シリーズ討論目次に戻る TOPに戻る 
シリーズ討論

これからの市民・企業・社会

キッコーマン株式会社社長 茂木友三郎
国民会議ニュース1998年7月号所収
NOTE:ここにご紹介するのは、さる5月29日に開催された市民立法機構第2回総会における茂木社長の基調講演です。


地方自治には草の根民主主義が不可欠
アメリカでの経験
町議会での経験
郡議会での経験
企業と社会
官主導の経済から民主導の経済へ
ルールと敗者復活の仕組みが大切



地方自治には草の根民主主義が不可欠
 現在、日本は転換期にあると言われていますが、これから日本が世界の一流国家として存続していくためには、また国民に幸せをもたらすためには、一体何が必要かを考えると、政治面では民主主義を根付かせること、経済面では市場主義経済を根付かせることだと考えています。
 まず、政治面で民主主義を根付かせるために必要なこととは、私は地方自治を育てることだと思います。私は、今から二十五年前、アメリカにキッコーマンの工場をつくる時に、担当の課長としてアメリカの地方自治に接する機会がありました。アメリカの中央政治と日本の中央政治を比較した場合、アメリカが特にいいという感じは私はあまりしていません。しかし、地方政治については、私は残念ながら、アメリカが日本よりも数段優れていると思います。なぜならば、そこに真の意味の地方自治があるからです。そして、その上に、民主主義というものが生き生きと活動しているという風に思うわけです。一方、日本はどうかと考えますと、何か地方に行きますと、そういっては悪いのですが、政治家の質について疑問を感じることが多いように思われます。
 アメリカには地方自治があり、それが日本よりもはるかにいいから、地方の政治が優れているということですが、しからば、地方自治とは一体どういうものだろうと考えてみると、私は地方分権プラス草の根民主主義ではないかと思っています。今、地方分権が盛んに議論されていますが、地方分権だけでは地方自治は成り立たない、生まれてこない。ただ中央の権限を地方に移しただけでは地方自治にはならないのであって、それプラス草の根民主主義がなければ駄目だと思います。
 それでは、草の根民主主義の基礎は何かといえば、やはり私は市民意識だと思います。別の表現をすれば、市民社会に対する人々の帰属意識ですが、そういう市民意識が草の根民主主義の基礎になっているのだろうと思います。

アメリカでの経験
 そこで、キッコーマンのアメリカの工場を作る際の私の経験についてお話させていただきます。私たちは、アメリカで醤油の販売をしています。そして幸いにも、醤油と肉との相性がいいということで、アメリカ人の間に醤油が普及しました。アメリカ人の多くが醤油の中に肉をひたして焼いて食べます。これをアメリカでは、テリヤキと言います。日本で照り焼きといえば、魚の照り焼きですが、アメリカのテリヤキは肉のテリヤキです。この肉のテリヤキで醤油の味を覚えたアメリカ人が、その他の料理にも醤油を使い始めたということで、アメリカ人を対象に商売をしているわけです。よく日本料理ブームで醤油が売れるのだろうと言われますが、事実はそうではなく、日本料理に使われている醤油は大した量ではありません。
 こうして、アメリカ人がアメリカ料理に醤油を使ってくれるという背景があって、私たちの醤油の販売が比較的順調に伸び、昭和四五年(1970年)ごろからアメリカに工場を作ろうという話が出てきました。そして、調査の結果、海上運賃がゼロになることが非常に得だということで、アメリカに工場をつくる方がいいだろうという結論になりました。醤油という商品は、値段が比較的安い割に重いため、売上に占める運賃の比率が高くなります。だから海上運賃がゼロになるということは非常に大きなメリットだったわけです。
 次に、アメリカの一体どこに工場をつくるのかということを検討し、最終的にはウィスコンシン州の南部に工場を作ろうということになりました。アメリカの中央にミシガン湖という湖があります。そのミシガン湖の南にあるのがシカゴで、ミシガン湖の西にあるのがミルウォーキーです。ミルウォーキーは、札幌・ミュンヘン・ミルウォーキーで有名なビールの産地です。そのミルウォーキーがある州がウィスコンシン州です。そのウィスコンシン州の南に、私たちの工場を作ろうということになりました。なぜウィスコンシンにしたかというと、全米に品物を運ぶのに便利だということです。それから醤油の原料というのは大豆・小麦ですが、この入手に比較的便利だということで、ウィスコンシン州が選ばれました。
 そこまでは順調だったのですが、いざ工場を作ろうというところで、現地で反対が起こってしまいました。最初は、私たちは日本の会社だから反対されたと思いました。また醤油が比較的アメリカでなじみが薄いので反対されたと思いましたが、事実は違っていました。私たちの工場の建設予定地は、農業地帯の真っ只中だったのです。よって、農業地にはいかなる工場の建設も認めないというのが、反対の理由でした。なぜいかなる工場も駄目かと言うと、要するに環境破壊が起こるからいかなる工場もだめだというわけです。さらに、工場が一つできると、次々に工場ができるに違いないから駄目だというわけです。もう一つの理由は、これは万国共通ですが、農地を手放したくないという農民の素朴な感情で、反対だというわけです。
 これは困ったということで、私たちは反対している人達を説得しようということになりました。私たちは、醤油の工場は公害がないということを重点的に訴えました。それから、私たち醤油の製造業は、大豆、小麦を使う農産業だという点です。よって、私たちが成長すれば、農家の皆さんにもプラスになり、農家の皆さんと共存共栄できるということを訴えました。この二つのポイントで説得を試みたわけです。最終的には地元の人は理解してくれて、決定権のある郡議会で投票され、一票だけの反対で採決されました。
 しかし、賛成多数で私たちの工場進出が認可になりましたが、この認可を得るまで二ヶ月半かかりました。その過程で、私はアメリカの地方自治に接する機会があったということです。

