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シリーズ討論

セーフティ・ネット論の具体的展開

東京大学教授 神野直彦
国民会議ニュース1999年06月号所収
ここにご紹介するのは、さる5月19日に開催された会員懇談会における神野教授の講演要旨です。なお、神野教授の年金改革論の詳細につきましては、雑誌「世界」99年3月号をご参照下さい。また、6月22日の日経経済教室にも神野教授の論文が掲載されていることも申し添えます。


1 セーフティ・ネットと社会的セーフティ・ネット
2 市場社会の三つのサブ・システム
3 生産機能と生活機能
4 現代システムの社会的セーフティ・ネットの動揺
5 ポスト・現代システムにおける三つの自主統治政府
6 生活点における自主統治政府
7 生産点における自主統治政府



1 セーフティ・ネットと社会的セーフティ・ネット
 「セーフティ・ネット」という言葉がいつごろから使い始められたのか、まず初めにどういう概念として確立されたのかということについて、私はよく知りません。私の理解では、経済学では金融論などにおいて、政策などの意図せざる失敗などに備えて予め用意しておく政策という概念で捉えられているのですが、私は社会保障などをそうした「セーフティ・ネット」と区別する意味で、「社会的セーフティ・ネット」という言葉を使っております。
 前回のお話しで法政大の金子さんは、金融論などで展開されている「セーフティ・ネット」を逆手にとって、市場社会のメカニズムを「セーフティ・ネット」で解こうとしているわけです。市場社会には生産物市場と要素市場があるわけですが、労働の生産物を取り引きする生産物市場とは相違して、労働の生産物ではない生産要素を取り扱う要素市場の方は本来、無理があるということからその議論は出発しています。生産物というのは労働を投下したモノですから、所有権を主張しやすく、その所有権が設定されれば市場は機能します。しかし要素市場の方は、例えば労働、土地、資本というような労働の生産ではないモノを取引する市場は、もともと市場化できないものなので、それを市場化しようとすると無理が生じてきて、そのためにセーフティネットを設けておかないと社会システムが機能しないからです。ここのところから金子さんは議論を展開しているわけです。
 ところで要素市場というのはレンタル市場です。例えば労働というのは人間と不可分に結びついていますから、人間そのものを売り買いするのではなくて、労働をレンタルするということになります。また土地も資本もやはりレンタルの市場で、利子の市場、地代の市場ということになります。したがってその市場というものは、資本などそのものを売買する市場ではないということです。近代社会というのは人間そのものを取引しないで、要素市場つまりレンタル市場で取引することによって人間を解放したのです。人間そのものを売買してはいけないのであって、人間というのはあくまでも取引の主体であって客体にはなり得ないのであるという前提がそこにはあるのです。したがってこの要素市場は近代社会のヒミツを握っていて、それをどうやって解き明かすかということが、経済学、社会科学の大きなカギになるわけです。
 こうした抽象度の高い金子さんの議論を引き継ぐ能力は私にはありませんので、本来的「セーフティ・ネット」を「社会的セーフティ・ネット」という概念でとらえてお話しすることに致します。「セーフティー・ネット」と「社会的セーフティ・ネット」とどちらが先に言われ出したのか私にはよく分かりませんが、「社会的セーフティ・ネット」とはかなり昔からある議論ですので、それをお話しすることに致します。
 この「社会的セーフティ・ネット」という概念をきちんと定義したものは手に入りにくいので、私の場合はスウェーデンの社会科の教科書から引っ張ってきております。それを説明すると、ひとつは権利(人権といった方がいいのでしょうか)つまり、法によって規定されている人間の権利というものです。そして次に社会保障、特に現金で配られている給付、それから最後に現物のサービス給付、つまり福祉給付。これらの三つが具体的にイメージされているということです。
 それらはふつう家族、近隣、友人に代わるものと説明されてきました。つまり私たちは家族に頼るのでしょうか、それとも社会的セーフティ・ネットに頼るのでしょうかと、このように説明されてきております。曖昧な説明で申し訳ないのですが、「社会的セーフティ・ネット」というのは、家族、近隣、友人に代わって私達の生活を守ってくれるようなものとしての、権利とか現金給付とか現物給付とかというものとして理解されてきたのであると、大雑把ではありますが概念を定義しておきたいと思います。
