君津市西日笠に延命院長久寺というお寺があります。
お寺の北側には小糸川が流れていて、上流に「かにが淵」という深いよどみがあります。この「かにが淵」のあたりは、川岸が切り立った崖ですが、崖の中ほどに岩屋がほりこんであり、ここに「かに山ごんげん」という石のお宮が祭ってあります。

 石宮は、延享五年に建てられたもので、「年月日」と「蟹の形」が彫刻されてあります。ここに、このような珍しいお宮をお祭りするようになったのは、次のようなお話があるからです。 
                                                            むかし、この西日笠に、情け深いお金持ちがいました。他人に親切で、とりわけ動物をかわいがり、お地蔵様を信心して、いつも「延命地蔵様」と声を出して唱えていましたので、村の人は「延命長者様」とよんで、尊敬していました。延命長者には、かわいい女の子が一人いました。

 この女の子も、親によく似たやさしい心の持ち主で、とくに川や淵にいる蟹をかわいがり、村の子供たちが、蟹をつかまえて、らんぼうな遊びをしているのを見れば、お金と引きかえに買い取って、もとの川や淵までもって行き「もう安心だからね。きおつけてお帰り、二度とつかまらないように、あぶない所には出て来るんじゃないよ」と、やさしく言い聞かせては、静かに放してあげているのでした。

 ある日のこと、長者は、この一人娘を連れて、鹿野山にお参りに出かけました。いくつか坂をこえ、いよいよのぼり道にさしかかったとき、道ばたの草むらの中で大きな蛇が、雉をまきこんで、じりじりとしめつけ、首をもたげて、今にも飲み込みそうにしていました。かわいそうに身動きできないほど強くしめつけられ、目をとじたままのきじは、死ぬのを待つばかりでした。

 これを見た長者は、大蛇に向かって、「その雉をはなしてやってくれないか、弱いものをいじめないでくれ」とたのみましたが、この蛇は「せっかくつかまえた雉だ。いやだよ。はなすものか。」とますます強くしめつけようとします。長者はわれをわすれて思わず、「その雉をはなせば、かわりにこの子をお前にくれよう。」といいました。それを聞いた蛇は、とぐろをゆるめて雉をはなしてやり、するすると草むらの中へ消えて行きました。そしてあぶないところを助けてもらった雉は、うれしそうに鳴いて鹿野山の方へ飛びさりました。さて、月日がたって何年か後長者の子どもは年ごろの美しい娘になりました。

 ある日のこと、ふだんみかけたことのない若者が長者をたずねてきて、とつぜん「あんたのむすめを、およめにもらいたい」と言い出しました。しかし、どうも話しかたや様子がおかしいので、あやしく思った長者は「せっかくだがことわる。どこのだれともわからぬ男に、だいじなひとりむすめをよめにだすことはできない。」ときっぱりことわりました。すると若者は、きゅうに顔色を変えて「いつかあなたが、鹿野山に行くとちゅうで、わたしに、お前がその雉をはなせば、そのかわりにわしのむすめをやろうと言ったではないか。今になってそのやくそくをやぶって、ことわるとはしょうちできない」と言いながら長者にとびかかろうとしました。

 長者は「はっ」と思いあたり、この若者があの時の大蛇の化身であると気がついたので、追いはらおうとしましたところ、若者の目はつり上がって大口を開け、頭の毛をさかだてながら、むすめのいるへやに入りこもうとしました。さあ大変です。長者はむすめを連れ出してお堂の中にかくし、いつも信心しているお地蔵様をおがみつづけていました。若者は姿を変えて、たちまち大蛇となってお堂をまきこみ、口から赤いほのおを出して人々をよせつけません。

 そうこうしている内に、ふしぎやふしぎ、どこからともなく大きな蟹が出て来たのです。つぎつぎにはさみをふり上げながらおおヘビにたちむかい、とうとうヘビのからだを切り刻んでしまって、お堂の中のむすめを助け出してくれました。長者は、これはきっとお地蔵様のおかげにちがいないと、ここに長久寺というお寺を建て、「ヘビ塚」を作り、いのちがけでむすめを助けてくれた蟹のために「かに山ごんげん」と言う堂を建てて、あさばん感謝のお参りをおこたらなかったということです。

                   (西かずさ昔むかしより)

かにの恩返し

久留里城祉資料館だより   No8より (s62.3.15)