町議会での経験
 まず、私たちの工場進出を決定するのは郡議会ですが、工場ができる町にも町議会があり、その町議会に拒否権があるわけです。よって、郡議会で認可されてから一月以内に町議会が拒否権を発動しなければ自動的に進出が決定されるという仕組みになっていました。そこで、私は町議会から呼び出されて、出席しました。この町議会は、小さな町なので、助役の家で開会するわけです。さらに、小さな町なので立法と行政が分離しておらず、町長が町議会の議長を兼ねていました。そして町議会議員が二人いて、三人でモノを決めるわけです。三人で決めるということは、町議会議員が二人賛成すれば、それで決まり。二人が一対一になると町長が決めるという仕組みです。また、みんな仕事をもっているので、議会が開かれるのは夜の七時からです。この町議会の議員は全て時間給で、欠席すると給料はもらえません。こうして、夜の七時から十時まで議論をするわけです。私は、それまではアメリカ人は愛想が良くてニコニコしている人達だとばかり思っていましたが、とんでもありません。まじめな顔で三時間ずっと議論をし、私たちにもポンポンと質問がくるわけです。私は、弁護士と建設会社の人を連れて一緒に行きました。どのような質問が出てきたかといえば、まず「お前のところは何人人を雇い、地元では何人雇うのか」ときました。そして、「材料はどこから来るんだ」、「原料はどこから買うんだ」ときます。つまり、私たちが地場の経済を活性化するかどうかを聞いているわけです。それから「設備投資にいくらかかる」と質問されました。これは、何を聞いているかと思ったら、固定資産税がいくら入るかを聞いているわけです。それから「利益はいくらでるのか」ということですが、これは法人税がいくら入るかという計算の根拠になるわけです。それから「町の道路を工事期間中壊さないか」、「壊したらあんたのところで補償するか」というような質問もありました。こうした一連の質問に対して、私は答えていったわけです。また町議会の議員というのは、年輩の人達が多く英語がわかりにくいのです。私がよく聞き取れずに困っている時は、代わりに弁護士が答えるのですが、「お前に聞いているんじゃない、こっちに聞いているんだ」と。三時間大分しぼられましたが、これを私は聞いていて、採算計算して進出する我々と同様に、町も採算計算しているという感じがしました。要するに私たちが進出することが、町にとって得か損かというメリットデメリットをはじいているんだという感じを受けました。それから、公僕という言葉がありますが、彼らはまさに公僕だという感じがしました。特に、町長というのはアパートの管理人という感じがしました。要するに税金は管理費で、住民は店子だと。だから町長というアパートの管理人は、税金という管理費を店子である住民から集めて、その人達に如何に快適な生活を与えるかということを常に考えながら仕事をしているということを感じて、私は大したもんだなと感心したわけです。それが一つの経験です。

