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シリーズ討論

現代社会と高校改革

学芸大学教授 黒沢惟昭
国民会議ニュース1996年5月号所収
1 深刻な高校問題
2 改革の視点
3 現代日本の社会状況
 @ 戦後後期の分岐としての75年
 A 集合型高校の登場
 B 高校をとりまく環境の変化
 C 総合選択制高校「伊奈学園高校」
 D 14期中教審による高校改革
4 高校改革の柱
 @ 格差是正
 A 選択肢の拡大
 B 学校のスリム化
 C 総合学科高校


1 深刻な高校問題
 教育改革のなかで、高校改革問題はあまり脚光を浴びていない。主として小中学校におけるいじめの問題か、あるいは企業において即戦力となるような人材をいかに養成するかという高等教育問題のどちらかに関心が集中している。
 しかし、連合総研の研究会で東大の天野郁夫教授(当時は教育学部長)は、いま政府は高等教育に力を注いでいるが、実は初等中等教育、つまり教育のインフラ部門に崩壊が生じていることを指摘された。どういうことかといえば、現在、子供の数が減って、教員になろうとしてもなれない状況にある。学芸大学でも卒業生の4割しか教員になれない。したがって、教育学部自体が成り立たなくなってきていて、旧帝大系のドクターコースを出ても就職先がない。これでは教育界に優秀な人材がこなくなっている。日本の初等中等教育の水準はアメリカ、カナダ、欧州よりも高かったが、いまやそれは崩れつつある。高等教育も大事だが、それを支えるモトの部分、教員養成も頑張らないといけない、ということである。
 高校は中等教育であるが、いまや高校進学率は97%となり、数字の上では準義務教育といってもよい。ところが、全国で2〜2.2%、約10万人が毎年中退している。これが10年以上続いているのである。2%というとたいした数ではないと思われるかもしれないが、1000人規模の高校が毎年100校なくなっていく勘定になる。前は12〜3万人であったので、中退者は少し減少しているが、通信制へ移行したりしているものもあるので楽観はできない。
 この中退者の多くがいわゆる教育困難校に集中している。一方では大学や大学院が充実して、世界に通用する人材がでてくるようになっても、他方では殆ど教育とはいえない状況が日夜繰り返されており、この格差がますます広がってきている。もちろん、中退がすべて悪いわけではない。しかし、積極的な中退ではなく、なんとなくフワーと中退するのが多い。
 かつてNHKで教育困難校のビデオを見たが、それでは十分わからないので実際に見に行くと想像を絶する世界である。授業中聞いているのは前の方2〜3人位で、あとは好き勝手をやっている。廊下にはタバコの吸いがらがあちこち落ちていて、先生がそれを掃き集めている。鐘が鳴っても教室には入らない。空き教室でマンガを読んでいるものもいる。
 神奈川県では70年代初めに高校100校計画をたてたが、職業高校は1校だけであとは全部普通高校である。その公立高校の2割がこの教育困難校である。土地が安いからと郊外に建てたが、いまは立派な住宅街になっている。そういうところにこの教育困難校があるのである。バイクを乗回す、空きカンは投げ捨てるなど、近所からすれば迷惑施設以外のなにものでもない。生徒もそれを知っているからわざとやっていて、校長のところには苦情の電話が鳴りっ放しである。
 先生も早く他所へ移りたいと考え、生徒も親から言われて来ているだけで何の希望もなく、早く時間の過ぎるのを待っている。近くには私立のエリート校があって、バスにも整然と乗って先生の手を煩わすことはない。ところが、困難校の方は先生が朝からバスの乗り場で整理にあたっている。近くの店では生徒は出入り禁止になっている。なにかにつけて近くのエリート校と対比させられ、それがまた悪循環となっている。まことに見ていて暗澹たる気持になる。高校の改革を考えるひとは一度はみる必要がある。中教審の委員は見ていないのではないか。改革に責任のあるひとは見る必要があるし、一度みると実態が良くわかる。
 もうひとつの対照的な例をあげると、埼玉に県立の伊奈学園総合高校というのがある。これは新しいタイプの高校で、教科の選択を多くして160講座もあり、個人個人の個性に応じた時間割が組めるようにして、同じ時間割の生徒がいない学校である。ここでは生徒は伸び伸びしていて、神奈川の高校とくらべると、同じ公立の高校でも大違いである。
 こう見て見ると、とてもこれは個人や保護者だけの問題ではなく、国の政策になにか原因があるのではないかと考え込まざるをえない。

