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行革時評

噴飯ものの道路公団藤井総裁解任騒動

事務局長 並河 信乃
2003/10/17

 「盗人にも3分の理」という諺がある。今回の日本道路公団藤井治芳総裁の解任騒動は、見物人としては大変面白い見ものである。簡単に首を取れると思っていたら、意外な抵抗にあって国交省大臣が難渋しているのは、攻める側が論理的に弱いところがあるからだろう。だから、そこを突かれて立ち往生しているのだ。まさに噴飯ものの騒ぎである。

 一般には藤井氏が悪玉役を演じているように見えるが、週刊文春(10月23日号)の記事などを読むと、彼の方が一方的に正しいような書きぶりである。それもちょっとどうかと思うが、少なくとも生首を切るには、本人だけでなく一般国民も納得できるような理屈が必要であり、その点が弱いのではないか。

 藤井総裁の解任を求める声は7月から8月初めにかけて盛り上がったが、当時の扇国交大臣は動かず、小泉首相もそれについて特に何もいわなかった。それが、今回の総裁選挙後の内閣改造によって石原大臣に交代したとたん、にわかに再燃したわけである。石原氏の役割は、藤井総裁の首を切って公団改革に弾みをつけ、総選挙にもよい影響を与えることなのだろうが、そのための準備に抜かりがあったとしかいいようがない。石原大臣は、水戸黄門のように大臣の印籠を見せれば、藤井総裁は「恐れ入りました」と辞表を書くと思っていたのだろう。

 生首を切るには、まず、今後道路公団問題をどうすべきかについて大臣としての方針を明確に示すことが先決だ。それに総裁が全面的に協力するというならば、首は切れないが改革は進むことになる。総裁が協力しないというならば、首を切ればいい。問題は、新大臣が、これまでと違う新たな方針を明確に打ち出せるかどうかであって、それがあいまいではなにごとも進まない。前大臣のときに一応決着がついた問題を蒸し返すだけでは、根拠は乏しいのではないか。また、前のことを蒸し返すのであれば、そのときの最高責任者である小泉首相の責任も追及しなければならないことになる。

 昨年の民営化の検討過程で、石原大臣は民営化に必ずしも十分な理解を示していなかった。それが担当大臣になったとたん、にわかに居丈高に総裁に辞表提出を迫ったところで、総裁としては馬鹿馬鹿しくて話にならないと思うのも無理はない。しかし、大臣が新たな方針を打ち出すには、これまでの方針を踏襲するのか新たな方針を打ち出すのか、またそれは具体的にどういうことなのかについて国交省内部で議論を尽くさなければならない。その重要な手順を抜きにして、ただ単に総裁の首を取りにいったところが作戦の最大の間違いだろう。

 聴聞は17日の午後も行われるようだが、大臣としては面子もあり、どうしても総裁を解任せざるを得ないだろう。それができなければ、自分が解任されてしまう。しかし、今回の解任騒動が、なるほどもっともだと一般国民が納得するやり方で収拾するかどうかはわからない。悪役である総裁の首を取に行くということはわかりやすい作業だが、首さえとれば問題が解決すると思ったところに、今回の間違いの原因がある。

 本質的な議論をなおざりにして、格好だけをつけていくというのが、今の内閣の姿勢なのだろうか。