 そういうような理解の上に、セーフティ・ネットというのはどのように張られるべきか、作られるべきかというようなことを次にお話ししたいと思います。つまりそれは、現在どのように張る必要があるのかということでもあります。社会科学の場合にはいろいろな議論の仕方があるのですが、私の場合はいつも「生成の論理」、つまり物事ができ上がってくる過程を説明する生成の論理を使います。通常生成の論理というのは無視されやすいのですが、そういう前提で皆さんにはお聞きいただきたいと思います。

2 市場社会の三つのサブ・システム
 私達の市場社会は三つのサブシステムから成り立っているということを理解しておくと「社会的セーフティ・ネット」は理解がしやすいのではないかと思います。社会を構成するのは、政治システム、経済システム、社会システムであり、この三つのシステムから社会を理解するのが分かりやすいというのが私の考え方です。
 政治システムというのは政府とか国家で、経済システムというのは市場、そして社会システムというのは共同体とか家庭とかというコミュニティーというようなものとして理解していただければ良いと思います。これらはそれぞれ人間と人間の関係を意味しています。それぞれの人間関係は市場から結ばれる関係なのか、それとも共同体のように愛情とか友愛とか自発的な関係で結ばれるものなのか、政府のように強制力によって結び付けられているものなのか、このように人間の関係は三つの側面から結ばれているのです。
 この三つのシステムはもともとはひとつでありました。それが分離してくるのは近代になってからです。分離してくると、その間に財政というのが登場してくるようになったというのが私の議論です。財政という言葉は明治時代に日本が作った言葉です。現在それは中国に逆輸入されています。これは「パブリックファイナンス」という言葉に訳語を当てはめたのです。ではだれが当てはめたかといいますと当時大蔵卿であった井上馨とか福沢諭吉(福沢の場合は「理財」も用いたが)とか議論がございます。つまり財政という概念は明治時代に翻訳語から出てきたものです。というのも明治まで、つまり近代が成立するまでは財政という現象が成立しなかったからです。なぜ成立しなかったかというと、この三つのものが成立したのは近代になってからであったというようにご理解いただければそれで良いと思います。
 ちょっと歴史をたどっていきたいと思います。まず経済システムからお話をしていきますと、経済というのは、いろいろな定義の仕方がありますが、本来は自然から人間が生存していくのに必要な、有用なものを獲得してくる行為であるといっていいだろうと思います。なぜ有用物を獲得していかなければいけないのかというと、それは生存するためです。人間が生物として生きていくためには、ニーズの充足と欲望の充足という二つのものがあるわけですが、これらを欲求といっておけば、その欲求を満たすために自然に働きかけて有用なものを獲得してくる行為が経済ということになると思います。
 このような経済行為を含めて私達はもともと社会システムや共同体というシステムのなかで全てを賄って生活してきました。三内丸山の遺跡をみていただければ分かりますが、「三内丸山」という共同体のなかで全ての生活が充足されていたのです。共同体の中で人間はニーズを充足して、そしてその共同体のなかに人間的なふれあいを求めて人間は生きてきたわけです。
 現在でも大部分の人類がこのような生活をしているといえると思います。先進国の日本で70歳まで生きる確率とインドで5歳まで生きる確率はほとんど同じですが、発展途上国では未だに多くの人々が共同体の中で生活しています。私の議論はここから通常のものとは異なります。共同体のあとには政府あるいは国家が登場してくるのですが、今の経済学の一般的な考え方というのは、市場の失敗で政府を説明します。これは皆さんもご存知の通りであると思います。市場というのは全部取引できないものがあるという、例えば防衛とか、警察とか司法とかそういったものですが、市場で失敗したために、したがって国家が生まれてくるというような論理を市場主義者は使います。
 しかし私の論理は生成の論理ですからそれを否定します。市場が失敗して国家が生まれてきたという験しはありません。人類は一度もそれを経験していません。生成の論理からいうと、明らかに共同体が失敗し、共同体ができないことを国家が肩代わりしたということになるのです。人間というのは自然に働きかけて、自然をコントロールし、人間が自然を統御できる自由の領域を拡大しようとして生きてきたわけです。人間と自然との関係で自由を拡大するためには共同体だけでは無理で、それ以上に自然との関係から自由の領域を拡大しようとすると、どうしても強制力を必要とするようになった、私の議論についてはこのように理解していただければ良いと思います。共同体がいくつかできたときに、共同体の内部でいくらかはものごとを処理できましたけれども、共同体との関係を清算して自由の領域を拡大して行こうとすれば、そこの中に強制力を働かせて何か事業をしなければ自然を支配できなかったということです。古代国家を思い浮かべていただければ分かりますけど、堤防や用水路を作るには国家という強制力が必要で、そうでなければ共同体だけでは余剰が出てこないために、欲望が満たせないということでありました。ニーズは満たせても欲望は満たせないのでどうしても国家の強制力が必要であったのです。
