日本連邦基本構想


 

1994.4.27

 

行革国民会議

地方主権研究会

     


目  次

 

     はじめに
     1 連邦制の原則と3層の政府                  1
     2 3権の分立と分権                        2
     3 政治の復権                           10
     4 主権者によるコントロール                  12
     5 経済的基盤                           14
     6 世界政府との主権調整                    16
     7 地域区分の考え方                       20
     8 移行戦略                            22
     おわりに                               25


 

はじめに

 

 本稿では、「日本連邦」の、いわば完成予想図を示す。「地方主権」と「連邦制」の方向へ改革を徹底的に推し進めていった場合、究極的にはどんな姿になるのか。それを描いてみる。

 必要とされる改革の規模と深度と射程とを明らかにするためにである。広さは「一部」、深さは「表層」、長さは「当面」という弥縫策をいくら積み重ねても改革は実現しない。現実的に見えることは現実的ではない。

 大胆で明快な到達目標を掲げ、その目標を達成すべく戦略を練る。そうしてはじめて現実は変革される。不確実な未来のなかに道が拓ける。本稿の最終節には、移行戦略の大筋も付しておいた。

 本稿は1990年11月に発表した「地方主権の提唱」の論旨をさらに具体化させたものである。議論の参加者は巻末に記した通りであり、とりまとめは後藤仁氏が行った。今後さらに、税財政の改革案や主要な政策の組みかえについても、試案を発表していきたい。

 

          1994年4月                       (社) 行革国民会議
                                        地方主権研究会
                                        座長  恒松 制治


 

1 連邦制の原則と3層の政府

 

 連邦制のもとでは、日本社会の内部に3層の政府が成立する。すなわち、第1の政府としての「市政府」(MunicipalGovernment)、第2の政府としての「州政府」(State Government)、第3の政府としての 「連邦政府」(Federal Government)である。

 これらの政府は、次の原則に従う。(図−1)

@ 主権在民の原則 

 主権は国家にではなく、「個人」に、一人ひとりの「生活者・市民」に由来する。主権者の信託にもとづいて代表が選ばれ、「政府」が創設される。3層の政府(市、州、連邦)の間の分権関係およびそれぞれの政府内の3権(立法府、行政府、司法府)の分立関係も、究極的には主権者が決定する。主権者から選出された代表のみが、政府の成員になれる。内閣や首長は政府に属するが、省庁や部局などのいわゆる「行政」は政府の補助機関にすぎない。主権者は政府を通じて行政を制御下におき、仕事を代行させる。

 

A 小さな政府の原則 

 政府は「社会」のいわば一隅を占めるだけであり、社会全体を覆うことはない。行政も小をもって良しとする。3層の政府のいずれにおいても、市民社会の成熟と市場の整備とが進むにつれて、政府が行政に直営で執行させる仕事は縮小される。安くあげるためにではない。政府と行政は権力でもあり、権力はとかく肥大しがちで、肥大した権力は必ず腐敗するからである。個人の尊厳と人権が侵害されないように、権力は法治に、「法の支配」に服さなければならない。個人の創意と自治は尊重されるが、権力の恣意と人治は排除される。

 

B 補完性(Subsidiarity)の原則

3層の政府のなかで、市民生活の現場に一番近いのは各地方の「市政府」である。この政府は、また、「地方政府」(LocalGovernment) とも呼ばれる。個人は、まずそこに主権を託し、権限と財源を与え、必要な仕事を、かつ必要な仕事のみをやってもらう。「地方主権」が唱えられるゆえんである。そして市政府を州政府が補完し、さらに州政府を連邦政府が補完する形で、仕事が配分され、主権が移譲される。主権者の自己統治体としての政府のシステムが、基礎から積み上げられ、組み立てられていく。ただし、3層の政府の間には、上下・優劣といった順序関係は存在しない。また、どれが「中央」ということもない。


2 3権の分立と分権

 3層の政府は、いずれも大きくはないが立派な政府であり、それぞれに3権(立法府、行政府、司法府)を有する。3権は分立されかつ分権される。主権者は政府をいわば分割して統治する。

@ 立法府(図−2)

 市、州、連邦、どのレベルの政府にも共通して、立法府としての衆議院(下院)がおかれる。選挙制度については、それぞれの政府が独自に決定でき、また変更できる。小選挙区制、比例代表制、あるいは両者を組合せた並立制、併用制など、一長一短である。主権者の意見の「反映」ということと、主権者による政権の「選択」ということのバランスで、どれかに決める以外にない。いろいろ試みてみて、まずい点があれば直していけばいい。

 連邦制ならではの立法府が、州と連邦レベルの政府における参議院(上院)である。州政府の参議院は州内の各市政府を代表し、連邦政府の参議院は連邦を構成する各州政府を代表する。

