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シリーズ討論

参院選挙の結果をどうみるか

政策研究大学院大学教授 橋本晃和
国民会議ニュース1998年8・9月号所収
NOTE:以下ご紹介するのは、さる8月6日の第19回定時総会における橋本教授の講演要旨です。


1 今は戦後民意の第3期
2 自民党の"選挙の失敗"
3 新・無党派の投票行動
4 合理的選択の3つの要因
5 これからの政党の帰趨
【質疑応答】



【橋本教授講演要旨】


 私が「民意」ということを言い出しましたのは、もう15年前のことです。それまではあまり「民意」という言葉は定着していなかったのですが、その後、いつのまにか民意という言葉が定着してきました。それともうひとつ、「支持政党なし」、「新・無党派」という言葉も私の造語です。私が「支持政党なし」を日経新書から出したのは1975年のことですが、それが市民権を得て、今日、普通の言葉になりました。その時、「今度は "支持政党あり"というのを書いてくれよ」といったのは橋本龍太郎さんでした。その当時はまだ支持政党を持っていることの方が普通であるという認識でしたから。支持政党を持っていないというのは、(無党派というような言葉はまだなかったのですから)浮動票扱いで、そんなものは頼りにならないという認識が多かった時代です。

1 今は戦後民意の第3期
 さて、本題に入りますが、私は今回の日本の有権者の選択ほど勉強になるというか面白い結果というものはない、と思っております。
 簡単にいいますと、戦後の民意というものは、ドッジラインが敷かれた1949年にスタートして形成されてきました。そして、60年安保というものがひとつのターニングポイントとなって、この第1期の終わりは1969年です。これは共産主義圏、社会主義圏(もちろんソ連、中国は除きますが)が軒並み没落して、国内においても社会党がぐーんと支持を減らしたときです。政党支持率調査でも、自民党に次いで第2位が「支持政党なし」ということになったときです。この1969年というのは、政治、経済、社会、芸能界の現象に至るまで、さまざまな出来事が起こっている年なのです。
 この1969年から1989年までを私は戦後民意の第2期といっております。この20年間のなかでのターニングポイントは1976年です。この年は「支持政党なし」層の政治的立場がいわゆる「革新的立場」から「保守的立場」に重心が変わっていった年です。
 そのあと、1989年からの1〜2年は、世界的に見ても3つの大きな事件が起こった時期です。ひとつは、12月にマルタ会談が開かれましたが、これは冷戦の崩壊の始まりを意味する大きな出来事です。1990年8月にはイラクのクウェート侵攻が行われました。年末までは湾岸危機といっておりましたが、91年に入って湾岸戦争となり、日本のPKOについての態度が問われることになり、それまでのユニラテラリズム(一国主義)に断絶が生じたときです。第3は、日本ではそれまでの右肩上がりの成長が止まり、バブル神話が崩壊して、それまでのライフスタイル、価値観が大きく変わり、今日の考え方のスタートが切られたときです。こうした3つの要因が、有権者の公共選択論でいう合理的選択として捉えられるようになってきたわけです。
 いまはこの第3期にいるわけですが、今回の1998年7月の参議院選挙は、その中でのターニングポイントとなったと考えられます。第3期は、20年周期説からいえば、2009年まで続くわけですが、このときになってはじめて、日本はやっと落ち着いた政党政治の時代になるのではないか。ただし、そのときの日本が、二流国を甘受しているか、不安のない安定した国になっているか、それはまだなんともいえません。

