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シリーズ討論

これからの行革の課題と戦略

自由民主党行政改革推進本部事務局長
衆議院議員  柳沢 伯夫
国民会議ニュース1998年7月号所収
NOTE:以下にご紹介するのは、6月24日の第18回定時総会における柳沢事務局長(当時)の講演記録です。この講演の1ヵ月後には橋本内閣は退陣し、また、柳沢議員は新内閣のもとで国土庁長官に就任されました。そうなりますと、ここに披瀝された考え方が、自民党の行革推進本部にちゃんと継承されていくのかどうかが気がかりです。


T 行革の現状と今後への手掛かり
 1 我々はなにをしているのか
 2 基本法だけでは不十分
U 公約で補強したこと
 1 公約は霞ヶ関向けの武器
 2 全体の組立
 A 行政手法の転換
 B 縦の減量化
  @ 民への委譲
  A 地方分権
  B 政治主導の確立
 C 横の大括り化
 D 公務員制度改革
V 今後に必要なこと
質疑応答



これからの行革の方向と進め方について、私どもの考え方を説明する機会を与えていただきまして、心から感謝しております。これを契機として、今後私どもに対する応援もしていただければ、とお願いしておきます。

T 行革の現状と今後への手掛かり
1 我々はなにをしているのか
 これからの行革を考えるにあたりまして、まず、我々はなにをしているのかをしっかり把握しておかなければならないと思います。国会の審議における答弁などを聞いておりますと、練達の先輩議員ですからわざとあいまいにしているのかもしれませんが、ひょっとしてご自分の頭の中が整理されていないのではないかと心配になるときがあります。それはともかくとして、我々は行革の名のもとでいったい何をしているのでしょうか、これをもう一度確認しておきたいと思います。

政治・市場の復権
 一つは、政治と共同体と市場という3つのセクターの中で、まず市場、それから政治の本来あるべき力を回復したいということです。この共同体と市場というのは、西部邁氏が今月の『発言者』の中でこういう区分けをしております。また、アメリカの著名なノーベル経済学者ロナルド・コースも同じように共同体と市場で世の中が動くと言っております。そのコンセプトを借りて、あえて言えば、政治と共同体と市場の役割分担について、この問題は共同体の仕組みで解決すべきだ、この課題は市場のメカニズムで対応すべきだと振り分けをしていくのが政治だと捉えていいと思います。そういう意味で、今までの言葉でいえば政官業だと思いますけども、その三つの中で政治と市場の力が弱い。行革とは、その二つが本来もつべき力を回復させることであるということです。

システムの転換が眼目
 したがいまして、行革の眼目はシステムの転換が第一です。量的なスリム化、例えば小さな政府ということをいう人が多いのですが、小さな政府というのは結果がそうなればいいということで、ある局面ではそうなるかもしれませんし、ある局面ではならないかもしれない。たとえば行政を事前統制から事後チェックに転換するといった時に、ものすごいマンパワーが事後的なチェックのために必要になってくるわけであります。そういう意味で、この小さな政府というのが、公務員の数を減らすというような単純なことであるならば、これは、そういうことも結果としてあるかもしれないという程度のことだととらえるべきだと思います。あえて言えば、野党が公務員の数がいくら減るんだという議論をしかけてきますが、これは今回の行革の趣旨をまったく理解していないものの言い分だと言わざるをえないと思います。

中央官僚支配システムの破壊
 そこでいま我々がやろうとしている行革の狙いを、激しい言葉をいとわず言いますと中央官僚支配システムの破壊ということになります。私自身、そこに身を置いたものとして、この中央官僚の支配あるいは統制のシステムをぶち壊すというのは、身を切られるような話です。だから、霞ヶ関の役人がいっぱいいるところではこういうことは言い切れないですね。しかし、現実にはなんとしてもこの中央官僚システムをぶち壊さないかぎり、さきほど言った、政治と市場の復権のためのシステムの転換は実現されないということです。

2つの奇襲作戦と2つの常套作戦
 今回の行革の特徴は、奇襲作戦をとったということが言えるのではないかと思います。これは役人の側からすると、おっと驚くような局面からの攻撃でして、これには二つあります。一つは省庁再編ということ、もう一つは政策の立案と実施の分離ということです。これは彼らからすれば、やや予想外の方向からの攻撃ではないかと思います。このうち省庁再編は官邸が主導し、政策の立案と実施の分離は党が担当しております。
 それからもう一つのカテゴリーは、二つの常套作戦ということですが、これは規制緩和と地方分権ということが同時に取り上げられたわけです。
ところで、このたび中央省庁改革の基本法が成立しましたが、この基本法にこれらの改革の方向が書かれ、一応網がかかったものですから、みんな気持ちの上ではあらかた問題が片付いたような気分にもなり、また、ちょっと厭戦気分にかかっているというのが現状です。

2 基本法だけでは不十分
 しかし、政府の中で特に実務をやっている連中から、この基本法だけでは武器として十分ではないという鋭い注意が私どもにありました。そこで一体どうしたらいいのかということを考えたわけですが、残念ながらもう一回霞ヶ関に対して戦端を開くきっかけがない。唯一あったのが、今回の参議院選挙の公約です。これが唯一、もう一度、ひょっとして戦端を開くきっかけになるかと思いまして、公約で少し踏み込んでみることを考えたわけです。

公約による補強
 公約による補強が成功したかというと、かなり成功した部分もあるし、戦い空しく敗れかかっているという面もあります。これは後で申します。
自民党の公約は、霞ヶ関との関係では、あそこに書かれるとやられちゃうぞということで、最近では昔のようにいい加減には扱われなくなりました。私も、昔、公約をチェックする立場にいたわけです。大蔵省主税局で仕事をしていましたので、税金関係の公約には逐一目を通して、こう直してもらいたいと言って、なるべく抽象化してもらったという経験があります。しかし、仮に少々のことが書かれてあっても、それが直接霞ヶ関への攻撃の武器として使われることはまずないということは暗黙の前提でした。公約はそれほどシリアスな問題ではありませんでした。ところが、このごろは霞ヶ関も公約にこう書いてあるとぐいぐい押されるということが度重なっているので、かなり公約に対しては真剣な取り組みをするようになっております。このことはちょっと留意しておくべきことだと思います。
 ただし、本当にこれでもって戦えるかというと、わが行革サイドとしてはもう少し力のあるきっかけをつかみたいと思っております。しかし、ともかくここまでつかんだのだということをご理解いただきたいと思います。

推進体制
 そこで問題は、この公約でかなりのものを書いたということを皆さんにお認めいただいたとして、最終的にはこれをどうやって推進していくのだということになります。もう政府側はすでに体制を作ったようですが、これについては、私ども意見無きにしもあらずです。行革される側の人が入っていたりして問題が多いとは思います。しかし、それはそれとして、向こうは作ったということです。では、党は一体どうするのか。次の内閣改造とか党人事のリシャッフルがあった時に、どういう人材をこれに配するのかが、今後の非常に大きな問題だと思います。

