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シリーズ討論

地方分権推進委員会の一年とこれから

地方分権推進委員会委員
東京大学教授 西尾勝
国民会議ニュース1996年6・7月号所収
 ここにご紹介するのは、さる6月25日に開催された第13回総会における西尾勝教授の講演要旨です。地方分権推進委員会の中で西尾教授は中心的役割を果たしておられますが、ここではかなり率直に現在の審議会の状況をお話いただいております。ご一読をお勧めいたします。なお、本文は西尾教授の校閲をいただいておりますが、ほとんど修正削除はございませんでした。


1 推進法の枠組み
2 これまでの審議経過と今後の予定
3 中間報告の概要
 @中間報告の内容
 A自治体側の対応
4 その後の状況
 @委員会側の対応
 A各省庁側の対応
 B当面の焦点
5 今後の課題
【質疑応答】



1 推進法の枠組み
 地方分権推進委員会は地方分権推進法にもとづいて設置されている。この推進法が予定している枠組みあるいは手順は、まず推進委員会が内閣総理大臣に対して勧告を行う。勧告が出ると、政府はこれを尊重して、地方分権推進計画を作成する。計画が作成されると、それに沿って実施に移されることになる。したがって、いまの段階では政府はただひたすら推進委員会の勧告が出るのを待っていればよく、その間、地方分権を推進する必要はないということである。
 推進法は5年の時限立法となっているので、法の趣旨からいえば、5年間のうちに勧告・計画・実施がなされるということが予定されている。そうなると、前半の2年ないし2年半で勧告が出され計画がつくられ、あとは実施の段階として、実施の時期を十分取っておかなくては分権は進まないということになる。分権推進委員会が発足した時に、時の内閣総理大臣から、概ね2年のうちに計画を作りたいと思うので、それに間に合うように勧告をしてもらいたいとの要望があった。推進委員会は昨年の7月に発足したが、遅くとも今年の年末までに勧告を出さなければ2年のうちに政府は計画をつくることができないことになる。
 勧告する中身については、政府が推進計画を作成するよりどころとなる具体的な指針を勧告せよと法律には書いてある。具体的な指針とはどこまで書けば具体的といえるのかがおおきな問題である。通常の審議会の出す最終報告や答申はかなりの程度抽象的なものが多いが、そのような抽象的なものでは困るという趣旨である。というのは、これまでの臨調・行革審の答申の中で実施に移されたのは、かなり具体的なことまで詰め切って、関係省庁といわば内々の合意ができたものである。そこまで詰められないで一般原則を述べたものは、ほとんど無視されてきた。したがって、一般的な考え方や原則をいくら打ち出しても、受取った政府の方ではそれ以上計画をつくることは出来ない。関係各省庁が全く納得していないものについては、それ以上政府は計画を決めようがない。つまり、政府が計画を作りうるように具体的な指針を出せといわれているのだと思われる。
 われわれの観点からいうと、3月末に中間報告を提出したわけであるが、通常の審議会の答申であれば、あの中間報告で答申は終わっているのではないかと思われる。いうべき大原則はすべてい言っている。しかし、あのレベルではまだ具体的指針とはいえないということで、われわれはさらに具体的な指針作りをめざして、非常に細かい作業に入り出しているというわけである。
 ところで、推進法が予定している勧告・計画・実施のうち、実施とはなんであるか。これは端的にいうと、地方分権推進に関する限り、関係省庁が所管している膨大な数の法律、政令、省令と言う法令の改正作業が実施の内容そのものである。そうなると、ここで大きな問題が出てくる。われわれの委員会が大胆な改革、思い切った改革、抜本的な改革の案を勧告したとなると、おそらくそれは関係の省庁は納得していないというものになるであろう。そうした勧告を受取った内閣は果たして推進計画を作れるであろうか。関係省庁が反対している計画は出来ないということになって、計画がつくられないというおそれがまずある。かりに、国会、内閣を構成している政治家が、省庁の役人が抵抗しても、これは政治家として決断しなければならない事柄であると考えて、計画までは政治家のリーダーシップによってつくったとしても、その実施になったところで、この計画に忠実に従って実施に入るであろうか。つまり、それぞれの省庁が所管している法令の改正が命じられても、この作業を誰も喜んでしないということになれば、実施の段階で少しもことは動かないということになる。これが最大のジレンマであって、関係省庁が納得するような範囲で勧告をまとめていくとすれば、大した規模の分権にはならないおそれがある。われわれとすれば、分権をするというならばこの程度のことはしなければならないというものを出せば、各省庁の合意は得られない。そこでわれわれとしてどういう勧告案を出すのかということが当初から大問題であった。できるかぎり関係省庁の合意をとりつけるべく努力しながら、しかし、いうべきことは言わなければならないと考えているのであるが、それが無駄骨にならないようにするためには、同時に世論形成をせざるをえない。国会、内閣それぞれの政治家のひとたちがそれだけの決段をするためには、それだけ世論がもりあがっていなければならない。勧告案を煮詰めて行くことと同時に、分権推進を求める世論をもりたてる作業をしていくことが委員会に課せられた任務であると認識している。


2 これまでの審議経過と今後の予定
 昨年の7月に発足して以来、10月までが第1ラウンドであった。12月の末までが第2ラウンドで、3月末までが第3ラウンド、そして4月以降現在が第4ラウンドに入っているという流れである。
 それぞれのラウンドの締めくくりの最後のところで、なんらかの文書を公表してきている。10月中旬には地域づくり部会と暮らしづくり部会という2つの部会を作り、24名の専門委員をお願いした。この段階で、つまり親委員会だけでやっていた第1ラウンドの終りに当って、「分権推進にあたっての基本的考え方」と「行政分野別審議に当って留意すべき事項」という両文書を公表した。ここからは2つの部会が中心になってことが進むようになってきているが、昨年末に「機関委任事務制度を廃止した場合の従前の機関委任事務の取り扱いについて(検討試案)」なる文書を公表した。新年以降はこれをめぐって各省庁からのヒアリングが続けられるというのが3月までであって、3月の終りにそれまでの審議を総括した中間報告を内閣総理大臣に提出した。
 4月以降はこの中間報告を持って、全国各地で1日地方分権委員会を5回開くということで、地方公聴会を開いてきた。同時に、この4月以降、新しい組織を二つ作った。それは親委員会に直属するグループであるが、行政関係検討グループと補助金・税源問題検討グループで、これは親委員会が審議する叩き台を作るグルーープという性格づけである。行政関係検討グループの方には、この段階で4人の参与が委嘱された。3人が行政法、ひとりが行政学の学者である。この座長は委員長の指名で私が就任し、一方の補助金・税源問題検討グループの座長には専門委員の財政学者である神野直彦東大経済学部教授が就任している。


