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シリーズ討論

年金制度改革のあり方をめぐって討論

上智大学教授 山崎泰彦
国民会議ニュース1998年2月号所収
 去る12月25日、厚生省の年金審議会は「論点整理」と「5つの選択肢」を公表し、今年中には改革案をとりまとめる予定です。そこで、さる1月26日、上智大学の山崎泰彦教授を招いて、これからの年金制度改革を考えるにあたっての問題点などについてお話いただき、その後、意見交換を行いました。


1 人口と社会保障費の動向
2 年金制度改革の経緯
3 1999年改正のスケジュール
4 論点と課題
 1) 給付水準について
 2) 支給開始年齢と高齢者雇用
 3) 高齢在職者の取り扱い、高資産者に対する年金支給問題
 4) 年金の国庫負担と賞与の扱い
 5) 第3号被保険者と学生の問題
 6) 第1号被保険者の適用と保険料徴収
 7) 少子化対策こそ充実を
 8) 民営化論と財政方式論
5 討論



問題提起:山崎泰彦 上智大学教授


1 人口と社会保障費の動向
【高齢化が進んでも日本の社会保障費は少ない】
 5年に1度人口推計が行われていますが、去年の1月に新しい推計が出ました。それによると、高齢化のスピードが高まり、2050年には3人に1人が高齢者になるということです。しかし、日本だけが突出して高齢化が進むというわけではありません。同じ2050年をとりますと、国連の推計によりますと、高齢化率は日本が32.3%に対してイタリアが35.7%、ドイツが29.2%です。実はこのことは出生率の裏返しでして、合計特殊出生率が1996年で日本が1.43ですが、イタリアは94年で1.26、ドイツが同じく94年で1.24と、今時点ではドイツ、イタリアのほうが日本より低いのです。したがって、イタリアの高齢化率が2050年で日本を上回っていますが、その後しばらくするとドイツが日本を上回るのは確実だということです。日独伊が共通して低い出生率となっており、将来の非常な高齢化の見通しがでているということです。
 土光臨調の時から議論されてきたことですが、この高齢化のピーク時の国民負担率を何とか抑えたいということで、当初は欧米諸国よりもかなり下回るレベル、具体的には40%台前半といわれていました。最近は少しドーンダウンしましたが、それでも50%以下にとどめたいという国是のようなものがあります。こういう努力目標はないよりはあったほうがいいと思うのですが、今時点でどうかといいますと、社会保障費が膨らむというのですが、社会保障費の国民所得比は、日本が17%です。これは去年秋に社会保障研究所から発表されたもので、1995年現在の数字です。これに対して、イギリスが27.2%、ドイツが33.4%、フランスが37.7%、スウェーデンでは53.4と、非常に高いわけです。
 長い間、日本の社会保障費の規模が小さいのは、老人が少ないからだといわれてきました。しかし、もうそういう言い訳はできなくなりました。もう、高齢化の比率が去年の秋の時点で15.6%と、スウェーデンよりは若干低いとしても、ドイツ、フランス、イギリス、こういった国々とほぼ日本は同じです。つまり、日本は高齢化は進んでいながら社会保障の規模はヨーロッパに比べて非常に小さいということです。したがって、新しい人口推計に基づく厚生省の見通しによりますと、これは2025年でありますが、社会保障給付費の対国民所得比が29.5〜35.5%となっております。かなり幅がある数値ですが、現在、ドイツは33.4%、フランスは33.7%となっていますから、2025年でも今のフランスよりも小さく、ドイツ程度だということになります。ですから、非常に高齢化が進みながらも今のドイツ程度、スウェーデンよりは非常に小さく、フランスよりも小さい。日本は将来に向かってなお小さな政府であり、さらに社会保障の規模は非常に小さいということです。
 これはなぜかといいますと、おそらく、ひとつは生活保護を受ける人の比率が欧米に比べてひと桁は確実に少ない。それから、失業率が非常に低い。3.5%などというのは完全雇用に非常に近い状態であります。逆に言うと企業内で非常に過剰な雇用を抱えているということなのかもわかりませんが、それによって社会保障の負担が軽くなっているということがあると思います。
 それから、今医療の問題が非常に議論されていますが、やはり日本の医療費は非常に小さく、国民所得比で7.1%です。日本と比較しやすい社会保険という仕組みを使っているフランス、ドイツでは国民所得比で11%から12%です。何度もいいますように老人比率はほぼ同じであります。しかもその日本の7.1の中には社会的入院という本来福祉で抱える部分も医療費で抱えている部分もあります。ということになりますと、純粋な医療費はドイツ、フランスの半分程度かもしれないということで、ある意味では日本医師会のいう低医療費政策というのはあたっているのではないかとも思うわけです。そういう現状を基礎にして人口構成だけを高齢化させたという推計ですから、高齢化は進んでも、高齢化のレベルからすると日本の社会保障は小さいという結果になっています。そのあたりのことをどう考えるかということが課題です。

2 年金制度改革の経緯
【1961年:国民皆保険】
 歴史的にいいますと、公務員には恩給というものがありましたが、民間勤労者には昭和17年(1942年)に今の厚生年金の前身にあたる労働者年金というものができました。当初は男子の工場労働者だけだったのですが、昭和19年(1944年)に厚生年金と名称を変えたときに、女性とホワイトカラーにも適用を拡大し、今日の厚生年金になったわけです。そして、戦後、昭和30年代に公務員の年金は恩給から共済組合に切り替えられました。そして、最後に残った自営業者に対する年金として国民年金が昭和34年(1959年)にできまして、昭和36年(1961年)4月1日に全面的に施行されて、国民皆年金になったわけです。

【1973年:物価スライド制の導入】
 それ以降、高度成長を背景にして思い切った給付改善が行われました。行き着いたのが昭和48年(1973年)でして、物価スライド制を入れる、あるいはサラリーマンですと過去の賃金の再評価をするというふうなことで、だいたい昭和48年の改正で対賃金比(ここでいう賃金は月収ですが)60%の年金にまでなったわけです。そこでうまく足踏みをすればよかったのですが惰性が続きまして、昭和60年まで水準が上がりまして、60年改正の時は厚生年金の水準が賃金の68%にまでなりました。それを横這いにとどめているというのが現状です。

【1985年:基礎年金の導入】
 昭和48年(1973年)にそういった思い切った改正をしたのですが、ちょうどオイルショックの直前に法律が通ったわけです。それ以降は高齢化が本格化する、国の財政も厳しい、そして走るだけ走ってみたけれども、いろんな制度内のでこぼこやアンバランスがある。これがまあ女性の年金の問題であったり、障害者の年金の問題であったり、官民格差の問題であったりしたわけです。当時は、今から振り返ってみるとまだまだのんびりした世の中でありまして、昭和50年あたりから年金の抜本改革の議論が始まりまして、昭和60年の改正までおよそ10年かけて議論をしたわけです。今ならば1年で結論を出すようなことを、およそ10年かけて議論をしたわけです。それが昭和60年(1985年)の改正で、年金を二階建てにして、自営業者だけの年金であった国民年金をサラリーマン、サラリーマンの奥さんも全員加入するという形にしたわけです。
 よく、国民年金と基礎年金との関係について聞かれることがあります。国民年金をサラリーマンやサラリーマンの妻にも適用を拡大し、そして、国民年金を通してサラリーマンや自営業者に共通の年金を出す。この共通の年金というのが基礎年金です。年金には老後、遺族、障害の保障がありますが、老齢基礎年金、遺族基礎年金、障害基礎年金、この3つというのは国民年金を通して自営業者、サラリーマン、サラリーマンの奥さんすべて共通に同じ条件で出ております。基礎年金という名称をつけましたのは、性格が、一階の部分、基礎的な土台の役割を果たすという意味での「基礎」という名称をつけたわけです。ちょうど北欧やイギリスと同じような二階建てになったわけでありますが、まあ、一般に基礎年金というと税金で、普遍的に、所得制限なしに、誰でも、一定の年齢に達すれば支給する年金というのが、国際的に一般的なイメージのようですが、日本とイギリスは保険という仕組みで基礎年金を作っております。したがって、加入しなかった場合には年金は出ませんし、期間が短ければ年金が減らされるということで、完全に普遍的な誰でも同じ年金が受けられるというものではありません。

【官民格差の解消】
 60年の改正では、サラリーマンの年金は二階部分になりまして、それまで厚生年金と共済に相当な格差があったわけですが、今では目くじらをたててどうこういうほどの格差はありません。実質的に格差は解消したのではないかということです。少なくとも給付の条件、年金給付の計算式は厚生年金と共済は基本的には同じです。若干共済にプラスアルファーがついておりますが、このプラスアルファーの部分をどう考えるかというのが学者の間でも専門家の間でも議論がわかれるのですが、まあ、そんなに大きな給付の格差はありません。
 二階部分の問題で残されたものは、実は財政の単位が別々になっておりますから、そこで、負担の調整をどうするかということです。これが二階部分の一元化の残された課題になっていました。60年改正以降一番問題を抱えていた旧三公社のうちのJR、JTが問題をかかえていたわけですが、NTTも親戚だということで、旧三公社を去年の4月から厚生年金に吸収しました。厚生年金が引き受けたからといって、厚生年金が全て面倒をみているわけではなくて、引き続き他の共済組合からも拠出をお願いしております。

【サラリーマンの妻の加入】
 それから、60年の改正では、サラリーマンの妻も必ず加入するということになりました。仕組みの上では市町村に届けを出しておけば、夫が厚生年金、共済組合員であって、さらに扶養を受けているということであれば、個別には保険料を払わなくとも、夫の厚生年金、共済組合のほうからまとめて妻分の保険料が支払われるということです。これは当時も議論はあったのですが、私はあの当時はあれでいいと割り切ったわけです。しかし、どうも世の中がどんどん変わってきまして、だいぶ私も頑固な方なのですが、ここにいらっしゃる袖井さんなどの考え方にだんだん近づいてきました。それは年金制度だけというよりも、全体として女性にうんと働いて貰おうという世の中になってくると、税制あるいは健保の扱いも同じですが、女性の就業を抑制しているようなものについてはやはり手直しが必要かなと、私も思うようになりました。

【1989年:学生の強制加入】
 さらに、平成元年(1989年)の改正で学生の強制適用をしました。国民皆年金というなかで、現役世代はみんな加入するという建て前のなかで、サラリーマンの奥さんまで加入させて、結局残ったのは学生だけであったわけですが、これを強制適用したわけであります。