 図−2では、州政府の参議院は市政府の衆議院から、連邦政府の参議院は州政府の衆議院から選出されるようになっているが、他の型もありうる。例えば、行政府の長である市長が州の参議院に、州首相が連邦の参議院に加わるケースもあろう。市長や州首相の与党が少数である場合には、与党代表がいくのか、多数党代表がいくのか、それとも分け合うのか、ややこしい問題が出てくるが、そのルールはそれぞれの政府が決定することになる。また、各市から一律何名、各州から一律何名といったように、主権者が州と連邦の参議院議員を直接に選ぶことも、もちろん認められる。

 両院の間の関係については、衆議院(下院)を第1院とし、参議院(上院)を第2院とする。ただし、連邦政府と州政府との関係や、州政府と市政府との関係に係わる事項については、参議院に拒否権を含めた強い権限を与える。

 3層の政府それぞれは、自前の憲法をもつ。憲法にもとづいてどの政府が基本的にどの分野に責任をとるのかという、いわば「高権」についての一案をも図−2には示されている。

 この案の特徴は、市政府の高権として、文化と福祉を掲げたことである。この文化と福祉の分野において、具体的な個別の法体系をもつことができるのは市政府だけで、州政府および連邦政府は基本法というか基準法というか、一種のミニマム法のようなものしか制定できない。

 都市、環境、教育の分野では、市政府を主とし州政府を従とする形で「高権」が分けられる。ここでも、連邦は基本法ないし基準法しか制定しない。市と州の役割は、都市や環境については、基本的なものは市がやるが、広域的なものは州がやることとする。教育については小、中、高は市、大学、大学院は州とする。一般に、市法は州法に比べて、いわゆる上乗せ、横出しによって、より厳格になってもいい。いずれにせよ、個別具体的なものについては市が優先権をもつ。

 逆に市が主権を移譲して州にまかせてしまう分野もある。一つは治安関係で、市には独自の警察機構を設けない。もう一つは「州土」の建設関係、つまり州全域にわたる交通とか通信などのインフラ・ストラクチャー整備で、これは州の責任となる。

 連邦は、連邦全域に係わる治安や建設関係には責任をとる。また、連邦政府にすべての責任があること、連邦だけがやることとしては、厳密には安保と通貨と検察だけでいいのでないか。安保とは軍隊であり、州は軍隊をもたず、連邦一本とする。通貨も、どの州も円を使うということで一本化する。さらに、民法、刑法、訴訟法など一般法の運用は、連邦にまかせる。それにともない、検察関係も連邦にゆだねる。

 それ以外の分野、外交、経済、労働、科学、医療といったところは、仕事の性質に応じて市と州と連邦が分担をする。生活に身近なことは市がやる。しかし、これらの分野では多くのことは州が中心になってやっていいと考える。現在都道府県が扱っている分野は市政府に、現在国が扱っている分野は州政府に、ほとんどが移譲される。外交も、国対国の外交は連邦政府にゆだねるにしても、州対州、市対市という外交が増えてくる。

 医療については、1次、2次医療は市の責任であるが、患者発生の確率からいっても、3次医療は州の責任にして広域的なものにしておいたほうがいい。さらに、医学の基礎研究のようなものは州がかなりやってもいいわけであるが、やはり連邦が中心という仕分けになる。例えば、脳の手術は州レベルでいいとして、脳の基礎研究は集中的に連邦立の機関が取組む必要がある。一方、福祉に近い医療は、福祉に統合して市で行うことになる。

 文化についても、いまは国立とか都道府県立の施設があるわけであるが、これは立地点の市に移管してしまう。

 思い切ってこのぐらいの、構造上・立法権限上の仕分けをしてみようということである。

 

A 行政府(図−3)

 市政府、州政府、連邦政府の行政府が、みな画一的に同じ型である必要はまったくない。

 まず市政府の行政府であるが、これはまさに多種多様、いろいろなタイプがありうる。市の市長を直接選ぶ大統領制でもいいし、市の立法府だけを直接選び、その議員のなかから市長を選ぶのもいい。また、議員のなかから市の内閣に相当する「参事会」を選んでその代表を市長にするとか、あるいはその逆に市長が参事会をえらぶとか、どちらでもかまわない。また、シティマネジャーをおいてもいい。それも市長が任命する場合もあるだろうし、市の参事会が任命する場合もある。要するに、市の行政府のつくり方については、市の規模だとかその他のことを考えあわせて、それぞれの市の憲法にもとづいて自由に決めていく。

 連邦制のもとでは、州が現在の主権国家に相当する。実際は、主権を連邦政府、さらには世界政府にも一部渡すことになるので、これまでの「普通の国家」とは若干ちがってくる。しかし、州政府は、基本的な政治単位として極めて重要な役割を果す。そこで州政府の行政府を担う州首相は、大統領制でどうかと考え、主権者から直接選挙で選ばれこととした。

 連邦政府の行政府は、現在の議院内閣制を続ける形になっている。連邦には、あまり強い政府はいらないのではないか。現状ではまずいが、議院内閣制をきちんと働かせるようにすれば、もう少しましな行政府がつくれるはずである。主権者は連邦の衆議院議員を選び、そのなかから連邦の宰相が選ばれる。また、宰相を中心に内閣が組織され、それを宰相が指揮する。そうした基本型を現状から大きく変更する必要はない。

