(君津市立久留里城址資料館・「獅子神楽への願い」より抜粋)
獅子頭を被った「前かぶり」と「後かぶり」の二人が基本ですが、俵田区・三田区は演目Cで「後かぶり」に3人が付きます。また演目@〜Bでは「後かぶり」役は獅子の着物(布)を束ね、後ろで持って舞うことから「着物持ち」「布持ち」とも呼んでいます。
舞い手
神楽とは
(締太鼓)
(張太鼓)
(神楽)
(きばな)
(ときょう)
(ごへい)
(へいくし)
(けぎょ)
(おにいた)
(はふいた)
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神楽とは
寛文年間(1661〜73)頃、伊勢から江戸へ移住する神楽師が増加します。房州でも長狭郡磯村(鴨川市磯村)に伊勢から館(たち)三太夫が定住し、村々で獅子神楽を舞いました。その後、村によっては神楽師から神楽舞を習得し、村の鎮守などで天下泰平・五穀豊穣を願い独自に神楽が奉納されるようになります。市内の神楽の記録としては、元禄3年(1690)8月の練木村「神楽奏楽」の許可願いが古い方です。また、寛政11年(1799)6月の柳城村の記録によると、50年前(1749年頃)から獅子神楽を祭礼で奉納するようになり、それ以前は「棒踊(ぼうおどり)」(棒を使って、悪魔払いをする)を行っていたとあります。(君津市史資料編U)
神楽獅子舞の普及
「神事にともなう舞楽」のことで、その語源は来臨した神様が座る場所「神座(かむくら)」が転訛したものです。
市内では二人立ちの獅子神楽を普通「カグラ」と呼び、演目は、各地区ともほぼ共通したものが見られます。
@マエカガリ:神様を招くための準備。
(「ヤマ」「幕の舞」など地区により名称が異なる)
*平山の演目は「やま」。
A御幣の舞:神様を招く。
(この時、悪魔を払い泰平楽を願う「神楽歌」が挿入さ
れる)
B鈴の舞:御幣と鈴を両手に持って舞う。
(鈴の音で神様が降臨する)
Cクルイ:虫を探す獅子は、虫がいないことがわかると、
耳を立て激しく怒り狂う。
演目
日照りや大雨などの天候不順は、人々にとって、不作・凶作にかかわる切実な問題でした。
記録によると寛政年間(1789〜1801)、久留里黒田家4代藩主・直温(なおあつ)公の頃、干ばつがあり、本丸の剣之峰に座す丹生(たんしょう)明神で祈祷をしたところ雨が降りだしたと言います。これ以来、明神で雨乞い神事が行われる際には、領内村々の神楽が集まり、神前で奉納されたと伝えられます。
雨乞い