【1997年:基礎年金番号の導入】
 あと最近の改正ですと、改正というより運用上のことですが、去年の1月から基礎年金番号が導入されました。これは年金だけの国民背番号でありまして、我々ひとりひとりが去年の正月明けに基礎年金番号の通知をもらったわけです。基礎年金というかたちで、全ての国民が共通の仕組みの下にあるわけですから、基礎年金の番号をどのように職業が変わって、加入する制度が変わっても、ひとつの番号で記録の管理を行うということです。これによって、適用漏れを解消するとか、あるいは年金相談もスムーズに他の制度の加入機関の紹介もすぐできる。給付はダブって受けられないのに間違って受けていることがあるのですが、それも未然に防げるというように、行政の効率化も図られるような仕掛けになったわけです。

3 1999年改正のスケジュール
 今、平成11年(1999年)の年金改革の検討が行われております。去年の新しい人口推計に基づいて財政見通しを出すと、厚生年金の保険料率が今17.35%ですが、2025年には34.3%になるというわけです。前回の改正の時には、何とか30%以内にとどめるということに労使も含めた幅広い合意がありまして、29.8%となんとか30%以内にとどめたのですが、今回は高齢化がさらに進むということで、さらに34.3%になるということです。一方、国民年金は、今、月額1万2800円の保険料ですが、これが2万4300円になるというわけです。前回の推計ですと2万1700円にとどまるとみられていたのですが、それも高くなるということで、このあたりから議論が始まったわけです。
 平成11年改正のスケジュールということですが、ご承知のように公的年金制度は、各制度とも法律で少なくとも5年以内の間隔で財政再計算を行うということが義務づけられています。つまり、将来に向かって安定して年金制度を運営していけるかどうかという財政上の検証を行う義務があるわけです。ただ日本の場合には、相当後代の負担に委ねたところがありますから、いずれにしても保険料は段階的に上げていかなければならないのですが、従来のスケジュール通りの引き上げ方でいいのかどうかというのは少なくとも検証しなければいけないわけです。高齢化が進む、あるいは積立金を持っていても運用が思わしくない、あるいは高齢者の雇用や女性の雇用の動向によっても財政に影響をおよぼしてきます。そのような意味で財政の検証を行うわけですが、あわせて、単なる財政の検証だけでなく、制度全体の見直しも行うということになっています。したがって、法律も改正するということになります。
 今回の11年改正に向けての取り組みも従来のペースとほぼ同じで、去年の5月から年金審議会の議論が始まって、暮れに今論点整理が発表されたということです。そして、年が明けまして、本来は去年の12月といっていたのですが、おそらく1月末までには年金白書が出るわけです(事務局注:2月13日になって、年金白書は発表されました)。これは新しい試みでして、審議会も今議事録が公開されておりますが、審議そのものも公開する方向で今動いているようですが、そういった情報公開の一環として現在年金制度の現状について出来る限り易しく、わかりやすく、オープンにしたいというようなことであります。ただ、今回の年金白書はかなり難しい、5つの選択肢について詳細な解説がついております。その年金白書を作るのでアドバイスを欲しいということで年金理論研究会というのが年金局に設けられ、私もその委員のひとりとなっておりますので、一応事前にこの白書をいただいておりますが、それはかなり難しい、かなりレベルが高いものとなっております。まあ、そういうものでありますが、年金白書がまもなくでる。それから、さらに有識者調査を行う。これは、有識者調査というのは、昭和60年の改正の時と前回の6年改正にもやっているのですが、おそらく2000名とか3000名とか、労働組合の方とか経営者、主婦の方、いろんな学者の方、いろんな方にアンケートをお願いするということになります。私は、このアンケートが5つの選択肢のどれかを選ぶというような変なアンケートにならないことを願っているのですが、事務局としては有識者調査で収斂して欲しいでしょう。私としてはちょっと待てという感じです。もっとも、どんなアンケートになるかは私は全く知りません。それが、当初の予定より遅れて、おそらく3月に行われるということです。
 あとは、一応今の予定では9月ごろを目標に審議会としての意見をまとめるということのようですが、今までの経緯からいくと1ヶ月か2ヶ月ずれるのではないかと思います。そして来年の年明けに改正法案を作って、通常国会に提出するということのようでございますから、実は今年で大体方向が決まるということです。ただ、来年通常国会に法案を出しましても、今までの例からしましても、1国会で通ったという例がございませんから、そういう意味では来年の秋頃成立ということで、まだ2年近くあるということです。

4 論点と課題
1) 給付水準について
【高齢者の社会保障負担は増える】
 さて、論点と課題ということですが、どうも5つの選択肢をみましても、今、年金局がねらっているのは、推測するに5つの選択肢をみましても、どうも今回の改正というのは中央突破の方針ではないかと思います。つまり、給付の水準そのものを下げるということを問う改正を狙っているのではないかという気がします。ただ、そこで私が最近書いていますのは、私自身は最近は高齢者介護だとか子供の問題に関心を持ってきましたが、まあ、医療保険や介護保険というのは、明らかに高齢者に相当な負担を求める方向に改革をしているわけです。
 負担というのは2つの面での負担です。ひとつは保険料の負担という意味で、介護保険では高齢者と現役(現役は40歳から65歳未満ですが)のひとり頭の負担は2500円で同じです。つまり全く同じ負担を高齢者にもお願いするということです。さらに自営業者グループだけをみますと、65歳以降は2500円、40〜65歳は1250円です。つまり、医療保険のルートを使いまして現役世代は拠出しますが、医療保険の仕組みにそのままのっかっていますから、国民健康保健の加入者ひとりあたり2500円負担させるのですが、その国民健康保健の財源には半分国の負担が入っています。従って、自営業者グループは64歳までは1250円、65歳になった途端に2500円、つまりこのグループですと高齢者は倍の負担になるわけです。サラリーマングループはどうかといいますと、実は事業主負担があります。そういう意味では本人負担は国保と同じです。ところが、サラリーマングループは40〜65歳までの扶養家族は個別には保険料は負担しません。我々みんなで負担するわけです。そういう意味で、(健保組合によって、あるいは健保組合と政管健保でも違うのですが、いずれにしても)高齢者に相当な負担をお願いしようというわけです。
 実はこの介護保険というのは社会保障構造改革の先導役だと思い、またそうなって欲しいと思っています。介護保険のあとには高齢者医療保険というものが確実にできると思っています。それは、介護保険並びでありまして、まず高齢者にきちっとした負担をしていただいて、そして、公費と現役世代の拠出で支える、介護保険と同じ仕組みになると思います。そうすると、介護保険のあとの高齢者医療保険でも高齢者は現役並みの負担を求めるという方向になると思います。それがひとつです。
 もうひとつは利用者としての負担です。老人医療では一部負担を引き上げるのは非常に難しかったのですが、介護保険ではいきなり1割定率負担をお願いすることになります。しかも給付に上限がありますから、医療保険では保険外の負担といわれているものが、合法化されます。つまり1割の負担、そして入院時には食事の一部負担、さらに保険外の負担が相当高くなるというのが介護保険で、おそらくその介護保険並びで医療でもそのようになると思います。
 このように相当ドラスティックな医療、介護の改革が進められようとしており、そしてある程度それについて合意が得られつつあるのは、今の高齢者は貧しくないという前提です。まあ、現実に現役と変わらない所得がある。であれば、現役と同じように負担をしていただこうというわけです。

【年金が高齢者負担を支える仕組みが望ましい】
 ところが、年金で中央突破、つまり年金給付を下げたい、極端な意見としては二階はもう外して一階の基礎年金だけにしようなどということになりますと、高齢者に医療、福祉の負担をしていただくという前提が崩れるわけです。これは厚生省として話しをまとめて欲しいというわけで、年金局長に言ってもかわいそうなことです。なんのために大臣や次官がいるのかということでして、整合性を確保して欲しいということです。私としては、ある程度の年金を出しておいて、その年金でサービスを買ってもらうという社会の方が落ち着きがいいのではないかと思っております。逆に、年金はうんとスリムにして、高齢者の福祉や医療の負担を軽くするというのもひとつですが、どうも前者の方がいいのではないかと思っています。つまり、年金の水準だけを考えても意味がないということです。

【高齢者の税優遇も見直す】
 それから、医療や介護の世界では、高齢者にも応分の負担をしていただこうという方向で今動いているといいましたが、私は税制においても問題があると考えています。現在は公的年金等控除がありまして、高齢者はあまり税金を負担しなくてもいいことになっております。今、65歳以上の夫婦ですと334万6000円まで非課税で、所得税がかからないのであります。一般の給与所得者の夫婦ですと、209万5000円が課税最低限です。なぜ高齢者だということでこんなに優遇しなければいけないのかということです。
 実は医療保険の問題で一番大きい問題というのは国保(国民健康保険)の問題です。国民健康保険では老人がどんどん増えるというわけですが、国保の統計では無職者が増えるということになっているのです。無職の人というのは年金受給者が増えている。この今どんどん増えている年金受給者というのはサラリーマンOBでして、まあ、20万円あまりの年金を毎月手にするサラリーマンOBが今増えているわけです。で、この20万円あまりというのは、去年の人事院勧告で国家公務員1種を合格した人の初任給が18万9000円です。まあ、若干手当が付いたとしても引かれるものは引かれますから、むしろ年金受給者よりも手取りはかなり低いわけです。それから、厚生年金の女子の統計によりますと、厚生年金の適用を受けている、したがってほぼフルタイムの女子の平均月収が21万円です。これは諸手当込みで21万円でして、手取りは21万円より落ちるわけです。国保で老人が増えているといいますが、若い世代の月収あるいは働く女性の月収と同じ程度の収入がある老人が増えているわけで、決して貧しい老人が増えているわけではありません。
 問題は、国民健康保険の保険料の取り方は、所得割のウエイトがだんだん高くなっているわけですが、その所得割で十分な保険料がとれない。ですから、市町村にとっては高齢者は決して貧しくはないのだけれども、税金が、所得割の保険料がとれない人がどんどん増えているということでして、やはり同じ所得に対しては同じ税金をかけるということにすべきだと思います。さしあたって社会保障のなかでは、それによって国保の財政の基盤が強化される。ま、国の税収も増えるということであります。

