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シリーズ討論

ヨーロッパにおける国民国家の行方

立教大学教授 宮島 喬
国民会議ニュース1999年07月号所収
 以下は6月25日の総会における宮島教授の講演要旨です。


1 一つの国家の姿に似てきた(?)EU
2 国民国家を希釈してきたEC、EU
3 国民から民族へ−「私はスコットランド人だ」「私はカタロニア人だ」
4 イギリスで進められている分権化(デヴォリューション)
5 多文化空間の保障:文化的多様性こそがヨーロッパの命
6 国民国家に代わる共同体を求めて:人の移動の自由、欧州市民権、欧州議会、地域委員会
7 国家は求められているのか、不要になるのか
8 EUのアキレス腱:経済格差と「民主主義の赤字」
9 国民国家をどう超えるか − EU、東欧、日本を比較しながら考える
【質疑応答】



1 一つの国家の姿に似てきた(?)EU

私の専門は社会学ですが、この学問は、経済学でもなく法律学でもなく一般には馴染みの少ない分野に属します。研究しておりますのは、ヨーロッパの民族問題とかマイノリティーの問題ですが、より専門的には「移民」の問題を扱っております。
ただ今日はこのことには触れません。今日は、「EU」(ヨーロッパ連合)は一体どのような共同体であるのか、そしてこれは市民とどのような関わり方をもっているのかというようなことを中心に話したいと思います。
ところで、まずEUというものがひとつの国家の姿に似てきたということについてお話ししたいと思います。今までEUは、大変不完全な組織でありました。1997年にアムステルダム条約が調印されまして、これが本年5月1日に発効しました。それより前、マーストリヒト条約が92年に調印されて、93年1月1日から発効しましたが、これは皆さんもご存知だと思います。アムステルダム条約というのは、このマーストリヒト条約を補完して具体化するというのが目的であります。これによって共通外交政策を強化するということが出てきました。
またこの6月にケルンでEUのサミット(首脳会議)が開かれましたが、EU軍を創設するということで大体、大国が一致しました。ここでいう大国とはフランス、ドイツ、イギリスを始めとする諸国家です。今までEUには、外交政策を担当する外交機関というのはなかったのですが、外務大臣が集まっていろいろなことを決定していく閣僚理事会を設け、その事務局長に事実上外交の代表権を与えようというようなことがここで決まりました。
単一通貨が生まれ、ヨーロッパ軍ができる、外交政策ができる、外務大臣が任命されるというようなことで、EUは一つの国家のような体裁をとるようになってきたのです。もちろん制度的な統一は未だ不十分であります。たとえばオプトアウト(opt out)ということがいわれ、国によっては参加する政策と、しない政策があることをこのように言っております。イギリスあたりは単一通貨統合には参加しません。また今申し上げたヨーロッパ軍の創設に対して、オプトアウトする国もかなり出てきそうです。というのも、ヨーロッパの中には中立国があるからで、具体的には、オーストリア、スウェーデン、ベルギー、アイルランドなどの国家がこれに当たります。