3 中間報告の概要

@中間報告の内容
 中間報告は5章構成となっているが、4章と5章は2つの部会から親委員会に提出されてきた報告のエッセンスの部分をそのまま親委員会の報告に採録したものであり、親委員会が審議をして文案をつくったという部分は3章までである。ただし、第3章はまだ充分議論されていない問題について触れておく、という形で書かれた部分である。したがって、今回の中間報告の中心はなによりも第1章、第2章である。
 第1章の総論は、なぜいま地方分権を推進しなければならないかという背景・理由について説き、その改革の方向についてわれわれ委員会の考えかたを示している。いわば、推進委員会の哲学の部分である。
 これについて概略をいえば、まず第1章第1節の冒頭で基本的な認識を示している。つまり、明治以来日本の行政システムは中央集権型行政システムで推進されてきた。それが明治以来の日本社会の近代化、戦後の復興、戦後の高度経済成長を推進し、先進諸国の水準に短期間のうちに追いつくことを達成するという面でそれなりに貢献・寄与してきたシステムであった。しかしながら、これまでそれなりにプラスの効果を発揮してきた中央集権型システムが、今日の時点では時代の課題に適合しないものになってきているのではないか。中央集権型行政システムがいわば“制度疲労”をおこしているのではないか、というのが基本的な考え方である。
 それでは、いかなる条件が変った結果、そのようなシステムが制度疲労をおこし、新しい地方分権型行政システムに移行しなければならなくなったのであるかという国内・国際的諸条件を、変動する国際社会への対応、東京一極集中の是正、個性豊かな地域社会の形成、高齢社会・少子化社会への対応として、整理した。
 続いて、第2節「目指すべき分権型社会の姿」では、地方分権を推進することは地域社会の自己決定権を拡充することであると冒頭に述べている。規制緩和というのは官と民との関係を変え、民の側の自己決定権を拡充することであるが、地方分権というのは、いわば官と公、中央と地方との関係において、地方の側即ち公の自己決定権を拡充しようという主旨である。その意味では、規制緩和と地方分権とは同じ方向を目指している改革であるといえる。この両者の改革が徹底して進められた時に、初めて、明治以来のシステムの変革が可能になるのだという理解を示している。
 そこで、新たな地方分権型システムの骨格としては、まず第1に国と地方公共団体の関係を上下主従の関係から対等協力の関係に切替えること、第2に、国と地方公共団体の間の新しい調整ルートと手続きを構築すること。この点については既に制定されている行政手続法の考え方を参考にすべきであるということが述べられている。行政手続法は官と民との関係を公正・透明なものにするために新しく作られた法律であるが、この官と民の間に設定されたルールと基本的な考え方を、中央と地方の関係にも適応すべきである、というのがここで述べられてい主旨である。
 第3は、法律による行政の原理の決定、これは時には法治行政原理、もう少しおおまかにに法治主義と呼ばれることもあるが、憲法上の当然の原理となっているにもかかわらず、実際にはなかなかそうはなっていない。これをこの際、徹底したシステムに切替えていきたということである。端的にいえば、いわゆる通達行政を極力無くしたいということである。関係各省庁が、法令で定められていることについての解釈基準を示すと同時に、運用基準を示した通達によって事細かな指示を地方公共団体にしてくる。すなわち関係省庁による、行政府による統制という意味で行政統制と呼んでいるわけであるが、この行政統制中心のシステムから立法統制と司法統制中心のシステムに出来るだけ切替えていくことが必要だということであります。
 立法統制というのは立法府である国会による統制という意味であり、これは法令を制定するということを通して規律していくという統制である。行為が行なわれる事前に枠組みを作って、この枠組みのなかで行動しなさいという統制であるから、事前の統制ということになる。そしてもし、この枠組みに従って地方公共団体が適切に行動していない、枠組みを逸脱した行動をしていることがあるとすれば、それは裁判によって争われて、第三者としての裁判所によって判断されるべきであるというのが、事後の司法統制ということになる。行政統制をゼロにするなどということは、およそあり得ないことであって、行政統制をゼロにせよなどといっているわけではないが、これまでの農密な行政統制というシステムからできるだけ行政統制を簡素化したシステムへと移行させたいというのが、第3番目の大きな主旨である。このような形で新しい地方分権型行政システムがもし作られたなら、そのとき地方公共団体が自ら治める責任が飛躍的に重くなる。それに備えた対応が地方公共団体に求められるということが述べられている。
 4番目に、こういうシステムが確立したならば、いったいどういう効果が期待されるかということであるが、まず第1に、現在は知事あるいは市町村長は従来は地域住民の代表であると同時に国の機関という二重の性格を持たされていたわけであるが、国の機関という立場から解放されることになり、地域住民の代表あるいは自治体の組長という役割に徹底することができるというか、純化することが可能になる。そのことは同時に地域住民の声に敏感に応答することができるようになる。第2に、地方公共団体の行政サービスという面からみれば、地域社会それぞれの住民ニーズへの即応性とか、自治体が行なうサービスが地域住民の選択によるものと変わっていくはずである。そして3番に、このようなシステムに切替われば、結果として、これまで国と都道府県、都道府県と市町村の間でのやりとりに猛烈な時間と人手、コストがかかっていたわけであるが、そういった政府と政府の間のやりとりという間接的な部分に使われているエネルギーの必要性が縮小されるので、その事務の簡素化によって無駄な時間とか人手、コストが節約されることになり、行政改革の趣旨に貢献することになる以上が、第1章に書かれていることのエッセンスである。
 新しい方向を目指した具体的な考え方は殆ど第2章に網羅されている。ここで国と地方の新しい関係に触れているが、今回の中間報告のポイントは機関委任事務制度をこの機会に廃止する決断をするべきであると言い切ったところにある。明治以来続けられてきたこの機関委任事務制度のプラス面を拾いだすとすれば、ないことはないのであるが、もっぱらマイナス面を列挙すれば以下の5点に整理することができる。
 まずこの制度は、国と地方公共団体の関係を上下主従の関係においている制度であるということ、第2に知事・市町村長に地方公共団体の代表者と、国の地方行政機関としての役割という二重の役割を負わせている制度である、第3に国と地方公共団体の間で行政責任が不明確になっている制度であること、第4に国の瑣末な管理により、地域の実情に即した裁量的判断の余地が狭くなり、報告、協議、申請等に時間とコストを浪費させているシステムであること、第5に各省庁の縦割りの指揮・監督によって、国、都道府県、市町村の縦割り主従関係が全国画一的に構築されているが、これが単に国と地方公共団体の関係だけではなくて、この体制が都道府県と市町村とのあいだにまで及んでいる。この都道府県と市町村の関係も変えていかなければならないというところにひとつのポイントがある。こういった5つほどに整理される大きな弊害があるということ、そしてさまざまな国際・国内環境も変ってきているので、この機会に、従来の機関委任制度そのものを全面的に廃止する決断をすべきであると述べたのである。
 そしてもしこの制度を廃止するとすれば、いったいいかなる新しい制度を築くのかというのが問題になる。地方公共団体が担う事務の整理ということでは、従来いわれてきた地方公共団体の事務分類をこの機会に一旦白紙に戻して、新しい分類体系を築くべきではないかと述べている。
 従来の事務の分類は、ひとによって言い方が違うが、地方公共団体に固有の事務(=固有事務)、それから地方公共団体に国から委任されている事務(=団体委任事務)、さらに地方公共団体の執行機関に国から委任されている事務(=機関委任事務)の3つがあった。この固有事務といっている部分を、地方自治法の規定に則して公共事務と行政事務とに分けてする説明もある。これによると従来の事務を公共事務、行政事務、団体委任事務、機関委任事務の4つに分ける言い方になるわけだが、こうした従来の分類を一旦白紙に戻して、今後は地方公共団体が担う事務を、大きくは自治事務と法定受託事務に分けてはどうかということである。殆ど大半のものは自治事務であって、地方公共団体が担う事務は原則として自治事務だが、非常に特殊なものとして法定受託事務が特殊な類型として一部残ることになりはしないかという考え方である。
 さらに自治事務については、これを分類していけば、個別の法律に定めのない自治事務と個別の法律に定めのある自治事務に分れていくことになるし、個別の法律に定めのある自治事務についても、いろいろな性質のものがあり得るわけである。法律に定められていても実施するかしないかは地方公共団体の自由・任意だという性質のものもあるし、そうではなくて地方公共団体が実施することを法律で義務付けている事務というのもあり得るわけである。これをさらに細分類していけばさらに名前がつけられるかもしれないが、おおむねこのような分類に切替えていこうということである。
 このような事務分類を前提として従来の機関委任事務を廃止していくとすれば、従前の機関委任事務というものをいずれかに振り分けていく作業が必要となる。おおざっぱにいえば4種類にわけているわけで、ひとつは、この機会に事務そのものを廃止してしまって良いものがあるのではないか。大半のものは2番目にある自治事務というものに移行させるということになる。3番目4番目として、もっぱら国の利害に関係のある事務というべきものがあるので、これについては新しい分類である法定受託事務ということにして地方公共団体が担ったほうが良いというものと、この機会に国に返上して全て国が一貫して執行してもらったほうが良いと思われるものも例外的にあり得るのではないかと、この4つの分類に振り分けていくという考え方になっているわけである。そしてこうした振り分けをやった後で、新しい国と地方公共団体との間の関係を調整するルールを作らなければいけないということで、ルールについて論じているのが、第5節である。
 そして第6節から必置規制の問題について触れ、第7節で国庫補助負担金と税財源に触れ、次にその他の事項に触れている。必置規制については、今回基本的な考え方について触れているが、これについてもさらに具体的な指針までにしていくには、この際必置規制を廃止してしまうべき対象を個別の機関名あるいは職名ごとにリストアップするというような作業までやらなければならないとすれば、そういう作業は今後に残っている。
 国庫補助金と税財源についてはまだ充分な審議がなされておらず、今回の中間報告に書かれていることは、一昨年末に閣議で決定した「地方分権推進に関する大綱方針」のなかで触れられている国庫補助金、税財源についての改革方針が基本的なベースになっており、それから踏み出したところは極く部分的であると理解してもらって良い。委員会独自に更に詳細に検討して、独自の見解を述べたという部分は極めて少なく、従来いわれてきたことを繰り返しているというようなものにとどまっている。以上が中間報告の極くかいつまんだ説明であります。