2 自民党の"選挙の失敗"
 今回の選挙結果は、いずれ自民党として通らなければならない道であったことは確かです。利益誘導型政治が行き詰まることは、時間の問題であったわけです。ただ、まだいいだろう、まだいいだろうと思って、今回やっと気がついたということです。しかし、まだ気がついていない人が多いことも事実です。
 今回の選挙にあたっても、私は、今や利益誘導だけではだめですよと申し上げてきたのですが、自民党の幹部の方々は、口では"その通りだ"といいながら、低投票率であることを前提として戦略を立ててしまった。私はそれ以降なにも言いませんでした。今回の自民党の敗因の最大の要因は、基本的な有権者の考え方(私のいう「民意」)が大きく変容しているのを捉えきっていないことに尽きます。これを私は自民党の「戦略の失敗」と言っています。「支持政党あり」層と同程度の投票率を誇る、いわゆる「新・無党派」をターゲットにしなかったということです。
 次に、第2の「戦術の失敗」があります。過半数はとれるはずもないのに、とれるとれるとおだてられ、69議席を目標にするのが難しいならば改選議席126の半分の64ならどうか、60議席もいかないなどというのは体裁が悪いから、せめて前回の議席数の61にしようはということで、目標議席は最後は61議席ということになりましたが、もともとのセッティングが間違っていたわけです。
 その証拠に、東京都で2人たてて全滅。埼玉、神奈川、愛知の3人区で2人たてて全滅。2人区も16あるうち、鹿児島と群馬以外は1人しか当選出来ない。そして24ある1人区でも17勝7敗。自民党が勝ったときは、最高は22勝2敗などというときもありました。この7つの県のなかには徳島県とか和歌山県など少し例外的なところもあります。和歌山県というのは衆議院3人のうち2人まで自民党で、最後は小沢さんがそこに1週間泊りこんでという戦いまでして勝った。徳島県はご存じのように三木さんの長女の高橋さんがいて、それが強かった。残り5県のうち、沖縄は非常に重要な意味を持っていると思うのですが、わずか5000票差で西田さんという保守党系が負けた。これに勝っていれば11月の沖縄県知事選は太田さんは危なかったのです。これの意味するところは非常に大きいものがあります。5000票の差といっても、2500プラス1で勝っていたことになります。その犯人は、私は上原康助さんにあると思うのですが、そういう微妙な世界の話は省略いたします。以上のような事を自民党の"戦術の失敗"と私は呼んだわけです。
 いずれにせよ、こうした結果をマスコミは自民党惨敗と報じました。しかし、現実は"惨敗"ではないのです。選挙区と比例区をみてみますと、選挙区では1000万票から1700万票へと700万票前回より増えています。シェア、すなわち相対得票率ですけれども、これも25%から30%へと5ポイントも増えています。一方、比例区ではスプリットボートといって、比例区と選挙区で一票づつ異なる政党に投票することが行われました。ある新聞社は「異党間投票」などどいう難しい名前をつけておりますが、これはなにも日本特有の現象ではありません。しかし、これからは日本でもスプリットボートの現象は、ますます衆議院においても参議院においても日常化するのではないかと思います。その結果、比例区では自民党支持は27%から25%に、わずかですが2ポイント落ちています。
 一方、民主党は、日頃の支持率が5%とか7%とかいっていましたのに、「新・無党派」層を吸収して1200万票比例区でとりました。選挙区では900万票ですが、これは全部の選挙区に候補者を立てていませんからこういう結果になったわけです。一方、共産党は870万票とっています。これは大変に注目すべき数字だと思いますが、これについては、今日はこれ以上触れません。

3 新・無党派の投票行動
 私が日頃からいっている「新・無党派」というのは、政治的関心はあるけれども、その時その場で投票するかしないかを決めて、投票するとなったときはじめてどこに入れるかを決める行動をとります。これを私は「投票行動の変動相場制」といっているのですが、どうもこの「変動相場制」が理解出来ないメディア、専門家が多いのです。政党支持を聞いても、「支持政党なし」は3割から4割、だんだん選挙が近づくと6割に増えてきます。そして、選挙が終わると、普通は減っていきます。それが今回、新しい傾向が生まれました。選挙が終わったら政党支持が減るのが普通なのに、民主党という止まり木がみつかったものですから、そこに止まっている分だけ支持政党なしが4割台に減っております。減っているということは、自民党支持の部分が減っていますから、実際はあまり支持政党なしが減っているわけではない、自民党支持数が急落したままだということです。しかし、まさに「変動相場制」ですから、この現象はあと何ヵ月続くのかわかりません。
 なぜ今回、"予期せぬ結果"、"予期せぬ投票率"になったかということを考えてみた場合に、「新・無党派」がぎりぎりまで自分の選択を決定しなかった。最近ではますます意思決定の回路が遅くなってきております。マスコミが発表するのは選挙の1週間前の調査の、土日にやって火曜日に速版、水曜日に確定版が出るわけですけれども、水曜日のあと、木金土日と4日あるわけです。今回、事後調査をみても、投票日及びその2日前、1日前に決めた人が、投票した人の3割弱を占めているという事実が重要です。今後ともこういう傾向が続くかと思います。
 こういうふうに分析していくと、日本の有権者の行動分析には、日本版の公共選択論が成り立つのではないかと思います。私のとりあえずの研究課題は、輸入版の公共選択論をそのまま踏襲するのではなく、日本発のオリジナルな公共選択論を確立することにあります。そういう目からみますと、今回、勇気づけられる結果になりました。

