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シリーズ討論

経済構造改革と政治の役割

東京大学教授 佐々木毅
国民会議ニュース1995年7月号所収
 さる6月16日の第11回総会に於ける佐々木教授の講演録と質疑を掲載致します。なお、これは佐々木教授の校閲を経ております。


1 五五年体制の意味
 ● 20世紀体制の一環としての40年体制
 ● 政治と経済の融合
 ● 矛盾の拡大再生産
 ● システムの縦割れ現象
2 体制の空洞化
 ● トレードオフの時代
 ● 固い支持層の不安定化
 ● 既存政党の基盤の狭隘化
3 政治改革と行政改革
 ● 中途半端な政治改革
 ● 政治の果すべき役割
 ● 政と官の機能分担
 ● 国民の意識の変化をどう反映させるか
 ● 選挙の仕方の工夫
 ● 選挙の効用
4 政治の復権
 ● 政党の改革
 ● リーダー達のイマジネーションの欠如
 ● 時間が切迫している
 ● マーケットへの過重負担
【質疑応答】



1 五五年体制の意味

● 20世紀体制の一環としての40年体制
 一橋大学の野口悠紀雄教授の1940年体制の議論では、今日の体制は戦後の1945年からではなく、その前から継続して見るべきであるということであるが、これはわれわれ政治学者にとっても大変大きなテーマだと思う。政治面では新憲法を一つの区切りとするのが普通であるが、私自身もこの40年体制という問題から発展して、いろいろなことを現在考えているところである。そういった点をいくつか述べてみたい。
 私が今興味があるのは、20世紀の体制というものをどう考えていったらいいのか、その中で1940年、あるいは五五年体制というようなものはどういう位置を占めるのかということである。政治的には1914年、第1次大戦終了時までが19世紀であるというのが通説である。つまり、ナポレオン戦争が終わってから約100年というスパンである。これに対して経済の面では、おそらく1929年が一つの大きな分水嶺になる。
 1930年代というのは、古いシステムから新しいシステムへ変わる時期で、金解禁から始まって、日本の昭和の初めも大変苦労した時期であった。また、1930年代というのは、スウェーデンの社民体制にしてもアメリカのニューディルにしても、大体この辺から現在まで続くところの枠組みができあがったと私は思っている。その意味からすると、日本の1940年体制というのも、日本独自のやり方ではあるが、やはり、19世紀が終わった後の体制づくりという問題に対する応答として出てきたものであると私は思う。
 どこの国においても30年代というのは計画化の時代で、いわゆる自由放任主義というものの権威が徹底的に失落した時代である。「われわれはすべて社会主義者である」という言葉が、例のニクソンの「われわれはすべてケンジアンである」という先駆として30年代にある。その意味で、30年代から40年代というのは20世紀の体制づくりの中でひとつエポックをつくっていると私は思っている。
 ただ、日本の場合は1945年で敗戦ということになって、そこで一つ切れるのであるが、切れていない国は、いろいろな変化はあるものの、今もって同じような枠組みで仕事をやっている。

● 政治と経済の融合
 もう一つの要素は、20世紀における民主化の問題である。結局、民主化の問題が政治的な正当性を獲得するのは、やはり第1次大戦の後である。ご存じのように、第1次大戦が始まった時に共和制という形態を持っていた国は極めて少ない。ヨーロッバにおいても、文字通り共和制だったのはフランスぐらいで、あとはほとんど妥協的な立憲王制という形のものであった。これが一気に急転回するのが10年代の終わりから20年代で、民主化の問題が出てきた。民主化の問題が出てきたことの意味は、結局、政治と経済を切り離すことができなくなったということである。したがって、国民にリターンのない経済運営をするということが政治的に無理になるというのが、30年代が出した一つの解答であったと思う。
 それをニューディール的にやるのか、社民主義型にやるのか、やりかたはそれぞれミクロ的に違いがある。しかし、やはり大きなトレンドの中で考えなければいけない。日本の場合は、普選が実現して大正デモクラシーが制度的な一つの完結点を迎えた後に、まさにこの時代に入るわけである。これが急激な経済的なスランプを伴って、政・官・財といったものの大きな構造変化を促す時代が1930年代に訪れたということだと思う。もちろん、日本の当時の発想は、やがては総力戦という形で一つの統合概念を得るわけで、おそらく民主化の圧力を受け止めて、それを満足させようというところから出てきた話とはちょっと違うと思う。しかし、結果的に見て、大勢の国民を落ちこぼれなく動員していく体制をつくるという意味では、別に当時それほど異様なものではなかったかもしれない。いずれにしても、私は20世紀というのはその辺で一つ切れるのだと思っている。その意味で、40年体制というものをそういう文脈で考えると、これはこれなりに独自な日本流で受け止めた20世紀型体制であると読める面があると思う。
 この20世紀型体制というのは、私の理解では、非常にゆるやかな意味での社民的方向だと思う。それは中産階級中心社会の形成という問題がテーマとなり、貧富の差という問題に対して階級政治という形で政治が転換していくということを抑えよう、あるいは緩和しようということをひとつの基本的なモチベーションとして持っていたのではないかと思っている。
 最近、アメリカのことについてちょっと本を書いたのだが(注:「現代アメリカの自画像」NHKブックス)、そこで、現在のアメリカをどう特徴づけたらいいのかということを私なりに考えた。これはやはり、中産階級社会の解体問題として現在のアメリカの問題も考えたらいいのではないか。まさにニューディール以来の体制が、原因はいろいろあるけれども、一つの終焉を迎えつつあるという形でとらえたらどうか。それを保守化と言おうと何と言おうとそれは現象形態の問題で、基本はそういうことではないか。だから、約60年を経てこういったレジームが何らかの形で構造的なストレスの中に入っているという意味においては、まさに世紀末という話になるのかなと思っている。

● 矛盾の拡大再生産
 そういう大ざっぱな見通しのもとで考えると、五五年体制というのは、いわば40年体制をそのまま継承したというとやや極論になるかもしれないが、ある時期まではそういう性格が非常に強かったのだろうと思っている。今でもそうだとおっしゃる方もいると思うし、実際、そういうことであろう。そして、40年体制は自らの成功によって矛盾を拡大再生産してきたということは極めて明瞭である。これは今日の事態が、皆様ご案内のように示しているところである。
 かつての食管制度に代表されるようなシステム、いわば価格がパブリックに決まるようなシステムは、昭和20年代から少しずつはずされていったわけであるが、食管制度が一番最後までビジブルな形で残っているものだろうと思う。ほかのものは徐々にそこから解放されてきた。米の自由化問題が昭和20年代に非常に大きな争点になった。あの時に本当はやっておけば、世の中は非常に変わっていた可能性がある。あれは占領軍が反対したという説があるけれども、詳しいことは私はよく知らない。
 その意味で言えば、戦中に作られたシステムのディレギュレーション (規制緩和) は昭和20年代の一つのテーマであったと思う。そこからいろいろな形でディレギュレーションが進んできたのだが、結局、この体制全体が、戦前は総力戦体制、戦後はいわば豊かな日本、高度成長日本というのか、こういう中へ読み込まれて再解釈されて、いつの間にかその中に姿を移していった。いわば変形しながら、根本的に問われることなしに新たな成功物語の中に身を没していったという感じがするわけである。その意味で、1940年体制、いわゆる行政を中心とした体制そのものを政治的に問うということは極めて稀で、第1次臨調、第2次臨調等で問題にはなったけれども、今日の観点から見れば、それはやはり極めて限られた視点を提供したに過ぎなかったのではないかと思う。

● システムの縦割れ現象
 プロセスとして見ていくと、結局、このシステムの中に、今、縦割れ現象が起こっていると私は思っている。大変ラフな言い方で恐縮であるが、規制であれ保護であれ、何らかの形でパプリックにサポートされたセクターと、そうでないセクターとの間の矛盾は毎日のように鋭くなり、かつ人々の生活に目に見える形で非常に影響を及ぼしている。これは80年代以降の、対外的な為替の変動等によって構造的にストレスがかかってきたことの結果だと思うが、その意味からすると五五年体制というのは、いわばそういうことが起こらない城内平和の時代というもので、したがって、政権党はあらゆるところから票がとれるということを当然の前提としたシステムで、一種のゆるやかな生活保障体制とでも言うべきものがその根幹にあったのではないかと思う。
 したがって、これだけ中産階級志向なり、あるいは志向だけではなくて本当にそう思っている人がべらぼうに増えてきたということは、明らかに戦前とは違った社会にわが国が移行したということである。中産階級と思わなければ日本人でないかのようなコンフォーミズムが広がってきた。実際に中産階級がどうかは知らないが、そういう年収で大丈夫かなと思うような人も中産階級と思うような、大変結構な時代になってきた。
 その意味で私は、日本流の仕方で20世紀のレジームの基本的な特徴をアウトプットとして出したというのが五五年体制というものではなかったかと思っている。その基本線をまず捉えた上で、あとは労働組合がどうだったとか、財政がGNPに占める比重がどうだったとか、いわば国同士の相互の違いという問題はいろいろ議論できる。しかし、今日の先進工業国に見られる共通の傾向をまず押さえてかかるということが非常に重要ではないか。その意味で私は、1940年だけではなくて、ある国にとっては1933年等も非常に重要な問題になって、各国でどうしたらいいのかということを考える時代に入ったと見ているところである。それだけに、どこにおいても非常にストレスが出てきていて、おそらくサミットなども容易なことでは建設的な対話にはいかないというご時世になってきたわけである。