U 公約で補強したこと
1 公約は霞ヶ関向けの武器
 さきほどから申し上げているように、今回の参議院選挙における自民党公約の中の行革の箇所は非常に風変わりな公約です。それははじめから国民向けの表現でないからです。党内での公約の審議の時に、「何だ。これでは国民向けにわからないではないか。」といわれたのですが、私は最後までこれを押しとおしまして、「確かにそうです。もう少し短いパンフレットをつくる時には、表現を直させていただきます。」というなことで、実は霞ヶ関向けのものだということを一切伏せて、これを通しました。
 本当のことをいえば、国民は誰も公約そのものは見てはいません。これを見ているのは霞ヶ関の人たちだけです。実に不思議なのですが、霞ヶ関の連中だけが見て、国民は全然見ない。マスコミの連中もこんな長いものは見ません。レジメを寄こせと言って各党の比較をやっている程度で、見ている人は誰もいません。見ているのは霞ヶ関なんです。ですから、私は、始めからこれは国民への公約でなくてよい、それはそれぞれが自民党らしく勝手な熱弁をふるっていればいい、公約はすべからく霞ヶ関向けの武器になるものだと割り切って書きました。ですから、体裁も文言も、それから中身の詳細さ、具体性もまったく他の章とはトーンが違うものになっています。

2 全体の組立
 そこで、全体の組み立てですが、第一は行政手法の転換です。さすがに、官僚支配の破壊とは書けませんので、なんと書くかということで苦労したのですが、あまり端的な表現ではありませんが、行政手法の転換ということにして、官僚支配の放棄を迫るということにしました。二番目が、縦の減量化。ここは何を言っているかわからないと怒られたところですが、これは我々と霞ヶ関との間ではわかる枠組みがすでにできあがっております。第三が横の大括り化。これは、皆さん容易に想像がつくと思いますが、橋本総理が提唱された省庁再編です。
 われわれは、中央官僚支配の破壊の手法として、縦で分断していこうというイメージをもっております。民への権限の委譲と地方分権は当然ですが、もう一つ、政策立案と実施の分離によって政治が官僚の権限を取り上げるというのも、縦のイメージで捉えられるのではないかということで、縦の減量化というタイトルにしました。
 最後に第四として公務員制度の改革。こんなものには当面、私はほとんど興味がないところです。政策立案と実施を分離すれば公務員制度は根本的に変えざるをえないからです。そこでここは差し障りのない範囲で書いておこうということで書いたということです。

A 行政手法の転換
ルールなどの明確化
 まず、行政手法の転換としては、要するにルールの明確化、裁量の極小化、アフェクションの禁止などいろいろあるわけです。
霞ヶ関の支配がどうして可能だったかというと、要するに中央省庁には無定量の権限があるとされて、何でもできてしまうからです。行政による処分が行われたときに、その処分に対して民間の元気がいい人がその処分は不当だというと、他のところで仇をうたれるわけです。江戸の仇を長崎で討たれるから困りますということをよく言われました。
 現在は、そういうようなことが容易にできるように、いろいろなことで広い裁量が認められています。これを改め、ルールを明確にし、裁量を極小化するということを公約に盛り込んでおります。
 それからアフェクションというのも同じようなことです。Aのことでは便宜を図ってもらったとするとBのことでは我慢をさせられるといった、およそ法治国家にあるまじき、つまり属人的に処分の加減を決めてしまうということで、こんなことは絶対にあってはならないわけです。これを禁止するということです。

実施業務の客観化・自律化
 それから、「政策立案と実施の分離」のもとで実施業務の客観化をします。つまり、政策立案の部局と実施の部局が離れた組織になると非常に業務は客観化するわけです。特に私が考えているように、本省は政策立案しか行わず、国民に対する働きかけをするのは実施官庁を通じてのみ。実施官庁の長官がどういう権限を持つかは政策立案当局からの明確な指示がない限り一切できないという客観的なルールの下におかれたら、裁量による処分はあったとしても極小化されると思います。そういうことで、この「政策立案と実施の分離」は、行政を客観化、透明化することのためには非常に大きな力を発揮するだろうと考えています。
 それと同時に、英国ではサッチャーさんが行政事務、つまり我々のいう実施事務ですが、これは何も役所がする必要がないのではないかという非常に激しい議論をされました。要するに、全部民間企業的な手法でかまわないのではないか、やれるのではないかということです。あの人の頭の中では民間企業の経営手法は善であり、官僚的な行政手法は悪であるという前提があったようで、われわれは必ずしもそうは思いませんので、それを全部習おうとは思いません。しかし、実施庁の長官は、自律的に、いかに効果的かつ安い経費で仕事をするかを考えるというやり方は取り入れたい。たとえば刑務所も向こうではエージェンシー(=独立行政法人)になっていますが、やはり脱獄の件数はめっきり減ったそうです。それは、脱獄なんかされたら長官がすぐにクビになってしまうからです。
 したがって、非常に明確な範囲の権限というか目的の中で効率をあげてくださいとなれば、これが可能になる。また自律的にいろいろな手段について考えてもらうことができるようになる。そういうことが公約に書いてあります。
 しかも、ここで強調しておきたいのは、「あらゆる法律・制度」をこういう方向に改革しますと書いてあることです。この宣言は、これから霞ヶ関に対しては、かなり武器として使っていけるのではないかと思っております。

B 縦の減量化
 それから2番目の「縦の減量化」ですが、まず民への委譲。
@ 民への委譲
 民への権限の委譲ということですが、これは三つほどあげてあります。

規制改革:もぐら叩き方式から通則による改革
 まず規制の改革です。規制の改革については、従来は「もぐら叩き方式」でした。つまり経団連とか外国の大使館や商工会議所に、何か皆さん不満なところを持ってきてくださいと申し出させて、それをタネに役所にいろいろ揺さぶりをかけるということだったのですが、この「もぐら叩き方式」の結果、私どもは、規制全体のバランスがずいぶん崩れてしまったのではないかと思っています。
 そこで今度の第3次の規制緩和3ヵ年計画の頭のところに、通則的なものを入れました。そういうことを言ってきたのは総務庁ですが、全部自民党の行革本部で手を入れまして、本当に嫌ったらしいほどいろいろと各省庁の規制行政を管理してやっていくんだぞということを書いてあります。例えば、今度は規制はすべて総務庁に登録しろと言ったんですね。つまり、現在の規制のすべて、それと今後、規制を作ったり改めたりしたものは全部登録させようとしたわけです。するとさすがに自民党内の公約の審議の中で、総務庁は各省よりも偉いと思うなと怒り出した人がいました。本当は偉いんですけど、そんなことももう忘れているわけですね。それではどうすればいいんですかというと、「登録」は嫌らしいから「報告」ぐらいにしろと言うので、それならば「報告」で結構ですと私はすぐ降りてしまいました。なぜなら、報告でも同じことですから。こうして、今後は悉皆的に総務庁で把握できる。だから、国会議員はそれを持って来いといえばいいわけですから、いつでもそれを見て、それをもとに規制の改革ができるということです。
 例えばそういうようなことで、具体的には中身を見てもらえばわかりますからいちいち申し上げませんが、「もぐら叩き方式」をいい加減やめよう。通則でもってきちっと体系的に改革を迫っていくことにしたというのがミソです。