4 合理的選択の3つの要因
 といいいますのは、私は日本人の投票行動の中核、合理的選択のメカニズムというのは、ヨーロッパ型、あるいはアメリカ型と基本的に異なると考えております。つまり、政権交代型の民意体系をしていないのです。今度新しく選挙制度が衆議院において改訂されました。一度だけでは判定できないので、二度目の結果をみて少し考えたいと思います。戦後民意の第3期以降、いつも3つのメカニズムが働いていることが確認できます。第一は政権党に入れるか入れないか。お上意識という日本人特有の考えで、ともあれ自民党が政権党だから自民党に投票するというメカニズムです。安定と継続をあまりにも尊重すると効率が悪くなるとブキャナンさんやタロックさんという公共選択論の創立者の先生方もおっしゃっています。つまり、第一のファクターとしては政権党に入れるか入れないかいうことで、これは政権党であればいつかは自民党でなくてもいいということになります。第二は政権党でない政党にどれくらい入れるかということ。即ち、第二勢力の政党を日頃は支持しているわけではないが、政権党にお灸をすえるという意味で投票する行動です。そして第三は投票するか棄権するかの意志決定のメカニズムです。結局、選挙はこの3つの要因の引っ張り合いで決まります。
 1989年以前は、投票率はあまり関係なく、政権党に入れるか野党に入れるかの二つの関係で引っ張り合いをしていた。ところが、89年以降、投票するかしないかという要因が非常に大きなウェイトを占めるに至ってきました。もっとはっきりいえば、投票率は92年の選挙では50.52%、95年では44.52%、今回は58.3%です。これは比例区での数字です。ここに今述べた3大要因のメカニズムの機能のせめぎあいが読みとれます。
 例えば95年の参議院選挙を基準として今回の98年の選挙を考えますと、投票率は増えました。そして、野党の取り分は増えました。自民党の取り分は比例区では減りました。したがって、比例区における3つの要因の三角形は、図のように変わってしまった、こういう変化があります。これは、衆議院選挙でも説明できるのですが、おそらく次の衆議院選挙におきましても、96年の選挙と次の選挙を比較すればおそらく同様の傾向がみられると思います。ですから、この3つの要因がひしめきあって、シェアを取り合うというかたちになる、これが、私の言う日本版の民意の公共選択論の基本的フレームワークです。
 こうして選挙で敗北を喫したあと、それに懲りずに国民的人気投票ビリの小渕さんが首相になりましたものですから大変です。この9月以降、2つの波乱要因が考えられます。
 ひとつは、小渕さんであってもなくても持たない不可抗力、つまり不良債権の問題があります。もうひとつは、宮沢さんの大蔵大臣の話ですけれども、私は宮沢さんの今捉えているやり方に反対なんです。まず最初に不良債権の処理をやるべきであって、定率減税を前面に出すというかたちで悠長なことをやっている時間的猶予はないというのが私の見解です。さらにソフトランディングこそ玄人のやり方だとうそぶいていることです。もはやハードランディングは避けられないと考えます。それはともかくとして、一般大衆は小渕さんがなぜ首相になったのかわからないといいますけれども、プロになる方ほど小渕さんでもいいじゃないかという意見もあります。結局、小渕さんがどうのこうのという要素は、私はあまり大きな問題ではないと思っています。
 ちょっと前後して橋本龍太郎さんのときの話に戻りますけれども、橋本さんが10チャンネルの番組に選挙の1週間前にでて、「おれは恒久的減税といって、恒久減税とはいっていない」といったことがあって、そのことが原因で自民党が負けたなどというまことしやかな説明が一部学者やメディアでなされたことがありました。事後調査で、そういうことが大きく影響したかどうかということを朝日や読売でみますと、そういうことはほとんど影響していないという結果が出ていました。私は全くそのとおりであって、政策的ないろんなジグザクが直接、今回の自民党敗北の原因とは考えられません。
 第3の"選挙の失敗"は、先ほど言ったように"戦略の失敗"、"戦術の失敗"に続いて "広報の失敗"というのがあります。ひとことでいえば、"広報の失敗"というのは、大都会というものを全く無視していたことです。きょうご出席の方で、東京、埼玉、神奈川の方で、自民党のチラシが入った方はいらっしゃいますか?いらっしゃらないはずなんです。全部これはパスした(配付しなかった)のです。今回これがはじめてです。それで、2人も立候補させたのですから、ずうずうしいとしかいいようがありません。

