行革国民会議の活動について

 
 
2001年8月
 1981年から86年まで臨調、行革審の会長を勤めた故土光敏夫氏は、行政改革を推進していくためには、国民が関心をもち議論に参加することが必要であると説いてやみませんでした。このよびかけに応えて、1983年7月、土光氏を中心に各界の有識者によって行革国民会議が設立され、民間の立場から政府の行革推進の実行状況を監視するとともに行革の議論をさらに深化・発展させる活動が始まりました。
 
 発足以来、国民会議は国鉄改革、農政改革、政治改革、財政改革、地方分権、行政手続法、情報公開など行革の重要な課題をとりあげ、一般市民が自由に参加できる公開討論会を連続して開催するなど、行財政改革についての論議がさらに深まり、筋の通ったものとなるように努力してきました。また、全国各地で改革の運動が進むよう各地の若手の人々と交流を深め、各種のシンポジウムや講演会などにも参加・協力してまいりました。97年5月には、経済界や研究者、市民団体などと協力して市民立法機構を設立いたしましたが、こうした場を設けることによって、さらに多くの人々の参加のもとに、新しい日本の政治・行政・社会システムづくりの運動を行っていきたいと思います。
 

 また、行革関連の新聞記事データベースを88年から作成し、毎年8月にはそれを取りまとめ加工した「この1年間の行革の歩み」を発表し、ホームページにも掲載して、誰もが自由に利用できるようにしております。このほか、地方分権や規制改革,民営化など重要な課題については研究会を組織して、先導的な議論を行ってきております。

 

 今年は土光臨調発足後20年が経過した年に当たります。丁度土光臨調発足の時のように、財政は危機的な状況にありますが、その解決のためにはこれまで20年間の経験と反省を活かしていくことが何よりも肝心です。私たちは、筋のとおった改革が実現するよう、さらに努力を続けていきたいと思っております。
 


これまでの主な活動

 行革国民会議は1989年7月24日に社団法人として再発足いたしましたが、以来、今日までの主な活動は次のとおりです。
 
1 公開討論会の開催
2 調査報告の発表
3 意見の発表

4 行革関係審議会への参加、協力

5 各グループとの連携

6 その他の日常活動

7 会員ならびに役員

 

1 公開討論会の開催

 当面する重要な問題の検討に誰でも参加すべきだという考え方のもとに、国民会議では一般参加の公開型の討論会を開催してきました。とくに、いわゆるシンポジューム形式でなく、参加者全員が発言権をもつ形での討論会が国民会議の討論会の特徴です。最近では、これからのシステム改革にあたって重要な課題を順次取り上げ、議論の積み重ねを行っております。
 
@「政治改革にかんする公開討論会」 (89年9月、12月、90年3月、5月、7月、91年8月、94年8月)
A「透明で開かれた政治・行政システムをめざして」(90年10月、91年2月、6月、93年6月)
B「地方主権」の実現をめざして (90年11月、92年4月、12月、93年4月、94年4月)

C「情報公開法制定にむけて」 (94年10月、95年4月、10月、96年5月、11月、97年9月)

D「これからの東京のありかたについて」(90年4月、92年11月)

E「郵貯問題の解決をめぐって」(92年10月)

F「郵政事業改革と旧国鉄長期債務問題について」(97年8月)

G「景気対策と消費税をめぐって各党議員との討論会」  (93年10月)

H「財政再建と景気対策をめぐって」(97年12月)

I「村山内閣の半年の総括」(95年12月)

J「男女共働社会実現のための税制・社会保障制度の改革」(98年11月)