 なお、「行政府」と「行政当局」とは区別されなければならない。この点は後にもう一度詳しく触れるが、ここでは行政当局の現地事務所(いまは「地方出先」と呼ばれている)について、図−3のような整理をしておきたい。

 行政は、立法以上にさらに徹底して、市民の身近な政府にまかせることが基本である。ほとんどの行政実務は市がやる。市の補完はまず州がやる。したがって、連邦行政当局の市レベルの現地事務所は原則不要となる。連邦行政当局の州レベルの現地事務所と、州行政当局の市レベルの現地事務所も、ごくわずかなものに限定できる。

 そのうち警察は、キャリア・システムなどモラールの面からも手直しされるかもしれないが、だいたいは現在のシステムを継承する。連邦に警察庁があり、各州に州警本部があり、市レベルに州警本部の現地事務所としての警察署があるという形である。

 税務については税体系の改革は不可避であるが、徴税機構は現行のものを活用して、ほぼ警察と同型なものに再編できよう。交通や通信のインフラストラクチャーを整備する建設関係については、連邦行政当局の州事務所、州行政当局の市事務所があってもいい。

 軍隊と検察であるが、これは連邦だけが取扱う仕事なので、例外的に市レベルにも連邦行政当局の現地事務所がおかれることになろう。

 それ以外には、連邦と州の行政当局の現地事務所は全廃してもなんら困らない。困らないように行政改革をすればいいのである。逆に、海外事務所は、連邦のみならず、州や市も開設して当然ということになる。

 

B 司法府(図−4)

 次は司法府であるが、これも思い切って3層の政府がそれぞれ司法府をもつことにした。ただし、一般法についてはすべて連邦に委ねるので、連邦の憲法裁判所とその下級審である控訴審と初審裁判所とがあるという現在の体系を変えない。

 一般法関係とは別に、行政裁判所の体系を整え、これについては市政府、州政府、連邦政府それぞれに行政裁判所を設ける。上訴の関係も、主権者である市民が市の行政についての訴訟をおこす場合には、まず市の行政裁判所にいき、その判決に不服であれば市の憲法裁判所に上訴することになる。ただし、市と州の行政両方にまたがる問題で係争になり、市の判決に不満で州もさらに考え直せ、州の基本法レベルで考え直せという事になった時は、州の行政裁判所に持ち込むことになる。州の行政に関する問題は州の行政裁判所にいきなり持ち込み、州の憲法裁判所が最終審となる。ただし、連邦にも関連することであれば、連邦の行政裁判所をからませることもできる。連邦の行政裁判所は連邦の行政に関することを扱い、決着がつかなければ連邦の憲法裁判所に上訴できる。

 一般法については連邦立の裁判所しかないが、行政法については市立、州立、連邦立の行政裁判所がそれぞれあるという司法府の3層制を導入したわけである。福祉とか労働など分野別の裁判所もありうるが、ここでは行政裁判所に集約した。このメリットは、いままでほとんど門前払いとなってきた行政関係の訴訟が、それぞれ分権的に迅速に処理されることである。ただし、原告適格とか挙証責任をめぐって、主権者の側に立った司法改革が同時に必要であり、これは一般法についてもいえる。

 このシステムに要する裁判官をどう調達するかという問題はあるが、そんなに大袈裟に考えなくてもいい。陪審員制度を活用してもいいし、場合によってはオンブズマンに近いものでもいい。ただし、行政委員会のようなものではなくて、簡素でいいからあくまでも司法府でなければならない。


3 政治の復権

 ここで章をあらため、3層の政府内の立法府と行政府について、政府と当局との関係を明確にしておきたい。(図−5)

 まず、市政府であるが、立法府と行政府との関係が多種多様であるのに応じて、政府と当局との関係についても多彩な組み合わせが考えられる。図−5のモデル1は内閣がなく、市長だけで行政府ができている。市長は市の立法府である衆議院から選ばれるが、市の衆議院自体がわずか5〜6人の議員から構成される。こうした極めて簡素な政府のもとに市の行政当局である部局がおかれる。立法府の衆議院の代表を市長にして、その他の議員が部局の局長を兼ねることができるようにすれば、内閣はいらないのである。あるいは、部局の運営は職員にまったくゆだねてしまってもいい。いずれにせよ、市の衆議院の人数が少ない場合には、こういう形になる。これでも立派な政府であり、政府というのはなにも仰々しいものとはかぎらない。

 モデル2はシティマネジャーを最大限活用しようというものである。市の衆議院(これは人数のちょっと多めの議会になる)が、10人程度の参事会をもつ。この参事会の議長が市長になり、市の元首として対外的な関係などの任務にあたる。そして実際の経営は、シティマネジャーを雇用してことにあたらせる。シティマネジャーが部局を統括する。シティマネジャーは、政府ではなく行政当局に属する。それさえ間違えなければ代表制民主主義は守れるが、シティマネジャーを政府に入れて考えてしまうと代表制民主主義は崩れることになる。全体として、本稿での議論は、代表制民主主義をできるだけ厳格に適用するという原則に立っている。