 そうすると余剰が出てくるわけですが、ではその余剰を誰が持っていったかといいますと、それは強制力を持った人達が取っていったということです。例えばピラミッドであるとか、万里の長城のようなものは、余剰を強制力によって支配している者が取ってしまって、その結果、そのようなものができたのです。しかし、全体として見れば人間は解放されて自由の領域は随分と拡大されてきました。そこでは私達はニーズではなくて欲望を満たすために人間と人間の相互依存性を拡大してきたということになるのです。ここに来られておられる皆さんの職業はどのようなものか私は良く知りませんが、その職業について考えてみてください。ご自分がサバイバルするため、生存を維持するために口にするもの、身につけるものをどれだけご自分でお作りになっておられるか。ほとんど自分で作ったものはないと思います。自分が生きていくために何か有用なものを作ってきたかといえば、何も作って来ていないのです。つまり他者の欲望を満たすためにのみ私達は働いているわけです。人間が生きていくためにはニーズを充足させなければいけないわけですが、ニーズを充足するものはこの地球上の誰かが作っているわけです。相互依存性が拡大することによって欲望を満たしてきた、歴史はこのようなものであったと私は思います。
 余剰を生じるようにするためには政府は強制力によって余剰に拍車をかけて、しかも政府は国民の生存の保障もしなければならないわけですから、共同体のできないことをやらなければならなかったわけです。共同体がやってきた生存の保障ということを政府はやらなければならないのです。昔、飢饉になって領民が食べられなくなると、領主は蔵を開いて領民のために食物を配らなければならないということがありました。それと同時に余剰が出てくると市場も成立してくるということになります。ただしこれはあくまでも生産物市場でして、それは共同体の外側に存在したということです。
 三内丸山遺跡に行っていただきますと分かりますが、丸ビルと同じ高さの木の塔が立っています。この木の塔は何かというと他の共同体との取り引き、つまり目印をつけて共同体の存在を示し、しかも市場を動かすために立っていたわけです。三内丸山の集落はここにあるのだと。例えば黒曜石などは北海道に住んでいる共同体と取り引きしましたから、北海道の人が来ても分かるように膨大な塔を建てて集落が存在しているのだということを明らかにする必要がありました。このように共同体と共同体の間に市場は成立しますが、それはあくまでも生産物市場であって、かつ欲望を満たすためのものであり、更にそれは余剰が生じたときに行われたということです。共同体のなかでは生存を維持するために取引が行われ、外では不必要なもの、欲望を満たすためにそれが行われてきたのです。
 ところが近代になると要素市場が成立を致します。要素市場が成立するということは、自然である土地、人間の労働力、これはそれまでですと強制的な君主に支配されてきたわけですが、それらが私的所有になるということが前提になりました。そのためには何が必要であるかというと、政治システムが変わらなければならないということでした。それまで存在していた政府を被統治者が支配する、つまり市民革命によって民主主義が実現するということになるわけです。被統治者が統治者になるということが行われるようになりました。そうすると生産要素、つまり私的所有権が設定されることになります。土地、労働でも人間は解放されて、自由になる。要素市場が成立するということはどういうことかというと、国家の方からいうとそれは国家に資産がなくなってしまいますから無産国家になってしまいます。政治システムはそれまで領土も領民も支配していたのですが、全く失ったわけです。自然も失いますし、賦役を調達することもできなくなりますので、全く無産国家になってしまって、統治行為、社会をまとめていくことができなくなってしまいました。