A自治体側の対応
 これに対しまして、これが公表されて以来、地方公共団体の関係者たちから寄せられている反応は、大きなものとしては2点に収斂しているのではないかと思われる。ひとつは補助金・負担金、税財源関係のこと、地方税財源の充実といったような問題についての踏み込みが極めて不十分であるというものである。地方分権型社会に組み替えていくことでいえば、機関委任事務制度の廃止あるいは整理合理化ということも確かにひとつの重要な柱である。しかし、一方の柱は補助金行政である。この補助金行政を崩さないかぎり、中央集権的システムは崩れない。このもう一方の柱である補助金、負担金制度についての切り込みが殆どないのが不満である。これを今後の課題だといっているけれども、確実にやってくれという反応。そして補助金、負担金の整理合理化に伴って権限が地方公共団体に移管されたとしても、それに見合う財源が移譲されなければ、地方分権は絵に書いた餅、仕事だけが増えてなにも良くならないので、是非とも財源の移譲を忘れずに、きちんと徹底して欲しいということである。
 もう1点は、主として市町村関係者からでてきていることであるが、今回のこのような形で分権が進められていくと、国から都道府県への権限の移譲であるとか、都道府県に対する国の関与は整理されていくことになるかもしれないが、結果的には、都道府県の権限を非常に強くするのではないか。それは市町村からみれば都道府県が国に替ってくるようなものであるということである。それでは市町村にとっては困るのだということである。地方分権を推進するからには、基礎的な自治体である市町村こそがもっとも重要なはずであり、市町村への分権とか、市町村に対する関与の縮小とかに話の重点を置いてくれなければ困る。ここまで行なわれてきた論議の経過は良く分かるけれども、都道府県と市町村の関係ということを忘れずに検討して、望ましい姿というものを示して欲しいというのが、市町村関係者からほぼ共通に寄せられている意見ではないかと思われる。


4 その後の状況

@委員会側の対応
 その後、委員会側としてまずとった措置は、先程報告した通り、行政関係検討グループと補助金・税財源問題検討グループという2つのグループを設置して、今後の審議に備えたということである。第2番目の措置としては、この中間報告に対する反応を聴くために、全国5箇所で一日地方分権委員会を開催してきたということである。先日、この全国5箇所での一日地方分権委員会が終ったので、今度は関係省庁とのヒアリングという作業に移っているわけで、先週から実質的な審議に立ち戻っている。
 ところで、この2つのグループが設置されたわけであるが、この2つのグループ、それから従来からある2つの部会、親委員会の会合の今後の日程は、8月上旬まですべて確定されている。この2つのグループの日程を比較してもらえばすぐわかることであるが、私が座長をしている行政関係検討グループは、かなりの頻度で会合が設定されている。しかし、もうひとつの補助金・税財源問題検討グループのほうは、夏休みまで4回位しか会合か設定されていない。ということは、2つのグループが設置されたが、委員会の方針としては、行政関係検討グループが担当する作業を急ぐ。できるだけこの作業を進めてなんとか目途を付けたい。そして補助金・税財源関係についての本格的な審議は秋以降で、それまでに徐々に勉強を重ねておこうというスタンスであると理解してもらっていいのではないかと思われる。
 私が座長をしている行政関係のことが先行していて、そこで行なわれた叩き台のようなものが6月14日朝日新聞のような記事がでているわけである。ここに書かれている振り分け案というのは取り扱い注意文書になっていて、新聞記者には渡されてはならない文書のはずであるが、もう翌日には朝日新聞が入手していたようである。憶測であるが、この文書は各省庁に渡して各省庁の反応を聴くというもので、地方分権推進委員会から各省庁に配布されたものである。配布されたら直ちに各省庁からどこへでも漏れていくということになっているのだろうと思う。ただこれは、全文を書いたのではなく、そのなかからピックアップして書いたような記事になっている。しかし、正確な原本を持っていなければ書けない記事であることは明らかだから、抜かれたということである。この様な作業がいま我々のグループで続けられているということである。