Kシリーズ「今後の体制選択」

  95年5月「1940年体制の打破と税財政改革」 野口悠紀雄一橋大学教授

      6月「経済構造改革と政治の役割」 佐々木毅東京大学教授

      7月「高齢化社会とパブリックセクター」  岡澤憲芙早稲田大学教授

      8月「行革のイノベーションをどう図るか」問題提起:事務局

      9月「地方分権と財政・社会保障」 宮島洋東京大学教授

     12月「電気通信産業における制度改革」 国領二郎慶応ビジネススクール助教授

   96年4月「教育改革とはなにか」 黒沢惟昭東京学芸大学教授

      6月「地方分権推進委員会の1年とこれから」 西尾勝東京大学教授

      8月「行革委員会の1年半とこれから」 田中一昭行革委事務局長

      10月「イギリスの行政改革」 竹下譲神奈川大学教授

  97年1月「新たな官民役割分担をめぐって」 奥野正寛東京大学教授

     4月「国鉄改革10年の成果と展望」 松田昌士東日本旅客鉄道社長

                            小池明夫北海道旅客鉄道常務

       6月「規制緩和小委員会の活動とこれからの戦略」  宮内義彦オリックス社長

      10月「イギリスの行政改革再論」 竹下譲神奈川大学教授

    98年1月「年金制度改革のあり方について」  山崎泰彦上智大学教授

     4月「医療制度改革をめぐって」丹羽雄哉与党医療保険制度改革協議会座長

      6月「これからの行革の戦略と課題」柳沢伯夫自民党行財政改革推進本部事務局長

      8月「参議院選挙の結果をどう見るか」橋本晃和政策研究大学院大学教授

   99年4月「セフティネット論の知的革新」金子勝法政大学教授

     5月「セフティネット論の具体的展開」神野直彦東京大学教授

     6月「EUの統合と国民国家の行方」宮島喬立教大学教授

     8月「規制改革委員会の論点公開について」宮内義彦規制改革委員長

    10月「日本の経済改革・金融システム改革の戦略」山口義行立教大学助教授

    11月「これからの税制のあり方について」八田達夫東京大学教授

2000年3月「日本における医療保障制度のあり方」城戸喜子慶応大学教授

     3月「電力の規制緩和とその影響」植草益東洋大学教授ほか

     6月「財政構造改革について」宮島洋東京大学教授

     7月「これからの特殊法人改革の進め方について」松原聡東洋大学教授

     10月「財政構造改革のシナリオ」大和総研副理事長賀来景英、日本総研調査部長高橋進ほか

     11月「社会保障制度の将来」袖井孝子お茶の水女子大学教授

  2001年5月「構造改革とはなにか」評論家 田中直毅氏

 

 

2 土光臨調20周年記念事業の企画と実施

 1981年に土光臨調が発足して20年が経過したことになる。そこで、これまでの20年の歩みを総括しながら今後の方向を模索するためのプロジェクトを行うこととし、まず2001年4月18日、札幌において第1回土光臨調20周年記念フォーラム「北海道経済の自立に向けて」を開催した。フォーラムでは、松田昌士JR東日本会長、小倉昌男ヤマト福祉財団理事長の記念講演のあと、宮脇淳北海道大学教授、内田和男北海道大学教授、五十嵐智恵子北海道開発問題研究調査会調査部長、並河信乃国民会議事務局長によるパネル討議が行われた。
 第2回のフォーラムは東京で8月に開催、そのときに研究者による「行革20年間の軌跡と今後の課題」を完成させて発表することになっている。さらに、秋には第3回のフォーラムも開催する計画である。
 
 

3 調査報告の発表

@ 行革関連記事データベースの作成と「民間版行革白書」の発表 (毎年8月)
 国民会議の活動の基礎は情報の収集と蓄積です。そのために行革関連の新聞記事のクリッピングを81年の臨調発足以来細大漏らさずに続けております。そのデータべース化は87年12月分から開始し、すでに13年以上の蓄積となりました。これにより、行財政改革、政治改革などに関する記事は、解説、社説なども含めて国民会議のパソコンで自由に検索出来るようになりました。
 その一部は毎年8月、主要項目毎に年表形式で打ち出し、それに過去1年間の行革の進捗状況についての採点表やコメントをつけ、「民間版行革白書」として印刷し配付しております。初期の簡単なものまで含めますと、この「白書」は既に14冊を数えるにいたっており、さらにその充実と有効な活用を研究していく予定です。
 
A 調査報告:行財政改革の新たな課題の発表 (89年12月15日)

 1988年8月に山同陽一・旭リサーチセンター専務(当時)を委員長とする「行財政改革研究会」を結成、行財政改革の新たな課題について89年7月まで論議を続けてきました。その結果を取りまとめ報告書の形にしたものは、12月に新行革審大槻会長へも提出するとともに一般公表をいたしました。地方分権と行政の透明性確保を強調していること、国際化への対応として国内の諸制度・諸政策を国際的に通用するものに改めるとともに日本社会の国際化(内なる国際化)をはかる必要があることを強調したことが特徴です。この考え方は、90年10月に発足した第3次行革審の基本路線となりました。

 

B 調査報告「地方主権の提唱」の発表 (90年11月28日)