 今まで社会には、社会システムと政治システムしか存在しなかったのですが、そこのところに社会システムから経済システムが分離して来て、要素市場が成立して、政治と経済が分離してくるようになり、その間のところに財政が入ってくるというようになって財政というものが登場して参りました。同時に社会システムと政治システムの間にも財政が入ってきて、一つの社会を政治システムがまとめ上げようとするようになりました。しかし本来は一つのシステムであったので三つに分離させると、社会統合が困難になりますので、これを一つに統合していこうとするシステム、それが市場ということになって来たと考えられます。このことは別の面からいいますと、要素市場が成立するということは、社会システムの方にも変化が起きて、共同体の中にあった生産機能が剥奪されて、これが経済システムの方に分離されて来たということを意味しています。共同体の中には生産機能と生活機能と両方あったわけですが、それが分離されてくる。そうすると生産点と生活点が全く分離してきて、社会と経済も分離して来たというわけです。

3 生産機能と生活機能
 市場社会では生産機能と生活機能が分離するということですが、ただ目的と手段を間違えてもらっては困ります。もともと、人間の生活を行ってきた共同体を中心とした社会システムのような生活機能は手段だったわけです。社会が発展する過程でその手段は共同体から外に出されていきました。生活機能であくまでも手段であって、目的ではないのですが、政治システムが社会に統合されていくときには、その生活機能を守らなければ社会そのものは統合が不可能になるのです。
 ここで生活ということを定義させていただきますと、この生活というのは消費よりもやや広い概念で、自然から有用なものを消費しながら人間的な営みが包括的に行われるということであります。これは逆からいえば企業による管理を免れた領域というふうに言い直してもいいのですが、ただここでいっている消費というのはあくまでも使い尽くすという意味での消費です。したがって消費とは何か物や財やサービスを使い尽くすことということになります。したがって少し複雑になりますが、経済学でいっている消費とは異なります。経済学でいっている消費というのは消費者選択をいいますから、具体的には市場で買ってくるという行為、消費財を買ってくる行為を消費といいます。生産物市場からものを買ってくることを消費といいますから、買ってきたものを使うことは消費ではありません。そうすると経済システムにおいて生産と消費が行われるというふうにいっても、そこでの消費というのは広い意味でありまして、生産という物の中に含まれるような消費であるとご理解いただいたら結構です。つまり財やサービスを生産し、だれのためにそれを割り当てるかという割り当てまで、経済学でいうと生産と分配までが、経済システムでやることであります。
 ただし、実はそのように生産と消費を定義したとしても、この生産と消費というのは相対的です。つまり経済学でいう消費と違って、単にものを使い尽くすということであると定義したとしても、生産と消費というのはきちんと分けられずに非常に相対的であるということです。逆からいうと社会システムの中でも生産活動が行われているということです。家事労働などによっても生産物は生産されていて、人間にとって有用なものを自然から取り出して創り出すというような行為が経済であるというように定義しておくと、家庭の中ないしは社会システムの中で行われている消費の中にも生産といわれる行為が存在しているということになります。お料理などを考えて頂ければ分かりますが、原材料を買ってきて、そしてそれを加工するという労働は社会システムのなかで行われている。どこまでを社会システムでやるのか、どこまでを経済システムでやるのか、どこまでを市場で処理するのかということは、相対的なものです。市場システムがやるべき領域というのはどんどん拡大していって、家計の中でやられている消費という生産行為が益々小さくなっていくということが現実的に行われています。市場システムというのは社会システムに働きかけて、社会システムで行われている生産行為を市場の側に取り出していって、社会システムの機能を益々小さくしていく、そのようなことを行っていっているのです。
但しここで重要なことというのは、市場システムというのは、人間のニーズを充足することはできないということです。選択の自由は全くありません。市場で選択できるというのは、市場が提供しているメニューの中でしか選択はできないということでして、市場が提供してくれるメニューというのはニーズを充足することはできません。サバイバルは無理です。例えば食事をしないと人間は死んでしまいますけど、その食事をするために市場で全部やろうと思ったら、外食を買ってきて食べるしかありません。しかしそれを長いことやると人間は成人病かなんかで死んでしまいます。我々はこのようなことはしないで、原材料をできるだけ買ってくるようにして、後は家庭の中で加工作業を行って生きていくために必要なニーズを満たすように生きているのです。市場全てで人間の生活を満足させるということは不可能であるということです。以上が前提でいよいよ社会的セーフティネットの話になります。