5 これからの政党の帰趨
 これから、投票率は反転現象で再び元に戻ってくるでしょうけれども、各党の得票率というのは非常に変化の激しい時代に入っていくと思います。ヨーロッパ各国では、特に小党分立が激しい国ほど各党の得票率の変動率が高くなる傾向があります。私は、これがやがて二大政党制になっていくということではないと思うし、また、それが二大政党制が望ましいとは思わないという考え方のひとりですけれども、いずれにしてもやがて少しづつ収斂していく方向になっていく。これはまだ、先ほど第3期は2009年までと私が言った以上、まだまだ時間がかかるわけです。民主党が今解散に持ち込めば、そのバーチャルな力で第1党になる可能性があります。しかし現実にそういうことが出来るかというと、難しい。むしろ、さきほども申し上げたように、小渕さん自身が、あるいは自民党政権自身が、不可抗力の海外その他の問題が起こって、ガラガラポンで、解散総選挙を自らするという、早期解散ならばそういう確率のほうが多いと私は考えています。
 こういう状態は、自民党にとってもさることながら、民主党にとっても非常にいいのです。巷間噂されている亀裂が、今回のバーチャル現象によって一時的でも回避されたということです。遠くから見る富士山はきれいだといいますが、民主党は今そういう状況なんですね。これがいつまで続くか。だんだん政権が近づいて、切った張ったいうお金の問題とか、外交の問題とか出てくると大変です。民主党は外交に関しては内部は全くばらばらです。政権が近づくと、まず外交面の弱さがばれてくる。いまは一致していないどころか、いくらやっても議論が集約されないという話を聞いております。それだけでなくて、金融政策プランも、政権に近づく、あるいは政権をとった場合には、今のような、国民が遠くで見て美しいことばかりいっていられなくなる。その時に民主党がどういうかたち、どういう対策、行為をとるか、これも政党の合理的選択を考える場合、非常に面白い材料を提供してくれるのではないかと思っています。
 もうひとつ、平等を期すために共産党にも触れておきますが、共産党はみなさんもおっしゃるように第三極の流れで、90年以降増えてきましたが、これはまだまだ増えます。共産党という政党と民主党という政党は、同じこの三角形でも、この台のところが分立しているんです。それは、例えば具体的に今度の政策、公約を見ればはっきりしています。自民党と民主党は消費税5%、共産党は3%に戻すというものでした(本来はゼロらしいんですけれども)。これについては、96年の総選挙で、もう民意のシミュレーションは終わっているのです。どういうことかと申しますと、3%を新進党が掲げて負けました。5%を掲げた自民党が善戦をしました。3%を掲げた政党で支持を拡張したのは共産党だけなのです。で、今回も同じなのです。今でも覚えているのですが、96年総選挙が終わった時に海部元首相が、世論調査をしたら67%、3人に2人は消費税アップに賛成できかねると答えているのに、なんでこんな結果がでるのかと嘆いてみせました。反対といっている人ほど棄権する人が圧倒的に多いということを知らなかったのです。投票する人の多くは共産党に入れているのです。新進党にももちろん票は流れていますが。それは、新進党の今日の敗北のはじまりの原因です。今回も社民党はあわてて5%に戻しましたけれども、時すでに遅かったというか、そういうこととは関係ないほど弱体化していただけのことです。
 そういう意味で、共産党へは、簡単にいえば無責任な人たちが流れていきます。要するに、受益と負担の関係についてはある程度責任を持たなければいけないと考えている人たちが、自民党と、共産党を除く野党にわかれています。ところが共産党にいる人は大きな政府志向とよくいわれますが、負担ということについてはごまかしているんですね。ですから、伸びはある一定のところで止まりますけれども、衆議院選挙でも比例区では全部候補者を擁立するわけですから、今回が800万票(96年はまだそこまでいかなかった)ですから、次もやはり800万票くらいいくのではないかと考えています。
 こう考えてきますと、次の衆議院選挙はふたつのケースに分かれると思います。年内に小渕政権が行き詰まって短命で終わった場合と、意外とこれが保つ場合も否定できないわけで、保った場合には意外と自民党と民主党が互角の勝負をする。保たなかった短期の場合は、民主党が第1党になるという可能性がある。
 今回の参議院選挙で戦術上の失敗がない場合、具体的にいいますと、2人たてないで1人たてた場合はあと5人当選しています。1人区でもあと1人、2人当選しているでしょうから、だいたい50人ぐらいになります。まあまあ自民党というよりも、今日の公共選択論でいう"制度というものの支配下"のなかで投票すれば、自民党の実力は参議院では50プラスマイナス2〜3なのです。だから、別に驚くべきことではないのです。ですから、今後とも参議院選挙制度のもとでは過半数はとれないと思います。と同様に衆議院においても、私は小選挙区比例代表並立制というなかでは、同じ傾向ではないかと考えております。
 問題は、この秋に備えて金融再建にどういう対応をするか。アメリカもこの秋以降きっと危なくなってくる。そうするとますます日本のアジアに対する責任論が火を噴いて、非常に危なっかしい状況に陥ってくるということで、私は小渕政権がどうのこうというよりも、むしろそちらの方を心配しています。
 今回の選挙は、長期的にはやがてくるであろうと覚悟してきたことを今回自民党が経験したということです。したがって、98年の参議院選挙は、戦後の第三期のなかでの折り返し点という位置づけが、時間が経つとともにはっきりしてくるのではないかという感じを強くもっています。