 恒松制治獨協大学教授(当時)を座長とする「地方分権研究会」を89年11月に組織して、地方分権の抜本的な推進策について議論を始めました。とりあえずの1年間の議論の結果は「地方主権の提唱」としてとりまとめ、90年11月に開催の「地方主権公開討論会」において公表いたしました。地方分権ではなく地方主権をめざすべきこと、地方自治法を大幅に書き直して地方主権基本法とすること、共同税の導入により地方交付税と補助金を廃止すること、将来、連邦制をめざすべきことがその内容です。この報告書は、今日の地方分権論の出発点となりました。

 地方分権研究会はこの報告を機に「地方主権研究会」と名称を改め、連邦制への移行を中心にさらに議論を続け、その成果は「連邦制のすすめ」として93年4月に学陽書房から出版いたしました。

 

C 調査報告「これからの東京のありかたについて」の発表  (92年4月27日)

 90年11月に磯村英一都立大学名誉教授を座長として発足した東京問題研究会は、東京をめぐるさまざまな問題の検討を続けてきました。91年秋になって国土庁の首都移転問題の検討が進み出しましたので、こうした情勢を踏まえて、とりあえず「首都移転と移転後の東京」という問題意識で中間報告「これからの東京のありかたについて」をとりまとめ、それを叩き台として92年4月27日公開討論会を行いました。

 地方分権の推進の契機として遷都論は有意義であると認め、遷都とともに都市の成長管理の思想を盛り込んだ新しい東京づくりを提唱したものです。

 

D 「パイロット自治体への参加のお勧め」の作成と配付  (92年12月7日、93年4月20日)

 92年6月、行革審は「地方分権特例制度(パイロット自治体制度)」の創設を提言しましたが、この制度に対する自治体の関心はさほど高くはありません。そこで、この制度の不十分なところは不十分だと認識しながら、そのうえで最大限の活用を図り地方分権の突破口をあけていく戦略が必要になってきました。こうした見地から、国民会議では92年12月、「パイロット自治体参加のお勧め」を作成し、12月7日の公開討論会で配付いたしました。その後、政府が93年4月に実施要領を発表いたしましたので、それを踏まえた改定版を制作、4月20日に再度自治体関係者にも呼び掛けて公開の討論会を開催致しました。

 

E「連邦制のすすめ」の出版  (93年4月)

 「地方主権研究会」では、一般向けに地方主権、連邦制について解説した本の出版を計画し、91年11月から検討に入り、93年4月、学陽書房から恒松制治編著という形で「連邦制のすすめ」を出版しました。

 

F「日本連邦基本構想」の発表 (94年4月27日)

 「地方主権の提唱」「連邦制のすすめ」で述べた考え方をさらに発展させ、純化させた形で「地方主権研究会」では94年4月に「日本連邦基本構想」を発表いたしました。ここでは、主権者である市民を代表するものとして3層の政府を設けること、それぞれの政府は3権が分立していること、選挙でえらばれたものが意思決定権をもち、政府と当局とは峻別すべきこと、政府のコントロールは選挙などの直接手段と市場による間接手段によることなどの原則を明らかにし、そのうえで3段階の移行戦略を述べたものです。なお、同時に、「地方財政改革試論」も公表いたしました。

 

G 雑誌週刊東洋経済「分権社会の形成」の集中連載 (95年5月13日号〜7月22日号)

 地方主権論の具体的展開を図るため、94年秋より、社会保障、都市計画、教育、環境などの分野からの研究者集団の結成を行い、それぞれが分担執筆した論文を雑誌「週刊東洋経済」の5月13日号から10回にわたって短期集中連載しました。分権論を政策論として展開した数少ない試みです。

 

H 東洋経済「分権社会の創造」の出版  (96年4月)

 雑誌「週刊東洋経済」に短期集中連載したものを大幅加筆を行い、96年6月には「分権社会の創造」として出版しました。

 

I 日経新聞「基礎コース」の執筆 (96年4月23日から5月28日)と出版(99年2月)

 上記研究集団の有志により、96年4月から6月にかけて「地方分権の論理」を30回にわけて日本経済新聞の「基礎コース」欄に執筆しました。

 また、この連載を元に、その後の地方分権推進委員会の勧告などを織り込んで書き直したものを99年2月、イマジン出版から出版しました。

 

J 東洋経済「行政改革の仕組み」の出版 (97年10月)

 政府の財政構造改革会議や行政改革会議の議論によって行政改革の内容が矮小化されないよう、国民会議での議論を踏まえて行政改革についての基本的な考え方および重要課題について概説した本を並河事務局長の名前で出版しました。

 

 