【年金を使って医療や福祉の矛盾をなくす】
 それからもうひとつ、介護保険ができたことによって大きな問題が新たに生じたわけです。それは、医療・介護給付と年金給付の調整というのが大きなテーマになっているわけです。まあ、新聞などの書き方では、老人ホームに入っているお年寄りはたくさん年金を貯めている。で、ほとんど面会にも来ない子供が死んだ途端に来て預金通帳を持ってく。そこにはがっぽりお金が貯まっているというのですが、これはちょっと行き過ぎた表現ではないかと思うのです。実は特養に入ってはそんなにお金が貯まらない仕掛けになっているのです。福祉の世界は応能負担でございまして、20万円程度の年金受給者、まあ我々のサラリーマン階層が特養老人ホームに入りますと、月々15万円の費用負担をしなければいけません。そして扶養義務者、つまり寝たきりのお年寄りを抱える扶養者っていうと我々の世代です。年収800万円としますと、扶養者からも4万円の負担が求められるわけです。お世話するのに20数万円かかっていますが、そのうち19万円の負担です。本人だったら年金20万円のうち15万円ですね。ですから大してお金は貯まらないのです。小遣い程度のもの貯まるだけなのです。しかし長期に入所しているとかなりの額になるということはあるのでしょうが、大して貯まるわけではございません。
 それに対して、むしろ問題なのは病院です。病院は去年の9月から一部負担が引き上げられました。入院1日、今時点で1000円、食事の一部負担が760円で、合わせて1760円ですから、月額5万2800円の負担です。したがって、20万円の年金受給者が入院しますと、確実に15万円程度のものが残るわけであります。ただ、これは東京の話しではございません。全国的には厚生省のいっっているとおり、私が今いったとおりなのですが、東京やその近辺ですとお世話料というのがありまして、安くて10万円、まあまあだったら15万、20万円ということでありますから、東京やその近辺ですと病院に入ってもお金は貯まらないのです。しかし全国的には病院に入るとお金は貯まる。出来るだけ病院に入って長生きして欲しいというのが子供の願いかもしれません。
 ところが、今度は介護保険がまさに医療保険と同じ仕組みになります。だいたい特養、あるいは老人保健施設、あるいは療養型という介護を重視した医療機関によって若干違うのですが、だいたい月額5万円から6万円の利用者負担ということに統一されます。ですから、介護保険が出来たことによって、応能負担の仕組みがなくなりますから、お金が貯まるというのは全国的には一般化するわけです。これを何とかしなければいけないということです。そういう意味では、入所者のお金が貯まるという問題を解消するには、これはもう基礎年金だけにしてしまうというのもひとつではありますが、私が望ましいと思うのは、利用者負担として、入院した場合には相当なものをきちっと負担してもらうという仕掛けにしなければいけないということです。そうすると、医療や介護保険の財政負担が相当軽くなるということであります。ですから、少し年金を使って医療や福祉の世界をきれいにしたい。そのためには使える年金といいますか、しっかりした、ある程度の年金であって欲しいと思うわけです。

2) 支給開始年齢と高齢者雇用
【支給開始年齢の引き上げは見送り】
 次に雇用の問題でありますが、雇用の問題については今回の改正でおそらく手をつけないのだろうと思います。ほとんど話題としてないわけであります。今原則の支給開始年齢は65歳でありますが、60歳から65歳までは段階的に部分年金に切り替えられて、サラリーマンですと60歳から65歳までは将来的には10万円程度の年金、65歳から基礎年金の上乗せということになるのでございますが、これは前回の改正で段階的にそのように切り替えるということになりました。従って、原則65,しかし60代前半で10万円程度の部分年金が出るということになっております。その原則の支給開始年齢を66歳以降、例えばアメリカは67歳に引き上げられていますから、67歳にするというような意見が一部にありますが、私は現実にはそれは無理だと思っております。やはり60歳代前半の雇用をきちっと確保し、それに伴って年金の支給開始年齢が上がるというのが手順だろうと思うのです。

【高齢者雇用にインセンティヴを】
 今雇用状況は非常に悪いのですが、年金制度の側でも雇用を促す制度を取り入れられないかということを平成元年改正あたりから主張しております。我々のように社会保障や福祉をやってきている人間というのは、助け合い、社会連帯というのを非常に大切にしますが、どうも反省としなければいけないのは、助け合い助け合い、社会連帯連帯といいながら、どうもたかりを生んできた、あちこちにたかりを生む構造が出来てしまったというような気がします。雇用についていいますと、65歳まで雇用をする会社、ある程度の給料で雇用する会社は、一部ではありますがあります。中小企業ではかなりあります。そういう会社と60歳でほとんど解雇してしまう会社とが同じ保険料を負担しているのはどう考えてもおかしいわけです。厚生年金というのは加入者同志の連帯のシステムであると同時に、事業主同志の連帯のシステムですが、高齢者を雇用している企業は、雇用によって20万円相当の年金の支給が行われない、むしろ逆に、保険料を労使が払って財政を支えているわけです。そういう年金制度に対する貢献に明らかに違いがあるにもかかわらず、同じ負担を求めている年金というのはいけないのではないかということです。つまり、60歳で厚生年金がつくということで解雇できる。そしてその財源はオールジャパンでみんなに負担させるということでいいのだろうかということです。
 私の頭の中にあるのは企業年金の合理性でありまして、65歳定年の会社と60歳定年の会社があったとします。それぞれ企業年金を設計すると、65歳定年の会社の方がうんと身軽な企業年金ができるわけです。なぜ厚生年金にそういう仕組みが入れられないのかという気がするのです。ここに来ていらっしゃる久保田さんあたりが日経連にかつておられて、山崎のような案に乗ってはいけないといろいろと福岡専務に入れ知恵をされて、国会に参考人として一緒に出ましたときに、山崎のいうことは理論的にというかモデル的には理解できるけれども、うまく現実に仕組むとなるといろいろと難しいとかなんとかいう福岡専務の答弁を、おそらく久保田さんがお書きになったのではないかと思うのですが、まあ、少し工夫をして、なんとか年金制度の側からも雇用の促進を促すという仕組みが入れられないかということです。
 これは、実は労働省であれば、私のいっていることはおそらく素直に受け入れられる提案です。雇用保険で雇用3事業というのをやっておりまして、これは全て事業主負担ですが、事業主が報酬に応じて全て一定の料率で負担をしておりまして、その財源を使って高齢者雇用を奨める企業に助成をしているわけです。ですから、そういう仕掛けを年金の中に入れられないかというわけであります。まあ、幸いなことに今回厚生省と労働省とが一緒になるわけでございますから、このへんは仲良くやっていただきたいという気が致します。

3) 高齢在職者の取り扱い、高資産者に対する年金支給問題
 高齢在職者、高資産者の年金ということですが、ここでいう高齢というのは65歳以上の在職者でありまして、今の厚生年金は資格を喪失させておりますから、65になれば保険料は払わない、払うのは健保の保険料だけです。そして、年金を全額受け取るということになっています。こうれはちょっと行き過ぎではないかという指摘でありまして、実は共済年金はほぼ厚生年金と同じ仕組みになったといいましたが、60年の改正で、これには付き合っていないのです。あくまでも退職してから年金を出すというのが本来の年金だと頑張りまして、65歳以降も勤めている限り年金を出さないのです。しかし、共済グループで65歳以降も勤めているというのは私学にあるだけで、国家公務員などでは裁判官など本当に特殊な人だけで、現実にはいないわけです。その私学も、実は65歳で一部年金を出すことにしております。しかし、どうも在職している人について全額年金を支給するというのは、私自身も行き過ぎではないか、一部支給停止ぐらいはしてもいいのではないかなと思っています。まあそれも70歳ぐらいまでかなという気がいたしますが、在職している、まだ現役だという人については少し制限をかけてもいいのではないかな思います。
 資産についてですが、ここまで手をつけるともう年金に対する信頼はなくなってしまうのではないかなという気がします。これは、読売新聞の座談会で年金局長もおっしゃっておりますが、たくさん貯金をしていたならば年金を出さないというのであれば、おそらく資産を一定の年齢で処分してしまう、子供に生前贈与してしまうということになるのではないか、あまり良いことではないと思います。それよりは所得や資産にきちっと税金をかけるということのほうが大事だと思います。年金を出さないのではなくて、年金を出しておいて、優遇税制を止めて税金をかけるという方向にすべきだと思います。

4) 年金の国庫負担と賞与の扱い
【国庫負担増は見送り】
 それから費用負担ですが、ひとつは国庫負担という問題があります。基礎年金は今3分の1の国庫負担がついておりますが、これを2分の1程度に引き上げることについて検討するという付則が前回改正で入っておりますが、この間の財政構造改革会議の報告等でも、今回の改正では財政再建までは国庫負担は増やさないということになりましたから、今回のテーマからは外れております。ただ、議論は大いにしてくださいと年金局長はいっておりますが、いくら議論をしてもお金は出てこないような状況のようでございます。しかし、今までのままですと、国民年金の場合は保険料を上げるときに落ちこぼれがどんどん出てくるのではないかなという気がします。

【賞与からの徴収は給付に跳ね返る】
 それから、賞与の扱いについてですが、応能負担の原則からして賞与を外しているのはおかしいわけでして、厚生省はいろいろ言ってきましたが、労働省は最初から雇用保険、労災保険でボーナスについても月収と同じ率で保険料を徴収しています。これは応能負担という観点からそうすべきだと思います。既に健保の方では、厚生省あるいは与党の方針として総報酬制というのが方針として出されています。年金もおそらくそうなるんだろうと思うのですが、ただ、そうした場合に、給付に反映させないと加入者の方の合意を得られないだろうといわれています。実はボーナスも含めて月例給与と同じ率の保険料を取りながら、雇用保険の失業給付では、給付として返していないのです。雇用保険の失業給付は月例給与分に対して6割〜8割程度の支給率で手当を出すわけですから、いただくだけいただいてお返ししないというやり方もあるのですけれども、雇用保険の保険料率は、雇用3事業を除いた部分が0.8で、我々本人が負担しているのは0.4ですから、まあ大したことはない。ところが年金となりますと、今でも17.35%ですから、これは知らん振りと言うわけにいかない。総報酬制で負担をしていだたくけれども、給付に跳ね返らせるとするとどうすればいいか、ちょっと難しい問題があると私は思います。この辺も労働省と一緒になるわけですから、労働保険と社会保険の適用から保険料の徴収の方法もそろえるような方向で改正して欲しいと年金局の人には言っています。将来労働省と一緒になること前提にして、ある程度事務的なことも検討して欲しいというふうに言ってあります。

5) 第3号被保険者と学生の問題
【見直しが必要】
 それから、第3号被保険者と学生の保険料負担なのですが、先程既に申し上げましたが、私が昭和60年の時はあれでいいと考えたのは、実は健康保険がそうなっているからです。扶養家族は保険料を払わないで保険証を使って医療を受けているわけです。そのことについてだれも文句をいっていなかったわけです。ところが年金でサラリーマンの奥さんからとらないということになりますと、樋口恵子さんと公開の場で議論したこともありますが、けしからんとおっしゃるのですね。だけど、樋口恵子さんは今まで健康保険でおかしいとおっしゃらなかったですかといいましたら、あれは自分が知らない間に昔からそうやっている。年金の方は今、私が見ている前でそういうけしからんことをやっている、と。あの人らしい言い方だなあと思うのですが、まあどうでしょうか。私は健保並びだということでまあいいだろうとあの時思ったのですが、最近どうも………。
 こういうことです。20歳代の共働きならいいのですけれども、子育てが終わってなおかつ共働きをしている人としていない人の違いというのは、どうもはっきりあるようでして、まああの方はいいわねということになる。ご主人の給料が高いから専業主婦を選択できる、私は選択できない。こういう傾向がどうもあるわけです。ということになると、ご主人の給料が高いから選択できる、そういう主婦の年金財源を働く女性を含めてみんなでみるというのはやっぱりおかしいのかな、こういう気がします。それがひとつです。

