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シリーズ討論

構造的不況脱出の道

東京大学教授 神野 直彦
国民会議ニュース1998年8・9月号所収
NOTE:ここにご紹介するのは、さる8月10日に開かれた連邦制研究会(座長 恒松 制治代表)における神野教授の冒頭報告を事務局でまとめたものです。1980年代からの政策が基本的に間違っており、その延長線上の今の減税政策は効果はないとの指摘には、おおいに傾聴すべきものがあります。ニュースに研究会での報告を載せることはあまりありませんでしたが、あえて教授のお許しを得て掲載することといたしました。なお、研究会では、具体的な提案である自治体による現物給付とそれを支える税制のあり方について議論を行いましたが、この問題については、また改めて取り上げることにしたいと考えております。


有了納税人的貢献 才有祖国的輝煌
1980年代からの政策の誤り
アメリカの真似では問題は解決しない
日本は覇権国ではない
新たなセイフティネットの張り替えこそが構造問題の解決策
地方政府による現物給付
ワークフェア原理による比例所得税の導入



【神野教授 報告要旨】

有了納税人的貢献 才有祖国的輝煌
 私がやっているような古い財政学から見て、今の減税論がどのように見えるかということを中心に、租税と財政についての私の考え方をお話させていただきます。
 ここに掲げた中国語の言葉は、先日訪れたウイグル自治区でこれが張り巡らされているのを見たのですが、この意味は「納税者の貢献があればこそ、祖国の輝きがある」という意味です。そのほかにもいろいろ「中国の租税は人民よりこれを取りて、人民にこれを用いる」というのもあります。今、朱鎔基首相が行政改革ということで、仕事は地方に押しつけながら、財源のほうは地方に与えないということをやっていますが、これに対してウイグル政府は激怒して、「小馬拉大車」、つまり大きな車を小さな馬に牽けというようなものだと反論しているわけです。仕事ばかり増やして・・・というようなことでして、日本と同じような状態がおきているわけです。

1980年代からの政策の誤り
 私の基本的認識は、日本では1980年代から政策を完全に間違えているというものです。
 順を追って申し上げますと、市場の働きを活かすためにはセーフティネットが必要です。「市場でやるべき領域」と「協力でやるべき領域」を組合せるといいかえてもいいですし、市場をセーフティネットで守るといってもいいのですが、いずれにせよ、セーフティネットをきちっと作っておかなければ、市場は働かないと考えています。
 1980年代に至るまで、先進諸国は、主として市場の外側で貨幣給付を行なうというセーフティネットを張ることによって、戦後のコンセンサスを作り上げ、動かしてきました。しかし、市場の外側で貨幣給付をする場合には、所得再分配をしなければなりませんが、その所得再分配をするためには資本をコントロールできないとだめなのです。したがって、資本が自由に動いてしまいますと、コントロール出来ませんし、所得再配分も出来なくなります。
 財政学の方で地方政府には所得再分配機能はないといっているのは、地方とはオープンシステムの政府で国境を管理しておらず、資本は自由に出入りしてしまいますから、所得再分配の機能はないというわけです。所得再分配をやろうとすると、貧しい人たちがワッと入り込んできて、豊かな人々が外へ出ていってしまう。その外へ出ていってしまう豊かな人々の後をまた貧しい人々が追っかけていく。これを追跡効果というのですが、こういったことのために、所得再分配が出来なくなってしまう。
 こうした各国の所得再配分の前提となっていたのが、ブレトンウッズ体制だったのです。しかし、このブレトンウッズ体制が1970年代に崩れて、金融自由化、ユーローダラーなど自由な資本の動きというものが1980年代頃から現実に見られるようになってきました。こうして、いわゆる市場のボーダレス化とかグローバル化とかいわれているような現象が起きてきたために、中央政府というか国民国家が張っていたセーフティネットが機能しなくなってしまいました。
 こうしたなかで、政府としてやるべきことは、新たなセーフティネットを張り替えることだったと私は考えているのですが、現実に行なわれたことは、セーフティネットを張り替えるのではなく、市場の領域をますます広げることが経済を活性化し発展させると考えたのです。こうした政策を採ったことが基本的な間違いであった、というのが私の考え方です。