4 意見の発表

 国民会議は、発足以来、その時々の出来事に対して意見を発表してきました。その主なものを記せば次の通りです。
@ 緊急意見「新行革審最終答申にむけて」(90年3月30日)
 90年4月にまとめられる新行革審の最終答申のもととなる行財政改革推進委員会報告が3月20日に発表されましたが、その内容が極めて微温的なものであったので、理事懇談会を開催し、緊急に意見をまとめ行革審会長に提出いたしました。その内容は、@租税負担率の上昇に強く警告を発すべきである、A財投債の構想は削除すべきである、B民営化の方針を強く打ち出すべきである、C規制緩和のための実行計画を盛り込むべきである、Dポスト新行革審には思い切った発想の転換が必要である、などというものです。
 
A 「当面の行革課題と第3次行革審の役割について」 (90年6月26日)

 90年6月14日に開催された第1回総会の席上、日米構造協議への対応や第3次行革審の構成・運営などについて多くの意見が出され、これをまとめて関係先に申し入れるべきだということになりましたので、第3次行革審設置法が参院を通過・成立しました6月26日、海部首相、塩崎総務庁長官などに意見を提出いたしました。その内容は@日米構造協議を契機に国内の諸制度・慣行の抜本的な改革に取り組むべきである、A第3次行革審の委員の選考にあたっては人心を一新させ、国民の信頼を回復すべきである、などというものです。

B 「これからの証券市場行政について」の意見発表 (91年8月21日)

 91年8月2日の第4回総会において、証券不祥事問題について大いに議論がおこなわれましたので、その際の議論を整理要約し、大蔵省から独立した市場監視機関を設立すべきである趣旨の意見の形にとりまとめ、8月21日、行革審に提出し、公表しました。

 

C 緊急意見「新政権に望む」「新衆院議長副議長に望む」の発表 (93年8月13日)

 細川政権と土井衆院議長が誕生したのを機会に、行財政改革の断行と国会の機能回復(国会による行政の監視体制の整備)を中心に緊急意見を纏め、磯村代表が細川首相、土井衆院議長に面会して直接申し入れを行いました。

 

D 意見「パイロット自治体制度の運用改善について」の発表  (93年12月9日)

 国民会議では、別掲のとおり、自らパイロット自治体会議を結成し、パイロット自治体制度の運用が当初の期待通りになるかどうか重大な関心をもって見てまいりましたが、関係の自治体の意見によれば、とくに都道府県の対応に問題が多いことが判明致しましたので、93年12月9日、標記の意見をとりまとめ、細川首相に提出いたしました。都道府県との事前協議を廃止し、なまの意見がストレートに提出できるようにすべきだというのがその主張のポイントです。

 

E 情報公開法5原則の発表 (94年10月 情報公開法制定推進会議)

 情報公開法制定推進会議発足にあたり、これから制定する情報公開法として守るべき5原則を定め、これを発表するとともに行政改革委員会にも提出いたしました。5原則の内容は@知る権利の保障を法の目的とする、Aすべての行政機関、特殊法人を対象機関とし、職員が職務上作成・取得した資料はすべて公開請求の対象とする、B公開を原則とし、非公開の範囲は必要最小限に明確に定める、C「何人」にも請求の権利を認め、利用しやすい制度とする、D迅速かつ公正な再審査の出来る救済機関を設ける、というものです。

 

F 情報公開法モデル大綱案の発表  (95年10月 情報公開法制定推進会議)

 情報公開法制定推進会議では、その後、各方面の意見もお聞きしながら、上記5原則を具体的に盛り込んだ独自の情報公開法モデル大綱を作成、公表するとともに、行革委員会にも提出いたしました。

 

G 地方分権推進委員会の審議に望む  (95年12月)

 地方分権推進委員会の審議が本格化するにあたり、パイロット自治体会議に参加している市町村の立場から、推進委員会に意見を提出いたしました。その要点は、@推進委員会は5年の任期一杯をかけ、腰をすえて改革論に取り組むべきであり、拙速は避けるべきである。A財政の分権が不可欠である、B単に制度をいじるのではなく、政策体系そのものを改革すべきであるなどというものです。

 

H 郵政事業改革への提言(97年8月)

 行革会議における郵政改革の議論が実りあるものとなるよう、国民会議では民営化研究会(座長鈴木良男朝日リサーチセンター社長)を結成、その議論の結果を提言として97年8月に発表いたしました。そのポイントは、@簡保の即時東西2分割と民営化、A郵貯の9分割と段階的民営化、B郵便事業は一本のまま段階的民営化、C特定局の経営形態、経営手段の多様化というものです。これまで築いてきた全国ネットを維持してためにこそ、民営化が必要であるというのが基本的な発想です。