2 国民国家を希釈してきたEC、EU

EUが国家らしさを持つようになると、15カ国の加盟国の主権はEUに委譲されるわけですから、今度はおのおのの国家が国家らしさを失うということになります。特にこのことを象徴的に示すのが、単一通貨の導入です。統一した通貨になるということは、おのおのの国家が自国の通貨を持たないということですから、通貨管理が各国では行えなくなるということを意味します。したがって、関税主権、農業政策の主権などにつづいて通貨主権もEUに譲渡されてしまったということになります。これを称して国民国家の解体、あるいは弱体化といったりされております。
ところで国民国家は英語ではネイション・ステイトといわれますが、これは19世紀始めから20世紀前半までのヨーロッパの国々の共通の形態でありました。一定の国境線で区切られた領土がある、国民という存在がある、そして主権を有する国家というものがある。領土と国民と主権という三位一体のものが国民国家といわれたのです。ヨーロッパの国々は過去約100から200年間このような国家でありましたし、日本も明治以降一応このような国家であったといえると私は思います。
ところが20世紀後半になってくると、国家というものが相対化されてくる。たとえば国際機関、国連のようなものができてきます。あるいはさまざまな国際条約ができます。そうすると国家主権というものが無制限ではなくなってくるのです。関税権を放棄した自由貿易圏というものが至るところに出てきました。古くはベネルックス、今日の北米自由貿易地域など、国民国家の主権というものが制限されてくるようになってきました。また、人の自由移動をある程度認める場合には国境線で区切られた領土という観念が弱まって参ります。
ただこれらと比較すると、EUの力は格段に違います。国民国家を相対化するという意味では、これは格段に力をもっているということです。今EUの加盟国は15カ国ですが、人の行き来は自由であります。国境の検問はほとんどのところで廃止されております。また域内では労働許可証が必要なくなっており、従来からスペインなどの南部からヨーロッパ北部へ移民労働があったわけですが、これが93年1月1日から自由になり、労働許可証は要らなくなりました。
また職業資格というものを相互に認定し合っています。たとえば医師とか看護婦とかはいずれも域内で資格が通用します。EUの場合はこれ以外にも美容師、理容師、弁護士の資格を相互に認めようということになっています。実際、このように資格の自由を認めないと域内の他国に自由移動ができるといっても、仕事ができないわけです。
さらに地方参政権が93年1月1日に認められました。この地方参政権は市町村レヴェルですが、域内の外国人は投票でき、しかも被選挙権も認めるということになりました。
つまり国民国家に風穴があくようになってきたということです。私はこのような現象を国民国家の解体でこそないが、希釈という現象であると捉えています。もちろんイギリスのようにオプトアウトしてアラカルトでEUに参加するというような国家もあるのですが、全体としては国家がもっていた主権のカベに、通風孔があいて国家間の風通しがよくなったということです。

3 国民から民族へ−「私はスコットランド人だ」「私はカタロニア人だ」

ところが最近面白いことが起こりました。フランスで欧州議会議員選挙が行われた時に、緑の党が約10%の票を集めましてヨーロッパ議会にかなりの議員を送り込むことになりました。この選挙は比例代表制ですが、そのエコロジストの党のリストのトップにダニエル・コーンバンディという人が載りました。彼は、ドイツ緑の党の活動家であり、その昔フランスで学生生活を送り、五月革命のリーダーであった人です。なぜ彼がフランスから議員に選出されるというようなことが可能であるのかということですが、これは不思議なことですが、今のヨーヨッパ市民権の下ではこのようなことが起こりうるわけです。
さて国民国家というものの壁が薄くなってきて、そして国民国家の主権というものが相対的に弱まってくるというようなことが国家に起きてきました。一方国民側では、フランス人とかドイツ人とかというように、今までと同様に国家の区別があるようにも見えます。しかし、今述べたように、ダニエル・コーンベンディトというドイツ人が、フランスで(ダニエル・コーンバンディという名前で)選挙に出てくるようになったことに表れているように、国民の側も実は変わってきたということがいえるのではないかと私は思います。
今ではヨーロッパの国民のアイデンティティーには三つのレヴェルにあるといわれます。つまりそれは三層化しているということです。一番下位レヴェルでは地域アイデンティティーがあり、その上に国民アイデンティティーがあり、そして三番目にヨーロッパ人というアイデンティティーがあって、所属感が三つになってきているということです。ですからこのコーンベンディトという人などはまさにヨーロッパという所属感で動いている人であると私は思います。
一番下位レヴェルの地域というところからヨーロッパを見てみますと、民族とかその固有の文化とか言語というものがそこでは強いようです。最近特にこのようなものが国民と比較して表に現れてきたように私は思います。たとえば自分は「バスク人」である、「カタロニア人」であるといったりして、自分のアイデンティティーを表現する機会が増えたということです。
片方ではヨーロッパ化する人が出てくる、また片方では地域化、民族化の方向が出てくるというように双方向が出てきたという感じがいたします。ヨーロッパとは民族的多様性が大きいのです。民族・言語構造の多様度を数値化して見てみますと、日本は民族的には同質的である(数値は0.03)ということになります。ところが、ベルギーが0.54、スペインが0.44、スイスが0.56で、これらの国家は1により近いですから多様であるということになります。デンマーク、ポルトガルでは数値がそれぞれ0.05、0.01と低いのですが、総じてヨーロッパの国々は民族的多様性が高いということになります。
そういうわけですから、民族に何らかの表現の多様性を与えるとか、民族に何らかの自治を認めるということなしには国家を統治できなくなってきているということが見られます。