奨励助成の縮小
 第二番目の奨励助成。これは補助金だとか租税特別措置とか政策金融ですが、これらを縮小するということが書いてあります。これは、経済産業的なものと文化なり社会的なものと二つに分けまして、経済産業的なものについては、絶対「サンセット方式」にするということです。それを中小零細企業とか農業向きのものとそうでないものを分けて、それぞれ十年、五年のサンセット化のルールを入れるということが書いてあります。それから社会文化的なものについては、サンセットにするといっても言うだけで終わってしまいます。実際は社会文化的なものは常に必要だという事情があるからですね。したがって、それについては、今までのやり方でいいのかどうかの評価をもっとやっていくということを書いたということです。

官業の改革
 それから官業の改革ですが、まず、現業はご存じのような結果になりましたので、あれ以上言っても詮無いことだということで、この前の行革会議の最終報告を繰り返しています。次に、財投についても概ね同じであるのみならず、ここに来まして、こういう世情を背景に、財投がかえって活用されているものですから、我々が何か書こうとすると精神分裂みたいになってしまう。ですけれども、現状では活用するけれども、基本的には改革していくということはきちっと書かせていただいた。こういうことです。

官庁の実施事務はすでにほとんど外部化
 特殊法人、認可法人、指定法人、公益法人については、行政の代行をしているものが多いわけです。特殊法人、認可法人、指定法人はもともとそのためにそういう仕掛けをつくっているわけですが、公益法人という特別の指定もしていないものについても行政代行業務をしているものが実は非常に多い。その結果、仔細に見ていただいた方はお気づきかもしれませんが、霞ヶ関の中央官庁を行政官庁と呼ぶのは今や全くの誤りです。我々、自民党行革本部は、中央官庁の各課ごとの所掌事務を全部調べあげました。もちろん、自己申告です。自己申告ですが、おそらくこんなことは初めてで、行政学者には垂涎の資料だと思います。
こうして各課ごとに、今やっている仕事が企画立案なのか実施なのか全部調べてみましたら、90%が企画立案だったんです。したがって、霞ヶ関にあるのは行政官庁ではありません。本来の行政事務のほとんど全部を何らかの格好で外部化している。外局は当然ですけれども、通常の事務は大部分この特殊法人、認可法人、指定法人、公益法人に外部化しています。ある意味では、日本の場合は、もう実体は、行政の企画立案と実施が分離しているんですね。問題は、この政策立案当局と実施当局との間で何が行われているか、二つがどういう関係にあるのか、さっぱりわからないということです。

外部化の統一基準をつくる
 それからもう一ついうと、外部化しているんですが、外部化されている枠組みの法制、実施団体の規律、効率化のための仕掛けが全くもって曖昧模糊としている。要するに何の統一的な基準もない。思い思いにやっているというのは言い過ぎかもしれませんが、横断的に見る限り適当にやっているとしかいいようのないルーズな規律の下にあるということです。
私は佐藤孝行先生が特殊法人を改革するという時に、実は反対した経緯があります。特殊法人は特殊法人として改革した後、また独立行政法人の制度を入れるいうのでは、いかにも朝令暮改になるということで、私は賛成しなかったのです。まぁ、世論対策上、早く成果があがるものも取り上げるべきだということから、中曽根元総理が、佐藤孝行さんに特殊法人をやれと言ったらしくて、熱心にやったんですね。しかし、ここの問題の本質は、いま言ったことなんです。つまり、この新しい企画立案と実施の分離にあたって、両者の関係についてもっと透明性なり客観性を高めること、その団体についてどういう規律が行われるかということ、業務についてどういう目標管理等の民間企業的な手法が入れられるかということが問題であって、そのことは、特殊法人、認可法人、指定法人、公益法人を通じて、等し並みに言わなければならないことです。それを今度やるぞよと公約した。
昨年暮れに閣議決定された特殊法人改革は、やるのはやるんだけれども、今回、独立行政法人制度というものを入れて、今言ったように企画立案と実施を外部化しますと、国民の見ている前で外部化が行われる。おそらく皆さん、霞ヶ関でそんなにまで実施事務が外部化されているというのはわからなかったはずです。そういういい加減なことをやっているのをいい加減でないようにしようということが大事なことでして、そのために全面見直しするよということを、それぞれの項目に書いてあります。

A 地方分権
次が地方分権であります。形式的な権限のことは、西尾東大教授をはじめとする皆さんのご努力で出来たということですが、橋本龍太郎さんはもうちょっとやれと言っているそうですから、まずそういうことが書いてあります。

分権委勧告は落第
 しかしながら、分権推進委の勧告は実質的には意味がないというのが、自民党の結論でした。講学上は大変な成果かもしれませんが、地方分権ということの本当のねらい、地方に本当に仕事を任せていこうということからすると、何と言っても財政の方が大事なんですね。権限があると言っても、その権限を行使するために補助金をもらっているのではなんにもならない。補助金をもらわなくては権限を行使できない、補助金でもってその権限の行使がいろいろ介入もされるし差配もされるということですから、何と言っても権限と同時に財政的な裏づけが伴わなければ、ほとんど意味をなさないということが自由民主党で大きく批判されたところであります。そこで、地方分権推進委員会の勧告はどうだったかといえば、これだけでは落第ということです。完全に自治省のお先棒担ぎという評価です。