 

I 国鉄改革の仕上げに向かって(97年8月)

 上記民営化研究会は、郵政改革と同時に、旧国鉄の長期債務処理問題についても意見を公表しました。その骨子は、これ以上の債務の累積を防ぐために毎年一般会計から利子分を負担すること、債務はほかの隠れ借金とともに国の長期債務として一元化して国債も含めた管理を行う、新たに必要な財源は国債の定率繰り入れの停止で当面充足させる、というものです。

 

J 男女共働社会実現のための税制・社会保障制度改革案(98年11月、99年5月)

 市民立法機構が専業主婦控除や第3号被保険者の問題をとりあげることとなり、国民会議ではそのプロジェクトを引き受け、97年12月に袖井孝子お茶の水女子大学教授を座長とする研究会を結成、98年11月にはその検討の結果を試案として発表しました。専業主婦控除制度の廃止、第3号被保険者制度の廃止のほか、夫婦2分の年金制度導入や子育て支援策の強化などが特徴的です。さらに、99年5月には、さらに練り直したものを第3回市民立法総会において発表しました。今後は、その具体化を実務ベースで詰めていく予定です。

 

K 税源の移譲と新たな財政調整(地方財政制度改革試案1)(2000年12月)

 国民会議では、後述する市町村主権フォーラムの事務局を引き受けておりますが、その市町村主権フォーラムでは99年夏から自治体の財政担当者による地方財政研究会を発足させ、税源移譲と新たな財政調整制度をめぐって検討を重ね、2000年12月にその試案を発表いたしました。税源移譲の見返りに補助金や交付税を全て返上した場合の各自治体の財源不足を推計し、それを補うための新たな財政調整のために枠配分という考え方を導入する内容です。

 

 

5 行革関係審議会への参加、協力

 発足以来、行革国民会議は行革審や行革委員会、地方分権推進委員会など行革推進機関の活動と密接な関係を保ってきました。委員や専門委員に関係者が参加することはもちろん、これらに参加している民間からの委員、専門委員およびそのスタッフ間の連絡会議等を国民会議が開催し、審議の充実のための努力を払ってきました。こうした非公式な連絡会議によって、経済界、労働界、自治体、研究者間の意見交換・調整などが行われ、運動の継続と前進が図られてきました。こうした各界との連絡調整の仕事は表面には出ませんが、国民会議の重要な役割の一つとなっており、今後もさらに強化していくつもりです。
 
 

6 各グループとの連携

@ パイロット自治体会議の結成 (94年1月)と市町村主権フォーラムへの改組(99年6月)
 パイロット自治体制度は第3次行革審で国民会議が提唱し、実現させたものです。提案するだけでなく、その円滑な実施を図るため、国民会議ではこのパイロット自治体制度への積極的な応募を呼び掛けてまいりました。93年8月末の第1次募集では15自治体が応募いたしましたが、国民会議ではそれらの自治体を中心に93年8月、10月、12月と非公式な連絡会を開催し、制度運用の一段の改善策を中心に議論を進め、その結果は「パイロット自治体制度の運用改善について」という意見書としてまとめ、93年12月9日に細川首相あてに提出いたしました。
 その議論の過程で、しっかりした組織を作り永続的な運動を展開すべきだとの意見が出され、94年1月、代表世話人は掛川市長の榛村純一氏、事務局は国民会議の事務局が担当という形でパイロット自治体会議が発足致しました。95年7月には、積極的に第3次応募を各自治体に呼び掛けるとともに、これまでの申請とそれに対する指定の結果をまとめ、制度改善の必要性を訴えた「パイロット自治体制度に新たな息吹をーパイロット自治体制度への応募のお勧めー」を作成し、各方面に配付いたしました。
 なお、パイロット自治体制度は98年度で終了しましたので、パイロット自治体会議は99年6月に市町村主権フォーラムへと改組し、今後も実験的な自治体の連絡の場として、地方分権推進に先駆的な役割を果たしていきたいと考えています。
 

A 情報公開法制定推進会議の結成  (94年10月)

 情報公開法制定の検討が具体的なスケジュールにのぼってきたのにともない、これまで制定をめざして運動を続けてきた市民グループとの連携を深めるため、各界の参加を得て、94年10月24日、「情報公開法制定推進会議」を結成しました。