4 イギリスで進められている分権化(デヴォリューション)

イギリスで進められている分権化はそれを代表的に示しています。EUの国々の中でも、内部の多様性が大きくて分権的な国としてイギリスをあげることができます。イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズそして北アイルランドから成り立っています。イギリスの国旗は三つの十字架から成り立っていますが、これも地域を代表する三つの十字架の組み合わせからできております。地域からなるアイデンティティーという大変な誇りをおのおのの国民はもっております。たとえばウイスキーなども「イギリス産」といってはいけませんで、「スコットランド産」といわなければいけないのです。ちなみにスコットランドは1707年まで独立の王国でした。イギリスというと国民の全員が英国国教会の信徒であると思われる方もあるかと思いますが、実は事実はまったく違いまして、イングランドとウエールズが主として国教徒でして、スコットランドはプロテスタントの中のカルバン主義者で、長老派教会信徒が多数です。また北アイルランドもカルバン主義者です。イギリスは成文法を持たない慣習法の国家であるといわれますけど、実はあれはイングランド法なのです。スコットランドは慣習法ではなくて、成文法なのです。したがって訴訟の手続きなどは違うわけです。日本から見るとスコットランドはイギリスの中の一地域ということで同様に見られますけど、そういう違いが両者にはあります。
ブレア労働党政権は本年7月1日をもってスコットランドとウエールズに議会を開催させることを決定いたしました。住民投票を行った上で議会が成立したということです。スコットランド議会、ウエールズ議会とができて、それぞれの地方には教育とか福祉とか文化とか地域開発に関しての権限が大幅に委譲されるということです。なぜブレア政権は中央の権限を弱めるような改革に乗り出したのかということですが、理由は一つしかないのでして、それはブレアがスコットランドの分離行動を何とか阻止したい、何とか枠をはめたいと念じ、そのためにはもう議会を認めるしかないということであったと考えられます。
スコットランドには有力な地域政党があります。このスコットランド国民党が1980年代の終わりにいきなりインディペンデンスということを言いはじめたわけです。「独立」です。しかし完全な独立ということではありません。それは、ヨーロッパの中での独立ということでありまして、ECの一員としてやって行きたいということを言い出したわけです。加盟はもちろん現状では不可能なことですけどその本意は、ロンドンを通さずに他のヨーロッパの国々と交わりたい、経済的、文化的交流をしたい、ということであったのです。
このようにスコットランドは文化的な独自性、制度の独自性、法体系の独自性、宗教の独自性をもっているわけです。ヨーロッパ統合が進んできたのだから何もイギリスの中のサブ地域として留まっている必要性はないのではないかということになってきました。かつて大英帝国があったころは、スコットランドもこれによって繁栄したわけで、たとえばグラスゴーの造船はこのころ大変繁栄いたしました。ところがその後こういうメリットがなくなってきて、そのためにヨーロッパ統合にあわせてその一員になるという方向が出てきたということです。
そしてもう一つ、イギリスでウエールズという地方は、「独立」こそ言いませんが非常に明確に言語の権利を主張しはじめました。ウエールズ語というのは英語とはまったく異なる言語です。ここでは言語に対して意識が高いわけでして、政府も1967年にウエールズ言語法というのを制定しまして、ウエールズ地方では英語とウエールズ語は対等であるということになりました。ウエールズ語の教育ではなくて、ウエールズ語で教育するということが認められたわけです。
ウエールズ語を習得して一体何に役に立つのかということですが、これは大学進学とか就職にはほとんど無関係です。しかしかれらはこれに情熱をかけているわけで、その熱意は神秘的なほどです。ウエールズでは地域に住んでいる人の大体20%がこの言葉を話します。