交付税の縮小が鍵
 真の地方分権を実現するためにどうすればよいかというと、要するに地方交付税こそが鍵だと我々は思っております。地方税の拡充というのは、地方分権推進委員会、すなわち自治省も大いに言うんですね。しかし、自治省は、はっきりいえば、本当に地方税が充実して地方交付税がいらなくなってしまうのは困るんです。
 そういうことで、お手許のレジメには地方交付税の縮小、透明化と書いてありますが、実際には公約にはこのようには書いてありません。原案では書いてあったんですが、これは地行族、すなわち自治省に戦争で負けてしまったんです。公約には地方税プラス地方交付税という彼らが言う一般財源あるいは固有財源の総額の確保が書いてあり、他方、そのうち地方税を拡充することが書いてありますから、そうなれば必然的に地方交付税は小さくなります。我々は、そこで、この表現で交付税の縮小ということが書いてあることにしようということにしてあります。
 元来、地方交付税は地方団体間の財政調整措置ですから、地方税が本当に足りないところに、どこからか財源をもってきて地方交付税として穴埋めをしてやればいいのです。それが、実際は、日本の3232の地方公共団体のうち、地方交付税をもらっていないのは10本の指で数えられる、あるいは年によっては5本の指で数えられるなんて、そんな財政調整措置はないでしょう。そういう全面的に必要となる措置は調整とは言わないわけです。私は静岡県の出身ですが、静岡県や浜松市のようなところまで地方交付税をもらわなくてはやっていけないような地方税制を、一体誰が仕組んだのかということです。全くもっておかしい。ですから、私は、地方税をもっと充実させろ、そうして地方交付税をもらう団体を少なくしろとずばり書いたんです。ただ、絶対これは許してもらえなかったですね。この公約として出来あがった文章では、今後よほど頑固に主張しなければ、我々が言いたいことが書いてあるとはいえないと思います。そういう状況で、ここは先ほど冒頭で述べた補強があまり上手くいかなかったと、ある程度言わざるを得ない個所ということになります。

補助金の限定
 それから補助金の限定と統合化は、行革会議の最終報告をめぐる戦争で、我々はかなり戦果を上げたと思っておりますので、それ以上つつくと薮蛇になってしまって、我々が後退させられるのではないかと思ったために、そのまま書いてあります。
 それでは、何が最終報告で書いてあるかというと、例えば、一番大きなかたまりである公共事業については、とにかく補助金というものは限定しますよということです。補助金というものの最大の問題は、誰が責任者かわからないわけです。ルーチンな補助金というのは、ここでキャリアとかノンキャリアとか言ってはいけないかもしれませんが、ノンキャリアの人たちの、何と言うか、楽しみの一つですね。キャリアは新しく補助金をつくるというようなところでは、いろいろ仕事をやりますけれども、その配分についてはノンキャリアしかわからない。ノンキャリアだって本当はわからない。ほとんど各県の東京事務所の人の意見を聞いて決めてしまうそうです。私はこれは、国民に対して非常に罪なことだと思います。
 私はすべての事業を基本的に直轄事業と単独事業に二分割したいのです。そうすれば、それぞれに責任の所在が明確になるんですね。補助金という仕組みを使った途端に、責任の所在が不明確になってしまうわけです。特にルーチンの補助金、何年も続いている補助金、時には名前を変えるかも知れませんが本質は何も変わらない補助金は、垂れ流しになりがちなんですね。なかには新しい補助金制度をつくったけれども、誰も手を挙げないからと押し付けてくる。そういうことは皆さんもご存知だと思うんですが、そういうのをやめましょうということです。

必要な直轄事業は増やす
 しかし、補助金が全く無くていいかというと、そうではないんですね。例えば直轄事業。私は直轄事業をもっとやるべきだと主張しているんです。これは一つは国会議員が全くやることが無くなってしまうのを恐れているという事情もありますけれども、もう一つ、まじめな話、もっと国の決定でやらなくてはいけない事業が、なおざりにされていると思います。例えば、ハブ空港、ハブ港湾が遅れたのはなぜか。これも手挙げ方式でやっている。例えば空港の建設です。空港なんて、わずか37万平方キロメートルの土地を考えれば、なぜ国がこことここに造れと出来ないのか。成田空港であんな大火傷をしたというか痛い目にあって、中央官庁の役人がみんなシュリンクしちゃった。それで手挙げ方式になって、地元とのいろいろな摩擦だとか揉め事をおさめることは、お前さんがやれ。お前さん、手を挙げたじゃないかと、こういうことです。反対勢力と相対峙することを絶対嫌がっています。もう戦争が嫌いになっている。正しいことを説得していこうという気概もなく、ただ威張っているだけということです。
 そもそも私は、中央官庁はかつての私も含めてなによりも、端的に言うと能力がない、能力がないくせに威張りたいだけは威張る、こんなものは日本国から絶対追放しなくてはだめだと固く信じております。だから、なんとしても補助金改革はやらなくてはいけない。逆に直轄事業をもっと本当はやらなくてはいけない、こう思っているわけです。
 話を分かり易くするためにいろいろなものを捨象してズバリ言いますが、川は複数県を流れますと直轄事業の対象になります。一級河川の直轄部分です。道路もそうです。一つのシステムでネットワークですから、ここは直轄ですということを言うんです。しかし本当は面についても、我々は直轄事業があってもいいと思うのです。パイロット的なもの、先端的なまちづくりは、やはり直轄事業でやるべきなんですね。日本の都市工学者や社会工学者も含め、日本人の知恵の粋を集めましたよというものを、直轄でやってもらいたいんです。それをやった場合に、関連する地方公共団体にいろいろサボられちゃうと投資効果があがってきませんから、直轄事業の投資効果をあげるために、早くやってもらいたい、タイミングよくやってもらいたいという時には、少し補助金を出してやらないと無理でしょう。こういう補助金はある。私どもは、補助金をそういうものだけに非常に限定したいということです。その反面一般のルーチンの補助金をやめたいといったのです。しかし何としても農林族が言うことをきかずに、私も農林族なんですが、せいぜい表現できたのが統合補助金なんですね。原案には本当は特定交付金と書いてあったのですが、交付金だと自治省に取られちゃうから嫌だということで、行革会議の最終報告では統合補助金という名称になっています。
 結局いつでもそうなんですね。つまり、霞ヶ関は、俺たちが権限を手放して地方に行くのならまだ我慢ができるけれども、それが自治省に取られるなんて許せない。同じ中央官庁なのに、なんで俺たちが自治省に遠慮しなければいけないのかという考え方があって、やはり交付金というのは受け容れられないわけです。そういうことではありますが、補助金の限定化と統合化ということは行革会議の最終報告にちゃんと書き込んであります。これを公約で踏襲しております。