2 体制の空洞化

● トレードオフの時代
 ところで、この五五年体制というのは、しばしば「生産者優位」の体制であるというようなことが言われてきた。この言葉が専門家の用語ではなくて、政治用語として使われるようになったのは比較的新しい時代だと思う。これは、やはりこの五五年体制の中に何か非常に矛盾があるということが問題にされ、特に、例えば日米構造協議等によって問題が指摘されたということで、「消費者の利益」というような言葉が政治用語として登場してきた。ここも一つのなにか新しいことが起こった印だろうと思う。私の認識を言えば、トレードオフの時代に入った。こちらのセクターを立てれば、こちらのセクターはもたない。あるいは、こちらのセクターの雇用を維持しようとすれば、こちらのセクターの雇用は守れない。つまり五五年体制というのは「あれもこれも」の時代で、輸出産業も栄え、農民もまあまあ生活できる、中小企業も生活できるという分厚いコンセンサスを前提として政治が営み得る時代であったが、それが今、どんどんそういう基盤がなくなっていっている時代に入った。
 政治の世界からみると、基本的には日本の有権者は2種類ある。一方の有権者は義務教育を受け、あるいは年金をもらうぐらいて、パブリックセクターには、──もちろん警察とは治安等で関係するが──それ以外、あまり縁のない人々である。たまたま息子が国立大学に入ればちょっと縁ができるというような、そういう人々。それからもう一方は、補助金なり規制なりその他もろもろの形で日常的に政治や行政と深く関わっている人々。大別してこの2つの大きなグループが私はこの国の中にはあるのではないかと思う。
 もちろん、リッチとプアの問題もある。リッチとプアの問題と、縦割れの部門別の違いというものと重なったりずれたり、いろいろなことを起こしているわけだが、戦後の政治を見ていくと、リッチとプアを軸にして戦われた政治であるかと言えば、どうもそうは思えない。政治学者の分析を見ても、日本の戦後政治が階級的な対立に基づく政治であったということを言う人はあまりいない。むしろ文化的な対立──例えば憲法を巡ってとか、外交等を巡ってあったという議論はあるが、あまり階級的ではない。なぜかというと、結局、あらゆる部門をそこそこにそれなりに面倒を見るというような形で問題を細分化して取り扱ってきたというのが戦後の政治であり、行政であった。
 政治は、いわばそういう行政のシステムの上に乗ってやってきたのだと思われるから、それらが横断的に部門を越えてリッチとプアがぶつかり合うというようなことは、われわれは見たことがない。ほかの国ではある時期階級政治としてあらわれた問題を、日本では全部部門別に細分化した形でそれぞれ対応する。そして、全体的、横断的に大問題が起こるということは、幸い経済の高度成長等もあって、そういう必要はなかった。政治は、いわば縦割り的に対応してきたということだと思う。ところが今になって考えてみると、まさにその縦割り的に対応してきたことでは丸く収まらなくなってきたという意味で、いわば対立の新たな要因になってきた。

● 固い支持層の不安定化
 政界というものは、義務教育と年金を受け取るという形でしか接点を持たない層よりも、日常的にもっと密着した形で囲い込んでおれる層に自分たちの政治的な基盤を見つけ出そうとしてきたということは非常にはっきりしている。
 日本の政治において固い票というのは、長期間コストをかけて、しばしばパブリックマネーを使って、あるいはパプリックな権限を使って培養してきた有権者というものからいかに票を取るかというのが基本的な発想である。そして、義務教育と年金という表現が適切かどうかは別として、例外的な形でしか権力と関係を結ばない国民というのは浮動票ということになってきた。これは、まあ、マクロ政策がいいと思って賛成したり、あるいは外交がいいと思って賛成したりするかもしれないが、自分の経済的な利害がガバメントによって直接支えられているから投票するというような人々ではない。
 日本の有権者の分類論というのは、ほかにも政治学者の数ほどいろいろあるので、それについては立ち入らないが、今申し上げた議論というのは昔からちょこちょこあった。しかし、時の経過とともに、これは非常に重要だという感じがますます強まってきた。ただ無関心だとかよく投票に行くとかいうようなレベルの話ではなく、ある意味でもっと異質な政治参加をする集団が存在しているのである。決して原っぱのように平板な形で政治に参加しているわけではない。
 この10年余りを見て非常に特徴的なのは、実はこの固い支持層、長期的に培養してきた支持層に基づく政治というものの全体的な有効性が、やはり低下してきたことである。あるいは、その支持層はそれ自体がやはり不安定化してきた。これはおそらく、そういう形で囲い込んでいる世界自体が成熟化してきて、政策上、新たな展望を与えることがもはやできなくなった。まさに40年体制の自縄自縛という問題が起こってきている。それは農民にしてもいろいろな形で感じているだろう。当座はしようがないが、将来はこれで行ってもどうにもならないということを感じている人はたくさんいるだろうと思う。
 他方、まさに40年体制を非常に大きく広げて見ると、実はあるセクターはもはや国際化して、実際上、外に出てしまうというセクターがたくさん出てきた。そうすると、このセクターはますます現在の政治や行政のシステムに対して忠誠心を感じることができなくなっている。全部そういうふうに考えることはできないにしても、70年代までは、たとえば自民党に対する支持がずっと落ちて行く、中道政党は着実に伸びて行く、それから社会党は低落的であるというようなあたりで、それなりに落ち着いていたのが、80年代に入ると、選挙ごとにその結果ががかなり揺れるようになってきた。かつて自民党の領袖たちが言っていた、微妙な国民のバランス感覚なんていうものはもうなくなってきて、あちこちへ揺れるようになった。それは86年の自民党の大勝利もある意味では揺れであろうし、89年の消費税選挙に至っては、これもまた大きな揺れであった。
 逆に言えば、こういう既存のシステムを温存しようという政治勢力にとっては、いかにしてこのぶれを少なく抑えるかということが最大の関心事となる。その一つのやり方としては、投票率を上げないということが非常に大事なことであった。投票率が上がると、どこに飛んで行くかわからないということである。
 したがってこの前の東京都知事選挙でも、相乗り候補のほうは投票率が50%を超えればどうなるかわからないという心境だったと思う。東京とほかの地方では同じとは言えないが、そういう意味で、実はこの40年体制の問題は政治支持の構造と密接に絡んでいたということを私は申し上げたい。

● 既存政党の基盤の狭隘化
 いわゆる無党派層の増大、そして政党支持を持っているという層の無党派現象化。都知事選挙のように非常に極端な例ではなくとも、政党支持がある層も実は離脱現象を起こしている。ネズミが逃げて行くように、これはだめだということで逃げ始めているという面が非常にあるだろう、あるいは心理的にそういう状態になってきている。そこで既存の政党の基盤の狭隘化という問題がよく言われるようになってきた。
 ところが政治家の方々は、やはり固い票というものしか当てにならないと思っているから、その狭隘化したところへますます頭を突っ込んで票を取ろうという発想から抜けられない。そうすると、結局、40年体制の最後の尾 骨の部分というのは、逆に再生産される。あるいは政策的にはほとんど成熟して新しい展望を描けないにもかかわらず、温存されるように力が働くというようなことになるかもしれない。国民の政党に対する支持等を含めて見ると、まさに40年体制の弛緩状態──それはもう一つの方から言えば国際化である。というようにいろいろな言い方ができると思うが、そういう流れがひとつ私はあると思う。
 もう一つ言えば、これは異論があるかもしれないが、私は傾向としては、やはり中央から地方へも権力は動いていると思う。だからこそ相乗りになる。中央の政党が地方に対して相乗りをやってはいかぬということを言えないような状況になってきた。対立軸を大いに論戦していると言いながら相乗りばかりやっているのは、まさに語るに落ちた話であるが、これは地方それ自体がそれなりの権力基盤なり利益構造というものを持つようになった結果である。その意味では、中央の40年体制の政治行政部門というのは、おもて向きの権限なり民主的正統性においては変わることがないにしても、事実上、一つは外国あるいはマーケットに勢力を取られる、もう一つは地方に勢力を少しずつ取られていっているのではないか。つまり両側からパワーを失う可能性を秘めているのではないかと私は思っている。これは大変大雑把なスケッチなので、簡単に測定できるというものではないが、そういう構造に今なってきているのではないか。
 その意味で、中空構造のような恰好になっているわけで、政策の有効性、判断の妥当性を判断する基準そのものがどこにあるのかがよくわからなくなって空洞化してくる可能性を持っているのではないか。煎じ詰めると、五五年体制はその骨組みにおいて40年体制を背負ってきた。しかし、日本みずからの成功によってシステムの限界が明らかになってくる。「成功は失敗のもと」というが、まさにそういうことで、それで体制自体のもちが悪くなってくる。もはや国民生活に対する国家の影響力、それをコントロールする力というものは落ちてきていることは明瞭である。ただ、現状を変えないというネガティブな形では残っているところがたくさん存在することは現実ですが、ポジティブにこうやればこうなるというようなシナリオを描き出すことはほとんどできない状態になってきているということは国民が直感しているところではないかと思う。
 現状を図式化していえば、非常に奇妙な二重構造が起こっている。それは政治が、行政を含めて有効に機能しているかということに対する国民の判断が、左と右という形で割れているのではなくて、どの部門に属しているかによって割れていることである。したがって、私は一つの労働界というのはもうあり得ないと思っているし、経営者も、やはりそれぞれ割れているのではないかと密かに思っている。これは政党だけではなくて、周りの応援団も含めて縦割れ現象を起こしているのではないか。その意味で、立派な財界人、立派な労働界の重要なメンバーである人同士の間で、現状に対する評価が非常に違う。かつてのように、右翼と左翼というような立場の違いがあるはずのない人々の間で非常に違う。あるいは、政治家の方々が、自分でよくやっていると思っている自己認識と、周りから見ていて何もやっていないじゃないかという現状評価というものが極めて無媒介に存在している。
 これはまさに自由主義体制の内部における自己矛盾の問題であって、それを右とか左に翻訳しても、もはや笑い話にしかならない。端的にいえば、今までの政治家の発想、政党の発想、特に典型的には自民党の発想、こういうものに依存して政治を動かそうとすればするほど、基盤は狭隘化してくる。そうすると、まあ、タレントでも出してという話になってくる。しかし、プロがプロとして機能しているのかどうかということの評価が非常にぶれている時に、タレント候補をもってきてやるというのはますます事態を悪くするという言い方もできる。その意味では、やはり20年前と同じ世の中にわれわれは住んでいないということは確かではないかと思う。