A各省庁側の対応
 これに対して各省庁側の反応はどういう状況かといえば、これも新聞でいろいろ報道されているとおりであるが、これは4月以降の反応というよりは、本年の始め、1月以降こういうことがずっと行なわれているとご理解いただければよいと思う。昨年末に私共は機関委任制度を全面的に廃止してはどうかという試案をいきなり各省庁に投げたところ各省庁は非常に驚いたわけで、それ以前とは全く違う真剣な態度で対応し始めたということであり、本年になってから、いろいろな現象がでてくるようになってきた。
 その第一は、“ご説明攻勢”というもので、関係の省庁がそれぞれの委員、専門委員、あるいは今回はさらに参与もいるが、そういう人たちに対して、ひとりひとりに「ご説明にあがりたい」と言ってくることである。言葉は「ご説明」であるが、重々ご承知のとおり、これは説得に来られるわけで、私の感じでは、これは、まあ折伏である。これが各省ひっきりなしにやって来る。私の場合は、一番最初の時は大臣官房の人が全体を取りまとめて、各局の人たちを引き連れて5・6人でやって来て、それが各省庁一巡しこれで全部終った、解放されるかと思ったら、ところが今度は各局別にやってくる。河川局としてご説明にいきたい、道路局としてご説明にいきたいというふうに、各省それぞれそういうことをなさるということである。委員会の委員、専門委員には地方在住のひともおられるが、どうやら北海道でも仙台でも福岡でもでかけていっているようでありまして、「ご説明攻勢」はかなり徹底したもののようである。
 こうして我々に説明にこられるが、その結果、成程よくわかったというふうに納得してくれないということになると、関係省庁としては奥の手を使う。今度は国会議員への働きかけということになるわけで、それぞれいわゆる族議員に訴えにいく。地方分権推進委員会は机上の空論をやっている、あそこは無責任な学者どもが勝手なことを言ってふりまわしている、どうも行政の実態が良く分かっていないようで困る、いうことを議員に訴えていく。
 この動きを一番早く始めたのは農水省だと思うが、一番活発にやっているのは、建設省ではないかと思う。それぞれ全省庁がやっているが、なかでも熱心なのは、建設、農水だと思う。そこで、一体どういうことになっているのか、分権委員会はどこへ向って走るのか、実現性ということを考えているのかということになるわけで、これが主として自由民主党のなかで大問題となってきているわけである。各省庁はおそらく各党にまわっており、新進党にも回っていると思うが、これを受けて党内の議論が極めて厳しくなってきているのが、いまのところ自民党ではないかと思う。自民党には総裁直属の行政改革本部というものがあって、ここの本部長は水野清議員である。その下に規制緩和の委員会とか、首都機能移転の委員会とか、地方分権の委員会とかいろいろな委員会がいくつか置かれている。その地方分権委員会の委員長は岩崎純三議員であるが、この地方分権委員会あるいは行政改革本部全体の幹部に対して、政務調査会の各部会に結集している国会議員の方たちから、あの地方分権委員会の動きをなんとか抑えろという声が寄せられていくことになる。そこで、自民党の行革本部ではこうした各政調会、各部会の先生たちからの党内ヒヤリングをするということになって、もうすでに第2ラウンドのヒヤリングをやったのではないかと思う。そこで建設関係の議員は建設の立場に立った発言をされる、農水の方はそう発言されるということが一巡して、これをさてどう処理するかということが、自民党の問題になっているわけである。
 このように国会議員の方々が極めて強い関心をもちはじめられたということがひとつの現象であるが、もうひとつは、関係業界を動員するという動きにまで拡がっているところもある。これはいまのところ、厚生省関係に限定されている。しかもそれは実に細かな話で起こっている。つまり、現在、保健所の所長は医者でなければならないと資格が決っているわけであるが、全ての保健所の所長が医者でなければならないというまでのことはないのではないか、その規定を外していただけないか、いままでどおり保健所長の9割何分が医者だという姿でも我々はかまわないが、また、それが望ましい姿かもしれないが、場合によってはいろいろなことが地方で起こるわけで、100%医者でなければならないということはないのではないか、地方公共団体の判断というものが認められてもいいのではないか。つまり、必置規制を緩和するべきだという議論の一環として、常に絶対に医者でなければならないというまでのことはないのではないかという議論がくらしづくり部会で出ていて、これが改革の方向の一項目として挙げられている。これを絶対阻止したい、この改革に反対というのが大運動になっているわけである。私の家は幸いにしてファックスをつけていないので免れているが、ファックスをつけている先生のところには各団体がどんどん反対の書面を送り込んでくるので、家へ帰るとファックス用紙が渦を巻いているという状況である。
 つぎに顕著なことは、最近になればなるほど強まってきていることであるが、自治省批判が非常に強くなってきている。自分たちの所管している仕事について国が過剰な関与をしているとかいうけれども、一番強い関与をしているのは自治省ではないか。交付税制度や起債制度、また、財政関係だけでなくてもいろいろあるではないか、自治省の問題には触れないのか、委員会は根本問題に手をつけないのか、という批判が各省庁から出ている。またこれは、関係省庁の人だけでなく、国会議員の先生たちからもそう言う声が非常に強くなってきているし、さまざままグループからそういう批判が寄せられている。われわれの委員会としては、自治省所管のものについて手を触れないつもりは毛頭なく、いずれ触れていかなければならないと思っている。ただ、自治省による統制の中心はなんといっても税財政関係の側面であって、地方税関係、地方交付税関係、起債関係を中心にして行なわれているので、そうした税財政がらみの問題全体がまだ先に送られていて充分な審議をしていないので、たまたま自治省論というところまでいっていないということがある。ただ、自治省行政局が所管をしている地方自治法等の法律にも検討すべきものが皆無ではないので、それらについてもいずれ併せて問題にしなければならないという意識はある。しかし、ともかくいまは、外から、専ら自治省がけしからんという声がでてきている。
 これはどういことかというと、この認識が正しいかどうかは、将来歴史家が判定することであろうが、各省の方の考えでは、もう何年も前から国会の衆参両院で地方分権推進の決議がなされる、第2次行革審で中央・地方間、国・地方間関係のことが扱われる、第3次行革審でも扱われ、その最終答申が非常に大きな影響を持った。また、地方制度調査会の答申、地方6団体の意見書等々があって、さらには内閣の大綱方針決定、地方分権法案の立案・制定と、いろいろな一連の動きがきているわけであるが、こうした動きの背後には常に自治省がいたのではないか、自治省が黒幕になって舞台を、回してきているのではないか。こういう各省側の認識がある。これが正しいかどうかは将来歴史家が判定することだが、ともかく各省はそういうふうに見ている。各省に向って分権をしろ、権限を移譲しろ、介入をやめろとかいっているけれども、そういうことをやった時は、各省は仕事を手放さなければならない、職員を減らさなければならないことになるかもしれない。その時、自治省だけがひとり焼け太りする、ひとり勝ちゲームをしていることになるのではないか。都道府県に権限を下ろすという。しかし都道府県が強まるということは即ち自治省が強まるということである、という認識も各省にはある。そのようなことが本当に好ましい分権なのでしょうかといって、我々に迫ってくるわけである。地方6団体が意見を出すというけれども、地方6団体というのは自治省の別動体にすぎないではないか、地方公共団体の意見と言っているが、実はあれは自治省が操縦してつくらせているのではないか、現に6団体の事務総長は殆どOBじゃないか、ということになる。
 すべてがそういうシナリオのうえで動いているという認識であって、そこで自治省批判をし自治省攻撃をして、自治省が自分に火の粉が被ってきた、これはかなわないということになれば、全体の動きがトーンダウンしてくれるのではないかということが、各省の期待なのではないかというふうに思われる。
 もう1点だけ、新しい現象としましては、私どもが機関委任事務制度を全面廃止したいといったことに対する対案として各省庁からでてきたものに、共同事務という考え方、国と地方が共同して行なう事務という考え方を採るべきではないか、という反対提案が出されている。これは多くの省庁によってほぼ共通にいわれていることであるが、なかでも建設、農水がこのことを強く主張している。これはいまのところ趣旨がもうひとつわからないところがある。これまで続けてきた機関委任事務制度という制度がそもそも国と地方が相協力し、相共同して仕事をする実に巧みなシステムであった、うまく動いてきている。現在行なわれてきた機関委任事務制度そのものが共同事務制度という考え方にたっている制度なので、そしてそれにはいい面があるので、少なくともあるものについては機関委任事務を残せといっているのか、それとも機関委任事務制度を廃止するというならそれはそれで結構であるが、しかしその時には、新しく起こす事務分類は、自治事務と法定受託事務という2分類ではなく、そこにもうひとつ、第3の類型として共同事務という類型を設けて欲しい、というふうにいっているのか、ここがまだよくわからないところである。我々が一生懸命聞いても、ぼかしている。そしてもし後者のほうだとすると、つまり、機関委任事務を廃止してもいいのだけれども、そのあとの体制として共同事務という考え方を採り入れろという趣旨であるならば、その時の共同事務というのはどういうことを基本的な特徴にした制度なのかということをもう少し説明していただきたいといっているわけですが、これまでのところはまだ明確な答えがないままになっている。

B当面の焦点
 そこで次に当面の焦点ということであるが、私共としては機関委任事務制度の全面廃止ということは、既定の方針どおり最後まで貫き通したいというふうに思っている。したがって機関委任事務を一部でも残せという主張であれば、我々の委員会の考え方と相当距離があると思っている。しかし、この機関委任事務制度は廃止していいのだということであるならば、この共同事務で何を考えられているのかということを良く詰めていけば、我々の考えていることとそんなに違わないのではないかと思っている。
 そのぎりぎりのところで一番問題になっているのは、道路・河川行政である。道路と河川をいったいどうするのかということが、建設省、農水省にわたる問題になっているわけであるが、この2つの問題をどう処理するかということが、実は、向うにとっても我々にとっても、一番最大の問題である。
 もう少し厳密にいうと、道路に高速自動車国道といわれるものと一般国道といわれるもの、都道府県が管理している都道府県道と市町村道、それに私道というようになるわけである。この国道のうち、一般国道についても、国道だからといっても国が全部建設し全部管理しているかというと、そうではない。指定区間という区間と指定区間外になっているところがある。指定区間は国が直接管理することになっているが、一般国道であっても指定区間外の管理については、いままでは都道府県知事に機関委任されてきているわけである。これを、自治事務にしようと考えると、建設省がまずいうことは、「国道の管理ですよ。国が土地を持ち、使用権は国に帰属している道路ですよ。それを管理するということがどうして自治事務になるのでしょうか。これをあえて分類するとすれば、国の事務なのだが地域住民の利便性のためとか事務処理の効率性の観点から、都道府県に任せるといった性質のことで、無理やり分類すれば法定受託事務ということになるのではないでしょうか」ということになります。「しかしそれは本来、国と地方が相協力してやってきている麗しい制度なのであって、そこは共同事務というほうが良いのではないでしょうか」というふうになるわけである。河川はもっと複雑で、説明は省略するが、同じような問題がある。これは自然公物といわれるものである、いわばだれも所有していないというものは国が所有しているということになっており、河川というものは国の所有になっている。それの管理といったようなものがはたして自治事務になり得るのかということが問題になっている。国会議員の建設族の方たちが一番問題にしているものここの部分です。ですから、委員会としてこの問題をどう処理するかが当面は一番大きな論点かと思う。
 それから、委員会全体としての仕事といえば、最近とりまとめた橋本内閣による橋本行革ビジョンというものが、我々にとっては非常に大きな関心事であった。今の内閣がどういうふうになっていくのか、総選挙がいつ行なわれるのかがわからないのでなんともいえないが、橋本政権が続くとすれば、それが予定しているビジョンのなかにおよそ地方分権のことが入っていないようであれば、我々委員会の前途は非常に暗いということになる。しかし、一応まがりなりに、橋本行革ビジョンのなかに地方分権関係のことも入ったので、一安心しているところである。