【質疑応答】

 以下は、会場に回した質問票についての回答です。


質問1 民意は科学的に測りうるか? 科学的とは、いつでもどこでも使える尺度を想定することが可能という意味である。

橋本 結論からいうと、民意の公共選択論というものを自立させたいと思っているわけですから、社会科学的という意味では私は測りうると考えています。市場の機能が働かない非市場の測定をどうするかということが公共選択論の原点であるとするならば、民意というものもそういうなかのひとつのファクター、有権者というプレーヤーとして想定するということで、私はこれからの課題という意味でいわせていただければ、測り得るような方向を考えています。

質問2 投票・選挙結果とは、どの程度民意であるのか?

橋本 いかなる選挙結果も、私は民意の反映と考えております。投票率が低いのも高いのも民意の反映と考えております。79年、80年、83年連続して3回こういう現象がありました。野党の得票率は相対的に変わらないが、自民党の得票率と棄権率を足したら、常に3回連続して67%プラスマイナス1%に収まった時期がありました。有権者は、自民党にお灸をすえたい時には棄権し、危なくなったらやっぱり野党に任せられないからといって、(これは55年体制下の話ですけれども、)また自民党に入れる。こういう時期がありました。しかし今は、先ほどご説明したようなトライアングルな(三角形の)関係で、低投票率だと決め込んで次の投票率もそうだと考えるのは科学的な判断ではない。たまたま92年、95年が"お休み"だった。この"お休み"をひとつの変数として入れておかなければいけないというのが、この考え方です。
 ところが、あるメディアなどは、棄権するのも当然だ、今の政治が悪いからだといって棄権を是認しました。そこで、私は5月24日の読売新聞に「投票で政治は変わる」ということを書きました。そのなかで、暗に棄権することを認めるような考え方はおかしいということを書いたわけです。
 今回の投票率アップで自治省も喜んでおりましたけれども、自治省が貢献したことは、8時まで投票時間を延ばしたことよりも、不在者投票の制限を緩和したことです。それによって大きく投票者が増えたということは、功績が大であると思います。が、しかし、もっと基本的には、1票という変動要因の基礎単位について、今まで無意味だと思っていた人が、そこまで言うならば1票入れてみようということになった。入れたとたんに、「投票で政治は変わる! 本当だ!」と実感したわけです。そして、いままでと考えていたのとは違う政権、総裁ができるかもしれないというかたちで、バーチャルですが、民主党の支持率が高支持率で残ったわけです。これもいつまで続くかわかりません。

質問3 投票を何らかのかたちで強制するという考え方があるが、それによって民意はどう変わるか?

橋本 そろそろ罰金制度をということを、まだ投票率が低いときにあるメディアが書いておりましたけれども、私は全く罰金制度は反対です。
 もっと厳しい制裁を加えるところもあれば、あるいはロシアのように50%を超えるまで、じっと投票日を延ばして待っているというような国もありますけれども、罰金というようなことは議会制民主主義の中で発動する手段ではないと思いますから、それによって民意がどう変わるかといわれても、私はそうした前提を反対しておりますので、答えられません。

質問4 日本ではまだ民意の集約と民意の反映へとの関係の論議が尽くされていないように思われるが。

橋本 まさにそのとおりです。民意の集約と民意の反映というアンビバレントなことを両立させようということで、選挙制度論議がずいぶん行われてきているわけですけれども、具体的にいうと、今の小選挙区比例代表並立制というのは、比例代表部分を200入れたことによって民意の反映を4割重視している。小選挙区300入れたことによって、6割集約に重点をおいたということがいえます。6:4の構えでやっているわけですが、これが7:3の方がいいのか、あるいは5:5の方がいいのかという議論はあろうかと思います。また、それより前に、トータルな数、小泉純一郎さんのような極端なことをいわなくとも、500の議席数を400に減らす、参議院も減らすという方向を我々が提言しても、決めるのは国会議員さんですから、これも袋小路に入って非常に難しくなります。議会制民主主義はご存じのように民意の集約と民意の反映との関係のバランズをどうとっていくかに尽きるわけですけれども、今の新しい選挙制度で最低もう1回か2回はやってみるべき、というのが私の見解です。