2 改革の視点
 自由が尊重されるべきことは当然ではあるが、現在はあまりにも格差がありすぎる。上のグループは下の実情を知らず、改革を論ずるひとも事実を知らない。なんでも平等にすればよいとは言わないが、ある程度、同じ高校生であるならば、最低限の必要条件はあるのではないか。自由と平等のどちらを優先するかというのではなく、なんとかこの両者を調整していけないだろうか。いまはとても放置できる状況ではない。
 主権国家の終焉が論じられているが、大きな目でみれば時代はその方向に向かっている。教育においても分権し、地域に任せる方向で考えるべきではないか。これからの社会を考えると、連帯感、とくに世代間の連帯感を地域で醸成していくことが必要である。欧米では個人主義とともにボランティアなど助け合いの精神が盛んであるが、日本は古い共同体を破ることは出来たが新しい連帯感が出来ていない。若い人が個人主義に走ると社会保障は日本では成り立たなくなる。これまでは企業が連帯の役割を果たして来たが、すでにあやしくなりだしている。そうだとすれば、地域に連帯感をつくっていく役割を期待するしかない。教育学者も少しそういう視点から考えるべきだと、隅谷三喜男さんから言われたことがある。すでに横浜市の旭区では生涯学習の試みを始めているが、生涯教育の一環として高校を考えていくことも必要ではないか。
 もうひとつ、指摘しておきたいことは、これまでは55年体制のもとで文部省と日教組とは対立し、教育をどうするかという本来の議論に入れなかった。しかし、最近はお互いの立場を意識しながら議論することが出来るようになっていきた。連合総研のプロジェクトを国立教育研究所と日教組とが一緒にやるように時代が変ってきた。

3 現代日本の社会状況
 高校改革の問題の前に、いまの日本の社会状況について少し整理をしておきたい。
@ 戦後後期の分岐としての75年
 一口に戦後50年というが、1975年を境に日本社会は大きな構造変化を遂げている。第3次産業の就業者が半分を越えたのが75年であり、ポスト産業社会に突入した。高校進学率も74年に9割を越えて、それ以降は進学率の伸びはやや落ち着きを見せることになった。そのほか、離婚率やいろいろな指標で、70年から75年にかけて構造変化が生じていることを示すことができる。
 分衆という言葉がうまれたのもこのころである。大衆という大きな集団は崩れ、いくつかに分割された大衆、つまり分衆に収斂するという考えである。学歴も他人なみにという点では同じであるが、この他人なみという意味が一本のスケールではなく、多様化している。偏差値であらわされるものだけではなく、たとえばほどほどの大学をでて服飾デザイナーで一流を目指すことも他人なみに含まれるようになった。
 その後10年たった80年代半ばには、フリーターやギョウカイ、ワンルームマンションなど流行した。つまり、これは70年代半ばの構造変化が表面化してきたのである。高校生の考え方にもこれらの変化が反映し、インストゥルメンタルな考え方からコンサマトリーな考え方が強くなってきた。つまり、現在を道具として未来を志し、充足を求める考え方でなく、その時その時が頂点であるという姿勢である。この青年心理の変化をうけて大きな改革を目指したのが臨教審ではなかったかと思う。

