際それをやっていくと、ずいぶんコストは高くなりますよね。今のようなわけにはいかない。

並河:ただ、金融機関の公共性とは資金の円滑な供給であるというのならば、財投資金に回すだけではなくて、地域に貢献しなければいけないはずです。ところが、現実には地方債の買い入れもをいやがっているわけです。

山口:金融アセスメントは、要するに民間にやらせるための仕組みで、郵貯だって完全に民間の組織になれば...。ただ、巨大な間接金融機関が増えることになって、先ほどのようなオーバーバンキング論からすれば非常にまずいことになるのではなかとも思いますが...。郵貯についてはそういう方向性は考えられると思いますけれども、ちょっとまだ具体的には考えていません。                 
(この記録は、さる10月4日に行われた討論会の記録です)