郡議会での経験
 それからもう一つの経験は、郡議会の公聴会に出た時のものです。郡議会の裁判所の一室で公聴会を開くのですが、それもやはり七時から十時です。それで郡の人たちが、三百人位集まりました。私たちが一番前の席に座って、交代で説明をするわけです。すると、今はそうでもありませんが、当時の彼らは日本人の顔など見たことなかったので、私の顔を子供が見に来るわけです。「なんだ、鼻も口もついているじゃないか」という感じです。そういうわけでジロジロ見られたりもしましたが、この公聴会は、郡議会の都市計画委員会が主催する公聴会です。それで、議長が賛成反対の質問を交互にうけていきました。最初に指名を受けたのは、農家の主婦でした。初めての様で、かなりあがっていましたが、「このまま農地に工場がどんどん作られていくと、われわれ農民はロッキー山脈のスロープを耕さなければいけなくなる」という話をしました。少し大袈裟だとも思いましたが、そういうことを農家の主婦が手をあげて堂々と発言するわけです。これは大したことだと思いました。それで今度は、それに対して反対の方はいませんかというと、手が挙がり、「あなたはおかしい。ロッキー山脈までいかなくて済むはずだ。大体アメリカには休耕地が沢山あることを知らないのか。一つや二つ工場が出来たって、休耕地を耕せば問題ないんだから、そんなあなたの取り越し苦労だ」という反対意見がでるわけです。今度はそれに対して反対意見はありませんかと議長がいうと、また手があがって、「そうは言っても、我々の生まれ育った環境は、大変すばらしい環境だ」と。確かに自然のきれいなところで、「この自然の環境を、我々はやはり孫子の代に伝えて行かなくてはならないから、工場ができるのには反対だ」という反対意見が出るわけです。そうすると別の人から、賛成意見が出るわけです。アメリカのウィスコンシン州などではアメリカが農業国家だと思っている人もいますから、「そんなことを言ったって、我々の国は工業化が必然なんだ」というわけです。「もし、工業化が必然ならば、キッコーマンの工場は、聞くところによると、大豆、小麦を使うそうじゃないか。我々と仲間なんだから、それはいいじゃないか」という賛成意見が出てくるわけです。いずれにしても、そういうやりとりが三時間続けられて、時々私たちが説明を加えるという感じでした。私がちょうど、終戦の時に小学校五年生で、民主主義教育を受けたわけですが、一連のやりとりを見ていて、これこそが、私が小学校の五、六年、あるいは中学校の一、二年で習った民主主義のルールだと感じました。どういうことかというと、自分の考えを堂々と言い、人が意見を言っている時は黙って聞く。聞いておかしいと思ったら、また自分の意見を言う。そういうことを繰返しながら、最終的には、少数意見は尊重しながら、多数決でものを決める。決まったことについては、ガタガタ言わないで従うというのが民主主義のルールです。それがまさに生きているという印象を強く受けました。こうした地方分権プラス草の根民主主義、つまり地方自治がアメリカの民主主義の安定感を増しているのだろうと思っています。それが、結局アメリカの安定性というものを作り上げているのではないでしょうか。