地方債発行の自主性拡大
 それから地方債発行の自主性拡大。これは私どもが大論争したところなんですが、私は地方債をアメリカのインダストリアル・レベニュー・ボンドとか、あるいはアーバン・ディベロップメント・レベニュー・ボンドみたいに市場で発行することにしたら、それを格付け会社が格付けするんですね。地方公共団体の一般地方債でもそうですが、格付け会社が格付けして、現在の財政力は高いけれども首長の能力に問題があるからこれはBBBだとか、財政力は低いけれどもかなり面白い首長さんだからこれはAAにしておこうということが起こる。そうすると、何で隣の町はAAなのに我々の方はBBBで金利が高いのかとなり、首長が悪いからだよというのが噂になれば、すぐ首長はクビになるでしょう。そうなると物凄く地方は活性化するだろうと思うわけです。
 しかし、地方債を格付けしろと言っても、みだりに補助金をもらっているのでは、格付け会社は格付けのしようがないわけです。交付税でも同じです。ですから、本当に地方税でやる、あるいは補助金なんかは国の都合で持ってくるものだということにすれば、地方債も格付けできます。そうなれば、私はもっと地方自治が住民の関心を掻き立てるでしょうし、首長もまなじり決してそれぞれの地方自治の経営にあたるだろうと思うわけです。そういう改革らしい改革が全く分権推進委員会の勧告には書いてないんです。何を見ていたかといいたくなります。私、神野さん(主査:東大教授)に言ったんですね。これでは困りますよと。すると諸井さんから実現可能なものにしてくれと総理から言われましたからねえ、という答えが出るわけです。あの一言が地方分権委員会では効いてしまったようです。

市町村合併
 市町村合併については、地方分権推進委員会が地方制度調査会にボールをあずけましたので、そちらの答申に書いてあります。書くにあたって、自民党が意見を申しました。その意見が今度の公約にはそのまま書いてありますが、地方制度調査会の答申のほうは、また自治省がいろいろ手を入れて、都合の悪いところはまたマイルドにしています。
 公約にはいろいろ書いてありますが、一番の問題は、市町村が合併できるのに合併しなくてもやっていけるような地方交付税とは何だということです。私は、地方交付税の改革を提唱していますが、仮に今の状況を前提にした場合、本当に立地的にも合併してくれるところがないという気の毒なところもあるわけです。そうでなくて、合併しようよという声をいっぱい掛けられる。ところが合併しない。それは自分のところで税収があがるということではない。とにかく議員が減るのは嫌だ、首長が減るのが嫌だということで合併しない。そんなところにも、いまのままでやっていけるように交付税がいくんです。
 この点については、自治省の中に二派あるそうです。つまり、静態的交付税論と動態的交付税論というものです。静態的交付税論は鎌田要人先生が主唱者です。動態的交付税論は、宮沢弘先生が主唱者です。ダイナミックに、合併できるのに合併しないでもやっていける交付税は本来あってはいけないということを言うのが動態的交付税論、それに対して、交付税というのはそういうものじゃない、現に存在する県や市町村がちゃんとやっていけるためのものが交付税ですというのが静態的交付税論です。この両派が争って、その結果、「小規模市町村に対する交付税措置については、算定方法の簡素化(注:さきの自民党意見書では「簡明化」という表現となっている)を進めるとともに、合理的かつ妥当な行政水準を確保する見地から、そのあり方を見直す」という文章が生まれたわけですが、この文章は何が書いてあるかわからない。自治省はこれで動態的になると読めるというんですが、どういう風に読めばこの日本語がそう読めるのかわかりません。ひどい文章ですけれども、そう読めるそうですからそうやってくれるでしょう。

地方行革
 それから地方行革について、議員の数をどうしろ、首長の多選をどうするという議論がいろいろあるんですが、そんなことはほっとけというのが、私の考えです。そもそもそんなことを言うことが地方分権に反する。自分が調達できる地方財源で自律的に地方自治体の経営をしていくというのは当たり前なんですね。だから何も上から言うことはないというのが私の考え方です。私は基本的には地方行革はどうぞご随意にやってください、こういう考え方です。

B 政治主導の確立
 3番目には政治主導の確立ということです。これは冒頭にいいました政策の企画立案と実施の問題のもう一つの面です。この件については、かなり公約に書きこみました。本省は政策立案機能に純化し、実施事務は分離してもう本省は一切やらないと書きました。まぁ、できるだけとか原則的としてとかいう文言は入れられてしまいましたけれど、基本はそういうことです。

課を廃止しプロジェクトチームにする
 その結果どういうことになるかというと、本省は課室制を原則廃止することになります。つまり課とか室が存在するというのはなぜかというと、ルーチンの仕事が存在するということです。ところが、政策の企画立案なんてルーチンな仕事があるわけがないのです。問題が起こったときに、それに対応して政策をつくればいいのであって、ルーチンな仕事は無いのですから、蜘蛛の巣みたいに餌がかかるまで待っている、そんな課や室などは必要ない、その代わりに分掌官制にするというのが私どもの考え方です。
分掌官制にするというのは、総務庁でいえば管理官、大蔵省でいえば主計官というようなことです。主計官も何々係といって外から見ると固定的に見えることも確かですが、現実に主計局長はどういうことをやっているかというと、問題ごとにこれはお前やれと主計官を振り回しているのです。基本のベーシックな根雪みたいなことはある程度固定的にやらしていますから、これはルーチンの部分です。しかし、カレントな問題について対応するのは、人を見てパッと指名するのです。
 中央省庁の本省(内局)には、これからはそういう主計官とか管理官というように、何々官というのを置くわけです。そして問題が起こったら何々官がプロジェクトチームを組むわけです。すでに通産省は課室制をとりながら、これをやっているそうです。課長は自分の部下の課長補佐が、何とかプロジェクトチームに入っているのを知らないことがあるそうです。局長が勝手にやってしまうからです。これは、組織論的には問題だと思うのです。我々が言っているのは、組織的にも整理して企画立案であれば課室制をやめよう、必要は無いということです。局長は分掌、守備範囲を明らかにしておかなくてはいけませんから、局はやはり必要でしょう。しかし、課などはおよそ必要無いというのが、我々の考え方です。
 この辺のことは行革会議の最終報告書にも書いてあるし、さらに今回の公約にもはっきり書いてあるんですが、何でマスコミの人はこれを取り上げないのか不思議です。こういったことが本当に実現されれば、革命的な改革で、私は場合によっては、横の大括り委譲の影響をもつと思います。ところがマスコミの人は課室制だとか分掌官だとか、全然わからないようですね。わからないから報道もしない。それで自民党の行革なんて甘っちょろいと、およそ中身を知らずして批判ばかりするという状況です。

本省と外局・独立行政法人とは緊張ある関係
本省は企画立案に純化し、実施事務は外局と、独立行政法人によって処理することになります。この外局、独立行政法人と本省とは緊張ある連携関係になります。自民党内の論議では緊密な連携にしてくれというのですね。しかし、緊密に連携したのでは駄目なんです。客観性と相背馳するわけです。ですから、私は緊密の「緊」を活かして「密」を「張」に変えたのです。本当は私は連携は必要無いと思っているのですが、ただ、実施庁の長官に対して大臣はこの仕事をしろと、フレームワークアグリーメントとイギリスでは言うそうですが、そういうフレームワークの指示や予算も出しますから、連携という言葉は活かそうということになりました。しかし、あくまでもそこに緊張関係がなければ客観性は保てませんよということを言っているわけです。