アメリカの真似では問題は解決しない
 問題なのは、セーフティネットが張られていないから人々は不安になる。したがって、人々は貯蓄をするという現象が起きるということです。
 現在行われようとしている減税政策、(まだ詳しく見えていないのですが、一応定率減税をするということなのでしょうが、)この減税政策のヒントは、1981年のレーガンの経済再建法だったと思うのです。定率減税をやり、キャピタルゲイン課税を低めて経済を活性化させるというものです。レーガンの財政再建法を模範にして減税をして、そうすれば経済が活況化するであろうということが、多分、今回の減税政策の背景だろうと思うのです。
 ここで考えなければいけないのは、1981年のアメリカはどういう時代だったかというと、消費漬けの時代だったのです。もう消費が多すぎて貯蓄が少なくて困ったという社会で、どうにかして貯蓄を増やそうとした減税政策だったのです。ですから、定率減税でもよかった。定率減税というのは高額所得者には有利に働き、貯蓄性向の高い人々には大きく減税され、低額所得者にはあまり減税がないということになります。定額減税とは全く違うわけで、このやり方をとろうとしているのは、おそらくアメリカでこのやり方をやったからだと思うのです。
 しかし、今の日本は状況が全く違うのです。貯蓄が多すぎて困っていて、どうにか貯蓄を減らして消費を増やして経済を活性化しようという時に、アメリカみたいなやり方をやっては全く逆になる。つまりアメリカはとにかく消費を減らすことが先決であった。アメリカは、当時、付加価値税の導入を検討したり(これは結局流れてしまうのですけれども)、消費課税をやることによって消費を抑制し、そして貯蓄を増やす政策をとった。ところが、日本が今やらなくではいけないのは、貯蓄を減らして消費を増やす政策です。ここが、完全にやり間違えているのではないかと思うのです。
 もしも今のままここで減税をすると、先ほどいいましたようにセーフティネットが日本の場合は1980年代で崩れているんです。ひとつは企業福祉・終身雇用という体制が不安定になってくる。それから、もうひとつは変な意味での地域福祉、つまり公共事業を中心として地方に仕事と資金を回すことによって、農民とか中小企業者を保護して高度成長の果実を向こうに回すという仕組み。このふたつのセーフティネットが崩れたわけです。これが崩れて、人々が不安になっているわけですから、減税をしてもらっても将来の不安があるために、それを消費には回さない。つまり、新たなセーフティネットが張り替えられていないわけですから、今のようなやり方では消費に回さないだろうと思います。

日本は覇権国ではない
 それから、もうひとつ重要な点は、その結果アメリカはどうなったのかといいますと、これはみなさんがご存じのとおり、財政赤字がものすごく増え、国際収支がものすごい赤字になってしまった。双子の赤字が激化したというのが、この経済再建法に基づく減税をやった成果なのです。ところが、アメリカがそれをどうにか持ちこたえた。今、アメリカの経済は活況ですが、この経済の活況と同時にアメリカの国際収支はものすごい赤字になっているわけです。ものすごい赤字になって、本来ならばそれでは保たないのになぜそれが可能かというと、アメリカはやっぱり外貨を輪転機で刷ることが出来る国家だからなのです。1981年の経済再建法の失敗を耐えられたのはなぜかというと、やっぱりドルを刷ることができたということによって、二つの赤字をどうにか持ちこたえることができたのです。ところが日本にはそうした力はないということです。
 ですから、日本はアメリカとは覇権国であるということを過少評価して、アメリカのまねをしようとしているのではないかと危惧される訳です。同じような政策をやったというふうにいわれているイギリスでは、一応税率は下げましたけれども、一方では課税ベースを広げて税収中立にしていますから、決して減税をしたわけではないのです。イギリスの場合には課税ベースを大きくして、イギリスも貯蓄不足に悩んでいましたので、貯蓄に向かうような減税にシフトさせて税収は中立的にするという政策をとったのです。したがって、イギリスはものすごく付加価値税の税率をあげたのです。ここがアメリカと全く違うということであります。