企業と社会
 次に、アメリカでの企業と社会の関係ですが、企業というものが社会の一員であるということは当たり前のことです。むしろ、私の印象では、それよりも一歩進んで、企業が社会の一員でしかないという、要するにワンオブザメンバーだと。それ以上のものではないという意識がアメリカには強いという感じがしました。だから、私は企業が存続するためには、やはり良き企業市民にならなくてはいけないのだと思います。言いかえれば、その社会と共存共栄していかなくてはいけない。このことを、このアメリカの地方自治に接することで強く感じました。それでは、社会と共存共栄していくためには、どうしたらいいか。私は、具体的には経営の現地化をするのが一番だろうと思います。そこで、今、キッコーマンでは"経営の現地化"を、現地工場の経営の柱にしています。
 具体的には、できるだけ地場の企業と取り引きするということです。条件が違えば別ですが、条件が合えば、できるだけアメリカの企業と取り引きする。しかも、地元に近い企業と取り引きをしようというのが第一のポリシーです。第二のポリシーは、これはできるだけ現地の人を多く採用して登用しようということです。第三のポリシーは、できるだけ現地に溶け込もうということで、日本人駐在員をできるだけ分散して住まわせるということをしています。第四のポリシーは、できるだけ現地の活動に参画しようということで、私自身もウィスコンシン州の名誉大使をしています。要するに経営の現地化をして、現地の社会と共存共栄しようということを今やっています。
 こうしたことに気づいたのは、工場建設の反対を説得し地域社会と接触する過程で、企業が長期的に存続するためには、どうしてもやはり社会との共存共栄を図らなくてはいけないということを、つくづく感じたという結果であります。

官主導の経済から民主導の経済へ
 次に、経済面で市場経済を根付かせるにはどうしたらよいかということです。今までの日本の経済システムが官主導の経済だったということは、皆さんもご承知の通りです。要するに役所が資源の配分を司る社会です。このやり方は、日本が欧米にキャッチアップしようとする時代には、うまく作動しました。なぜなら欧米に追いつくという大きな目的があったからです。欧米にどうやって追いつくかを優秀な官僚たちが考えて、資源の配分を司りました。その結果、日本に高度経済成長がもたらされ、日本は欧米に追いつき、フロントランナーの一員になりました。しかし、キャッチアップの時代が終わり経済が成熟化すると、官主導の仕組みがうまくいかなくなりました。なぜならば、いくら官僚に優秀な人たちを集めても、大きな目標がないために、どうやって資源の配分をするか決める物差しがないわけです。そうすると色々な問題も出てきます。目標がないので、資源の配分が恣意的にならざるをえないからです。それでは、どうするかということですが、やはり官主導の経済から民主導の経済に移すということだと思います。
 民主導の経済とは一体どういう経済かというと、言いかえれば、市場のメカニズムを通して資源の配分がなされるということです。別の表現をすれば、市場における自由な競争を通じて、資源の配分がなされる経済です。これから二十一世紀にむかって、こうした民主導の経済、市場主義経済に日本の経済システムを変えなければなりません。しからば、この市場主義経済に変えるためには何が必要なのかということですが、規制の緩和撤廃がまず必要だと思います。規制があるということは、自由な経済活動を阻害することになります。規制の緩和撤廃をすることによって、自由な経済社会ができるわけです。

ルールと敗者復活の仕組みが大切
 しかし、自由だけを追求すると、やはり我侭な人、勝手な人もが出てきて、世の中が混乱する危険性がある。だから自由を追求するだけでは不十分で、何かみんなが勝手なことをやらない、あるいはわがままを言わないような仕組みを考えた上で自由にすることが必要になってくるわけです。それは何かといえば、一つはルールです。これはスポーツと同じで、ルールがなければ試合になりません。だからルールをつくる。それからルールをつくっただけではなくて、ルール違反があるかどうかをチェックする機構もつくる。さらに、市場の自由な競争を通じて、資源の配分がなされるので、市場が判断を下すことになります。そのためにも、市場が判断を下せるような情報開示をしっかりするということです。さらに、自由な競争経済ということになりますと、勝者と敗者が分かれます。そこで、敗者がそれっきりになると不満が世の中に充満して困るので、敗者ももう一度トライできる敗者復活の仕組みをつくる必要があります。こうした一連の仕組みをつくりながら、自由な競争経済をつくっていくことが大切であり、これこそが市場主義経済を根付かせるということになるのだろうと思います。
 政治と経済の話は普通二時間ぐらいの話になるところを、今日は三十分でやったわけですから言い足りない点が多々ありますが、お許しを頂戴したいと思います。ご清聴いただきありがとうございました。