 このほかにもいろいろモデルがありうる。もちろん、かなり大きな市の場合には、州政府とおなじ大統領制をとってもいいし、連邦と同じ議院内閣制をとってもいい。

 州政府は大統領制ということになるのであるが、当局については、現状では行政当局1つしかない。これを3つに分けてバランスをとろうというのが、ここでの考え方である。首相は、州の行政当局である部局を統括するのであるが、同時に自分の首相府をもち、部局とは別の首相のスタッフがここにつめる。議会も衆参両院あるわけであるが、それぞれ議会スタッフを自前で雇う。いまの都道府県、市町村の議会事務局は行政当局の一部であるが、そうではなくて議会スタッフを独立させる。いまのような状況では議会は行政当局に太刀打ちできない。いい政府をつくるには、いい議会がなければならない。

 この制度のポイントは選ばれた政治家−州首相と議員−が自分のスタッフをもつということである。大統領制の場合には、これがない限りうまく機能しない。

 連邦政府は議院内閣制であるが、行政当局である省庁は「省」と「庁」との分離してしまう。内閣に属するいわゆる国務大臣は総合調整をやる大臣で、行政当局の大臣ではないということにする。国務大臣が指揮する「省」も、個別の行政実務を行なわない、調整当局となる。その分野は、大きく外務、法務、生活、環境、経済、財政とする。一方、行政実務を行うのは「庁」(Agency)で、この長官は閣外相とする。例えば、「外務省」は外交、安保、通貨などの政策調整を担当し、旅券の発給などの実務は「外交交流庁」の仕事となる。実務を担う庁は、連邦政府の仕事を代行する機関であるから、その長は別に政治家である必要はない。庁のコントロールは省が行なえばいい。こうした実務の分野としては、外交交流以外に安保防衛、法務検察、治安警察、医療保健、基盤建設、雇用労働、産業経済、科学技術、財政金融、税務会計などが挙げられる。省の場合は、大臣、副大臣、審議官をおいて政治家が大量に進出することにしてもおかしくはない。しかし、庁は実務的な執行に専念する。ただし、実務現場からも政策は生れうるし、そのことは歓迎すべきであろう。

 それ以外に、連邦の宰相府を強化しなければならない。連邦の衆参両院にも、当然議会スタッフが必要である。ここでも、行政当局と宰相府と議会スタッフとがそろうことになる。このくらいでないと行政官僚国家は直らない。

 全体としては3権分立なのだが、あえて順序をつけるならば、代表制民主主義の原理からいって立法府が第1となる。いまの憲法でも国会が国権の最高機関となっているが、これは分権化し連邦制になっても変りはない。政治の復権には、立法府の強化が決定的に重要である。

 この点で、政府委員の答弁はぜひ廃止すべきである。議会は公論の場であるから、主権者の代表同士、選良同士が議論するのが筋である。市政府、州政府においてもおなじである。だいたい、政府委員という言葉がおかしい。政府ではなく当局委員にすぎない。

また、議会の会期も、いまは短すぎる。議会の会期と議員の任期を一致させるのも一案である。議会の権限を強めると同時に、ちゃんと働いてもらうことが大事である。


4 主権者によるコントロール

  連邦制の最大のメリットは、政治の責任と政府の役割が目に見えやすく、分りやすくなることである。連邦制の導入を機会に、主権者による政府へのコントロール権を強化すれば、このメリットはさらに生きてくる。 (図−6)

 現在も、主権者は立法府にも行政府にも司法府にも直接のコントロールを及ぼし得るようになっている。例えば、最高裁判所の裁判官に対する国民審査が行なわれている。しかし、これなどはほとんど形骸化しており、もう少しきちんとした形に整えていかなければならない。もちろん、司法府の裁判官をいちいち主権者が任命するわけにはいかないので、行政府が任命しそれを立法府が承認するというような間接的なコントロールを行なうことも必要になる。主権者のコントロールのルートとしては直接のルートと間接のルートとがあるわけであるが、しかし基本は直接のルートである。そもそも政府とは、自立した市民の自己統治体なのである。

 直接のルートとして一番大切なのは被選挙権である。主権者である生活者・市民は、自分の同僚である生活者・市民を代表に選ぶこともできるし、また、同僚から自分が代表に選ばれることもできる。なるべく多くの人材が被選挙権を行使できるように、予備選挙など候補者選定の方式も改革すべきであろう。先にふれたように、名誉裁判官あるいは陪審員という制度も使って、司法府に対しても被選挙権というレベルでコントロールを強めていかなければならない。

 なお被選挙権と選挙権を行使できる成人の年齢は、18歳に引下げる。外国人に対しても、連邦政府レベルでは国籍問題がからむから一挙にはいかないかもしれないが、少なくとも市政府、州政府に関しては国籍のあるなしにかかわらず納税者であれば参政権を認めていいのではないか。