A 集合型高校の登場
 青年の意識の変化、多様化に対して、中教審でも議論が進められてきた。とくに46答申として知られている1971年の答申ではかなり多様化を意識したものとなったが、これに対して教育運動家や教育学者は平等を否定するものであると批判的であった。もう少し変化に敏感で、深く考えるべきであったと思う。
 その後75年に神奈川・東京・埼玉・千葉という首都圏の教育長による「高校問題プロジェクトチーム」が結成され、首都圏の高校問題が討議され、79年に最終答申が出された。その内容は、とくに大都会では高校生の意識は多様化し、画一的なやり方では対応できないとして、いくつかの提言をおこなっている。それは、今日でもおおいに参考になる。
 そのひとつが複数の高校を集合させネットワークを組む考え方である。大きな高校をつくるのではなく、2〜3の高校を独立させながら連携をとり、生徒の選択の幅を広げていく考え方である。千葉では幕張に同一敷地に3つの高校をつくり、神奈川では二つの高校をあわせてつくった。幕張の高校は団地高校、神奈川の弥栄西・東高校は双子高校と呼ばれた。弥栄では西と東を略してWEと呼び、学校は2つ、こころはひとつといっていた。幕張はその後この試みは中止となったが、神奈川ではいまだに継続中である。この答申の特徴は、単に選択幅を広げろと要求しているのではなく、自らその具体化の行動をおこしたことである。
 80年代に入って埼玉の伊奈学園の実践が始まった。旧国鉄用地になかに新設された総合選択制の高校で、普通高校でありながら160の講座をもっていて、生徒の講座選択は自由である。

B 高校をとりまく環境の変化
 70年代の高校の変化の第1は高校進学率の急上昇である。65年には7割を突破し、70年には8割、74年に9割を越えた。高校準義務化時代の到来である。
 第2は職業高校の学科の多様化、細分化である。66年には171種の学科だったものが、67年には226、70年には252と大幅に増えた。しかし、この結果は芳しいものではなかった。新しい職種の登場に応え、職業高校の不振を挽回しようとしたが、細分化しすぎてその後のME化など技術革新に間に合わず役立たなかった。
 大学進学率が急上昇し、職業高校はいらないという方向が強まって来た。神奈川県の100校計画も1校だけが職業高校であとは全部普通高校である。私の出身の長野市でも商業高校、工業高校には歴史と伝統、誇りがあったが、いまや普通高校であるというだけの理由で長野高校の方がランクが上がり、職業高校の地位は低下している。こうした時代の流れに職業高校はあせって対応しようとしたが、あまりに細分化された技能は役に立たないと文部省からいわれることになった。企業も、秘書コースの卒業生をとるよりも企業内で適応力がある普通高校からとるようになっている。
 第3は意識の変容である。新人類という言葉は70年代後半に登場したが、さきに述べたようにインストゥルメンタルな考え方が薄れてきた。もともと学校とはそう楽しいものではなく、インストゥルメンタルなものが存立基盤であるが、これが変って来た。新入社員の意識からの出世主義がなくなってきた。こうした意識の変化に対応して、さきに紹介した集合型高校が登場し、またさらにこれをダイナミックにした伊奈学園のような総合選択制高校が登場したのである。

C 総合選択制高校「伊奈学園高校」
 伊奈学園高校は1学年1100人で柔軟な教育課程、とくに選択科目が非常におおいところに特徴がある。入学して1学期はオリエンテーションで猶予期間であるが、2学期から芸術コース、理数コースなどコース(群)にわかれることになる。入学にあたっては普通は学区があるが、伊奈は学区が撤廃され、全県から応募できる。ちなみに1地域に1校を小学区、5〜6校までを中学区、それ以上を大学区と呼んでいる。
 伊奈学園は積極的にマスコミなどにも宣伝し、また1日体験入学なども実施しているため、ここに入学したくて来た生徒が7割を占めている。そこしかいけないといわれて教育困難校に来ている不本意入学の生徒とくらべて、全く違っている。ただし、この学校では教員の負担はかなりきつい。埼玉県はこの目玉商品に特別の予算をつけて教員を補充しているが、それでも大変である。
 もう一つの問題は、埼玉、神奈川、あるいは千葉など県単位であると県の宣伝競争になってしまう。また一点豪華主義なので、それに乗れたものはいいが乗れなかったものは底辺に集ってしまう。こうした問題点があることは指摘しておきたい。
 なお、こうした集合型高校、総合選択制の流れをさらに大きく進めたものが臨教審答申であると考えている。つまり、画一では対処できない分衆化状況への適応、さらには教育にカネをかけたくないという行政改革の一環としての国家義務の縮小の2点である。
 臨教審以降の変化としては、選択肢が増えたことが挙げられる。義務教育では必ずしも学校にこなくても、学校的なところに一定期間行っていれば出席とみなすようになった。高校では総合学科が創設され、大学では教養過程で体育が選択になった。