4 現代システムの社会的セーフティ・ネットの動揺
 近代システムの成立は、19世紀の始めであったというようにお考えいただければいいのですが、これは市民革命などを経て登場致しました。このシステム下での社会システムというものは、ものすごく広範でありました。私たちが生きていく上で身に着けるもの、口のするもののほとんどをこの社会システムの中で作っていたのです。例えば戦争中というのは自給自足でありました。このころの消費と生産というものを相対化してみると、生産的消費が非常に大きくて、経済システムが扱う生産の領域というのはごくわずかでありました。
 したがって要素市場に労働を売る必要もあまりありませんでした。ごくわずかの労働を売って、その対価としてごくわずかの貨幣を得て、それで生活手段としての消費財を購入しさえすれば良かったわけです。そこでの社会的セーフティ・ネットというのは、極端にいえば権利の保障だけであったといってもいいだろうと思います。そこでは法規定で権利さえ保障しておけばそれでよかったわけです。それというのも共同体がきちんと機能していたので生活を守るということができていたからです。したがってこのような社会はラサールがいっているような夜警国家でよくて、法的整備さえしっかりしておればそれですんでいたというような社会であったのです。
ところが1870年代から始まった近代システムは、73年から96年までの間グレイトデプレション(大不況)という、現在私たちが味わっていると同じような構造不況を経験しました。現代システムはこのような過程を経て成立してくるわけですが、そうすると生産、つまり市場の領域はどんどん拡大されてきましたが、しかし生活の領域はますます縮小されてきました。例えばいままで家庭内労働で行われてきていたようなことが電化製品によって取って替わられるようになったのです。そうすると家庭が購入しなければならない消費財というのは膨大になってきます。したがってそれを賄うために労働市場に供給される労働も多くなってくきます。そうなってくると社会システムというものは、本来近代システムの全生活を保障していたにもかかわらず、これが保証できなくなって社会的なセーフティ・ネットを必要とするようになってきたのです。
 この社会的セーフティ・ネットをごくおおざっぱに表現すれば、現金給付による社会的セーフティ・ネットであったといっていいだろうと思います。それは公的扶助と社会保険というこれら二つを両輪とするセーフティ・ネットであったということです。なぜそうであったのかといいますと、生産点における契約的な人間関係においては社会システムというものが存在しなかったからです。しかし人間が集合すると、人間というのは必ず寂しい存在なものですから共同体を作ろうとします。つまりそこでは契約的ではない人間関係を作ろうとするわけです。インフォーマルな人間関係を必ず作ってしまうということです。生産点では契約的な人間関係を変えたインフォーマルな人間関係ができてくる。そのインフォーマルな人間関係というのは、市場の動揺によって自分達の生活が破壊されないようにお互いにそこに共同体を作ります。端的にいえばそこでは労働組合とか友愛組合などを作って共済活動を行うようになるということです。生産点における友人関係を通じて貨幣所得をお互いに保障し合う、そういう保険を彼らは作りはじめるわけです。若し誰かが病気になったときにはお互いにリスクをシェアーしましょうということです。医療や高齢になって働けなくなった時に所得を保障する保険、失業した時の手当てなどというようなものを生産点でお互いに掛け合うようになってくるということです。
 この掛け合いの人間関係に政府が目をつけて吸収するということが、1870年代に行われました。ビスマルクが準国庫機関といっていますが、それはいろいろな組織を国家がお金を出して吸収してしまうということでした。イギリスで行われているような過激な労働組合を予防するためには、今ある共済活動に補助金を出して、政府関係機関として吸収しておいたほうが健全な労使関係が形成される、というような発想のもとにそれらは行われました。そしてそれらを吸収しながら、現代システムというのは累進的な租税制度を作って、公的な扶助とか様々な現金給付を行って所得を再分配しながら成り立ってきたのだということです。現代システムでは重化学工業の生産の領域に、人間の巨大な集団がつくり上げられましたので、生活点即ち共同体での人間関係はますます破壊されました。けれどもこれに代わる人間の絆というようなものが生産点のほうで吸収されて、それが政府化いたしました。日本の場合には残念ながら人間関係論として政府が取り込むのではなくて、人間関係管理として企業がそれらを取り込みましたが、具体的には企業内福祉というようなものであったわけです。
