紙腔琴

 明治26年(1893)、原因不明ですが、西川オルガンを解
雇された新吉は東京築地の居留地近く(聖路加病院裏)に家を建
て「紙巧琴」(大型のオルゴールみたいなもの)の製造販売をは
じめました。
 これが大当たりし、資金援助してくれる人にも恵まれ、オルガ
ン・ピアノの修理、調律も手広くはじめその後は製造も手がけま
した。
 驚いたのは西川虎吉です。解雇され、てっきり田舎へすごすご
と引き揚げたと思っていた新吉が、まさか自分の商売敵になろう
とは!まだ暖簾分けしたわけでもありませんでしたから。
 翌27年、音楽雑誌にでかでかと松本新吉の解雇通知を掲載し、
牽制しましたが、新吉の商売は広告にあるように順調に伸びてい
きました。

(1)ピアノ製作者・松本新吉

明治20年(1887)、西川オルガン工場拡張に伴って呼ばれたの
が、慶応元年(1865)生まれで、西川虎吉の姪「るゐ」と結婚し
実業の農業の傍ら、左官の手伝いをしていた松本新吉です。新吉
の生家は、偶然にも虎吉の生家の隣でした。
 松本新吉は、そのとき23歳、中規模農家の長男だったようで
す。それが単身ではなく妻子を連れて横浜に移住したということ
は、それ相応の覚悟の上だったのでしょう。6年間、西川虎吉の
元でオルガンつくりの職人をしながら、オルガンやピアノの調律
を覚えたといいます。大変耳の良い人だったようで、オランダ語
や英語もすぐに覚え、外国人の受けは大変良かったようで、音感
がとても優れており、虎吉が体調を崩したときなど、新吉が代行
したほど調律の腕前は虎吉も認めるところであったといいます。

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・松本ピアノ操業開始