 選挙権に関しては、普通、投票権だけが問題となるが、選挙制度の改革のなかで、個人が票も出すし、お金も出すし、人手も出すようにすることが重要である。これはいまは全部業界団体、生産者団体がやっていることである。しかし、本来は個人がやらなければならない。ただし、個人が票だけでなくお金を出せるようにするためには、個人献金について税制上の工夫が必要になる。さらに選挙運動も自由化しなければならない。戸別訪問も完全に自由にしてしまっていい。個人がきちんとやるんだというようにしたほうがいい。

 それから直接投票制も充実させる。市政府においてはあらゆることについてイニシアティブを認め、基本法についてはレファレンダムを認める。州政府においても基本的な法についてはイニシアティブやレファレンダムを認める。連邦政府にも場合によってはレファレンダムがあってもいい。ただ、対象分野は市が一番多く、州は中間、連邦は限られた分野ということにならざるをえないのではないか。これに関連して、首長や議員の任期制の問題がある。原理的には大統領制の州首相の任期は、州の議会では決められない。州憲法にもとづく州選挙法改正をイニシアティブかレファレンダムで行なって決定することになろう。

 もう一つ大事なのは情報アクセスで、記録は公開、とくに議事録は全面公開しなければならない。しかも、ただ公開するだけでなく、整理して検索しやすくする。国会新聞をつくろうという話もあるようだが、いわゆる業界紙ではなく、また、おざなりの政府広報でなく、それぞれの政府が公開の見地から出すことが必要である。議事録だけでなく、議会への提出資料もちゃんと公開されなければならない。さらに、映像の放映も自由にしないと現在のメディア状況に遅れてしまう。傍聴の自由も当然である。

 このような主権者のコントロールは連邦制にすれば、行使しやすくなる。とくに一番身近な市政府については主権者が強いコントロールを及ぼすことが可能になる。例えば、議会を夜間に開会するようにすれば、議員も傍聴者も仕事の後で集って来られる。そういう議会もあっていいのである。

 政府だけではなく、当局に対しても、主権者のコントロールを強化すべきである。第1は試験制度を経て行政当局や裁判所、首長、議会のスタッフに就任するというルートである。代表になるだけでなく、当局者として就任することも公務に就く権利に含まれる。また、その就任形態もパートがあってもいいし、人生に一時期就任してまた離れていってもいい。この点については、いろいろアイデがありうる。たとえば公務就任休職制というのをつくったらどうか。代表に立候補しやすくすることもあるし、公務員にパートに入るとかいろいろ使い道がある。さらに民間雇用公務員というか、要するに権力行為はしないが、たとえば広報の仕事をするという働き方もある。要するに、もっと自由に公務につけるような工夫が必要なのである。

 第2は、住民監査など監視制度の強化である。

 さらに第3に、主権者が訴訟を提起しやすくする制度も大事である。オンブズマン制度も検討しなければならない。


 

5 経済的基盤 (図-7)

こうして主権者のコントロールを強めていくとして、また、冒頭の3原則に従って小さな政府を志向していくとして、それでも政府にはかなりの仕事をやってもらうことになる。政府は小さくても賢くなければならない。とすれば、それなりに政府にお金と人材を渡さないと仕事はできない。政府を支える経済をどうするかが大きな課題となる。市場を通じて主権者はお金も人材も供給する。そして政府の仕事も市場で評価する。それが基本だし、また、そうせざるをえない。

 例えば、人材の面で政府がいい人材をとろうとしたら労働市場で民間企業と競争することを避けて通れない。労働市場で正々堂々と競争して、組織としての魅力をもとに、人材を吸引する以外にない。

 お金についても同じである。まず、起債についていえば、債券市場でポートフォリオ選択の結果として、政府債が選ばれる。これは市債でも州債でも連邦債でも同じである。基本的には債券市場から調達する。評価も政府債を買う投資家の方がする。そのためには、情報開示、ディスクロージャーが、つまり経営情報の開示が求められる。そういうふうに債券市場の整備を進めるのである。

 さらにハードだけでなくソフトも含めて、プロジェクト単位でのファイナンスが考えられなければならない。これは別に起債だけではない。例えば生保の金をどう使うか、土地をどう活用するか(借地など)、プロジェクトを行う場合のファイナンスの手法を多様化する必要がある。民活がいわれたころの議論がまだ生煮えのままであるが、これをきちんとやって、しかもこのプロジェクト・ファイナンスの権限を、連邦制のもとでは市政府、州政府に大幅に与えるということが、多様な試みを可能にする。そのかわり、失敗の責任はとらなくてはならない。

 そのためには、会計方式に複式簿記を導入することは必須の条件である。現在の行政当局は、「投資」そのものではなく、「投資的経費」の支出しか頭にないようである。資産や資本についての勘定に不慣れなのである。

 税金は強制的にとられるのであり、市場で決るわけではないと考えがちである。しかし、厳密にいえば、家計からどれだけの部分を税金として支払うかの選択権は、実は、主権者がもっている。いやならば納めなくていいように制度を変えられる。税制改革とはまさにそういうことで、「年貢の納め時」は主権者が決めるのである。自分の家計の中から強制的にとられるお金の範囲を主権者が自己決定すると考えれば、ポートフォリオ選択の理論があてはまる。しかも、そのように考えれば、市場で競争していることになる。税金に多く出すという選択と、市場で余計に使うという選択を、主権者が最終的に市場内で意思決定しているわけで、つまり市場で税金の多寡も決められていることになる。