3 政治改革と行政改革

● 中途半端な政治改革
 ところで、私は政治改革の問題にいろいろな格好で首を突っ込んできたため、今でも責任を感じている。政治はよくならないじゃないかと枕詞のように冷やかされるが、これについては、私はもっと長い時間のスパンで考えるべきだと思っているし、第一、新しい制度に従って一度も選挙をやっていない中でああだこうだという話をしているのは、不謹慎そのものだと思っている。
 ただご理解いただきたい点がいくつかある。政治改革をやるということを考えた時には、スキャンダルの問題をどうこうしなければいけないということがあったことは事実だが、しかし、決してそれがすべてではなかった。私自身の認識で言えば、まさに現在はいろいろな意味での戦後の神話というものが崩壊していく時代だと思うが、そういう時代に備えるように政治をどのようにつくるかというのが、政治改革のもう一つの重要な課題ないしは視点であった。大体世の中うまくいかないもので、あべこべになったり、何か馬車の後ろに馬を付けたような具合になってまことに具合が悪いのであるが、少なくともそういうことであった。行政の改革・経済の改革というものにも耐え得るような形で政治をつくるために、まず一歩をちょっと踏み出してみようかというような話だった。
 したがって、これですべて政治改革は終わったとかというような話は相当見当違いであって、到底、そういうことは言い得るに価しない。政治家にとっては、政治改革は終わった話かもしれないが、国民的な観点からすると、こんなところで終わったのでは何の意味もない、むしろ中途半端であるという感じさえする。

● 政治の果すべき役割
 私は日本の40年体制の変革という問題は、決してどこか一つのボタンを押せば全部変わるなどというものではないということをまず思っているが、その意味ではマーケットがどう動くかということも大事だし、各企業がどのように動くかということも大変大事である。いろいろな力が働くだろうと思うが、しかし、政治は動かなくてもいいということではない。決して私は政治万能論者ではないが、しかし、政治が動かなくても世の中は変わるというのがまさに戦後数十年であったが、これはもう通用しないだろう。だから、政治も応分に変わり、応分のことをしなければいけないだろうという発想である。
 もしこの政治改革・行政改革・経済改革の3つを一体的に考えると、社会が変わり、あるいは人々の感覚が変わり、経済構造が変わりなどなどしていくと、政治だけが変わらずにみんなに勘弁してもらえるということにはならない。最後からとぼとぼかろうじてキャッチアップしていくというのが戦後政治の伝統で、その意味で言えば、イニシアティブを取って一定の方向性を示すというようなことは、必ずしも得意ではなかったというのが、今までのところであった。しかし、もうそれではもたない。なぜかと言えば、それは彼ら自身が立っている基盤そのものが毎日どんどん狭隘化していっているということによく示されている。
 もし経済の問題、1940年体制の問題にご関心をお持ちならば、少なくとも政治についても、そこそこ役割を果たしてくださいという点ではご同意いただけるのではないか。その意味からすると、まだいくつか政治についても課題が残っている。例えば、甚だ遺憾なことであるが、政権党と行政との関係をどう考えるのかということについて、全く議論が進んでいない。特定のお役人をどう扱うかいうような話を、何か最大の話題であるかのように言っているけれども、そのようなことをしても、問題をはき違えただけに過ぎない。あるいは、一人や二人のお役人のお辞めになる時期を1ヵ月早めたとか、2ヵ月早めたとかいうような話をやっていて何がどう変わるというのか。まさにこの点に、これまでの政・官関係がいかに歪み、ある意味では何と矮小なことかという問題が出ていると思っている。

● 政と官の機能分担
 問題は極めて複雑に絡んでいるので単純化することはできないが、まさに五五年体制は政・官一体関係を作ってきた。それがいろいろな事情があって政権が変わるということが一つの大きなきっかけで、もはや一体化ではなくて、機能分担の時代に入ったと私たちは認識している。機能分担ということは、つまり責任をどの範囲で誰が負うかということをはっきりしてくれということで、おそらく現状の政治に対する非常な不満は、誰も責任を負わないというコンセンサスが成り立っているというところにある。これはさかのぼっていけば、機能がはっきりしない、責任の所在がはっきりしないということがあるからで、そういう中で内閣をいくら作り替えたところでどうなるものでもないという感じがどうしても出てくる。
 一つの例を挙げれば、まさに政権党と行政というもの、官僚というものは、誰がどこまで責任を負う範囲のことをすべきなのかということについて、一般的なルールを作らざるを得ない。しかしこれを大蔵省に頼むわけには、多分、いかないわけで、やはり国会等で問題を取り上げて議論する程度の気力は持ってもらわないと、どうにも話は前に進まない。つまり、どのような政策をおやりになるかということもさることながら、どのように、だれがそれを実行するかという問題があるわけで、どんなにいい政策をあちこちで提言されても、誰もやる責任と権限を持つものがいなければ、これはわれわれの書く文章と同じことになってしまうわけである。
 政策の中味の議論と同時に、なるほどこれだったらやれそうだというシステムを示してもらわないといけない。この後者のほうの議論がまだ全然進んでいない。そこがとにかく動かなければ、あるいは、なるほど少なくともこうだったら動きそうだなと国民が思うような、総理大臣がわれわれよりは相当気力、知識があると想定した上で、超人ではなくても普通の人よりもちょっと能力のある人々が集まれば動かせるような合理的なシステムを示してもらう必要がある。そうでなければ、結局、神が支配しなければいかんという話になって、どこか妙な組織みたいな話になってしまう。その意味で、意志決定の体制と責任の体制がこれほど不明瞭であるということ、そして40年体制はまさにそれが五五年体制に化けた時に限りなくこの問題を不明瞭なままに放置するシステムに変質したのではないか。少なくとも昭和30年代の大臣というのは、今の大臣よりはもうちょっと「まとも」であったのではないかという気がする。その点から見れば、決して歴史はいつも同じであったわけではない。
 例えば今取り上げたこと一つを取っても、政治の側から問題を提起すべき重要課題はたくさん残っている。もし、それを国民の前に出した時に、国民から、「いやいや、君らよりはお役人のほうが当てになるよ」と言われたら、これは何をか言わんやであって、しかし、今の雰囲気からすれば、そうは言わないだろうと私は思う。ただ、政治家の側からすれば、おそらく、そんな責任を負ってやり切れるかという不安感のほうがあって、思い切ったことをいい出せないのではないかとわれわれは疑っている。
 しかし、もしそういうふうに政治の側から出してくれば、少なくともそれに対して国民は「ノー」とはいわないだろう。もちろん、その中味にもよるわけだが、例えば首相官邸機能だけでもどうにかしようやというような案が出てきた時に、それを国民はこぞって「ノー」と言わないのではないか。そういう意味で五五年体制、あるいは1940年体制は、実際のところ、いつの間にか政治の責任を明らかにしない体制になってしまった。あるいはそういうシステムとしても実は動いてきたということも言えるのではないかと思う。
 政治改革の問題は、今、端的に申し上げたような点について、当然われわれとしては解答を出してもらうはずのものであるというふうに想定していたのだが、この1年あまりほとんど議論は進んでいない。性格のはっきりしないような連絡係を総理の周辺に作るというようなこと、あるいは補佐役というようなものをつくるという話をしているが、しかし、もし日本が、野口教授が言われるような強力な官僚制を中心としたシステムを持っているとしたならば、場合によってはそれとひと戦しなければならない政治の側が、2、3人の補佐役とかそんなものをつけただけでどうにかなると思うほうが私はおかしいと思っている。そういう意味で、極めて不真面目、かつ、いい加減な反応しか出ていない。