新たなセイフティネットの張り替えこそが構造問題の解決策
 現在の不況からの脱出のために減税政策を打つということの背景には、いまの不況が構造的な不況だということを理解していないことがあるのではないか。非常に短期的なインセンティブを与えることによって、景気からの回復を一生懸命図ろうとしている。しかし、問題は構造的なものですから、構造的な問題とはなにかを解き明かさない限りだめだということです。不況を構造的にしているものはなにかという議論がされていない。
 間違っているかもしれませんが、私どもは、構造的というのはセーフティネットの張り替えが行われていないことであると考えています。セーフティネットを張り替えればきちっとした構造が出来上がると思います。まだ、ほかの説明があるのかもしれませんが、ほかの説明をするのであれば、構造的な問題に対して応えなければだめで、いずれにせよ、短期的なインセンティブをやってもだめなのではないかと思います。
 いままでいったことの繰り返しになりますけれども、私たちは「構造的な不況」という場合の「構造的な問題」というのは、セーフティネットの張り替えが行われていないからだと考えます。張り替えが行われていないために、将来に対する不安が解消されないでいる。将来に対する不安が解消されないまま減税をしても、これでは景気は回復しない。しかし、財政赤字はひどくなる。財政赤字がひどくなれば、またさまざまな公共サービスをダウンサイジングしなければならなくなる。そうすると、セーフティネットみたいなものがますます見えてきませんから、将来が不安になってますます財布を締める。締めればますますダウンサイジングしなければならなくなるという悪循環に陥るだけだと思います。

地方政府による現物給付
 そこで、我々が考えているセーフティネットとはなにかということになります。これまでのセーフティネットは、租税と現金給付によるセーフティネットでした。1980年代になるまではそうだったのですが、これを現物給付によるセーフティネットに張り替えるという作業を行うべきであると考えます。ところが、現物給付によるセーフティネットを張れるのは地方政府だけであり、地方政府が、家族とかコミュニティとかいうインフォーマル・セクターやNPOとかNGOとかいうボランタリー・セクターを活用しながら、市場がもたらす不安定性とリスクを人々がシェアしあうシステムをつくっていくということが、私の分権論の位置づけであり、それが構造的な不況を乗り越え、新しいシステムを作ることに結びつくわけです。
 つまり、単純にいいかえますと、アメリカが押しつけてくるというわけではありませんけれども、市場がもたらす不安定性やリスク、これをシェアしあうシステムは必ず必要で、それがないと市場は機能しないのです。しかし、それをシェアしあうシステムとしてのセーフティネットの張り替えが出来ていない。これをやらない限りは構造的な不況からの脱出もあり得ない。それが私どもの考える分権の意義であり、現在の減税政策もこういう観点から見ると間違いだということになります。

ワークフェア原理による比例所得税の導入
 あとは、政策提言にはいるわけですが、我々が考えているセーフティネットとは、ワークフェア原理に基づく地方税としての比例所得税の導入です。
 ワークフェアというのは、通常、カナダのボードウェイ(R.Boadway)などが使う時には、失業給付をお金でやらないで労働(例えば介護労働)してもらって、介護労働してもらったら切符をその人に渡す。その切符を郵便局にもっていくと郵便局が支払ってくれる。これをワークフェアといい、こういうシステムをつくろうという動きがでているのですが、それにちょっとヒントを得ております。もともとのワークフェアというのは労務提供という意味ですから、人々がお互いに共同作業や相互扶助の労働を提供するかわりに地方税を支払うというかたちで納税をすればいいのではないか。そうすれば、地方税というのは比例税率でいい。つまり、所得再分配ではなくて、地域社会のセーフティネットを張るために、1ヵ月間だったら1ヵ月間労働してもらう。介護とか広い意味での養老とか育児とかのために1ヵ月間だけ働いてもらう。1ヵ月働いてもらうために1ヵ月分の所得をあきらめてもらうわけですから、その代わりとして支払う税は、比例税の所得税でかまわないはずです。そういう比例的な所得税をみんなで出し合って、それによって人々が相互に助け合うセーフティネットを張ればいいのではないか、というごく単純な議論であります。
 ただ、日本の場合は、地方はオープンシステムの政府ですから、所得を分配してもらったひとのいるところだけで、いまの住民税のような形で比例税をとると、東京のように昼間人口だけしかいないようなところでは全然税収があがらない。したがって、所得が発生した地点、発生した所得を分配された地点、さらにはそれを支出した地点のいずれにおいても比例的な税金をかける。つまり、所得循環の三面等価の三つの局面のすべてに比例的な税金をかければ、あとで、昼間人口、夜間人口を考慮して分配し合う必要はなくなるわけです。
 簡単にいってしまえば所得型の付加価値税みたいに、支払い賃金と支払い利潤に税金をかける。利潤、賃金を受け取った時点でも比例的な税金をかける。支出した時点でも比例的な税金をかければ、例えば湯沢町みたいな支出活動しかおこなわれていないのだけれども、消防車は高いのが必要だというようなところの一応の需要もまかなえるはずである。これがこれからの分権的な税制の姿で、そういった税制を確立すれば、セーフティネットを張りうる基礎ができあがるのではないかというのが、私の考え方です。