5 多文化空間の保障:文化的多様性こそがヨーロッパの命

多文化空間の保障はヨーロッパ文化の考え方の基本でして、ウエールズの例が代表的です。国民国家並立からヨーロッパ統合へという方向で進んできたのですが、文化的多様性を維持するということ、もっと強めるということは同時にいわれてきたことでありまして、制度は統合するけど文化は多様性を保持したいというのがEUの考え方です。ドロール前EU委員長が文化的多様性こそがヨーロッパの生命である、あるいはこれを売り物にしなければいけないといっています。
またEUの公用語はいくつあるかといいますと、11言語が公用語になっています。したがってEUの会議での言語は11か国語の同時通訳になっています。このためにブリュッセルには3000人の通訳がいますが、それだけコストをかけても、これを一言語にしようというようなことは出てこない。もしそうすると、ヨーロッパの多様性という問題に抵触してくるわけです。
また少数言語の保持が当然行われておりまして、ウエールズ語であるとか、カタロニア語であるとかバスク語であるとか、こういうものを保護し、使用を促進しようという動きが出ております。

6 国民国家に代わる共同体を求めて:人の移動の自由、欧州市民権、欧州議会、地域委員会

さて国民国家に代わる共同体を求めてということですが、EUという政治共同体はどのような特徴をもっているかといいますと、内部では人の移動が自由で、地方参政権が認められているということです。欧州議会への投票権も認められているのです。これを欧州市民権といっております。市民権とは従来国家の中における国民の権利というように考えられましたが、今では国境を超えた市民権を保障していることを意味します。そして欧州議会がある。地域委員会というものもある。欧州議会で選出される議員は600人をこえます。地域委員会とはヨーロッパの地方自治体の代表、189人が構成する委員会です。これは委員会とはいいますが、実質的には議会に近いものです。このようなものをマーストリヒト条約で作ったのですが、なぜ作ったかというと、欧州議会では国家レヴェルの政党が出てくるのですが、それだけでは困るというのが、ここでのポイントです。民族とか、地域とかのような声が上がって来ないといけないということになるのです。ここにはたとえばスペインのカタロニア州からの代表が二人くらい入っております。このようになってきますと、欧州議会と地域とか民族を代表する会議ができたということでありまして、こういうところが注目に値します。
さらにEUにはもう一つ、所得再配分の機能をもつ、構造基金というのを持っておりまして、これはいろいろな基金の総称ですが、後進的な地域に配分しまして地域開発を促進し、地域格差を縮めるというようなことをやっています。この構造基金の援助による開発事業はヨーロッパの至るところで見られます。
こういうことを通じてかなり地域格差の是正をやってきまして、80年代の終わりに先進国のデンマークとポルトガルの間では国内総生産で5対1くらいの格差があったのが、今では2対1くらいに縮まっているのです。このように国民国家に代わる共同体の体を為しつつあるという感じがします。これに加えて外交政策、EU軍を、そして通貨統合が始まるということです。
もう一つ、EU法という法体系がありまして、これを法源としましていろいろな係争が処理されています。すなわち、EU裁判所がありまして、ここで紛争処理されます。EUを実質的に担っているのは、国籍を超えたヨーロッパ市民であるといわれ、その意識は未だそんなに高いわけではありませんが、徐々に定着してきたということは言われます。国家内で開発が十分にできない場合にはEUにプロジェクトを提出してEUから補助金をもらうというようなことも普通に行われております。

