成瀬仁蔵(1858-1919)
日本女子大学校の創始者
−焼失−

大正九年四月三十日    家庭週報第五百六十二號 

柳敬助・八重夫妻展 −共に歩んだ肖像画家と女子編集者− 
(日本女子大学成瀬記念館発刊)より転載しました

 『成瀬先生の御肖像を御描きになりました間のご感想や、御苦心談とい
 ふようなことを伺わせていたヾきたいと存じます』
 
『さあ、そのお答へは訥辯(とつべん)な私が申し上げるよりも、作品
 を御覧下さる方が、もっと明らかにわかっていたヾけるでせう』

 『さう仰有られるのは覚悟して居るのでございますが、作品から、ぢか
 にそれを聴き得ることがなかなか難しいのでございます。それであなた
 のお口から翻訳して聞かせていたヾきたいのでございますからどうぞ・
 ・・・・』
 
『おわかりにならないと仰有っても、いつかわかる時が来るのですから
 それでいゝのです。観ていただけばいゝのです。敢えて観ていたゞくと
 いふよりは、皆さんのお眼に觸れる時が、一度二度と数を重ねるうちに、
 自然にわかってくると思ひます。そしてだんだんにそのわかるといふ事
 に深さを増して行くのですから、謂はゞその時々に、御めいめいが観得
 るだけを観てゐて下さればいゝといふものなんですね』

 『ほんたうにさういふ道筋を進んで参りたいと願って居ります。ですけ
 れど、性急(せっかち)な紙上の要求からそこを早く聞かせていたゞき
 たいのです』

   柳氏は暫時(しばらく)黙って微笑んで居られた後、
 
『さうですね、わかるまでが難かしいと仰有るのも御もっともです。元
 来、肖像畫といふものは、一般の人は勿論、藝術に携わる人の間にも、
 これを通俗的に、比較的低級な藝術品として取扱ふ人と、もっと高い意
 味の藝術品として取扱ふ人とあります。
低級に取扱へば低級なものにな
 りますし、高級に取扱へば高級なものになります。
−これは敢て藝術に
 限ったことではないが−』
と。

   柳敬助氏は語をついで、
  
成瀬先生には、十年このかた度度御目にかゝって御話もし、いろいろ
 の機曾(きかい)に先生の御考へのある所を略々(ほぼ)窺ひ知って居
 りましたが、御肖像を描くといふことになりましてから、更に著書や、
 講演筆記の類を讀み、日常の御生活や、逸話などを聞き集めて、先生を
 理解することに努め、また御病床にも伺い、そして終焉の御姿をスケッ
 チして置きました。
  それから先生の日夕親炙(にっせきしん
 しゃ)して先生の思想をよく理解され、又
 藝術をよく理解さるゝ渡邉英一氏と、親し
 い間柄であるまゝに、先生に就いてお尋ね
 したいだけのことを、充分にお尋ねし、ま
 た私の考へるまゝを遠慮なくお話をしたの
 でした。そしてその間に或る一致點をを見
 出したのです。
  ほんたうに筆をとり初めました頃は、現
 實の先生に御接しすることが出来なかった
 のでありましたから不便の點が少なくありませんでした。種々の寫眞の
 中から最近のを二つだけ参考として、まづ最初に、先生がお好きであっ
 たといふ方(やさしく寫った方)のを礎として描いてみました。併しこ
 れでは性格を出すのに不充分でありましたから、止めて、次に先生のお
 気には適わなかったさうですが、先生に日常接近して居られた方々が、
 先生を強い意志の人として追憶するに最もふさはしいとしておいでにな
 るといふあの寫眞に據って試みました。顔容の細かい部分の参考となる
 ところは此の方に多くありましたけれども、先生の一生を通じて観得る
 ところを現すには物足りないのでありました。そこでまた止めました。
  この時には、もう大かた姿態の構成に就ては、略々(ほぼ)理解が出
 来ましたから、寫眞とは不即、不離の態度をもって、私の頭の中に考察
 され、描かれた成瀬仁蔵(なるせじんぞう)氏を率直に表現することに
 努めました。即ち強い意志の人、努力奮闘の人と見ゆるその奥に、子供
 らしい自然さを湛え、そして、志士的な気概を蔵した複雑な性格が、晩
            年一層純化の境に入って、敬虔なる宗教的の情
            念に浸され、温乎(おんこ)として安らいだ趣
            を尊く感じて居たのであります。それを私の作
            畫の基調とし、源泉として出来得るだけのこと
            を試みたのであります。
             従って色彩も、構圖もじみな単純な落着きを
            求めたのでした。併し充分ではありません。
             フロックの立姿を描くに、ポーズして貰ふ人
            を友人間に求めました。快諾してくれた一ニの
            友人も、あいにく差支へが生じたりして、困っ
            てゐた處、丁度夏休みになり、前に申した渡邉
            さんにお願ひが出来ることになって、暑い夏の
            日に成瀬先生の着用されたフロックコートを着
            て、ポーズしてくださったことは誠に幸いでし
            た。
               (記者)

柳敬助氏と語る

肖像畫の前に

  この週報には、ご自身の肖像画家としての信条や信念
  が語られています。柳敬助という人物を知る大変貴重
  な資料です。将来、芸術家を志向する郷土の若者に是
  非ご一読頂きこの素晴らしい感性が糧となるよう願う
  次第です。

永眠の先生(1919年)
木炭デッサン

椅子に凭りて(1913年)
渡辺英一氏

戻る

個人蔵

日本女子大学蔵

*画像の無断転用・転載厳禁