 これを単なる理論でなく現実に近いものとするためには、それぞれの政府のサービスと財源が、主権者に見えやすくなるようにしていかなければならない。まさに、それが連邦制ということである。資産税は市の税収とし、消費税は州の税収とする。所得に係わる税は市と州と連邦が共同で使う共同税とする、といった分りやすいシステムにする。

 ところで、政府は人材を吸収し、お金をつかってなにをするかといえば、社会制度をつくり、社会資本をつくり、社会サービスを提供する。これが政府以外から提供されるサービスにくらべてどのくらい価値があるか。主権者はそれを判断しながら人とお金を政府に供給する。こうした評価をやりやすくするのが、連邦制による3層の政府のシステムである。

 政府は必要があれば市場を再整備する。市場も社会制度の一つであり、そこでのルールの変更を公式化するのは政府の責任である。市場はふだんは自律的に動いているが、時には政府を通して主権者の意志による介入を受けるのである。

 このように政府は頭脳であり市場は肉体であると考えてもいいが、頭脳もしょせん肉体の一部である。政府を市場のメカニズムのなかにしっかり組み込んで、政府の仕事は市場によって評価されることをはっきりさせておかなければならない。市場によって政策が拒否されることが政府にとって一番こたえるというようにしておくのである。個人は、主権者としてと同時に、市場における売り手や買い手としても、政府をコントロールできるわけである。

     


6 世界政府との主権調整

 3層の政府に加え、国境を超えた領域に、「世界政府」にあたるものが形成されることになろう。この世界政府との間の主権調整も、連邦制にとっての一つのポイントになってくる。

 世界政府とは世界国家ではない。世界中央政府でもない。中央集権的な政府をつくるのではなく、連邦政府よりさらに弱い、いわば「連邦際政府」をつくるのである (図ー8)。ここにあまり大きな権限を与えてはいけない。主権者のコントロールが及びにくくなるからである。代表制の見地から見ても、非常に代表性の薄い間接的な政府しかつくれないから、あんまり危ない仕事、とくに自己肥大しがちな仕事はさせないほうがいい。その最大のものは軍事である。軍事官僚制と軍事予算は自己肥大する。

 また、単一の政府にするのは好ましくない。少なくとも4種類くらいの世界政府(国境をこえた機構)があったほうがいい。1つはAPECのような地域的な機構である。日本としては北東アジアを核としながら、ASEAN諸政府、それに太平洋をとりまく諸政府を加えた地域的なまとまりのあるグループを形成し、経済を中心に、徐々に包括的な問題解決のための機構を整備していく。

 2つ目は、地域的な安全保障のための機構。韓、朝両国に中、露、米、日が入った「2+4」ないし、さらに加、蒙も入った「2+6」の枠組みをつくりCSCEにリンクさせていくよう急ぐべきであろう。

 3番目はGATT、IMF、世銀などを統合した貿易・通貨・投資機構。これはしっかりしたものをつくる。自由貿易と通貨の安定、地球規模での投資の促進、それにマクロ経済の調整がその任務となる。ただし世界中央銀行はいらないのではないか。

 4番目はいまの国連を改組した機関。これが一番世界政府らしいといえるかもしれない。かりに「世界連合」と称しておくが、日本がいまのままの国連の常任理事国になるより、国連の機構改革をおおがかりに行なって、新しい世界連合にして、そこで責任を担っていくほうがいい。

 具体的にはヨーロッパ連合政府(EU政府)とほぼ同じ機構でどうだろう(図−9)。その特徴は一種の上院内閣制とでもいうべきものである。EU政府の場合は直接選挙で選ばれるヨーロッパ議会が下院となり、上院は閣僚理事会である。これはそれぞれの構成政府の行政府の代表からなるが、EUへきた場合には立法府に入っていると考えられる。この上院の代表−各構成政府の首脳−がヨーロッパ理事会(サミット)という内閣を構成し、その官房としてヨーロッパ委員会がある。官房が出すぎるという反発があるわけであるが、基本的な骨格はよくできている。代表性もきちんと貫かれている。

 国連もこれに近いものとする必要があり、国連を改組して世界連合をつくったとすれば、その下院は総会となる。そして下院が代表を選抜して上院をつくるのであるが、1つでなく3つの理事会の連合体にしたらどうかというのが、ここでの案である。すなわち平和と安保の理事会、環境と開発の理事会、人権と生活の理事会の3つである。その下に現在の各種の専門組織を統合・整理しておく。これを世界連合の上院とし、総会の下院とともに立法府を構成させる。この上院の中から15くらいの代表を選抜して世界連合の行政府・内閣をつくる。その内閣の官房としていまの事務総長以下の事務局をおく。こうして改組された内閣に日本も入ることにする。それに見合うお金も出す必要がある。PKOにも協力する。ただし、軍事力の行使は遠慮すべきであろう。