【矛盾の増大】
 それから、もうひとつ。平成元年の改正で学生の適用をした時に、もう弁護できなくなったわけですね。60年の改正で、サラリーマンの奥さんと同じ扱いをするのであれば、サラリーマン家庭の学生については3号扱いをして、お父さんが加入している年金でまとめて払う。自営業者家庭の学生については、自営業者の世界はいつも個人単位ですから、国民健康保険も均等割り、国民年金もひとりづつ払うわけですから、自営業者家庭の学生は、一人頭いくらというかたちで保険料を負担していただくというふうにすればよかったのですが、そうしなかった。ということで、これはもう、支離滅裂になったわけです。数年前、私のゼミの女子学生が質問してきたのです。「先生、おかあさんは払わなくて良いのに、なぜ私は払わなければいけないのか」。ちょっと説明しかけましたが、私は自信ないですね。で、「おかあさんはお金がないんだ」といったら、「いや、おかあさんは一番お金がある。おとうさんも私もおかあさんからお小遣いをもらっているので、本当は一番お金があるのはおかあさんだ」といいましたね。実はそのことは、今埼玉県の副知事の菅原真理子さんが、57年頃ですかね、60年改正の少し話題が出始めた頃、「実はこういうのはどうですかね、奥さんからとらない方向で何とかいきませんか。健保がこうやっているのだから」っていったら、「いや大丈夫です、奥さんからとれます。日本の奥さんはみんな財布を握っているから、お金があるから、山崎さん大丈夫、とれる」といいました。おそらく、彼女のいうことが正解だったのかなと思います。まあ、おそらく年金局長もこういう質問に対しては家庭で説明できないですね。
 一時期国家公務員共済だけがJRを抱えていたことがあります。なぜ、地方公務員共済が助けなかったのかなと思うのですが、その国家公務員共済がある月からJR救済のために保険料があがったわけです。年金局のひとが家庭に帰って、奥さんに「あんた、なんで今月から掛け金があがったの」と聞かれた。「いや国鉄を助けるために上がったのだ」というと、「国鉄と厚生省とどういう関係があるの」といわれて答えられなかったそうです。自分の奥さんだとか子供というのは、主人の仕事を一番理解してくれる、少なくとも理解しようとしてくれている同志なのですね。その奥さんや子供に理解してもらえないことというのは、国会で理解してもらえないし、世間では通らないはずなのです。
 それから、40歳台になって子育てが終わったから共働きというのも、専業主婦を選択できるいいご身分の方の面倒を見る必要がないというのも、やっぱり考えてみなければいけない。それから学生の適用も矛盾する。それからなによりも就業意欲を抑制している。これは年金、健保以前の103万円の問題ですが。そういった点で、去年の連合の制度政策要求で、配偶者控除を外すという提案をされたようなので、私はひとつの大きな動きかなと非常に関心を持っております。それから読売の世論調査でもびっくりしました。6割の人がサラリーマンの奥さんから保険料を徴収することを肯定しています。しかし、どうも年金局の雰囲気では今回は見送りということのようですから、そういわれると私ももう少しこの問題で頑張ろうかなという気がします。

6) 第1号被保険者の適用と保険料徴収
【税か保険か】
 それから、第1号被保険者の適用と保険料徴収ですが、まあおそらく並河さんあたりもですね、基礎年金は税金にしてしまえというわけですよ。これは世論の大勢ですね。ですが、これは私、がんばっちゃうんです。要するに、日本の社会保障は保険という仕組みで今まで走ってきて、その社会保障の構造を180度変えることになるのではないか、そのことに懸念があるわけです。年金を税でといいますと、老人医療を税で、介護を税で、とおそらくみんな税金になってしまうのですね。税金でということになると、多分、日本では所得制限をかける、あるいはサービスですと応能負担で、利用者負担を求める。そういう不自由な世界になるのではないかという気がします。ですから、基礎年金というのは、いつでもどこでもだれでもみんなきちっと年金が受けられなければいけないのに、加入しなかった、期間が短いということで、十分な年金が受けられない人が出ます。だから、税金に切り替えるのだというわけですが、日本の場合、税金に切り替えた場合には、おそらく制限をかけるのではないかと思います。それから、医療の世界、福祉の世界は、おそらく義務教育に近いような世界になるのではないかという気がします。保険だから、わりと自由に医療機関を選び、かかっているのですが、税金ですとおそらく制限がかかり、おそらくサービスの提供も今のように、医療でいえば自由開業医制というようなことでは認めていただけなくなるのではないかという気がします。それが懸念するところです。

【保険でまだ工夫ができる】
 で、問題は、今の社会保険という仕組みのなかでももっともっとやれることがあるのではないかと思います。ひとつは適用漏れ。現実に20歳代で加入していない人の中には知らなかった、加入義務があるのに知らなかったと、要するにサラリーマン以外の人にはそういう人も少なくないのです。ただ、それに対しても、全部年金番号で呼び出しが出来るようになりました。私の奥さんのところにも、たまに横浜市役所からきますが、「あなたは3号の届け出をされていますが、その後お変わりございませんか。」お変わりっていうのは、「ご主人が退職されたら、あなたは3号ではございませんよ」、というわけですね。あるいは、「あなたがパートかなんかに出て、健保の扶養から外されたら3号ではございませんよ、いずれも自分で保険料を払うんですよ、いかがですか。」と、たまにきます。しかし、あの、「お変わりございませんか」という問いかけですから、役所がわからないから、それらしき人に、可能性のある人に呼びかけているのですね。実は横浜市役所は(全国の市町村全部同じですが)、直接つかまなければいけないのは、サラリーマンの奥さんと自営業者で、20歳から60歳未満の人たちです。実は横浜市役所は今までサラリーマンを掴めなかったわけであります。なぜ掴めなかったかといいますと、我々は健康保険証、共済組合員証をもらいますが、2年に一度の更新のときに住所欄は空白になっていまして、自分で記入しております。ということは、社会保険の適用というのは事業所をつかんで、社長をつかんでいるだけでありまして、個々人の住所は管理していなかったわけです。基礎年金番号というのは、おととしの秋に我々みんなのところに届きました。社会保険庁からの指示で住所を届けるようにということでした。こういうことになって、初めて市町村は全てサラリーマンをつかむことができたのです。で、サラリーマンをつかめば、サラリーマンを除いたものは直接呼びかける対象ということで、ほぼ完璧に、路上生活をしている人を除いては、つかめるようになったわけです。つかめるようになりますと、そういうわけで知らなかったということはなくなりましたし、年金手帳を届けることができるようになりました。しかし、保険料を徴収出来るかどうかということは別でして、相変わらず自主納付です。この自主納付ということが結局、国民健康保険も同じですが、一番の問題です。私は少しこの辺になりますと鷹派になりまして、義務を果たさない人をこのままにしておいていいのかという感じがするのです。法律上は強制徴収できます。しかし、行政コストがものすごくかかりますから、あまりしません。国保はそれでも少しはしますが、年金はしません。私も強制徴収はいいことではないと思っています。それに変わる手段として、例えば、運転免許証を取得する時、あるいは更新する時に、国民健康保健と国民年金の納付証明を持ってこさせるくらいなことをしてはどうかということです。おそらくこれで殆ど加入漏れは解消されます。自営業の方は車がないと仕事ができない。学生はみんな免許証を持っております。この案には最初なかなか支持者はいなかったのですが、最近増えてきました。
 それから二番目。生命保険会社の方にはきつい言い方になりますが、市町村のセールスは、生保のセールスに絶対負けます。それは向こうはプロですから、ああいえばこういう、こういえばああいうということで………。しかもいまはマスコミで国の年金は危ないということですから。
 申告所得税の調査で(申告所得税ですから、税金を納めている人ですから、本当に貧しい人ではありませんが)、社会保険料控除の適用者数と生命保険、個人年金保険料控除の提供者数の比較があるのです。いま皆保険皆年金ですから、みんな社会保険控除は年寄りまであるわけです。ところが、低所得者に限って生命保険、個人年金料控除の適用者の方が多いのです。つまり、苦しくなれば、国保、国年の方をさぼって、そして、なんとかのおばさんとつきあいをするということです。これはちょっといけないのではないかという気がしまして、今の大蔵省の幹部のひとに4・5年前に、けしからんと申し上げたのです。国民の義務を果たさないものに、なぜ、自助努力だとか何とか奨励金、税制上の優遇をするのかといいましたら、世間で大いに言っていただきたいということでした。なぜかなと思たのですが、まあ税金が増えるからなのでしょう。

【保険料徴収の工夫】
 要するに私の提案は、理由なく社会保険料控除の欄が空欄になっている人は、生命保険、個人年金料控除は外すというぐらいのことをしないといけない。で、もしそうしますと、今度はセールスの方はどうなるかといいますと、必ず確認しますね。この保険に入るとこういう税制上の優遇はあるけれども、実はその前提は、国民健康保健と国民年金の保険料を納めていることが前提になるのですよといいますね。いや、入っていないというと、いや入ってください、入っていただいて初めて、私の商売になるんだからと。生保がセールスをすればすれほど加入が促進される、ということをいっていると、連合が数年前からそういうことを書いてくれました。さらに連合は、村山政権のころから随分変わりまして、もうひとつアイディアを出してくれました。印鑑証明を交付しないというのですね。つまり、取引停止、市民権停止です。菅さんが厚生大臣を辞める直前に東京女子大で選挙に行かないやつにはパスポートを出さないということをおっしゃっていましたが、なにかそういう措置が必要ではないかと思います。
 この私のアイディアというのがどこから来たかといいますと、私の世代はまだ米穀通帳を持って田舎から出てきて、下宿を変わる度に米穀通帳を持って歩いたのです。要するに米穀通帳がないとヤミ米を買わなくちゃいけないから、下宿のおばさんがすぐ出せというのですよね。当時は運転免許証を持っている人は少ない。昭和36年まで皆保険でもない。従って健康保険証というのも身分証明書代わりにならない。そういう時代にあって米穀通帳が身分証明書代わりになったわけです。なにか少しそういう連携が必要ではないかと思います。そのことを、山口次官が局長になりたてのころ、申し上げました。申し上げましたら、とてもいいアイディアだ、しかし一番いやな点だ。役人が一番やりたくないことを提案しているといいました。なぜかというと、役所というのは縦割りで、要するに運転免許証ということになると警察に協力をお願いしなければいけない。税金ということになると、大蔵省にお願いに行かなければならない。お願いに行けば、なんといわれるかわかっていると。年金局の仕事をなんで手伝わなければいけないのかといわれるというわけですね。いずれにしても、なんとかしなければいけないと思っています。義務を果たしていただくという仕組みを整えるということが大事ではないかと思います。
 実はそのことによって、行政改革は進むということなのです。今平成7年度の社会保障費のなかで、厚生省の社会保障研究所からでています社会保障給付費のあの推計には事務費というのがあります。あれをみますと、平成7年度で国民健康保険に2100億円の事務費がかかっています。国民年金には1600億円の事務費がかかっています。したがって3700億円の事務費がかかっているわけです。入らないという人のところに毎日毎日催促に行くわけです。その専門の職員を雇ったり、週刊誌まで使って広告したりですね。まあ、いまは市町村役場では、国民年金保険料を払いましょう、国民健康保険の保険料を払いましょうといったポスターもあり、随分人手もお金もかかっているわけですが、私がいったことが実現されますと、3700億円のうち少なくとも2000億円ぐらいは要らなくなるのではないかと思うのです。今、児童手当の国庫負担は250億円、保育所に使っている国の負担は3000億です。特養に使っているのも3000億円です。それに比べると、この国保、国年の事務費だけで3700億円使っているというのは、これは大変なものです。保険料のだいたい10分の1のスケールです。