 そういうことで現代システムというのは成り立っていたのですが、これがグローバル化すると、現金給付型のセーフティ・ネットというのは破綻してしまうようになりました。スタインモの1970年代の租税負担率と経済成長率を、1980年代のそれとを比較してもらえれば分かりますが、70年代までは資本を動かさないというブレトンウッズ体制が出来上がり、かつ重化学工業が基軸的な産業であったために、資本はそんなに自由には動かず、これらの間に相関関係はありませんでした。したがって戦後的なコンセンサス、つまり社会的なセーフティ・ネットを強化すれば経済は活性化するという、セーフティ・ネットが張ってあるので皆安心して活動できるので経済も活力が増すという、このようなコンセンサスが成り立っていたのです。
 ところが1980年代になると経済が完全にボーダレス化し、グローバル化して資本が一瞬の内に世界中を動きまわるような時代になったものですから、資本統制をする国民国家が可能でなくなってきました。地方政府というのはオープンシステムの政府なのですが、国も全く地方政府と同様にオープンシステムになってしまい、現金による所得再分配というのが困難な時代になってきて、経済成長率と租税負担率の間に明確に逆相関関係ができてきて、現金給付による社会的安全ネットがうまく機能しなくなったのです。

5 ポスト・現代システムにおける三つの自主統治政府
 近代システムから現代システムに移る時には20数年間にわたる大不況があったわけですが、私たちは、現代システムからポスト現代システムに移る時にもおそらく20数年にわたって不況を覚悟しなければならなくなるのではないかと思います。現代システムを作るまでにはかなり長い不況に苦しまなければならないと思われます。そのような状態になると市場的な考え方をする人から出てくるのは、セーフティ・ネットをはずしていこうということです。このような考え方というのは、市場が失敗したから政府が必要になってくるということになるわけですが、わたしの考えはこれとは異なります。それは共同体が失敗して共同体の機能に限界が生じてきたからそれに政府が代わっていき、そのために政府というのは共同体に肩代わりしていく必要があるというものです。市場経済がますます共同体を小さくし、やがては共同体を破壊していく。そうすると共同体は機能を喪失し、共同体の失敗が明らかになっていく、それを政府が肩代っていくという論理展開でないとおかしいのではないかと私は思います。政府の登場は市場の失敗によってではなくて、共同体の失敗によってであるとみるのです。このように考えていくと、これからはますます家族を中心とする共同体というものはどんどん小さくなっていくのであろうと思います。
 三内丸山遺跡の例にみれらるように、共同体というのは非常に大きなものであったのですが、その外側に市場経済ができてくると、徐々にそれは分解して小さな共同体になっていきました。現代社会をみれば分かりますが、核家族というようなところまで家庭の分解化が進みました。このような核家族という単位の共同体の中では市場は働きませんが、これが更に分化されようとしているのが現代社会です。
そうなると共同体の機能はますます小さくなっていきますから、政府はそれを補完しなければならなくなってくるという考え方になるはずです。市場が失敗したからその失敗を補う意味でセーフティ・ネットを張るという考え方もあるわけですが、それは市場化できないものがあって、そのために市場が不安定化するからそれの失敗を保護するために予めセーフティ・ネットで張っておきましょうという考え方になるのかもしれません。しかし私の場合は共同体という更なるランクを入れて、市場が共同体を破壊する、その破壊された共同体の機能を償うこと、それが社会的セーフティ・ネットであるというような理解を採っています。

6 生活点における自主統治政府
 そこでポスト現代社会におけるセーフティ・ネットをどのように張るかということですが、適当な言葉が見当たらないので仮置きに「自主政府統治」と私はいっていますが、これはいくつかのレベルで当事者が自己決定できるような仕組みを、メゾレべルの政府でも作っておくという意味です。言い換えますと中央政府と地方政府というような単純な政府ではなくて、それぞれの人々が参加できる公共の空間を身近なところで手の届く範囲で作ってやる、作ってやったところでそれぞれの空間毎に自主的に決定をさせる、そういう政府をメゾレべルで作り直そうということです。一つは今の中央集権的な体制を分権化して、それぞれの生活点、つまりコミュニティーで自己決定できる地方政府をつくるということです。そうすると、共同体というものはもともと相互扶助と共同作業を行ってきておりましたが、その内の相互扶助をユニバーサルサービスという方法で、地方政府に給付させてネットを張り替えるということになります。今までの現金給付というネットがほころびて機能しなくなっていますから、地方政府が中央政府に代わってサービス給付でネットをはり直そうというものです。