● 国民の意識の変化をどう反映させるか
 しかし、そういうことをいうと、野口さんが大分強調されたようであるが、国民の意識が変わっていないという話が出てくる。確かに、変わっていないという判断も一つ成り立つかなという気もする。しかし、20年前、30年前と同じだとは到底言えない。あの当時いた人でお亡くなりになった人はたくさんいるわけだから、人間が違えば考えも違ってくるとも思う。
 例えば今、若い層が就職の問題で非常に苦労しはじめている。こういうことは非常に重要な問題なのである。ところがどの政党も知らぬ顔して、それとは関係のない、対立軸はどうとかという訳のわからない話をやっているのには愕然とする。しかし、ある人々はお亡くなりになり新しい人間が出てくる。そして、それにつれて、やはり世の中も変わっていくわけだから、幸か不幸か、1940年を知っている人々はますます少なくなっていく。戦後の困窮時代を知っている人々もますます少なくなっていく。おのずからモノを考える基準も違ってくる。そういう中で、国民の変化というものをどういう形で政治の舞台に流し込んで行くかという問題が、次の課題となるわけである。
 私は基本的に今、政治には非常にいろいろな可能性があるという認識に立っている。反対の意見もあることは承知した上で私は申し上げるわけだが、例えば衆議院の小選挙区・比例代表制が導入された。さて、どんな選挙をやるのかということになった時に、まず300小選挙区を固めドブ板選挙をやるというのが、一番古い、この数十年間に政治家が培ってきた唯一のノウハウだと思う。確かに先ほど言った、ある種の有権者から票を取る以外考えたことがないという立場に立てばそういうことになる。しかし、日本の有権者の中でそういうふうな形で囲い込める有権者というのは全体でどのくらいいるのだろうかということを考えてみると、それはむしろ、全体を見ているとは言えないのではないかという疑問は当然出てくる。

● 選挙の仕方の工夫
 そうなると、例えばもう一つの極、一番極端なケースは、総理候補をAさんならAさんとして、ややギングリッチ流ではあるが、日本の人々との契約とか何とかいうようなアジェンダをパーッと出して、この人を選んで下さい、総理にさせて下さいという選挙をやるやり方が一つある。要するに300をとにかく堀り起こすのか、1を掘り起こすかという戦術の問題である。
 今の政党は、とにかく300のところを掘り起こす以外に選挙のやりようはないと、はなから思い込んでいる節がある。しかし、それでは自分は勝てないと思う政党は違う選挙のやり方をすることだってできはずである。もちろん、その1人として選んだ人が非常にミスキャストであれば、致命的な打撃を受けることは言うまでもない。また、あまり早く選びすぎるとスキャンダルがばれたりするし、いろいろ具合の悪いことはあるだろうと思う。どういうタイミングでどのような方を選ぶのか、これはもちろんプロの感覚の問題で、これは一つの例として私は申し上げているわけである。
 先日、私はある政党に呼ばれて行った時に、選挙の仕方はいろいろある。多分、一つのやり方は、300をとにかく掘り返すというやり方であるといったら、大きくみな頷いていた。しかし、もう一つのやり方も極端な例としてあるだろう。また、中間のやり方だってあるのではないか。折角、11ブロックができたわけだから、これを活用する。今、ローカル・パーティー(地域政党)の議論が出てきているのだから、たとえば北海道とか関西でいえば、仮に総理を選ぶというのが3階、300議席は1階とするならば、2階部分というのがある。その2階部分をどう活用するかということを考える。例えば東京は比例区では単独で単位になるわけであるから、これをうまく使う。そのことは小選挙区にも影響することは当然考えられる。小選挙区も実はこの東京の比例区のトップにある人と一体として運動して、一体として動くというような構造は十分とり得るわけである。
 ここでももちろん問題は、そういう人材がいるのかどうか、ミスキャストが起こらないかどうか、いろいろあることは事実である。ただしかし、政治改革をやった時に、私は金によって政治の求心力をつけることはもうできないと考た。これは多くの方のコンセンサスである。次に、去年から出てきたのは、対立軸でコンセンサスをつくれないかという話である。私はこれはこの頃かなり厳しいことを言っているのであるが、あまりまともに信じられない。もしそれをいうなら、まず相乗りをやめることから始めなければいけないはずで、あの人たちがやっていることは、全くそれと反対のことをやっている。対立軸は口実にすぎないという可能性は非常に強いと疑っている。
 ただし、そういう軸ができること自体は、結果としては私は大賛成である。ただ、そこでは非常に観念的な議論が行われていて、現在、ただ今、日本国で国民が抱えている課題にまともに取り組むということがないところで対立がどうとかと言っていても、これは絵に描いた餅にすぎない。その意味で、彼らはその問題を、ややもてあそび過ぎたというのが私の率直な意見である。

● 選挙の効用
 そこでもう一つの求心力は制度で作る。その制度の最たるもの、選挙で作るということをひとつ考えてみようではないか。もっと言えば、選挙でどれだけのことができるかということは、私はもともと限られていると思っている。選挙というのは数年に一遍しかないが、いろいろな業界団体はとにかく毎日活動しているわけで、364日は業界団体の勝利となる。選挙は多くても1年に一度しかやらないから、あとは全部敗北の歴史みたいなわけである。
 このように、選挙が持つ効果というものについて、あまり過大視してはいけないということを重々承知した上で申し上げているわけだが、それにもかかわらず、求心力はお金で作るわけにはいかんということになった。もちろんイデオロギー的なもので作るということはできるかもしれないが、イデオロギーの時代が終わったという中で、またイデオロギーで作れるかという話も、これもまたなかなか進むには難しい。そうすると、選挙というものの歯車を動かして、いろいろうるさいことをおっしゃっている方々にも整理をしていただくという必要があるのかもしれないということになるわけでもある。
 やはり議員の方々は皆さんそれぞれ大変誇りを持っていらっしゃる。私は多くの方に残っていただきたいと思うけれども、しかし、国民に「あなたはいいよ」と言われたら、それは辞めてもらうしかない。結局、今の状態はその歯車をできるだけ動かさないようしようというところでコンセンサスができあがっているということだろうと思う。
 かつては、1940年体制に対するゆるやかなコンセンサスで成り立っていた。こんどはそれがだんだん崩れてきて、いろいろなところでボロが出てきた。あとは、まあ、当座は選挙をやらないということで与野党大体一致しましようというあたりかなと思っている。最近、政界には対立軸はないとおっしゃる政治家もいらっしゃるが、私は翻訳しなおして、あれは選挙をやりたくないという点では対立軸はないという程度の話かなという感じさえしている。そういう意味で言えば、私は1人を選ぶという選挙は必ずしもいいとばかりは思わない。逆に、300議席を小選挙区で掘り起こすだけをやっている政党が出てきても私はいいと思う。

4 政治の復権

● 政党の改革
 政治の有効性を回復させるためには、選挙が終わった後の党のシステムというものが非常に重要になる。と言うのは、先ほど政・官関係という話をしたが、政・官関係を考える前提としては、実は政・政関係──政党の内部がどうなっているかという問題がある。政党の内部でみんなばらばらで、1人1党みたいな状態であれば、政・官関係などという立派な話が始まらない以前の状態ということにならざるを得ない。五五年体制の持つ遺産の中でひとつ、政権党が党と内閣とで力を分けて、それぞれ生き甲斐を感じているというこのシステムがいいのか悪いのかということを考えなければいけない。
 現在は二重構造になるようにできている。党というのがお金を集めて選挙をやることばかり考えていればいいのだが、政策にもいろいろ口を出す。それでは大臣とは何ぞやというのが、またよくわからなくなってくる。党が頑張れば頑張るほど、大臣の影は薄くなってくる。この辺が全然整理されないままで現在に至っているわけで、自由民主党が作ったシステムを、いわば各政党がみな継承したような形になってきている。私はこの点についてもいろいろなシステムを各党が作っていいのではないかと考えている。実際、日本でも公明党や共産党は非常に集権的なシステムを持っていた。これは選挙の時だけではなくて、党内の意志決定においてもそういうものを持っていた。したがって、そういう政党がもっと出てきても構わないと思うし、従来の自民党のような、非常に分散的な、裏を返せば大変平等で民主的なと言ってもいいような、そういう党内運営をする党がいてもいい。