7) 少子化対策こそ充実を
【よその奥さんの面倒は見ない。しかし、よその子供の面倒は見る】
 それから、少子化対策というのはですね、これは私が今一番関心を持っている問題です。逆に、老人にはほどほどでいいのではないかなという感じがしています、本当は。私の持論なのですが、私の親を見ていて、皆さんも同じだと思うのですが、嫁ぐというのはその家に就職して、飯を食わしてもらう、家事使用人ですよね。で、子供を産むということは資産形成だったわけです。資産形成という意味では女の子には全く意味がなくて、男の子を2・3人産めと。なぜ2・3人かというと、ひとりは戦争やあるいは結核で死ぬかもわからない。3人生めば絶対だ。それでなくとも2人産めばひとりは残るだろうという算段だったらしいんですが、従って人口学者にいわせると、戦前から、戦前の日本はだいたい合計特殊出生率が4から5人です。ということは戦前から日本はかなり徹底した家族計画をやっていたということです。つまり、男の子を2〜3人産もうとすると、結果的には4〜5人子供を産まざるを得ない。ところが戦前と比べると、今、女性は働く場があります。それから老後は社会保障があります。それから介護も社会全体が支えてくれるわけで、そういう意味では結婚しなくてもいい、子供を産まなくてもいいという、非常にいい社会になったわけです。で、このことはとても大事だと思うのですが、逆にいうと、よそのお子さまにお世話になるわけですから、やはり子供は社会の子として、しっかり支え合うようにしなければいけないのかなと思います。そのことをあっちこっちで申し上げておりまして、だいぶ女性の方もふくめて結構ですといっていただくのです。つまり、「よその奥さんの面倒をみるのはやめましょうと。しかしよその奥さんが産んだお子さんの面倒はみましょう」と。それは、納得できるとおっしゃるのですよね。ですから、これからは働いて子育てをするという人が結局一番いいわけです。つまり、これまでは、よその奥さんの面倒をみて、自分の子については面倒をみてもらえなかったわけです。今後は、よその奥さんの面倒はみなくていい。自分の老後のためだけに年金、保険料を払う。そして自分の子供は世間が支えてくれる。こういう世の中にすべきではないかと思います。

【貧富の差なく子供の面倒はみる】
 実はここで、私が保険が好きだという理由にもなるのですが、児童手当も実は税金の世界と同じでございます。事業主に7〜8割の財源をお願いしております。これは相当無理なお願いの仕方をしていると思うのですが、少なくとも本人は負担しておりません。それから、保育所を充実させなければいけないというのですが、保育所の負担は応能負担で、中堅所得層で相当な負担感がでてきております。児童手当には所得制限があります。少し前までは、大体8割ぐらいの子供が受けられる程度の所得制限だったのですが、今は6割です。所得制限の限度額が上がらないものですから、どんどんどんどん受給者が減って、もうこのままですと、貧乏人のための児童手当という方向です。それから保育料にしましても、ある程度所得があると、サービスは利用させるけれどもお金は払えというわけです。結果的に所得の低い人だけに公費をつぎ込むということになります。
 私は、これは間違っていると思いまして、中央児童審議会でも申し上げました。鳩山家に生まれても細川家に生まれても社会の子です、と。お金持ちのご家庭かもわからないけれども、あの子たちが大きくなって、税金や保険料をたくさん払って、世のお年寄りを支えなければいけない。結果的に細川護煕さんや鳩山由紀夫さんを家庭内で支える余力は残されません。ですから、保育所を利用したとしても、鳩山家や細川家の子供にも公費で助成して保育料を軽減しなければいけません。しかし、現実にはああいったご家庭のお子さんは、お手伝いさんがいるくらいでしょうから、保育所は利用しません。しかし、それでも社会の子ですから、児童手当というかたちできちっと支援しなければいけないのではないでしょうか。

【年金による子育て支援は邪道】
 しかし、本人の負担していない制度というのは日本では不自由なものになります。救貧的な仕組みになります。そこで提案としては、我々年金保険料に上乗せして、月々子育て負担金を払って、そして、それを財源にして保育所や児童手当を改善することにしていただけないだろうかということを、人口問題審議会でも提案したわけです。今、年金制度による子育て支援というのは年金審の議論のテーマにもなっているのですが、そのなかで、普通にいわれています子育て支援というのは、子供をたくさん産んだ人にはたくさん年金を出そうというのがひとつ。それから、子供のいる人には保険料をまけようというのがもうひとつです。人口問題審議会でそれぞれについてどう思うかと質問されましたので、どちらも私は賛成できませんと申し上げました。子供をたくさん産んだ人が老後はたくさん生活費がかかるのであればいいけれども全く関係ない。年金は年金の水準というのが別途あるはずだというわけです。ただ、フランスは子供を産んだ人は年金を増やしております。それから、もうひとつ、子供を産んだ人は年金保険料をまけるというのも、(税金はそうなっているのですが)あなたには子供いる・いない、何人いる、と印をつけてまわるような世の中は私はきらいです。本当に望んでいても産まれない人もいるわけです。それこそ私のところに、厚生省にいってくれという人もいるのですよ。保育所の園長さんで女性の方で、子供が欲しいんだけれども不妊治療にものすごくお金がかかるっていうのです。なんとかしてくれとおっしゃるので、なんとかしてあげたいような気がします。ですから、そういう印を付けて回るようなことはやめて、みんなで子育て負担金をして、そしてそれが手当なりサービスが子供に届く。結局同じことなのですが、そういうやり方の方がいいのではないかという気がします。

8) 民営化論と財政方式論
【民営化は難しい】
 それから、民営化論と財政方式論についてですが、私は年金理論研究会に参加しておりますが、実は非常に座り心地が悪いのです。一番右なのですね。保守派です。体制派です。で、要するに僕だけなんですよ。もっと僕より右の人もいるのですが、僕より右の人は年金局が呼ばなかったものですから、結果的に右になったのですが、東大教授の井堀さん、それから慶応の清家さん、埼玉大学に移られた太田弘子さんなど、みんな基本は民営化論者です。そこで、ついつい頑張っているのです。まあ、ここでいう民営化というのは5つの選択肢のなかの一番最後にあるのですが、公的年金は基礎年金だけにして、二階は自由にしようというのがひとつです。しかし、二階を自由にすると、おそらく相当な企業間の格差が出てくると思います。企業年金では、あるいは個人年金でも、入れる人入れない人が出てきます。かつてイギリスがフラットの年金だけで戦後ベバリッジ体制でスタートしました。復興の過程で経済が成長し、大企業はどんどん職域年金、企業年金を作っていきますが、中小企業はできません。この格差が非常に大きくなりましたので、それを埋めるために政府管掌の二階部分を作ったわけです。おそらく日本もそうなるのではないかなという気がします。そうするとまた元に戻るのですね。ですから、二階の完全な民営化、自由化っていうのはないのではないかと思います。

【積み立て方式は検討に値する】
 それよりはむしろ、民営化論者が主張しているもうひとつの点ですね、これは注目したいと思います。それは積み立てるということです。ですから、公的年金の二階部分、一定の二階部分を残しつつ、そのなかに積み立て部分をはっきり組み込むべきではないかと思います。今の若い人たちは、やっぱり将来に備えたいという気持ちを持っているのです。で、その気持ちをうまく年金制度の中に組み入れる。そして、積み立てと賦課のバランスを二階部分でもとるという仕組みがどうかなと思っています。具体的には、二階の厚生年金をふたつに割りまして、ひとつは賦課方式、世代間扶養、ひとつは積み立て方式、、できたら確定拠出型という方向にもっていけないかというふうに思っています。

5 討論
【久保田(日本生命)】 年金の問題を社会保障全体から考えるということについては大賛成です。
 雇用へのインセンティブの問題についてのご指摘がありましたが、前回改正の時は、アイディアとしてはよくわかるのですが、障害者雇用の問題と同じ弊害が出る可能性があるということで消極的だったわけです。先生も工夫の仕方だとおっしゃいましたが、私も単純なインセンティブを与えるとコストだけのバランスでみてしまうということになりますので、システムとしてはなかなか難しいのかなと思います。
 全体でものを見ると言ったときに、財政の問題でひとつ、国はおかしいというところがあります。それはどういうことかといいますと、行政単位が全部縦割りですと、同じ省のなかでも、例えば児童手当局があって年金局があって社会保険局があり、財政が全部別になっています。その各々に特別会計というわけのわからん会計がございまして、それがいろいろな格好で運用されている。特別会計だけ全体を合わせますと、非常に大きな額になります。給付を全体でバランスをとり、例えば年金をたくさん出して、その分医療や介護に回していくということであれば、当然国のサイドの経理についても一括処理しなければならない。いまは分別経理で縦に完全に壁が入っていますが、せいぜいミシン線位だけ入れて、それで財政をみていきましょうとならなければならない。当然のことですがクッションのお金は要りますから、クッションのお金は全体の袋として、特別会計だったら特別会計という格好にして、ある一定の限度で持っていたらいい。その特別会計の発動については、各々の財政調整をしたうえで、そこから出していったらいい。
 そんなふうに思いましたのは、実は今から大分前にチェコへ行ったときに、チェコは社会保険料として全部丸抱えでもらいまして、丼勘定で実際には中身の仕訳をやっています。その時に彼らが言っていたのは、これから個々に会計を分けようと思っていますと。で、分けようと思って計算してみたら、なんだかわからないけれども膨大なお金が要ります。だけど、今はうまくいっているといっているのですね。まあ確かに、財政の単位の考え方とか、将来予測とかそういう問題はあるのでしょうけれども、やはり効率化をするということであれば、受け皿の会計をきっちり整理して、相互に助け合って小さくしていくということがないと、保険料ばっかりかさむことになる。要するに収入と支出だけを単純にバランスさせていったら、それは屋上屋を重ねることで、その調整の部分の財源の効果というのが全然出てきませんので、それを出すような工夫をするというのが、ひとつ大きな問題になるのではないかというふうに思います。