質問5 民主党を中心とした野党議員の結集はうまくいくか? 細川連立政権の経験は活かされるか。

橋本 細川連立政権というのは殿様政権だったものですから、あまり参考にならないのです(笑)。
 民主党を中心とする野党陣営の結集は、(今回の首班選挙で共産党が初めて菅さんという名前を書いたということは新しい出来事で、共産党の深慮遠望が見え見えなのですが、)それでもなおかつ私はうまくいかないと考えています。次の総選挙までうまくいくというのは、最大一番長い時期でしょうけれども、それ以前の具体的な問題の採決では、ケースバイケースで、自民党の方は、要するに参議院のことを考えて、この問題は民主党と手を組む、この問題は公明と手を組むとやってくるでしょう。ただし、相手を変えてやっていこうというやり方は、あまり国民受けしない方法です。
 自社さ政権が非難されても、自社さ政権ということで最後まで貫き通したというところが評価されるべきであって、私は自社さ政権というのは55年体制の終わりの始まりであって、まだ最終の幕は引かれていないという考え方をとっています。しかし、自社さ政権がなぜ保ったかというと、自民党と社会党というのはもはや、89年から90年に至る3大民意の変動要因を経過した後は、基本的に対立するイデオロギーなり理念が喪失してしまったことに尽きるのです。お互いが既存利益を守るということについては共通するということがある。で、そのなかで、プラスの歴史的な役割も果たしているということで、私は自社さを評価する側にずっと立っています。これも異論がある方がいらっしゃると思います。
 ですから、このときは民主党、このときは公明党というかたちで、どこまで現在の自民党が引っ張れるかということについては、民意の方があまり評価をしないだろうと思います。

質問6 現在の民意の集約は表面的であり、メディア優先的でないのか? また、民意が集約されたとして、その実行部隊はどこにあるのか。政治家は気づいていないといっているが、無視しているだけではないか。国民が知っているのに気がついていないはずがない。それとも、馬鹿が政治家になっているのか。

橋本 最初の質問ですが、表面的であるというのは、表面的でない民意というものをどう捉えるかということです。私のいう社会科学としての民意の公共選択論の課題です。それを、メディアが優先権を持っているものですから、ご指摘のような現象が起こっているわけです。 その実行部隊がどこにあるのかというのですが、これはいまのところ実行部隊は党三役で、政にあるのか官にあるのかという問題も入ってくるのでしょうが、だんだん官から政へ比重が移されているように今のところ見えます。しかし、それに助言をするのも官である限り、あるいは民に独立した権限が与えられない限り、その実行部隊はどこと言われれば、現在の政権では、あるいは政権党では、今のところ自民党、要するに政権党の主流派といわれる人たちです。例えば、今回の内閣で言えば野中さんという中核の人がいて、それの補佐官的なものがそのまま残っています。そういうことだと思います。
 政治家は気がついています。特に若手、都市部出身の政治家はほとんど気づいています。ですから、都市部の政党を作ろうという動きがあるんですが、なかなか二の足を踏んでいます。彼らは非常に危機意識をもっています。これをフォローしないと次の総選挙あたりで自民党が分裂する可能性が強まることになります。

質問7 民意の形成にマスコミの選挙予測のアナウンスメント効果はどの程度か? また、政治報道のワイドショー化の功罪について、どう考えるべきか。

橋本 後半については、今日ご出席の草野さんにお答えいただきたい・・・(笑)。
 アナウンスメント効果については、永年いろいろいわれています。政治を知らない選挙学者が事後解説していますが、アメリカ輸入の政治学を信奉している先生が多くて、私はこういうことは、輸入学問の言葉でなくて日本語でいえるのではないかと思っています。日本語だって、例えば勝ち馬に乗るとかいう言葉があります。しかし、勝ち馬に乗る人ばかりかというとそうではないのが国政選挙の特徴で、これはやはり日本人もそう捨てたものじゃないというようなことを最近感じています。
 しかし、ムラ社会的なものが残っている選挙区というのはまだ全国に数多くあります。そういうところではアナウンスメント効果というのは非常に強いですね。負けたら村八分という言葉もあるようですが、小さな村へいくと、だれがどっちに入れたかというのはすべてわかるという老人がいらっしゃるようです。そういうところが減ってきたとはいえども、未だに健在であるところもあるというのも事実です。今も、投票率が常に95%を割ったことがないという村もあります。