 このネットは具体的には教育と医療と福祉でありますが、ヨーロッパあたりでは教会がこれをやっていました。それを地方政府がやって人々の生活を守っていくということです。この時に地域社会による自発的な人間関係によるセーフティ・ネット、たとえばNPOとかNGOとかそういったことを活用するということも出てきますが、ただあくまでも責任は地方政府が持つということです。あくまでも状況を見積ってアレンジメントするのは地方政府であるということです。NPOとかNGOがあればいいようなものですが、最終的にはきちんと地方政府が責任を持つものでなければなりません。

7 生産点における自主統治政府
 これはボーダレス化してもグローバル化しても可能です。ただサービス給付というのは身近なオープンシステムの政府で、身近な公共空間でなければ張れません。それから生産点には社会保障基金をおいてそのための政府を作らせるということです。もともと生産点でやっていた共済活動を社会保障基金という政府機関にしているわけです。これを本来の姿に戻そうということです。生産点における共同体的な行為という原点に社会保障を戻していく、現金給付はそこに限定されていくということです。
 この私の考え方は、財政にはいつも中央政府、地方政府、社会保障基金という三つの政府があるという認識に立っています。日本では財政が赤字で厳しいといわれていますが、社会保障基金という政府がまだ膨大な黒字を持っておりますので、三つの政府を合わせるとそんなにひどいわけではないと思います。確かに最近はそうでもないようですが。ただあれは予測ベースでありまして決算ベースではいわれているほどではありません。
 マーストリヒト条約などでいわれる財政規模は、あくまでもこの三つの政府をあわせた額です。そこでは「中央、地方、社会保障基金の三つの政府をあわせてGDP比で国家の財政赤字は3%以内にしなさい」などとよくいわれます。しかし日本の場合は中央、地方の両政府の合計のみで、いつも社会保障基金を抜いて議論します。なぜかといえば、それは社会保障基金というものは独立した政府あるいは機関であるという認識を政府が持っていないからです。政府は郵便貯金を市場で集められたお金と同様に考えているのです。もともと郵便貯金は、社会保障というお互いの助け合いを支えるために作られたものであったのですが、そういう意識がすっかり忘れられているのです。
 フランスでもドイツでも社会保障基金が存在しています。スウェーデンでは日本でいう会計検査院のように独立したいくつかの機関でそれをやっております。このように西欧では独立した政府としての認識があるのですが、日本の場合には独立した政府というような認識がなくて、かつ会計的にも独立しているのかどうか疑わしいような運営がされているのが現状です。これはきちんと仕分けされるべきではないのかと思います。
 生活点でのサービス給付において地方政府がネットを張る、それから生産点で社会保障基金が現金給付をして社会保障としてのネットを張る、そして現金給付とサービス給付のミニマムを中央政府が保障する、というようなことが望まれます。
 また一方では中央政府間協力という問題があります。経済がボーダレス化し、グローバル化するとこのミニマム保障すら困難になります。ミニマム保障をどうにかするためにはボーダーを張るか、中央政府間で、例えばヨーロッパのように労働政策とか社会保障政策をいっしょにやるなどというように協定を結んでおかなければ、経済がグローバル化しボーダレス化するとそのミニマム保障すら守れないようなことになってしまいます。中央政府には政府間協力として各国間でのミニマム保障をするという役割が残るということになります。この三つによって社会的セーフティ・ネットを張りなおすというのが、ポスト現代で必要なことなのではないかということであります。
 まず生活点において、自主統治政府は相互扶助の代替としてのユニバーサルなサービス、例えば医療、教育、福祉を行うということです。それから共同作業として共同体がやることは、ニーズとウォンツと満たせばいいわけですから、安全性と快適性を追求してユニバーサルデザインで町づくりをするということです。共同体の構成員がだれでもできるような町づくりをやるということです。