 推進会議では10月24日に関心をもつ各党議員も招いて、「いまなぜ情報公開法か」とシンポジュームを開催、その後、そこでの意見を「情報公開法5原則」としてまとめ、その後、95年3月に行革委員会内に情報公開部会が設置されると、部会専門委員とも連携をとる一方、4月6日には「5原則」の具体化をめぐって討論会を開催いたしました。その後、推進会議では95年10月23日に情報公開法モデル大綱を策定・公表、また、96年4月の部会中間報告に対しても意見を提出するなど、側面からの協力を行って参りました。

 情報公開法要綱案は96年12月に答申され、法律は99年5月に成立し、2001年4月から施行されることになりました。国民会議としては、その運用の監視とともに制度の活用についてさらに引き続き議論を行っていく予定です。

 

B 市民立法機構の結成 (97年5月)

 行革国民会議は発足以来いろいろな市民団体とのつながりを深めて参りました。そうした改革をめざす多くのグループの連係を図るとともに、それを具体的なシステム改革に結びつけていく組織として「市民立法機構」を設立する構想を95年秋から進め、96年10月には設立準備会を開催、97年5月に市民立法機構は正式に発足いたしました。

 立法機構は、自治基本法やNPO法案などの一般的な法律だけでなく、リターナブル瓶の使用促進、特別配偶者控除や3号被保険者問題、寄付税制のあり方など、具体的な問題も取り上げ、さらに国だけでなく自治体の条例にも力点を置いた活動を行う予定です。

 

C 地方主権全国フォーラムの開催  (92年10月〜)

 地方分権の議論を各地域の市民から起こそうと92年10月の福島県いわき市での開催ではじまった地方主権全国フォーラムはほぼ半年に1回の割合で榛南、八戸と続き、94年7月には柏崎市で第4回を重ね、そのあと95年10月には帯広、97年7月には新潟県清里村で第6回フォーラムが開催されました。その後、活動は中断しておりますが、今後も各地の有志の協力を得て、具体的な問題に即した分権論の展開を行っていく予定です。

 

 

7 その他の日常活動

 行革国民会議には、民間の立場から行財政改革全般に対して専門的に扱う組織として、マスコミも含めてあちこちから各種の相談が持ち込まれております。また、各地の自治体や若手の人々の地域活性化の戦略づくりなどの助言も多くおこなっており、こうした人々の東京における溜り場の役割も果たしています。地域発展計画や行政診断や規制緩和の進捗状況調査や地域金融システムの構築などの委託調査も行ってきました。
 また、会員に対しては月1回「行革国民会議ニュース」を発行しておりますが、国民会議の活動の報告だけでなく、その時々の重要な出来事についてのコメントを掲載して国民会議としての主張を明らかにしております。また、インターネットにもホームページを開設し、情報発信機能を強化しています。
 

8 会員ならびに役員

 2001年8月現在、個人会員は101名、維持会員は71社(団体)です。
 なお、発足以来代表を務めてこられた磯村英一都立大学名誉教授は97年4月に逝去され、そのあとは恒松制治前獨協大学学長が代表に就任されています。
 
 
社団法人行革国民会議 役員名簿
            2001年8月現在

代表 恒松 制治  前獨協大学学長
理事 阿島 征夫  金属労協事務局長
井上 義國  ダイキン工業特別顧問
   今井  敬  経済団体連合会会長
   小倉 昌男  ヤマト福祉財団理事長

   加藤  寛  慶応義塾大学名誉教授

   草野 忠義  自動車総連会長

   亀井 正夫  住友電気工業相談役

   河内山大作  化学エネルギー鉱山労協議長

   鈴木 良男  旭リサーチセンター社長

   高木  剛  ゼンセン同盟会長

   得本 輝人  国際労働財団理事長

   松田 昌士  東日本旅客鉄道会長

   宮内 義彦  オリックス社長

   吉井 眞之  造船重機労連委員長

   鷲尾 悦也  連合会長

理事兼事務局長

   並河 信乃  行革フォーラム代表

監事 和田 龍幸  経済団体連合会事務総長

   笹森  清  連合事務局長

 

顧問 宇佐美忠信  富士社会教育センター理事長

   牛尾 治朗  前経済同友会代表幹事

   齋藤英四郎  経済団体連合会名誉会長

   山同 陽一  元旭リサーチセンター相談役

   豊田章一郎  経済団体連合会名誉会長

   平岩 外四  経済団体連合会名誉会長