草野(慶大教授) 私も当事者の一員ですからあまり大きなことはいえないのですが、ワイドショー化もそうですが、一番大きなことはテレビメディアの限界と効用ということなんですね。これだけの難しい社会で、複雑多岐にわたる問題を、一定時間内で視聴者に分かり易く説明するというのは非常に難しいということです。今回の金融再生トータルプランにしても、もちろん不良債権の問題を含めてですけれども、これは専門家にもわからない。大蔵省にもわからない。仕方がなくて民間の金融機関に知恵を授かりながら、ああいう計画をつくったという。それを考えるだけで、いかに難しいかということがわかるわけです。
 それから、今いったことと重なりますが、テレビメディアは時間が制約されていて、その中できちっと説明するという条件があります。と同時に、映像を使いますので非常にインパクトは強い。物事を単純化する。で、時間の制約があるために、また単純化しなければいけないという限界があります。
 それから、第三番目に、注意しなければいけないのは、それがあるために、作り手の方が操作をすることが非常に容易である、物事を単純化するという意味で。だから、僕は田原さんを基本的に支持していますけれども、田原さんは時々彼なりのシナリオに沿ってディスカッションをまとめていくというところがあります。それがひとつの大きな問題点であるかも知れません。
 第四番目に注意しなければいけないのは、プレイバックがきかないということです。新聞ですと、記事を何回も読み返して、これちょっとおかしいというように疑問を持つことができるんですけれども、テレビの場合は、よほどの場合でないと、録画しておいて後でということはない。その反面、与える印象が非常に強いものですから、これは注意しなければいけない。
 そういう点で、テレビ番組のなかで、この複雑な社会現象をうまく分かり易く説明している番組を一つおすすめしたいんです。是非ごらんいただきたいですが、日曜日の朝の8時からの「こどもニュース」ですが、これは、お年寄りから子供まで、今非常に隠れた人気番組になっています。不良債権問題もあれを見るとたちまちわかるということで、絶対に見ていただきたいと思います。

橋本 今の関連で、例えば恒久減税という意味を正しく理解している人は本当に少ないのです。そういうことにはっと気がついて、私の研究室で、6月に、恒久減税とはどういう意味か次の中から選んでくださいという調査をしました。その答として、@として、特別減税をこれからもずっと続けることである。Aは、本来のきちっとした恒久減税の意味を書いて、B わからない、と書いて選択してもらいました。一番多かったのは、わからないというもので、4割強ありました。3割は特別減税がこれからも続くことだという答でした。これが恒久減税だと思っているのです。続いてやっと正しい理解がでてきました(選挙後の調査で、同様の質問結果はかなり正解度が高くなった)。
 国民の非常に多数の方は恒久減税の意味がわからない。ましてや、恒久的減税と恒久減税の差などわかるはずがない。ですから、それで自民党が負けたなどと解説するセンスはどういう神経かと疑いたくなります。ですから、そういうことで、まさにプレイバックできないということの強さと弱さが併存しているんですね。ですから、今回テレビの影響というよりもメディアの影響は、だんだん有権者の選択基準から比重が低くなってきたと考えています。これも90年代以降の新しい民意の表現の特徴なんです。意外と自分の肌感覚、皮膚感覚で判断しているのです。

質問8 今回の投票率上昇の原因はなにか? 投票率上昇は一過性のものと考えていいのか。

橋本 きょうの私の話に回答が出ていたと思うのですけれども、もう一度おこたえさせていただくと、確かに投票にいきましょうというキャンペーンは、食欲のない時の梅干のような役割をしたけれども、これはもっと根本的に現代の有権者に、これ以上我慢できないというような気分が蔓延してきたことが大きいと思います。初めて人間が人間らしく行為を行う、選択をする、ということがどういうことか、一般大衆の人ほどわかってきたのです。
 あまりにも利害関係ばかりに目を奪われていると、今回の自民党はまだいいほうなのですけれども、政党の没落という究極の姿がでてくる。今回の新しい特徴のひとつは無所属立候補者で、選挙区で票数が21%を占めている。自民党に次ぐ第2位なのです。今までは、相乗りはけしからんということで、今までの民意では相乗りの候補者は票を稼げなかったのです。マスコミ、メディアがだれも指摘していないのですが、これが1000万票を遙かに超える票をとったということは、今度もたとえ小選挙区といえども、その意味するところは大きいと思います。