政策立案と実施との分界
 それから、公約では政策立案業務と実施業務の分界ということについて、特に触れてあります。それはどういうことかといいますと、政策立案業務というものは大所高所から考えるもので、実施業務がどうなっているからこうなっているからということに影響されては駄目だという考え方をもっています。つまり、霞ヶ関は実施業務から上がってくる情報をもとに次の政策を考えると言っていますが、そんな必要はないと私どもは言っております。そんな実施官庁から情報を上げなくていい。実施官庁がやっていることの当否は、国民が判断するだろう。そして情報は国民から企画立案当局に上がってくるだろう。こう迂回させない限り、お手盛りになってどんどん肥大化することになります。ですから、私は、この連携というのは、本当に注意深く言わなくてはいけないと思います。実施業務から情報なんて上げなくてよろしい、国民から上がってくればいい。それを大所高所から判断して手を打つということをしないと、やめなくてはいけない仕事をいつまでも続けることになる。どこかをいじれば少しはよくなる実施業務もあろう。そんなことに満足して、大所高所の判断から離れた、実施に癒着したような企画立案事務はもう必要ないと、私どもは言っているのです。しかし、霞ヶ関は、実施事務から情報が上がらなくては仕事ができませんというわけです。そんなことで仕事ができない構想力の乏しい人間なら辞めてもらいたいというのが、私どもの言い分なんです。
 特に、個々の補助金についての事務は、最終的には少しは残らざるを得ない、あるいは過渡期には相当残らざるを得ないということですが、それでは、どこで補助金業務を区切るかが問題なんです。今回、わざわざ公約の中に実施要綱の策定だけは企画立案事務として認める、しかし、実際の個所付けと称するような交付決定の事務は、あくまでも実施事務だと書いておきました。この辺りは霞ヶ関がどう思っているかわかりませんが、生き残ったところです。


C 横の大括り化
 次に横の大括り化ですが、これは官邸主導の案件ですから、公約には基本法をそのまま書いてあります。ただ、大括り化を成功させるためには、国土交通省のように巨大官庁ということで恐れられておりますが、こういうものが収まりよく収まるには、先ほどいったように地方分権をもっときちっとやらなくては駄目だし、補助金についても限定的にやらなくては駄目だと思います。補助金の交付決定も外局の地方支分部局にまかせるわけですから、内局の企画立案部局に属する地方支分部局なんて必要ありません。地方支分部局は、あくまでも実施事務を担当する外局の、あるいは独立行政法人の地方支分部局になるわけです。そういう形にしないと、あのお化けみたいな7兆も9兆も補助金を配る金配り官庁が出来てしまうということです。

D 公務員制度改革
 次に公務員制度の改革ですが、企画立案事務が内局で行われることになると、内局の国家公務員とはいかなるものであるかということを考えなくては駄目です。今みたいに東大法学部を出て公務員試験に受かって入ったら、コピー取りをやって、それでたたき上げて一人前に育てていく、そういう係員だとかは、内局には必要無いんです。外部から出来合いの人材を持ってきて、この仕事をやれといえばいいのです。ところが、いまの公務員制度の改革は、まだ現状の内局の職員のあり方を前提としていますから、こんなものは私は勝手に書いておけということにしたわけです。

自治体への出向の見直し
 それでは、公約で魂の入っているところはどこかというと、地方自治体との交流のところです。大体、建設省も自治省もそうなんですが、不思議なことに、採用の時から地方に行く要員を採用しているんですね。自治省なんて本当に小さな官庁ですから、自分たちのところを賄うだけならばあんな人数を採用する必要はないんです。ところが、始めからどこかの県の総務部長に入れるとか、財政課長に入れるとか、場合によっては副知事に入れる人間まで勘定して採用しています。「うちには人材がいるから向こうが欲しがるんです」などと偶然の受給の一致みたいに言ったって、それはウソで、はじめからそのつもりなんです。
 本当にこれはとんでもないことだということで、私どもは地方への出向を前提にした採用を行わないと公約案に書いたら見事に削られました。結局、そこで「対等な交流」となりました。対等な交流とは何だというと、中央も地方も定員いっぱいの採用をしている。それを交流するんだというんです。こっちから行ったら、その分向こうからもらって、その定員を確保するという形でやるというのです。「対等」ということにそんな立派な意味がある、あるいは「適正」ということにそういう立派な意味があるということで、最終的には、「対等・協力の関係を基本として適正な人事交流に努める」ということになったのです。しかし、自治省が毎年20人も採るのはおかしいじゃないか、どこで使うんだということをこれからちゃんと批判してもらわないと、いつまでたっても自治省による地方公共団体支配は終わらないと思います。


V 今後に必要なこと
補助金改革から政治改革へ
 そこで今後に必要なことですが、まず、ルーティン化した補助金の廃止。先ほどいったルーティン化した補助金は、さしたる政策的判断もなく行われているんです。これを廃止するとどうなるかというと、これは利益誘導政治の改革です。代議士が補助金もらってきてやった、ありがとうございますというのが少なくなるわけです。そうすると、どうなるかというと、政権党が強いとは限らなくなります。そうすれば選挙制度も変わるでしょう。例えば比例ということになっていくと思います。そうして、政党が国政上の政策を争うということに繋がっていくんです。さらにいえば、それが政治改革につながります。政党主導の政治をやらなければ、次の選挙で負けてしまいます。大臣を一年交代するという馬鹿げたことは止めなければ政権党はもちません。大臣が毎年のように、近頃は10ヶ月交代のようですが、そんなことでは次の選挙で票はとれません。本当に今後は能力、識見、実行力そういうものがふさわしい人が大臣になっていくという政治改革までいくのです。行革とは、そういう大きなビジョンを持って、これを明確に認識してやらなければ駄目だということを言いたいのです。

企画と実施の分離による公務員の政治任用増加
 本省の政策立案業務を純化するとなりますと、当然のことながらポリティカル・アポインティ(=公務員の政治任用)が増加します。つまり本省の役人とは何かといえば、政治家たる大臣の企画立案をみんな集中的に補佐をするということです。他にやることはないんです。実施事務をやっていますという言い訳は成り立たなくなりますから、そうならざるをえない。そうなると、ポリティカル・アポインティに当然なってきます。これはアメリカもそうです。フランスはエナルクがそうですね。これはチームを作っています。大臣と、政治家にコネをもつ官房長、それから官房長のコネの下にエナルクの卒業生がチームを組んで移動していくんです。
 私は、今、厚生委員長をやっています。この間ドイツ保健省の次官が来たというので会いました。あなたは医者かというと、とんでもない。薬剤師かというと、とんでもない。あなたは厚生省で経験を積んだのかというと、とんでもない。私は大統領府から派遣されたんです。こういうのですよ。次官を7年やっているそうです。つまり、医療保健の制度が本当に破綻しそうだということになると、大統領は自分の目の効く範囲でこの男が能力があるとなると、次官に送り込んでくるのですね。それで厚生省の次官を7年もやっているんです。日本は次官は毎年交代しています。大臣が交代すれば、それに負けず劣らず交代しているわけです。それもずっと下から上がって来た人。下から上がって来た人なんか、それこそ原敬じゃないですが、なにも思い切ったことはできません。原敬が総理大臣になった時に言ったそうじゃないですか。俺は総理大臣になるのが遅すぎた、しがらみが多すぎて本当に思うことはできないよと。こういうことですね。ずっと下から上がってくれば、しがらみがいっぱいになりますよ。思いきったことができない。だからドイツでは保健省の事務次官が大統領府派遣です。農林省の次官もそうですよ。こういうことはあまり知られていませんが、おそらくこれから日本もそういうことになってくるだろうと思います。政策立案というポリティカルな仕事を担当するのですから、当然のことです。