D 14期中教審による高校改革
 その後開かれた第14期中教審は西尾幹二氏の活発な言論活動で有名になった。ここでは高校改革に主眼がおかれ、西尾氏は大学改革を手掛けたかったようであるが、それは大学審議会の仕事であるといわれて悔しがっておられた。しかし、高校については臨教審の流れをいかす働きはしたと思う。
 もっとも評価できるのは、公的な文書ではじめて、学校間格差を現代の教育の病理であると表現したことである。遅きに失したとも言えるが、そこまで事態は深刻になったあらわれである。
 中教審の分析によれば、これまでの日本の教育は平等と効率との双方を追及し、うまくこなしてきた。どんな高校でも建前は高卒として扱う点では平等であるが、実質的に高校間に格差を設け、職種に応じた人材供給を行ってきた。また、同じ程度の人間をあつめ、教育の効率化も実現してきた。しかし、こうした結果、人材のグルーピング化が顕著となり、すでに病理として臨界点にまで達してしまった。偏差値による一元的序列化の弊害は著しく、中退・不登校は増大し、それに起因する社会不安も無視できない。
 高校教育の大衆化によってだれもが高校にいくようになり、教育をうける権利が享受されているように見えながら、偏差値によって不本意入学を余儀なくされている。10年にわたり10〜12万人の中退が発生していることは、その数倍の予備軍の存在を物語るものであり、学校からの逃走が始まっているのである。
 産業界からも、ゼネラリストよりは創造的で想像的なスペシャリストを求める声が強くなってきた。また、終身雇用制が崩れ、産業構造の変化に耐えられる、失業を免れうる資質が要求されるようになった。偏差値体制ではとてもこうした人材をつくれない。
 14時中教審は、西尾氏が主導権を握った中間報告と文部省が巻き返した最終答申とではニュアンスが違う部分があるが、全体としてみれば、平等と効率の二つの目標の水準をレベルダウンさせようと提言している。
 たとえば、一つの高校から東大に入学できる人数を制限するという考え方を打出している。現在、かなり多くのものが6年制の私立高校の出身者で占められていることは好ましくないとして、その入学に制限を設けようというものである。ただし、この問題は大学審の所管であるからあくまで「お願い」の形でしかものがいえず、しかも東大の学長や早稲田の総長からは無視され、私立高校からも総スカンをくらった。こんなに努力して力をつけてきたのを無視し、制限するとはけしからんという論法である。
 そこで、提言を具体化するために91年6月に高校改革推進会議が設置され、そこで提言されたのが「特色づくり」ということである。つまり、いろいろなタイプの高校をつくり、個性に応じて選択できるようにしようということである。現在、まさに全国一律に個性ある高校づくりが行われている。
 そのなかで代表的なもののひとつは、推薦制度である。入学の選考に学力以外の要素を評価するということに期待が持てたのであるが、いまの段階で断言するには早いが、必ずしもうまくいっていない。というのは、推薦にあたっては「成業の見込のあるもの」に限るとの条件がつけられていて、これは3年間ちゃんと授業についていけるかということになり、結局学力重視ということになる。中学校が本当にとってもらいたいものは歓迎せず、極論すれば、定員を確保するための青田刈りの制度になってしまっている。
 もう一つの試みは、コース制である。かつて職業高校で試みて失敗したことをこんどは普通高校でやろうとしている。たとえば、偏差値追放の急先鋒である埼玉県では情報、国際文化、国際観光ビジネス、美術工芸、日本文化など37の専門コースを設けている。ところが、このコースが中学生を引きつける魅力に乏しい。応募の倍率も普通コースでは1.18倍であるのに専門コースは0.65倍と定員割れの状況である。3年後にどういう状況になっているか、だれもわからない。しかも、入ってからきめるならまだしも、最初からコースを決めるのは非常に難しい。モラトリアム化が一般に進んでいる現在、とくに中学生にコース選択を求めるのは無理である。
 こうしてみると、とてもこれでは教育の病理の回復には役立たない。ただし、その意図はわかるのであって、推薦制もその理想通り、学力以外の要素を徹底して追及するとか、ハンディのあるひとびと(障害者や外国人)に優先枠を設けるなどの工夫があってもいいし、コース制も、1年間位は猶予期間をおいて、そのあと選択するような弾力性をもたせれば有効に働くのではないかと思われる。多段階選抜も無条件で入学を認め、定員をこえたら抽選とでもしないと、単に1次試験になってしまう。いずれにせよ、まだ2年程度の経験しかないので、さらに注目していきたい。