7 国家は求められているのか、不要になるのか

では一体ヨーロッパで国家というようなものは求められているのかということですが、フランスとかイギリスとか、ドイツとかいうような、このような国家はもちろん存続すると思います。21世紀を
展望してもそういう国家は存在するだろうと思います。ただ機能は、おそらく縮小していくと思います。
 上の図はEUの市民に対して行われた世論調査の結果です。さまざまな決定に対して加盟国政府とEUとどちらで行ったら良いかをたずねていますが、これによりますと、従来国家の基本的機能とみなされてきた通貨とか防衛とか外交のような項目が、国家にやらせるのではなくて、EUにやらせるというようになってきています。
では国家に求められているものは何かということですが、その最大のものは社会保障です。具体的には福祉と教育です。ということは、古典的な国家は、防衛、外交であり通貨のようなものを取り扱ってきたのですが、これで見るともうそういうことではなくて、国家の役割は社会保障にありということになってきたのです。ここでみると医療、社会保障、労働そして文化というようなものです。きわめて興味ぶかい変化といえましょう。

8 EUのアキレス腱:経済格差と「民主主義の赤字」

さてEUの弱いところ、問題点は経済格差と「民主主義の赤字」といえましょう。経済格差は縮小に向かいつつあるとは言えやはり大きいです。およそ2対1くらいの格差があるようです。こういう経済格差を是正しないと統合は進まない。たとえば環境政策で統一した基準を作ろうと思っても、格差があると、たとえば、デンマークとかドイツのように大変厳しい環境基準を要求するところとギリシアやポルトガルのように、緩やかにしてほしいというところでは一致点がないわけです。ただ、経済格差が大きいために先進国に移民が流出するという現象は大体終わりました。経済格差が縮小されたということの現れであると思います。
もう一つの「民主主義の赤字」ということですが、これはいまだに欧州議会というのは権限が弱いということに象徴されます。完全な立法機関になってないということです。今EUの実質的立法機関は何かというと、大臣の会議、閣僚理事会です。欧州議会は最近強化されてはきましたが、未だ立法権を握っているというのにはほど遠い状態です。各国民が今感じているのは、国の権限をEUに委譲したけど、欧州議会がこんなに弱いのであれば、われわれは民主主義を放棄して、いまだにそれに相当するものを取り戻していないということです。これを称して「民主主義の赤字(democratic deficit)」といっています。これがEUの機構上の弱さといわれる所以です。通貨に関する権限は委譲した、そこで国権の最高機関で通貨のことに対する審議をすることはできなくなったわけです。しかし欧州議会にいってもそこでは権限が弱いから権限はないという状態になっていまして、これは深刻な問題です。
 では、これからEUはどうやって民主主義を実現するのかということです。工夫としては地域委員会を作ったりしていますが、基本的には欧州議会をきちんと立法権を持った立法府として位置づけるという改革をしていかなければいけないということになるのであろうと思います。
地方分権というものがEUにはあるかということですが、EUには地方公共団体にあたるものがありません。分権のしくみが不明確であるということです。それを何とかしようということで、マーストリヒト条約で、「補完性」原則というものが導入されました。これはEUが排他的に行える領域の事項についてはEUが行い、それ以外の領域についてはEUはむやみに介入してはいけない、EUがよりよく達成できるような項目に限ってのみ立法し、介入できるというものです。