5 今後の課題
 さて、今後の課題であるが、大きなテーマとしては財政関係のことが手付かずできている。これをこれから、特に秋以降はこの問題に集中していかなければならないということである。その時には、これまではなるべく避けてきた大蔵省との論戦が非常に激しいものになるだろうと思われます。機関委任事務制度の廃止でさえ国会議員の方がかなりもう動きだしておられるわけであるが、率直にいって機関委任事務制度については、国会の先生たちはそれほど大きな関心はない。しかし、補助金、負担金になったら切実な関心をもっているから、これは国会の先生たちが今以上に大活躍をされるであろうということは目にみえている。これが秋からの最大の課題でありますが、ひとつ非常に重大なことは、実は地方の財政も赤字財政であるが、国の財政危機も極端な状況になっているわけで、財政再建論議が秋から非常に大きな論議になるであろうと思われる。消費税の税率を予定どおり5%に上げることについては早々と決めてしまうということになったが、さて、5%に上げて国の財政危機を解消する目途が立ったかというと全く立っていない。その程度のことで目途が立つような状況ではないので、これをどうしていくかということが、秋以降非常に大きな論議になる。大蔵省は国の財政をどうやって再建するかということしかもう頭にないので、こんな時代に地方に税財源を移譲するなんておよそ考えられないという態度である。地方分権というならば、勝手に地方税を増税しておやりになったらいかがですかというのが、大蔵省の基本的なスタンスだと思えばいいわけで、この財政論議全体のなかでどうやって地方分権にともなう地方税財源の充実をどこまでやれるかということが、最大の課題かと思う。
 それから、もうひとつ性質の違う問題は、市町村関係者が非常に気にしている都道府県と市町村の関係を、どういうふうに組み立て直したらいいかということについて、どこまでをこの委員会がいうことになるかということである。細かなことは無数にあるが、大きな今後の論点としてはそういうことになるのではないかと思う。


【質疑応答】

【大竹】4点ほど聞きたい。
@機関委任事務は正式な契約関係ではないから、いざ裁判の場にあがった時に必ずしも負けるとはならない。ところが法定受託事務といって中央と地方で契約関係になると、契約は当然履行しなければならない、という形でかえって縛られるのではないか。
A法定受託事務のなかになぜ代執行を残したのか。
B中央政府と都道府県、市町村との関係を整理する際に、なぜ中央政府対地方政府という概念を用いなかったのか。
C税財政の分離の議論をする場合に、政府税調の存在が障害になるのではないか。

【西尾】まず、法定受託事務の考え方であるが、これはひとつひとつの事務について、例えば、外国人登録の事務について法務省が、旅券発給事務であれば外務省が、47都道府県または3200余の市町村とそれぞれ委託契約を結ぶわけではない。法定受託事務というのは、法律でこれは市町村に委託すると決めてしまうということなんです。一律・一括に決めてしまう。仕事の中身としては、委託・受託の関係ではあるが、しかし、受託する・しないの自由は与えていない。ただ、委任という関係ではなく、委託・受託という関係にしようということである。したがって、契約を断るという自由は地方公共団体にない、というシステムで考えている。
 法律で義務付けたならば、地方公共団体は断れないのではないか。断れないのであれば、現在の機関委任事務制度よりもさらに悪いのではないかというのが質問の趣旨と思う。しかし、今の機関委任事務も義務付けている。国の機関として国に代わってやりなさいと法令で義務付け、詳細に通達で指示し、さらには電話で指図としている。それにもかかわらず沖縄で起こっているように、代理署名を拒否することが起こり得る。どんなに義務付けていても、義務付けられた当事者がやりませんということはあり得る。そういう意味では法定受託事務になっても、例えば外国人登録についてこういうふうに処理しなさいと法務省が指示をしてきた時に、ある地方公共団体がそれを拒否することは今後も起こり得ることです。法律上は義務付けられているわけであるが、その法令の解釈からいって、そこまで我々がいわれることはないのではないかと、自治体の側の理屈をたてて、拒否し、裁判で争いましょうということは今後も起こり得る。
 したがって、代執行をおいたのは、法定受託事務になってもやらないという人がでてきうるからである。国としては、それを「そうですか」といってはおられない。「やれ」と命じる。しかし、「やれ」と命じてもやらない時は国が代って自分でやるという道を残しておかざるを得ないのではないか。国の利害に係わる事柄は、最後は国が全責任を持って、自分でやるという道を残さざるを得ないのではないか。それは今、沖縄で起こっていることと同じようなことである。あのようなことが、法定受託事務に残ってくるとすれば、あるいは戸籍についても外国人登録についても起こりうるわけであるが、その時のためにはやはりものによっては代執行という道を残しておかなければならないのではないか、というのが、私たちの考え方です。もっとも、法定受託事務については、全てについて代執行を認めるという趣旨ではない。最大限はいろいろな関与の手段がある、最後の手段としては代執行まで認める余地があるといってはいるが、法定受託事務になっても代執行などということは考えられない事務もあるし、代執行を認める必要のない事務もある。その全てに代執行を認めるという趣旨ではない。ただその最大限の手段として代執行まで入れるという趣旨にすぎない。
 それから3番目の質問ですが、政府間関係という概念は私たちはこの委員会の報告では全く使っていない。しかし少し論議があった問題としては、地方公共団体という言葉を一貫して使っているわけであるが、それに対して、地方自治体あるいは自治体という言葉を使うべきであるとの主張は委員会のなかにあって、少し議論になったことがある。たとえば、くらしづくり部会の報告では全て自治体、または、地方自治体のどちらかの言葉で統一して書かれている。それが、親委員会がこの中間報告に載せる時には、全部地方公共団体に書き替えた。つまり、部会の報告と言葉遣いが変わっている。
 なぜ、親委員会が地方公共団体という言葉で通しているかといえば、法律上の用語をそのまま使ったというだけのことである。あえていえば、憲法上の言葉、あるいは地方自治法上の言葉もさることながら、地方分権推進法が使っている言葉をそのままつかわざるを得ないというふうに考えたというのが理由であって、それ以上の理由はない。私も法律を引用して書かなくてはならない時は、地方公共団体と個人的にも書く。その必要がない時には自治体と書いていることが多い。
 さらに政府間関係という言葉は、私が一所懸命普及させようとした言葉でもありますので、これを使っていることもあるが、こういう政府の審議機関でやるときは、私はあまりこだわらずに、法律上の用語をそのまま使っているというだけのことである。
 最後に税財政関係の問題、税財源関係の問題を議論していった時のいろいろな難しさ、手続上、実質上の難しさのうちのひとつとして、政府税調の存在は始めから意識されていることであって、地方税財源の問題を我々が議論して勧告する時に、どこまで細かい事を言うべきであろうか、言えるか、というのが当初からの問題である。まだそこまで審議していないが、審議をはじめたらそういうことになるなあと、皆が意識しているという問題である。
 たとえばこのくらいの金額を国税から地方税に移譲すべきであると言うようなことは、我々の委員会で言えるかもしれない。あるいは、さらにその税源の種類として、全く仮定の話であるが、資産にかける税金、消費にかける税金、所得にかける税金というような大きな区分けがあるとして、そのバランスが良いことが大事だ。今後は地方税を充実する時に、所得にかける税、消費にかける税というようなところをもう少し充実することによって、地方税財源を一般的に充実すべきではないか、ということまでは、もしかしたら我々の委員会は言えるかもしれない、言ってもいいかもしれない。しかし、それを○○税でやるべきだと言うことまで言えるか、ということである。それは政府税調の議論に任せなければならないのではないか、というふうにまず思っている。それから、交付税制度を変えていくという問題については、地方制度調査会という別個の機関があるわけで、ここも、どこまで細かなことを我々の委員会がいうか。ある大筋をいった上で細かいことは地方制度調査会でさらに議論をして下さいというようにせざるを得ないのかな、というような問題があって、他の審議機関との調整を最後にどうするかということが、これから残されたひとつの論点だと思う。

【上林】機関委任事務の振り分けをする場合に、自治事務と法定受託事務のボーダーラインとなっている事務があって、これが新しく共同事務という範疇になってしまうのではないか。