4 高校改革の柱
@ 格差是正
 格差是正の手法のひとつは小学区制であり、もうひとつは合同選抜、つまり成績順で全ての高校に生徒を割り振っていく制度である。これならば、格差は生まれない。ところが、たしかに普通高校間の格差はなくなるが、職業高校との格差はなくならない。また、できるだけ近い高校へいくという希望もかなえにくい。
 なぜ近くの高校へいけずに自動車で40分もかかる高校へいかなくてはいけないのか、これは選択権の制約であり憲法違反であるとの訴えがおこなわれたことがあるが、これに対して大分地裁は格差是正という公共的目的のためには一定程度の自由の制限も許されるとの判断を下し、この件はその後和解し、また大分県は単独選抜になったが、合同選抜は合憲であるとの判例は残ることになった。

A 選択肢の拡大
 個性化に対応するために選択肢の拡大は必要である。伊奈学園のように160講座、3300人というマンモス高校は極端であるし、財政的にも無理がある。そこまでやらずとも、いくつかの高校が連携をとってコースを増やすことは財政危機の下でも可能である。

B 学校のスリム化
 教育は学校だけがすべてではなく、学校は学校でなければ出来ないことだけをやるようにすることもひとつの途である。単位制高校では学年に関係なく80単位修得すれば卒業になるが、生徒が一定程度継続してアルバイトをやっていれば、それも単位とする、あるいは保健体育も近くの病院で救急法を勉強すればそれも単位とする、あるいは盛岡の高校では英語は必修ではなく、地元の外国人からお国の事情と簡単なあいさつなどを習うという例もある。主婦には家庭科の単位を無条件で与えたらどうかとの意見もあるが、最近の主婦が本当に実力があるかどうかわからないとの反対があり、これは実現していない。

C 総合学科高校
 一昨年の4月から総合学科高校が創設された。これはいままでの普通高校や職業高校とは違う第3の学科である。
 入学すると半年はオリエンテーションがあり、ここで進路指導が行われ、そのあと文科経、理科系など類型へいくことになるが、希望が多いコースは学校がそれにあわせ、生徒の希望が活かせるところがいままでと違うところである。埼玉の坂戸高校の例では、物理の選択はひとりしかいなかったが、学校は寡黙を設けたし、化学に40人希望したら2つに分けて希望をかなえた。来年に卒業生が出るが、どうなるか楽しみである。
 文部省は学校の6割をこうした学校にしたいと考えているし、日教組も各学区にひとつづつつくりたいと考えているようである。現在の高校の状況は極めて深刻であるが、希望もないわけではない。こうしたところから、高校の流れが変りつつあるのではないかと思われる。
(以上は、さる4月25日に開かれた討論会における黒沢教授のお話の要旨を事務局で取りまとめたものです。)