【山崎】 是非、もう少し具体的に提案していただけませんか。抽象的にはよくわかります。

【久保田】 共通ファンドで持っておくというのは、例えば、児童手当で特別会計に積み立てられている部分があるのですね。たしか100億ちょっとあったと思います。そこからこども未来財団に30億円ちょっと出ておりまして、その後、ずっと残っているわけです。先程、所得制限で8割が6割の給付に下がったという話しがございましたが、本当に6割でいいんだったら6割でいいんですが、そうすると、だんだんそこに過剰の積立金が余っていくのです。

【山崎】 わかりました。標準報酬比例で、要するに給与比例で拠出金をいただいている。ところが子供が減る、所得制限額を上げないから支払いはどんどんどんどん減っていくのに、収入だけは入っていて貯まっているという問題ですね。わかりました。

【袖井(お茶の水大学)】 山崎さんが女性の側にだんだんすり寄ってくるとか、傾いてくるとかいうことで、大変ありがたいことだと思って・・・

【山崎】 転向したという(笑)。

【袖井】 転向してくださって、非常にありがたいことだと思います。先程の話しを聞いて、どうも3号被保険者の問題と支給年齢の引き上げの問題が今回無理だろうということですが、なぜそうなのかということをもう少し説明していただきたいと思います。というのは、もう、やはり女性の間ではほとんどおかしいっていう声が多いですよね。働く女性だけではなくて、専業主婦の間でもこんなのは要らない、要するにキメ細かくとっていけばいい。そんな103万の壁とかいうものを設けないで、自分の名義で、自分の働いたもので、自分の年金を持ちたいという希望が非常に強くなっているのに、どうしてこの部分に手をつけないのかということを是非お聞きしたい。
 それから、もうひとつは支給年齢ですけれども、60まで上げるのも大反対で大変だったのですが、ただ日本は世界一長寿国ですよね。それなのにアメリカやスウェーデンなどより低い年齢というのは、まもなく行き詰まってしまうのではないかなという気がします。このへんのところもどうかなと思うのです。
 それからもうひとつは、山崎さんは大変社会保険がお好きなのですけれども、先程のご説明で、税金だとどうも制約されるとおっしゃったけれど、逆ではないかと思うのです。そのへんのところはよく説明がわからないのです。例えば今度の公的介護保険でも、厚生省は払わない人についてはサービスを抑えるかもしれない、抑えるとははっきりいえないけれども抑えるだろうというようなことをいっていますね。ですから、むしろ税金の方が広くいくのではないか。社会保険の原則からいくと、払わない人にはあげないということになると思うのですね。それからもうひとつは、介護保険のほうは半分公費が入っています。非常におかしいかたちで、これが本当に社会保険なのかなということです。なぜ税ではだめなのか、特に老人医療や障害者の問題を考えますと私は税でいいのではないかと思うのです。介護も全部税でやっていいと思っているのです。そのへんのところをちょっと説明して下さい。

【山崎】 3号の問題については、厚生省がおそらく今回の改正では手をつける意思はないというふうな感じを受けておりますが、これは保険局もからむ問題で、健康保険でもおそらくそうせざるを得なくなる、それに波及することがこわいんだろうと思いますね。ですから、保険局もうんといえばいいのでしょうが。私はもう、切り替えるべきだと思っています。
 それから、支給開始年齢については、今全力をあげなければいけないのは60代前半の雇用でして、労働省サイドは65歳定年へと今動き始めているのですが、それが一番いいと思います。そこまでいけないのであれば、今の仕組みのもとで少しインセンティブをつける仕組みをいれたらどうかということです。久保田さんは障害者雇用と同じような問題があるといわれたのですが、実は私の提案は連合の提案にもなっております。本気で提案されているのか、本気であれば少しコメントをお願いしたいと思います。
 それから、税か保険かということですが、袖井先生はたしか介護の社会化をすすめる1万人委員会のメンバーですね。あの1万人委員会が実は介護保険を推進した一番の決定的な勢力だったと思います。国会では民主党ですね。そう思っておりますが、だいたいあのグループの方の本音は税金推進論者だということを知っております。税金は集まらないから、保険の方が集め易ければそれでいい。樋口恵子さんはそうはっきりおっしゃっている。だいたいそういう立場の方みたいですね。税金が集まらない。集まらない税金を使おうとすると、やっぱり制限を加えざるを得ないのではないか。乏しい税金でやりくりするということになると、我々のところにサービスが届かないのではないかという気がします。私は、救貧であればともかく、介護問題というのは我々の問題ですから、我々のところに届けるというのであれば、我々は保険料を払う負担能力はあるわけで、会費を払ってお互いに助け合うというのが、日本では落ち着きのいい姿ではないかなという気がします。したがって、介護も老人医療も年金も税金でということですが、介護は介護で税金で、年金は年金で税金でとおっしゃる方が多くて、みんな纏めて税金でという提案をしていただきたい。ただ、ものすごく税金がかかります。それをいっているのは、(もうなくなりましたが)新進党だけでした。消費税をめちゃくちゃ上げるという提案ですね。
 それから、介護保険は2分の1税金ではないかというのは、これは、私と論争している、例えば日本大学の二木さんなどもおっしゃるのです。「山崎さんは保険だ保険だというけれども、半分公費じゃないか。したがって保険・税金混合保険だっていうべきじゃないか」とおっしゃるのですが、いや、実は半分以上税金がはいっておりまして、一律に5割入っています。あと、医療保険の拠出金の中に自営業者グループは半分税金、政管健保は16.4%入っていますから、59%くらいです。ですから、6割税金4割保険という介護保険であります。ただ、ここで私がいつもいっているのは、例えば国民健康保険は半分税金が入っています。健康保険組合には入っていません。しかし、健保組合の人が使う保険証と国保の人が使う保険証は全く価値は同じなのです。ところが、全部税金になると、応能負担になったりといういようなことになるのですね。ですから、私は国保もりっぱな保険だと思うのです。で、保険の中に入っている公費というのは、自助努力に対する支援措置だというふうに考えています。お互いに出せるものは出す、助け合う。そういう努力に対して一定の助成があるのだということで、基本は自助努力を組織化した保険というものだと思っておりますが、まあ、こういったことで袖井先生と争うつもりはございません。

【中川(連合総研)】 ちょっとご説明いたしますと、連合もこの間の中央委員会で、当時の芦田会長が65歳定年を呼びかけたという形になっています。中央委員会で代表者が発言したということはひとつの流れだと思いますが、実は連合自身は65歳定年延長にためらっていた時期がかなり長くあります。それは、JCを中心にして連合の組合員はわりと製造業が多いものですから、まあ18歳から60歳まで働いて、なおまだ働かすのかというふうなことが現場のついこの間までの感覚だったわけです。したがいまして、厚生年金の改正問題についても、みなさんの受け止め方では、もう65歳から支給年齢が引き上がったっという受け止め方だと思うのです。連合はまだ、60歳から支給しろということで、例えば働きたくとも働けない人には60歳から支給しろという要求はまだ掲げているわけです。ですから、そういう意味では、ついこの間までは、ちょっと定年延長はかんべんしてくれという話しだったんです。しかし、まあ、時代の流れとともに、あるいは製造業の労働の中身も少しずつ変わってきますし、あるいは賃金制度についても変化が出てくるというなかで、全体としてひとつの流れかなというので、会長が表明したというかたちになっていると理解しています。

【司会】 女性が年金権を確保するために、要するにダンナが死んだら遺族年金がもらえますが、離婚すると全部パーになるわけです。ですから、例えば2分2乗みたいなかたちで、ダンナの給与で、専業主婦であっても女性固有の年金権はずっと持って、ポータブル化してしまってはどうかというような議論もあるのですが。

【山崎】 私、奥さんからも保険料を負担していただく方向でということをいいました。具体的にはね、厚生年金の保険料を二本立てにしまして、奥さんのいる人の保険料と単身者の保険料を分けて、有配偶者の人については料率をあげるということにして、その分は奥さんに帰属したらどうかなと思っています。ですから、これは基礎部分だけでなく、二階部分も含めて、単身の人よりも有配偶者の人は高い保険料を払って、その一部は生涯奥さんについて回る。離婚してもですね。今は基礎年金だけ奥さんについて回っているわけですね。しかもそれは、個別のダンナだけではなくて、加入者みんなが負担しているわけですね。それを個別のダンナに負担させて、そして二階部分も含めて奥さんに帰属させてどうかなと考えています。厚生年金の記録でずうっととっていけばいいんですね。ですから、私の保険料は独身の人より高いわけです、ずうっと。で、その分は全部奥さんについて回って、離婚したら奥さんの通帳に入ってしまうということでどうかなというふうに思っています。

【司会】 健康保険もずうっと・・・。

【山崎】 ええ、健康保険も従って家族保険料をとることだと思います。

【司会】 そうなると、結婚する人がだんだん少なくなる。さっきいわれた少子化対策には反することになる。

【山崎】 ええ、ですから私の提案は、よその奥さんは面倒見ない。しかしよその子は面倒を見る、これセットでないとですね。よその奥さんの面倒見ないことだけではいけないのです。よそのお子さんの面倒をみるということがなければ。ですから、独身の人の保険料は一旦は下がります、よその奥さんの面倒見なくて良いのですから。しかし、よその子供の面倒をみなくちゃいけなくなりますから、下がった分は上がります。ということで、取り返したいのです。で、一番得をするのは働きながら子育てしている人が得をするということで、私の頭に浮かぶのは小宮山洋子さんが喜んでくれるなあと思っているわけです(笑)。おこられてきたのです、私は働きながら子供を育ててきたと。

【柳川(主婦)】 私は女の人たちが働いて税金や保険料を払うということに基本的には賛成なのです。ただ、女の人が働きたいのに、介護とかいろんな問題で働けなくなる。ダンナさまが倒れたケースが一番悲惨なのですね。それから、親の場合ももちろんあります。それから、子供が障害を持っている場合、3分の1くらいが離婚するんですね。離婚した方がいいことが多いこともあって離婚することもあるし、見捨てられるということもあるんですが。で、そういう人たちの保険の問題はどうなるんだろうというのが、第1点。
 それから最近、障害を持った子たちも、前は禁治産者的な扱いを受けているケースが多いのですけれども、いまは結構働けるようになった。重度の障害を持った子たちも働けるようになった。労働省は、乞いをすればいろいろなお金を呉れたり、いろんな支援があるんですが、実は、上手に扱ってもらうと障害を持っても本当によく働く。しかし、中途障害だったりする人たちにはいいんですが、欧米のように働けるような教育をしていないので、社会性がなかったり、知的な問題はなくても実際には小学校2年生ぐらいの学力しかないこともある。そういう子たちを就職させますとか言っていますけれども、実際には難しい。そのへんのことが、保険のこととなるとどうなるのかなと思います