【西尾】先ほどの6月14日づけの朝日新聞にのったリストを念頭においての質問だと思うので、直接の答えに入る前に、このリストの性格について少し説明したい。
 われわれが振り分け作業をするにあったて、どういうものから検討したかといえば、昨年末に検討試案を出して以来、各省から、機関委任事務制度を廃止するというが、例えばこういう事務についてどうなるのかと、機関委任事務制度の廃止など出来るのか、廃止など考えられないのではないかという観点から、挙げてきた問題点がたくさんある。その問題点をできるかぎり漏れなく列挙した。さらには各省は触れていないけれど、我々が委員、あるいは専門委員自身が難しいと気付いている問題点を追加した。そういうものを検討対象にした。したがって、ここに挙がっているのは、全部が問題点なのであり、全てが難しい問題ばかりである。ここに挙がっていないようなことは、まあ大したことはない、大雑把にいえば、なんとか振り分けはきくということだと考えて良い。
 したがって、私たちはこれは自治事務にしたい、そういう方向で検討しますよ、といっているのが、2番目のカテゴリーであるが、これについては関係省庁は納得などしていない。全部それぞれの省庁が反対しているものと理解してもらいたい。決着などなにもついておらず、皆冗談じゃありませんといっている。
 例えば、生活保護事務については、厚生省にいわせれば、憲法25条によって国の責任と決っている。これが自治事務などということになり得るか、といって憲法から持ち出してくる。就学事務についても、文部省は、義務教育というのは全国、ナショナルミニマムとして維持することは国の責任であり、それは憲法26条に国民の教育を受ける権利と定められ、また就学・義務教育については、就学させる義務を親に課しているのであって、この憲法の規定を全国画一的に公平に実施することは国の責任であり、その一部といえども国は放棄出来ないといっている。それに対して、私たちはそう考える必要はない、自治事務に出来るのではないかといっているわけである。
 各種法人の認可と業務監督についても、法人格を付与するのは国に専属してある権能であるというのが従来の霞ヶ関に流布していた法理論である。収用権についても同様である。収用権というものも国に専属している権能であり、それを地方公共団体に譲るなどというのは、法理論として認め難い話であるというのが国側の見解である。それをこれから全部論破しなければいけない、ということである。これが、リストで自治事務に分類されているものの状況である。
 さて、ボーダーラインとなっているのは、これは新聞記者がボーダーラインと書いたのであって、私たちの文書では「法定受託事務にするか、自治事務にするか引き続き検討を要するもの」というのが表題である。それを新聞記者がわかりやしすく、ボーダーラインと書いたものである。したがって、ここでは各省がいうような共同事務をとろうという気は毛頭ない。あくまで機関委任事務は全面廃止するつもりであるので、その時に自治事務と法定受託事務のどちらに振り分けるのが適切か、我々自身がさらに慎重に考えなければならない、簡単に結論を出せないと思っているものを、まだ宿題として残したという性格のものである。
 その冒頭に、さきに一番問題だといった道路、国道、河川があがっている。我々4人の参与も含めたなかでいろいろ議論もしているが、どちらの考え方も成り立ち得るのでいろいろと利害得失を考えているところ、正直に我々自身が、まだ時間を下さいといっているところである。この問題については、建設省側から27日に道路河川問題についてのヒヤリングをするので、その時に、共同事務というのはどういうものなのか、より詳細に説明して欲しいと注文をつけているのであるが、これに対して建設省がどういう回答をするか、さらにぼかしたままでいくのか、これは27日になってみないとわからないわけであるが、そういうことも伺いながら、さらに考えていきたいと思っていることである。ただし、このボーダーラインというところにあがっているものには、少し性質のちがっているものがいろいろと混じっている。
 たとえば、信用組合の監督と書いてありますが、これは東京・大阪で起こったいわゆる信用組合問題であって、大蔵省所管の唯一の機関委任事務といってもいいものなのである。これについては事件以来いろいろな議論があり、都道府県にも、こんなものを都道府県の責任だといわれても我々もやりきれない。したがってこの際返上してしまって、都市銀行から信用金庫までは大蔵省が監督しているわけですが、それと同じように大蔵省が全責任を負ってやって下さい、という意見の都道府県もあるし、そうではなくて、信用組合の業務の内容が従来想定されたものと違ってきてしまったからこういう事件がおこっているのだから、したがって信用組合の業務の内容をこの際変えて、限定をして、地域的な機関というものに変るのであれば、変えてくれるのであれば、従来どおり都道府県が責任をもっても結構です、という府県もある。このように地方公共団体の意見もまだ一致してはいないという問題についても、これをどうするのか。国に返しますというのか、こういうふうに法律・法令のもとから変えてくれるのならば一部を地方公共団体が担ってもいいというのか、もう少し様子を見ながら考えなければいけない。地方公共団体の意見ももう少し確認しなければけないという意味でボーダーラインである。
 食品の検査、承認基準が作成された医薬品の承認というのは、実は、自治事務に振り分けている営業・事業、資格・免許などと非常に似たところがある。営業・事業、資格・免許というようなものは、その法人なり、あるいはひとりひとりの人間が仕事をする資格に関連した問題で与えると、それは全国通用する資格となっているというものが非常に多い。これに対して、今度はある県が検査をし許可をしますと、その製品が全国流通してしまう、というのがこの問題なのであるが、この問題についてどう考えるか。とくに人体、生命にかかわる可能性のある食品、医薬品というようなものについて、果たして都道府県の自治事務という構成が可能か。ある県が検査をして許可をすると、それが問題なく全国に流通していいというものになり得るか、という問題である。そういった問題について、もうちょっと慎重に中身を洗って、検討し、区分けをしていかなければいけないのではないか、ということで、残っている。細かな部分についてもまだ検討が充分ではないという意味である。そういうものがいくつか並んでいる。
 一番最後に、災害等緊急事態の措置というのと、生活保護事務の監査とが書いてあるが、この生活保護事務の監査というのは非常に不正確な書き方で、新聞の書き方の間違いである。本来は、「市町村に対する指導、監督事務」と書いて、その例示のなかに、市町村が担う生活保護に対する事務の監査ということが、挙げられている。この最後のふたつは、いずれも前のものとは違って、ある分野をとってきた切り方ではなくて、全然別の切り口で問題を拾っている。
 災害等緊急事態の措置というのは、災害対策基本法など災害対策法令というものがまずあるが、そういうことの中に、なにか阪神淡路大震災みたいなことが起こった時は自衛隊の出動が要請できる。ある条件のもとでは自衛隊が出るとか、内閣総理大臣がなんらかの指示をすることができるとか、通常にはほとんど認められていない緊急事態ということで、総理には特別の権限が与えられている法令がある。さらにそういう基本的な法令に基づいて、災害の時になればなによりもまず動くのは自衛隊、警察、消防というような組織であるが、警察もそういう非常時には全国動員をかける仕組みがあったり、消防についても様々なそういうことが消防法の中に決められている。さらにもっと拡げていえば、伝染病が発生した時、その県内で伝染病対策のあらゆることをやっていて人手がちょっとまにあわないという時には、厚生大臣が他県の防疫員をある県に出動しなさいと、出動命令を出すことができるようになっている。そうようなことまでを含めて、災害、緊急事態の起こった時には通常の指揮、命令とは違う特殊なことが認められるように法令でなっている。そういう関連のことはいったいどういう事務だと考えたらいいのか、という問題である。これは特殊なことなので、もう少し慎重に考えたいという意味で、ここに並んでいる。
 また、市町村に対する指導・監督については、生活保護を例にとっていうと、生活保護の決定・実施というのは、町村部については都道府県の福祉事務所、市については市に置かれている福祉事務所がやっているわけであるが、これに対して事務の監査ということが非常に細かく行なわれている。事務の監査というのは生活保護行政について不可欠の手段であり、これは将来とも認めてくれなければ困ると、厚生省は強く主張しているわけであるが、仮に今行なわれている事務の監査が今後とも認められるとなったとして、その時(厚生省に監査指導課という課まであるが)その監査指導課の職員が都道府県に来る、ある場合には市町村の福祉事務所にまで出てきて自ら監査すれば、これは国の事務である。したがってなんの問題もなく、国自身の仕事となる。しかし、厚生省の職員だけで全国の監査などできない。そこでどうしているかといえば、都道府県の福祉部局の職員たちに福祉事務所の監査をさせている。市の福祉事務所についても、都道府県の職員に監査させている。厚生省の職員が一緒の場合もあれば、県だけにやらせていることもある。ともかく、都道府県をして市町村を監査させているす。この都道府県が市町村の福祉事務所を監査するというのは、都道府県の自治事務なのであるのか。あるいは本来は国がやるべきことを、国から委託されて都道府県がやっているものだと考えなければいけないのか。そこが法定受託事務になるか、自治事務になるか難しいところだと考えている。
 これは、生活保護の事務監査で例をとったけれども、他の行政分野にも種々ある。これをどういうふうに考えていくのか。事務ごとに性質が違って、ここも振り分けて考えていかなければならないのかというようなことである。その辺が重要な問題である。これは先程いった都道府県と市町村の関係を今後どうしていくかという問題にも係わっている非常に大きな問題点だと思っていて、ここは私たち自身がもっともっといろいろ分析し、考えてみなければならないところだという意味で、ボーダーラインに入っている。