 ところがこのようなことは日本の場合弱いのです。例えば建設省などで私どもが画一的な行政をやめろとかいっても絶対やめません。しかし弱者に対してはどうかといえば画一的でないのです。例えば目の不自由な人のために町にはいたるところにストッパーがありますが、あれは町によって全部異なっています。これこそ統一すればよいのではないかと思うのですが、建設省は道路の幅の統一などにしか目が向いておりません。地下鉄の駅に備えられている障害者のための昇降用の設備がありますが、これもあまり有効ではありません。そうでなくても少ない駅員で障害者の昇降に従事するのですから大変なことです。階段とエレベーターそしてエスカレーターを3点セットにしておくというような約束事をしておけば、このような問題はうまく解決されるはずです。やはり障害者にやさしい町というのは一般の人にとってもやさしい町になるのです。「必要は発明の母」といいますが、正にそうでしてこのようなところに新しい産業ができるのです。
 何か新しいものができないかと考えるときにポスト現代産業ということがテーマとして出てきます。例えばウォシュレットというものもひとつの例です。はじめは身障者用に作られたのですが、それが一般にも流通し出しました。これなどは障害者にフレンドリーというのは必ず一般の人々にとってもフレンドリーであるという端的な例です。したがっていまの技術ですれば介護も人間に押しつけるのではなくて、何か新しいことができるのではないかと思うのです。共同体の構成員の誰もがアクセスできるような町づくりをするということが、おそらく自主統治政府にすればできるだろう、しかしミニマムは保障するというような考えに我々は立っているということです。
 そして中央の補助金は地方政府の税金に換える、そして地方政府で税金が0でも地方でやらなければならないようなサービス、またそのサービス水準に必要な財源は国が再配分する。したがってこの交付税は豊かな地方から取って貧しいところに配るということです。
 それから生産点についてですが、生産点に置く自主統治政府の役割というのは生産点における共済活動の代りとして現金給付をすればよいということです。友人達が病気になったらそのなった人の給料を保障し合うということでいいはずです。
 『世界』の99年3月号に載った論文でいうと、事業所得と給与所得に比例して年金を納め、納めた額に比例して年金を受け取るという方式です。そしてそれを賦課方式にするということです。つまりその世代で支払っている額で、もらう側の年金額も決まるという仕組みです。今の年金は確定拠出型積み立て方式ですが、我々の提案は確定拠出型賦課方式というものです。
 年金の拠出が0の人もいます。0の人にはどうするかというと、ミニマムペンションで最低限度は保証するというものです。このようなやり方には自分がどのくらい年金をもらいたいのか、年金の額に応じて意思決定ができるという透明性と自己決定性という特徴があります。それに比較すると今の制度はよく分からないというものです。しかし我々の場合はごく簡単でして各人でどこまでの年金がほしいのかということが決まれば、拠出する額も決まってしまうということなのです。(年金改革の概念図
 中央政府がここに投入する税金は消費税のようなものでない方が良いのです。法人税とか累進的な所得税でもってやる方がよいということです。これは社会保障ですから、豊かなところが貧しいところを保障するというものでなければなりません。
 給付水準は政府が決定しますが、後は経済成長率にリンクさせますので、経済成長が低下するともらう年金の額も少なくなるということです。ただこの方式で問題であるのは日本のように急激な高齢化をした国では支払う人が少なくてもらう人が多いわけですから、当面これを回避する方法が必要になるということです。そこで我々の提案は何百兆か溜め込んでいる基金を全部使いきれというものです。人口構成が平準化すると賦課方式はうまく機能するわけですから、それまでに全部使い切れといっているのです。
 後は生産点でお互いに助け合うということがあるわけですが、病気をした時などというのはできるだけ休業保障にしようということです。生産点でやるのは休んだときの保障だけで良いということです。医療保険というのは病気で休んだときの保障に留めるということです。医療のサービスというのは地方政府が無償で給付するというのが私たちの考えです。ただ当面は供給面の統制をやっていかなければなりませんが。
 年金の自主政府をどのように作り上げるのかということですが、一般的には職域ごとに決定機関を作っておいてそれを積み上げていくのがいいのではないかと思います。しかし一足飛びにはいかないので、少なくとも私達が言っているような方法でやるとすれば、社会保障基金だけは別会計にして透明化を図ることから出発する必要があると思います。