【山崎】 そのとおりなんでして、働け、働け、働けといったって、子育てしているとか、親の介護をしていますとかね。こういった人たちに対しては、なにか面倒をみる必要があると思います。
 ですから、例えばそういった客観的に見て働くことが制限されている人には、今の三号の制度を残すということですね。それは障害者についても同じだと一応考えているのです。ただ、それも別の考え方、厳しい御意見がございまして、むしろ所得保障を充実させて、むしろ介護手当を出す、育児手当を出す、そしてその手当の中から保険料を払ってもらうという、こういうこともあり得ると思います。

【山口(会社員)】 65歳で定年という案もあるということなのですけれども、じゃあ実際、企業で60歳から65歳までどういう仕事をするのかということですね。例えばまあ、右肩上がりの場合は仕事があったと思うのですけれども、今の状況のなかで、60歳まででも窓際族だのいわれているのに、さらに5年間をどうして過ごすのかという問題もあると思います。
 それから、ひとつの提案なのですけれども、右肩下がりになった時に、その企業に勤務しながらも兼業禁止が解かれておればアルバイトぐらいできるのではないかというふうに思うのです。これは労基法でそのように明示しなければいけないのですけれども。法律のなかでは別にそれを禁止していないのですけれども、争った人が負けたケースがあるのですね、裁判所で。ですから、ある程度定年前から助走期間が必要なのではないか。
 また、今後の社会保障の設計にあたっては、タダ乗りをいかに防止するかも大事だと思います。

【山崎】 60歳代の前半の5年間をどうするかということですが、本当に現場の方々からよく、どうしたらいいか考えてくれといわれるんですが、私はわからないとお答えしているのです。ただ私が先程からいっているのは、現実に60歳代前半で雇っている会社が一部ではあるけれどもある。ですから、そういった会社とそうでない会社を年金制度のなかできちっと区別する必要、費用負担のなかで区別をすることが公平性の観点からどうしても必要なのではないかなという気がします。それから、65歳定年という労働省の研究会の報告がありまして、私もっそれに参加していました。65歳定年となると、よほど大過がない限り、あるいは企業が倒産することがない限りは、それまで雇用が保障されるということで、中身は相当能力主義、流動化するだろうとはみなさん考えておられるとしても、安心感としての定年制を日本では大事にすべきだというのが研究会では大方の意見でした。労働省もそういう方向で国民運動をしたいということですので、私は期待したいと思います。
 また、私もただ乗りはきらいでして、そこでついついタカ派になるのです。ですから年金、国保の保険料について、払わない人についてはちょっと市民権を制約すべきではないかというのもひとつの考えです。実は栃木県の大田原市長が、住民税を払わない人には市の単独事業のサービスはしないというんですね。自治省はそんなことは出来ないといったんですが、押し切ったようですね。私は当たり前だと思うのです。だから、それぐらいのことはしなければいけないと思うし、国民年金なんか相当お金のある人が滞納しているのです。袖井先生が、介護保険でも保険料を払わない人にはちょっとペナルティーをつけるような仕組みにちょっとなっていて、保険は誰しも自由ではないのではないかとおっしゃったのですが、私は介護を保険でという提案者のひとりだったのです。私は年金のような仕組みを考えておりました。年金のような仕組みを考えれば、20歳の人からも年金料を負担していただけるわけです。つまり、若いとき負担するということは老後の介護給付の権利に結びつくと私は考えたわけです。ところが厚生省は医療保険の仕組みにのっかりました。医療保険の仕組みというのは掛け捨てでございまして、毎月毎月掛け金を払っておりますが、我々が医療を受けない限りは、これは全く将来の給付の実績には結びつかないわけです。ですから、サラリーマングループが、日経連も連合も健保連と一緒になって老人医療への拠出金に抵抗するのは私は気持ちがよくわかるのです。それは、サラリーマンがガラス張りの所得でみんな逃れようがないのですね。老人医療の拠出金をする。その拠出金はどこにも残らないのです。会社を定年退職した途端、保険証を返してまた国保でと、また一から始めるわけです。ところが国保のグループで若いときに滞納している人はいくらでもいるわけです。過去の実績が老後の医療や介護の受給権として残るのであれば、労使の方は老人医療の、あるいは介護保険の拠出金に賛成していただけると思うのです。ところが、そうなっていないのが問題で、実は袖井先生が介護保険では少し厳しくなるとおっしゃったのですが、少し厳しくしなければいけないと私はいったつもりなのです、もっともっと厳しくしなければいけない。だけれども、おそらく市町村はやらないですよ、ただ乗りですよ、介護保険でも。

【草野(慶応大学)】 3つほどお聞きしたいのですが。ひとつは今の「ただ乗り論」になると思いますが、手厚い保護を所得水準の低い人にしすぎているような気がします。ところが、ちょっと聞き漏らしたのかもしれませんが、高所得者の年金のところで、私の聞き間違いでなければ、先生は所得の高い人にも年金は出す、その代わり優遇税制は止めるとおっしゃったのですね。私は前から気になっていたのですが、高所得者、例えば年収2000万円以上の人には、年金は払わずに、それはもう返していただいたらどうか。といのは2000万円以上で、優雅な生活をしている人はたくさんいます、常識的に考えて、そうしたひとに出す必要があるのかということです。
 優遇税制をやめるべきだというのですが、どういうところを具体的に考えていらっしゃるのか。今日の議論の流れですと、年金は年金しか考えないという厚生省の頭ですから、税金は大蔵省の管轄だということで、先生の折角のご提案も厚生省の方で、「さはさりながらと」という話になってしまうのではないか。そういう議論が収斂しないなかで、高所得者が結果的に厚遇を受けているのは納得できないという感じがするのです。
 2番目は事務経費で3700億円ぐらい無駄があるということですが、使える経費が一般歳出が44兆円ぐらいしかないわけですから、たいへんな金額だと思いますが、これが、年金審議会のなかでどういうような審議がなされているのか。まさに、なされていないからこそ先生からご指摘があったと思うのですけれども、この行革の視点というのは年金審議会にあるのかどうか。つまり、足りない部分をどう補うのかという議論は一生懸命されているということですけれども、行革の視点で政府の方の自助努力は行われているのか。多分行われていないのではないかと思うのですけれども。これを改めてお聞きしたい。
 3つめは、冒頭に、厚生省が5つの選択を提示したけれども、まだ論点整備の段階であって、5つしか選択肢がないわけではないですよとおっしゃいました。しかし、橋本内閣の6大改革の進め方を考えますと、改革の議論をする段階ではなくて、もう実行の段階ではないかとも思えるのです。またさらに議論を重ねるのか、論点は出尽くしているのではないか。これから、また10年ぐらいかけてやるんですかと。そんな悠長なことをいっていていいんですか、ということなんですが。第3点は、素人ですから失礼な言い方になっているかもしれないですから、お許しいただきたいと思いますが。

【山崎】 最初の問題ですが、私の頭の整理では、今の日本の年金というのは特に厚生年金というのは過去の貢献に応じて年金を支払っているという要素が強いと思うのです。つまり、保険料を高所得者はたくさん払っている。そのことによってOBを支えているわけですね。その、OBを支えたという実績を多く残している人に、たくさん年金を払う。単純な比例ではないんですよ。一部はみんなで分け合っているのですが、少なくとも過去の貢献を反映させるというのを年金のなかにもっているわけです。
 このことの良さというのは、頑張って働いてえらくなれば、老後は豊かだということなのですね。これは私は立派な原則だと思っておりまして、ドイツの社会保険というのは単純比率なのです。日本はサラリーマンは平均的に、奥さんが専業主婦だとして、23万円の年金だといっているわけです。基礎年金が6万5000円それぞれ夫と妻につきまして13万円です。あと所得に応じた部分が平均的に10万円つきまして、計23万円なのですが、23万円のうち13万円は所得に関係なく出しているのです。ですから賃金の低い人がたくさんもらっているということです。ということになりますと、10万円の部分ぐらいは差を付けていいのではないか。
 日本は55%ぐらいは一律に配分して、45%ぐらいを過去の貢献に応じて払っているわけで、私は勤労意欲を促すという意味でも、この貢献原則というものをかなり尊重しなければいけないというふうに思っています。ですから、若いときに頑張ったというのは、それだけ貯蓄も多い。あるいは高い地位にたてば、従業員は定年でも自分は社長で残れるわけですね。しかしそういう貢献があるにもかかわらずばっさり切るのはどうかなということです。
 高齢者の税についてですが。国の年金だけだったら、事実上税金がかかりません。非課税の限度額を上げているのです。これは厚生省が大蔵省にずっと要求してきたことです。ですから、先程言いましたように老人夫婦で350万円ぐらい非課税というのは余りにも高いです。ですから、そこに手をつけるのが最初ではないかなと思っています。
 それから、年金局に行革の視点があるのかということですが、ないと思います。社会保険の仕事でものすごく役人がいますよ。ただ、考えなければいけないのは、今、国民健康保険料のほうが住民税よりも高いのです。ですから、保険料を徴収して回るというのは、現場では大変苦労しているのです。逃げ回ってもなんのペナルティーもないわけですから、逃げまわれるのですね。それをまた追っかける追っかけるということで、事務費がかかっているのです。私はもうこうなれば、税務署に一緒にとってもらう方がいいのではないかと思っております。アメリカは社会保障税といっているのですが、保険料なのですね。単純に給与比例で保険料をとるのですが、たまたま税務署に徴収させている。 逆にアメリカは、所得がない人は保険料を納めないのです。従って年金もないわけです。所得がある人は税と一緒に保険料も取ってもらうということになっていて、戦後日本も一時期シャープ勧告で社会保険税という提案があったのは、アメリカ人の発想だと思います。
 それから、もう待ったなしだという時になって、まだ議論しろというのはどうかなということですが、うーん、これはまあ議論させていただきたいと思うのです。年金というのは、みんな関心を持っています。お年寄りにとって、これは給与の代わりですからね。となると、やっぱり議論が必要だと思います。たとえば、年金の優遇税制をもし止めるとなったら、政権が倒れるかもわかりません。