交付税縮小から道州制へ
 また、地方交付税の縮小というのは、先ほど言ったように平均より弱小団体に限定することになります。それで地方税を増やします。地方税をどうして増やすのかと問う人もいますが、私は私の考え方があります。これは税金の議論になりますからここでは深入りしませんが、そうすると、交付税をもらっている団体は、当然自治省からいろいろ言われる。交付税をもらっている団体は、今の管理団体と同じです。財政が悪くなって管理団体になるのと同じで、何の事業も自分でできなくなるというステータスになっていくと思います。そんなステータスは、さすがに今の制度の下でも脱却したいと地方団体はみんな努力しますね。あれと同じで、おれも不交付団体になりたいと、頑張ると思います。そうすると、そういう市町村で合併が起こるのは当然ですが、県だって交付団体ではやっていかれないということになります。たとえば、島根と鳥取が合併したらどうだ、あれは貧乏県同士だから駄目だという議論になる。そうすると島根なり鳥取なりは、山陽のどこかの県に救ってもらおうと、必死に交通だとかを考えるようになると思います。惨めな管理団体になったら面白くないからですよ。そういうことを通じて、初めて道州制も視野に入ってくるのではないかと思っています。

改革への覚悟はあるか
 つまり、例えば、ルーティン化した補助金の廃止だとか、本省の政策立案業務への純化だとか、地方交付税の縮小だとかというようなことは、このくらいの広い射程を持っているんです。そういう射程をもったところのものを、全体としてきちっと認識していく。それでそれに燃えるような信念と情熱をもっているという人がいるかということです。先ほどは、私は推進体制がどうのこうの言いました。しかし、私は器の問題よりも、その当事者が本当にそういう明確なビジョンを持っているか、日本国の改造のための明確なビジョンを持っているか、その大きいビジョンへの取っ掛かりでやっているんだという認識があるかが問題です。そういうことについて認識を持ち、かつ、それに対して信念と情熱を持つということでないと、これはなかなか進まないだろうと思います。
 まあ、こんなことを考えている人間もおりますので、どうか自民党を見捨てないで、応援をしていただくようにお願いして、私の話を閉じたいと思います。どうもありがとうございました。


質疑応答
(屋山)行革会議の報告から改革基本法への過程で、財投については全部機関債にするとかいう話がありましたね。それから郵便事業に新規参入が認められるかのごとく印象だったんですけど、どうなっているのか、その2点をうかがいたいと思います。

(柳沢)機関債を認めるということも当然ありますが、機関債が出せない財投機関もあります。そのために財投債を出すことになっております。したがって我々の公約にも基本的に資金調達はそういうことでやっていこうと書いてあります。
 第2番目の郵便事業に対する新規参入については、検討するということに最終報告でなっておりまして、これは我々が書いたか忘れましたが、基本的にはそれをなぞらっているということです。最終報告も検討するということです。ただ、これを早期にと書くか書かないかという問題があったと思いますが、これはどうなっていましたでしょうか。

(司会)公約では、郵便については一切触れていません。

(柳沢) 何もないなら、書かないほうが安全だと思ったのでしょう。これは、もう最終報告にあるからいいだろうということで、決して後退したわけではありません。

(大和田)最後の話で道州制というのが出ていましたが、このコアになる部分として何かお考えでしょうか。

(柳沢)この議論は、主としてこれまで経済界からあったわけですね。特に河川の管理と絡んで、道州制がよく言われたと我々認識しております。しかし河川の管理から道州制をもっていくのは容易なことではありません。つまり、道州制というのは、面白おかしく言うし、経済界の人も言うことが無くなれば道州制でもぶっ放しておこうということだと思うんです。つまり、大変失礼かもしれませんが、現実的な必然性みたいなものをきちっと論じているのを、これまで私見たことがありません。しかし、今私が言ったように、交付税の交付団体と非交付団体という位置づけが非常に変わってくるということの中で、議論にならざるを得ない。
 我々は今まで、県の合併なんて止めておこう、少なくともとりあえず市町村合併にとどめておこうということで、公約には一切道州制なんて書いてありません。こんなものは言ったっても、ただ世間を騒がせるだけで国民を惑わすだけだというぐらいにしか思っていません。しかし、本当に交付税が改革される、自治省が腹を括って、自分の人員を副知事にしたり総務部長にするのをあきらめる、本当に自主財源である地方税を中心に考えていくということになった場合には、この地方税だけでやっている団体と、交付税をもらっていろいろ上から言われる団体とは様変わりするだろうと思っているわけです。そういう中で、やはり自分らも自分らの思う地方行政をやろうということになれば、県の合併のインセンティブも出てくるのではないかということを考えているだけです。コアは何かといわれれば交付税、財政面です。

(五十嵐)自民党にとって、公共事業の改革は最大難しいテーマではないかと思います。公共事業に当てはめますと、企画と実施部門の分離、地方分権を含めて非常に難しいと私は見ているんですけれども、党内ではこれはどう議論されているのでしょうか。国土交通省を含めて教えてください。
 2番目は、これを含めまして自民党の公約は、行政改革全体が2001年1月1日をターゲットにして進められるわけです。こういったことを、その時までに総がかりでやるというのは、時間的限定を考慮してやっているのでしょうか。