【司会】例えば信用組合については、信用組合が本来の信用組合の無尽に近いかたちならば、自治体事務でなんの問題もない。むしろ今は、信用組合といいながら他の県まで出ていって、普通の金融機関と区別できないような大きな金融機関になったことに今度の問題がある、という論法。例えば、一般国道も500本くらいあるのを全部国道とするのか、あるいは誰もが思い浮かぶような骨格的なものは国が直接管理でもいいけれども、市町村道より悪いような国道まで、国道だといってやる必要があるのか。一級河川も、水系管理だといって、ぼくらでも飛び越せるようなところまで一級河川の看板のあるところも全国随所にあるし、ひとつの県内で自己完結している川もいっぱいある。そうすると、いまの仕事をそのままにしたままでどっちに振り分けるかという分類は非常に難しいと思うが、むしろ国道とはなにか、というように仕事そのものをこの分権論のなかで変えなければ意味がない。分権の議論とはそういう議論だろう、と実は期待しているのだが、必ずしもそうではなくて、いまやっている仕事はそのままにして、ただ分類を少し変えようとするだけのことに、うっかりすると終る危険性もあるのではないか。

【西尾】私たちの行政関係検討グループが今やっている作業は、ともかく機関委任事務制度の全面廃止は可能だ、ということにもっていきたいので、今まで機関委任事務になっているものをどう処置するかということにだけ限定して議論しているわけである。したがって、一級河川の指定区間外の管理、一般国道の指定区間外の管理というようなところだけを問題にしているのであるが、それを議論していくとたしかに指摘されたような問題が出てくる。それは我々のグループが検討することではなくなる。もし議論するとすれば、権限移譲の問題になるので、例えば道路・河川については地域づくり部会で、いままでの国道体系・河川体系そのものを見直すへきではないかという議論から始めるという、そちらの作業になるかと思う。私たちはそこまで考えていたらきりがないので、いまの始末のことを考えているわけで、部会の問題になる。
 ただ部会の問題にした時に、それが実際にできるだろうかという、こんどは政治情勢として出来るだろうかという問題だとお考えいただきたい。
 国道についてはいろいろな議論があって、国道40号線くらいまでは国道らしい国道かもしれないが、それ以下は国道でなくていいのではないかという議論はある。あるけれども、どうやって国道になってきたかという経緯からいえば、都道府県のほうが国道の昇格を求めて運動して、国道にしてもらってきた国道になると、お祝いだとパレードしてきた歴史である。そしてそれに全部国会議員の先生たちが一生懸命尽力してきた賜物である。これを格下げするといったら、関係の県自身が反対するのではないか。それからそれに努力した国会議員が全部反対するのではないか。それが一体出来るのだろうか。そして本当に自治体が喜ぶのか、という問題になる。
 では、なぜ国道への昇格を求めてきたのかというと、財政負担の問題である。端的にいえば、国道に昇給すれば国費がより多く使われて、それで道路が整備される。地元のお金より国のお金でやられたほうがいいに決っているというわけで、国道に上げてきたということであるから、どれだけのお金を国が、どれだけのお金を県が持つかという、今までのシステムが前提になって、国道格上げがおこってきたわけである。ですから、そのシステムの元の財源負担の話まで変えれば、また話は全然別になる可能性はあるわけです。しかし、その大本までいって、大議論をやって、国道から県道に戻すというようなことが、果たして今回出来るかということになると、国道については、私は非常に悲観的である。ただ、河川については、もう一寸整理をしてもらわなければならないのではないかと思っている。闘争をしてみたいと思っている。

【村山】全国の意見を聞くといっているが、こんな数箇所の一日地方分権推進委員会の開催だけで、意見を聞いたことになるのか。

【西尾】一日地方分権委員会が、地方5箇所でどうして全国だといえるのかということだが、その前に昨年の段階で2箇所、広島と群馬で行なわれていて、今年の4月以降に5箇所でやったので、いわゆる地方ブロックという単位でいえば、北海道を除く7ブロックのどこかへ1回は行ったということになっている。実をいえば、北海道には来ないのかという北海道の声があって、そう言われたならば行かなくてはならないかということで、急遽行くことになった。8月28日に、北海道で一日地方分権委員会をやることにおおむね決っている。これで、8ブロックのなかの1ヵ所へは行った、ということになる。
 こういう一日地方分権委員会は、出来る限りやれればやるほどいいに決っている。少なくとも47都道府県1県つづ回れれば、今よりずっといいにちがいないが、委員会の人たちはいつも日帰りではあるが、それでも丸1日つぶれる。47都道府県をやるということは、47日それに割くということになる。世論形成だけが役割ならば、それをやっていればいいのだが、われわれは勧告案をつくれといわれている。その審議も、作文で済むのならば、もっと短期間で済むが、相手の省庁の説明を聞き、相手の省庁に投げかけている。時間が無い、時間が無いと、どの省庁もそういっている。結局は365日全部私がこの委員会を毎日やったとしても、どこも満足しないのではないか。国民も満足しない、俺たちの意見を聞いていないという。関係省庁も意見を聞いていないという。そういう仕事なのじゃないかと思う。そこはご理解いただきたい(笑)。

【加藤】機関委任事務を自治事務や法定受託事務ではなく、国の直轄事務とする可能性はあるか。

【西尾】あると思う。機関委任事務制度を廃止されるというのならば、自分で全部吸上げて、自分で全部やりたいというのが本音だという省庁はいろいろある。しかし、それを吸上げて、今の地方の出先機関でできるかというと、職員をもっと大量増員しなければできない。職員の大量増員などということが、今この国の行革路線のなかで認められるか。総務庁も大蔵省も絶対呑まないだろう。政党も、自民党も賛成してくれないだろうという状況のなかで、そんなことは不可能だと思っているから、そういう案は各省とも言い出せない。。
 いっときは機関委任事務制度の廃止というと、今度は吸い上げがおこるという議論が世の中にあった。しかしまずそれは出て来ないだろう。ただ、例外的に1〜2はあります。この朝日新聞の記事はいくつかをピックアップしているので、たまたま落ちているが、国の直接執行事務または法定受託事務という最初のカテゴリーの一番最後に国立公園に係わる事務というのが挙げてあった。これは、環境庁、国立公園というのは原則として国が直轄で管理しており、ごく一部の仕事が都道府県知事に委任されている。それが、機関委任事務の部分を自治事務だのなんだのといわれるならば、環境庁としては全部吸い上げて自分でしたい、ということをいっている。ただこれは、本気でいっているのか、威しでいっているのかわからないところがあるが、私たちとしては、「そういうおつもりがあるならば、どうぞおやりになったらどうですか」といって、そこにあげたものの例です。
 もうひとつは新聞でしばしば報道されている、沖縄のような米軍基地関係の問題について、こういくトラブルが続くということに対して、政府として、これではどうにもならないと考えて、ああいう種類のものについては、国が全責任を負ってやるような仕組みを考えなければいけないのではないかということが、ちらちら新聞報道にでている。あれは場合によっては国が吸い上げて自分でやろうか、といっている例だと思う。そのことについて念の為に申し上げておくと、日経新聞が何日かの夕刊に、この関係の事は国が直接執行したらいいのではないかと、分権委員会の態度を決めたかのような記事が載った。あれは完全な誤報である。国の直接執行または法定受託事務にするつもりで検討しているものという項目のなかに、駐留軍用地の特別措置法に基づく土地の使用・収用ということを挙げているこのは確かである。しかし、ここは直接執行にしたらいい、といったわけではない。法定受託事務にするかどうか、まだそこは明らかにしていないという意味で間違っているし、また、これは決定したというものでは全くない。我々のグループが叩き台として親委員会に出しましたけれど、引き続き慎重に検討せよ、といわれたとだけで、委員会としてなんら決定したものでもない。そういう意味でも、あの記事は誤報だったということになる。