【高木(ゼンセン同盟)】 税と保険の関係ですが、特に保険のほうが契約概念の強い仕組みであると、私ども思っているわけです。昨今、年金の問題、特に厚生年金基金の問題等でいろんなことが起こり、契約が反古にされることが当たり前となって、制度への信頼感が急激に落ちていると思うのです。 たとえば厚生年金基金そのものが解散に追い込まれたところの人たちの給付が担保されておりませんし、年金制度も賦課方式だ、確定拠出だと次々と変わる。戦前の労働者年金までは遡りませんけれども、ある時期には確定拠出型に近いイメージを国民に与えてきた。多くの国民は確定拠出的に自分の給付も保障されているのだと考えてきた。それを幾度かの改正を経て、騙しはしていないというけれども、いつの間にか賦課方式ですよということになった。さらに、賦課方式でいったら、先の見通しがたたなくなったから、これからまた自助努力とかいって、また確定拠出を漂わせながら議論される。もちろん、100%の財源を保険で賄っているわけでないという意味でいろんな制度設計にかかわる力学があるのでしょうが、そういうことも含めまして、年金の将来というか信頼感がないなかで議論したっていかがなものか。
 例えば医療保険の世界では、こういう拠出をしておけば、いざというときにこういう給付をいただけるという安心感があった。ところが、保険料自体をいじくる、窓口で一部負担をさらにどんどん増やす。そういう意味では地獄の沙汰も金次第みたいなものと保険との兼ね合いみたいなものをどうしていくつもりなのか。みんなのなかでそういう疑念がかなり広がっています。
 それから、もう1点、さっきの世帯型と個人型の議論ですが、私はだんだん個人型になっていくのが当然で、一貫したものにすべきだと考えているひとりです。いっぺんにはいかないにしても、方向性としては論理の一貫性、つまり税、社会保険、あるいは各種のいろんなシステム諸々を含めて、個人型のシステムを規定していく、いわゆる世帯型ではないということをはっきりさせることが必要になる。n分のn乗ならn分のn乗でもいい。3号被保険者の問題もそんなふうに整理する。そういう意味での一貫性ですね。しかし、税の方で一貫性をどこまで貫けるのか。
 それから、もっと違った意味で社会政策上、最近ファミリーとホームの分解論なんていう議論がいろいろありまして、ファミリーメンバーはいるけどホームがないという家庭が増えているといわれる状況を、どんなふうにお考えなのか。一貫性とはいいながら私自身も悩むことが多いのですが、そういった社会問題をいろいろ考えると、論議が混濁するのですね。そのあたりを、先生方はどうお考えなのか、お聞かせ願いたい。
 最後に、連合も今中川さんがいろいろ説明されましたが、特に今の世帯と個人の関係についてはまだ整理がついておりません。全体の論議としてはですね。

【山崎】 世帯単価か個人単位かということですが、私は転向した人間でして、私までがいうようになったのですから、かなり世の中のはっきりした流れだと思います。税も社会保険も個人単位化するということですね。あとは、もう一押しだと思います。読売の世論調査でもはっきりそうなっているということであります。
 制度に対する信頼感が低下しているということですが、私も同じように感じます。ですから、年金をいじればいじるほど信頼感が低下するとおもいます。私自身も今の年金水準は率直にいえばちょっと高いと思っていますから、すこし下げるべきだと考えておりますが、しかし、変えるとしても厚生省の5つの選択のうちではせいぜいB案程度かなというふうに思っております。それ以上の変更は、給付水準を下げるとなると他の医療や福祉の改革をかなり制約することになると思います。やはり年金というのは、月々掛けているという意識を国民も持ってきたわけで、そういう意味でも一番急激な改革は避けたいというのが年金なのです。むしろ年金をある程度の水準を維持しつつ、医療や福祉の改革を少し思い切って進める。良いか悪いかは別として、医療や福祉は将来を約束していない制度です。医療保険でもいきなり倍近く、本人でも1割から2割に負担率を上げたり、老人についてもも2倍近く上げたわけですが、それでも何とか合意が得られる世界です。これらについては少し改革を思い切って進め、むしろ年金はそのスポンサーになるというような関係の方がいいのではないかという感じがいたします。
 それから、労働者年金保険は確定年金型のようなイメージでスタートしたのではないかという話しですが、まさにそのとおりです。完全積み立てで、将来的には運用利息をほとんど財源にして給付を支払うような財政計算をしていたのですが、いつの間にか、世代と世代の助け合い、賦課方式だと言わざるを得なくなったわけですね。それは昭和48年の改正が決定的だったのです。私は研究者・学者の世界におりますが、学者というのもいいかげんだなあとおもっておりまして、昭和40年代の半ばというのは積立金がたくさん貯まっていて、その積立金を使えば安い保険料でいい給付ができるとさかんにいった学者がいるのですよ。特にテレビ・新聞の影響はすごいものですから。そして、そうなったのですね、賦課方式に。私は積み立て方式か賦課方式かということに関しては、そういうスタンドプレーした記憶は一度もないわけです。むしろあの昭和40年代のそういう議論の時に、ある程度の積立金を持たないと将来はたいへんなことになると、孤立無援でがんばったのは年金局だったのですね。それで、今逆に学者のなかで勢いがいいのは、積み立て方式なのです。私は真実は真ん中にあるのではないかという気がしています。賦課方式にも非常に不安定な部分があって、それは人口の予期し得ない高齢化に対しては不安定なところです。それから、積み立て方式も、まさに今回のバブルの崩壊で基金が苦しくなっているような不安定性があるわけです。どっちの財政方式にかたよっても問題ではないかなという気がしまして、積み立て方式の強さ、それから賦課方式の強さ、裏を返せばそれぞれの弱さですが、うまく組み合わせるというのが今後目指すべき方向ではないかと思います。そういう意味では少し積み立てのウエイトを高めていくのがいいのでないかと考えています。そのことによって若い人の信頼も回復できるのではないかという気がします。
 それから、積み立て方式を導入するとなると二重負担の問題がありまして、年金局はだめだっていうのです。私は全部積み立てに切り替えよとはいっておりませんが、それをうまく解くやり方は唯一阪大の八田先生の提案だと思っております。要するに年齢別の保険料を入れるということで、今の若い人に比べるとまだ私の世代は相当得をしているのですね。並河さんはうんと得をしているわけでして、せめて今からでも若い人よりたくさん保険料を払ったらどうかという気がするのです。久保田さんいかがですか。今からでも少し罪滅ぼしをしたらいかがという気がするのですが。

【久保田】 あたっているかどうかわかりませんが、年金財政的には当たり前といえば当たり前なんです。しかし、その前に考えるべきこととして、年金のリプレスレシオ、要するにどのくらい払ってどのくらい年金を受け取れるかという、その公平性の問題です。これは今厚生省がいろいろ試算してものというのは、後世代になればなるほどその分の払ったお金に対して、返ってくる年金の額がだんだんだんだん1に収斂してきて、極端な話しをすれば1より小さくなる。そういうシステムが世代間の助け合いというシステムのなかで許されるかどうかということだろうと思うのです。
 通常の、例えば生命保険の年金ですと、これは個人年金、要するに個人が自分のためにお金を拠出してそれが返ってくるというだけのことです。ですから、ある意味では預金と一緒のシステムです。で、そういうシステムを中心にものを考えるのか、そうではなくて、先程社会連帯という話しが出ましたけれども、そういう要素をたくさん入れて、公的年金制度を考えるのか、それの違いだと思います。それに対する世代間の意識の違いを財政方式にどう反映させるかという考え方が結論だと思うのです。
 財政的に不公平がないようなやり方にするには、高齢者の方が受給開始まで非常に期間が短いんだから、その間高く負担して、リプレイスレシオを下げなさい。で、若い人たちは貯める期間が長いですから、それを長い期間やって貯めて行きなさいよと。そうすると相互補助の部分はすくなくなりますよというものですが、これはひとつの考え方だと思います。それで、国民全員がいいですよと本当にいうかどうかということです。私はこれはかなり難しい議論だと思います。年金財政の議論ではなくて、公的年金というのはどういう性格の年金かという、その本質の議論をちゃんと詰めた上でないと、どういう方式がいいかというのは結論が出ないと思います。

【中川】 世代論ていうのをどういうふうに考えるのかということですが、最近つくづく思うのですが、医療の問題、雇用保険の問題、あるいは住宅政策、あるいはその他のいろんな政策がありますが、年金だけ世代論でくるわけですね。そして給付と負担のあり方という話になっています。しかし、我々、山崎さんよりちょっと古いんですけれども、民間の古いアパートから新婚生活を始めたわけですよね。今の若い連中は学生でさえ1DKのバス、トイレ付に入っているわけです。いろいろ考えると、給付と負担に関して世代論を考えると、特に年金で世代論を考えるのは、どうもどこかで大蔵省にやられているのではないかと考えるわけです。草野さんの質問に山崎さんは、年金審では殆ど行革、軽費節減をやっていないといわれましたけれども、実際には給付に対する国庫負担はどんどんどんどん減ってきているわけです。ですから、このままいきますと、財政改革法はパーになっても、社会保障制度の財政改革だけは貫徹する。したがって、給付の部分だけには国庫の負担は出来るだけ少なくなっていくわけです。そういう枠組みのなかで、今5つの選択肢とか世代間論を議論しているわけです。公的年金とは何かというふうに、本格的に、基本的なところから議論をしないといけないのではないだろうかと思います。僕はそういう意味で世代論にちょっと流れすぎたのではないかという思いがしてならないのですが、先生の御意見を伺いたいと思います。

【山崎】 年金というのは本当に世代論が良くでますね。医療保険や介護の世界ではそのへんをうまく乗り越えようとしつつあるという気がするのです。医療や介護の世界では高齢者も財政的に支える側なのです。もちろん医療や介護の給付もたくさん受けますが。年金というのはある年齢で拠出者から受給者に変わってしまうのです。しかし、社会保障全体としては、介護や医療のほうで高齢者に相当負担をお願いしつつありますから、社会保険のバランスは社会保障全体では今回復しつつあるような気がします。年金の世界だけですと、世代間の負担と給付の関係はかなりアンバランスですが、社会保障全体では相当回復しつつあるのではないかと思います。

【中川】 基礎年金に対する税の負担部分を引き上げるという話しで、連合は3分の1を2分の1にしろと主張して、財政構造改革法ではそれがパーになってしまったのですが、結局基礎年金の国庫負担分を引き上げるというのは、社会全体で、消費税を含めて、社会全体で年金を保障しようという考え方ですよね。その上に比例報酬とかその他があって、積み立て部分と賦課方式分があると、こうなっているわけです。ですから、それが、先生のおっしゃるようにバランスよくなっていればいいのですが、この国庫負担分を3分の1を4分の1にする流れに今はなっているということです。老後に関して国の責任がだんだん薄くなってきているわけです。それでいいのかということです。
 その間に世代論が入り込んで、年寄りと若者が喧嘩をするというような状況なのですね。これは、社会的な連帯感を非常に薄めるというふうに感じます。社会全体の中の公的年金というようなものを考えたときに、それでいいのだろうか。それから、財政構造改革もこれでいいのだろうかというふうに感じます。

【司会】時間になりましたので、本日はこれで終了しますが、さらに機会をみつけてこれからも議論して参りたいと考えています。
以上