彼の壮挙を知った友人発起人たちは、一冊の手帳を美術学校の廊下に下げました。
手帳には、次のような趣旨が書かれてありました。
送柳敬助君 同情涙 乞御一覧 来月初旬志を立て単身北米に遊んとする柳敬助君の行を送らんとするの有志の好意を徴す
有志発起人 薄・辻・大槻
好意の有志ハこの帳面に御記名の上パレット倶楽部開会日迄発起人に御渡し下度く
十一月十日 薄拙老 辻永 大槻二雄
以下この手帳には、
金五拾銭 森田亀之輔。金三十銭 大槻二雄。金三十銭 伊達国郎。
金五拾銭 高木 。金三十銭 岸畑久吉。金五拾銭 亀山真己。金五拾銭 山下新太郎。金五十銭 高島七郎。金五十銭 熊谷守一。金参円也 黒田清輝。金半円也 西三雄、伊藤直和、市川誠一、橋口清、今関胤雄。金五十銭(氏名ナシ)、平井武雄、尾崎彦麿、椎塚□雄。金壱円 小林信吉。金弐円 和田□□。金五拾銭 山本鼎。金五拾銭 浅見和成。金三拾銭 拝田 太郎。金五拾銭 (氏名ナシ) 斉藤豊作、岡直路、真島中七郎、児島常□郎、橋本邦三、藤島武二。十銭 野田翠□。五十銭 村上為 、江南□雄、人見雪彦。金壱円 跡見泰。三十銭 郡司□郎。金五拾銭 藤田□雄、大久保健児。金壱円 中村、長原孝三。金五拾銭 脇坂安三。銀五拾銭也 高木誠一。二円 岡田(三)。
〆廿八円拾銭
志のある者ハ此の帳面を見よ
とあります。
かくして、柳敬助は画学修業のため渡米し荻原守衛や高村光太郎とめぐり逢うのであります。
夭折の画家柳敬助資料
― 「上総文化第六号」 昭和54年7月1日 上総郷土文化研究会刊 ―
高崎繁雄