【恒松】この中間報告は、国と地方との関係が今まで上下主従関係にあったということを認めて、それをこれからは対等協力の関係に進めなければならないという、これまで全然そういうことがいわれなっかたことが非常に率直にいわれたことは、大変すばらしいことだと思っている。ただ、さきほどの生活保護事務についていえば、たしかに憲法にいわれているから、それは国の事務だろう。しかし、国とは中央政府と地方政府で構成されているわけで、国の事務となっているものを中央政府と地方政府がどう分け合うか、という考え方が分権の問題である。この国と地方という言い方は分権の問題では相応しくない。むしろ、中央政府対地方政府という、少なくとも用語だけでもそのように使うことが正しいのではないかと常々思っている。いつでも国の事務といわれると、地方だって国なんだから、国のいうことと聞かなければならない、となる。そこのところは議論されたのか。

【西尾】繰り返しやっている。生活保護に例をとっていえば、国は生活保護法という法律をつくらなければならないし、それに基づく政令・法令が作られる。さらに、生活保護でいえば、国民の最低生活基準を毎年改訂している。それにしたがって生活保護費が支給されるわけだが、最低生活基準というのは告示で示されている。そういうものを支給する時には、その人の収入をどうやって認定するかというのにも細かな基準が決っている。資産を持っている時には、その資産をどう処分させるかということについての基準も決めている、等々たくさんの基準を示している。そういうことを示すのは、これまでどおり厚生省の、国の仕事である。それは変らない。しかし、今までもそれにしたがって、決定し、実施するという仕事は都道府県、市町村に任せてきたではないか。その部分をこれからは自治事務という考え方にするのだということである。
 そういうと、なにが変るのですか、と反論される。それは、今までも基準は決めてきたけれども、その後、通達等で非常に細かいことをさらに指示してくる。そこが今までよりは、そういう指示はできるだけ止める、おおまかな最低のことにとどめる、ある程度地方公共団体に裁量の余地を与える、というだけのことである。生活保護についていえば、そういうことである。
 いまは、国は法令を作り、基準を設定し、そしてしかも払う費用の7割5分は国が払っているが、7割5分という多額の補助金・負担金を国が出すということで、憲法がいっている国の責務は充分果たしたことになるのではないか。その後の実施の部分を地方公共団体に任したといって、国の責任がなくなったわけではない。国はその大枠を決め、全国にきちんとできるようにするのは、国の責任であり、その先は地方公共団体の責任と考えるべきではないか、というのが我々の考えです。
 しかし、国の責任である以上、細かなところまで問題が起きないように、全部監視するのが国の責任である。問題が起きたら国の責任となると、それが生活保護事務であるというのが、厚生省の考え方である。責任の考え方の違いである。

【恒松】しかし、いつでも、国の責任というが、政府間の問題としては、中央政府の責任、厚生省がどう責任を負うか、という問題なのではないか。

【西尾】むしろ、詰めていくと、国の各省の方は、「国の」といっても「厚生省の」責任、「文部省の責任」という感覚である。私たちにいわせれば、国会が法律で定める、というところから始まるのであって、そこで国は国の責任を果たしている。国会を意識しているか、省庁を考えているかの違いである。

【恒松】そうなると、地方団体は国会の議決のなかでどういう役割を占めているかということを考えると、国会で決めたことを中央政府と地方政府でどう分担・分け合うということではないか。そのへんの感覚は、中央政府にないと思うが。

【西尾】恒松先生に申し上げてもしょうがないことであるが、厚生省にとっては厚生省が国という感覚である(笑)。

【恒松】だから、そこへメスをいれなければいけない。

【西尾】そこの議論は繰り返しやっているが、どうどう巡りする。むこうもちっとも理解しない、こっちもちっとも理解しない(笑)。

【得本】分権を進めるとすれば、その担い手である自治体、とくに3300近くある市町村の体制をどう整えるかという議論が必要なのではないか。

【西尾】いわゆる受け皿論の話であるが、まずいきさつからいえば、地方分権推進法という法律ができるまでに、もう散々いろいろなところでいろいろな議論があった。行革審でもあったし、各政党もそれぞれいろいろ受け皿論を出していた。有力な政治家からもいろんな案が出ていた。例えば、武村さんは道州制論者、細川さんや小沢さんは廃県置藩論者みたいな人たちであるし、恒松先生は連邦制論者である。まあ各種の議論が花盛りだった。いずれも現行の都道府県制を組み替えるとか廃止・組み替えというのが前提になっていて、その議論から始めていたのではいつになっても分権はひとつも進まないだろうというのが、私自身の判断であった。したがって、分権を本気で進める気ならば受け皿論は棚上げしてもらいたいというのが私の基本的姿勢で、私が参加したところではそれを言い続けた。そしてようやく、ともかく都道府県、市町村はそのままにしておいて分権を考えようとなってきたのが、一昨年末の内閣の大綱方針の決定であり、地方分権推進法の制定であったと思う。我々が大本の受け皿論から考え直そうとしたら、全部議論を白紙に戻してしまうわけで、私たちの委員会は、現行のシステムを前提にして分権を考えよう、というのが任務だというふうに思って仕事をしている。
 ただ、市町村問題については今のままでいいかどうかというのは非常に議論のあるところである。合併がいいのか、もう少し広域連合とか事務組合とかの活用がいいのか、あるいは小規模の町村については、そのまま残すけれども、全ての仕事を町村にやらせるというのではなく、そこは県が補完・代行するというような仕組みがいいのか、いろんな仕組みがあり得ると思う。そういう問題をどこかの段階でもう少し真剣に考えなければならないのではないかという気はしている。一応受け皿論が棚上げになって、議論がここまできた以上、市町村問題についてはもうちょっと議論をしてもいいのかもしれない、と思ってはいる。
 しかし、市町村の立場からいえば、いまは分権などというものが議論されているけれども、本当にどうか。わからないと皆見ている。今度も議論倒れではないだろうかと多くの人は思っている。しかし、もしかしたら、ひょっとするよとも思っている。ひょっとするとしたら、どう変ってくるのか。そのことの様子をみてから考えてもいいんじゃないか、というのが今の町村の共通した立場・スタンスだと思うので、この議論をやっている間はあんまり合併とかは進まない。しかしこういう体制にになります、そして町村にこれだけの仕事が下りますとなったならば、これは背負いきれませんという町村がでるのではないか。その時始めて、合併論議とかなにか新しいシステムの模索というのが起こるというふうになるのかもしれない。先に受け皿を作って分権を考えるのではなく、分権を進めることによって受け皿論が浮上する、という手順かなという感じを持っている。

【司会】一番最初にいわれたことにからむのであるが、法律の作り方からすれば実施までみるのが推進委員会の任務である。よって、逆算していけば年内に勧告を出さなければならない。それはそのとおりだと思う。しかし、いままでの話だと、一回きりで勝負するにはあまりにも多くの問題がある。先程の道路の話ひとつをとってみても、これで、この件は5年間あるいは何年間か議論しませんといわれると、世論は縮むかもしれない。そうすると、西尾先生にはお気の毒ですが、第一段階の答申・勧告は年内。これは当然だが、来年にはまたひとつ出してもらう。段々難しい問題、税財源の組み替えの本丸にせまる。それは実施までは見届けられないかもしれないが、勧告までは作る。その時に、この推進委員会設置法を延すか延さないか、それはその時の内閣が判断すればいい。5年の間に出来ることしかやらないというのでは、ちょっとこの努力は空しくはなりやしないか。

【西尾】これは個人の考えだということにしていただきたいが、当面の勧告で、こういうことをしなさいというのと、それはそうだけれど、その先、こういうふうにこの法令についてはこういう角度で見直しなさいと、次々に将来課題を掲げていくような勧告にすべきではないか、と思っています。
 それから、勧告の時期の問題については、年内に勧告するという目標で一生懸命にやっているが、記者会見の度ごとに、委員長はそれで変りませんかと聞かれるたびに、それで努力するといっておられる。ただし、全部のことについて年末までに勧告できるかどうかはやって見なければ分からないとも言い続けている。そうすると、基本的な部分については年末に勧告するけれども、ある残った問題については来年の3月で勧告するといったように、当面の勧告も分解して出されるようになるかもしれないと思っている。

【司会】あんまり最初からそれをいうと、それでは3月まで引き延ばしだまたとトーンダウンするから、これは言い方は難しい。