いずれにしても、連邦制になっても、なんらかの形で将来早い機会に、その連邦政府の主権の一部を世界政府に移譲することが必要である。

     


7 地域区分の考え方

 連邦制は、文字通りの「国と地方を通ずる」システム改革を意図したものであり、単なる地方制度の改革にとどまるものではない。また、「行政」というより「政府」を問題にする。したがって、行政区域の再編の問題は、さほど重視しない。しかし、この点についても、なんらかの改革が考えられるべきことは当然である。

 まず市町村については、人口規模で市・町・村を区別することはやめて、名称を「市」に一本化する。また、現在の東京都の区と政令市の区も「市」にする。市の総数をいくつにすべきかに関してはなんら基準はない。現在の市町村同士が話合って決めていくことになる。すでに述べたような政府機能を果せる政府になってくれさえすれば問題はなく、大きくてもいいし、小さくてもいい。20万人程度の市が多くなるのかなと考えられるが、5万人程度も使い勝手がいい政府ができるサイズなのかもしれない。合併しなければいけないということもなければ、合併してはいけないということもない。

 州についてはいくつかの案がありうる。1つの案は2州連邦制。東西2つの州をつくるもので、これでも立派な連邦制であるし、やったほうがいい。もう1つは、なんらかの形のブロック制。これにもいろいろ案がある。9電力やJR、古くは軍制にもとづくブロックなどである。これらも検討の対象である。さらにいまの都道府県をかなり尊重する形で、もう少し州の数を多くする案。そのまま州になってもおかしくはない県もある。また、突飛なようだが、通信衛星の電波を送り出す際に日本を13くらいの地域に分けているので、それを参考にするのもおもしろい。 (図-10)

 どれを選ぶかは現在の都道府県同士が話合って決めればいい。広域だから必ずしも優れているとはいえない。領土とそれに伴う人口と資源をなるべく広くほしいというのは、領土国家時代の古い発想である。

 いくつかの案のなかの1つとして、ここで提案したいのは、どの州も太平洋と日本海に面し、必然的にどの州も中央部に山岳地帯をもつというものである。その際、都道府県の分割は最小限とするが、新潟と静岡は割ったほうが自然である。また、すでに一極集中がいきすぎているので、東京も割ってもらいたい。なお、州政府はしっかりした政府ではあるが、それでもそう大きな政府ではないので、州都は州の中心部に機械的においたらどうか。名前もそれぞれ皆で工夫して、北海道は神威州とか、あまり東西南北が出てこないほうがいいのではないか。

 なお、連邦の首都については、東京以外のところへ遷都するという立場をとる。政治の中心として新しい首都ができても、東京地方は世界金融市場などの面で経済の中心であり続けるであろう。連邦制の下では、個人、企業、市や州政府のいずれも連邦政府にあまり依存しなくなっているはずだからである。強い経済を基盤に、独特の都市文化も東京に花開く。しかし、文化の分野では関西方面が中心になる可能性もある。独自の外交関係や経済基盤を開発できるかどうかがその鍵を握る。ともかく、各州間のバランスということを考えすぎないほうがいい。出発点でのハンディは均さなければならないが、到達目標と発展の道筋とは州間で異なってあたりまえである。

 こう考えれば、連邦首都はどこにおいてもさしつかえない。首都に選ばれるところを特別区として州なみに扱うのがよいだろう。


8 移行戦略

 完成予想図は以上の通りであるが、いかにしてそこに接近するかという移行戦略が肝要である。

 小さな改良を積み重ねても、目標達成はとうてい無理である。さりとて全部一挙にというわけにはいかない。そこで、改革を3つのパッケージにわけて、3段ロケットを打ち上げることにした。 (図-11)

 第1段ロケットには、現行の都道府県、市町村の仕組みはいじらないでできること、やるべきことを積み込み、まずは点火、離陸させる。逆にいえば、連邦制にならないかぎり分権はできないという、いわゆる受け皿論はとらない。出発点はあくまで現状、ただしこの段階から将来の連邦制を目指す針路を明確にして、中央集権的な国家の引力圏を乗切って行く。第1段ロケットの中味は、まず第1が政治の復権。つまり、政府と当局の関係をきちんとすること。とくに現在の国レベル(将来の連邦レベル)の改革を進める。政治家の責任を明らかにして、政治家のやれることをやってもらう。それと同時に、第2に国の省庁の権限限定の作業にとりかかる。@政治へ、A市場へ、B地方へ、国の省庁の仕事を譲り渡していく。とくに地方の実験を奨励すること、少なくとも邪魔しないことが大切で、これをどのように担保するかが当面の最大の課題である。第3は、主権者のコントロールを強める手立てとして、情報アクセスの改善に努める。すでに一部の自治体では情報公開5点セットとして、@公文書公開、Aプライバシー保護、B審議会公開、C高級公務員の資産公開、Dオンブズマン、を試みつつある。国レベルでもできないはずはない。