● リーダー達のイマジネーションの欠如
 ただ、選挙のやりかたも含めて感じるのは、そういう点でのイマジネーションが誠に貧しくて、結局、みな固定観念でしか動けないような仕組みになっているというところが、本当は一番頭が痛いところである。たとえば選挙のやり方にしても、党のあり方についてもみな同じような発想で考える。折角、競争しようという時に、何でみな同じようなことをしなければいけないのかということが、私にはわからない。その意味で言えば、私は現在の政治の一つのネックは、現在のリーダーたちにあると思っている。その責任は非常に重いのではないか。つまり、あの方々は新しいものを作る能力とイマジネーションを持っているかどうか、今、瀬戸際に来ているのではないかと思う。
 というのは、これまで政権を交代したとか、いろいろ実験をした。しかし、それだけではどうにもならないということがわかったわけである。そうすると、政権の作り方からもう一度考え直さなければいけないはずである。ところがそういう感じが見えないというのが、私は非常に困ったことだと思っている。そのことが何を意味するかというと、国民の意識が変化しているのに、その受け手である政治家のほうが全然変わらないという事態につながるのではないかということ、そのミスマッチを非常に恐れていることが一つ。それからもう一つは、そういうミスマッチが起こると、逆にタレントとかそういう人ばかりが出てくるという可能性がある。そうすると、真面目な政治家はばかばかしくてやっていられないということになるのではないか。私はそこを次のステップとして非常に心配している。
 これはもちろん、国民の意識の問題もあるが、古い投票行動から自由になった国民がどこに行くかというのは、これは分からない。しかし、もっと一所懸命になって、その票をまともな形で取るように考えてもらわないと、ますます糸の切れた凧みたいな形になっていって、政策で選挙なんていうのはお話にならないというような話になっていくのでは、これは自殺行為になるわけである。
 その意味での政党経営術というようなものが非常に底が浅いのではないか。そして自滅行為をやっているのではないかということを、私たちは非常に恐れている。

● 時間が切迫している
 なぜ、このような恐れを強く抱いているかといえば、私は非常に日本にとって大事なのは時間だと思っている。「持ち時間」という言い方をされる方もおられるが、やはり時間である。そして、私の認識では、時間は出来事と不可分である。世の中が早く動くようになったら、時間も早く動く。同じ1時間も全然意味が違ってくる。そして、冷戦の終焉というのは、時間をものすごく貴重なものにしたのではないかと思う。ものすごいスピードで世の中が動くようになってきた。
 すでに経済の世界は80年代からそうだった。だから、あっという間に最大の債権国が債務国になったりするようなことが起こる。昔だと、延々と戦争を2回ぐらいやらなければああいうことにはならないと思うのだが、今はそんなことをやらなくても、ディーラーさんがちゃんとそのように変えるような恐ろしい時代に入ってきている。
 したがって、日本のシステムがだめになった時は、急速なスピードにだめになるのではないかと私は思っている。1940年体制でそっくり返っていればいるほど、それから反転する時は、ものすごいスピードで反転するのではないかという恐怖感を持っている。その時に個人的にどう振る舞うかはともかくとして、システムとしてはそのことを非常にもっとセンシティブに考えないといけないのではないかと思うわけである。
 一つは、時間はただではないし、恐らくわれわれが戦後蓄えたいろいろな経済的な意味でのストックというものをどのように活用するかということは時間との関係で決るから、ぐずぐず放っておけば、それだけ俗にいうところの体力を消耗してくるということは否めない。つまり、利用すべきことを利用できないという形で時間を空費している。

● マーケットへの過重負担
 そうなるとどういうことになるか。非常に単純化していえば、政治がとにかく変わらない、行政も一緒になって変わらないということが分かっているということは、外から見ると、マーケットに全部プレッシャーがかかるという構造になっている。ですから、解散も何もしないということは、全部プレッシャーがマーケットの方でいこうというふうに世界には見えることだろうと、私は思っている。
 株の問題や円の問題が非常に厳しい形で動くということに、決して政治は無関係ではない。合わせて1本だろうと思っている。片方が動かなければ、片方に全部負担はかかるという構造だと思う。その意味で、放っておけば、結局、1940年体制の1950年型バージョンというのは、内部的な矛盾がどんどん溢れていくというトレードオフの状況が内部的に醸成されていくということになっている。
 大変粗っぽい構図のお話をしたが、政策問題については私はほとんど何も話す時間がなかったし、あまりアイデアもないが、それは質疑のほうに委ねたい。ただ、例えば日米間の自動車問題などをみると、日本の政策体系全体のバランス感覚というものがなくしつつあるのではないかと思う。局地戦は非常にやるのだが、全体としてどうするつもりなのかということについてのメッセージがわれわれに伝わってこない。別にアメリカを弁護するわけではないが、結論的に言って、誰かのメンツが立っても負けいくさはごめんである。戦後のこれまでのわが国の数十年の歩みをさらに一層、どんどん大きくしていくなどということはもはやできないのかもしれないが、しかし、ソフトランディングという話が本当にあるのだったら、いろいろ皆様に教えていただきたい。

【質疑応答】

【石沢・ニューズウィーク】 4、5年ぐらいまでは非常に少数派と思われていた大蔵省解体論が、最近では新聞、雑誌等いろいろなところで公然と言われるようになって、だんだん主流になりつつあるのではないかと思うが、大蔵省解体論というものに対してどういったお考えをお持ちなのか。また、そういった意見が出ている中で、その可能性はあるのだろうか、ないのだろうか。もし、(可能性が)ないとしたら、どういうバックグラウンド、理由が考えられるのか、その辺についてご意見をお伺いしたい。
【佐々木】 これは広い意味での政・官関係に関わる問題だと思う。私はあまり現実的可能性等について十分なことを申し上げる準備はないが、この政・官関係の機能分担と申し上げた点を、どのくらいのステップで踏んで行ったらいいのかということを考えないといけない。大蔵省さえやっつければ、あとは目じゃないという意見はあるのかも知れないが……。私は大蔵省の問題は何段階目かには出てくる問題だと思っているが、最初にそれが出てくるかどうかはちょっとわからない。率直なところ、相当助走しないと難しいと思う。
 ただ、非常に重要なのは、公的な金融機関その他の問題を含めて、金融システムの問題をどうするかということがある。特に予算の問題を機能的にどのように切り離して議論するのか、それともわれわれには何だかわからないような形で、一つの中でやるのかとかいったような問題が解決されないままにきたことは事実である。
 したがって、問題は幾つかあるが、私はその場合も、当然、官邸の問題だと思う。まず官邸から変えろというようなことが言われているが、私もそういう意見である。ただ、いきなり大蔵省のその問題をくっつけてやれるかなということについてはちょっと留保したい。しかし、やがてその問題は出てこざるを得ない。大蔵省の問題に手をつけないで公的金融機関の問題をどうこうやろうといっても多分無理だと思う。但し、果たして予算をどういう形で官邸主導で作れるかという問題は、おそらく同じ人たちがやるのだろうから、それだけでは私はあまり多くを期待していない。
 ただ、今までオープンにならなかった予算と金融とか、これまで一つの省内で扱われたいろいろな問題が争点として外に出てくるということは重要なことである。つまり、いろいろな政策の領域が区別されているのか区別されていないのかわからないというのが、政策の判断に対する合理的な批判なり見方をそもそも妨げているというのが、今の日本で一番大きな問題である。これをいわば省内関係から省間関係というような形で問題をディスクローズしていくことは、いずれにしても大蔵省にとっては必要である。
 そこで別の人が予算を作るなどというのはあまり期待はしないが、今まで一体となっていたものを差異化していって、政策に対する判断を、これはこれ、これはこれというような形でわれわれが議論したりするようなことは、いずれにしてもほかの省庁についてもやらなければいけないと思う。
 先ほど、急速に落ちる時は落ちるということを言ったのは、政策が全部絡み合っているから、うまくいく時は全部うまく行く。うまく行かない時はあらゆるところに伝染して、全部うまくいかなくなって坂を転げ始めるという感じを持っているからである。それを切り離して、これはこれ、あれはあれという形で政策領域についての判断を多元化するようなシステムをいずれにしても作らなければいけない。大蔵省解体論にしても、何を期待するからそういう問題を出すのかというところをもう少し検討する必要があると思う。
 私自身は、政策体系をもう一度ばらして、金融についてはこういう判断で行く、予算についてはこういう判断で行くということで、それを曖昧にしないでやっていく、あるいは責任をはっきりさせることが重要だと思う。何かいろいろなポケットがあって、こっちから出てくるとこちらからも出てくるというようなシステムをやめにするなど、いろいろある。大蔵省という問題自体はいいのだけれども、それは何を目的にしてそういうことを考えるのかということについて、もう少し議論を詰めて必要があると思っている。
 この問題については、やはり官邸の改革問題が非常に大きなテーマになる。あえていえば、私は官邸は必ずしも自分でいろいろなことをやる必要がない。そのかわり、各省庁がやっていることに対して、独自の情報と自分なりで判断できるスタッフは揃えたほうがいい。
 一番恐いのは、やっている本人の情報を丸呑みにしていると、結局、冷静な状況判断が出来なくなってしまって自縄自縛になってしまう。したがって、独立した情報と独立した判断ができるようなスタッフを最低限揃えるというところから、私は始めるべきだと思う。そのためにはやはり、官邸はほかの省庁に対してひとつ距離を置いていくということが必要になる。各省庁をどうするかという問題は、さしあたり次のステップで考えてもいいかなと思っている。