9 国民国家をどう超えるか − EU、東欧、日本を比較しながら考える

最後に国民国家をいかに超えるかということですが、EUと日本を比較しながら考えると、各国家は存続しているし、各国家の政府も機能している。しかし内実をみると、国民国家の横の関係では国家を超えるものも出てきているということです。
一方東欧の状況は、むしろ反対であります。東欧は今国民国家を作ろうとしているわけで、だからコソボは独立したいわけです。これは単一民族国家を作りたいということです。西ヨーロッパの民族はそうではなくて、国家の垣根が低くなってきて、そこで国を超えて活動しようということです。しかし東欧とは方向が逆であるといえましょう。
最後に日本ですが、東アジアの中で共同体を作れればとは思います。韓国大使の小倉氏が、日本と韓国の間で自由貿易地域は可能であるということをしばらく前言われたけど、そういう声が初めて出てきたということです。しかしその前に日本には、韓国や中国に対して戦争に対する責任の表明とか謝罪、そして補償を進めるという課題が残っていると思います。

【質疑応答】

質問 日本は、ガット交渉で国際化の波に押されて米の市場を開放した。やがては農産物に加えて金融にもそのような国際化の波は米国からも要求されて来るだろうと思っていたのだが、政治家にそのようなことを言っても当時は通じなかった。ここのところへ来て壁に当たっているというような状況だ。日本では、グローバライゼーションとアメリカナイゼーションとを一緒にして、反米とか嫌米とか言っているが、アメリカナイゼーションがなくても日本ではグローバライゼーションは起こったであろうと思う。その辺りの考え方を聞かせてもらいたい。

宮島 ECができた当初は、ソビエトでもなくアメリカでもない第三極が目指されました。この状態は80年代まで継続されたと思います。ところが、89年のベルリンの壁の崩壊以降、ECの役割が広がってきました。東欧もEUに加盟したいといってくるようになった。冷戦終結後、アメリカの規模、人口以上にヨーロッパというものが大きくなっている状況があります。つまりEC発のグローバライゼーションという可能性がないわけではないと思われます。ただ、旧ソ連の中央アジアの諸国は果たしてアメリカに向いているのか、ヨーロッパに向いているのかその辺りは定かではありません。いずれにしてもヨーロッパの果たす役割がアメリカに拮抗してくるような状況にあります。

質問 アメリカ的なグローバライゼーションとヨーロッパ的なグローバライゼーションとを峻別するものは、たとえば社民主義とか福祉国家論とかという点になるのか。

宮島 ケインズ的経済運営という議論がヨーロッパでは当然視されています。脱社会主義で一挙に自由化した東欧でも、競争だけではなくて、安全とか保障を志向するようになってきています。もう一つ、ヨーロッパ的グローバライゼーションはローカルスタンダードをもっと追求していくのではないかと思います。たとえばそれぞれの民族とか宗教とか文化というようなものを重視するのであろうと思います。


質問 一つはヨーロッパでなぜこのように早く国民国家を超える動きが出てきたのか、二つ目は国民国家とグローバライゼーションという二つの潮流の中で、アメリカという国家はどのように位置付けられるのか。

宮島 前者については、直接的要因は二回の世界大戦が起きたということであったと思います。チャーチルが1946年にチューリッヒ大学で、ヨーロッパは一つにならなくてはいけないという趣旨のことを述べるのです。イギリスの伝統的勢力均衡論者の彼をしてそのように言わせたのは、やはりヨーロッパについて相当に深刻な危機感があったのであろうと思います。
もう一つは、確かにヨーロッパでは国民国家が並立していたのではあるが、各国に共通の文明的基礎があったということです。たとえばローマ法とかキリスト教がそうです。また国境を超えて人が交流することが頻繁に行われてきたということも無視できません。
アメリカという国民国家は、移民から成り立っており、ヨーロッパの国民国家とは異なり、国家を超えようという動きは顕著ではありません。もちろん経済的な連携で国境を低くしようということはあります。たとえばNAFTAがそうです。ただアメリカの国家に対する考え方には、歴史的な違いが大きいと思います。今のところ国民国家を弱めようというような方向には向いていません。