(柳沢)公共事業の補助金については、確かに難しいです。先ほど農林の話も出ましたが、建設省も似たり寄ったりです。役人のメンタリティ、それからその役人と共同歩調をとっている議員のメンタリティ。ただ、建設省の出身の大物の政治家の中にも、やはり改革すべきだという方もいます。非常に現役の役人の皆さんをてこずらせているという人もいるんです。少なくとも補助金を統合化していこうということを明確に打ち出して、一級河川の補助部分をどこでやるかなんて本当はわからないじゃないか、もうそれは任せていけばいいというOBの人もいて、やや芽が出ています。全く全否定ではないということです。とにかく、ここに書いてある公共事業関係の補助金が特にそうですが、直轄関連であるとかパイロット的な事業とか急を要する事業に補助金を限定しますということを我々が書かせたわけですから、今更その手形を落とさないという不信行為はしないだろうということです。それともう一つは、補助金の交付要綱の決定までは本省の仕事だけれども、個別の交付決定事務は実施事務だと言っています。これは、先ほど言ったように、橋本総理も強い信念をもっているのですが、地方支分部局に個別のことをやらせるということで、少なくとも今の状況を改革しようということまでは、自民党の中でも通っています。実施段階になってきて、また反逆もあるかもしれませんが。
 それからタイミングの問題ですが、今言ったようなことであれば2001年ということになると思います。ただ補助金の限定が、どこまでうまくいくかについては、地方団体そのものも改革を要しますから、これについては2001年までにできるかどうかは、ちょっと覚束ない点もあるというのが現況かと思います。
(安藤)情報公開法の制定に関して、自由民主党がどのくらい本気かをお伺いしたいのですが、実は私、強くご批判なさったマスコミ出身で、柳沢さんがコピー取りを卒業したころに、財研という悪名高い記者クラブに蟠踞しておりまして、その反省から情報公開法の制定の市民運動をしてまいりましたが、終始一貫、自民党は、これを傍観してきたように思います。法の目的を行政に対する参加と監視であると書いた言葉が、役人の作業の中で、国民の的確な理解と批判という違う言葉になってしまいましたが、これも自由民主党は傍観していたと思います。この公約の中では、法案の策定と国会提出が実績として書かれていますが、これを通すという意気込みが感じられない。自由民主党もいつのまにか263人までずるずると増えており、法案を通すためには自由民主党に期待するしかないわけです。ですから、どれくらい本気でおられるか聞きたいと思います。

(柳沢)この件は、実績を忠実に描写したということですので、現況は提出をして継続審議になったということを書いているわけで、それを何か自民党の意図を何か表現しているということでは全くありません。
自民党全体の情報公開法に関する考え方ですけれども、経緯的に言っても、行政改革委員会の方でやってはくれたんですが、もともとさきがけが提唱をして、手がけられたということもありまして、その行きがかりもやや反映しているかと思います。政党も人間がやることですから、人の手柄に骨を折るということも、という程度に見ていただければいいと思います。我々が情報公開法に消極的だということでもありません。何かことを荒立てて、あんなものを止めるべきだという議員が目立つかといえば、私の目にはそういう動きはとまりませんから、反対だとか消極だとかいうことはないと思います。
むしろ、今度国会法が改正されまして、予備的調査ができるようになりました。つまりある法案がかかる時に、いくつかの法案がらみの事項について政府側に問いただす手段はあります。これは質問趣旨書であるとか、議会の質疑応答だとかいろいろあるわけですけれども、それに加えて議員が40人集まると予備的調査ができるようになって、今度私、第一号として厚生委員長でエイズ予防法制定の経緯の予備的調査をやりました。そのときに、私の経験で驚いたことは何かというと、彼らが考えている「組織的に作られた文書」とわれわれが考えているものとに大きなギャップがあるということです。
たとえば、郡司ファイルですが、あのファイルのようなものはどう考えても個人の覚えのためのファイルです。しかし、ああいうものも公開法の対象にいれるために、「組織的につくられた文書」という言葉を入れたのです。今、霞ヶ関でどういう文書を組織的につくられた文書にするかということが検討されるようですが、少なくとも郡司ファイルのようなものを、これに入れるということを全く考えていません。私、これは本当に、結論がどうなるかはともかく、驚くべきことだと思います。
私は、逆にいろいろなことを心配したんです。君らね、郡司ファイルのようなものまで公開法の対象になるとしたら、仕事をどうやってやるんだと。文書つくれば、会議をするときにまとめに必要なものも組織的につくられた文書ということになれば、これはどうしようもなくなるということを心配しまして、どうやって仕事をするのかということに関心をもっていたのです。今度予備的調査をやるときに、この範囲を決めるにあたっての相談に乗るときの応酬で、私びっくりしましたね。郡司ファイルのようなものは入らないということですから。ではどんなものが入るのかといえば、局議の資料とかそういうものなんですね。課長とか課長補佐が適当につくった文書で最初に叩きますね。そんなたぐいです。いろいろな仕事をするときの仕事ぶりというのは、係長さんがいろいろと事実を知っている。しかし、この文書は組織的な文書ではないんです。そういうむしろ組織的につくられた文書というのを非常に局限化していく、場合によっては、安藤さんがけしからんと何か書かれて郡司ファイルみたいなものを入れようと思っても、連中はパソコンでやってすぐ消しちゃうと思いますね。そこのところで逆に、私は霞ヶ関の仕事ができなくなるんじゃないかということで、先輩の端くれとして心配したんですけれども、そういうことを全く懸念していない今の霞ヶ関というのは、あの立法の経緯をどう考えているのだろうと、むしろそのことに関心を持っています。党の対応について別に懸念を持っているということはありません。立法の経緯上、自民党がファイトを燃やさないというのは立法の経緯上、ある意味では当たり前の今の反応ではないかと思います。
 特殊法人は何でいれなかったかわかりませんが、特殊法人というのもめちゃくちゃな概念で、共済組合連合会も入っているんですよね。やって悪いということではないけれども、あそこは別に政策をやっているところではないですね。政策代行の機関ではなく、互助の機関です。そんなものも概念上は特殊法人になっているので、むしろ特殊法人という概念をもっと整理しないと混乱しますねということだと私は思っています。

(伊庭野)何か自民党が社会正義の旗手になったようですが、この間までもめていた斡旋利得罪に徹底して反発した自民党が、こういうことをもし総務会でこれがきちっと通ってきたものだとすれば、公約というのはあまりにも軽いものではないかと思いますが。

(柳沢)これは総務会を通りました。非常に私は心配をしていました。しかし、事前に政調会も政審も通っています。その政審では大分議論もしました。そういうものです。ですから、軽いか重いかといわれると私も返答に窮しますけれども、しかし、同時に私が申し上げたのは、一番最後の件で、本当に今やっている人が、きちっと認識しているでしょうか。私は党で下働きをしている人間ですが、最高責任者は本当に信念を持っているでしょうか。本当に、国の改造のために、止むに止まれぬ情熱を持っているのでしょうか。そこがむしろ問題だと、私は思います。書いてあることは公式文書ですから、私達逃げも隠れもしませんけれども、これを本当にやりきるか、やりきれないか。もちろん、公約の中にはやり切れないものがいっぱいあるわけですが、やり切るかやり切れないか、我々はこれを武器にして、霞ヶ関を襲いかかっていこうとしてますよ。しかし推進体制というか推進体制のさらに奥にある、そういった心の態度が備わるか備わらないかが問題だという指摘をしたということです。