【北市・トヨタ自動車】 日本の有権者が2つに区分されるというお話であったが、一方で、地方選挙、国政選を問わず投票率がだんだん下がってきているということをどう捉えたらいいのか。先生のお話から察するならば、義務教育と年金としか考えないような人、すなわち浮動票の人が政治から離れて行っていると捉えればいいのか。また別に、身近な投票行動に結びつくような問題が選挙の争点になっていないというようなことが背景にあるのか。今回の参議院選挙でも50%を割ったら、参議院の地位が問題だから、50%を超えようということを参議院の先生方は今、検討されているやに報道されているが、前回の参議院選挙では確か50.3〜50.4%だったかと思う。
 もう一つは、連立与党のプロジェクトの方では、総理補佐官であるとか、緊急事態における官邸の権限を強化するという方向で議論は進められている。議論がその結論にまで至るとすれば、今、話題になっている規制緩和であるとか地方分権の推進、さらにはまだ審議会レベルですが首都機能移転が実現すれば、地方分権も中央省庁のあり方そのものも変えられなければならないビッグプロジェクトになるが、そういう大きな流れから見て、官邸の機能強化というのは流れに逆行していないだろうか。
【佐々木】 投票率についてはいろいろな議論があり、投票に行かないほうが合理的であるという議論が一つある。俺が行っても変わらない、候補者には違いがない、選挙へ行くよりはどこかへ遊びに行くほうがいいというロジック。これを反駁するのに、真面目に政治学者が数十年かけて四苦八苦している。投票に行かせるようにするにはどうしたらいいのかというのは難問である。
 戦後のシステムは、やはり行政主導であるから、政治と国民との関わりは非常にでこぼこがある。政治が機能しているのは、やはり政治が米価のように、直接に価格を決める世界で、そこが一番政治と有権者とが非常に密着しているところである。私は本当に農民が米価をそんなに有り難がっているかどうかは知らないけれども、そういうところは非常に密着しているというようなことが言われてきた。
 ただ全体として、1940年体制であったということは何を意味するかというと、政治が極端に言えば「俺たちには関係ない」ということにつながり得るような要素を含んでいる。つまり、40年体制は政治主導ではなくて官僚制主導であったから、政党はそこにパイプを繋ぐエージェントにすぎない。したがって、特定の人を自分のエージェントとして持つのに非常に切実なインタレストを持つ人は投票するけれども、「いや、エージェントは必要としない、関係ない」という人にとっては、極端に言えば、政治というのはほとんど役所に任せておけばいいというような話であった。有権者の側から言えば、投票率が落ちてくるということは、政党政治中心の体制であるというフィクションが剥がれて暴露されてくるプロセスなのではないか。
 逆に言えば、政治が本気で投票率を獲得しようとして、40年体制と正面衝突するぞということを言い出せば、ちょっと世の中は変わってくる。そう言っても信じてもらえるかどうかはわからないが、少なくとも、「われわれがいなくても霞が関があれば大丈夫というが、そうではない。むしろ、あちらではなくわれわれがやるのだ」と言い出さなくてはいけない。ほかの要因もいろいろあるが、ここが構造的に日本の政党が陥っている一種の隘路だと私は思う。そこが突破できないから、狭隘化して行くのを何とかして外見的に取り繕おうという話にいくような構造になっているのではないか。その意味で、政・官関係というのは非常に日本の政治にとっては大きな課題だと思う。
 ところが、現実にどうも政治の存在感が薄い。存在感が薄いのに投票してくれということになると、しばらく長い間はペナントレースの消化ゲームみたいなもので、勝つ政党は決まっていたわけだから、自然、球場に足を運ぶ人が少なくなってくるのはやむを得ない。しかし、例えば細川さんの最初の頃は、ほんの数ヵ月だったが、ちょっと変わるというような感じはあった。しかし、やや短かった。
 もはや事ここに至れば、野口教授のいわれる40年体制の骨格部分と張り合う、あるいはそれと正面から向き合うというようなことを言わない限りは、タレント候補に票が流れるぐらいのことしか起こらない可能性を非常に危惧している。
 もちろん、法律的に投票率を上げる手段はある。投票は義務であるという規定をしている国もあって、投票しないと銀行からも金を引き出せないとか、少し金を取るとか、そういうことまでやっているところもある。
 投票率が低くなるということは選挙自体が内輪化するということで、仲間同士だけで選挙をやって当選するというシステムである。それを変えるとしたら、公選法の有効投票のところを動かす。つまり、有効投票の何分の1となっているのを、総有権者の何分の1にすれば、これは必死になってやらなければいけないという話になる。おそらく選挙をする人にとっては、その4字の違いというのはものすごい大きな違いになる。ですからそういうことを考えるということも一つの手段としてあるかなと思う。
 第2の質問、官邸の機能強化と分権その他問題とは関係ないと思う。そもそも今度の分権の問題は、あれは委員会を作るということを決めただけという感じが非常に強い。何かをやるつもりであるならば、やはり政治が基本的なフレーム枠をもっと踏み込んで決めないと、お任せした方々に非常に失礼だと思う。行政改革などの問題は、政治がもっと実質的なことについて判断を下したあと、さらに具体的にやって下さいというのであればいいと思うが、実質的なことを空洞化させておいて委員会を作ってしまったというのであれば、これは何をか言わんやである。それにどんなに補佐役を付けても、意味がない。
 その意味では、官邸の機能強化をしても全然役に立たないかも知れないし、役に立つこともあるかも知れない。したがって、官邸の機能強化は分権や首都移転などに逆行だと単純に言えない。