質問 アジアではヨーロッパのような共同体が可能であるのか。

宮島 たとえばASEANのような自由貿易圏を東南アジアでつくることは不可能ではないと思っています。その際先ほど述べたように日本の過去の戦争に対する謝罪が必要になってくるとは思いますが。もう一つは日韓関係です。たとえば韓国は「日韓覚書」以来、在日の韓国人に対して選挙権を与えるようにという主張をしていますが、この背景には日本に在日韓国人が多数居住しているという事実がある。このようなことがきっかけになるということも考えられます。

質問 日韓の民族的な違いというのは、ヨーロッパで比較するとどの程度のものか。

宮島 韓国人と日本人との違いは、ヨーロッパ人からみればおそらく同じファミリーであると思われているのではないかと思います。過去の問題が解消できれば一緒に行動できる国であると思います。

質問 韓国と日本についてであるが、民族問題というよりも、日本が第二次大戦の後始末に関して勝手に問題を背負い込んでしまったのではないか。つまり戦争責任を取って天皇が退位する、戦争時の政治家が戦後政治に携わるようなことをしないというようなことが行われていれば、この問題がこのように尾を引くことにはならなかったのではないか。

宮島 それについては、ドイツとフランスの関係の例が参考になります。政治指導者たちはお互いに理解し合っていい関係を築いてきたということですが、庶民レヴェルでは必ずしもそうではないということをよく耳にします。フランス人の中にいまでもドイツ人が嫌いであるという人は結構多いようです。過去を率直に見つめ指導者同士の信頼をます築くこと、時間をかけて民衆同士の交流を進めること、これが大切でしょう。

質問 ヨーロッパの司法システムはどのようになっていくのか。

宮島 ヨーロッパはアメリカほど訴訟社会ではありません。したがって訴訟に持ち込むという方法ではなくて紛争を解決するということで問題の解決が行われていると感じます。なお、法体系が異なる国家同士の紛争になると手に負えないというようなことは起こってくる可能性があります。私が接した法律家によると、大陸内ではあまり問題はないといっていますが、イギリスとの紛争は法体系が違うのでむずかしいということのようです。EUの司法はこのような問題について一体どのように処理をしていこうと考えているのか。この点は重要です。

質問 コソボ問題を背景としてイギリスとアメリカの関係は、仮にブレアとクリントンとの個人的関係という問題を割り引いたとしても、これからヨーロッパの統合問題に対して幾ばくかの圧力になると考えられるが、これについてはどのように思われるか。

宮島 推測の域を出ない話しになりますが、なぜNATOの下にアメリカはユーゴに対する空爆を行わなかったのかといえば、それはクリントンが、自らの弾劾問題をそらそうとしたということもあったのではないかと思います。もう一つは、積極的だったイギリスに関してですが、通貨統合で乗り遅れているイギリスが、5月1日のアムステルダム条約発効に際して、EU軍創設に関し、その主導的プレゼンスを提示しておきたかったからではないかと推測します。

質問 EUの成功には対米関係が重要ではないかと考えられますが、その場合ブレアが米国とEUの間で調整的な機能を果たしうるのか。つまりアメリカも納得した上でのヨーロッパ統合ということですが、その場合イギリスはどのようにその力を発揮しようとしているのか。

宮島 イギリスは従来NATO重視で来ました。ブレアが欧州軍に対して積極的になってきたのはNATO離れでもあると思います。アメリカとして、ブレアの欧州軍への熱意は実は、ありがたいというように考えているのかも知れません。NATO軍の維持はアメリカにとってもその負担は計り知れないものがありますし、その代行を欧州軍が行ってくれることは寧ろ歓迎していることなのかも知れません。
ただ心配なのはイギリス式のやり方がヨーロッパの将来の外交防衛政策に出て来ると、ドイツ、フランスなどは、EU内的合意を重視していくやり方の国ですから気になるのではないでしょうか。また、先に述べたように中立国も戸惑いをみせるでしょう。