時評トップに戻る TOPに戻る 
行革時評

日本経団連の政党評価:評価者が評価される時代がきた

事務局長 並河 信乃
2004/01/30

 日本経団連が1月28日、自民党と民主党についての政策評価を発表し、それにもとづき日本経団連としての政治献金再開に踏み切った。政治献金をテコとして、政治に対して日本経団連の発言権を確保・拡大していく狙いだという。

 この評価は、自由民主党についていえば、小泉内閣についての評価ではなく、いわゆる「抵抗勢力」といわれている方々を含めた自由民主党についての評価なのだと思うが、日本経団連がこうした高い評価を自民党につけたということは、今の自民党に満足しているということなのだろう。奥田会長は記者会見で、自民党は85点、民主党は45点と述べたようであるが、少し自民党の点が甘すぎるのではないか。国民から見れば「どっちもどっち」であって、日本経団連が自民党を贔屓するとしても65点対45点くらいにしておいたほうがよかったのではないか。

 今回の評価の試みは、政策論争を活性化させる観点からは面白い試みだといえる。なによりも、今回の評価によって、評価している日本経団連そのものが国民からの評価の対象となったことが大きい。なによりも、企業の負担を軽くすることはプラス、重くすることはすべてマイナスと日本経団連の評価軸はわかりやすい。そうした組織が政党に影響力を強めたいと考えていることが、今後の日本の政治・経済・社会にいかなる意味を持つものであるかが、われわれの考えるべきことである。評価者が評価される時代がきたのである。

 おそらく、今回の評価に触発されていろいろな組織が独自の政党評価を発表することになるだろうし、また、それを期待したい。日本経団連は日本経団連の評価軸から評価し、別の組織は別の評価軸から評価する。そうしたものがいくつも重なり、生産的な議論が展開して、結果として多元的な評価軸がこの社会に形成されれば、大きな進歩となるに違いない。なによりも、選挙権はわれわれ一般国民が持っているのであって、一般国民の判断が政治を決めていくのである。

 蛇足を加えれば、この政策評価はどの新聞も1月29日の朝刊で報道されたが、たまたまその日の日本経済新聞に掲載されたガルブレイスの「私の履歴書」28回めの文章が、きわめて興味深い。 一部を引用してみると、
「経済政策をめぐる米国の政治対立は基本的に企業の利益を擁護するか、それとも国民全体の利益を守るか、である。・・・・マクロ経済政策では企業の利益に配慮して、減税が行われてきた。恩恵を受けるのは企業経営者などの富裕層である。こうした政策こそが、経済全体を浮揚させるに役立つという考え方に基づいている。・・・・富裕層はお金を消費に使うか、貯蓄して資産を増やすかという選択肢がある。貯蓄に回る分だけ需要は制約されることになる。恵まれない層に配慮した政策の方が富裕層配慮よりも経済にプラスなのだ。リベラリズムか保守主義かという思想の違いは関係ない。現政権の下で失業率が高止まり、経済の実態が良くならないのは富裕層優先の政策のためだ。」・・・・「ただ、共和党は企業重視、民主党は人々の利益重視というように両党の政策が明確に分かれているわけではないことも指摘しておく必要がある。それが、政治の現実である」
 もちろん、米国と日本との単純比較は控えるべきだが、この碩学の指摘(ここに引用した以外にもいくつかの重要な指摘がある)は、今回の政党評価表とつき合わせてみると、考えさせられることが極めて多い。