【草野・慶大教授】 現在の閉塞状況を打破するためには、一つには官邸の機能強化というより抜本改革もさることながら、やはり政治にいかに魅力を再び戻すかが大事だと思う。例えば、無党派層の受け皿となる新党だとか、あるいは既成政党の変貌が必要だと思う。その意味で、先生の言葉を借りれば能力とイマジネーションがない政治家しかいない世界に、優秀な人々を新たにリクルートするにはどういう方法があるのだろうかということをお聞きしたい。
 日本の行政、あるいは官僚機構が非常に力が強い、そして優秀な人材が集まっている一つの大きな理由は、やはり東大法学部を中心とした東大の人材補充の歴史というのが大きい。私の昨年の調べでは、現在、中央省庁の局長クラスの90%が東大出身者で、その大半が法学部である。それから、過去数年間の東大法学部の卒業生の就職先は、引き続き霞が関志向が極めて強い。大蔵、自治、警察、つまり彼らは真のパワーセンターというのが立法府にあるのではなくて霞が関の方にあると信じているからこそ、そういう形になるのだと思うが、その志向は全く改まっていない。その一つの理由は、やはり国家公務員試験が法律優先になっているということとも関係がある。となれば、国家公務員法という法律そのものを変えることによって、その行き過ぎを是正することはできるのかもしれない。
 いずれにせよ、いまの人員補充の状況を見てみると、21世紀の前半期において行政と政治の力関係というのはそれほど大きく変わらない可能性がある。学歴はなくても優秀な人が国会に集まるようなふうにしなければいけないと思う。もちろんそのことが政治の力を強める十分条件にはならないが、必要条件では少なくともあるということについて、お膝元で教えておられる佐々木先生はどういうふうに思われているのか。
【佐々木】 おっしゃるような流れではあるが、しかし同時に、私たちが見ている限りでは、霞が関に行く量は大変多いが、成績の上のほうの学生がみな行っているという状態ではないのではないか。民間に行く学生もたくさんいる。私は不幸にしてパワーセンターに行かなかったのでその心境はよくわからないが、ただ、今、草野さんが言われた、どのようにして若い人々をリクルートするかということは、政治の世界としては非常に重い課題であって、なかなか特効薬は難しいかなという気がする。
 一つは、この解決は非常に難しいことだと思うが、政党自体が、これがまた年功序列システムになっているということが問題ではないか。一つの組織の動かし方として、今の政党はそんな結構な官僚制的システムを内部にビルトインさせて悠然と運営しているような時代ではないのではないかと私は基本的に思っている。
 その意味では、10年ぐらい前と比べると、政治に対する若い人たちの関心というのは少しずつ変わってきている。
 時々そういう相談を受けたりするような時代になってきて、某先生の事務所に行くとか行かないとかというような話もよく出てくるようになった。ただしかし最終的には、世の中の流れ、人材の流れ全体をもう少し変えないといけないというのは草野さんがおっしゃるとおりである。
 ドイツの有名な学者(マックス・ウェーバー)が70〜80年前に言った話に、イギリスでは優秀な人間は政党に行き、ドイツでは官僚になるというのがある。そのままとは言わないし、また何が優秀かなどということは簡単にはいえないことであるが、やはり公務員の方のシステムを先ほどの政・官関係の問題を含めて、少し政治のほうから変えていくことが必要だろうと思う。例えば採用から何から始まって、やはり彼らのシステム自体を変えて行くというのと、それから政治の方も自分たちのリクルートのシステムをもちろん変えて行く。政治の方だけ変えてみてもだめだと思う。やはり、霞が関の方の人事的な流れを少し変えて行くということが必要ではないか。その一環として、先ほどの大蔵省の問題もそういう中に入ってくるということかと思う。
 もう一つは、これは私が先ほど繰り返した話につながることだが、政治が日本の肝心な問題について責任を持っているという実感が国民の中に薄いというのがかなり致命的であると思う。その意味で言うと、今年の村山内閣のパフォーマンスはあまりよかったとは思わない。せっかくそういう感覚を植えつけるチャンスがあったと思うのだが、どうもそういう感じを今に至るまで受けないということは残念だったと率直に思っている。
 私が思うには、政治が力を発揮するのはギリギリの時である。8割の合意があるところでこれをやるなどということは、極端に言えば誰でもできる話であって、やはり5割、6割のところで、4割の反対にもかかわらずやるという時に、「やった」ということになると思う。どうもこの点でも青島さんにばかり点数を稼がれているのではないかという気がする。
 その意味で言うと、戦後政治の一つの大きな問題点は、8割の合意がなければ動かないというメンタリティーである。その点ではノーリスクで、野口教授のいう40年体制のメンタリティーと一致している。だから、政治のもっているある種のアニマル・スピリッツみたいなものは、選挙の時には発揮されても、政治的な決断ではあまり発揮されることはなかった。
 そういうこともあって、ちょっと何かで批判されると辞めるというようなことをもって、民意の反映と称してきた。そのことが政治のメンタリティーにとって、あるいはそれを見る国民にとって、折角のリソースを活用しないでいるような結果を生み出している。
 おそらくこれからしばらくはコンセンサスは生れないだろう。この転換期には、国民の8割が賛成するまでなんていうことでやっていたら10年もかかることになって、それはとてももたない。そうなると、結局、政治はかなりきつい坂を登るということになる。これをこなせるかどうか。結果はどうかわからないがそれに向かって政治が動き出した、というふうに国民に映ってくる時に、政治とはなるほどこういうものかというイメージが国民には何となくわかるということになると思う。
 野口教授は、国民が変わらないといけないという話をされたようだが、私は政治の取り組みというのも、自分で打って出ていくということが必要だと思う。今まではそういうことは必要なかったから、それで済んでいた。
 私は草野さんの考えも伺いたいのだが、21世紀のある時期になると、世代間のボーティング・ブロックみたいなものができ上がるのではないかと思っている。これはいいことではないが、いずれ出てくる。リソースが非常に小さくなってくると、65才以上というのは7割か8割投票に行く。若い連中はそこそこというようなことになると、極論すれば、前者を掴まえていたら絶対マジョリティーを取れるというような、あるいはその周辺の産業のマジョリティーを取れるというようなボーティング・ブロックができてくると、それはまた非常に事態を複雑にする。
 私が先ほど言ったセクター間の縦割りという問題はその世代間の問題ではなく、経済的な意味での縦割りである。だから、世代間の問題が出てくる前に、この経済的な問題については何とかしておかないと、この両方が重なり合って、ものすごくおかしなことになりはしないかということを何となく考えてはいる。
 アメリカなどでは世代間のボーティング・ブロックの問題はどうなっているのか、そんな問題を処理できているのか。どうもあの国を見ると、結局、年寄りの方はちゃんと年金をもらっていて、若い層は大変苦労しているのではないかという感じさえするので、そういうことはこの国にはいつまでも無縁だと思っていいのかということである。
 政治的に言えば、少なくともこの世代間のボーテング・ブロックができ上がる相当手前のところまでに、できればいろいろなことをやっておかないといけないだろうと思う。
 ただ、それで非常に面白いのは、例えばもしそうなっていくとしたら、その時の老人たちは何を求めるのか。私は決して年金だけを求めるとは思わない。物価を低くしてもらわなきゃ困るとか、まあ高金利まで要求するかどうかはちょっとわからないが、例えばどんなことがそこで出てくるのだろうかということを考えてみると、われわれはここで社民的とか自由主義的とか勝手なことを言っているけれども、おそらくここに「純粋の消費者」が登場してくるわけである。彼らこそ純粋の消費者であるから、彼らの意見を聞くのが本当は一番いいわけである。ただ、しかしそれだけでは済まないところに問題がある。そういう意味でいくと、例えば物価なり規制の問題なり、どっちの方向に行くのが追い風であるかというようなことは、案外使えるグループも十分にあるのではないかと私は思っている。
 もし、そういうことについてもまた、この会でご検討いただければ大変ありがたい。

【村山・いわき市市民】 今の国会を見ていると、国会議員さんたちも、彼らは縦割りで政党という形ではくっつかないけれども、年齢的な意味で横割れができているのではないか。それはひとつ、彼らが持っていた情報が古い情報のもとに政治家をしていた頭の固い人たちの世代と、若い、国際化とかに敏感な世代。国民が変わらなければいけないというようなお話が野口先生のほうからあったが、私はこうしたボーダレスラインの中で、国民はとても変わってきたと思う。その中で変わらない政治家と変わった政治家が二ついる。どちらかが力を占めているのかなということをとても感じるのと、政治家が国民の思いを担っているという意識ではなくて、自分の思いによって動いているという錯覚が十分にあるのではないか。そういう意味でボーティング離れというのが起きているのではないか。
【佐々木】 確かにそういうふうにも言えると思う。例えば、今、3期生ぐらいから後と、5、6回当選した人というのは大分違うのではないか。これは年齢の問題ともちょっと違う経験年齢というようなもので──いわば冷戦時代、あるいは五五年体制、これは与野党を問わずであるけれども、その中でやってきた方々というのと、冷戦が終わり、消費税があって、そして貿易摩擦が日常化した中でこれはちょっとまずいかもしれない、あるいは湾岸危機等々を体験してきた世代とでは何となく違いがある。あるいは、本人たちが思っている以上に、本当は違っているかも知れない。ただそれを、今の感じはできるだけそういうことを荒立てないで、まあ、古いスタイルでやろうやという感じのほうが、どちらかと言えば、まだ強いということだと思う。
 その理由の一つは慣れているということである。人間はコストの少ない生き方をしようとすれば、今までどおりにやったほうが一番楽だし、その方が心理的な摩擦もなくていい。それはおそらく政界だけではなくて、会社とかいろいろなところもそうではないのか。ちょうど私あたりの年齢が一番よくないかも知れないけれども、高度成長の中で生きてきて、キャリアを重ねてきたような世代、そろそろ大臣になってもいいくらい当選している人もいるというような世代、それとその後出てきた30代ぐらいから後とは、確かに感覚的に一見違うように見える。ただ、私がこの2、3年見てきた感じでは、違っているように見えて、意外と違ってないかもしれないという感じも、まだ残っている。
 というのは、変えなければいけないものがあまりにも沢山あるものだから、変えようと思う方も疲労感がある。そうすると、ここまでは変えるのだけれども、この辺でいいじゃないのというのを、やっぱり応援していかないといけないという感じを、私は政治改革でいろいろな人と付き合ってきてつくづく感じた。2年ぐらい前はそうではなかった人で、もう終わっちゃったと言っている人もたくさんいる。もう、このぐらいで勘弁してください、一所懸命やったじゃないですかという感じ。いや、これから行政改革と経済のいろいろな問題もやってもらわなければ困るんだけどと言うんですけれど……。
 政治の世界は一般社会よりも古い方へもともと構造的にずれているという可能性は確かにある。というのは、先ほど言ったようなメカニズム、固い票の中で循環しているから、そっちへ傾いている。
 よく皆さん方のご質問のなかに、「政治家は本当に経済についてわかっているのか」、まず政策をやる以前に認識してもらわなければいけないという趣旨のものがある。私は全員が認識していないなんてことはあり得ない、ただし、総体的には認識していない人が多い可能性はあると思う。
 もう一つは、もし野口先生が言われるようなことを始めようとしたら、これは大変なことになるというふうにわかっていて、だから言わない方もあると思う。あるいは、ここまでやらなければいけないと全部わかっていても、「まあ、君、15年か20年かけて」というような調子で時間の観念のない人が結構いる。これがどんな分布になるかというのは調べたことがないのだが、ただ全体として見れば、ほかの世界に比べると、世の中から離れている。
 要するに、彼らこそ、この体制の中で純粋培養されてきた世界に軸足が傾き過ぎていて、ほかの会社などで一所懸命やられている方とちょっと違っているところもあるという気がする。だから、世の中が変わったほど一挙には変わらない。変わり方が遅いというか、全体の配置がそういうふうにはなかなかならない。時代感覚みたいなもの、これは20世紀のシステムが終わりかけている時代かもしれないと私は最初に申し上げたが、そういう感じはほとんどないし、そういう感覚は非常に珍しいと思う。
 細かな政策を一所懸命勉強する必要は必ずしもないけれども、基本的な方向性がどこにあるかということだけを政治家には押さえておいてもらいたい。それがわからなくて、細かなことをやたら勉強しますから、対立軸はなくなるは、どこが何だかさっぱりわからなくなるということになる。勉強されることに反対ではないが、全体の構図が何かしっくりいっていなくて、袋小路に入ってしまっているところがあるのではないか。
 もっとシステムがガタガタにならなければどうにもならないかも知れないというのが一番悲観的な見方である。だから若い人の失業率がかなり上がって、デモでも始まれば、少しはそうかという話になるかもしれないけれども、今のところはどうも就職を頼みにくる人間が増えたなぐらいのところで受け止めている可能性があるのではないか。その意味で、社会との間で温度差がちょっとあると思っていたほうがいいかなというのか私の答えである。