草野 もう我慢できないという一般有権者の声が強くて、投票率がアップしたというお話なのですけれども、それをなぜ専門家あるいは大手のメディアが15%弱のアップを予想できなかったのか。例えば熊本の補選が最後だったと思いますが、補選がいくつかあって、全部投票率が低かった。全部自民党が勝った。こういうようなことを前提にして、今回の参議院選挙を予測したのでしょうけれども、それが1週間ほどでがらっと変わってしまった。非常に短期間で、最後の3日間位で投票行動を決める、政党支持を決めるということはわかったのですけれども、投票に行くかどうかということを決めるのもやっぱり1週間位前ということになると、その投票の1週間前になにがあったのかということになると、もう我慢できないということが投票の1週間前に急に起きたわけではないと思うんです。15%アップというのはなんなのか。どれも説得力をもって説明していないのではないかと思う。ある人は、自民党のテレビメディアを使ったキャンペーンが一見良さそうで、きわめてマイナスであった。プラス指向といっているのはなにさまのつもりだ、という印象を与えたという説明をしていた人がいます。私は何となく、それが説得力を持っているような気がするんですが。

橋本 私もそういう広報の失敗が大きかったと思います。なにがプラス指向ですか!しかし、ご指摘されるような大幅アップの原因の第一が自民党のキャンペーンであるというのは賛成できません。また、私の今日の説明ではまだ説得力がないというのは、私の説明の内容が説得力をもっていないのではなくて、私の説明の仕方が説得的でなかったということでしょう。
 6月末に調査をするまでは、実は私も投票率は前回より低いものだと思っていました。ところが、3年前の調査よりも非常に高くなるとの結果になったのです。前回に比べて10ポイント上がるぞ、これはおかしいなと思いました。
 時々、世論調査をやっていると、コンピュータがまちがっているのではないかと思うことがいろいろあります。例えばこの春先、あなたは楽観的ですか、悲観的ですかと聞いた調査があります。いろいろと政治のこと、経済のこと、将来のことを聞きますと、悲観論者が国民の8割近くを占めています。ところがあなた個人についてどう思いますかということを聞きますと、自分のことについては7割は楽観的なのです。非常に不思議なんです。これは逆じゃないかと思ってチェックし直したのですが、本当だったのです。あるテレビメディアが、私のいっていることを確認しようとしてやったのですが、ほとんど同じ結果が出ました。ここに今の日本人についての非常に重要な問題点が隠されています。楽観的と思っている人の方が、実は投票に行っているのです。悲観的な人は投票には行っていないのです。
 同じように、必ず投票に行くという人がどれぐらい投票に行くか。それから、その時になってみないとわからないという人が、実は解明が非常に難しいんです。必ず投票にいくというのがだいたい50%台、うちの調査で52〜3%です。この人たちがすべて100%投票に行くとは限らないのですね。これは、メディアで最大公約数をとると52〜3%になったみたいですけれども、問題はその時になってみないとわからないという人たちです。私のいう、即時的、即場的という観念のなかで、時間がだんだん近づいていく中で、その時、その場で決める人を絶対軽蔑すべきでないということを私は考えています。これからも、そういうような合理選択がでてくる傾向は変わらない。したがって投票率は一応底を打ったと考えています。したがって、投票率アップの最大の理由は日本人の行動パターンが根本から大きく変質しつつあることです。このことを理解できるようになるには、次の総選挙を待つよりないと考えます。

質問9 今回の参議院選挙の結果は利益誘導型の政治が国民主権者に支持されなくなったということの現れと考える。したがって、利益誘導をその基盤としてきた自民党は余程の大変革をしない限り、その存在が困難になってくると思われる。そこで55年体制が完全に終焉すると考えれば、民意はどのような政党再編を望んでいると考えるか?

橋本 簡単にいえば利益誘導型の行き詰まり、利権政治の行き詰まりというものの認識が、自民党がどこまでできるかということです。ゼネコンがこれだけ不況になって、ゼネコンに頼っては選挙はできない。あるいは郵政改革も公社化の方向に歩んだ以上、後戻り出来ず、やがて民営化せざるを得ないのだと私は考えます。これを民主党が取って代わって本気で実行出来れば、政権交代型の政党システムができていくと思います。
 ですから、民意がどのような政党を最後に望んでいるかというと、それはもちろん政権交代型ですけれども、実は交代型の民意関係にまだなっていないということは、選挙民がうすうす感づいています。今、私はこれを民意の「配分型体系」といっています。「交代型の体系」になるには、自民党がもう一回分裂し、民主党もどうなるかわかりませんけれども、まだ少し時間がかかる。しかし、折り返し点を今回踏んだことは確かだろうと思います。