 こうして状況が熟したところで、中央集権的な国家の引力圏から脱出すべく、第2段ロケットに点火する。この段階ではまだ連邦制にはなっていないが、中央集権はかなり崩れてきている。いわば無重力圏での飛行となる。ここでやるべきことは、第1に情報アクセスの改善の徹底とそれ以外の主権者のコントロール権の強化である。市民が自分たちで手ごたえを感じながら改革を進められるようにする。第2に、地方主導で規制緩和を進めること。市場経済と市民社会とへ政府の仕事をどんどん移していく。それを地方から地方独自の判断でやれるようにする。もちろん、環境面なので新たな規制を導入する場合もあるだろうが、それも地方の独自の判断にまかせる。そして第3が経済基盤の政府間再分配、すなわち税・財政・金融制度の改革を進めることが必要である。市町村は固定資産税と軽いものでいいが外形標準の事業税をもつ。都道府県は売上税がいいか付加価値税がいいかは専門家の意見をきくとして、なんらかの形での消費税をもつ。所得税は共同税とする。さらに起債の自由化とプロジェクト・ファイナンスの実現が大事である。これらができて、無重力圏の飛行を乗切ったところで、いよいよ第3段ロケットの点火となる。

 第3ロケットでの改革は、もう連邦制の引力圏に入っているので、大胆に展開できる。第1に憲法を含めて法体系を再編する。市民と政府との基本的な関係を定めるのがまさに憲法であるから、この段階になると憲法改正論は当然である。第2に、世界政府との主権調整をかなり大幅に行なわなければならない。第3に州域もこの段階で確定される。

 こうして、ロケットは「日本連邦」へと着地する。では、連邦制によってなにが変るのか。つまるところは、市民生活が変る。質と品位の高い、世界に開かれた市民生活が実現する。その実現を阻んでいた壁を打破る改革のための政策を、開発・実行しやすくなるからである。

 ある一つの事象、現象、事実をどう受けとめるかによって、異なった問題の立て方が導き出される。例えば、高齢化社会を専ら国家の財政負担という目で見るか、個人の「人世の風景(ライフスケープ)」として見るかによって、異なった課題群が浮び上がってくる。問題の立て方が異なれば、問題を解く方法も異なることになる。更に、一つの問題に対しても、いくつかの解決法がありうる。例えば、環境問題を生態系をそこなわないような化学物質の管理問題としてとらえた時、その解決策は多様に発見・開拓できるであろう。問題を立て、問題を解くための、戦略的意思決定権。分「権」されるべき「権」は、この戦略的意思決定「権」でなければならない。既存の許認可権や規制権を国と地方の行政当局の間でどう取り合うのかなどということは、生活者・市民にとっては、どうでもいいことである。

 いまや、中央集権的なピラミッド型のヒエラルキー構造をもつ官僚組織では、意思決定がうまくいかない問題が増えてきている。戦略的意思決定権をもつ主体を、問題の立て方、問題の解き方の多様性に応じて、どう多様化できるのか。それが、現代の先進社会におけるすべての組織にとっての最大のテーマである。政策をうみ出し、改革をなしとげるための新しい組織的基盤が必要なのである。連邦制は、政府という組織について、このテーマに挑戦してみようとする試みにほかならない。

 なお、連邦制の移行過程は21世紀初頭のなるべく早いうちに完了させたい。第2段のロケットは第1段ロケットと比べて、また第3段は第2段に比べて準備期間を十分とれるし、途中、加速度もつくので、7・5・3の合計15年をとりあえずの移行期間としておく。しかし、戦略の実行はあくまで臨機応変でなければならない。チャンスが訪れたら、それを前髪でつかむことである。


おわりに

 本稿で示した連邦制は、いまだユートピアにとどまっている。この通りの構造をもった実例は地球上のどこにも存在しない。しかし、構造をつくりあげている個々の要素については、どこかに存在しているか、少なくともその萌芽がみられるものや、すでに多くの人が論じてきたものばかりである。
 また、連邦制の移行には、「民主政治」の改革とともに、「市場経済」の整備と「市民社会」の成熟とが求められる。この点を詳しく論じることはできなかったが、「自由」で「公正」で「透明」な政治・経済・社会のシステムを築き、創っていく可能性は、私たち日本の生活者・市民にも開かれている。自信をもって目標を定め、戦略を立てる時であろう。
 アイデアの域を出ておらず、まことに不十分で恐縮だが、本稿での記述をたたき台に、より有効な改革案を見出すべく、広く公論がたたかわされるようになれば幸いである。


  地方主権研究会委員名簿 
   座長   恒松 制治   前獨協大学学長 
   委員   安藤  博   構造計画研究所主任研究員 
        栗山 和郎   関西経済連合会企画調査部副部長 
        後藤  仁   神奈川県自治総合研究センター所長 
        山同 陽一   旭リサーチセンター相談役 
        竹下  譲   拓殖大学教授 
        竹中 一雄   国民経済研究協会顧問 
        並河 信乃   行革国民会議事務局長 
        原田 博夫   専修大学教授 
        山重  明   ノーザンクロス社長 

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