【並河】 そうやって国民の方からの意識から見ていると、だんだんイライラがつのってくる時に、20世紀型の体制がいよいよ終焉を迎えて21世紀型となるわけだが、ナチズムというか、ファシズムというか、一種の英雄待望論みたいな意見が必ず出てくる。ただ、1930年代ぐらいのナチズムの出てきた経済基盤、あるいは階級的構成と今とかなり違うと思うから、同じようなものが復活するとは思いたくないが、しかし、たとえばこれから日本もさらに失業率が増える、外国人労働者が増えるということになってくると、今のドイツのネオナチのような人がまたさら増えてきて、それに基盤を置いた、ひとつ暴力的な政党が出てくる可能性がないわけではない。
 政治学者に予測をお願いするのがいいのかどうかわからないが、このいらだちというものがどこまで行って、ファシズムに移る可能性はあるのか、ないのか。
【佐々木】 ファシズムというのがどう出てくるかわからないが、もし、それらしいものが出てくるとすると、かつてのものとは多分違ったものが出てくる感じはする。つまり、人種問題などをワアワア言ってやっているという程度であれば、まあ、周辺的なものに止まるだろう。
 しかし、経済社会の基盤がかなり深刻に崩れるということになると、ひとつ出てくるのは、反政府みたいな動きではないかと思う。もう一方では、権力主義で何とかコントロールできないかという話が出てくる可能性も潜在的にあると思う。
 ただ、私は日本においては、アメリカのように反政府的な動きというのはあまり出ないで、どちらかと言えば、権力をどうこうしようという可能性のほうだと思う。その時にどのようなことが考えられるのか、今、さしあたり私はあまりイメージとしてはわかないが、おそらくそれは単純に国内的要因だけでは考えられない。対外的要因──外交、その他の問題というのも非常に重要な触媒になるから、その意味では国内だけ見ていても、なかなかわからないということになろうかと思う。
 この国は最終的に、これは昭和の初期もそうだと思うのだが、今度の場合も、結局、外とのプレッシャーの中で自分をどうしたらいいだろうということを考えていく国である。その意味では、経済構造の問題と安全保障の問題をどう考えているのかということについて政治からのメッセージが全然わからないというのは、つけ込む隙を与える一つの要因ではないかと思う。
 今日も、日米は仲良くやっていきましょうという話で終わったみたいであるが、何がどう仲良くするのかさっぱりわからない。そういう形で、これはこれ、あれはあれというふうには多分行かないというのがポスト冷戦の時代だと思うから、その意味では、この1940年問題というのは外交問題でもある。
 そういうふうに考えると、今はいろいろなところに穴が空いてしまっている。それに対して全然受け止めるものがない。そうなると、私は権力を握るとは言わないが、ちょっと野火を付けるような運動がこの国でもやっぱり出てくるのではないかと思う。ただそれが全部権力を握ってどうなるということにはならないにしても、それぐらいはやっぱり覚悟しておかなければいけない。
 つまり、今の体制はそういうものが防げるほど予防的に、機動的に動けるようなシステムにはなっていない。とことん放っておくということにだってなりかねない。そうなると、やっぱり、かなりそういう目立つような動きが、どんな形をとってくるかわからない。どちらかと言えば、強い顔をしているというよりは、優しい顔をして出てくのではないか。私に任せておきなさい、優しいよ、全部やってあげますよというような話が出てくるのではないかと思う。これがデモクラシーの中における一種の新しい権力集中のメカニズムとして出てくるというのは前から予言されている話である。
 そういう一種のパターナリズムの次のバージョンみたいな形があり得るのではないか。むしろ、ナショナリスティックではあるのですけれども、ものすごくこわいような、肉体的苦痛を与えるような恰好で出てくというようなことは、ちょっと考えにくい。
 ですから、戦後体制から引き継いだわれわれの非常に大きな遺産は、単純に肉体に苦痛を与えるような形では票は取れないということだけは定着したと思う。そういう意味で言えば、甘口の方で、しかし実質はかなりコンフォーミズムみたいなものは出てくるというようなことかと何となく思っている。

【安藤・ジャーナリスト】 歯車を回す選挙を棚上げにしておかないようにといわれた。この選挙制度は、たとえば二大政党制を生み出すというふうに言われているが、それが今日、縷々お話になったような1940年体制問題、あるいは世紀末問題といってもいいと思うが、それに対する有効な答えを用意するような政党制を生み出す可能性があるかどうか。
 私の記憶する限りでは、佐々木先生は選挙制度改革、あるいは政治改革について、「国会議員たちがこうした厄介な問題にあえて決断をした」というような表現で、かなり積極的に評価をされたように思う。それでは、たとえば選挙をとおっしゃるけれども、具体的に言えば、ゴラン高原へのPKO派遣の問題に関して、現在の政権は参議院選挙が終わるまでは答えを出すまい。つまり選挙というのは、今後も大事な問題を問わない傾向を大変強く持っていると私は悲観的に思うから、新しい選挙制度がどういったものを生み出すのか。少なくとも、今よりもいいものを生み出す可能性を持っているかどうか伺いたい。
【佐々木】 問題を先延ばしして、選挙があるから政策決定はやらないという話はおっしゃるとおりで、とにかくできるだけ波風を立てないようにしていくのが政治の仕事であるという考え方から非常にはっきりと導き出されてくる一つの行動様式ではないかと私は思う。
 そういう観点から申しますと、私自身はこの選挙制度全部がそうなるというような予言みたいなことを申し上げるわけにはいかないけれども、少なくとも、どちらかを選ぶという形の選挙ということになると思う。問題はその時に、どちらが、より何もしないかを選ぶのか、より何をするのかを選ぶのかということについては、残念ながらこれは役者たちの舞台装置にかかっているから何とも申し上げられない。
 ただ、私は1940年体制を守るという判断が下る可能性が十分あると思う。しかもそれは極めて数の上でははっきりした形で出るということはあり得ると思う。しかし、いや、そうでもないという結論の可能性ももちろんある。
 ただ違うことは、とにかく何が問題になっているかを曖昧なままにして、何を決めたかわからないままでは済まない。つまり、もう40年体制は「ある」のではなくて、40年体制を守るか潰すかという段階に、もう来ているのだろうと思う。
 今まではとにかく放っておけばそのままということだったのが、今度の選挙制度自体がどこまでそれを発揮するかについては若干意見を留保するにしても、しかし少なくとも、勝ち負けは非常にはっきり出る。ということは、どちらかを選んだという結論になる。今までは選んでいない、これは当然のものだと思って、皆、その中でわあわあやってきたに過ぎなかった。それが本当にどちらを選んだというふうに明快に持って行くためには、政治家なり政党なりの問題の立て方に多く依存すると思う。
 ただしかし確かなことは、もしこの問題に引っかけて言うのであれば、もはや1940年体制はあるものではなくて、補強して無理しても支えるか、無理してでも変えるかのどちらかしかないという段階に来ているのではないか。もし守るとなれば、そのコストは膨大なものになるということを引き受けるということになる。そこで、日本国民がそう選んだということが非常にはっきりして、日本国民はそのためのコストをどう払うかという話に回っていく。また次に選挙がある時に、一体これはどうだったのかというような話になっていくのではないか。
 私はつくづく、自民党一党支配の終わりと経済問題はどこかで通底していた問題ではなかったかと思っている。ただ、今ご質問のあった、そこがうまく歯車として政治の舞台につなげてもってきて貰えるかかどうかということについてはなおひとつの課題が残っていて、そこの歯車が外れたままで何を問題にしているかわからないような選挙をやられるのではないかという危惧については、私もそれはないとは申し上げられない。
 しかし、もし、どこかの政党がこの問題をかなり実質的な意味で出せば、ほかは答えざるを得ないという形になる。その意味では、政界打って一丸となって、またコンセンサスでみんなこれをやりましょうなんてことを言われると気持ちが悪くてしようがないのであって、どこか一つでもこの問題をまともに出せるように、われわれ国民が反応していくかということがひとつ課題であると思う。
 いずれにしても、いまの体制がもはや所与のものではなくて、選択するか拒絶するか、あるいは無理して守るか、それとも無理してでも変えるかというところにだんだん行くと思う。ただ、次の選挙がどうなるか私は予想できない。しかし、私は2、3回のうちには、多分この問題は逃げられない問題になってくるのではないかと思う。
 私は今の状況について非常に不満なのは、何もはっきりさせないで、今、安藤さんからご質問があったように、先送りにするというのが、ある意味では最悪の選択ではないか。つまり、散々それで時間を潰しておいて、後で守るなどということを言われたら目も当てられないような事態になる。守るという単独政権ができるということも十分あり得るということを覚悟した上で、しかし、そこまでさえ行かないで、何かあちこちでごちゃごちゃしているということが今の状態ではないか。
 先ほど申したような意味で、決して300の小選挙区でドブ板選挙だけをやっていてすべて勝てるという選挙制度ではない。それをどういうふうに活用するかによって、いろいろなゲームができて、その中で若干なりとも、ここで共有されているような問題意識が政治の舞台に登場することを私は大いに切望している。